第11話_廃墟の病院
 楓が輝たちを連れてきたのは廃墟となった大病院だった。
 五年ほど前に潰れたこの病院だが、ここ数年は心霊スポットとして有名で、深夜になると若者たちが集まってくる。
 この病院が心霊スポットとして有名になったのは、病院の陰気な雰囲気と、そして何よりも、この病院を建て壊そうとした業者が祟りめいた天災に幾度も遭ったからだ。
 病院を建て壊そうとした途端、重機類のトラブルに見舞われたり、突如崩落して来た天上に押しつぶされて人がなくなったりと不幸が続いた。そして、今では手付かずのまま放置され、病院はより一層の不気味さを増していた。
 近年では、この病院でお化けや怪奇現象に遭った若者たちが急増して、そういった現象に遭った者たち尋常でないほどに怯えて誰もが無口な人間になってしまった。それが噂として広がり、一時は人足が減ったかのように思えたが、今では前よりも恐いもの見たさの若者が多く訪れる結果となった。
 噂が大きくなると、テレビ局や雑誌の取材がこの病院に来た。しかし、この病院の取材をした関係者たちは皆、病気や交通事故などに遭い、ここ病院は本物≠セとされ、それ以降テレビ局や雑誌の取材はタブーとされた。
 病院の概観を見ただけでも不気味だというのに、病院内は暗くじめじめした空気に包まれていた。
 輝は暗い廊下の中で身震いをした。
「なんか、この中寒くない?」
「霊が近くにいるのかもしれないわね」
 あっさりとした口調でそういうことを言う未空の方がよっぽど怖いかもしれない。
 大きめ懐中電灯を二つも使って廊下を照らすが、それでも光が闇に呑み込まれてしまうようで心もとない。
 輝は椛と手を繋ぎ、未空は楓と手を繋いで歩いているが、輝の方は椛に手を繋いでもらっていると言った感じで、手に大量の冷や汗をかいていた。
 椛と楓はぜんぜん恐がるようすもなく、楓は未空の手を引っ張って先にどんどん行こうとする。
「早く、こっちだよ、あっ!」
 楓は先を急ごうとして何かにつまずいてコケた。片手を未空と繋いでいたためにうまく受け身が取れなくて、ひざを擦りむいてしまった。
「……うぇ〜ん!」
 傷は浅いがそれでも楓は大泣きをし出してしまった。
「大した傷ではないから、泣かないで」
 未空が楓の手を引っ張り上げて立たせたが、まだ楓は少し嗚咽をしている。
「うぐっ……うっ……」
「歩けないようなら、輝クンが背負ってくれるわ」
「オレが?」
 椛が輝の背中を打った。
「男の子の当然だよ!」
 小さい子供にまでこう言われてしまっては仕方がない。輝は楓を背負おうとしたが、楓は大きく首を横に振った。
「……大丈夫、歩ける」
 楓はそう小さく呟くと、未空の手をぎゅっと握って再び歩き出した。
 そんな楓を見て輝はちっちゃな感動を覚えた。小さいのに強い子だ、きっと大きくなってもいい子に育つだろう。けど、なんで不気味なのには恐がらなくて、足をちょっと擦りむいたくらいで泣くんだ? そんな疑問が輝の頭に残ってしまった。
 暗い廊下は続き、静かな廊下には輝たちの足音だけが響き渡っている。はずだった。
 椛と楓がそれいち早く気がついた。
「「何か来るよ!」」
 声を揃えて叫んだ椛と楓は、同時に後ろを振り返った。
 二人につられて後ろを振り返った輝が見たものは、暗い廊下の奥にぼんやりと輝く光だった。それはだんだんと近づくにつれて形がはっきと見えてきて、青白い光を纏った人だということがわかった時には、未空がいち早く動いていた。
 未空はポケットから子瓶を取り出すとコルクの蓋を開けて、中身の液体を幽霊と思わしき者に振りかけた。
 すると、幽霊と思わしき者は闇に溶けるようにして消えてしまった。
 一瞬の幻のような光景だったが、輝は心にしっかりと焼き付けた。
「すんげぇ、星川さんってやっぱすっげえよ。何かいいもん見ちゃったなぁ〜」
 輝の目に映る未空の姿は、映画に出てくるお化け退治の専門家のよう写っていた。
 昔から輝はテレビのヒーローなどに憧れている節があり、実際に何かと戦う未空を見たのはこれが初めてだったので感動は一入だった。
「星川さんカッコいいっスよ!」
 ワザとらしいまでにはやし立てる輝に未空は照れたのか、少し笑みを浮かべた。
「輝クンにそう言ってもらえると、うれしいかな」
「「未空お姉ちゃんカッコいい!」」
 椛と楓も未空のことを褒め称えた。
 輝は未空の前に駆け寄ると、未空の持っていた子瓶をまじまじと眺めた。
「でも、それ何なの? 液体みたいのを振りかけてたけど?」
「この瓶の中に入っていたのは、なんちゃって聖水よ」
「なんちゃって聖水って何?」
 輝は聖水というのはテレビゲームで何となく知っているが、『なんちゃって』とはどういうことなのだろうか?
「この聖水は、輝クンの家の水道水と塩を使って作ったものなの。簡単に言うと食塩水みたいなものかしら」
「そんなんで、幽霊退治なんてできんの?」
「塩は昔から除霊などにも使われているものだし、それを清めた水と混ぜれば下級霊には効くかなと思って作ってみたんだけど、本当に効いたみたいね」
「もしかして、あの幽霊が実験台?」
「ええ、でも成功したでしょ」
 あっさりと答える未空に、世の中は何ごとも結果が全てなのだと思い知らされた気分の輝だった。
 幽霊との遭遇がなかったことのように再び歩き出した輝たちであったが、今度は前方から足音が聞こえてきた。
 それは先ほどと同じように青白い光を纏った人だった。それも今度は複数だ。
 ぞろぞろと歩いて来る青白い人影はゾンビと言われる者に似ていた。
 身体をギクシャク動かしながら、輝たちの方に歩いて来るゾンビたちの身体は、いたるところが欠けていた。中には首のない者のいる。
 そんなゾンビたちを見て輝は吐き捨てるように呟く。
「ここはホラーハウスかよ」
「それに近いかもしれないわ。すでにここは病院内じゃないかもしれない」
「それって、どういうことだよ?」
「話はあとでね。今はこの状況をどうするかよ」
 ゾンビたちの動きは遅いので走って逃げることも可能だ。しかし、椛と楓が前に出た。「椛に任せて!」
「楓に任せて!」
 椛と楓は横に並ぶようにして立ち、椛は右手を横に、楓は左手を横に出して互いの出し合った手を合わせてゆっくりと上にあげると、二人の身体はまばゆい光に包まれた。
「「お化けさん、ばいば〜い!」」
 二人が声を揃えて叫んだ瞬間――二人を包んでいた光がものすごいスピードで飛んでいき、ゾンビたちを丸呑みにして激しく輝いた。
 暗い廊下が一瞬にして光に包まれ、それが治まるとゾンビたちの姿も消えていた。
 またまた、すごい光景を目の当たりにした輝は感動したが、こんなゲームの戦闘みたいに敵をばっさばっさと倒していいものなのか、とも思った。
 未空はすぐさま懐中電灯を持って、ゾンビたちのいたところを照らした。
「やっぱり、そうなんだわ。椛ちゃんと楓ちゃんもだいぶ前から気づいていたんじゃないの?」
「椛も変だなぁって思ってたの」
「楓もそうだよ。尊たちに連れてこられた時から、もしかしたらって思ってた」
「三人とも、何なんだよ?」
 自分だけわからないのがもどかしい。仲間外れにされているようにも思えてくる。
「輝クン、こっちに来てここを見てくれる?」
 輝は未空に言われるままに椛と楓と一緒に未空のもとに駆け寄った。
「見ろって何を?」
「ゾンビというのは動く死者だから幽霊と違って肉体を持っているのよ。それなのにこの床には肉片の一つも無いでしょ?」
「肉片が落ちてたらグロいじゃん」
「つまり肉片が落ちてたらグロい……じゃなくって、変なこと言わないでよ」
「オレはただ正直な感想を言っただけだよ」
 冷たい目をして輝を見た未空だったが、すぐに気を取り直して話を続けた。
「つまり、あのゾンビたちは偽者だったということになるわ。そして、恐らくここはさっきも言ったけど、病院の中ではなく別の場所だと思うの。きっと、異界と呼ばれる類の場所かもしれないわね」
「椛もそう思うよ、ここは人間の世界じゃないと思う」
「楓はね、きっと輝が『寒い』って言った時には違う場所に来ちゃってたと思うの」
 何かすごい展開になってきたなと思いつつも、輝はワクワクしていた。一人でここにいたら恐怖に怯えていたかもしれないが、椛と楓、そして、未空が近くにいてくれたので安心していられた。この三人は輝にとって強い味方だった。
「先を急ぎましょう。関係ない敵を相手にしている暇はないわ、早く尊たちを探しましょう」
 未空は楓の手を取って歩き出した。輝もまた椛の手を取り未空の後に続く。
 やがて輝たちは階段の前に差しかかった。この下に楓は行きたいと言うのだが、階段は見事に壊されていた。
「下に尊たちはいるの」
 楓はそう言うが、階段が壊れていては下には行けない。
「あのさぁ、楓が琥珀たちから逃げ出した時ってどうやってここ通ったの?」
 至極最もな輝の質問だった。しかし、楓はその質問に答えることができなかった。
「わからないの。ここを通ったと思ったんだけど?」
「はぁ? どういうことだよ、勘違いじゃなくって?」
「嫌な予感がするわ。もしかしたら、本格的に異界に迷い込んでしまったのかもしれない」
「はぁ? さっきから異界にいたんじゃなかったの?」
 『はぁ?』という声が裏返ってしまった。もう、輝は何だかわからなくなってしまっているのだ。
 未空を人差し指を立てた。
「ひとつ、楓ちゃんの勘違い」
 未空は人差し指に続いて中指を立てた。
「ふたつ、楓ちゃんが通ったあとに壊された」
 未空は最後に薬指を立てた。
「みっつ、空間が捻じ曲がっているということなどが考えられるわ。どう? 悠樹クンのマネしてみたのだけど」
 何でこんなところで未空は悠樹のマネをするのか輝には理解不能な行動だった。しかも、そのマネについて意見を求めてくるなんて、未空流のギャグなのか!?
 輝の頭は未空の思考を読もうとして混乱した。
「……わからない」
 そう呟き輝は未空をふと見ると、未空は嘲笑っているような表情をしていた。
 からかわれてるのか!? 全て計算された行動だったのか。そう思うと輝は未空のことを恐ろしく感じた。
「じゃあ、試しに落ちてみましょう」
 未空は突然そのようなことを言って、壊された階段の下を覗き込んだ。覗き込んだその先は真っ暗で何も見えない。未空が懐中電灯で照らしても下は真っ暗だ。
 輝も下を懐中電灯で照らしたがやはり何も見えない。
「落ちるって、もしかしてこの下に落ちるってこと?」
「そうよ、輝クンが先に行く?」
「落ちたら怪我するに決まってるじゃんか!」
「そう、じゃあお先に――」
 未空は闇の中に飛び込んだ。すぐに姿が闇に包まれて消えたが、落ちた音がしない。
「どういうことだよ?」
「椛も行くっ!」
「楓も行くよぉ!」
 二人の少女も未空の後を追って闇の中に飛び込んだ。
 残された輝は小さな少女に負けられないと意を決して闇の中に飛び込んだ。
 輝は着地に失敗してお尻を強打した。
「痛てぇーっ!」
「大丈夫、輝クン?」
 未空が顔を覗き込むようにして聞いてきたが輝は、
「大丈夫、大丈夫だから」
 と言いながら、大丈夫じゃなさそうにお尻を擦りながら立ち上がった。しかし、思ったよりは大丈夫だった。
 さっき上から見たよりは低い位置から落ちたような感じがして、輝は上を見上げて驚いた。
「はぁ!? 何で上が天井なの?」
 見上げた先には天井があった。もしかして、これが空間が捻じ曲がっているということなのか?
「よかったわ、下が別の空間に繋がっていて。あたしの勘が外れていたら大怪我じゃ済まなかったわね」
「わかっててやったんじゃないの!?」
 素っ頓狂な声を上げてしまった。この時に輝は今までで一番未空に恐怖を感じた。
「椛も勘で飛んだの」
「楓も勘で飛んだよ」
 もう輝は何も言わなかった。この三人は勘で人生の全てを乗り切って来たんだと思うことにした。
 未空は辺りを見回して、薄気味悪い笑みを浮かべながらぼそりと呟いた。
「霊安室みたいね」
「…………ウソ?」
 輝は一瞬にして身を凍らせてしまった。
 辺りは薄暗く陰気の漂う病院。そして、ここは霊安室ときた。恐がらない者などそうはいまい。
「は、早く出よう」
 それが輝の口から出せた精一杯の言葉だった。
 あからさまに恐がる輝を見かねて、椛&楓が輝の手を片方ずつ持って引っ張った。
「「恐がらなくても平気だよ」」
 二人にそう言われても輝の足は動こうとしなかった。
「「輝、男の子なのに恐いんだーっ!」」
 小さな子供にこんなことを言われると腹が立つが、恐いものは恐い。動きたくても足が動かないんだからしょうがない。
「う、うるさいな、も、もう少し経ったら動く……ぎゃ!」
 輝は背中に何か柔らかいものが触れたのを感じて思わず叫び声を上げて、椛&楓と手を繋いだまま三メートルほど走ってしまった。
 恐る恐る輝がゆっくりと後ろを振り向くと、さっき自分がいたはずの場所に未空が立っていた。
「い、今の、星川さん?」
「うん、後ろから抱きつこうとしたの」
「何でそんなことするんだよ!」
「後ろから抱きついて脅かそうと思ったの。でも、あんなに驚くなんて、輝クンかわいいわ……ふふ」
 輝はうつむいて含み笑いをする未空の顔見て、その視線をもうちょっと下に下げて気がついた。その瞬間、輝は顔を真っ赤にした。
「今オレの背中に触れたのって……」
 背中に触れた柔らかな感触、あれはきっとアレだったに違いない。そう思いながら輝は未空の胸の辺りを見て、さっと視線をすぐに逸らした。
 いろいろな邪念を振り払うために輝は椛&楓と手を放すと、霊安室のドアからひとり出ていった。が、すぐに戻って来た。
「……あれ?」
 思わず輝は呟いた。彼に予期せぬ自体が起きたのだ。
「あれ、確かに外に出たと思ったのに……同じ場所に戻ってきたぞ?」
 そう、霊安室を出たつもりが霊安室の中に入ってしまったのだ。
 未空と椛&楓も霊安室から急いで出てみたが、結果は輝と同じだった。
「「変なのぉ〜」」
「変なのは空間が捻じ曲がってしまっているせいね」
 未空は辺りを見回した後に深いため息をついた。
「ふぅ、閉じ込めらたわ」
 未空の言う通り霊安室にはドアがひとつしかなかった。そのドアから外に出られないということは、外に出るのが不可能ということになった。
「でも、もしかしたら……あの中に出口があったりして」
 未空は何かを思いついたらしく、壁に埋め込まれている死体を保管するケースの前に立った。
「ここも扉と言えるから、開ければ他の場所に……あ、死体」
 当然と言えば当然だが、未空が開けた中には人の死体が入っていた。しかし、ここは廃墟の病院だ。
 手を伸ばし外に出てこようとした死体を無理やり押し戻すと、未空は何ごともなかったように扉を閉めた。
 輝が唖然としてしまっている中、未空は次の扉に手をかけていた。
「たまには勘も外れるのね。でも、こっちは……」
 今度は何も入っていなかった。未空が懐中電灯で中を照らすが何も無い――いや、懐中電灯の光を闇が呑み込んでしまっている。この現象はあの時と同じだ。
 輝たちが見守る中、未空は少しよじ登り闇≠フ中に入っていった。
 椛&楓も輝に手を貸してもらって持ち上げてもらい中に入っていった。そして、最後に残った輝も闇≠フ中に入った。


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