第12話_トゥプラス
 輝が気がついた時には、そこは無限に広がっていそうな空間だった。壁も建物も何もなく、地面は固く平べったいが、その下では溶岩のようなものが流動している。そして、そこではすでに未空と椛&楓が尊と琥珀と対峙していて緊迫した空気が漂っていた。
 輝はそしてもう一つのことに気がついた。
「何でおまえらいるんだよ!」
「すまん、捕まった」
「早く助けてくれるとうれしいかなぁ〜……なんて、あはは」
 光でできた牢屋の中に悠樹と綾乃は捕らえられていた。
 琥珀は牢屋に近づくと炎を手に平の上に出した。
「二人の椛を渡してもらおう。でないと、この二人が地獄の苦しみを味わうことになるよ」
 椛&楓が一歩前に出た。
「「悠樹と綾乃お姉ちゃんを放してあげて!」」
 椛&楓の感情が高ぶり、大声で叫び声を上げたその時、二人の心が強く同調して奇跡は起きた。
 まばゆい光に包まれた椛&楓が立っていた場所には、巫女装束を着た美しい女性が霊気の波動で長く淑やかな髪を靡かせていた。
「今再び、ひとりに戻りました。そちらにいきますから、悠樹と綾乃を解放してあげてください」
「いいよ、椛がこっちに来てくれるなら、この二人を解放してあげよう」
 琥珀によって光の牢屋は消され、悠樹と綾乃は外に出ることができた。しかし、琥珀の炎がまだ二人を狙っているのでその場を動くことはできない。
 尊が椛のもとへ近づいてくる。
「妙な真似はするな、私が椛を拘束したら二人を解放してあげよう」
 そう言いながら尊が椛を拘束しようとした時だった。突然ふたりに戻った椛&楓は、楓が尊を光でできた紐のようなもので身体を拘束して、椛は瞬時に弓矢を具現化で作り出して琥珀に矢を放った。
 尊は身体の自由を奪われ身動きができなくなり、琥珀が矢を受けてよろめいたところで悠樹と綾乃は逃げようとした。だが、琥珀がそれを許さない。
「逃がすか!」
 琥珀が炎を悠樹と綾乃に放とうとした時、懐中電灯がどこからか飛んできて、続けざまに横から輝のタックルをくらい、炎の塊は狙いを外れて悠樹の横を掠めるように飛んでいった。
 すぐに立ち上がろうとした琥珀は椛の猛攻を受けることとなった。幾本もの矢が琥珀に向けて放たれたのだ。
 琥珀は全ての矢を避け切れず、数本の矢を身体に受けてしまった。
 手負いを受けた琥珀の前に突然、人が通れる高さで長方形の扉のような闇≠ェ現れ、琥珀はその中に逃げるように入っていった。
 闇≠ノ消えた琥珀の直ぐ後を椛が追い、輝もまたその後を追って闇≠フ中に入っていった。 悠樹も闇≠フ中に入ろうとしたのだが、輝が入った瞬間に闇≠ヘ跡形もなく消えてしまった。
 ここにいる者たちは皆、束縛され捕らえられている尊の周りに近づいて来た。
 尊を捕らえることができたが、これからどうするか誰も考えていなかった。
 尊が不敵な笑みを浮かべる。
「今が絶好のチャンスだというのに誰も私を殺さないのか? 甘い奴らだ」
 突然尊の足元に穴が開き、尊はその穴の中に落ちていった。――逃げられたのだ。
 すぐに椛と悠樹が穴の中に飛び込んだ。すると、穴は跡形もなく消えてしまった。
 この場に残されてしまった二人はあることに気がついたが、口にいち早く出して言ったのは綾乃だった。
「もしかして、アタシたち閉じ込められたの?」
「ええ」
 未空はあっさりと答えた。その声からは微塵の動揺も感じさせなかった。
 みんなが出ていった闇≠ヘもう消えてしまっているし、未空が最初にここに入って来た時の闇≠烽キでになかった。
 ぐるっと一周辺りを見回しても何もない空間。見えるのはどこまでも続いていそうな地平線。状況は最悪と言える。
「星川さん、何かいい考えない?」
「向こうの方まで歩いてみる?」
 未空の指差した先には地平線が見えるのみだ。未空は本気で歩こうと言っているのか? ボソッと未空が呟いた。
「……冗談」
「…………」
 綾乃は、この人の性格は絶対好きになれないと思ったが、ここでケンカをしてもしょうがないので、そのことは心に留めて置いた。
「涼宮さん、あきらめては駄目よ、方法が無いわけではないわけではないから」
「本当に!?」
「これを使ってみる」
 未空はポケットからいつも持ち歩いているナイフを取り出した。綾乃は何でそんな物を持っているんだ、と思ったがこれも心に留めて置いた。
 未空によってカバーを外すされたナイフは不思議な光を放っていた。その光を見ていると吸い込まれそうになる。
「このナイフは特別なナイフなの、だから、こうやって――」
 未空はナイフを地面に突き刺して手前に引いた。すると、地面に黒い筋が入った。そして、この黒い筋――あの闇≠ノ似ているような気がする。
 だが、未空がナイフを抜くと黒い筋はすぐに消えてしまった。やはり、あの闇≠ニ同一のものかもしれない。
「空間に傷はつけられたけど、力が足りないわ」
「どういうこと?」
「魔力などの力を秘めたもので空間に穴を空けようとしたのだけれど、もっと強力なものでないと人間が通れる穴は空けられないみたいね」
「もっと強力なもの……あっ、そうだ!」
「何かあるの?」
 綾乃は何かを思い出してある場所に駆け出していった。未空もその後をゆっくり歩いて追う。
 綾乃が着いたのは、先ほど綾乃と悠樹が閉じ込められていた牢屋のあった場所だ。そこには、あるものが落ちていた。
「コレコレ! 閉じ込められてた時に一緒に入れられてたのよねぇ」
 うれしそうな声をあげながら綾乃が拾い上げたのは弓矢だった。そう、この弓矢はあの°|矢だ。
 綾乃は拾い上げた弓矢をすぐに未空に渡した。
「星川さん、これ使える?」
「強い力を感じるわ、……これならいけるかもしれないわね」
 口元で笑った未空が綾乃の顔を見ると、綾乃は蒼い顔をしていた。未空の笑みが不気味だったのではない。この場に現れた者どもを見てだ!
 未空の後ろからは五匹の赤黒い肌をした小鬼がぞろぞろと歩いてきていた。それに気づいた未空は矢筒から矢を出して、振り返りざまに矢を小鬼に向けて放った。
 矢は見事子鬼の心臓に突き刺さり、小鬼はどろどろに溶けて地面に吸い込まれるように跡形も無く消えた。
「星川さん、カッコいい!」
「今の奴の横の鬼を狙ったんだけど……」
「…………」
「……ウソ」
 綾乃に何も言わせないまま、未空は矢筒の紐を肩に掛けて背負うと、矢を連続して小鬼目掛けて放った。
 弓矢は一本も外すことなく小鬼の心臓を貫き、矢を受けた小鬼はどろどろに溶けて跡形もなく消えた。
「星川さん、すごい、すごいよ! 弓道とかやったことあるの?」
「いいえ、この弓と矢は、弓矢の腕前とは関係無しに使用者の思い通りに矢を飛ばすことができるみたい」
 未空は全神経を集中させて弓矢を地面に向けて構えると、力いっぱい矢を引き、手を放した。
 矢は地面を貫き直径一メートルの穴を空けた。
「どこに繋がっているのかしらね?」
 意味深なことを言い残して未空は闇≠フ中に飛び込んだ。
「星川さんと別の場所に行っちゃったりして……なんてね」
 顔を引きつらせながら綾乃も闇≠フ中に飛び込んだ。
 闇を抜けて二人が出てきた場所は、薄暗い廊下だった。きっと、病院に戻って来たに違いない。しかし、病院内は琥珀たちが逃げるために前よりは明るく、廊下の先まで見渡せるようになっていた。これは未空たちのとっても好都合だ。
 未空は床に座り込み壁に疲れたように寄りかかった。
「弓矢を放つのに力をだいぶ使ってしまったようね」
「だいじょぶ、星川さん?」
「あたしはここで休むから、この弓矢を誰かに届けてくれる?」
「アタシ独りで!?」
 廃墟の病院で女の子独りでいけるわけがない。綾乃は絶対ここを動きたくなかった。
「みんなのピンチを救ってきて、お願い……」
 弓矢を託して未空はぐったりとして目を閉じた。
「星川さん、だいじょうぶ!」
 綾乃は未空の肩を揺さぶるが反応がない。息はしているようなので気絶しているだけだろうが、独りになってしまった綾乃はパニック状態に陥った。
「星川さんってば、起きて、起きてよ、お願いだから起きて!」
 未空は起きることがなかった。
 絶望の淵に追いやられた綾乃は無言で肩を落とし泣いた。
「うっ……うう……どうしよう、どうすればいいのよ! 恐いよ……誰か……悠樹……助けてよ……」
 綾乃の口から本音が出た。誰よりも助けに来て欲しい人――それは悠樹だった。
 輝を通して悠樹と幼稚園の時に知り合った綾乃は、いつしか悠樹に恋心を抱いていた。それを自覚したのは中学に入った頃に悠樹の性格が少し変わってしまった時だった。変わってしまった悠樹に反発を覚えた綾乃は、それと同時に悠樹のことが好きだったことに気がついたのだ。
 しばらくの間、肩を揺らして泣いていた綾乃であったが、弓矢を手に取り立ち上がると涙を拭いて走り出した。
 そんな綾乃を誰かが止めた。
「そっちじゃないわ」
「えっ? ありがとう」
 誰かに礼を言った綾乃はUターンして廊下を駆け抜けていった。そんな綾乃は走りながら何かの疑問を覚えたが、今は無我夢中で走ることで精一杯だった。
 廊下に残された未空はゆっくりと目を開けて、むくっと立ち上がった。気絶は演技だったのだ。
「……やっぱり、葵城クンのことが好きだったのね」
 未空は綾乃が走っていった方向とは別の方向へ歩き出した。しかし、その足は三歩ほど歩いたところで止まった。
「あ、そうだ……懐中電灯あそこに置いてきちゃった。輝クンのウチのだったのに、あとで弁償しよう」
 未空は再び歩き出した。

 身体を拘束していた紐を無理やり解き放ち、尊は長い廊下を逃げていた。
 尊は大きな誤算をした。まさか、椛があれほどまでの脅威になろうとは思ってもみなかったのだ。
 椛の力は確実に強くなっている。それは周りにいる人々の椛への想いが強くなったからだった。
 琥珀と尊が別れることによって相手の力が分散できた。現に後ろからは悠樹と楓が追いかけて来ている。二人の椛がいなければ勝算は十二分にある。
 後ろの二人を迎え撃つために尊は全力で戦える広い場所を探していた。しかし、廊下の途中である人物に出くわしてしまった。
「未空!?」
「尊のことは、あたしが止めなくてはいけないと思うの」
 未空は自分を悔いていた。尊が人間でないとわかっていながら、事件が大きくなるまで何もできなかった自分に……。
 すぐに尊の後ろから悠樹と楓も駆けつけて来た。
「星川さん!」
「未空お姉ちゃんだ!」
 尊は自らのエネルギーを使って弓を具現化したが、誰かに向けて構えることはしなかった。楓を倒すのが先決ではあるが、この狭い廊下では楓に弓矢を構えた瞬間に、後ろにいる未空に何かされるかもしれない。
 楓も弓矢を具現化して、こちらは尊に矢先を向けた。
 誰も動かない緊迫した空気が流れる。
 未空が一歩尊に近づいた。
「あたしはできれば尊に前のように人間の生活に戻って欲しい。そして、またあたしの友達になってほしい……」
「私はおまえたちを利用していただけだ。人間など道具に過ぎない!」
「俺にはそうは見えなかった。一緒にクラス委員をやったり、料理を作ったこともあったし、尊さんは本当に悪い人には見えなくて……」
「人間とは愚かな動物だ。私の演技に心を動かされるなど……、おまえたちがや殺れなくても、私は容赦なくおまえたちを殺す。そして、自分の存在をこの世界に強く刻み込む!」
 尊は弓矢を構えて楓に矢を放った。
 少し遅れて楓も矢を放ったが、尊の放った矢の方が早く楓の身体を貫いた。しかし、尊の狙った心臓ではなく肩を貫いただけだった。
 楓の放った矢は大きく反れて廊下の奥に飛んでいってしまった。しかし、尊の心臓の部分からは鋭い刃物が突き出ており血が流れていた。
「ごほっ……未空か……」
 尊の背中には未空が覆い被さるように立っていた。尊が矢を放った瞬間に、未空は尊の背中にナイフを突き刺したのだ。尊の矢が狙いを外れたのもこのせいだ。
 背中からナイフを抜かれた尊はゆっくりと膝をつき、そのまま仰向けに倒れた。
「……人間との生存競争に私は負けてしまったな。やはり人間によって創り出された者は、人間には勝てないということか……」
 未空は尊の手を取って、やさしく握り締めた。
「あたしは尊が人間じゃなくても、それでよかったのに……」
「未空は私が人間ではないことを知っているんじゃないかって思ってた。でも確信はなかったんだ。でも、椛が人間ではないことを言い当てた時わかった。未空は最初から私が人間でないことを知っていたんだと……。不思議な人間だな未空は……」
 楓が尊に駆け寄り、傷の治療をはじめた。
「同属のお姉ちゃんを死なせるわけにはいかないから」
 尊は苦笑を浮かべた。
「敵に情けをかけられるなんてな……。私なら大丈夫だ、人間と違い、心臓を射ぬかられたくらいでは死なない。数日の間、ここでこうして倒れていなければならないだろうがな……」
 尊は廊下の先を指差した。
「私のことなど放っておいて、仲間を助けにいけ。琥珀は人間に容赦しないだろうからな」
 楓はそう言われても治療を続けようとした。悠樹もまたここに残ろうとしたが、そんな二人の手を強引に未空が引っ張った。
「輝クンたちが死んでもいいの? 早くいきましょう!」
「でも、尊さんをここに残してはいけない」
「尊お姉ちゃん、このままだと死んじゃうかもしれないよぉ」
 未空は普段は絶対出さない大声で怒鳴った。
「輝クンたちが死ぬわよ!」
「未空の言うとおりだ。私など置いて早くいくんだな」
 未空に強引に引っ張られて、悠樹と楓は無言で背中を引っ張られる思いでこの場から立ち去っていった。
 未空は決して振り返らず誰に見せない前顔は、大粒の涙が光っていた。
 残された尊は深く息をついた。
 心臓を刺されても人間と違い、そう簡単には死なない。だが、未空のナイフは普通のナイフではなかった。
 普段ならば、傷口は数秒も経てば塞がるはずなのだが、この傷からは今も血が流れ出ている。
「私は少し人間の世界に溶け込みすぎたようだ……」
 尊はそう言ってゆっくりと目を閉じた。

 広いロビーで琥珀は狐の姿なり、椛と戦っていた。輝もこの場にいるが、普通の人間には手出しができない状況なので、コンクリートの壁に隠れて椛を応援することしかできなかった。
 琥珀の放つ炎が乱れ飛びながら椛に襲い掛かる。椛はそれを掻い潜るように避け、的を外れた炎は地面の表面のビニル樹脂を溶かし、下のコンクリートまでも焦がす。
 椛の放つ矢も琥珀の素早い身のこなしで避けられ、両者一歩も譲らぬ状況だ。
 咆哮を上げるなり、琥珀は巨大な狐火を口から吐き出し飛ばした。椛は小回りの利く身体で身を翻しながら避けると、琥珀の横に回った。
 琥珀は首を横に振りながら再び巨大な狐火を吐き出し飛ばしたが、椛はすぐに琥珀の後ろに回って矢を放った。
 振り返ることもできず、背後から矢を受けた琥珀の身体には大きな穴が空いた。
 一瞬表情を崩した椛であったが、すぐにその表情は曇っていった。
 琥珀が身に纏う炎が穴の空いた身体に吸い込まれるようにして傷口を塞いだのだ。炎を纏う琥珀は傷ついてもすぐに完治してしまう。
 燃え盛る琥珀は本気であった。椛が自分たちの仲間になることを強く望んでいたが、それが叶わぬと悟ったからだ。
「椛が敵である以上、それは脅威でしかない。計画なんてもうでもいい、君を愛した僕の手で君を必ず滅ぼし、僕も滅びよう……」
 琥珀の炎は激しさを増し、業火と化したその光は陽光のように辺りの闇をまばゆく照らした。
 意識せずとも琥珀の炎は辺り一面に飛び散り、壁や地面を焦がす。
 再び炎を吐き出す琥珀。椛はその圧倒した姿を見て勝てないことを悟り、避けることさえを忘れた。
 巨大な炎の塊が椛を喰らう瞬間、椛は輝によって押し飛ばされた。
「熱ーっ!」
 椛を助けた輝の右腕は服が真っ黒に焦げて、肌は焼け爛れていた。
「マジ、熱かった。てゆーか重症か!」
「大丈夫だよ、皮膚の表面が少し焼けてるだけだから」
 椛はすぐに輝の治療をしたいが、琥珀がそれを許さない。
「二人とも焼き殺してやる!」
 大きな口を空けた琥珀の口の中に椛は矢を放った。それにより琥珀は一瞬怯み、その隙に輝と椛は琥珀との間合いを取った。
「輝はまた隠れてて、傷は後で治してあげるから」
「わかった」
 輝が再び壁の後ろに隠れると、椛は弓矢を構えながら琥珀に向かっていった。
 椛と琥珀の戦いは、今の現状では椛が不利に思える。だが、輝には大したことができない。
 その時だった。輝のもとへ誰かが駆け寄ってきた。
「あー、もう、ホント恐かった!」
 それは涙目で息を切らせている綾乃だった。
「死にそうなくらい恐かったんだから!」
「他のやつらはどうしたんだよ」
「知らないわよ!」
 綾乃は感情が高ぶり少しキレ気味だった。
 輝は綾乃が弓矢を持っていることに注目した。
「何だよ、その弓矢?」
「超強力な武器なんだけど、霊能力みたいなのがないと撃てないのよ」
「ちょっと、貸してみろ」
 輝は綾乃から強引に弓矢を奪うと琥珀に向けて矢を撃とうとした。しかし、矢を引くことはできなかった。
「何でだよ?」
「だから、普通の人じゃ無理なんだって!」
 輝が懸命に矢を飛ばそうとしている中、椛は琥珀の戦いは激しさを増していた。
 炎を飛ばす琥珀に椛は一歩も近づくことができなかった。矢を放ったとしても軽がると避けられる状況だ。そして何より、今の椛は二人に分かれている分、その力も半分になっていた。
 椛にとって状況は最悪だ。けれども椛はあきらめはしなかった。さっき、輝が傷ついてしまったのは自分のせいに他ならないのだから、もう、あきらめるわけにはいかない。
 今の椛の最大の武器は小さな身体を生かした小回りの利いた素早い動きだ。その動きを生かして椛は琥珀の背後に周り矢を放とうとした。しかし、同じ手は二度も通用しなかった。
 椛が矢を放とうとした瞬間、それを読んでいたように琥珀が素早く炎を吐いた。それを避けるに精一杯で椛は矢を放つことができなかった。だが、矢は以外な方向から飛んで来た。
 輝はついに矢を放つことに成功し、矢は琥珀の身体を掠めるように飛んでいった。矢は弓矢の腕前とは関係無しに使用者の思い通りに矢を飛ばすことができると未空は言っていたが、輝には矢を飛ばすだけで精一杯で、矢のコントロールまではできなかった。
 矢は琥珀の身体を掠めただけだったが、それだけでも琥珀の身体の三分の一が消し飛んだ。
「すんげぇ、マジすっげえ!」
 輝は感嘆の声を上げてはしゃいだが、琥珀の身体は自らの炎にとってすぐに復元され傷一つなくなった。
 輝は顔面蒼白になり、すぐに再び壁の後ろに隠れた。
「何だよ、反則だろうがあの再生能力は!」
「でも、輝すごいじゃないの! どうして矢が撃てたのよ?」
「知らねぇよ、無我夢中でやったらできたんだから。そうだ、星川さんにオレは潜在的には魔力とか霊力みたいな力を持ってるって言われたような気が……」
「きゃーっ!」
 綾乃が突然悲鳴をあげた。
 輝が綾乃の視線の先を見ると怒りに燃える琥珀が立っていた。
 すぐに輝は綾乃の手を取って逃げ、間一髪のところで琥珀の炎から逃げた。輝たちのいたところは黒く焼け焦げてしまった。もし、少しでも逃げ遅れたら丸焼けになっていたに違いない。
 琥珀は輝たちに気を取られている間に椛の矢を背中に幾本も浴びた。しかし、琥珀は少しも怯むことなく輝たちを追った。
「人間風情が脅威になろうとは!」
 琥珀はまさか輝によってあんなにも強力な一撃を喰らうとは思っても見なかったのだ。今の琥珀には輝しか見えていなかった。
 輝と綾乃はロビーを抜けて琥珀の追撃から逃げた。時折、炎の塊が二人の上や横を通り過ぎるが、どうにか当たらずに済んでいる。それは、琥珀の後ろを追う椛が弓矢で琥珀の攻撃を妨害しているからに他ならない。
 逃げ回る輝と綾乃はやがて廊下の端まで来てしまい、階段に差しかかった。
「ここ何階だと思う?」
「とりあえず下にいきましょう」
 二人は示し合わせるように互いの顔を見てうなずくと、階段を駆け下りた。
 階段を下りている途中で炎の塊が雨のように振って来たが、どうにか無傷で逃げ切ることができた。
 階段を駆け下りた輝と綾乃は後ろを振り返ることなく、無我夢中で逃げた。その間も後ろからは琥珀の咆哮と共に炎の塊が飛んで来ていた。
 玄関ロビーが見えて来て、そこを抜ければ外に出られると思ったその時だった。琥珀の吐き出した紅蓮の炎が渦巻きながら綾乃の背中に命中した。
「きゃーっ!」
 炎は服に引火して熱さと痛みによって綾乃は廊下を転がりまわった。炎はすぐに消えたが、綾乃の背中は服も肌も焼け焦げ、髪の毛も背中に面していた部分が焼けて独特の異臭を放っていた。
「うっ……うっ……痛いよ、死にそうなくらい痛いよ」
「死ぬわけないだろうが!」
 輝は綾乃を抱きかかえるとロビーに向かって走った。
 ロビーに着いた輝と鉢合わせになるように、別の方向からちょうど未空が走ってきた。その後ろには悠樹と楓もいた。
 輝は楓たちに向かって叫んだ。
「綾乃が重傷を負ったから楓ちゃん治療を頼む、二人は綾乃についてやっていてくれ」
 輝は綾乃を床に仰向けに寝かせた。そこにすぐに楓たちが駆け寄って来て、楓は綾乃の治療を始めた。
 輝はすぐに自分が走ってきた方向に弓矢を構えた。すると、すぐに琥珀がロビーに現れた。刹那のうちに輝は矢を放った。
 矢はまたも琥珀の身体を掠めるだけだった。だが、それでも威力は強力で琥珀の頭を吹き飛ばした。
「やったか?」
 頭を吹き飛ばしても輝には不安が残る。
 頭を失った琥珀の後ろから椛のよって矢が放たれ琥珀の身体を幾本もの矢が貫いた。残酷とも言える容赦ない攻撃であるが、相手は驚異的な再生能力を持っていた。
 琥珀の身体が炎に包まれ、その身体が再び復元された。
「ウソだろ、もういい加減にしろよ!」
 輝は再び矢を放とうとしたが、矢が切れた。矢を全て使い果たしてしまったのだ。
 巨大な炎が輝に襲いかかった。もう駄目だと輝が思った瞬間、綾乃の治療を終えた楓が輝の前に飛び出し、円舞を踊るようにして爆風を巻き起こし火を掻き消した。
「大丈夫ぅ、輝?」
「サンキュー、楓」
「もう、安心して楓と椛が揃えば恐いものなんてないもん!」
 椛&楓が琥珀を挟み撃ちにして、鋭い矢先を向けてチャンスを窺っている。
 戦線離脱した輝はすぐさま綾乃の様態を確かめた。
「だいじょぶかよ綾乃?」
「うん、楓ちゃんのお陰で傷と痛みは消えたけど、ちょっと体力が……」
 綾乃はじゃべっている途中で意識を失った。
 輝は驚いて綾乃を叩き起こそうとしたが悠樹がそれを止めた。
「大丈夫だ、眠っているだけだ」
「今あたしたちにできるのは、涼宮さんにつき添っていることと、椛ちゃんたちの戦いを遠くから見守ってあげることだけ」
 悠樹と未空がそうするように、輝もまた、二人の少女に運命を託した。
 椛&楓は阿吽の呼吸で矢を放った。琥珀はそれを上空に飛び上がり避けると二人に向かって炎を飛ばした。
 飛んでくる炎を椛&楓はまるで鏡のような動きで、同時に円舞を踊るにして爆風を巻き起こして炎を掻き消し、その風は炎を消してもなお勢いが治まることなく琥珀の身体を包み込んだ。
「くっ、なんだこの風は!?」
 風は琥珀の身体を上空に止め、その動きを封じた。
「「今のうちに輝の弓矢で!」」
 二人に同時に叫ばれたが、輝はどうすることもできない。矢は全て使い果たしてしまっている。
「そんなこと言われても、どうすりゃーいいんだよ!」
 輝の肩に未空が手を乗せた。
「輝クン、弓を構えて。葵城クンもあたしと同じように輝クンの肩に手を乗せて」
 悠樹は未空に言われたとおりに輝の肩に手を乗せ、輝の左右の肩には未空と悠樹の手が片方ずつ乗る形となった。
「どういうことだよ、何しろっていうんだよ!?」
「椛ちゃんたちがするように、矢をあたしたちの力で作り出すのよ。さあ、輝クンは矢を引くイメージをして、あたしと悠樹クンは目を閉じて輝クンに力を送るように念じるのよ」
 未空が目を閉じ、それに続いて悠樹も目を閉じると、輝に自分の力が流れ込むように念じた。
 輝も半信半疑だったが矢のイメージを頭の中に思い浮かべながら矢を引く動作をした。矢を引いているつもりの手には、確かに何かの手ごたえがある。
「「早くして、琥珀が逃げるよ!」」
 琥珀は身体を激しい炎で燃やし風の結界を打ち破ると、上空から今までで一番大きく激しく燃え上がる紅蓮の炎を咆哮と共に吐き出し輝に向かって飛ばした。
 輝は自分に向かってくる紅蓮の炎から逃げることなく矢を解き放った。
 弓から放たれた矢は光の刃と化して紅蓮の炎を突き破り掻き消すと、そのまま琥珀の身体を突き抜けた。
 琥珀は声にならない叫びを上げると、炎を全身に纏いながら地面に落下し、やがて琥珀の身体を包み込んでいた炎は静かに消え、そこには銀色の狐だけが残った。
 生き絶え絶えながらも琥珀はふら付く足で立ち上がると、廊下の奥の闇へ逃げようとした。だが、琥珀は途中で廊下の床に倒れこみ動かなくなった。その途端に、建物が急に揺れ始めた。
 椛&楓が騒ぎ出した。
「「力を失った建物が崩壊するよぉ!」」
 悠樹は綾乃を担ぎ上げて、力を使い果たして動けなくなっていた輝は未空の肩を出口へと歩き出した。椛&楓もそれに続いた。
 未空が急に足を止め何かを感じたように後ろを振り向き、他の者もそれにつられるようにして足を止めて後ろを振り向いた。
 未空の視線の先には、銀色の狐を抱きかかえた女性が立っていた。しかし、すぐに天井が崩落してその狐と女性の姿は見えなくなってしまい、女性が誰だったのかまで判別できなかった。
 誰も何も言わず、前を振り向き走り出した。
 病院の玄関を通り抜け外に出て、何十メートルも走ったところで、やっと足を止めて後ろを振り返る。
 大病院の廃墟は大きな音と共に脆くも崩れ去った。あのようすでは中に誰かがいたとしたら、決して助からないだろう。そんなひどい有様だった。

 廃墟の病院での事件から数日が経った日曜日の昼下がり、輝の家にあの事件に関わった全員が集まって来ていた。
 ダイニングで寛ぎながら、みんなで悠樹に焼いたクッキーを食べていた。
「「悠樹のクッキーおいしかったよ!」」
 声を揃えてそう言った椛&楓は手を繋ぎ、突然一人≠ノ戻った。
「悠樹はお菓子作りも上手なのね」
 美しい椛は笑顔までも美しかった。あの事件以来、椛≠ヘ一人に戻ったり、椛&楓に分かれることが自由にできるようになり、食事などの間は必ず椛&楓に分かれていた。
 クッキーを思う存分食べた綾乃は紅茶を飲んで一息ついた。彼女はあの一件で髪の毛が少し焦げてしまったのでショートカットでボーイッシュなイメージに変身していた。
「ふぅ……あれからもうすぐ一週間も経つのよね。未だにあの時のことが夢みたいに思えるけど、椛ちゃんは確かにここにいるのよねぇ」
 綾乃の話を聞いていた武が急に顔を膨らませた。
「ここにいるみんなは大冒険したのに、何でボクだけ神社の掃除なのさぁ。輝と悠樹がもっと早くボクに話してくれてたらよかったのに……、ボクってそんなに信用されてないの?」
「おまえなぁ〜、オレたちがどんな死ぬ思いしたかさんざん聞かせただろ」
 輝は呆れ切った口調で言うが、武はそんなことなど聞き流していた。
 一人黙々と紅茶を飲んでいた未空がティーカップをテーブルの上に置いた。
「それで、椛ちゃんはいつまでこの家にいるのかしら?」
 この言葉には妙な殺気というか、嫉妬が含まれていた。
 綾乃も未空に続いて同じようなことを言った。
「こんな絶世の美女≠ェ、いつまで男所帯の家にいるつもりなの?」
 やはりこの言葉にも妙な殺気というか、嫉妬が含まれているように思える。
 未空は輝を、綾乃は悠樹のことを同時に一瞬睨みつけた。――ように思えた。
 輝と悠樹は不思議な顔をしながら、互いの顔を見合わせ首を傾げた。
 何か嫌の空気を感じ取った椛は突然椛&楓に分かれた。そして、何かから逃げるように子供らしくはしゃぎだした。
 そんな椛&楓を見て、未空と綾乃は子供のふりして≠ニ思った。
 ここ最近、椛&楓の性格が掴めて来たような気がする。この二人は都合が悪くなると一人≠ゥら二人≠ノ分かれる。
 悠樹は自分のティーカップに紅茶を注ぎながら、二人で遊んでいる椛&楓を見て呟くように言った。
「仕様がないだろう、小春神社が取り壊されることになって、この二人の帰る場所がなくなったんだから」
 悠樹が椛&楓を本気で心配してこの家で面倒を看ているのはわかるが、未空と綾乃は少し不安だった。しかし、二人はここでムキになってボロを出さないように紅茶を同時にひと口飲んで黙った。
 武が自分の持ってきたバッグからある雑誌を出してテーブルの上に広げた。
「この記事見てよ」
「B級オカルト雑誌だろ?」
 つまらなそうに言う輝の目がだんだん大きく見開かれていった。悠樹は渋い顔をして目を細めた。
「俺と綾乃だな」
「ウソ!? これアタシ?」
 開かれたページに掲載されていた写真には、大鷲と人らしくものが写っている。そして、記事の一節にはこう文章が書かれている。大鷲に乗った悪魔が二人の人間を連れ去るのを偶然居合わせた地域住民が写真に激写。
 何かに気がついた未空は横のページを指差した。
「……これ見て」
 その記事には『怪奇ジャンピング女の恐怖』と題され、銀髪の女性が若い女性を抱きかかかえながら、家の屋根をぴょんぴょん跳び越えていったという証言をするインタビュー記事が掲載されていた。
 悠樹が失笑を浮かべると、それにつられて全員が顔見合わせて苦笑いを浮かべた。
 そんな中、輝が堪え切れなくなって空気を口から噴出した。
「ぷっ……はははっ、マジかよ、B級オカルト雑誌だろこれ?」
 そんな輝を見て悠樹は頭を抱えた。
「誰も信用しないと思うが、俺たちの顔が誰にもばれていないことを祈るのみだな」
 まだ、しばらくの間、悠樹たちの受難は続きそうな予感がした。


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