参之幕_酒呑童子編

《1》

 京の都にある宿屋に逗留して早三日。
 深手を負った桃はまだ目を覚まさない。
 医者の話では今こうして生きていることが奇跡なのだと云う。
 高熱が続き、布団を濡らす大量の汗。表情は常に苦しそうにしている。
 桃の世話はかぐやがした。理由は男に桃の着替えなどをやらせれないということだったが、最初はかぐやが毒でも盛るんじゃないかと心配された。けれど、そんなことなどなく献身的にかぐやは看病を続けた。
 ――別に優しさでやってるんじゃないんだからね。恩を売るためにやってるんだから!
 それがかぐやの言葉だった。
 この三日の間、雉丸だけが別行動を取っていた。桃の病を治すためらしいが、どこに行くのか告げずに旅に出た。
 残された三人では頼りない。桃の看病をやっているかぐやはまだいいが、雉丸のいないポチは挙動不審、猿助は魂の抜け殻のように若い娘が目の前を通っても反応ゼロ。
 病室に使っている個室から隣の部屋にかぐやが移動してきた。
「あのさー、大事な薬が切れちゃったんだけど誰かもらってきてくんない?」
 誰か(、、)と言っても、どちらか(、、、、)しかいない。
 猿助かポチ。
 ちなみに今は真夜中だった。
 魂の抜け殻の猿助は論外。
 かぐやの目がポチに向けられた。
「ボ、ボクは無理ですぅ」
 すでにガクガクブルブル震えている。
 猿助がゆら〜り立ち上がった。
「オレが行く」
 今にも消え入りそうな声だった。
 こんな奴に行かせて大丈夫なものかと思ったが、ポチもあんな常態ではどっちもどっちだろう。
 なんだかんだで猿助が薬を取りに行くことになった。
 宿屋の外はすでに真っ暗だった。
 人はすでに寝静まっている時間だ。跋扈しているのは魑魅魍魎くらいなものだろう。
 行灯を片手に猿助はゆらりゆらりと歩いた。まるで幽霊だ。
 月明かりと星が優しく照らす晩。それでいて月光は妖しくもある。
 堀川にかかる一条戻橋にさしかかると、橋の手前で腰を下ろしている女がいた。
 腐っても猿助。それがすぐに二十歳前後の若い娘だとわかった。けれど、今の猿助は両手を広げて駆け寄るようなマネはしなかった。
 若い娘は足をくじいたのか、足首を押さえている。無防備にも怪我をした脚は、はだけた着物から惜しげもなく覗いている。その美しい白い肌と脚線美の見事なこと。
 紅梅のうちかけを身にまとう上には艶やかで色っぽい顔。その表情は少し眉尻を下げて苦しそうにしているが、その表情がまた男をそそるのであった。
 しかも、なぜか上着が少しはだけて片方の肩が夜風にさらされていた。
 猿助は生唾をゴクンと呑み、体の底から生命力が沸き上がってくるのを感じた。
 けが人を放っておくわけにはいかない。
 いや、真夜中に美人のねーちゃんが苦しんでいるのに、放っておくのは男として間違っている!
「何かお困りですか美人のねーちゃん!」
 猿助は鼻の下を伸ばして、さらに両手まで広げて娘に駆け寄った。
 復活!
 すっかり魂の抜け殻から復活した猿助。
 娘はゆっくりと顔を上げた。目の前で見ると、さらに悩ましい顔だ。
「足首をくじいてしまって……こんな夜更け、人も通らず困っていたところですの」
 少しハスキーな声だったが、それが猿助の体を痺れさせた。
「そんなことならオレに任せといてくれよ。ちょうど今から医者のところへ行くとこだかんよ、背負っていってやるよ」
「それはそれはありがとうございます、カッコイイお兄さん」
「カッコイイだなんて、そんな正直に言われると照れるぜ」
 頭を掻きながら猿助は鼻の下伸ばしっぱなし。
 さっそく猿助はその娘を背負った。
 少し猿助の表情が曇る。
「見た目よりガッチリしてる体つきだなぁ」
「おほほほ、少し武道をたしなむもので……」
「へぇ、そうなんだ。オレ強い女って好きっスよ」
 自分を売り込むことで必死。
 橋を進んでいると、前方に人影が佇んでいるのが見えた。明かりも持っていないため、男か女かもわからない。
 こんな夜更けに二人も人に会うなんて、珍しいこともあるものだ。そんなのんきに構えていた猿助だが、前方にいる人影は明らかにおかしい。
 そう、まるで猿助を待ち構えているようだ。
「そこまですわよ」
 凛とした女の声が響いた。
 月明かりに照らされた女の顔、それは鈴鹿だった。
 猿助を待ち構えていたのは鈴鹿だった。ここまで猿助を追ってきたのだ。なんともしつこい。
「うぉっ、またお前かよ。お前とは結婚しねーっつってんだろ」
 猿助はあからさまに嫌そうな顔をした。
「今すぐ離れなさい!」
 鈴鹿は強い口調で命じた。
 猿助はあっかべーをして応じた。
「オレがどんな女といようとオレの勝手だろ!」
「今すぐ離れなさい。さもないと命無いものと思われよ」
「ま、まてよ……別にお前と付き合ってるわけじゃないんだから、殺すなんてヒドイじゃねーか!」
 これじゃストーカーもいいところだ。勝手に嫉妬して、勝手に命を取られては死んでも死にきれない。
 だが、少しようすは違うようだ。
 鈴鹿の鋭い視線は猿助ではなく、その背中にいる娘に向けられていたのだ。
「耳や尻尾を隠していても、貴方からは鬼の臭いがぷんぷんする。それも雄の臭い」
 ぎょっと眼を剥いたのは猿助だった。
「雄?」
 相手が鬼かどうか以前に、雄?
 背負われていた娘は急に眼を黄色く光らせ、鋭い鉤爪を猿助の首に突き付けた。
「おーほほほほっ、正体がバレてしまっては仕方ないわね。ただし、男というのは気にくわないわ。体は男でも心は乙女よぉん!」
 ガーン!
 猿助痛恨のショック。
 そーいえば、ケツの辺りに何か後ろから当たってますよ。それってきっと男にしかついてないアレですよ。
 ガッビーン!
 燃え尽きたぜ猿助。
 猿助は顔面を真っ白にして魂を離脱させた。
 鈴鹿がゆっくりと前に歩き出す。
「ダーリンを早く解放なさい。死にたいのですか?」
「おほほほ、アタクシにこやつを解放するいわれはないわ。元々こやつは桃とかいう危険分子の情報を調べるために捕らえようとしたまで。さもなければ、殺してしまうつもりだったのだもの」
 オカマは鉤爪にたっぷりと生唾を落として舐めた。オカマだって知らなければ、オカマだって言われなければ、ものスッゴイ肉欲的でエロイのに!
 もはやオカマと知れた今は、何をやられても精神的ショック。
 鈴鹿はまた一歩前に出た。
 それに合わせて鉤爪が猿助の首の皮を軽く突いた。
「殺しちゃっていいのかしらぁん。アナタの大切な人みたいだけどぉ〜」
「ダーリンを殺したら貴方も死にますわよ?」
 激しい殺気。
 それは鈴鹿のみならず、左右からも感じた。
 オカマは素早く左右に視線を配った。そこには大通連と小通連が、オカマを串刺しにせんと構えていた。
「なかなかやるじゃなぁ〜い。でもぉ、この男が殺されたあとにアタクシを殺して何になるのかしら?」
 これはどちらも手が出せない状態だった。
 鈴鹿がが攻撃を仕掛ければ猿助が殺される。また、猿助が死ねば鈴鹿がオカマを殺す。
 誰かが走ってくる音が聞こえた。
 行灯を持った小柄な影。
「うわぁ〜ん、暗いよぉ怖いよぉ!」
 ポチだった。
 その一瞬、オカマはポチに気を取られてしまった。
 今しかない!
 大通連と小通連が宙を舞う。
「ぎゃぁぁぁぁっ!」
 醜く悲痛な叫びが月夜に木霊した。
 鉤爪のついた腕が橋に落ちた。
 血が噴き上げる腕を押さえてオカマがよろめく。
「おのれ、今日のところは退散してやるわ。でも覚えておきなさい、アタクシの名は酒呑童子さまの腹心――茨木(いばらぎ)童子よ。絶対に復讐してやるからね!」
 捨て台詞を吐いて茨木童子は闇の中に姿を消した――片腕を残して。
 ポチが瞳をウルウルさせながら猿助に抱きついた。
「うぁ〜ん、怖かったよぉ。サルたんひとりじゃやっぱり心配だからって、かぐやたんに宿屋から放り出されたんだよっ。それでね、それでね、ここまで来てみたらなんかスゴイことになってたし。うあ〜っ、そういえばなんでここに鈴鹿たんまでいるのっ!?」
「ダーリンの命を救ったのは妾なのですよ」
「えっ、じゃあ鈴鹿たんって本当はいい人なんでしゅかぁ?」
「もとより無駄な戦いはしたくありませんことよ。最初に刃を向けたのはそちら、そのあとは妾からダーリンを奪おうとしたから仕方なく」
 そのダーリンは真っ白な灰になっている。
 鈴鹿は猿助を優しく抱き寄せ、頬に軽く口づけをした。
「ダーリン、起きてくださいまし」
「……、……、……うわっ!」
 猿助は驚いて飛び起きた。
「て、ててててめぇ、オレに何するつもりだ」
「んもぉ、ダーリンまで。茨木童子とかいうオカマを追い払い、ダーリンの命をお救いいたのは妾なのですよ?」
「へっ?」
 目を丸くして口をあんぐり開ける猿助。
 ポチもうなずいた。
「うん、ボクも見てたけど、鈴鹿たんが頑張ったんだよっ!」
「……そうなんか」
 うつむいて考え込む猿助。
 すぐに顔を上げた。
「けどよ、お前のせいで姉貴は今も死にそうなんだぞ。どう責任取ってくれんだよ!」
「あの女……まだ生きているのですか。なかなかしぶとい」
「まだってなんだよ、絶対死なせるもんか!」
「妖刀大通連に受けた一撃。そうたやすく治るものではありませんわ。あの手応え、絶対に仕留めたと思ったのに、生きてるほうが不思議ですわね」
「なんだよその言い方。お前なんか大っ嫌いだ!」
 鈴鹿ショック!
 粗塩を塗った矢を乱れ打ちで心に喰らった。
 明日にも世界は滅びますみたいなくらい絶望を背負う鈴鹿。あまりのショックに四つんばいのまま立ち直れない。
 ポチがしゃがみ込んで鈴鹿の顔をのぞき込む。
「元気だしてっ、ファイト!」
「……もう妾は生きていく希望もありませんわ」
 鈴鹿はすっかり老け込んだ顔をゆっくりと上げて、憂いを含んだ瞳で猿助をしっかりと見つめ、こう尋ねたのだった。
「あの女はダーリンにとって……そんなに大切な人なのですか?」
「そうだよ、大切に決まってるだろ!」
「妾よりもですか?」
「…………」
 この返答には困った。答えは決まっていたが、それを言ったときに鈴鹿が何をしでかすかわからなかった。
 鈴鹿はさらに口を開く。
「……それが答えですのでね。仕方がありません、ダーリンがそこまで想う人なのであれば助けなければなりませんわね」
 ビシッとシャキッと鈴鹿は立ち上がった。
「でも妾はあきらめたりしませんから、こうやって乙女は大人の階段を登っていくのですのよ。たとえダーリンに好きな人がいようと、いつかは絶対に振り向かせてみせます!」
 鈴鹿は涙を拭いて歩き出した。
「さあ、あの女のところへ案内してください」
 すっかり立ち直った鈴鹿。
 猿助はなんだか置いてけぼりだった。

《2》

 病室に現れた鈴鹿を見たかぐやの第一声は――。
「うわっ、なんでいるの?」
 ごく当たり前の反応だった。
「その女を仕方なく治しに参りました」
 鈴鹿はそう言ってふとんで寝込む桃の横に正座すると、両腰に下げていた二振りの妖刀を鞘から抜いた。
 それを見た猿助は驚いて飛びかかろうとした。
「やっぱり止めを刺す気だな!」
 鈴鹿は哀しそうな顔をした。
「妾は情けない。いくら愛した人とはいえ、ここまで信用されていないとは」
 殺気などどこにもない。それに気づいた猿助は飛びかかるのをやめた。
 気を取り直して鈴鹿は抜いた大通連と小通連を、背中から胸まで貫通した桃の傷口にかざした。
「この妖刀は元々大嶽丸という鬼から奪ったものなのですが……あいつったら、本当にキモイいしウザイし、ストーカーみたいで本当に困って……という話は置いておいて」
 ストーカーなのはお前も同じだろ?
「この妖刀は生命の源、大嶽丸の命の分身と言っても良いものなのですのよ。そして、生命漲るこの妖刀を使えば傷などたやすく治るのです」
 二振りの妖刀が淡く輝きはじめ、蛍火のような光が桃の傷口に舞い落ちる。
 すると、なんと傷口は見る見るうちに塞がってしまったではないか!?
 鈴鹿の言うことに偽りはなかったようだ。
 しかし、傷が消えても桃はいっこうに目を覚ます様子はない。
「おかしいですわね」
 と、鈴鹿は呟いた。
 見るからに酷かった外傷は消えた。そして、桃の表情は穏やかに戻り、大量に掻いていた汗も引いている。
 それでも桃は目を覚まさないのだ。
 猿助は鈴鹿につかみかかるのをグッと押さえて口を開いた。
「どういうことだよ?」
「外傷は完璧に治しましたのよ。けれど……妾にもわからない症状ですわ」
「てめぇ!」
 やっぱり感情を抑えられず猿助は鈴鹿に掴みかかってしまった。
 しかし、軽くあしらわれ地面に叩きつけられてしまった。
「積極的なのは妾も嬉しいのですが、皆が見ている前で恥ずかしい」
「てめぇなに勘違いしてんだよ!」
「わかってますわよ。約束はちゃんとお守りいたします」
 鈴鹿は背を向けて部屋を出て行こうとした。
 猿助が呼び止める。
「どこいくんだよ!」
「外に止めてあった光輪車は返してもらいます。次にお会いするときは治療法を見つけたとき」
 部屋を出て行く寸前、鈴鹿は振り返って微笑んだ。
「妾がいなくても寂しがらないでねダーリン♪」
 こうして鈴鹿は部屋を出て行った。
「寂しかなんかねーよ」
 吐き捨てた猿助の脇腹をかぐやが小突いた。
「鈴鹿お姉様に惚れた?」
「惚れてねーよ、だってあいつ鬼なんだぜ!」
「ふ〜ん」
「ふ〜んじゃねーよ。オレはあんな奴より、この太ももが……」
 そう言って猿助は桃の太ももに頬をスリスリした。今だからできる暴挙だ。桃は起きてたら八つ裂きにされるだけではすまされまい。
 だが、そんな猿助に鉄槌が下った。
「エロザルはさっさと出てけっ!」
 かぐやにケツを蹴っ飛ばされて、猿助は部屋を追い出されたのだった。

《3》

 山里からさらに山深い場所に、その隠れ屋は静かに佇んでいた。
 雉丸は玄関を静かに開け、深々とお辞儀をした。
「ただいま戻りました母上」
 家の中では若い女が一人で茶を啜っていた。母と呼ばれた割には、その容貌は雉丸のような大きな子がいるようには見えず、まだまだ若く美貌に溢れた母だった。
 鬼女紅葉(もみじ)≠フ名を聞き、この地方で震え上がらぬ者はいないだろう。多くの妖術を操り、多く配下を従え、多くの略奪や多くの人を殺した。
 それも今は昔、現在では幼少期の名呉葉(くれは)≠ノ名を戻し、ひっそりと山の奥で暮らし、時折里に降りては檜扇を使って人々の病を治していた。
 呉葉は驚いた表情をして息子の帰りを喜んだ。
「まあ、よく返ってきたわね金ちゃん!」
「その名はとうの昔に捨てました。今は雉丸と名乗っています。あと、それは俺じゃなくて家の大黒柱ですよ」
「あらまあ!」
 呉葉は抱きしめていた大黒柱から恥ずかしそうに離れた。
「母上……視力が悪くなられたのですか?」
「ちっとも、両目とも2・0よ。金ちゃんが帰ってきてくれたから、すっかり舞い上がってしまってそれで」
 そーゆー問題か?
 今のところどー見ても激しくボケた母ですが?
 呉葉は雉丸に座布団を勧め、囲炉裏で暖めていた茶釜から湯飲みに茶を注いだ。
「どうぞ、粗茶ですが」
「母上、それは客人にいう台詞では?」
「まあやだ、久しぶりの来訪者だから、すっかりそういう気分でお茶を出しちゃったわ!」
「オレは息子です」
 大丈夫かこの母親?
 呉葉は雉丸という息子がいる割には若い。けれど、美貌は保っていても、その物腰や背を丸めた姿は年寄りのようだった。
「母上……また老けましたか?」
「いやもぉ、そんなこと言わないでよぉ。これでも若いころはブイブイ言わせてたんだからぁ」
「その話、いつもなさるんですが本当ですか?」
 呉葉は雉丸が物心ついたときからこんな感じだった。
「金ちゃんに嘘ついてどうするのよ。これでも母さんレディースの総長だったんだから、他にも盗賊団の頭も掛け持ちしていたし、悪いことをいっぱいしてきたのよ。あのころは若かったわ……若気の至りだったわね、特にあんな男に惚れたとことか」
 話を聞いていた雉丸の顔つきが急に暗くなった。それを知ってから知らずか呉葉はフォローした。
「でもあんな男だったけど、あの男との間に金ちゃんが生まれてきてくれたことは、本当に心から嬉しいことなのよ」
「オレは生んで欲しいなんて頼んだ覚えありませんが」
「そんな悲しいこと言わないで金ちゃん」
「だからその名前で呼ぶのは……っ!?」
 急に雉丸は母の胸に抱き寄せられた。
 呉葉は雉丸を強く抱きしめ、その頭を優しく撫でた。
「ごめんなさい……わたしのせいで……あなたはこんな……」
 優しく温かいその指先は、髪の間に残る二つの傷跡を撫でていた。
 雉丸は抵抗せず、ただ深く息をつき、静かに静かにこう呟いた。
「けれど母上は、代わりに人間≠フ耳をつけてくれました」
 雉丸はゆっくりと呉葉の体を突き放し、静かに立ち上がってしっかりと呉葉の顔を見据えた。
「この力を必要としている人がいます。母上が鬼の元で学んだ魔導医学の知識が必要なんです!」
「その人は金ちゃんにとって大切な人なの?」
 雉丸は無言でうなずいた。
 真面目な空気が一変、呉葉は両手を広げて喜んだ。
「まさかその人、金ちゃんの彼女!? うっそー、まさか金ちゃんに彼女ができるなんて、大人になったのねぇ。ママ嬉しいわぁ!」
「……た、ただの命の恩人ですよ! 今はその人に仕えています。女性なのは確かですけど」
「でも金ちゃんその人に気があるんでしょ? 恋の相談ならいくらでも乗っちゃうわよ。けど、ママは男の人とうまくいったためしがないけどね♪」
 笑顔爆発の呉葉。
 どうやったらこの母から雉丸が生まれたのだろうか?
 むしろ反面教師なのか。
 呉葉は恋人のように雉丸の腕に自分の腕を回した。
「さっ、早く未来の花嫁さんのところへレッツゴー!」
「だから、オレと桃さんはそんな関係じゃなくてですね……」
「いいからいいから、恥ずかしがらないで金ちゃん♪」
「だから、その名前で呼ぶのもやめてくださいって言ってるじゃないですか!」
「あー、そういえば話は変わるんだけど」
 変わるんかい!
 ものすごいマイペースだ。
「なんでしょうか?」
 ため息混じりに雉丸が尋ねると、急に呉葉は真剣な顔をした。
「わたし世の中のことにうといんだけど、ちょっと悪い噂を聞いちゃったのよね」
「どんなでしょうか?」
「最近、酒呑童子というガキ大将が暴れてるって聞いたんだけど……その酒呑童子って子、もしかして……」

《4》

 四日目の朝、未だに桃は目を覚まさない。
 雉丸も帰還せず、鈴鹿も姿を消してしまった。
 居ても立ってもいられない猿助だったが、今の自分のできることなどなく歯痒い気持ちをしていた。
 隣の部屋では今日もかぐやが桃の世話をしている。
 猿助がぼーっと窓の外を眺めていると、後ろからポチが声をかけてきた。
「サルたんトランプしようよぉ」
「うっせぇなぁ、一人でやってろよー」
「一人じゃできないもん」
「何かできることあっだろ」
 プイっとポチは顔を膨らませてそっぽを向いてしまった。そして、とりあえず神経衰弱をはじめた。
 しばらくしてノックもせずに誰かが部屋に入ってきた。
「この部屋から強い邪気を感じる……ってお前らかっ!」
 烏帽子をかぶった見た目ガキなのに二二歳の晴明だった。
 猿助はあからさまに嫌そう顔をした。
「勝手に人様の部屋に入ってくんじゃねぇよ」
「君たち僕より身分が下だろ。しかも、鈴鹿御前を取り逃がして、あの野蛮人は重傷を負わされて寝込んでるそうじゃないか。まったく口ほどにもないよね」
 嫌みったらしい言い方をされて、猿助は腹の底から怒りを吐き出す。
「だったらてめぇで鈴鹿を退治してくればいいだろ!」
「それができたら苦労しないよ。僕にはこの京の都を守るという義務があるからね、都の外に一歩も出ることができないんだよ」
「出たくないのは、ただ怖いだけだろうが」
「耳も悪いのかい? この都を守る義務があるんだよ。だからこうしてここに出向いてるんじゃないか、バカだなぁ」
 二人がいがみ合ってる中、神経衰弱をやっていたポチが両手を挙げて喜んだ。
「やったー、一回も間違えないでクリアできたよ!」
 マイペースだった。
 このマイペースさを見て猿助も晴明も気が抜けてしまった。
 気を取り直して晴明は部屋を見渡しはじめた。
「この部屋から邪気を感じるんだ」
「てめぇの腹ん中からだろ」
 吐き捨てた猿助を無視して晴明はポチのほうに近づいていった。
「君の近くから邪気を感じるな」
 どう見てもポチは邪気ではなく無邪気の塊だ。
 ポチは瞳を丸くして首を傾げた。
「う〜ん、もしかして鈴鹿たんに預かってるこれですかぁ?」
 と、ポチが取り出したのは唐櫃だった。
 中を開けると、のぞき込んだ猿助が嗚咽を漏らした。
「キモチわりぃ」
 晴明も眉をひそめた。
「腕だな」
 そう、唐櫃に入っていたのは切断された腕だった。しかも鉤爪のオプション付きだ。
 ポチは大きくうなずいた。
「うん、鈴鹿たんが持っててって言ったんのぉ。取り返しにくるかもしれないからって」
 さらに晴明は眉をひそめて難しい顔をした。
「先ほどから名を呼んでいるいる鈴鹿たん≠ニは鈴鹿御前≠フことか?」
「うん、ボクたちのお友達になったんだよぉ」
「…………」
 一瞬、晴明は動きを止めて、すぐに猿助の首根っこ掴んで部屋の隅に拉致した。
「どういうことかな、オサルくん?」
「いや……その……なんていうか……そうだ、きっと鈴鹿は心を入れ替えて善人になったんだよ、うん!」
「……まあいい」
 じとーっとした目で猿助を見ていた晴明だったが、深く追求せずに掴んでいた首根っこを突き放した。
 今は鈴鹿の話は置いておいて、邪気を放っている鬼の腕をどうにかしなければならなかった。
「とりえずその腕は僕の屋敷に運ぼう」
 この言葉のニュアンスは『お前らのどっちかが運べよ』といことだが、ポチは元々ヒマを持て余していたし、猿助も桃のことなどがあって、じっとしていると気が滅入りそうだったので、三人で晴明の屋敷に向かうことになった。
 宿屋からの道は晴明の乗ってきた牛車で進んだ。
 晴明の屋敷に来るのはこれで二度目。以前と同じ板の間に通された。
 祭壇に祀られている鏡はすっかり新しい物に変わっていた。
 床の上に鬼の腕が入った唐櫃が置かれた。
 腕組みをした晴明は少し考えた後、とりえず唐櫃に御札でも貼ってみた。
 処理がテキトーだった。
「まあ、とりえずこれでいいんじゃないかな」
 これで終わりかよ……みたいな目で猿助は見ていた。
「おめぇやることが雑じゃねーか?」
「雑じゃないよ、こうして置けば邪気は外に漏れないし、鬼だって簡単には開けられないんだからな!」
 感心しているのはポチだけだった。
「安倍たんすご〜い!」
 手を叩いてはしゃぐ姿は、やっぱり無邪気。
 さてと、用事も済んだし二人が帰ろうとしていると、この部屋に紫色の着物を着た切れ長の目をした女が入ってきた。
 思わず猿助が声をあげる。
「うほっ、美人のねーちゃん!」
 すかさず晴明が持っていた笏で猿助をぶん殴った。
「僕のママだよ!」
「晴明の母の樟葉(くすは)じゃ」
 紅色の唇から紡ぎ出された艶っぽい声。どこか妖々とした女だった。
 樟葉は床に置かれた唐櫃に近づいた。
「これは何じゃ?」
 晴明が答える。
「はい、鬼の腕を封じてございます」
「ほお、鬼の腕とな。ぜひに見てみたい」
「ダメです」
「見せてたもう」
「ダメったらダメです」
「見たい見たい見たい見たい〜っ!」
「ダメったらダメったらダメですぅ!」
 子供が二匹いる。
 駄々をこねる樟葉と同じように言い返す晴明。
 やっぱり親子なんだなぁと猿助は感心した。
 どうしても中身を見たい樟葉は強硬手段に打って出た。
 なんと、自分の首に短刀を突き付けたのだ。
「見せてくれないなら死んでやる!」
 慌てる晴明。
「うわっ、ストップストップ! 見せますから見せますってば!」
「本当?」
 愛くるしい瞳で樟葉は見つめた。
 仕方なさそうに晴明は御札を剥がして封を解いた。
 そして、唐櫃のふたを取った瞬間、樟葉が鬼の腕を奪って飛び退いた。
「この腕、返してもらったわよぉん!」
 その声は!?
 樟葉はバッと着物を脱ぎ捨てると同時に変化を解いて正体を現した。そこに現れたのは、なんと茨木童子だったのだ。
 茨木童子は奪い返した腕を元の場所に戻し、包帯をグルグル巻きにして固定した。
 この場で大ショックを受けている晴明。
「ぜんぜん気づけなかった……だって性格もママそっくりだったんだ」
 落ち込む晴明は放置プレイで、茨木童子は両手に嵌めた鉤爪を鳴らした。
「あの憎ったらしい女はいないみたいだけど、仕返しはちゃ〜んとさせてもらうわよぁん。ついでに安倍晴明の首も貰っていくわ!」
 落ち込む晴明、震えるポチ、仕方なく猿助が受けて立った。
「忍法隠れ身の術!」
 すでに戦うこと拒否。
 周りの背景に溶け込む布をかぶった猿助はじっと身を潜めた。
 が、いきなり蹴っ飛ばされた。
「なんでフローリングに石壁があんのよ!」
「ぎゃっ!」
 猿助はケツを押さえながら飛び上がった。
 どーしょーもなく役立たず。
 隠れ身の術に失敗した猿助は懐に手を突っ込んだ。
「こうなったら鎖鎌……がねぇ! しまった宿屋に置いてきちまった。だったらじっちゃんの形見のクナイ……もねぇ!」
 さらにどーしょーもなく役立たず。
 あまりの猿助のダメっぷりに茨木童子は攻撃を仕掛けることすら忘れてしまった。
「こんなのがいる一行に温羅が倒されたなんて……アレって誤報だったのかしらぁん?」
 メンバー内からも猿助は戦力外通知を受けてますから。
 ため息を漏らした茨木童子は猿助の横を素通りした。
「アンタめんどくさいから後回しにするわ」
 存在自体がめんどくさい。
 そして、茨木童子が立ったのはしゃがみ込んで震えるポチの前だった。
「こっちの可愛い仔犬ちゃんから頂こうかしら、おほほ」
 鉤爪をナイフとフォークのように鳴らし、茨木童子は艶やかに舌舐めづりをした。
 ポチは震えたまま逃げようともしない。
 焦った猿助が駆けた。
「ポチ!」
 叫んだときには遅かった。
 振り下ろされる鉤爪。
 とっさにポチが身を守ろうとして出した自らの腕が鮮血を吹いた。
 腕を押さえて泣きじゃくるポチ。
「痛いよぉ、痛いよぉ、うぇ〜ん!」
「次はどこを切り刻んであげようかしら?」
 迫り来る茨木童子。やはりポチは動けずにいる。
 猿助は茨木童子の背中に飛びかかった。
「てめぇよくもポチを!」
「キーキーうるさいわよっ!」
 鉤爪が猿助の頬を引っ掻いた。
 思わず痛みで猿助は茨木童子の背中から落ちて、頬を押さえながら床を転がり回った。
 すすり泣く声。
 肩をしゃくり上げながら震えるポチの背中。
 今まで役立たずだった晴明がやっと復帰した。
「……僕が落ち込んでいる間に……なんだこれは!?」
 激しい邪気が宙を泣き叫びながら飛び交っていた。
 驚きを隠せない茨木童子も襲い来る黒い風を鉤爪で追い払っていた。
「なんなのよこれ!」
 恐ろしい黒い風。
 鼓膜を振るわす咆吼があちこちから聞こえた。
 威嚇するような狗の鳴き声。
 黒い影を背負いながらポチがゆらりと立ち上がった。
「……許さないんだから」
 さらに黒い風が強く吹き荒れた。
「……許さない」
 邪気を口元に浮かべ振り向いたポチの体から、大量の黒い風が吹き出した。
 荒れ狂う黒い風。
 晴明が叫ぶ。
「逃げろ狗神だ!」
 咆吼で世界が震え上がり、黒い風が茨木童子に襲いかかった。
 形のない敵を相手に鉤爪を振るうが、逆に茨木童子の体はかまいたちに切られたように、いや、それよりも無惨な傷。鋭い牙で噛み千切られ八つ裂きにされる。
 全身から血を噴いた茨木童子は後退した。
「覚えてなさい!」
 キリキリと叫び声をあげて茨木童子は逃亡した。
 すーっとポチの全身から力が抜け、ゆっくりと床に崩れ落ちた。
 瞬きもせずすべてを見ていた猿助は、床に尻餅をついて股間からチビらせていた。
「あがっ、ああっ……あれ……なななんだよあれっ!」
 すでに黒い風は消えている。
 晴明はびっしょり汗を掻いて床に這い蹲った腰が抜けていた。
「オサルくん、ちょっと話があるんだけど?」
「な、なんだよ!?」
「あれは狗神と言って、とても強力な呪術なんだ。狗神というのはね、術者がちょっとムッとしただけでも、相手を八つ裂きにする恐ろしいものなんだ。わかるよね、これから絶対に彼を怒らせたらダメだからな、命がないぞ?」
「お、おう!」
 猿助はコクコクとうなずいた。

《5》

 呉葉を連れた雉丸が宿屋に戻ってきた。
 さっそく呉葉は病室に入り桃の容態を診ようとしたが、その前にまずは猿助の前に立った。
「まずはキミからよ。いち、にの、さん!」
 と、同時に呉葉は猿助の頬に張られていた絆創膏を剥がした。
「いてっ!」
「はい、痛いの痛いの飛んでいけーっ!」
 呉葉は猿助の傷に檜扇を翳した。すると鉤爪で抉られた傷がパッと消えた。
 次に呉葉は同じ部屋で寝ているポチの容体を診た。
 腕に巻かれていた包帯を取り、また同じように檜扇を翳した。
「痛いの痛いの飛んでいけーっ!」
 するとポチの腕にあった鉤爪の傷も消えてしまった。けれど、まだポチは目を覚まさない。
 呉葉は心配を拭う笑みを浮かべた。
「この子はちょっと疲れて眠っているだけだから大丈夫。しばらくすれば目を覚ますわ」
 最後に残されたのは桃だった。
 すでに桃の傷は鈴鹿が完治させている。問題は覚めぬ眠り。
 呉葉は桃の傍らに腰を下ろし、やはり檜扇を翳した。つま先から頭の先まで、ゆっくりと檜扇を動かした。
 桃は目覚めない。
 すでに呉葉の能力は猿助とポチで実証されている。その力を持ってしても目覚めない。
 呉葉は少しも険しい顔を見せず、穏やかな表情で桃の手を握った。
「とても冷たいわね。まるで死んでいるよう」
 昨晩までは苦しそうな顔をして大量の汗を掻いていた桃だったが?
 ずっと看病をしていたかぐやが説明する。
「今朝方くらいから急に体温が下がりはじめて。それだけじゃないの、見て、なんだか年取ったように見えない?」
 桃の目尻や口元に見える皺。呉葉の握る手もカサカサでやせ細っている。一〇も二〇も年老いたように見える。
 そんな年老いた桃を見て一番ショックだったのは猿助だった。
「姉貴のナイスボディが失われるなんて、オレは絶対にイヤだぜ!」
 あの爆乳も少し縮み垂れはじめてしまっている。
 元から白銀の髪の桃だが、今はそれがただの白髪にしか見えない。
 呉葉は結論を出したようにうなずいた。
「あなたたちにどう説明するべきか、生命の源が断たれているというのかしら。全身を巡る血管のようなものが、切断されていると言えばわかるかしら?」
 だから急速に年老いているというのか?
 尋ねたいのはそれを治療する方法だ。
 雉丸は真摯な瞳で呉葉を見据えた。
「どうすればいいのですか?」
「そうね、未来の花嫁さんだものね、必ず助けなくていけないわ」
 その言葉に聞き捨てならない一匹が即座に反応した。
「未来の花嫁って何だよ!?」
 猿助が噛みついた。
 すぐに雉丸が猿助の口を鷲づかみにした。
「話がややこしくなるから黙ってろ。母上、それでどうすれば桃さんを治せるのですか?」
「生命の源を注入すれば治るのだけれど……難しいわね。それは死者蘇生のようなもの、たしか不老長寿を研究している仙人がいると聞いたことがあるけれど、その人ならもしかして。名前はたしか……ハゲ仙人?」
「ハゲ仙人とはコレのことでしょうか?」
 その声は鈴鹿のものだった。
 鈴鹿はハゲ頭の仙人の首根っこを掴んで前に突きだした。
「ヤッホー、おぬしら元気にしとったか?」
 ハゲ仙人じゃなくて亀仙人だった。
 猿助はどっと疲れたようにため息を吐いた。
「こいつ……生きてたのかよ、しぶといな」
 殴る蹴るの挙げ句、滝壺に落とされて死んだと思われた亀仙人。図太い生命力で見事復活していた。
 亀仙人は誇らしげに笑って懐から何かを取り出した。
「ワシは毎日これを食ってるでの、精力旺盛若いもんには負けはせん!」
 それは〈桃〉だった。瑞々しくとても美味そうだ。
 でも、だからその〈桃〉がどーしたんだって話だった。
 しかし、この〈桃〉はただの桃ではないのだ!
 亀仙人は〈桃〉を天高く掲げた。
「これはワシが人生のすべてを投げ打って開発しておる不老長寿の〈桃〉(失敗作)じゃ!」
 失敗作かよっ!
 期待が一気に谷底に落とされた気分だ。
 亀仙人はしみじみと語りはじめる。
「あれは熱い夏の日のことじゃったか。海辺でガキんちょに苛められてる亀を助けてやったんだが……」
 撃鉄を起こす音がして、雉丸のリボルバーの銃口がハゲの眉間に突き付けられていた。
「長くなるなら結論から言え」
「まあまあそう焦るな。話を割愛すると、唯一の成功作の不老長寿の〈桃〉を作ったワシは、それを食おうと川で洗っておったら、なんたる不幸か〈桃〉を川に流してしまって、探せど探せど見つからず、ワシは首を吊って死のうとまで考えたのじゃが……」
 猿助までもクナイを握ってハゲに突き刺そうとしていた。
「てめぇの身の上話はいいんだよ、姉貴を治せるの治せないのか言えよ!」
「失敗作といえど、これはワシが作ったものじゃぞ。たちどころに精力旺盛になるわい!」
 それだけ聞けば結構です。
 グサっとクナイがハゲに刺さった。
「ぎゃぁぁぁっ!」
 頭からピューピュー血を噴きながら亀仙人は転げ回った。でも、すぐに呉葉が『痛いの痛いの飛んでいけーっ!』と治してしまった。
 さっそく〈桃〉の皮を剥き、食べやすく一口に切ると、かぐやが桃の口に運んだ。
 口の中に落とされた〈桃〉は、蕩けてるように喉の底に落ちていった。
 微かに桃の瞼が痙攣した。
 張りを戻して弾む爆乳。
 仁王立ちする引き締まった美脚。
 脂の乗った尻に食い込むふんどしTバック!
 桃は両手を天井高く伸ばした。
「ふわぁ〜よく寝た」
 首をポキポキッと鳴らして桃はしばらく動きを止めた。
 見知らぬ女が一人。
「誰だてめぇ!」
「雉丸の母です」
 もう一人の見知る女。
「てめぇがなんで!?」
「妾が貴女をお助けしたと言っても過言ではございませんのよ」
 呉葉と鈴鹿とご対面。
 桃は鈴鹿に殴りかかろうとしたが、それを必死になって雉丸と猿助が止めた。
 そんなこともありつつ、暴力沙汰にならずに示談交渉で一段落した。
 そして、話は茨木童子に及び、桃は豪傑に笑った。
「その喧嘩、買ってやろうじゃないか!」
 こうして桃たちの次の目的地が決まった。
 いざ、酒呑童子の棲む大江山へ!

《6》

 鉄の城門の前で黒いふんどし鬼が門番をしていた。
「なんだお前たち、酒呑童子さまの城にノコノコやってくるとは良い度胸だな」
 口元を布で隠す爆乳ベリーダンサーが前に出るのを制止して、横にいたマジシャンハットの男が眼鏡を直しながら口を開いた。
「私たちは旅芸人です。道に迷ってここにたどり着いてしまったのです」
 雉丸の声だった。
 バニーガールの格好をした不機嫌そうなかぐやもいる。となると、ベリーダンサーは桃だろう。
 扮装した三人。あとは荷車に積まれた大きな葛籠がいくつかあった。
 鬼は桃の体を舐め回すように視姦した。
「女とガキは召使いとして生かしてやろう。だが、男はここで血祭りにあげてくれる!」
 緊迫した空気が流れ、雉丸はリボルバーを隠しているマジシャンハットに手をかける寸前だった。
 だが、ここに新たな鬼が現れ状況は一変した。
「お待ち!」
 紅梅のきながしを着た茨木童子だった。
「旅芸人なんておもしろそうだわぁん。とりあえず通して酒呑童子さまにご意見を伺いましょう」
 こうして桃たちは城の中へ案内されることになった。
 中は城と言ってももとは洞窟だったらしく、要塞という表現のほうが正しいかもしれない。
 トラ耳の鬼たちの他に、若い人間の娘たちの姿も数多く見受けられた。おそらく無理矢理ここに連れ来られ、働かされているのだろう。
 廊下を先に進むにつれて、生臭い風、甘い女の香、そして酒の臭いが漂ってきた。
 茨木童子の案内で通された部屋。
 その部屋の奥に立て膝をついて座っている褐色の上半身裸の鬼。片手には酒壺、両脇には若い娘、首にも娘が抱きつき、肌と肌をすり合わせていた。
 それが一目で酒呑童子だと知れた。
 引き締まった肉体。鼻梁の下で笑う形の良い口から覗く八重歯。そして、女を虜にする鋭い眼で酒呑童子は桃たちを見た。
「何者だ?」
 その声を聞いたとたん、周りにいた女たちは体を痺れさせ、目をとろんとさせてしまった。
 茨木童子が恭しく頭を下げて答える。
「道に迷った旅芸人だそうですわ。酒呑童子さまがお喜びになると思って、ここまで通して参りました」
「なかなかおもしろい格好をした者たちだな、酒の肴にちょうど良い。おい、オレ様に何か芸を披露しろ。おもしろければそこの男も生かしてここに置いてやろう」
 では、さっそく――。
 雉丸は用意した輪に火を点け、桃はかぐやの首根っこを掴んで酒呑童子に軽く会釈をした。
「これからとっておきの芸をご覧にいれましょう。今からのこのバニーちゃんが見事、燃えさかる火の輪をくぐれたら拍手喝采、くぐれなかったときはご愛敬」
 この展開にデジャブを感じたかぐやが叫ぶ。
「ちょっと、まさか投げる気じゃ!?」
「うおりゃーっ!」
 かぐやロケット発射!
「ぎゃぁぁぁっ!」
 放たれたかぐやは火の輪にグングン近づき……燃えた。
 見事に火の輪にぶつかったかぐやのうさ耳に火が付いて、顔面を蒼白にしながら床を転げ回った。
「熱っ熱っ熱っ!」
 すぐさま雉丸がバケツの水をかけて消火終了。
 びしょ濡れになって力尽きているかぐやを見て、酒呑童子は床を叩いて大喜びをした。
「あははははっ、なかなかおもしろいぞ。他にももっとあんだろ、どんどん見せろ」
 続きましては息絶え絶えのかぐやを板に磔にして、雉丸がダーツの矢を構えた。それもまとめて八本、指に挟んだ。
 桃だけでなく、雉丸までそんなことするなんて……。
「己ら我を殺す気かボケッ!」
 かぐやが威勢よく叫んだ次の瞬間には青ざめていた。
 ビュン、ビュン、ビュン……!
 連続して放たれたダーツはかぐやの股の下から耳の横、ギリギリにところに突き刺さった。
 そして、最後に桃が一本のダーツを構えていた。
「アタイも一本投げようかね」
「ババアは投げるなボケッ!」
 ツバを飛ばしながらかぐやは叫んだ。だが、口で止めたくらいじゃ止まらない。だって桃だから。
 野球の投球フォームから、剛速ダーツが投げられた!
 ズゴォォォッ!
 明らかに風を切るダーツの音が違う。
「ぎゃぁぁぁっ!」
 ガシッ!
 な、なんとかぐやは歯でダーツを受け止めた!
 すぐにかぐやはダーツを吐き捨てた。
「ペッ……マジで殺そうとしたやっがなクソババア!」
 とても芸とは思えない迫真の演技(?)だ。
 それを見て酒呑童子は腹を抱えて大笑いした。
「あはは、あははははっ、愉快愉快。てめぇら最高におもしれーな、オレ様の城で飼ってやろう!」
 好感度も上げられ相手の信用を得たところで、雉丸は葛籠の中から酒壺をいくつも取りだして見せた。
「これは都でも評判の酒です、どうぞお受け取りください」
 酒と聞いて酒呑童子はさらに機嫌をよくした。
「なかなか気が利くじゃねーか。よーし、宴だ宴の準備をしろ!」
 さっそく宴会の準備がされ、人間の女たちが次々と料理を運んできた。
 仕事をしていた鬼も次々と姿を現し、宴は華やかに行われた。
 酒を浴びるように呑む鬼どもは臭い息を吐きながら上機嫌だが、お酌をしながら抱き寄せられる人間の娘たちは悲しげ表情を一様に浮かべている。
 今回はただ鬼どもをぶっ倒せばいいというものではない。取られえられている人間の娘たちも無事に救出しなければならなかった。そのため、いつものように桃が大暴れしては娘たちが危ない。
 酒呑童子は桃を近くに呼び抱き寄せた。
「オレ様が見てきた中でもおめぇが一番好い躰してやがる。その布を取って素顔を見せてくれねーか?」
「見たいなら自分で取ってみな」
 眼が笑ってない。いつボロが出てもおかしない。
 自分を前にしても強気な桃に酒呑童子は八重歯を覗かせ嬉しそうに笑った。
「気が強そうだな、そういう女好きだぜ」
 酒呑童子は桃を押し倒して襲ってきた。
 しかし、桃は瞬時に足で酒呑童子の腹を蹴り上げて投げた。
 宙を舞った酒呑童子の姿を見て、部下の鬼どもは息を呑んで一瞬にして場が凍り付いた。
 腹心の茨木童子が鉤爪を抜いて桃に飛びかかろうとした。
 だが――。
「待て!」
 酒呑童子の一喝で茨木童子は身をすくめた。
 腹を押さえながらゆっくりと立ち上がる酒呑童子。
「その女に手を出したら八つ裂きにするぞ。その女はオレ様の妻にすると決めた」
 その言葉を聞いた茨木童子は憎悪に満ちた顔をして桃を睨みつけた。だが、鉤爪をそっとしまって、奥の席に消えていった。
 桃は酒呑童子を力強い眼で見据えた。
「ほう、アタイを妻にしたいなら、力ずくでどうぞ」
「あはははっ、やはり好い女だ。今すぐに力ずくでやってやってもいいが、今は酒を楽しもう。そのあとでじっくり相手をしてやろう」
 こうして危機は一つ去った。あのまま桃が暴れ出してしまったら、すべて計画は水の泡だ。
 酒はどんどん進み、見覚えのある黄色いふんどしの巨漢が、男らしい舞を披露した。
 それが鬼イエローだと気づいた雉丸は、すぐにシルクハットを深くかぶったが、桃は堂々と鬼イエローの横に出た。
 桃は物干し竿を手に取り、物干し竿を地面に突き刺しポールに見立て、ポールダンスを披露した。
 その艶やかな肉体を駆使した桃の激しい踊りに、鬼は一斉に歓声をあげて鬼イエローのことは大バッシング。
 桃は手を滑らせたフリをして、物干し竿で鬼イエローの股間を激しく強打した。
「あら、ごめんよ」
 泡を吐いて鬼イエローは気絶した。さらに歓声があがった。
 楽しそうに桃の踊りを見ている酒呑童子に酒を持った雉丸が近づいた。
「男の酌で申し訳ありませんが、ぜひお近づきの印に一杯どうぞ」
「ありがたくいただくぜ」
 大皿に注がれた酒を酒呑童子は一気に飲み干した。
 雉丸はさらに酒を勧めながら尋ねる。
「酒呑童子さまの盗賊団は鬼の中でもっとも残虐で、多くの人間を殺しているとお聞きしましたが?」
「ん? 心配するな、おめぇらのことは気に入った。変な気さえ起こさなきゃ殺したりしねーさ」
「人間がお嫌いですか?」
「大っ嫌いだな。ここにいる若い娘は別だがな」
 酒呑童子は脇に抱えている人間の娘を抱き寄せた。
 さらに雉丸は酒を注いだ。
「どうしてそんなに人間がお嫌いで?」
「もっと若いころに裏切られたからか……いや、裏切るもなにも奴らは最初っからオレ様のことを澱んだ眼で見てやがった。人間つーのは鬼を見ればすぐに逃げるか殺そうとしてくる、奴らは鬼が怖いのさ」
「それは鬼が人間を殺すからではありませんか?」
「それは違うな、もしも鬼が手を出さなければ……現に先に手を出したのは人間のほうだって話だぜ、遠い遠い今じゃ鬼の誰もが覚えてねぇ昔の話だけどよ。人間は鬼を恐れてる、それは鬼が自分たちよりも優れた存在だからさ。力も度胸も、人間の持ってねぇ技術だって鬼はたくさん持ってるんだぜ、多くはとうの昔に失われちまったらしいけどな」
 饒舌にしゃべる酒呑童子は、今度は雉丸に酒を勧め、さらに話を続ける。
「知ってるか人間? オレ様たち鬼の祖先は遠い遠い空の向こうから降って来たんだと。まるでおとぎ話みてぇな話だけどよ、浪漫があっていいじゃねぇか。オレ様もいつかは空の上に行って、天界のやつらにご挨拶でもしてみてぇーもんだぜ」
 そう言って酒呑童子は笑った。
 宴は何時間もの間続き、鬼どもの中にその場で眠りこける姿がちらほら見えはじめた。
 やがて酒呑童子も呑み疲れたのか奥の部屋に姿を消してしまった。
 宴は不気味にまで静かに終わりを迎えた。

《7》

 桃は辺りを見回した。
「鬼どもはみんなおねんねしたかい?」
 起きている鬼は誰一人いない。
 すでにシルクハットを脱ぎ捨てている雉丸は、葛籠を開けて合図をした。
「サル出てこい」
 さらに他の葛籠の開けた。
「ポチ、出ておいで大丈夫だよ」
 態度が違いすぎ。
 猿助が勢いよく葛籠から飛び出した。
「ったく、どんだけ閉じこめて置くんだよ!」
 続いてポチがあくびをしながら出てきた。
「ふわぁ〜、もう朝ぁ?」
 茨木童子に顔を見られている二人はずっと葛籠の中に身を潜めていたのだ。
 鬼どもはまったく起きる様子を見せない。桃はためしに近くで横たわってる鬼のケツを蹴っ飛ばしたが、やはり起きる様子はなかった。
「ハゲ仙人にもらった毒酒が効いたみたいだね」
 ここに来る前、桃たちは亀仙人から必勝アイテムを授かっていたのだ。
 その名も〈神便鬼毒酒(じんべんきどくしゆ)〉と言い、鬼には毒となるが、人間には無害の酒だった。
 その酒を受け取った桃は信用してなかったが、成果はこの通り鬼どもはすっかり毒牙にかかった。
「サルとポチ、雉丸はさっさと娘たちを全員連れて逃げな」
 桃が命じると猿助が愚痴をこぼした。
「せっかく我慢して隠れてたのに、出番はこれだけかよ」
「文句言ってんじゃないよ、娘たちを助ける一番美味しい役所じゃないか」
「言われて見れば、ウキキ」
 猿助は鼻の下を伸ばした。単純だ。
 さっそく猿助とポチは娘たちを連れて逃げる手はずをはじめたが、雉丸だけは――。
「俺は桃さんと一緒に残ります。酒呑童子との決着を最後まで見届けます」
 こうして二手に分かれ別行動を取ることになった。
 桃と雉丸は酒呑童子が消えた奥の部屋に足を踏み入れた。
 横になっている酒呑童子。毒が効いている筈だが、二人が部屋に踏み込んだ瞬間、俊敏に飛び上がって鋸刀を抜いた。
「おめぇら……クソ……躰が痺れて動かかねぇ」
 鋸刀を杖代わりに酒呑童子は片膝を地面についた。
 物干し竿を背中から抜く桃。
「さすがは最凶の鬼、毒を盛られても目を覚ますとはねぇ」
「毒だと……おめぇら!」
 酒呑童子は痺れる躰に鞭打って凛と立ち上がった。
 瞬時に桃たちを敵と判断して酒呑童子が斬りかかって来た。
 鋸刀と物干し竿が激しくぶつかり合う。
 力と力のせめぎ合い。どちらも一歩も引かず微動だにしない。
 酒呑童子の片手が柄から離れ、瞬時に桃の口元を隠していた布を剥ぎ取った。
 その一瞬、物干し竿の力が勝り振り下ろされたが、すでに酒呑童子は布を持ったまま飛び退いていた。
 酒呑童子は布の臭いを嗅ぐとすぐに投げ捨てた。
「やっぱり好い女だったな。まだ名前を聞いてなかったか?」
「ジパング一の絶世の美女――桃ねーちゃんとはアタイのこった!」
「お前が噂の女か。聞くよりもずっと美人だぜ!」
 鋸刀が力任せに薙ぎ払われた。
 物干し竿がそれを受けた。
「そっちこそいい男だよ、鬼にしとくのはもったいない!」
 こちらも力任せに物干し竿を振り下ろした。
 負けじと鋸刀が受けた。
「約束は覚えてるか、力ずくで妻にするって、なっ!」
 轟々と風を斬る鋸刀。
「おう、やれるもんならやってみな!」
 大地を割る物干し竿。
 二人の気迫を阻むことは誰もできない。雉丸が銃を抜くことも躊躇われた。
 地面を蹴り、宙を舞い、豪快に武器を振るう。
 戦いながら二人は移動して、自然と酒呑童子の部屋を出て、宴会が行われた大部屋にやってきた。
 ここで酒呑童子は愕然とする。
 家来の鬼が全滅している。
「情け容赦ない……おめぇらを信じていたのに、この仕打ちか! 鬼とてこのような卑怯な真似はしねぇぞ!」
「てめぇのやって来たことを棚に上げてんじゃねぇよ!」
 桃は言い返した。
 さらに雉丸も静かに言葉を吐く。
「時には無力な女子供まで手にかけ、若く美しい娘は連れ帰り……。腹違いとはいえ、これが俺の弟か、さらに俺はこの世に絶望した」
 この言葉に眼を剥いたのは酒呑童子のみならず、桃までも戦う手を休めてしまった。
 腹違いの弟?
 それは桃よりも酒呑童子のほうが衝撃だったかもしれない。
「どういうこった?」
 尋ねる酒呑童子に雉丸は深く息を吐きながら答える。
「そうかお前は聞かされていないのか。俺も八面大王の息子だ」
 しかし、雉丸の姿はどこからどう見ても人間。
 鬼の中には変化の術に長けているものもいるが?
 ここまで打ち明けたら、さらに話さなくてはいけないことがある。雉丸は桃に顔を向けた。
「桃さん、俺たちがはじめて逢ったときのこと覚えてますか?」
「どうだったかねぇ」
「重傷を負った俺を助けてくれたのは桃さんでした。あのとき俺は正体がバレて人間≠ノ追われていたんです」
 同じ父を持つと聞いても簡単に納得できる酒呑童子ではなかった。
「おめぇには耳も尻尾もねぇ、変化の術もそうそう長く化けれるもんでもねぇだろ。どこが親父の息子なんだよ?」
「八面大王は変化の術に長けていますが、見た目以外は母の血を強く引いたらしく変化の才能は皆無でした。できてもやはり長く化けれるものじゃないでしょう。俺の母は人間です、つまり俺は酒呑童子とは違って半妖でした」
「だから耳も尻尾もねぇのか?」
「見た目以外はと前置きした筈です。俺はちゃんとトラ耳と尻尾を持って生まれてきましたよ。だから耳と尾は自ら引き千切りました。しかし、一カ所だけどうにもならない場所が……この眼鏡って伊達だったんですよ、過去の自分を隠すための変装とでもいうんでしょうかね。そして……」
 雉丸は眼鏡を胸のポケットにしまい、さらに眼球に指を当てて黒いコンタクトレンズを外した。
「眼の色だけは変えることができませんでした」
 黄色く輝く瞳。その瞳は鋭い鬼そのもの。同じ鬼ならばなおのこと、それが鬼の眼だとわかるだろう。
 どちらでもない存在はどちらの仲間にも入れてもらえない。
 雉丸は鬼を捨てたかった。
 鬼の子と知って桃はどう思うか、雉丸はゆっくりと桃に顔を向けた。
「桃さん、酒呑童子を倒したあとに俺も倒しますか?」
「あんたべつに財宝とか貯め込んでないだろう?」
「あはは、そうですね」
 それだけで十分だった。これからも何も変わらず雉丸は桃についていく。
 雉丸はリボルバーを抜いて銃口を酒呑童子に向けた。
 その行為に酒呑童子は八重歯を覗かせ笑った。
「弟を殺すのか?」
「その点は鬼の血を引く外道だからな」
 その口調には棘がある。先ほどまでの説明は酒呑童子ではなく、桃に聞かせるためのもの。今の言葉は完全に酒呑童子へ向けられた言葉だった。
 桃はリボルバーの前に出た。
「でも半分は人間だろう。こいつの相手はアタイがするよ、妻になるって約束もあるしね」
「桃さん……」
 桃と酒呑童子が退治する。それを見守る雉丸。
 そして、第四の影が現れた。
「ならその銃使いの相手はアタクシがしようかしらぁん?」
 鉤爪を鳴らす茨木童子。
 さすがは酒呑童子の腹心、毒に完全に屈することなく復活したのだ。
 さらに五人目の声が響き渡った。
「己らさっきから叫んでるの聞こえんのかいボケッ!」
 磔にされたまま、喉を枯らしているかぐやだった。
 どうやら何時間もの間、ずっとそのまま放置されていたらしい。しかも、本人いわく、叫んで助けを呼んでいたらしい。哀れだ。
 でも、やっぱり放置プレイ。
 雉丸の銃弾を鉤爪で弾き返す運動能力を見せる茨木童子。
 桃の物干し竿を八重歯を覗かせ笑いながら受ける酒呑童子。
 どちらの鬼も手強い。
 熾烈な激戦が続く。
 茨木童子のかわした流れ弾が酒呑童子に飛んだ。
「酒呑童子さま!」
「案ずるな!」
 キン!
 金属音を鳴り響かせながら鋸刀の平で銃弾を受けた。
 銃弾に気を取られていた酒呑童子にすかさず物干し竿が振られた。
 物干し竿を腹に喰らって後方に大きく飛んだ酒呑童子。腹の肉が少し抉れていた。
「ただの竹竿じゃねぇな」
「気合いが違うのさ」
 桃の物干し竿を扱えば、それは強靱な武器となる。だが、やはり物干し竿。刃であれば今の一撃で酒呑童子は真っ二つになっていた筈。
「どうして竹槍なんかで戦ってる?」
 当然の質問を酒呑童子は投げかけた。
「竹槍じゃなくてウチから持ってきた物干し竿だよ」
「あははっ、物干し竿なんかに負けたら末代までの恥だな」
「仕方ないだろう、先端恐怖症だから刃物が扱えないんだよ!」
 意外な弱点発覚だ!
 酒呑童子にも弱点はないのだろうか?
 代わりに雉丸は茨木童子の弱点を見出していた。それは酒呑童子の足を引っ張ることになるかもしれない。
 酒呑童子が桃に仕掛けた瞬間、その背中に雉丸は銃弾を放った。すぐさま茨木童子は酒呑童子の前に立って銃弾を自ら受けた。
「くっ……外道め」
 銃弾は茨木童子の手に握られていた。
 大きく穴の開いた手のひら。銃弾はその先の甲を覆う鉤爪の一部の金属で止まっていた。
 茨木童子は命を投げ打って酒呑童子を庇う。
 ならば――。
 茨木童子は桃に向かって走り出した。
「毒には毒よっ!」
 桃を庇おうと雉丸が駆ける。
「桃さん!」
 ショットガンで鉤爪を受けた。だが、すぐに茨木童子は天井高く飛翔し、背後から現れた酒呑童子が鋸刀を薙ぎ払った。
 すぐに後ろに飛んだ雉丸は桃に受け止められながら、ショットガンを空中の茨木童子に向かって放った。
 血を口から噴く茨木童子。その腹を貫通した弾丸が天井を穿つ。
 地に落ちる茨木童子を酒呑童子が受け止めた。
 同じように雉丸を受け止めている桃。
「大丈夫かい雉丸?」
「半分鬼ですから、生命力には自信が……俺はいいですから酒呑童子を……」
 雉丸の腹は見るも無惨に引き裂かれていた。
 桃は雉丸を床に寝かせて物干し竿を力強く握った。
「うぉぉぉぉっ!」
 天高い位置から物干し竿が振り下ろされた。
 酒呑童子は茨木童子を抱きかかえたまま鋸刀で受けた。
 しかし、刹那――鋸刀が折れた。
 間を置かずに酒呑童子は鋸刀を捨てて、茨木童子を肩に担いで逃げ出した。
「逃げるなんて男の恥だが、仲間の命には代えられないんでな!」
 疾風のごとく逃げ去る酒呑童子たち。床に倒れる雉丸は無言でその背中を指差した。桃は深く頷き雉丸を置いて酒呑童子たちを追った。
 そして、もう一人残されたどっかの誰かさんが叫ぶ。
「だからかぐやを放置すんなボケッ!」
 虚しく木霊した。

《8》

 城内を飛び出し、険しい崖道を逃げる影を追う桃。すでに空は夕暮れから夜に移り変わろうとしていた。
 東の空から徐々に闇が覆いはじめる。
 酒呑童子たちの他に前方にいくつかの影が見えた。
 猿助、ポチ、色取り取りのふんどしの鬼たち。
 その真横を見向きもせずに酒呑童子たちが駆け抜け、猿助たちは唖然とした。
 さらにその後から桃がやってくる。
「てめぇら、なんでまだここにいんのさ!」
 すぐ言わないと殺される緊迫感。
 猿助は早口で三秒以内にまとめた。
「ねーちゃんたちは逃がせたけど、こいつらが俺らの邪魔して!」
 赤、青、緑、黒……黄色が欠員。未だに全員がそろったところを見たことがない。
 紅一点の桃が物干し竿を烈風のごとく振りました。
 鬼レンジャーたちが宙にぶっ飛ばされた。ついでに猿助とポチまで飛んだ。
「なんでオレまでーっ!」
「うわぁ〜ん、高いの怖いよぉ」
 今はそれどころではないので桃は急いで酒呑童子たちを追った。
 そして、ついに断崖絶壁で桃は酒呑童子たちを追い詰めた。
 地平線の彼方では陽が沈もうとしている。
 酒呑童子は茨木童子を地面に下ろし、丸腰のまま仁王立ちした。
「武器を持たねぇオレ様とやるか?」
「武器ならてめぇの拳があるだろう?」
「そりゃそうだ」
 八重歯を覗かせ桃に立ち向かおうとする酒呑童子の足に茨木童子が抱きついた。
「お待ちください、アタクシが戦います」
 穴の開いた腹を押さえながら茨木童子が立ち上がった。その眼は鋭く闘志は消えていない。しかし、躰がよろめいた。
 足のもつれた茨木童子を酒呑童子が抱きかかえた。
 その様子を見ていた桃は言う。
「なんなら二人で掛かっておいで」
 酒呑童子は首を横に振った。
「妻にするって約束がまだあんだろ。二人ががりで倒しても意味がねぇ」
 そう言って、酒呑童子は抱きかかえている茨木童子の手から鉤爪を奪った。
「お前の魂を借りるぜ」
「……酒呑童子さま」
 茨木童子にはもう戦う余力は残っていない。
 どちらも陽が沈む前に決着をつける気だった。
 漲る闘志。
 この一撃にすべてを込める。
 先に仕掛けるのは誰か?
 戦いの合図は何か?
 対峙する猛者は互いに笑った。
「「ウォォォォッ!!」」
 怒号は大地を震わせ、その声は風に乗ってどこまでも鳴り響いた。
 一時、刻は忘却された。
 その刻を戻したのは茨木童子が呑んだ息の音。
 刹那――酒呑童子は八重歯を覗かせ笑った。
「オレ様の負けだ」
 その腹を貫いている長く伸びた竹。
 滴る血が竹を握る桃の手まで伝わった。
 憎悪に支配された茨木童子が、地を這い蹲ってでも桃に襲いかかろうとした。
「殺してやる!」
 しかし、涼しげな酒呑童子の声が風に乗る。
「やめておけ、陽が沈む。オレ様の命も消えようか……」
「卑怯な卑怯な……酒呑童子さまが万全であればキサマなどに!」
「そういうな茨木童子。勝負は時の運、ただ運が悪かっただけのこと……これは返すぞ!」
 歯を食いしばりながら酒呑童子は物干し竿を抜き、大きく後ろによろめいた。
 勝ったというのに、桃は悔しそうに酒呑童子を睨みつけていた。
「どうして手を抜いたんだい!」
「あはははっ、妻にしたい女を傷つける奴がいるか」
 八重歯を覗かせながら酒呑童子はさらによろめき、そのまま崖に足を踏み外した。
「酒呑童子さま!」
 茨木童子が叫んだ瞬間、酒呑童子はまるで自ら身を投げたように背中から谷底に呑み込まれた。
 すぐに茨木童子も酒呑童子を追って身を投げて消えた。
 暗い暗い谷の底。
 桃は背を丸めて底を眺めたが、何も見ることはできなかった。
 軽く舌を打ち桃は天を見上げた。
「ったく後味が悪ったらありゃしないよ」
 陽は落ちた。

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