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第9話_破魔の弓 |
小春市某所にある今は廃墟と化してしまった立ち入り禁止の病院に琥珀と尊は潜伏していた。 琥珀と尊はすでに人間の世界での生活に溶け込み、互いにマンションで独り暮らしをしているのだが、ここ数日はこの病院で寝泊りをしていた。それには理由がある。 この病院が潰れた理由は人的要因だが、それを引き起こしたのはこの病院が建っている敷地に問題があった。この病院が建っている大地はこの地域のエネルギーを最も集めやすい場所で、そのエネルギーがあまりにも大きかっために、ここにいた人間たちが絶えられなくなったのだ。 人間たちには手の余る巨大なエネルギーを琥珀と尊は操ろうとしていた。 「だが、片割れだけでは私たちの計画には不十分だ」 「それはわかっているが僕も君も負傷して動くことができない。どうするんだい?」 「大丈夫だ、もうすぐ使い魔たちが到着する。そやつらにもう一人の椛を連れてくるように命じる」 尊は結界の中に閉じ込めている椛を見た。椛はここに連れて来られてから一言も口を聞いていなかった。 「あの時に邪魔さえ入っていなければ私の術で椛を仲間にできたのだがな」 「真堂と言う男のことだな。それに未空という女も図書委員で顔を合わせていたよ」 今になると琥珀の口から図書委員という世俗的な言葉を聞くと、とてもミスマッチな感じに聴こえる。 「未空は私の友達だった」 「あの未空という女は危険な存在だ。そう、あの図書室で最初に顔を合わせた時も僕の顔をじっと眺めて何も言わずに去って行った。すでにあの時に僕が人間でないことに気づいていたのかもしれない」 尊は心の中で思った。ならば私も、最初から人間でないとわかっていながら未空は友達として接してくれていたのか? 「星川未空……人間の中で最も理解できない人間かもしれないな」 そう言うと尊は遠い目をして物思いに耽った。夜の暗闇が深くなり、今は彼女の時間であった。 翌朝日が昇る前よりも早く起きた綾乃は学校には行かず駅に向かった。 「ごめ〜ん待った?」 綾乃が手を振る先には藍澄武がいた。 「綾乃っていつも待ち合わせに遅れて来るよね」 「だって寝癖が直らなかったんだもん」 毎回待ち合わせの時間に遅れて来るという綾乃の心理には、自分は相手よりも価値があり、相手は自分に従うのが当然だという傲慢な態度の現れだったりする。 今日この場所に呼び出したのは綾乃だが、この計画を持ちかけたのは武だった。 綾乃は昨晩輝の家から帰宅した後、電話で武に洗いざらい話して自分に協力するように仕向けたのだ。 超常現象おたくの武はすぐに綾乃の話に飛びつき、なんでそんなおもしろそうなことを輝と悠樹は自分に隠していたんだとちょっとムッとした。武は輝と悠樹に一泡吹かせる気満々だった。 武情報によると、電車で一時間半くらいの距離にある駅からちょっと歩いた場所にある神社に、ものすっごい霊力を秘めた弓矢があるらしい。 駅のホームにはまだ朝早いというのに微妙に人がいた。しかし、ラッシュアワーまでは時間があるのでシーンと静まり返っている。 駅内アナウンスが入り、すぐに電車が来た。ぼちぼち人が座っているがまだ全然席は空いている。 座席に並んで座った二人の片方はすでにぐったりで、もう片方はウキウキ感で心弾ませていた。ぐったりしているのが、朝が非常に弱い綾乃で、ウキウキなのが武だ。 武は昨日電話で綾乃と話している時から胸躍る気分で、昨日から一睡もしてなかったりする。 「いいなぁ、ボクも琥珀って妖怪見たいなぁ。妖狐が紅蓮の炎に包まれている映像を想像しただけで感動しちゃうよね」 「そんないいもんじゃないわよ。星川さんなんて月夜霊に矢で撃たれて殺されかけたんだから、あんな血だらけの服……思い出しただけでも寒気がするわ」 「でも本当にあの月夜霊さんなの? あの人がそんなことするなんてボクには今でも信じられないけど」 「クラス委員やってても悪い奴は悪い奴なの。だって、すごく仲のよかった友達を矢で撃つなんて普通の人にできることじゃないわ」 「う〜ん……」 まだ話だけしか聞いていない武には尊が悪い奴だったなんて未だに信じられない。その尊が未空を矢で撃ったなんてもっと信じられない。この話が事実だと知っても、多くの人が『まさか月夜霊さんが』と言うに違いなかった。 月夜霊尊は一年の入学時から小春西高校に在籍して、約一年の間に優等生で美人で誰にでもやさしく接してくれる人として、女子生徒を中心に慕われる存在としての地位を確立していた。その尊が実は人間じゃなくて、未空を矢で射抜いたとなると、天地がひっくり返るに等しいことだった。 電車に揺られて一時間半ほど経った頃二人は電車を降りた。 駅は小さくホームと改札口以外の余計なものは無かった。 駅の外は朝の清々しい空気で満ちていて、景色から判断できるだけでも都心からは離れたことがわかる。 辺り一面広がる野原と田んぼと畑。そして、山が大きく見える。 家と家との距離がだいぶ離れた位置にあり、遠くの方に比較的大きなスーパーっぽいお店があるが、コンビニはどこにあるのだろうか、ゲームセンターはどこにあるのだろうか、デパートはどこにあるのだろうか? 朝のせいもあるかもしれないが、そこから中から鳥の鳴き声が聴こえる。都会でも聞けるスズメやカラスの鳴き声だけではなく、綾乃が名前を知らないような鳥の鳴き声も聴こえる。 「のどかな田舎ね」 綾乃が口に出すまでも無く田舎だった。 「ここからちょっと歩いたところに神社があるんだよ」 「……ちょっとね」 この風景を前にしての『ちょっと』とはどのくらいの距離を示す言葉なのか、綾乃は不安になった。 畑の横の満ちを通り、武に道を案内されながら綾乃は武のやや後ろを隠れるようにして歩いていた。 いつもなら綾乃は知らない土地でもどんどん先を歩いていってしまうタイプなのだが、綾乃にとって田舎は知らない土地ではなく、秘境だった。 道すがらすれ違う人から挨拶をされてりしたので武は元気よく笑顔で挨拶を返すが、綾乃は少ししどろもどろで返した。ここの土地で会う日本人は、綾乃にとっては言葉の通じない宇宙人に等しかった。 普段の綾乃は少し気が強くて強引なところがあるが、自分の知らない環境にはとても弱いのだ。 だいぶ歩いた頃、鳥居と長い階段の前まで到着した。 何百段もありそうな階段を目の前にして綾乃はぐったりした表情を浮かべた。 「これ昇るの?」 「うん、この山の上に神社が建ってるんだよ」 「ふ〜ん」 この『ふ〜ん』は納得ではなく、あきらめから出た言葉だ。 階段は長くて急だった。普段運動をしない者にはひどく辛いに違いない。筋肉痛は確実だ。 綾乃にはこの階段が罰ゲームのように思えた。学校で放送部に所属している文化部系の綾乃にはこの階段は上れそうにない。彼女は体育も嫌いで汗をかくことも嫌いだった。 それに比べて武は軽快なステップで楽々階段を上って、綾乃の遥か頭上で手を振っている。彼が学校で入っている部活動は剣道部で、それに加えて毎朝近所の周りをぐるぐるジョギングしていて、持久力には自信があるのだ。 体力の有り余っている武はご丁寧なことに、綾乃の元まで降りて来ては急かして上に登り、また降りて来ては急かして上に登るということは何十回も行った。 結局綾乃は一度も武に手を貸してもらえないまま階段を登り切った。武は運動系のことには決して手を貸したりして助けたりはしないのだ。 この神社は小春神社に比べるとものすごく大きかった。境内はだいだいサッカーの試合ができるくらいの大きさだし、本殿はその半分くらいの大きさで、近くにはこの神社の神主の住居などがある。 疲れ切っている綾乃は前を歩く武だけを見て進んだ。そして、何も考えずに武の後について行くと綾乃はいつの間に建物の中に入っていたようだ。 どうやらここは民家の玄関のようだ。 武が大きな声で叫んだ。 「こんにちわーっ!」 すぐに背筋のぴんと伸びた威厳のありそうな老人が現れた。 「おお、よく来たな武。元気にしとったか?」 「ボクはいつでも元気だよ」 どうやら老人と武は知り合いらしいが、この老人はどこの誰で、武とはどのような関係なのだろうか? 綾乃がゆっくり手を上げた。 「あの、こちらの方は誰?」 「この人はボクのじっちゃんでこの神社の神主だよ」 「お嬢さん初めまして、わしはこの神社で神主をしておる葉月光伸と申す者じゃ」 「アタシは涼宮綾乃っていいます」 綾乃はぺこりとお辞儀した。 「都会っ子のお嬢さんにはあの階段は堪えたじゃろ? 家の中にお上がんなさい、茶でも飲んでゆっくり休むといい」 武は靴を丁寧に揃えて家の中に上がった。綾乃はいつもなら適当に靴を脱ぎ捨てるのだが、今日は武に習って靴を丁寧に揃えて家の中に上がった。そうしないとこの老人に激しく怒られそうな感じしたからだ。 老人によって居間に通され綾乃と武は出された座布団の上に座った。この時、綾乃はいつもならば足を崩して座るのに今日は正座をしてしまった。 一度姿を消したかと思った老人はお茶とお茶菓子を持って現れた。 「ところで武はいつも来ているからよいとして、お嬢さんは何の用で来なすった?」 「アタシは武にここに霊力を秘めた弓矢が奉納されていると聞いて連れて来てもらったんですけど?」 「あの弓矢がどうかしたかの?」 「ぜひ、貸していただけませんか?」 神主である葉月老人は少し考え込んでしまった。考えると言うことは貸しくれる見込みがあるということなのか? 「駄目じゃな。あの弓矢を貸して欲しいということは、それなりの理由があるのじゃろう。だがな、あの矢はこの神社を守る神器じゃからな、この神社から外へ出すわけにはいかんのじゃよ」 「えぇ〜、そんなぁ」 武はあきらめつかないようすで祖父の顔を覗き込むが、葉月老人は首を横に振るのみだった。 綾乃はお茶を一気に飲み干し立ち上がると、武の腕を掴んで立たせた。 「仕方ないわよ、大事な神器ですもの……、帰りましょ」 「腕引っ張らないでよぉ、ボクまだお菓子もお茶も飲んでないのにぃ」 「もう帰るのかの?」 綾乃はお辞儀をして、 「失礼しました」 と言うとここに残ろうとする武を引っ張って玄関を出た。 「お茶とお菓子……」 「そんなのどうでもいいでしょ!」 「よくないよ、あのお茶高級玉露で一〇〇グラム七〇〇〇円もするんだよ。それにお菓子だって高級和菓子でおいしいんだから!」 武は食へのこだわりを強く持っていて、祖父の家で出されるお茶とお菓子を毎回楽しみにしていたのに、今日は相当ショックだったのだ。 「そんなことよりも、弓矢ってどこに奉納されてるの?」 「えっ、弓矢? 弓矢は本殿に祭られてると思うけど?」 「じゃあ、取りに行きましょう」 「ええっ!? それってまさか……盗み出すってこと!?」 「ちょっと借りるだけよ」 ちょっとも何もない。立派な窃盗だ。 「そんな、じっちゃんに言わないで借りるのは……」 「じゃあ、アタシが弓矢を勝手に借りて帰った後に、武が借りましたって伝えといて」 「何それ、意味ないよそれじゃあ……、でもぉ、仕方ないか。黙って借りていこう」 武は綾乃の妙な威圧感に押されて仕方なく綾乃の話を呑んだ。 「じゃ、決まりね」 二人は神社の本殿の中へこっそり侵入することにした。 扉を開けて靴を手に持ち中に入ると、そっと扉を閉めた。 本殿の中は静けさと荘厳な雰囲気で満ち溢れていた。ここで悪いことをしたら必ず神罰が下るに違いない。ここにいる二人はそんな中、悪いことをしようとしていた。 神器である弓矢は盗んでくださいと言わんばかりに、強い存在感で遠くから見えるようば位置に堂々と置かれている。 「あんなわかりやすく置いてあるなんて、盗まれないのかしら?」 今ここにあるということは、恐らく盗まれたことがないということだろう――今の今までは……。 心臓バクバクの武が見守る中、綾乃はすんなり易々と弓矢を手に取った。 その時、場の静かな空気を一気に壊すように扉を開く音が鳴り響いた。 綾乃と武が急いで振り向くとそこには、日の光を背に浴びた人影が! 武は思わず叫んだ。 「じっちゃん!」 「おぬしら、神器をどうする気だ、神罰が下るぞ!」 威圧感を含んだ恫喝で武はすでに目に涙を溜め、綾乃も身をすくめて弓矢を落としてしまった。 弓矢が床に落ちた音で我に返った綾乃は、ひどく慌てたようすで弓矢を拾い上げて言葉を口から搾り出した。 「ご、ごめんなさい、えっと、その、あの、弓矢を盗もうとしてごめんなさい。あと、落としちゃいましたけど、たぶん、壊れてませんから……」 バチン! と弓の弦が切れた 綾乃は蒼ざめ変な汗がどっと流れた。すぐ横にいた武も完全に固まり、声すら発せられなかった。 どっしりとしていて威厳のある足取りで葉月老人は綾乃の前まで来た。思わずここで綾乃はごくんと喉を鳴らす。 「何てことを仕出かしてくれたんじゃ。そのレプリカなかなかの値段なんじゃぞ」 「はっ、レプリカ?」 思わず聞き返してしまった綾乃から弓矢を取り上げた葉月老人は、どうにかして弦を直そうとしながら話した。 「この弓矢は壊れたり紛失してもよいように本物ではなくレプリカでな、本物は厳重にしまっておる。盗もうとしたんじゃろうが、残念じゃったな」 内心ほっとした綾乃と武であったが、この後にまだ怒られるのではないかと冷や冷やしていた。 「壊れてしもうた物は仕方がない。形あるものはいつかは壊れるものじゃ。さて、二人とも、盗んでまで弓矢が必要な理由を言うてみなさい。場合によっては貸してやらんこともない」 まさかの展開に綾乃と武は心弾ませた。そして、二人の話を聞き終わった葉月老人はある条件を出した。 「そうか妖怪が……この矢はもともとそのための物じゃし、よし、貸してやろう、一万円で」 「一万円って何だよ、じっちゃん 「レプリカの修理代じゃ」 綾乃はこの爺さん少しガメツイと思ったが、壊した物の修理代を請求するのは当然とも言える。 弓矢を壊したのは自分なのだからと綾乃は財布を取り出した。 「一万円か……なかなかの出費よね」 「お嬢さんは払わなくてよい」 「どうして?」 財布から一万円札を出そうとしていた綾乃を葉月老人の声が止めた。 「武が払いなさい。おまえがついていながらこんなことを仕出かすとは、まだまだ精神の鍛錬が足りん証拠じゃ」 「そんなぁ〜、ボク一万円も持ってないよ」 「じゃったら、神社の掃除を隈なくしていきなさい」 「それもヤダよぉ、だって今日中に終わらないよ。明日も学校あるし」 「今日も学校をサボってここに来たのじゃろうが、つべこべ言わずに神社の掃除をしなさい!」 結局武は葉月老人によって軟禁状態で神社の掃除をさせられるハメになり、綾乃は音沙汰なしで帰された。 綾乃は武に何度も謝って神社を独り後にしていった。 トゥプラス専用掲示板【別窓】 |
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