■ サイトトップ > ノベル > シャドービハンド > 第3章 夜の産声(3) | ノベルトップ |
Scene3 ケモノの血 |
リサは小さく呟いた。 「カオルコ……」 再び姿を現したカオルコ。その唇は以前に増して鮮やかに紅い。 「今晩はお姉さま」 安らかな声音だった。 仲間の男が二刀流のナイフを握ってカオルコに斬りかかった。 金属の鞭が跳ねた。 いくつもの関節がある鞭は、まるで刃を連結させたようになっている。自在に形を変える剣のようだ。 ずり落ちた 果敢にもカオルコに挑んだ男の胴が、腰の上を滑って地面に落ちた。それは鞭の成した業であり、その切れ味の鋭さを物語っていた。 鞭を握るカオルコの手には、特性のグローブが嵌められている。 以前によりもカオルコは強くなっている。 シンは刀を抜いた。 「何人喰った?」 「いちいち数えてないわ」 そう、またカオルコは同属を喰らったのだ。きっと数え切れぬほど……。 キッカはリサに顔を向けた。 「知り合い?」 「アタシが血を分け与えた娘」 「親に歯向かうガキか……」 3人はカオルコを囲んで三角形を結んだ。 戒十は未だ車を出れないでいた。足手まといなのはわかっている。出たくても出られなかった。 カオルコは余裕だった。 「3人まとめて掛かっていらっしゃい」 シンとキッカが仕掛ける寸前、リサが止めた。 「アタシ一人でやらせて、子供の不始末は親のアタシが片付ける」 カオルコは艶笑した。 「無理はしないことよ、お姉さま」 「はいはい、どんくらいアタシが生きてると思ってんの? 負けるわけないでしょー」 「それはどうかしら?」 カオルコが消えた。 思わずリサの口をついて言葉が漏れる。 「早いっ!?」 リサは本能でそれ躱した。 撓[シナ]る鞭がリサの服を掠めた。 リサが苦笑いをする。 「油断したーっ」 「本当に油断しただけかしら?」 カオルコは嗤った。 またカオルコが消えた。 再びリサは本能のまま躰を動かした。 「クッ」 歯を食いしばる音。 スカートから覗くリサの太ももに、盛り上がった傷跡が走っていた。斬られたのだ。 満足そうなカオルコの表情。 「また油断してしまったのかしら?」 「……ありえない」 リサは呟いた。 それはリサの考えではありえないことだった。 「だって……ありえないハズ。こんな短期間で、こんなに強くなるなんて、どうやって?」 「お姉さまも知ってるでしょう。キャットピープルを喰らったのよ」 「だから、それがありえないって言ってるの!」 声を張り上げたリサを見ながら、カオルコは艶笑していた。リサの言いたいことを理解しているのだ。 〝成れの果て〟と呼ばれる怪物。それは欲望のままに血を呑んだ者に与えられる罰。 短時間で何人ものキャットピープルを喰らうのは不可能なのだ。1人でさえ、多くの時間をかけて喰わねば、〝成れの果て〟に成り果てることになる。 カオルコは答えを口にしようとしていた。 「お姉さまの言いたいことはわかるわ。ついに完成したのよ、〝成れの果て〟を抑制する薬が」 衝撃が走った。 キッカも驚きのあまり口にした。 「まさか……そんな情報どこからも入ってきてないぞ」 それはキャットピープルの長年の夢だった。 キャットピープルは衰弱死するよりも、耐えられず〝成れの果て〟となって死んでいく者が多い。もっとも切実な問題として、長い間キャットピープルを苦しめてきた問題。その問題が解決されたとカオルコは言ったのだ。 しかし、1つの問題が解決され、新たな問題が浮上した。 今、目の前にいるカオルコの存在。 力を欲し、欲望のままに喰らう。〝成れの果て〟になるという限界がなくなった今、無尽蔵に同属を喰らうことができる。力を求める者の枷が消えた。 カオルコの眼が水平に移動した。見つめるは戒十。 「もう誰かここに寄越したのでしょう? お姉さまたちと遊んでいる暇はなさそうね」 カオルコが消えると同時にリサが叫んだ。 「逃げて戒十!」 反射的に動けなかった戒十は逃げられなかった。 車の出口に立ちふさがるカオルコの姿。 「貴方が必要なの、クイーンをおびき寄せるため、そして、クイーンの代用品として」 カオルコは戒十の腕を掴み、車から無理やり引きずり出した。 「離せ!」 戒十は抵抗するが、腕に激痛が走り、地面に自由な手を付いて倒れてしまった。 カオルコに握られている腕は潰された。骨と肉を砕かれたのだ。 「ぎゃああっ!」 戒十は絶叫を上げた。 こうなってしまっては1対1なんて言っていられない。 リサ、シン、キッカがカオルコの行く手を塞ぐ。 カオルコは戒十を羽交い絞めにして、長い爪の先端を戒十の首筋に当てた。 「邪魔をすると、この子の命がないわよ」 キッカが鼻で笑う。 「そんなハッタリに引っかかるかよ。そのガキが必要なんだろ、殺すハズがねえ」 その通りだった。嘘を見破られたカオルコは嗤っていた。 「ならこうしましょう」 硬い枝を折るような音が響いた。 「あがっ!」 声にならない悲鳴が戒十の口から毀れた。 地面に腹ばいになった戒十の背中を踏みつけるカオルコ。戒十の肩はあり得ない方向に曲がり、カオルコがしっかりと握っていた。 肩の関節を外され、あらぬ方向に曲げられたのだ。 「邪魔をすれば、死なない程度にこの子を甚振るわよ」 なんとおぞましい笑みか、カオルコは満足そうに艶笑していた。 人質と心中するつもりのない犯人は、人質を殺せない。 逃げようとしているのに、人質を殺すことは、敵に自分を捕らえるチャンスを与えるもの同じ。人質がいるからこそ、敵は仕掛けてこないのだ。人質を殺すことは、自らの首を絞めることになる。 シンは鋼の精神でこの場を冷静に見極めた。 「ここで痛められぬとて、連れ去られたのちに、苦痛を強いられることになるかもしれんぞ」 それにキッカも同意する。 「ったくだぜ、連れてかれる前からこの有様だぜ。それがVIP待遇になるとは思えねぇーな」 しかし、リサは行動に移せなかった。 〝成れの果て〟にならば非情になれても、心のある仲間を苦しませることはできなかった。 苦痛で顔を歪める戒十。その苦しみを少しでも取り払いたい。心に情があれば、そう思ってしまうのも仕方なかった。 不安がリサの顔で見え隠れしていた。それをカオルコが見逃すはずがない。 「お姉さま、表情が少し硬いわよ……らしくない」 リサは笑って見せた。 「にゃはは、この顔のどこが硬いっていう……のっ!」 ついにリサが仕掛けた。 そのまま行けばリサがカオルコを仕留めていた。 が、背筋に奔る戦慄。 言葉では言い表せない地獄の絶叫。 鮮血がリサの顔を彩り、眼を見開いたままリサは腕に殴られた。 リサを殴り飛ばした腕は、もぎ取られた戒十のものだった。 そこまで卑劣な所業をするとは、シンとキッカも足を止めてしまった。残虐な光景など、いくらでも見てきたが、それは〝怪物〟のすることだった。まさか、人の形をしたオンナが、そこまで非情な手段を取るとは予想してなかった。 しゅぅしゅぅと肩の付け根から噴出す血。悶絶を繰り返す戒十の姿は、誰が見てても痛ましい地獄だった。 血の絨毯に黒いブーツを浸しながら、オンナの皮を被った怪物は嗤っていた。 「死にはしないわよ、だってクイーンの血を受け継ぐ者だもの」 静かな嗤いが響いた。 異変に気づいたのは誰が最初か? はじめはカオルコの嗤い声だった。 しかし、その闇に潜んでもうひとつの声がいていた。 リサが叫ぶ。 「カイトが暴走する!」 カオルコが眼を剥いた。 巨大なケモノがカオルコに襲い掛かった。 「キャァァァッ!!」 甲高い悲鳴。 カオルコを地面に倒し、その上に戒十がケモノのように乗っていた。 咄嗟にカオルコは戒十の腹を蹴り飛ばし、顔面を押さえながら立ち上がった。 長く美しい繊手の間から噴出す血。カオルコは顔半分を手で隠し、残り半分の顔を狂気で歪ませていた。 「よくも、よくも……アタシの顔を喰ってくれたわね!」 勢いよく外された手の下から、見るも無残な血みどろの顔が姿を現した。 顔の筋肉が露になり、顎や頬の骨が見えていた。カオルコは美醜を左右の顔で体現していた。 戒十の筋肉が脈打って、服が破れるほど膨れ上がった。 キッカが声を張り上げる。 「ただの〝成れの果て〟じゃないぞ!」 戒十の髪の毛が地面に付くほど伸び、黒い毛並みが全身を覆った。黒い毛に覆われた顔の奥で光る眼。 もはやそれは戒十と呼べない存在――巨大な〝ケモノ〟と呼ぶに相応しい。 自分たちキャットピープルの存在は肯定できる。けれど、物語と現実を混同することはない。 キッカは苦笑いをした。 「俺たちは現実を生きてる。今、俺らの目の前にいるのはファンタジーだぜ」 〝ケモノ〟は三つ足で跳躍した。獲物は血の香りを振り撒くカオルコ。 猛獣使いのように鞭を使い、血みどろのカオルコは〝ケモノ〟に挑んだ。 鋭い刃を持つ鞭が踊る。 鞭は〝ケモノ〟の肉を抉り斬った。それも数え切れないほどに。 しかし、〝ケモノ〟は物ともせずにカオルコに牙を剥く。 開けられた巨大な口。鋭い牙。紅い舌までも、カオルコは間近で見た。 その口は頭を丸ごと呑み込むのではないかと思われた。 喰われる寸前、カオルコの身体が、小柄な影に押し飛ばされた。 〝ケモノ〟の歯が激しく音を立て噛み合わされたが、口にはなにも入っていない。 黄金の瞳が映し出す少女の姿。カオルコを押し飛ばし、〝ケモノ〟の前に立ったのはリサだった。 リサの瞳は冷たい。〝ケモノ〟の奥に戒十の姿を映していない。 「凶悪な〝ケモノ〟を世に放つわけにはいかないの」 口調はさらに冷たさを帯びていた。 三つ足の〝ケモノ〟は、その牙でリサに襲い掛かる。 リサは素早く〝ケモノ〟の懐に潜り込んだ。 そして、隠し持っていたナイフを抜く。そのナイフはシンが戒十に渡した物だった。〝ケモノ〟になった弾みで地面に落ち、それをリサが拾ったのだ。 鋭いナイフは、鋭い牙よりも早く、相手の肉に喰い込んでいた。 ナイフの刃を流れる血の筋。 さらにリサはナイフを奥へと押し込んだ。 魔獣の彷徨が夜に響き渡った。 リサの刺したナイフは心臓の位置を捉えていた。 〝ケモノ〟は二本足で立ち、リサの身体を掴んで投げ飛ばした。 地面に着地したリサ。その手にナイフはない。ナイフは〝ケモノ〟の胸に突き刺さったままだ。 リサは歯を食いしばりながら表情を曇らせた。 「可笑しい……心臓まで届いてないの?」 ナイフは心臓の位置を捉えていた。それは鼓動を感じるリサの耳が証明している。 しかし、戒十から何倍も膨れ上がり、厚い筋肉を持つ〝ケモノ〟の胸板を、ナイフは貫くことができなかったのだ。 それほどまでに〝ケモノ〟は巨大化していた。 かつてその〝ケモノ〟が戒十だったと、誰が信じようか? キッカの銃が火を噴いた。 銃弾はすべて〝ケモノ〟に命中したが、致命傷どころか攻撃になっているかもわからない。 キッカは弾倉を抜き、赤いテープの貼った弾倉と入れ替えようとした。毒薬入りの炸裂弾だ。 弾倉を入れ替えるキッカの傍らでシンが地面を蹴った。 刀が風を斬る。 しかし、その刀が〝ケモノ〟を斬ることは叶わなかった。 巨大な躰を持ちながら俊敏な動きを見せる〝ケモノ〟。 胸にナイフを刺されてから、途切れることなく咆哮をあげている。 暴れながら〝ケモノ〟はシンの胸に拳を喰らわせた。 人形のようにシンは飛ばされ、衝撃で躰が言うことを利かず、うつ伏せのまま地面に落ちた。口から大量の血が毀れる。外からの衝撃で内臓までやられたようだ。 リサは再び〝ケモノ〟に挑もうとしていた。 その時、銃声は鳴り響いた。 キッカの撃った銃弾が〝ケモノ〟の腹で炸裂した。 豪雷にも似た咆哮をあげる〝ケモノ〟は、キッカに飛び掛ってきた。 再びキッカは銃を撃った。 1発に止まらず、できる限りの銃弾を〝ケモノ〟に喰らわせた。 〝ケモノ〟はキッカの胸を押し飛ばし、そのまま踏み台にして逃げようとした。 地面に激しく背中を打ちつけたキッカは動けない。 よろめくシンでは〝ケモノ〟を追えない。 残されたリサは足が地面に張り付いたように、ただただ、黒い影が闇に消えるのを見つめていた。 そして、カオルコの姿もまた、いつの間にか闇の奥に消えていたのだった。 シャドービハンド専用掲示板【別窓】 |
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