壱之幕_温羅編

《1》

「ビビってんじゃないよ野郎ども!」
 ほぼ半裸の爆乳ねーちゃんが大声を張り上げた。
「あっちが海の魔女≠ネら、こっちはジパング一の絶世の美女――桃ねーちゃんだっつーの!」
 若侍風に頭の上で、一本に結わいた白銀の髪が風になびく。
 桃は鋭い瞳で鬼ヶ島を睨みつけ、鼻梁の下で艶めかしく誘う桃色の唇で、小生意気な微笑を浮かべた。
 ノースリーブの着物のサイズが合っていないのか、それとも単純に爆乳だからなのか、着物の前は大きく開かれ、そこから覗く褐色の谷間には何でも挟めちゃいそうだ。
 さらにふんどし一丁のケツも、谷間がスゴイ。
 桃のふんどしTバックに目を奪われているのは、悪ガキっぽい顔つきの少年。ツーッと鼻血が流れた。
 キラリーンと桃の眼が光る。
「どこ見てんだいサル!」
「ぶはっ!」
 桃の怒りの鉄拳を顔面にごちそうさまして、サルと呼ばれた少年が荒波の海に……あ、落ちた。
 そう、ここは海の上なのだ。
 小舟に乗っているのは四人……じゃなかった。一人脱落したので三人。
 顔面蒼白でブルブル震えている童顔の少年。いたいけに頑張って、自分の身長よりも大きなオールを使って船を漕いでいる。その少年は子犬のような瞳で、溺れているサルを横目で見ている。
「あのぉ〜、猿助(さるすけ)たんが海に落ちたみたいですけど、助けなくていいんですかぁ?」
 すると拳銃のメンテナンスをしていた眼鏡の青年が優しく答えた。
「大丈夫、ポチは心配しなくていいんだよ」
 青年はポチの頭を静かに撫でながら言葉を続ける。
「……サルはゴキブリ以上に生命力があるから殺しても死なないよ」
 言葉に毒気がある。ポチと猿助に対する扱いに、ぐ〜んと差があるようだ。
 桃もサルのことなんか気にも留めていないようである。
「雉丸(きじまる)、そろそろ一発かましてやりな」
 名前を呼ばれた眼鏡の青年――雉丸は銃の手入れを休めて、ロケットランチャーを肩に担いだ。
「桃さん、もう弾数が一発しかありませんが、本当に撃ちますか?」
「景気づけの一発だよ、ドーンと撃ち込んでやりな」
「承知しました」
 眼鏡の奥で光る切れ長の瞳。
 狙いは鬼ヶ島の断崖絶壁にそびえ立つ難攻不落の要塞――鬼ヶ城。
 荒々しい海に浮かぶ小舟が激しく揺れる。風が強く、今にも転覆してしまいそうだ。
 雉丸の長く伸ばされた後ろ髪が風になびく。それはまるで雉の尾のように美しい。
 狙いが定まった。
 ポチが叫ぶ。
「待ってダメぇ!」
 遅かった。
 ランチャーから発射されたロケット弾が、鬼ヶ城に掲げられたドクロマークの旗を目掛けて飛んだ。
 だが、ロケット弾は鬼ヶ島に近づいた瞬間、なぜか空中で爆発して硝煙の中に消えてしまったのだ。
 それを見た桃の目尻がきつく吊り上がる。
「どういうことだいポチ!」
「だからダメって言ったのにぃ」
「撃つ前に言え、撃つ前に!」
「そんな怒らないでくださいよぉ」
 潤んだ瞳のポチは今にも泣きそうだ。そんな愛らしいポチまったく動じない桃。けれど、そこに雉丸が間に入ってかばう。
「ポチはこんなに良い子なんだから、苛めないでくださいよ……ねぇ、桃さん?」
「雉丸はどうしてポチをそんなにかばうんだい?」
「だって……可愛いじゃないですか?」
 雉丸は静かに微笑んだ。ちょっとその笑い方が妖しい。
 桃はどっと疲れたようにため息を吐き捨てた。
「こんなガキのどこがいいんだか、アタイはイケメンにしか興味ないね。で、どーゆーことかさっさと説明しな」
 促されてポチは慌ててしゃべりはじめる。
「島全体を温羅(うら)の姐御さんが結界で包み込んでるんでしゅ。だからね、外からの攻撃を防いじゃうんだよ」
 温羅とは今から退治に行く海賊の頭だ。近隣の村々では海の魔女≠ニして大変恐れられているらしい。
 そして、ポチは温羅のところで働かされていた海賊の下っ端だったのだ。で、どーにか海賊団を逃げ出したはいいが、逃げた先で出遭ったしまったのが桃だった。それからというもの、ポチは下僕として桃に飼われ、雑用から船漕ぎまでやらされているのだ。
 温羅海賊団の内部事情に詳しいポチの手引きで、どうにか鬼ヶ島の近くまで来たか、ミサイル攻撃失敗で出鼻をくじかれてしまった。
 しかも、実はポチがまだ話し忘れていたことが――。
「ブハーッ、マジ死ぬかと思った!」
 口から噴水しながら猿助が海の底から這い上がってきた。肩で息を切る猿助は船に乗り込んで濡れた体を震わせた。
「ここの海マジ怖ぇーよ、海の底にでっけえ怪物が棲んでてさ、海藻をオレの体に巻き付けて引きずろうとすんだよ。それでオレはじいちゃんの形見のこのクナイで……クナイがねえっ!」
 さよならじいちゃんの形見、海の底で成仏してください。
 慌てふためく猿助の頭を桃が引っぱたいた。
「ガタガタ言ってんじゃないよサル!」
 さらに追い打ちをかけるように、遠くから飛来してきた燃える石が猿助のおでこに直撃。
「アチーッ!」
 ドボンッと猿助は再び海に落ちた。
 ポチが慌てた。
「ええっと、鬼ヶ島は外から攻撃されるとセキュリティシステムが発動して、反撃してくるですぅ!」
「早く言え!」
 桃はポチの頭をぶっ叩いた。
 すぐに雉丸がポチを抱きしめてかばう。
「こんな可愛い子に暴力を振るわないでくださいよ。それにポチは記憶喪失なんだから、言い忘れたからって責めないでくださいよ」
「記憶喪失になったのは温羅に拾われる前の話だろ!」
 桃は爆乳を揺らして怒った。さっきから怒ってばかりだ。
 すっかりポチは脅えて震えてしまっている。
 そんなポチの頭を撫でて雉丸がなだめる。
「ポチは何も悪くないからね。それに桃さんは怒ってなんかないんだ。今の常態がデフォルトだから、本当に怒ったら俺たち皆殺しだよ」
 話を聞いていた桃がギロリと雉丸を睨んだ。
「何か言ったかい?」
「いいえ、何も」
 雉丸はさらりと受け流した。桃とのやりとりに慣れているらしい。
 でも、桃の眼が怖いです。相手を睨み殺す勢いです。これのどこが怒ってないんでしょうか、十分怒ってるように見えますが?
 小舟の上でそんなやりとりがされている間にも、鬼ヶ島のセキュリティシステムは張り切って頑張っていた。
 次から次へと天から降り注いでくる燃えた石。まるで拳ぐらいの大きさの隕石だ。
 死相を浮かべて猿助が海から這い上がってきた。
「じいちゃんのクナイ見つけたぜ。けどよ、海の底には恐ろしい怪物が……ぐわっ!」
 再び小型隕石が猿助のおでこに直撃。また海に沈んだ。……さよなら。
 そんな猿助のことなんてやっぱり気にも留めないで、桃はポチと雉丸に命じる。
「全速力で船を漕ぎな、雉丸はわかってるね?」
 真剣な眼差しで雉丸はうなずき、口径の大きなリボルバーを構えた。
 雉丸が撃つ銃弾が次々と小型隕石を打ち落とす。
 そして、桃も動き出した。
 小舟をはみ出して置かれていた竹の棒を拾い上げ構える。その竹の長さは女にしては長身である桃の身長を優に超していた。
 ポチが思わず尋ねる。
「姐御さんの武器って竹槍なんですかぁ?」
「竹槍じゃないよ、ウチから持ってきた物干し竿だよ」
 なんと桃の武器は愛刀じゃなくて愛棒だったのだ。しかも、物干し竿なので正確には武器でもない。雑貨用品だ。
 が、桃の手にかかれば物干し竿ですら凶器になる。
 打席に立った桃が第一球、振りかぶった!
 カキーン!
 見事なホームランです!!
 次から次へと小型隕石を打ち返していく桃。そんな桃もスゴイが、燃えた石を打ち返せる物干し竿もただの竹とは思えない。
 鬼ヶ島はもうすぐそこだ。
 セキュリティも負けてられないので、隕石の大きさが一回りも二回りも大きくなった。今度はサッカーボールくらいの大きさだ。これは当たったら死ねるぞぉ!
 桃が大きく物干し竿を振り回した。そこへ海から這い上がってきた猿助が現れ――。
「ぐわっ!」
 物干し竿が顔面に直撃して猿助はまたまた海の底へ。
 もういい加減、海の底で成仏しちゃえ♪
 降り注ぐ隕石も大変だが、さらなる困難が起ころうとしていた。
 ポチが船底を見てプルプル震えている。
「あ、あのぉ〜……浸水してるよぉ?」
 思わず桃は顔をしかめた。
「はっ?」
 雉丸も少し難しい顔をして船底を見た。
「……本当に浸水してるな」
 船に空いた小さな穴から、水が温水洗浄便座のように噴き出ている。
 よ〜く見ると、穴から尖った刃先が顔を覗かせていた。
 シン、キング、タイム!
 この尖った刃は何でしょ〜っか?
 答えを出したのは雉丸だった。
「サルの鎖鎌の刃だな」
 つまりこういうことだ。
 海の底へ沈んだ猿助。桃たちを乗せた船はドンドン先へ進んでいる。そこで猿助は置いてけぼりにならないように、船に鎖鎌を刺して引きずられることを思いついたのだ。
 そのことを理解した桃は怒り心頭。
「あのアホザル、こういうのを猿知恵っていうんだよ。船に穴開けたらどうなるかわかるだろう!」
 すぐに桃は鎖鎌を抜こうとしたが、それを雉丸が止める。
「待ってください、抜いたら一気に水が!」
 遅かった。
 何が遅かったって、桃は鎖鎌の刃を抜かなかったが、代わりに飛来してきた隕石が船に穴を開けた。
 嗚呼、浸水。
 船底から噴き上げる海水。
 桃の怒号が飛ぶ。
「さっさと漕ぎな!」
「いっぱい頑張ってるよぉ」
 涙目で訴えるポチのオールを桃が奪い取って、自ら船を全速力で漕ぎはじめた。
「うぉりゃ〜〜〜っ!!」
 物干し竿をブンブン振り回すだけのことはあって、ものスッゴイ怪力で船を漕いでいる。
 ポチが海から繋がる巨大洞窟を指差した。
「あそこが入り口でしゅっ!」
 でも、やっぱり浸水。
 島にたどり着く前に荒波にもまれ、ついに船は転覆してしまった。
 涙の進水式。ここでこの船とはお別れだ。何の思い入れもないけどな!
 そして、ちょっぴり塩辛い涙。
 てゆーか、大泣きしながらポチが溺れていた。
「助けてぇ!」
 溺れる姿、犬かきのごとし。
 溺れるポチを桃は完全スルー。泣き叫ぶ声なんて右耳から入って左に抜けている。
 ポチの服を掴んだ雉丸。
「大丈夫かっポチ!」
「兄さま!」
 この人だけが自分の味方だ。だからこそポチは雉丸を兄のように慕っていた。
 が、雉丸の次の言葉で辺りは凍り付いた。
「実は俺も泳げないんだ」
「えっ?」
 二人して沈没。
 義兄弟の愛は見事に海の藻屑となったのだった――完。

《2》

 どうにか荒波の海を泳ぎ切った桃は、船着き場までやってきていた。近くに停泊しているのは巨大な海賊船だ。
「クソッ、下僕とはぐれるなんて。サルとポチはいいとして、ウチで唯一役に立つ雉丸が……」
 まるで自分は悪くないような言い方。三人を見捨てたのは誰ですか?
 桃は慌てて物陰に隠れた。
 人の気配がした。
 そーっと辺りのようすを探ってみる。
 すると、何やら話し声がこちらに近づいてくる。
「温羅の姐御も人使いが荒いよな、侵入者なんかいるわけねーよ」
「そう言うなよ。船は沈んだが、生きて島まで渡ってきてるかもしれないだろ」
「そんなわけあるか、島の周りは波が高くて、海の底には怪物はわんさかいるんだぜ?」
 会話の内容を聞いていると、どうやら桃たちを探して見回りをしているらしい。
 桃は隠れながら声の主に目を凝らした。
 頭から虎のような耳を生やし、お尻からも黄色と黒の縞模様の尻尾が生えている。それ以外はどこにでもいるオッサン二人組だ。まさしくあれは鬼人族。
 鬼人族の特徴は虎のような耳と尻尾、それ以外は普通の人間と変わらない容姿をしているのだ。
 鬼の一人が何やら見つけたようだ。
「おい、あそこに何かあるぞ?」
「竹みたいだな」
 竹みたいじゃなくて竹です。正確にいうと物干し竿です。つまり見つかってしまいました。
 ぐっと息を呑む桃。
 緊張の糸が張り巡らされる。
 徐々に近づいてくる足音。
 そして、突然の大声。
「会いたかったぜ姉貴!」
 両手を広げて駆け寄ってきたのは猿助だった。
「アホ、大声出すなサル!」
 桃の蹴りが猿助の顔面にヒット。それは蹴るというより踏む(、、)だ。
「おい、誰かいるぞ!」
 鬼が声を荒げた。もう完全に見つかってしまった。
 こうなったら出て行くしかない。
 桃は物干し竿を振り回しながら物陰から飛び出した。
「おりゃーッ!」
 剣は剣術、棒は棒術、武器には武術が存在するが、桃の戦いにそんなものはない。
 力任せに物干し竿を振り回しているだけ。でも強い。
 豪快にして華麗。
 爆乳を激しく揺らしながら、優美な白銀の髪をなびかせ、しなやかな脚で地面を蹴り上げる。
 猿助は桃の戦いに見惚れていた。主に揺れる乳とTバックのケツを熱心に見ている。
 デカパイなのに決して垂れていない乳。ぷりぷりで脂が乗った吊り上がったケツ。どちらも甲乙つけがたい。
「どこ見てんだいサル!」
 鬼たちと一緒に猿助も物干し竿でぶん殴られた。
 気絶する鬼たち。
 猿助も殴られたが、打たれ強いのか、ぜんぜんへーき。
「なんでオレのことまで殴るんだよ!」
「はぁ? 身に覚えがないって言うのかい?」
「オレが何したんだよ」
「そーゆーこと言ってると眼ん玉えぐり出して、一生お前の好きなケツとおっぱい見えなくしてやっていいんだよ?」
「はい、ごめんなさい。オレが全面的に悪かったです、はい」
 猿助は急におとなしくなって頭を下げて謝った。威勢はいいが、相手に強く出られると弱いのだ。特に桃は怖いらしい。
 桃が猿助に気を取られていると、気絶していたハズの鬼が何やら通信機を懐から出していた。
「侵入者だ……船着き……ぐげっ!」
 桃の蹴りが這い蹲っていた鬼の顔面にお見舞いされた。
 すぐに通信機を踏み潰して壊したが、もうきっと遅いだろう。
 たちまちサイレンが鳴り響いた。
 桃は猿助の胸倉を掴んだ。
「全部てめぇのせいだからな!」
「オレは何も……」
「アタイが隠れてたのに、バカな声あげて駆け寄ってきたのはどこのどいつだよ!」
「……ごめんなさい」
「わかればいんだよ。ほら、何ぼさっとしてんのさ、さっさと鬼どもをぶっ倒しに行くよ!」
 言いたいことだけ言って、自分の気が済んだらさっさと次の行動。自分勝手だ。
 どうして猿助はこんな桃のお供なんかしているのだろうか?
 猿助は前を走る桃のお尻だけを追っかけていた。
 きっとそれが理由だろう。
 自他共に認める絶世の美女――その名は桃ねーちゃん。

《3》

 一方そのころ、海の藻屑になったと思われた雉丸とポチだったが、どーにか生き延びていたらしい。よかったね♪
 だが、雉丸の背中に担がれたポチの脈が細い。気も失っているようで、顔は青白く冷たい汗をかいている。苦しそうな顔をしているが、きっと夢の中ではお花畑にいるに違いない。
 ポチを担いで疾走する雉丸の前に次々と現れる鬼ども。
「早くポチの手当をしたいのに、こざかしい鬼どもだ」
 ここは敵の本拠地、一人ずつ相手にしていたら切りがない。
 銃はリボルバーとショットガンを装備しているが、銃弾の数には限りがある。さらにポチを背負うために片手の自由を奪われ、いつもは背負っているショットガンを残った手で持つハメになってしまっている。
 雉丸のショットガンはポンプアクションなので、フォアエンドと呼ばれる部分を引いて戻して排莢・装填の作業を行う必要がある。これは片手では大変難しい作業なのだ。
 そして、銃身の長いショットガンは懐に攻め込まれた終わりだ。雉丸に残された武器は頭突きか蹴りだけになってしまう。
 戦うことは不利と見て、雉丸は鬼を巻きながら逃げた。
 入り組んだ道が続く巨大洞窟。元は自然洞窟だったのかもしれない。そこを掘削して電灯などが取り付けられているが、道が一本ではないため、方向感覚が失われ出口がどこにあるかわからない。
 広い空洞の脇に小さな穴蔵を見つけた。その穴に身を隠すべきか、それとも別の道を探すべきか。もしも行き止まりだったら――。
 雉丸たちを探す鬼どもの声が洞窟内に響いている。
 耳を澄ませた雉丸は、意を決して穴蔵に飛び込んだ。
 狭い穴蔵には電灯などの設備はなかった。そのことから、ここが普段から使われている道とは考えづらい。
 雉丸はショットガンを杖代わりにして、辺りのようすを探りながら先に進んだ。
 静かな声で雉丸がつぶやく。
「行き止まりか……」
 ポチを地面に寝かせ、自分も座って壁にもたれ掛かった。
 少し息をついて、雉丸はポケットから出したライターに火を点けた。
 灯った光でポチの顔を照らす。
 汗をかいているが安らかな顔になっている。少しは体調が良くなったのかもしれない。
 ポチの口がもごもごと動いている。何か訴えているように見え、雉丸は耳を傾けることにした。
「……わぁ〜い、お菓子の家だ……でも、こんなに食べきれないよぉ……」
「ふふっ」
 寝言を聞いた雉丸は思わず笑ってしまった。とても安らかな笑いだ。
 外は敵だらけだと言うのに、今だけは落ちついた刻が流れていた。
 雉丸は煙草の箱の中身を調べ、海水で湿気てしまっていることを確かめると、握りつぶして放り投げた。
「これから禁煙でもするか」
 同じく海水に浸かってしまった銃器も調べはじめようとしたとき、急に雉丸の目つきが鋭くなって耳をそばだてた。
 闇の奥に気配がする。
 近づいてくる二つの足音。
 視界を奪う常闇に向かって雉丸はリボルバーの銃口を向けた。
 引き金にかかった指からふっと力が抜ける。
「雉丸じゃんか!」
 嬉しそうに声をあげたのは猿助だった。その傍らには桃もいる。
「ポチはおねんねかい?」
「違いますよ、溺れたせいで体調を崩してしまったみたいです」
 答えた雉丸はポチのおでこに手を乗せた。燃えるように熱く、汗も大量にかいている。
 それなのに寝言は――。
「もう……食べられないよぉ……」
 幸せそうだ。
 桃は横目で猿助を見て顎をしゃくった。
「あんたが背負ってやりな」
「えーっ! なんでオレが背負わなきゃいけないんだよぉ?」
「あんただけが戦力外だからに決まってんだろう」
「オレのどこが戦力外なんだよ!」
「だったらここで誰が一番弱い(、、)か決めるかい?」
 桃の鋭い眼光が猿助の胸を射貫いている。戦う前から敗北。
 さらに猿助が振り向くと、眉間に銃口が当てられた。やっぱり戦う前から敗北。
「べ、別にオレが一番弱いんじゃないからな。病人をほっとけないだけだかんな!」
 結局、猿助が背負うことで決定。
 いつまでもここで身を潜めているわけにもいかない。
 ポチの体調も気になるところだが、薬もなければ火にくべる薪もない。外では鬼が今も桃たちを探していることだろう。あまり長居をしていて、穴蔵に攻め込まれたらまさに袋の鼠だ。
 雉丸が先陣を切って行こうとしたのを桃が押さえて前に出た。
「無理すんじゃないよ。あんたも体壊してんだろ、顔つきを見ればわかるよ」
「俺のことなら心配しないでください。桃さんのためならいつでも死ねますよ」
「言ってくれんじゃないか。でもね、アタイのために命捨てんなら、もっとでっかいことするときにしな」
 二カッと白い歯を見せて笑った桃は暗い穴蔵を飛び出した。
 すでに穴蔵の外は鬼どもで溢れかえっていた。
 桃は物干し竿を振り回し、それは竜巻のごとし烈風で鬼どもを薙ぎ払う。
 雉丸はショットガンを構え鬼の腹に風穴を開ける。
 そして、猿助はとにかく逃げ回る!
「ちょ、お前らオレとポチのこと守れよ!」
 猿助の腕力ではポチを背負うのに両手を奪われる。蹴りなんかしようものなら、バランスを崩すのが落ちだろう。
「おりゃ!」
 蹴りをしようとした猿助がコケた。ポチと一緒に山崩れだ。こいつアホだ。
 そこへ鬼の蛮刀が振り下ろされる!
 コーンっと風流な庭園の音が響き渡る。
 猿助に振り下ろされた蛮刀を桃の物干し竿が受けていた。
 思わず鬼は眼を剥いた。
「どうして斬れない!?」
「気合いに決まってんだろ!」
 桃は物干し竿で鬼をぶん殴ってノックアウトさせた。
 鬼は次から次へと沸いてくる。
 雉丸が鬼を倒して逃げ道を作った。
「桃さん、あっちへ!」
「あいよ! サルも急ぎな!」
「わかってるつーの!」
 桃たちは鬼の追っ手を振り切りながら洞窟の中を突き進んだ。
 やがて見えてくる一筋の光。出口だ。
 まばゆい光が桃たちを包み込む。
 長い坂道の向こうにそびえ立つ鬼ヶ城。すぐ後ろの洞窟からは鬼たちの雄叫びが響いてくる。後戻りはできない。
 桃が先陣を切って坂道を駆け上がった。
「いくよ野郎ども!」
 急な坂道を突き進む。
 坂道の左右は絶壁に挟まれ、一本道が鬼ヶ城まで続いている。挟み撃ちをされたら逃げ場がない。
 ポチを背負っている猿助は肩で息を切らせている。その横を走る雉丸の顔色も、陽にさらされ悪さを際だたせている。
 鬼ヶ城はすぐそこだ。だが、坂の上から雪崩のように降りてくる鬼の軍勢。
 猿助が懐に手を入れて何かを探った。
「オレに任せろ!」
 猿助はまきびしを地面に撒き散らした。
 坂を下りてきた鬼どもの足が急に止まった。それを見て勝ち誇る猿助。
「ウキキッ、見たか猿飛猿助サマのまきびし戦法を!」
 地面に撒かれたトゲトゲのまきびしが鬼の行く手を阻む。
 が、桃は猿助の頭を思いっき引っぱたいた。
「バカか!」
「いてぇ、何すんだよ!」
「あっちに行かなきゃいけないのに、進行方向にまきびしを投げる奴があるか!」
「……しまった!」
 スゴイ、今やっと気づいたようだ。
 雉丸は辺りを見回す。
「身軽なサルなら登れるかもしれないが、あとが続かないな」
 すでに坂の下からも鬼たちが駆け上ってくるのが見える。グズグズしている時間はどこにもない。
 桃が物干し竿を肩に担いだ。
「乗りな!」
 と、桃に視線を向けられた猿助は口をポカンと開けた。
「は?」
「乗れって言ってんだよ、ポチを雉丸に預けて竿の先っちょに乗ればいいんだよ!」
 意味がわからないまま猿助は言われたとおり行動した。
 すると、猿助が乗ったことを確認した桃は力任せに投げた。これはまさに投擲だ。
 物干し竿が大きくしなり半月を描くと、バネみたいに猿助がぶっ飛ばされた。
 そして、敵のど真ん中に落ちた。
 鬼どもに寄って集ってタコ殴りにされる猿助。悲痛な叫び声が痛々しい。
 桃はさらに雉丸に目を向けた。
「次はあんただよ」
 雉丸はポチを背負ったまま、片腕で物干し竿に抱きついた。
 再び桃は物干し竿を力任せに大きく振る。
 小柄とはいえポチの体重と、自分の体重を支える腕力が、その細身の体のどこにあるのか?
 雉丸はポチを担いだまま華麗に地面に降り立った。
 鬼は先に囮になった猿助を取り囲んでいたが、すぐに雉丸にも襲いかかる。
 雉丸は片手に持ったショットガンを大きく縦に振り装填した。常人の腕力ではできない芸当だ。
 谷間に反響する銃声。次々と倒れる鬼が山道を築き上げる。
 そして、最後に残された桃は棒高跳びの要領でまきびしを超えた。
 桃の落下点で待ち構えている鬼の眼前に迫ってくる――ふんどしっ!
「うげっ!」
 桃の足の裏が鬼の顔面にヒット。踏んづけられた鬼は鼻血を噴いて転倒した。
 まきびしを越えた桃たちは雑魚どもを無視して坂道を駆け上る。
 鬼ヶ城の城門が行方を阻む。
 木製だが巨大で壊すのは容易ではない。ロケットランチャーはすでにない。
 すぐ後ろからは鬼どもが迫っている。
 そのとき、急に城門が音を立てて開きはじめたと思った瞬間、すでに桃たちは呑み込まれていた。
 なんと城門が開いたと同時に大量の水が押し寄せてきたのだ。
 ウォータースライダーなんて生やさしいものじゃない。大海流の勢いで溺れながら坂道を流される。鬼どもまで巻き込まれているようすを見ると、海賊団の頭はとんでもない薄情者だ。
 しかし、ご丁寧なことにいつの間にか地面に落とし穴が口を開けていた。
 トイレの水のように、ジャーッと桃たちは排泄口に吸い込まれてしまった。

《4》

 川の岸辺で横たわっていた猿助の指先が微かに、動いた。
「う……ううっ……」
 目を覚ました猿助がゆっくりと立ち上がる。
「うっ!」
 全身に走る激痛。
 打ち身や切り傷、水に流されたことよりも、タコ殴りにされたことが響いている。
 猿助は辺りを見回した。
「桃の姉貴!」
 返事は返ってこない。
「雉丸、ポチ、若いねーちゃん!」
 誰からも返事は返ってこない。
 歩みを進めようとすると、再び激痛が全身を走った。それでも仲間を捜さなくてはいけない。だって独りじゃ怖いから!
 川の上流にいけば何かあるかもしれないと思い、川沿いに歩みを進めた。
 途中で気絶している鬼を見つけた。
 口元を意地悪に歪ませた猿助が鬼を蹴っ飛ばしまくった。
「この野郎、さっきはよくも! てめぇ、この、ふざけんな、どっちが強いかわからせてやる!」
 気絶している相手によくもこんな非道なことをできるものだ。
 だが、気絶していたハズの鬼がピクッと動いた瞬間、猿助は地面におでこを激突させて土下座をはじめた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、オレは何もしてません。そうだ、貴方様を蹴っ飛ばしていた野郎はオレが今追い払いました……いや、ホント、マジで……」
 猿助はそーっと顔を上げて鬼のようすを伺った。
 動き出す様子はない。目を覚ます様子もないようだ。
 それを確認した猿助は再び強気になった。
「ビビったじゃねえか、ふざけんなよ、オレの強さにひれ伏してろ!」
 ガタダガっと石が崩れる音がした。すぐにビクッと体を縮めて猿助はすくんだ。
 風の悪戯か、それとも近くに誰かがいるのか?
 もしかしたら仲間かもしれない。
 猿助は気配を殺しながら辺りの見回した。見通しのいい場所だったが、どこにも人影などはなかった。
 静かに歩き出す猿助。
 足場は小さな石ころや岩が敷き詰められている。
 しばらくして、猿助の鼻に臭い香が届いた。
「硫黄の臭いか?」
 猿助の視線に映る湯煙。
 ピンと来た猿助は猛ダッシュした。
 辺りが見えないほどに視界を覆い尽くす乳白色の湯煙。
 猿助は身を屈めて岩場の影に隠れると、湯煙の中に目を凝らした。
 跳ねる水の音。
 湯煙に浮かぶ人のシルエット。
 その先に温泉があるのだ。
 猿助は鼻の下を伸ばしながらシルエットをガン見した。
 なめらかな曲線を描くシルエット。
 豊満そうなバスト、くびれたウェスト、ヒップは湯と同化している。
 猿助は確信した――若い娘に違いない!
 もっと見たい、間近で見たい、お近づきになりたい。今度の休日はヒマですかと問いただしたい!
 猿助は匍匐前進で湯船ギリギリのラインまで近づいた。
 おお、なんということか、若い娘が恥ずかしげもなく露天風呂。しかも一人だと思っていたら、三人組の大盤振る舞い。
 ハーレムだ!
 興奮を抑えられなくなった猿助は服を着たまま湯船にジャンプした。
「オレと混浴しようぜ、ねーちゃんたち!」
 三人娘が振り返って微笑んだ瞬間、娘がオッサンに変身した。
「騙されたなエロガキ!」
「えっ?」
 怖そうなオッサンたちが腕を広げて待っている。厚い胸板に飛び込んでこ〜い!
「ぎゃぁぁぁっ!」
 湯煙に呑み込まれた断末魔。

《5》

 湯船に浸かりながら寛いでいた桃が首を傾げた。
「何か聞こえなかったかい?」
 桃に背を向けて湯に浸かっている雉丸が答える。
「いえ、何も……ポチ、湯船で遊んではいけないよ」
 すぐ近くでバシャバシャとポチが飛沫を上げている。
「遊んでるんじゃないよ、がんばって泳ぐ特訓してるんだもん!」
 なんだかすっかり元気を取り戻しているようだった。
 桃は全身の力を抜いて甘い吐息を漏らした。
「ふぅ、いい湯だね。これで酒があれば最高なんだけどね」
 ポチが大きくうなずいた。
「うん、この魔法のお湯に浸かれば、みんな元気になっちゃうんだ。海賊団の強さのヒミツなんだって、温羅の姐御さんが言ってたよぉ」
 この温泉を見つけたのは運がよかった。ポチも意識を取り戻し、無理を押していた雉丸も全快した。
 濡れた服も備え付けの乾燥機で乾かし、今は物干し竿に干してある。完璧だ。
 敵の本拠地にいる緊張感はゼロ。
 すっかり温泉で寛いでいる。
 そこへ何者かの気配が現れた。
 湯船に近づいてくるトラ耳。
「お前ら誰だ!」
 野太い鬼の声が響いた。
 ポチが鬼の股間を指差す。
「女湯に男の人が入ってきちゃいけないんだよぉ!」
「マジか、ここ女湯だったのか。すまんすまん、すぐに出て行く……」
 背を向けて歩き去ろうとしたが、首を傾げて鬼は振り返った。
「って、お前ポチじゃないか、姐御のところから逃げたって聞いたぞ。つーか、そこの二人何もんだよ、さては今噂の侵入者だな、ぐはっ!」
 ゴン!
 鬼の顔面に桃の投げた桶が激突した。
 湯船からすっぽんぽんで立ち上がる桃。
「グタグタ言ってじゃないよ。女湯に女のアタイが入ってるんだ、痴漢呼ばわりされたくなきゃさっさと出てお行き」
 桃のナイスバディを見た鬼は股間を押さえて後ずさりをした。
「汚ねーぞ、おらを誘惑するつもりだな!」
「そんなに見たいなら見せてやるよ。ただし、代償はてめぇの体で払ってもらうけどな!」
 桃は指を鳴らしながらズカズカと鬼に近づく。
「そ、それ以上近づくなよ。別に女の裸なんか見たって嬉しくないんだからな。ウチの海賊団にいる女つったら、頭の姐御だけだが、ツルペタでまったく色気を感じないから、やっぱり女っ気のない男の集団……だ、だからって決して女に飢えているわけではないからな!」
 と、言いつつ、鬼は桃の揺れる爆乳に合わせて首を上下させている。
 ついに鬼は壁に背中をべったりつけて、逃げ場を失ってしまった。
「なんだ、おらとやろうっつーのか。おらは強いんだぞ、なつったっておらは鬼道戦隊鬼レンジャーのリーダー、赤フンのレッドなんだからな!」
「何が赤フンだよ、今はフルチンじゃないか」
「な、なんだとー!」
 顔を真っ赤にしたレッドが桃に襲いかかるが――股間を蹴り上げられ一発KO。
 泡を吐いて白目を剥いているレッドを尻目に、桃は干してあった着物に着替えはじめた。
「てめぇらいくよ、あんまり浸かってると湯冷めしちまうからね」
「はぁーい!」
 元気に返事をしてポチも湯船から上がった。
 雉丸はいつの間にか完璧に着替えている。
 準備を整えた三人は先を急ぐ。何か忘れているような気がするが、誰もそれを口にしなかった。
 ポチの話によると、この女湯は温羅の部屋まで隠し通路で直通らしい。というか、この女湯自体が温羅専用らしい。
「なんで隠し通路なんか知ってるんだい?」
 桃が尋ねると、ポチは当然のように答えた。
「だっていつも一緒にお風呂に入ってたんだもん!」
 恥ずかしげもない顔をしていた。
 隠し通路は人が一人通れるほどの幅で、道も一本ではなくいくつか分かれていたが、ポチは迷うことなく案内役を勤めた。
「この先だよ」
 ポチはレバーを引いて扉を開けた。
 甘い香りがした。
 部屋に入った三人が見た物は、海賊団の頭の部屋とは思えない部屋。
 淡い花柄の壁紙、猫足のテーブルの上には食べかけのショートケーキ、薄い布で仕切られたベッドから小さな寝息が聞こえてきた。
 ベッドの上でモゾモゾと小柄な影が動いた。
「誰かいるのぉー?」
 犬のぬいぐるみを抱えた少女が目をこすりながら起き上がってきた。
 思わず桃は訊いてしまった。
「これが恐ろしいって言われてる海賊団の頭かい?」
 そこに立っているのはネグリジェを着たトラ耳少女。ブロンドの猫っ毛が寝癖でアホ毛になっている。
 寝ぼけていた少女の目が急に見開かれた。
「ポチ! ポチ、ポチ、ポチポチポチ、帰って来てくれたのねポチ!」
 少女は持っていた犬のぬいぐるみを壁に投げつけてポチに抱きつこうとした。
 その前に立ちはだかる桃。
「あんたが温羅かい?」
「……だ、誰!? なに、どうやってここに入って来たのオバサン!」
 スゴイ驚いたようすで少女は飛び退いて、ポンと煙に包まれたかと思うと黒いワンピースに鍔の広い三角帽子に着替えていた。
「そうよ、あたしが魔女っ娘海賊団の船長、大魔導士温羅だけど何か?」
 ここに来て戦ってきた鬼どもとは大違いだ。紅一点の少女ということより、一人だけ魔女っ娘で浮いた存在だ。
 オバサンと呼ばれた桃はちょっとムカッとしていた。
「誰がオバサンだって言うんだよ。こんな美人のおねーさまに向かって言う言葉じゃないね。あんたの眼、腐ってるんじゃないのかい?」
「えっ、美人のおねーさんなんてどこにもいないけどぉ?」
「クソガキがっ!」
 女と女の熾烈な戦い。二人の目線の間で火花が散っている。
 桃の怒りは飛び火して拡散した。
「あんたらも何ボサッとしてんだい、雉丸、ポチ!」
「俺はフェミニストじゃありませんが、少女の手を上げるのは……」
「ボ、ボクは……」
 ポチは怯えて部屋の隅で丸くなってしまっている。
「どいつもこいつも!」
 爆乳を揺らして怒る桃は物干し竿を振り回そうと――ガシャン、ガツン、ゴトン!
 狭い部屋で物干し竿は振り回せなかった。致命的な弱点だ。
 部屋をめちゃくちゃにされた温羅はプンプンして、頬をふくらませて唇を尖らせた。
「もぉ、怒っちゃうんだからね!」
 その言葉を聞いてポチが震え上がった。
 どこから出したのか、温羅はデスサイズを握りしめていた。首切り鎌は温羅と同じくらいの大きさで、少女の腕力で振り回せる代物ではないが――。
「ウラウラウラウラァッ!」
 まるで鬼神に憑依されたように、温羅はデスサイズをブンブンブン回した。
 テーブルやイスやタンスまで、木っ端微塵に破壊されていく。部屋を壊されて怒っていたのに、やってることは支離滅裂で本末転倒。
 暴れ回る温羅は桃たちを倒すというより、そこにあるものをすべて破壊する勢いだ。というか、理性のある行動にまったく見えない。
「ウラウラウラウラァッ!」
 ガツン!
 デスサイズが床に刺さった。
 温羅が力を込めて抜こうとするが、ウンともスンともビクともしない。
 この隙を突いて桃が声を張る。
「いったん引いて広い場所に出るよ!」
 部屋を飛び出した桃。
 雉丸も怯えたポチを抱きかかえて部屋を飛び出した。

《6》

 桃たちは城内を走り回り、次から次へと増える鬼に追われて外に出てしまった。
 完全武装した鬼たちに囲まれて逃げ場はない。
 蛮刀や銃を持った鬼どもが、下卑た笑みを浮かべてジリジリ迫ってくる。その間を割って小柄な少女が姿を表した。
「あたしのポチを返してよ、返してってば返して!」
 温羅は駄々をこねて地団駄を踏んだ。
 ポチは雉丸に抱きかかえながらブルブル顔を横に振った。
 雉丸が代わりに答える。
「ポチは帰りたくないと言っているが?」
「ポチはあたしのペットなんだから返してよ! ちゃんと首輪だってついてるんだから!」
 温羅の言うとおり、ポチの首にはペット用の首輪が巻かれている。雉丸はそれを外そうとするが、留め具もなく力を込めても壊れない。
 仔悪魔チックに温羅は笑った。
「ふふ〜ん、その首輪はあたし以外は外せないも〜んだ!」
「子供に手を上げるのは本意ではないが、仕方ないな」
 雉丸はリボルバーの銃口を温羅に向けた。
 桃も広い場所で物干し竿を構えられてヤル気満々。
「束になってかかっておいで、みんなアタイの足下にひれ伏させてやるよ。なんたって、アタイはジパング一の美女だからね!」
 血気盛んな鬼どもも今か今かと温羅の合図を待っている。
 温羅が桃たちに指を向けて叫ぶ。
「みんなやっちゃえ!」
 合戦でもはじまったかのような、男たちの蛮声が轟いた。
 自信に満ちあふれた表情を浮かべている桃。精神はどこまで気高く、負ける気などさらさらなさそうだが、敵の数はあまりに多く傍目からは劣勢を感じる。
 銃弾が桃の真横をすり抜ける。それでも桃は引きなど毛頭ない。
 烈風を起こす物干し竿が鬼を薙ぎ倒していく。
 雉丸はショットガンとリボルバーの二丁拳銃で鬼に致命傷を与えていく。
 だが、鬼の数はいっこうに減ることはない。
 持久戦になりそうだが、その場合は数の多い向こうに分がある。
 さらにポチがこんなことを言う。
「魔法の温泉がある限り、いくらでも復活してくるよ!」
 桃は舌打ちをした。
「風呂の栓を抜くか、毒でも混ぜときゃよかったね」
 あの温泉がある限り、鬼どもの戦力は無限だ。
 しかし、桃たちの知らないところで好機が訪れずれていた。
 戦いを見守る温羅に鬼の一人が耳打ちをする。
「大変ですぜ姐御」
「どぉしたの?」
「温泉の湯がからっぽになっちまって」
「何そんなに慌ててるの、さっさとお湯入れたらいいじゃない?」
「それが……湯泉が何者かに破壊されて岩の下に埋まっちまって……」
 さらに追い打ちをかける出来事が起きた。
 謎の爆発が起きて鬼どもが砕けた地面と一緒に天高く吹っ飛んだ。しかも、爆発は次々と起きるではないか!?
 温羅は自分の居城を見上げて息を呑んだ。
「なっ……どうして仲間に砲撃してんのよぉ!」
 大軍の鬼を蹴散らしていたのは砲台からの攻撃だったのだ。
 桃も何事が起きたのかわからないまま城の上にある砲台を見上げた。なんと、そこには満面の笑みで手を振る猿助がいるではないか。
「姉貴ーっ、オレだってやればできるんだからな!」
「よくやったサル、ドンドンかましてやりな!」
「おう!」
 砲台を乗っ取った猿助はやりたい放題ドンドン撃ちまくった。
 温羅に耳打ちしていた鬼が猿助を指差して叫ぶ。
「あいつですぜ、温泉をぶっ壊したのはサルみてえなガキだって聞いてます!」
 砲撃によって鬼は全滅の危機に晒されてしまった。
 唇を噛んだ温羅はホウキに跨って空を飛んだ。向かうは砲台だ。
「そこのサル、今すぐやめないとヌッコロス!」
「やめねーよ!」
 強大な武器を手に入れた猿助は強気だ。
 が、猿助はなぜか悪寒を感じて身震いしてしまった。
 ホウキを降りて上空から猿助に飛びかかった温羅の手には、あのデスサイズがしっかりと握られていた。
「ウラウラウラウラァッ!」
 殺される、殺される、絶対に殺される!
 猿助は砲台を捨てて逃げた。全力疾走で逃げた。殺されないために死ぬ気で逃げた。
 そして、逃げ道を失った猿助は鳥になった。
 でも、やっぱり鳥にはなりきれなくて、両手を広げて地面にダイブ。
「死ぬーっ!」
 ボヨヨン♪
 猿助の顔面が柔らかなクッションに埋まった。顔を上げるとそこには怒ったようすの桃の顔。
「てめぇ、人様の頭に振ってきやがって!」
 猿助は桃に抱きかかえられる形で受け止められていたのだ。
 地面には激突せずに済んだが、次の瞬間グーパンチが飛んできた。
「ぐわっ!」
 鼻血ブーしながら猿助はぶっ飛んだ。でも、その表情はちょっぴり至福そう。
 砲台を奪い返した温羅だったが、地上に目をやった彼女が見た物は――仲間が誰一人立っていない惨劇。
 思わずデスサイズを手から落とし、スーッと温羅の全身から力が抜けてしまった。
「ま、まさか海上最強と謳われたあたしの海賊団が……たった三人にやれるなんて」
 だって……ここ海上じゃないもん。ちなみにポチはペット扱いなので数に入ってない。
 桃が地上から温羅に向かって叫ぶ。
「そんなところにいないで、こっちにおいで。たっぷり可愛がってやるよ!」
 温羅はうつむいたまま動かない。戦意を喪失させてしまったのだろうか?
 いや、温羅は笑っていた。
「きゃははは、下っ端を全滅させたくらいでいい気になってるんじゃないわよ。魔女っ娘海賊団はあたし以外はみ〜んな甲板掃除係なんだから!」
 温羅は顔を上げて仁王立ちした。風になびくワンピースのミニを下から見上げると……いちごパンツ。
 猿助は笑いながら温羅を指差した。
「パンツ丸見えだぞバーカ!」
 若い娘が大好きでも、少女にはまったく興味がないらしい。
「うっさいバーカ! 今すぐ痛い目を見せてやるんだからね!」
 それを見ていたポチは温羅が今から何をするか察したようだ。
「みんな逃げて、死んじゃうよぉ!」
 必死の訴えを桃は軽く受け流す。
「あんな小娘一人に何ができるっていうんだい」
 血気盛んな鬼どもが、なぜこんな少女の手下に甘んじているのだろうか?
 金や財宝の報酬か、それとも忠義忠誠か、理由はこれだ。
 温羅が魔法を唱えた。
「メテオインパクト!」
 遙かなる宇宙から真っ赤に燃えた隕石が飛来してきた。
 桃が叫ぶ。
「反則だよ!」
 次の瞬間、地面は大きく砕け飛び、衝撃と砂煙で辺りは騒然となった。
 土砂の中から桃が豪快に飛び出した。
「あの小娘ッ!」
 雉丸も土砂の中から姿を現し、その胸にはポチが抱かれかばわれていた。
「大丈夫かいポチ?」
「うん、ありがとう兄さま!」
 あと一人は――。
「だれがだずげでぐれ〜」
 土砂の中から片腕だけ飛び出していた。
 再び呪文を唱えようとしている温羅。
「メテオ、メテオ、メテオインパクト!」
 いくつもの隕石が飛来してくる。
 桃はすかさず土砂に埋まっていた猿助の腕を掴んだ。
「うぉりゃぁぁぁっ!!」
 地面から引っこ抜いて砲丸投げの要領で天高く投げた!
 猿助ロケットは一直線で温羅に向かって逝った。
 が、温羅はすぐさま特大ハンマーで猿助を打ち返した。
「ウラァーッ!」
「ギャーッ!」
 キラリーン♪
 猿助は遠い空でお星になったとさ。おしまい♪
 しかし、温羅は大きく瞳を開いて驚いた表情をした。
 眼前まで迫っていた桃の投げた物干し竿。
 次の瞬間――。
「きゃぁぁぁっ!」
 突然、悲痛な叫びをあげて温羅が顔を押さえてうずくまった。その傍らには血のついた物干し竿。
 温羅が足下をふらつかせながら逃げていく。
 桃は後を追おうと急いだ。
「てめぇら、さっさと小娘を追うんだよ!」
 でも、その前に隕石ドーン!
 桃たちは大きく吹き飛ばされて土砂降りに埋もれた。

《7》

 桃は城内を一人で走っていた。
「ったくみんなどこいったんだよ!」
 メテオインパクトの衝撃の爆発に巻き込まれて、みんなとはぐれてしまったのだ。
 すぐに砲台があった場所に来てみたが、すでに温羅の姿はどこにもない。
 桃は落ちていた物干し竿を拾い上げた。そして、石の床に残る血痕が続いていることに気づいた。おそらく温羅が逃げながら流したものだ。
 点々している血痕を頼りに温羅を追った。だが、進むほどに血痕が少なくなり、ついには手がかりがどこにもなくなってしまった。
 背後から気配がした。鬼の残党か?
 桃が振り向くとそこにいたのはポチだった。
「桃の姐御さぁん、うわぁ〜ん、独りぼっちで怖かったよぉ」
「あんた温羅の隠れそうなところに心当たりあるだろ、さっさと案内しな!」
 桃はポチの首根っこを掴んだ。
 潤んだ瞳でポチは桃を見つめている。
「あんなに怖い目に遭わされて、まだ温羅の姐御さんを退治しようとしてるんでしゅかぁ?」
「怖い……何が?」
「だって、お空からいっぱいお星様が落ちてきたのにぃ」
「アタイに怖いものなんかありゃしないよ。それよりもあの小娘を取っ捕まえて、隠してる財宝のありかを全部吐かせてやる」
「正義のために旅をしているんじゃなかったんでしゅかぁ?」
 桃はその言葉を聞いて一笑した。
「誰が、んなことを……この世は金銀財宝とイケメン。それを求めて自由気ままな漫遊さ」
 もっともらしい答えだった。
 ポチは正直、こんな人について行っても平気なのかと悩んだが、記憶喪失で行く当てもなく、桃はこんな人だけど雉丸は優しいので、今は現状維持ということになりそうだった。
 温羅が隠れている場所、それと財宝のありかにポチは心当たりがあった。
「温羅の姐御さんの部屋には隠し通路のほかに隠し部屋もあるんでしゅ。そこには魔法の研究室と大きな金庫があるんだって、ボクも入らせてもらったことないけど」
「なるほどね、さっさと行くよ」
 桃はポチを脇に抱えて長い廊下を走った。
 巨大な城の中をポチの案内で難なく温羅の部屋までやってきた。中に入ると相変わらずの部屋だ。
 手下の鬼どもからは想像もできない乙女チックなくつろぎ空間。と、言いたいところだが、数時間前に温羅が狂喜乱舞したせいでヒドイ有様だ。
「ここのどこに隠し部屋があるんだい?」
 桃が尋ねるとポチは首を横に振った。
「ボクも知らないんでしゅ。その部屋に入るところは見せてもらってないだもん」
「役立たず」
 桃はポチをスプリングの壊れたベッドに投げた。
「うわぁん、投げないでよぉ」
「うっさい、あんたもさっさと隠し部屋の入り口探しな!」
「はぁ〜い」
 少し泣きそうな顔をしてポチは返事をした。
 ポチは桃が見落としそうな背の低い場所を重点的に探した。
 しばらくして、ポチが鼻をクンクン動かした。
「あ、血の痕みーっけ!」
 桃もその場所を見た。
「よくやったポチ」
「へへ〜ん、ボク偉い?」
 瞳を輝かせるポチは完全にシカト。桃はその血痕を調べはじめた。
 その血痕は不自然だった。床に落ちて円を描くハズの血がタンスの下になって途切れているのだ。つまり、血痕が落ちたあとにタンスが動いたことになる。
 桃は剛力を込めてタンスを横に動かした。すると、その裏の壁に扉があった。迷わず桃は扉を開けて中に飛び込んだ。
 薄暗い部屋には薬品の臭いが立ち込めていた。壁際には本棚に並べられた分厚い背表紙の本。部屋の中央には人を煮込めるほど大きな釜。
 気配がした。
 部屋の隅に立っていた長身の影。
 桃は少し驚いたように口を開けた。
「雉丸……どうしてここに?」
 そこに立っていたのは雉丸だった。
「温羅を追ってここまで来たんだけど、逃げられちゃった。えへっ♪」
 いい知れない悪寒が桃の背中を走った。
「おい、雉丸……しゃべり方がおかしくないかい? 頭でも打ったんだろ?」
「うんうん、ちょっぴり頭打っちゃったかも、えへへ」
 お茶目に笑う雉丸。
 早く病院に連れて行かなければ大変だ!
 ちょっと頭の壊れた雉丸を前に、桃もポチも戸惑いの表情を浮かべている。
 そこへ温羅の部屋からやって来る気配。
 桃はすぐさま振り向いて唖然とした。
「雉丸!?」
 前にも雉丸、後ろにも雉丸。
「桃さん、大丈夫でしたか? ポチも大丈夫だったかい?」
 こっちの雉丸はいつもと同じしゃべり方だ。
 ポチはあとから現れた雉丸に抱きついた。
「こっちが本物の兄さまだよ、だって煙草の匂いが微かにするもん!」
 それ以前に、向こうの雉丸は最初からしゃべり方が怪しかった。
 偽雉丸がポンと煙に包まれたかと思うと、その場所に温羅が姿を現した。
「さすがポチ、見破るなんてすご〜い。エライ、エライ♪」
 だからポチじゃなくても、しゃべり方で……。
 正体を現した温羅は三人に追い詰められた。
 逃げ口は桃たちの背後。温羅は壁に背をつけて逃げ場を失ったかのように思われた。
 でも、逃げ場がなければつくればいい!
 温羅の手に握られたデスサイズ。
「ウラウラウラウラァッ!」
 狂喜乱舞して襲い来る温羅。
 まずポチが怖くて道を開けた。
 次に桃は物干し竿で攻撃――ガツン。物に引っかかって動かない。
 最後に出口の前に立ちふさがる雉丸が腰のホルスターからリボルバーを――抜かない。
「俺は桃さんと違って少女に手を上げるのは……」
 素手で雉丸は温羅を押さえようとするが、巨大な刃が振り回され近づけない。
 温羅は出口の光に向かって飛び込んだ。もう破壊伸と化してしまった温羅を止められる者はいないのかっ!
 次の瞬間、ゴツン!
 ものスゴイ音がして、なぜか背中から転倒した温羅がついでに、後頭部をガツン!
 床に倒れた温羅は頭の上に星を回しながら気を失ってしまった。
 そして、遅れて聞こえてきた叫び声。
「いっでぇ〜っ!」
 出口のところで猿助がおでこを押さえてうずくまっていた。
 桃は呆れてため息を漏らした。
「はぁ、よくやったって誉めてやる気にもなれないねぇ〜」
 雉丸もおでこを押さえて沈痛な表情をしていた。
「なんだか俺も頭が痛くなってきた」
 この中ではしゃいでいるのはポチだけだった。
「サルたんすご〜い、温羅の姐御さんを一発で倒しちゃったぁ!」
 言われてはじめて猿助は床で気絶する温羅に気づいた。
「マジ、オレが!? 姉貴、ご褒美に姉貴のパフパフを!」
「いっぺん死んでろ!」
「ぎゃっ!」
 桃の美脚に金的された猿助は泡を吐いて気絶した。
「雉丸、小娘に縄でもかけて運びな。はい撤収!」
 桃のかけ声で猿助を残して、はい撤収!

《8》

 飲めや歌えの大宴会。
 夜が更けるにつれて、村人たちの煽る酒の量が増えていく。
 台上には立てた丸太に縛り付けられ、祭り上げられている一人の少女。左目にアイパッチをしている温羅だ。
「早くあたしを自由にしないと痛い目見るんだからね。みんな地獄に堕ちちゃえばいいのよ、バーカ!」
 この調子で何時間も喚き続けている。喉が嗄れるようすもないので、まだまだ喚き続けることだろう。
 その横では酒瓶を片手にあぐらを掻いている桃がいた。
「クソガキが、さっさと財宝の隠し場所を言わねぇーか!」
「ふん、言っても言わなくても自由にしてくれないのはわかってるんだからね!」
「てめぇ、減らず口が利けないように、喉を引っ張り出して結んでやろうか!」
 ホントにやりそうな勢いだったので雉丸が止めに入る。
「まあまあ、そんなことをしたら財宝のありかもしゃべれなくなりますから、ね?」
「ったく」
 ふてくされた桃は酒を煽った。
 村は海の魔女≠ニ畏れられた温羅が捕らえられ、魔女っ娘海賊団も壊滅したことで大盛り上がり。桃たちは勇者さま御一行としてもてはやされたが、桃はそんなことより財宝だった。
 どこかで若い娘の悲鳴が聞こえた。
 お祭り騒ぎで酒を飲んだ変質者も出るだろう。
「サルがナンパでもしてんだろうよ」
 桃はその一言で片付けてしまった。
 村の若い娘がやってきて、雉丸の腕に腕を回してきた。
「かっこいい勇者さま、こっちで飲みましょう」
「俺は……だから……ああっ……」
 若い娘に囲まれて強引に雉丸は引きずられていってしまった。
 ポチの周りにも娘たちが集まっていた。
「きゃーかわいい!」
「こんなかわいい子が鬼退治をしたのぉ?」
「すご〜い!」
 ペット扱いというより、もはや珍獣扱いだった。
 ポチは少し頬を赤らめながら娘たちから逃げようとしている。
「ボクは……それよりも温羅の姐御さんに……うわぁ、お尻さわったの誰? だから、温羅の姐御さんに首輪を外してもらわないと、いやぁっ、変なところ触られたよぁ。だ〜か〜ら〜、首輪を外してもらわないと、ずっとポチって名前で呼ばれ……わぁっ!」
「ボク、ポチくんっていうの? かわいい〜!」
 ポチは娘たちにハグされて拉致されていってしまった。大人の階段を昇っちゃわないか心配だ。
 鼻の下を伸ばした男たちが桃の近くにも寄ってくるが、桃の魔獣の眼で睨まれてちょっぴりチビって一目散に逃げてしまう。
 モテないのは猿助だけなのだろうか?
「きゃ〜っ痴漢!」
 またどこかで若い娘の悲鳴がした。
 桃は呆れたように呟く。
「ったくサルの野郎は女と見れば……」
 今さっき叫んだ娘が髪の毛を振り乱して桃のところまで逃げてきた。
「勇者さま、助けてください。しつこい男の人がいるんです!」
「しょうがないサルだねぇ」
 仕方なく桃は立ち上がり、娘を追ってきたその男に目をやったのだが、拍子抜けしたように目を丸くした。
「おっ? サルじゃないのかい?」
 そこに立っていたのは白髭を蓄えたハゲ爺だった。見るからにエロそうな顔して、鼻の下なんか指三本入りそうなくらい伸ばしている。
 猿助ではなかったが、桃は構わずハゲ頭を引っぱたいた。
「クソジジイ、いい年こいて女のケツばっかり追ってるんじゃないよ」
「おおっ、こんなところにもナイスバディなねーちゃんがおったのか。よしよし、ワシが胸を揉んでやろう」
 そう言って爆乳に手を伸ばそうとしたハゲ爺を桃はタコ殴りにした。
「気安く触るんじゃないよハゲ!」
 殴る蹴るされたハゲ爺は、なんと自ら背負っていた亀の甲羅の中に隠れてしまった。
 そして、甲羅の中からうめき声を発した。
「気の荒い娘じゃのぉ、ワシを誰だと思っておるんだ。胸は揉むほどデカくなることを知らんのか」
「出てこいハゲ!」
 桃は甲羅を蹴り飛ばすがビクともしない。
「ふぉふぉふぉ、この甲羅は核爆弾の衝撃にも耐えられる仕様じゃ。元はワシを汚い罠にハメた亀を殺して喰ってやった戦利品なのじゃが、それをジパング一の天才発明家のワシが改造して最強の防具にしたのじゃ!」
「聞いてないよ、んなこと!」
 桃は再び甲羅を蹴っ飛ばしたが、やっぱりビクともしなかった。
「無理じゃと言っとろう」
「ひゃっ!」
 桃らしからぬ声をあげてしまった。
 甲羅からにょきっと出た手が桃のふくらはぎを触っていた。
「クソハゲ!」
 すぐに桃は手を捕まえようとしたが、さっと甲羅の中に隠れてしまった。
 あのふくらはぎを触られた感触。全身に悪寒が走るテクニックだった。
 どうにかして締め上げてやりたいが、甲羅の中に隠れられていては手が出せない。
 そこで桃はこう叫んだ。
「酔った娘が裸踊りしてるぞ!」
「なぬっ!?」
 ハゲ爺が甲羅から頭を出した瞬間、桃はその首根っこをへし折る勢いで掴んだ。
「捕まえたぞ、ハゲ。どう料理してやろうかねぇ」
「離せ、首が折れる……やめっ、ワシを誰だと思っておるのだ!」
「誰でもかまいやしないよ!」
「ちまたで有名な亀仙人さまを知らんのか、またの名を浦島太郎じゃぞ!」
「知るかっ!」
 桃はハゲ頭をグーで殴った。
「ぎゃっ」
 亀仙人はそのまま甲羅から引きずり出された。
 そんなことが行われている後ろでは、温羅がまだ喚いていた。
「ねぇ、ちょっとぉ。あたしのこと放置プレイしないでよ、バーカ!」
 桃は怖い顔して振り返った。
「うっさい! 誰かそのクソガキに布でも噛ましておきな!」
 すぐに温羅は口に布を噛まされたが、それをすぐに噛み千切ってしまった。
「汗臭い布なんか食わせないでよ! 絶対仕返ししてやるんだからね!」
 キーキー喚く声が頭にガンガン響く。
 さっさと首を刎ねてやりたいと桃は思ったが、それは財宝のありかを吐かせてからだ。しかし今のままでは、いつまで経ってもしゃべりそうもない。
 温羅の頭が冷えて反省するまでどこかに……。
「早く自由にしてよ、呪い殺すぞウラァッ!」
 その前にこの口を縫ってやりたい。
 困っている桃の表情に気づいたのか、亀仙人がこんなことを言ってきた。
「あの鬼娘に手を焼いておるようじゃのう。よし、ワシが手を貸してやってもよいぞ」
「ハゲに何ができるんだい?」
 桃が尋ねると亀仙人は二カッと歯を見せて笑った。
「ワシが発明した大釜に閉じこめておけばよい」
「はぁ? 大釜って……ボケてるのかい?」
「頭はハゲておるが、ボケてはない。こう見えてもピチピチの一八歳じゃぞ」
「ウソつくなハゲ!」
 桃のグーパンチが再び亀仙人を襲った。
「ぎゃっ、ウソではない……とにかく、ワシの作った大釜は罪人を閉じこめておくにはもってこいじゃ。どんな怪力の持ち主でも外に出ることは不可能じゃぞ。さらに今なら防音仕様のサービス付きじゃ!」
 ――というわけで、亀仙人が用意した大釜に温羅を閉じこめたのだが。
「出しなさいよウラァッ!」
 防音仕様の役立たず!
「出せ出せ出せーっ!」
 大鎌の中で喚き続ける温羅。
 桃は耳を塞ぎながら傍らにいた亀仙人の頭を引っぱたいた。
「ぜんぜん駄目じゃないか!」
「ワシのせいではない、鬼娘の声が馬鹿デカイのじゃ。じゃが、声は出せても体は出てくることはできんじゃろう」
「本当だろうね?」
「この天才発明家の亀仙人さまが言っておるのだ、間違いない!」
「まあよしとするかね。仕方ないからその大釜は海の底に沈めておきな!」
 これを聞いた温羅は焦る焦る。
「ちょっと、美少女にそんなことするなんて非人道的だと思わないわけ!?」
 思いません。
 桃はまったく聞く耳持たず、村の者に命じて温羅の入った大釜を運び、海獣どもの巣くう荒波の海に沈めることにした。
 さっそく桃たちは村人を引き連れて海までやってきた。
 そして、波が打ち寄せる断崖絶壁から、村人が大釜を海に投げ入れた。
「いやぁ〜ん、絶対呪い殺してやるぅ!」
 ザッバ〜ン!
 温羅は呪いの言葉を残して暗い海に沈んだ。

《9》

 ――一方そのころ。
 ナンパに惨敗した挙げ句の果ての猿助。
「うげぇ〜っ飲み過ぎた。やべっ、しょんべん漏れる!」
 トイレを探して歩き回っているうちに、なんだかいつの間にか竹藪に迷い込んでしまった。
 ガサガサっと笹が風に揺れる。
「わっ!」
 短く叫んで猿助は身を縮めた。
「どこだよここ。早く外に出てーけど、道がわかんねーし、しょんべんもしてーし」
 夜空に輝く満月。
 月光は煌々と明るいが、竹藪に入ってしまうと、身の毛がよだってしまうのは仕方あるまい。
 近くに誰もいないし、それがまた怖いのだが、周りに人気がないことを確認して猿助は立ちしょんすることにした。
 着物を下ろした猿助は、尻丸出しで仁王立ちをして、太い竹に向かってしょんべんをした。
 じょぼじょぼ〜。
 っと、黄金色の液体が放物線を描きはじめたそのとき!
 夜空が瞬く間に昼空になり、閃光を放ちながら宇宙から何かが飛来してきた。
「うわっ、なんだアレ!?」
 眼を丸くする猿助。
 帚星が流れてきたかと思ったが、それがどんどん猿助に向かって落ちてくるではないか!
「マジかよっ、うわっしょんべんが、ぎゃっ!」
 一度開いた蛇口は閉まらない。
 黄金色の液体が右往左往。
 慌てる猿助。
 着物にしょんべんがかかる!
 そして、空からは謎の光が落ちてくる!
「な、なななななーっ!」
 どうしていいかわからず叫ぶ。
 謎の光はすぐそこまで迫っていた。
 眼を潰すほどまばゆい光で猿助は目を開けていられなかった。
 風が轟々と響き、竹藪が激しく叫んだ。
 強烈な衝撃音が鳴り響き、地面が激しく揺れたと同時に猿助が吹っ飛んだ。
「ぎゃ〜っしょんべんが顔に!」
 砕かれた地面と一緒に爆風に巻き込まれた猿助が――落ちた。
「ぎゃっ!」
 踏んだり蹴ったりだ。
 顔にかぶった土を払いながら猿助は立ち上がった。
 今まで広がっていた竹藪が円を囲むように消失して、そこには超巨大なスプーンですくったようなクレーターが空けていた。
 猿助はクレーターを覗き込み、その中心に何かを発見して驚いた。
「何だアレ?」
 それは竹のような形をした何か≠セった。
 大きさは大の大人が一人か二人、詰め込めば三人くらい入れそうなくらいか。入る(、、)というたとえをしたのは、それがあきらかに人工物だったからだ。
 ミサイルにしては形が変だし、だとしたら乗り物だろうか?
 猿助はすっかり着物を履くことを忘れて、フルチンで恐る恐る何か≠ノ近づいた。
 何か≠ェ突然音を立てた。
「ぎゃっ!」
 思わず悲鳴を上げて猿助は地面に尻餅をついた。フルチンで。
 蒸気を噴き出しながら何か≠フ扉が開き、中から幼いうめき声が聞こえてきた。
「うう……ん」
 猿助は四つんばいになって、尻を突き上げながら何か≠フ中を覗き込んだ。
「……おい、生きてるか?」
 猿助が見たものは、ぶかぶかの十二単にくるまった幼女だった。
「ううっ……」
「おい、眼覚ませよ」
「ううん……」
 幼女は静かにまん丸の瞳を開き、大声で叫んだ。
「きゃ〜〜〜っ!」
「なんだよ?」
 バタンっと幼女は気絶した。
 何が何だかわからずそこに仁王立ちする猿助。
 だってフルチン!


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