第8話_休息
 家に着いた輝たちがまず最初にしたことは、深く息をつきながらダイニングのソファーにもたれかかることだった。全員心身ともに疲れ切っていたのだ。
 まだ疲れが取れないようすで座っている人たちを後目に、未空は立ち上がりつかつかとどこかに歩き出した。
「どこ行くんですか?」
 悠樹が聞くと未空は一瞬だけ振り向き答えた。
「お風呂」
「あの、案内します」
 悠樹は慌てて立ち上がり未空の後を追った。
 脱衣所まで案内した悠樹は未空に、
「服を脱いだら、ここにある洗濯機に放り込んでおいて下さい。後で僕が洗って乾かしておきますから」
「下着も?」
「えっ?」
 迂闊だったと悠樹は思った。いつもは男所帯だったので輝と自分の洗濯物は下着も全部まとめて洗ってしまい、悠樹が干してたたんでタンスにまで入れていたのだが、女性の下着までは悠樹は洗えなかった。
「パンツは大丈夫だけど、ブラジャーが血みどろなんだけど?」
「あ、あの自分で洗ってもらえますか、洗濯機の使い方教えますから」
「うん……たぶん使えるから大丈夫」
 悠樹は早くここから出ていこうとした。どうも未空と二人っきりだと少しペースを乱される感じだ。
「洗剤はここにありますし、バスタオルはそこに積んであるのを使ってください、それと血は漂白剤入れないと落ちないと思いますんで、ええと、ここに出して置きます」
 悠樹は戸棚から漂白剤を出すと、そそくさと出ていこうとした。
「待って」
 少しドキッとした。
「何ですか?」
「着替えを涼宮さんに借りて来てくれる?」
「わかりました」
 今度こそ悠樹は出ていこうとした。
「待って」
「何か?」
「この家に来た尊も尊。神社であった尊も尊だから……」
 この言葉を受けて悠樹は何かを言おうとしたのだが、未空は行き成り服を脱ぎ始めたので急いで外に出てドアを閉めた。
「尊か……」
 悠樹がダイニングに戻るとそこは戦場と化していた。疲れてぐったりしていたはずの輝と椛がクッションを投げ合って遊んでいたのだ。
「おまえら疲れてたんじゃないの、ぐはっ!」
 椛の投げたクッションがコースを外れて悠樹の顔面に直撃した。それを見た椛と輝は思わず固まった。
 無表情のまま悠樹は床に落ちたクッションを拾い上げ、振りかぶって投げた!
 クッションは見事命中、輝の顔面を吹っ飛ばした。
「わ〜い、悠樹すっご〜い!」
 ソファーの上で椛は飛び跳ねはしゃぎ出した。
「何でオレに投げるんだよ!」
 輝はクッションを構えて悠樹に投げつけようとした。だが、しかし――、
「おまえ夕飯抜きな」
 悠樹の冷たい一言によって中止された。
 スカートなのに大また開きでぐったりソファーの上で目をつぶっている綾乃に悠樹が声をかけた。
「綾乃、生きてるか? おまえ特に何もしてないのになんで疲れてるんだよ」
 ものすっごい気だるそうな感じで綾乃が目を開けた。
「精神的に疲れたの」
「おまえそんなに繊細にできてないだろ」
「アタシは繊細ですぅ〜だ」
「あのさ、星川さんに服貸してあげて欲しいんだけど」
「うん、いいよ別に。じゃ取って来るね」
 だらしない格好で座っていた綾乃は、勢いよくバッと立ち上がって駆け足で洋服を自宅に取りに行った。
 綾乃は靴を履くのがめんどうだったので靴下のまま玄関の外に出た。家はすぐ隣だが、普通は靴くらい履くものだ。
 自分のウチに戻ってきた綾乃は、
「ただいまー!」
 と元気な声で挨拶して母親を探した。
 綾乃の家も輝の家と部屋の作りは全く同じで、玄関を抜けた先にダイニングがある。
「ママただいまー」
「お帰りなさい綾乃」
 ニッコリと微笑んだ綾乃の母親は実に若々しい感じだった。今年で三十二歳、つまり綾乃は十五歳の時に産んだ子供ということになる。綾乃の母は若く見えるのではなく、実際に若いのだ。
「今日の夕飯いらないからね」
「また、輝くんの家でご馳走になってくるの?」
「そういうこと」
 綾乃は急いだようすで自分の部屋にいってしまった。
「綾乃ちょっと……もう、あの子ったら」
 綾乃の母が呼び止めようとした時には、すでにダイニングのドアがバタンと閉まった後だった。
 自分の部屋に来た綾乃はタンスを開けて適当に服をチョイスした。未空とは服のセンスが全く異なるみたいなので、どれでもいいやと言った感じである。
「下着までは別にいらないよね」
 服を選び終わった綾乃は駆け足で輝の家に戻った。彼女は特に何もしていないので体力が有り余っているのだ。
 輝の家に着いた綾乃はそのまま脱衣所のドアを開けて中に入った。
「星川さん、適当なところに服置いておくからね」
「ありがとう涼宮さん。ところで悠樹クンのことどう思っているの?」
「ど、どうって!?」
 思わぬことに綾乃は取り乱した。突然の直球勝負をされてしまったのだから……。
「大丈夫、言わなくていいわ、わかってるから。でもね、今の彼の心の中は大変なことになっているから、いろいろあり過ぎたし、尊のことがショックだったみたいだから。涼宮さんも頑張ってね」
「ふ、服置いたから出てくね」
 綾乃は急いで外に出ると力いっぱいドアを閉めてそのドアに背中から寄りかかった。
「いきなり何で? どうしてわかったのよ!?」
 綾乃は未空に心の中を覗かれてしまったようで何がなんだかわからなくなった。もしかして本当に自分の心を……。綾乃は真っ赤になってしまった顔をパタパタ仰いでからダイニングに戻った。
 綾乃がダイニングに戻るとそこは再び戦場と化していた。しかも、一人増えている。
「あんたたち、そんなこと……うっ!」
 椛の投げたクッションがコースを外れて綾乃の顔面に直撃した。それを見た椛と輝と悠樹は思わず固まった。
 無表情のまま綾乃は床に落ちたクッションを拾い上げ、振りかぶって投げた!
 クッションは見事命中、悠樹の顔面を吹っ飛ばした。
「わ〜い、綾乃すっご〜い!」
 先程と全く同じようにソファーの上で椛は飛び跳ねはしゃぎ出した。
「何で俺に投げるんだよ!」
「……何となく。じゃなくって、なんで悠樹まで一緒にはしゃいでるのよ!」
 実際の理由は未空に変なことを言われたせいだ。だから、どうしても悠樹に投げつけたくなったのだ。
「椛に一緒に遊ぼうって言われたから……」
「だからって、部屋の中で暴れるなんて非常識でしょ!」
 綾乃は妙にカリカリしていて、悠樹にキツく当たった。それもこれも未空に変なことを言われたために当たり散らしているのだ。
「椛ちゃんも女の子なんだから、クッションなんか投げて遊んじゃダメでしょ!」
「綾乃お姉ちゃん恐〜い」
 輝と悠樹は綾乃に何かあったのかと二人で首を傾げたが、触らぬ神に祟りなしということわざもあるので何も聞かなかった。
 遠くの方から微かな声が聞こえた。
「……洗濯機の使い方がわからないんだけど」
 未空の声だった。『たぶん使える』の『たぶん』に引っかかってしまったのだろう。
 悠樹は自分でいこうとしたが、
「俺は今から夕食の準備するから、輝いってくれないか?」
「オレが?」
「ボタン押すだけの全自動だからおまえだって使えるだろ」
「しょーがねぇなあ」
 輝はしぶしぶ脱衣所に向かったが、これでもし輝が洗濯機を使えたら、未空は輝未満ということになる。
 だるそうな感じで脱衣所に入っていった輝は思わず目を剥いて口を開けてしまった。
「ああっ!?」
 輝の視線の先には素っ裸の未空が洗濯機の前で悪戦苦闘していた。
「輝クン寒いから閉めてくれる?」
「は、はい!」
 バタン! とドアを閉めた後に輝は重大なミスをしたことに気がついた。何でドアを閉めた時に外に出なかったのか……。
 ドアにノブに手をかけたまま固まってしまっている輝の後ろでは、素っ裸の未空が洗濯機と格闘中だ。そう思うと輝はものすごい汗が出てきた。
「あ、あの、なんで裸なの?」
「えっ? 何か変?」
「変って、変でしょ? 普通は服着るし、オレに裸見られたら『きゃ〜!』とか言うのが女の子の反応でしょ」
 「ふ〜ん、そうなんだ。あたしは別に恥ずかしくないから」
「そういう問題じゃなくって」
 本当にそういう問題ではない。しかし、未空は別に裸を人に見られても恥ずかしいとも思わないみたいだ。少し感覚がズレているかもしれない。
「輝クンはあたしの裸を見ると恥ずかしいの?」
「そ、そうじゃなくて」
「……えっち」
 このひとことで輝は会心の一撃を受けたような気がした。
「とにかく、早く服着て!」
「ふう……」
 なんだよ今のため息は、と思いながらも輝はちょっと待った。
「いいよ、こっち向いても」
 着替えは終わっていたのだが、そこに立っている未空は全然違うキャラだった。綾乃の服を着ているために別のキャラになってしまっているのだ。
 白系のちょーミニのスカートとオレンジ系の派手なTシャツの組み合わせ。こんな未空は他では絶対見れない。と思いながら輝はまじまじと見てしまっていて、あることに気づいてしまった。
「……デカイ、じゃなくってノーブラッスか!?」
「うん、だって洗濯機の中入れちゃったから」
 輝は急いで洗濯機の中を覗き込むが、ご丁寧にもブラジャーとパンツが上の方にあり、洗剤がすでにぶっかけられていた。
「……もしかして、ノーパンですか? っていうかそうですよね!?」
「うん、ついうっかり入れちゃった」
 このミニスカでノーパンはマズイだろと輝は本気で思った。てゆーかこいつ電波じゃなくて天然だろ、とも輝は思った。
「ちょっと、待ってて、いや、その前に……」
 輝は洗濯機のボタンを押してから、ダイニングに走っていった。この時点で未空は輝未満に家事ができないことになった。
 ダイニングに着いた輝は、椛と一緒にテレビを見ている綾乃の腕を引っ張って廊下まで引きずり出した。
「何すんのよ!」
「あのさ、星川さんに下着貸してあげてくれ」
「下着も血で汚れちゃってたの?」
「とにかく、今ノーブラ・ノーパンで危険な状態にあるから」
「あのミニでノーパンはヤバイよねぇ〜。すぐに取ってくるから待ってて」
 そう言ってまた靴下のまま綾乃は家に戻り、手さげ袋に下着を入れて帰ってきた。
 綾乃はまたそのまま脱衣所の中に入っていった。
「お待たせ、この中に下着入ってるから」
「ありがとう」
 紙袋を受け取った未空は綾乃がいる前でさっとパンツ穿いて、Tシャツを脱いだ。
「……デカイ」
 思わず綾乃はそう呟いてしまった。
 ブラジャーを付け終わると再びTシャツに着替えて、これで完璧だというところで未空がボソッと呟いた。
「……胸が苦しい」
 このひとことで綾乃は会心の一撃を受けたような気がした。綾乃は自分の胸に自信を持って今まで生きてきたが、この一言は効いた。
 ダイニングに二人が戻ると輝が椛と仲良くテレビを見ていたので、とりあえず二人もソファーに腰掛けてテレビを見始めた。
 しばらくすると、トレイにチャーハンを乗せた悠樹が現れた。
「一様全員分作ったけど、綾乃と星川さんは?」
「あったり前でしょ、食べてわよ」
「ご馳走になるわ」
 輝を引き連れて一度キッチンに戻った悠樹は、二人でさっき持ってこられなかった分のチャーハンとコップと飲み物を持ってきた。
 ダイニングにあるテーブルは小さいので全員分のお皿やコップは乗り切らない。そのため自然とコップだけを置いて、チャーハンのお皿はずっと持ちながら食べる形になる。この家での朝食もそんな感じでいつもダイニングで食べていた。
 全員がそろったところでやっと重要な話が始まった。
 食事をしながら、まずは椛が自分のことや琥珀のことなど、知りえる情報を全てみんなに話した。その話口調は子供のしゃべり方だったが、大人の姿をした椛の記憶も取り戻しているので説明や言っていることはわかりやすかった。
 その話を聞き終えたところで輝が質問をした。
「じゃあ、どうして二人になっちゃたかはわからないの?」
「うん、それは椛にもわからないの。でも、あの子はもしかしたら……」
 未空ももう一人の椛についてある推測があった。
「あのもう一人も椛ちゃんにあたしは会ったことがあるわ、きっと」
 輝は首を傾げた。会ったことがあるのは椛なんだから当たり前じゃないかと思った。けれど、未空の言いたかったことはそうではなかった。
「あの椛ちゃんに会ったのは小春神社の境内。椛ちゃん、あの子はそうなんでしょ?」
「椛もそう思うの」
 二人の間だけでは会話が成立しているが、他のものは誰一人としてついていけていなかった。
「だからぁ〜、どういうことなのよ?」
 綾乃に話を急かされ椛が答えた。
「あれはきっと楓なの」
 答えを聞いても何のことを言っているのかさっぱりわからなかった。そこで未空が補足を加えた。
「さっき椛ちゃんが琥珀と戦う前に楓の御神木から力を貰ったって言ったでしょ? きっと、あの時分かれたもう一人の椛ちゃんは、その楓の御神木が椛ちゃんのエネルギー元にして人間の姿になったもの」
 輝の頭の中では椛が一匹、椛が二匹、椛が三匹……と廻り廻ってっていた。
「だから、二匹目の椛は楓ってことで一匹目の椛は椛で、楓は椛とは全然別人ってことかよ?」
 輝の中では椛は匹≠ナ数えることになっていた。
 未空が空かさず答えた。
「そうとも限らないわ。椛ちゃんをベースに楓のエネルギーから生まれたわけだから、椛ちゃんと同じ能力や性格を持っているかもしれないわ」
「とにかく、こっちの椛が椛で、あっちの椛が楓ってことにしとけばいいんだろ?」
 少し強引な解釈なような気がするが、輝が納得したのならそれでいいだろう。
 一通り話を聞いたところで悠樹がやっと口を開いた。
「では、問題はこれからどうするがだが、俺は明日学校を休んで椛の傍にずっといようと思う」
「オレも残るぜ」
「あたしの力が必要になるかもしれないから、あたしも学校休む」
「じゃあアタシも学校休んで……」
「駄目だ!」
 悠樹が綾乃の言葉を途中で遮った。
「どうしてダメなのよ!」
「綾乃にまで危険な目に遭わせたくないから、おまえは学校に行け」
 悠樹の言葉は完全に命令口調だったがそれにはわけがある。悠樹は目の前で矢を刺されて血を出した未空も見たし、椛によって大量の矢を射ち込まれた尊の姿も目のまで見ていた。そんなところに綾乃を巻き込ませたくなかった。だからと言って他の者ならいいのかというとそうでもなく仕方なくだった。
 輝は悠樹に学校に行けと言われても意地でも椛の傍にいると言うだろう。未空はもっと危険で、学校に行くと口では言っても、きっと独りで行動して危険なことをするに違いないので、それなら一緒にいて貰った方がいい。
 綾乃は少し考えてから口を開いた。
「しょうがないわね、学校行けばいいんでしょ。でも、椛ちゃんに何かあったら承知ないからね」
 悠樹はほっとした。しかし、悠樹の読みは甘かった。
 綾乃は口では学校に行くとは言ったが、内心では学校を休んで何かをしてやろうと考えていた。
 夜の深さは増し、綾乃は自宅に帰ることになり、未空は今晩はこの家に泊まっていくことになった。
「星川さん、おうちの人は心配しないんですか?」
 悠樹が聞くと未空はまるで他人事のように答えた。
「あの人たちは子供になんて無関心だから」
 未空の親のことをいう『あの人たち』という言葉を聞いて悠樹は自分の家庭と重ね合わせてしまった。そして、これ以上は聞かない方がいいなと判断した。
 この二人が比較的シリアスモードなのに対して残りの二人は再び暴れていた。
 輝に飛びかかる椛。輝はすんなり避けて軽くチョップを椛の頭に炸裂させる。
「痛ぁ〜い」
 と言いながらも椛は輝の膝にキックして、輝も負けじと小さい子供に対して関節技を決める。
「どうだ、参りましたお兄様と言え!」
「うぅ〜……椛負けないもん!」
 ガブッと椛は輝の腕に噛み付き、輝が怯んだ隙に後ろに回って殴る蹴るの猛襲。
 そんな二人の光景を見ながら悠樹は思った。もしかして、妹ともこんなことしてたのか? 悠樹には少し理解しがたかった。
 輝は再び椛に関節技をかけながら余裕を見せて全く別の話をした。
「ところでさあ、星川さんどこで寝るの?」
「あたしならソファーでも平気だけど、真堂クンあたしと寝る?」
 これはマジで言っているのか、冗談なのか、はたまた天然なのか、輝には理解できなかった。
「星川さんは輝のご両親の寝室でいいんじゃないか?」
「そうだな、あのダブルベッドだったら朝までぐっすりだな」
「ふ〜ん、ダブルベッドなの……真堂クンあたしと寝る?」
 これはわかった。完全にからかわれている。
 さっきの素っ裸の未空の映像と今の発言で輝は顔を真っ赤にしてしまった。
「輝クンってわかりやすいのね。ふふ……」
 完全に輝は未空の玩具にされていた。
 椛を自由にした輝は顔を真っ赤にしたまま歩き出した。
「お風呂入ってくる!」
「輝クン、背中流してあげようか?」
 これが止めとばかりのこの言葉を聞いた輝はわき目も振らずに走って逃げた。
「星川さん、輝のことからかっておもしろいですか?」
 やさしい笑顔で未空は首を大きく縦に振った。
「葵城クンもからかってあげましょうか?」
「結構です」
 悠樹は未空の性格が掴めそうで未だに掴めないでいた。


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