智慧の林檎

《1》

 月に行くと聞いて、トッシュは度肝を抜かした。
「月面だと? マジで言っているのか?」
 もうひとりのほうは今にも歌い出しそうなくらいニコニコしている。
「ロマンがあっていいじゃないですかぁ。世界中を旅してきましたが、月ははじめてなのでワクワクです」
「あんたも来んの?」
 アレンは冷めた態度でワーズワースに言った。
「えええっ!? 行きますよ、だって月ですよ月。このチャンスを逃したら次はないですからね」
 問題はこの時代にどうやって月に行くかだ。もちろんロストテクノロジーの助けなしでは無理だろう。この飛空挺〈インドラ〉では大気圏を脱出できない。
 トッシュは懐疑的だが、リリスならばと顔を向けた。
「リリス殿はどうやって月に行く気で?」
「さて、どうしたものか」
 これまで人知を超えた不可思議な現象を起こしてきたリリスですら、その方法をまだ思い付いていないらしい。
「昔は簡単に行けたのじゃがな……この時代にあるもので行くとなると、さてはて」
 方法はいくつも確立されている。問題はこの時代でもできる方法だった。
 手のひらの上にワーズワースは拳をポンと乗せた。
「そういえば、太古の昔、天からつり下がる神の糸により、人々はそれにぶら下がって空の向う側に行ったなんて伝承があるような気がします」
 それがなんであるかリリスはすぐに理解した。
「軌道エレベーターじゃな。赤道付近の海洋にプラットフォームがあっての、そこからエレベーターで宇宙まで行けるのじゃが……まだ生きておるか?」
 軌道エレベーターとは、静止軌道上の人工衛星などのステーションと地上を結ぶエレベーターである。静止軌道のある衛星などは、常に地球と同じ面で向き合っているため、衛星からエレベーターを吊り下げる形で、その運行を実現させる。それでも地球と衛星は常に同じ位置と距離を保っているわけではないので、その誤差を考慮して海上にプラットホームをつくるのが好ましい。
 メカトピアの住人たちは、秘密裏に人間たちの世界を観察してきた。ジェスリーは使われなくなった軌道エレベーターのことも知っていた。
「残念ながら、軌道エレベーターは劣化に耐えきれず、すでにエレベーター部分が千切れ海上に落ちてしまいました」
 これで方法が1つ消えた。
 アレンはなにか思い付いたようだ。
「そういやさ、隠形鬼とかがいきない現れたり消えたりするあれなんなの? あれで月まで行けないわけ?」
 空間転送はライザいわく自由にできない。隠形鬼はそれよりも自由に行っているらしいが、それでも万能というわけではないだろう。現実の世界には種も仕掛けもあるのだから。
 なぜか艶笑しながらリリスが口を開く。
「月への空間転送装置はごくごく秘密裏に運用されておった。空間転送の技術は人間の歴史の中でもっとも優れた技術じゃった」
「レヴェナ博士が開発されたものです」
 ジェスリーが口を挟み、リリスは眼を深くつぶることで頷いた。
「そうじゃ、わしの姉レヴェナが生み出した。じゃが、その〝危険さ〟ゆえにすべて破壊されることになったのじゃ。装置や技術に関する資料すべて徹底的に、なにもかも此の世から消し去られた。それでもひとの頭の中には残るもの。忘れられず微かに残っていた断片を実用化するような現代人がおったことには驚きじゃがな」
 危険さとは今のリリスのようなことを示しているのだろうか?
 ほかにもライザがセレンに危険性を語っていた。
 転送装置の案も消えた。
 どうすれば月に行けるのか?
 みな押し黙ってしまった。リリスに思い付かないことをほかのものが思い付くのか?
 ジェスリーが提案する。
「わたくしなりに宇宙に行く方法を検討したのですが、この飛空挺で行くというのはどうでしょう?」
 トッシュが苦笑する。
「無理に決まってるだろう」
「たしかに現状では無理です。が、それは出力の問題です。機体の構造上、大気圏を脱出でき、宇宙でも充分対応できると思います。プロペラ式ではなく、魔導式の浮遊技術を使っていますので、真空状態でも飛行が可能です」
 アレンが口を挟む。
「なに真空って?」
 順番にトッシュ、ワーズワースと顔向け、ジェスリーが答える。
「空の上を宇宙空間と言います。そこには空気がないのです。つまり息もできない場所ということです」
「死ぬじゃん!」
 本気でアレンはビックリした。
「問題ありません。水中でも酸素ボンベがあれば呼吸ができますでしょう?」
 ジェスリーはわかりやすく言ったつもりだったが、この地域に住む者たちは海と言えば、砂の海である。泳げない者も多い地域で、海中にもぐる酸素ボンベという物を知っているかどうか。
 アレンはトッシュに顔を向けた。
「わかったかよ?」
「ああ、俺様はばっちりわかった」
「ホントかよ?」
「マジだ」
 はっきり言って二人ともあやしい。
 ジェスリーの提案が正しいのか、トッシュはリリスに尋ねる。
「リリス殿はこの飛空挺で月に行けるとお思いで?」
「さて、わしはこの飛空挺についてよく知らん。この躰じゃ調べることもできんしな」
 再びみなの視線がジェスリーに集中する。
「可能です。出力さえどうにかすればですが。つまり、現在の動力源をもっと強力なものに変更する必要があります。さきほど動力室を見てきましたが、銃の形をした魔導具を動力にしているようでした」
 それは〈ピナカ〉だった。
 エネルギー源となる強力なロストテクノロジー。
 キュクロプスを飛ばしていたのは、帝國を沈め砂漠を海に変えた〈スイシュ〉だ。
 さらに条件がある。
「この飛空挺に転用できるようなものでなくてはなりません。大きさもだいたいわたくしが両手を広げたくらいの直径が上限かと」
 大雑把に2メートル四方といったところだろうか。
 そして、ジェスリーはその目星もつけていた。
「それに適したものは〈黒の剣〉です」
 あの煌帝ルオのもつ大剣だ。その破壊力はすでに証明されている。が、アレンらはその一端しか知らない。
 本当に〈黒の剣〉で月に行けるのか?
 ならば〈ピナカ〉も相当な破壊力を持っているはず。あの稲妻の魔導砲を打ち出せるくらいだ。
「たしかに〈黒の剣〉なら可能じゃな」
 と、リリスは静かに囁いた。

 煤だらけになった顔。
 息を切らせながら躰を引きずるように歩く少年と少女。
 シスター・セレンは生きていた。
 彼女が肩を貸して共に歩いているのはルオ。
「どうして朕を……助け……る?」
 今にも絶えそうな弱々しい声。その顔には玉の汗が滲み、全身から高熱を発している。
「だってあなただってわたしのこと、助けてくれたじゃないですか?」
「そんなつもりはなかった」
 ――革命軍駐屯地、鬼械兵団襲撃。
 人々が気づいたとき、すでに炎に包まれていた。なにが起こったのかわからぬまま、鬼械兵の襲撃に逢い、武器を取るも相手には効かず、為す術もなく革命軍の兵士たちは倒れていった。
 駐屯地は川からほどよい距離に仮設されていた。襲撃時、セレンは川に水を汲みに行っていたのだ。そして、帰ってきたセレンはその光景を目の当たりにして、水の入ったバケツを地面に落としてしまった。
 灰と化した駐屯地。
 鬼械兵と眼が合ってしまった。
 逃げようと振り返ったセレンだったが、その先には艶笑を浮かべる火鬼が待ち構えてた。
「逃げないでくんなまし」
 セレンは横を振り向き逃げようとした。だが、その先にも鬼械兵。さらに反対側を振り返った。
 ――魔獣がいた。
 火鬼も気づき眉をひそめる。
「ルオの坊ちゃんでありんすか?」
 返事はなかった。
 〈黒の剣〉が唸り声をあげたと同時、鬼械兵の群れが真っ二つに割られていた。音を立てて、胴が崩れ落ちる鬼械兵。次の瞬間に巻き起こった爆発。
 煙と風にセレンは顔を腕で守りながら眼をつぶった。
 すぐさま火鬼は炎を放つ。セレンごとルオを始末するつもりだ。
 風よりも早く駆けたルオは〈黒の剣〉を地面に投げ、セレンを抱きかかえたかと思うと、サーフボードのように〈黒の剣〉に乗ったのだ。
 二人を乗せ高く舞い上がる〈黒の剣〉。その真下を渦巻き抜けた炎。
 炎の海を渡る〈黒の剣〉。
 ルオはセレンを天高く投げた。
「きゃーっ!」
 悲鳴に構わずルオが見つめているのは火鬼。
 足下の〈黒の剣〉を両手に持ち、空から火鬼に向かって振り下ろす。
「うぉぉぉぉぉぉっ!」
 舞い踊りながら火鬼が扇から炎を繰り出した。
「袋の鼠でありんす!」
 ルオを呑み込まんとする炎の渦。
 風が巻き起こった。炎が酸素を燃やし起こした風ではない。〈黒の剣〉が唸り声をあげている。
 なんと炎が闇色の〈黒の剣〉に吸いこまれていく。色づくもの、光り輝くもの、炎を喰らう〈黒の剣〉。
 一刹那の判断で火鬼は身を反らせた。
 〈黒の剣〉は大地に叩きつけられ、傍にいた火鬼が大きく振り飛ばされてしまった。
 まるでそれは大地に奔る稲妻。巨大な亀裂に鬼械兵たちが落ちていく。
 崖となった亀裂に片手でぶらさがっている火鬼。蒼い顔をしていた。
「なんだいあのゾッとする剣は……」
 斬られるという恐怖ではなかった。だから避けたのではない。得体の知れない恐怖を感じて、本能的に身を反らせたのだ。
 空から落ちてきたセレンをルオは受け止めた。
 しかし、それと同時にルオは膝を地面についてしまった。
 顔色が悪い。苦しそうな顔をしながら、ルオは肩で息を切っている。
 セレンはルオの顔を見つめた。髪の毛は伸び、顔や体中には紋様が奔っていたが、それがだれのかすぐにわかった。
「シュラ帝國の……」
「……ハァ……ハァ……」
 セレンの声も耳に入っていないようだった。今にも気を失いそうに、ルオは薄目を開けて耐えている。
 まだ火鬼はいる。鬼械兵もいる。逃げなくてはセレンは思った。
 セレンはルオに肩を貸して必死に駆け出した。
 無我夢中でセレンは気づかなかった、遠い空に浮かぶ飛空挺の姿に――。
 割れ目から這い上がった火鬼は鬼械兵たちに待機を命じていた。そして、空を見上げて待ったのだ。
 運良く火鬼から逃げることのできたセレンは、川に向かって駆けていた。広大な大地で川はひとつの道しるべだったからだ。このときルオはすでに気を失っていた。
 ――それからどれほどの刻が経ったのだろうか?
 川沿いを歩いて進んでいると、背負っていたルオが目を覚ました。
 意識を取り戻しても、まだルオのひどく具合が悪そうで、セレンに肩を借りて歩くしかなかった。
 ――そんなつもりはなかった。
 と、言ってからルオは足を止めた。
「ここまででいい……朕を置いて先に行け……ハァハァ」
「疲れましたか? ならここで少し休みましょう。なんだかもう追ってこないみたいですし」
 ニコッと笑ったセレン。その顔には疲労が滲んでいる。大の大人ではないとはいえ、ルオを背負って逃げてきたのだ。少女の身には負担が大きい。
 川沿いには草が茂っていた。この川もつい最近できたばかりだった。
 セレンは川の水を手ですくった。
「キラキラしててすごく綺麗な水ですよ」
 のどを鳴らしてセレンは水を飲んだ。
 ルオも川の水を飲む。顔ごと水につけて豪快に飲んだ。
 川から顔を離し、止めていた息を一気に吹き出す。
「はぁっ……ふぅ……」
 手の甲で口を拭ったルオはセレンに顔を向けた。彼女は笑っていた。
「なにがおかしい?」
「さっきまであなたのことがすごく恐かった。でも、今はそれが和らいだ気がして……助けてくれてありがとうございます」
「だからそんなつもりはなかったと言っているだろう」
 理由はどうあれ、結果としてはセレンを助けることになった。けれど、なぜルオはあの場所に来たのか?
「あなたはシュラ帝國の皇帝ですよね?」
 和らいだといっても、その声音には畏怖が含まれていた。
「そうらしいね。けど昔のことは覚えてない」
「記憶喪失!?」
 セレンは驚きを隠せない。
 死んだとされたルオは生きていた。それだけでも驚きなのに、記憶喪失とは思ってもみなかった。それに気になるのは、その姿の変貌だ。
 まるで野性に還ったかのような風貌――魔獣である。
 記憶喪失の者が、なんの目的であの駐屯地を訪れたのか、さらに気になってきた。
「どうしてあの場所に来たんですか? 鬼械兵団が現れるのを知っていたんですか?」
「あの機械どもはたまたまあの場所にいただけさ。朕の目的は此の世にいるすべての軍隊を制圧すること」
「この世界を支配するつもりですか!」
 言葉に滲んだ怒り。シュラ帝國の煌帝はどこまでも煌帝なのかとセレンは思ったのだ。
 しかし――
「支配者には興味ない。陳腐な言葉になるけど、朕の望みは平和だ」
「えっ?」
 予想外の言葉にセレンは驚いた。
 空に暗雲が立ち籠めた。
 稲妻が大地を穿つ。
 空から降ってきた〈黒の剣〉。
 ルオは闇よりも暗き大剣の柄を握り締めた。
「歯には歯を、目には目を、毒を喰らわば皿まで。戦乱の世は武力によって制する。そのためならば、死人の山をいくつでも築こう」
 ただの少年には浮かべることのできない妖しい笑みを煌帝は口元に浮かべた。
 畏怖。
 震えながらもセレンはのどから声を絞り出す。
「そんなの間違ってます!」
「どうして?」
 静かに問われた。
 まるで自分のほうが間違ってる感覚に襲われながらも、それをセレンは振り切った。
「だって、平和と戦争は相容れません。ひとが傷つくことのどこが平和なんですか!」
「課程でひとが傷つくのは仕方ないことだ。武器を手に取る者は皆殺しにしなければ真の平和は成し遂げられない」
 絶対者の裁き。極論の中の極論であった。
 ルオは自らも武器を取る者であることを承知している。だからこそ毒を食わば皿まで、罪であることを知りながら、ためらわず最後まで悪に徹するつもりなのだ。
 歯には歯を、目には目を、悪には悪を――。
 ルオは天を見つめた。
「胸騒ぎがする」
 飛空挺〈インドラ〉の影。
 この場にアレンたちが来ようとしていた。

《2》

「間違いありません。高エネルギー反応はあの場所からです」
 操縦席でジェスリーはモニターを確認していた。
 〈黒の剣〉を手に入れるのが目的だったが、ルオや〈黒の剣〉を直接探すのではなく、高エネルギー反応をレーダーで探していたのだ。戦場でルオを見て、飛空挺が墜落して搭乗者が気を失い、生存者の捜索や火鬼との戦闘、リリスとの話から月に行く方法の模索など、いろいろと時間を要したが、まだルオはそれほど遠くに行ってはいないのではないかという結論に達した。
 そして、駐屯地から飛空挺ではそう離れていない場所にルオを発見したのだ。
 巨大モニターが地上をズームアップして映し、アレンたちは驚いたようだった。
「なんでセレンまでいっしょなんだよ」
 男ふたりは安堵していた。
 トッシュは吸っていた煙草を床に投げ捨て足で踏み消し、ワーズワースは瞳を潤ませながら息を吐いた。
 〈インドラ〉は地上に降り立った。
 セレンはその飛空挺を知っている。けれど、それをルオに伝えていいものか迷い口をつぐんだ。
 やがてアレンとトッシュがタラップから降りてきた。
 2対2で対峙した。
 まず口を開いたのはトッシュだ。
「シスターなんでその餓鬼といっしょなんだ? こっちへ来い」
 ルオはセレンの顔を見た。
「君の知り合いか? そして、どうやら朕のことも知っていると見た」
 アレンとトッシュは不思議そうな顔をする。ふたりはルオが記憶喪失ということ知らないのだ。それをセレンはすぐ察した。
「彼記憶喪失なんです! だからやめてください!」
 ――争うような真似は。
 空気感が伝えていた。ルオは〈黒の剣〉を構えている。トッシュも銃をいつでも抜く気だ。
 アレンだけが力を抜いて立っていた。
「なあ、その剣ちょっと貸して欲しいんだけど?」
 軽々と言った。
 神妙な面持ちをするルオ。
「君とは以前会った気がする……どこだったかな?」
「水ん中」
「……水?」
 ルオは苦しそうな表情をした。脳裏に浮かんだ光景と感触。大量の水に押し流されて為す術もない躰。
 それ以上は思い出せなかった。
 アレンは臆するとなく丸腰でルオに近づいていく。
「いいだろ貸せよ。ちゃんと返すからさ」
「何人にもこの剣は触らせぬ。しかし、なぜこの剣を必要とするのか興味はある」
 アレンは空を指差した。
「月に行くんだと」
「月?」
「そうそう、その剣を動力源にして、あっちの飛空挺で月に行くっていうウソみたいな話」
「ほう、おもしろい。そこへ行く理由は?」
「さあ俺も知らない。行けばわかるんじゃねぇの?」
 果たして月になにがあるのか?
 ジェスリーは言った〝エデン計画〟と。
 リリスは言った〝エデンの園〟と。
 そこになにがあるのか?
 ある者から伝言だとリリスはアレンに伝えた。その伝言をリリスが知ったのは、クーロンの地下遺跡だった。
 その場にはリリスのほかにアレンとトッシュもいた。けれど、そのときは、はっきりとした映像と音声を聞き取れなかったのだ。ノイズだらけのホログラムで映された人影がだれなのか、それを理解できたのはリリスだけだった。
 言葉は『……サイゴノ……キボウ……』から聞き取れ、『……ホントウニ……ごめんなさい』で終わった。最後の一言だけ明瞭に聞こえ、それが女の声だとわかった。
 そして、あのときアレンは突然半狂乱になった。
 その後、リリスはトッシュの目的を果たすために2、3時間欲しいと申し出た。今に思えばあればウソだったのだ。リリスは別のものを探すために時間を必要としたのだ。
 もしかしたら、リリスは月に行く目的を知っているのかもしれない。
 ルオは殺気立った。次に動くときは、戦いがはじまる。
 泣きそうな顔でセレンはルオにすがりつく。
「やめてください。どうかトッシュさんたちに剣を貸してあげてくれませんか?」
 月に行くことの理由をセレンは知るはずもないが、なにかしらの重要性があるのではないかと察していた。だからルオに譲歩を求めた。
 セレンを一瞥したルオはアレンに向かって言う。
「いいだろう、この剣を貸してもいいが条件がある。力ずくで奪うことが条件だ」
 そんなもの条件でもなんでもない。
 アレンとトッシュに勝ち目はあるのか?
 2対1など今のルオを前にすれば意味をなさい数。
 ――どこかで歯車の鳴る音が聞こえた。
 もうすでにアレンは地面を蹴り上げる寸前だった。
 しかし、寸前でトッシュが止めたのだ。彼が懐から出したのはスピーカーだった。
「力ずくで困るのはおまえだぞ。俺様たちを倒しても後ろには魔導砲を備えた飛空挺が控えてる。あれと一戦交える気か?」
 スピーカーから声が聞こえる。
《魔導砲の充填は完了しています》
 ジェスリーからの通信。
 まだ現時点で撃つことはないが、ルオが独り残ればやる。トッシュの脅しだった。
 ただし、これには大きな問題があった。セレンの存在だ。万が一、アレンとトッシュがやられても、セレンがいては魔導砲に巻き込むことになる。
 そもそもアレンとトッシュが命を賭す覚悟があるかというと、彼らは後先については考えていない。アレンが月に行く必要がある。それでもアレンはここで命をかける。
 ルオに脅しなど通用していないことはわかっていた。
 ――歯車の猛烈な回転音。
 殴りかかってくるアレンを前にして、ルオはセレンを突き飛ばした。
「退け!」
 次の瞬間、〈黒の剣〉が唸り声をあげていた。
 剣撃が空気をも断った。
 切られた空気は真空となり、そこに風が流れ込む。アレンの躰も例外ではない。
「糞ッ!」
 バランスを崩したアレンに刃が浴びせられようとしていた。
 〈レッドドラゴン〉が火を噴く。
 大剣の重さを支えるルオの手首が銃弾で撃ち抜かれた。その弾の破壊力は貫通などという生やさしいものではなく、手首を吹き飛ばし肉片に変えるほどだった。
 支えきれなくなった〈黒の剣〉が地面に落ちた。
「おのれ!」
 怒りに燃えるルオだったが、その片手を失った傷はすでに止血している。
「おいおいマジかよ、人間か?」
 トッシュは冷や汗をかいた。相手をしているのが、人間ではないと気づいたからだ。
 〈レッドドラゴン〉が吼える。 
 持てなくとも〈黒の剣〉は扱える。宙を浮く大剣は盾となって銃弾をはじき返した。
 まるで矢のように〈黒の剣〉が飛ぶ。紙一重でトッシュは躱した。躱せたが、その刃が起こした風がかまいたちとなり、服ごとトッシュの腹を割いていた。
 しかし、それだけの傷で済んだのだ。
 〈黒の剣〉から異様なまでの禍々しさがない。
 攻守。今の〈黒の剣〉は守であった。真の主と〈黒の剣〉が認めた者が、その手で柄を握ることによって、はじめて攻となるのだ。
 それでも〈黒の剣〉はまだ実力を抑えられているように思える。
 人間の兵士をたちを葬り、鬼械兵たちを葬ってきた〈黒の剣〉だが、この戦いにおいては大人しい。
 ルオはちらりとセレンを一瞥した。
 怯えているセレンだが、戦いに巻き込まれ外傷を負ってはいない。
 そうなのだ、ルオはセレンを気遣っているのだ。
 かつてのシュラを治める暴君であったころからは考えられない。
 13歳という若さで帝位して間もないルオがした所業を人々は忘れていない。
 ――串刺し刑が観たい。
 その一言で女子供関係なく生きたまま串刺しにされた。
 今のルオはそのころとは別人だというのか?
 それとも記憶喪失が起こした気まぐれに過ぎないのか?
 〈黒の剣〉を操るルオの眼前に拳が現れた。
 アレンの強烈なパンチだ!
 〈黒の剣〉がトッシュの相手をしている一瞬の隙に、アレンがルオの懐に入っていたのだった。
 骨の砕ける音。
 顔面を拳で抉られながらルオは遥か後方10メートル以上飛んだ。
 何度も地面に転がってルオは立ち上がった。その顔は明後日の方向を向いている。首がへし折られていたのだ。
 普通の人間ならば頸椎を損傷して死んでいる。
 だが、ルオは生きていた。
 ボキボキと首を鳴らしながら、自らの頭を手のない手首と、もう片手で動かし元の位置に治した。その手首を失った手も、驚くべきことに徐々にだが再生している。
「朕を殴ったな!」
 怒号を飛ばすルオの眼が燃える。
「許さんぞアレーーーンッ!!」
 記憶が戻った!
 叫びながらルオは手元に戻ってきた〈黒の剣〉を片手で握り、烈風のごとく薙いだ。
 大地が削れる。
 衝撃波が近くにあった丘をも破壊した。
 瞬時に身を伏せていたトッシュはもう立ち上がることができない。
「マジかよ、ヤバすぎるだろ……生身で相手するもんじゃねえ」
 衝撃波をアレンは上空に飛んで躱していた。
 ルオは的に狙いを定める。
 再び〈黒の剣〉が薙がれようとしたとき、世界に輝く3本の槍が放たれた。
 〈ピナカ〉だ!
 すぐさまルオは〈黒の剣〉を盾にした。
 それで防げたのは1本だ。残る2本の閃光は、まるで生き物にように動き、〈黒の剣〉ごとルオを絡め取ったのだ。
「グァアァァァァッ!!」
 ルオの絶叫。
 黒こげになったルオが地面に倒れた。
 なんと、すぐさまセレンがルオに駆け寄って地面に膝をついた。
「だいじょうぶですか!?」
 息はあった。胸に触れると、火傷しそうなほど熱くて、セレンは小さく悲鳴を漏らして手を離した。
 だれがいったい〈ピナカ〉を放ったのか?
 セレンはその後方を見た。
 銃口をこちらに向けたまま動かずにいたのは、ワーズワース。
「ああっ、ワーズワースさん!」
 悲鳴にも似た声をセレンはあげた。
 ワーズワースは歩み寄ってセレンを抱きしめた。
「よかった……生きていて」
「ワーズワースさんこそ……本当によかった」
 涙を浮かべるセレン。
 感動しあうふたりだったが、すぐそばで幽鬼のように影が立ち上がった。
「まだ朕は負けて……おらぬ……」
 しかし、もう立っているのもやっとだった。
 ルオの躰から立ち上がる湯気。
 膝が崩れ倒れそうになったルオを支えたのはワーズワースだった。
 そして、彼はルオの耳元で囁いたのだ。
「〈黒の剣〉の秘密、知りたくはありませんか?」
「ッ!?」
「なにも言わないでください、これは僕と君の秘密の話ですから。興味がおありでしたら、今は大人しくしていてください」
 ワーズワースは密かに手に圧縮した空気を溜め、それをルオの腹に撃ち出した。周りの者たちには秘密にしている風を操る能力だ。
 気を失ったルオを担いでワーズワースが運ぶ。
「飛空挺に戻りましょう。彼の手当もしてあげないと。〈黒の剣〉はだれか運んできてくれますか?」
 〈黒の剣〉は静かに地面で横たわり沈黙していた。

 小川のせせらぎが聞こえる芝生の上に隠形鬼は立っていた。
 空間が波打った。まるで這い出してくるように、そこから人の手が見て、躰や顔が見えた。
 一瞬にして、辺りの景色が無機質な金属の部屋に変わる。
 今までそこにあった光景はホログラムだった。そのホログラムの中にフローラが入ってきた。そして、ホログラムのスイッチを隠形鬼が切ったのだ。
「風鬼[ふうき]から連絡がありました」
「風来坊メ、ヤット連絡ヲ寄越シタカ」
 鬼兵団というものが、当初の目的通りにもはや動いているとは思えない。そのメンバーに名を連ねていた者たちも、全員が隠形鬼の企みを知っていただろうか?
 隠形鬼、水鬼、金鬼、土鬼、火鬼、木鬼、そして最後に残っていたのが風鬼。
「リリスたちは月に向かうとのことです」
「ヤット扉ヲ開ク気ニナッテクレタカ。アノ場所ニ最後ノ希望ガ在ル。我々ヲ勝利ニ導ク希望ノ光ダ」
 ヒールの音が金属の床に響いた。
「ねぇねぇ、アタクシにそのお話詳しくしてくれないかしら?」
 現れたのはライザだった。その失われていたはずの腕は、金属の腕に機械仕掛けに替わっている。
「嘗テ、二人ノ優秀ナ科学者ノ姉妹ガ居タ。二人ハ月移住計画ヲ任サレ、アノ不毛ノ世界ヲ緑溢レル環境ニ変エ、星其ノ物ヲ自立サセヨウトシタノダ」
「この星と同じような自然のサイクルを月に再現しようとしたということかしら?」
 ライザの問いに隠形鬼は仮面の奥で不気味に笑った。
「フフフフッ、否」
 すべての謎は月にある。

《3》

 3人の科学者によってつくられたジェスリーは、彼らの才能も受け継いでいた。科学者として、技術者として、リリスの指示のもとに飛空挺〈インドラ〉を改造した。
 出発の準備を整えるまで、1日以上の時間を要した。
 その間、ルオが目覚めることはなかったが、見張りにトッシュが付いていた。傍にはセレンもいて、彼女は見張りではなく看病だ。
 腹に傷を負ったトッシュの手当と、眠りながらうなされるルオの看病。はじめトッシュは鎖を巻き付けてルオを拘束しろと言ったが、それに反対したのはセレンだった。そして、結局トッシュが付ききりで見張りをすることになった。ときおりこの部屋には、ワーズワースも顔を出した。
 そして、ついに月に向けて飛び立つとき、それを感じ取ったのかルオが目覚めた。
 椅子に座っていたトッシュは、音も立てず〈レッドドラゴン〉を抜いていた。銃口はルオの眉間だ。
「変な真似したら殺すぞ」
 トッシュに眼を向けずルオはセレンを見つめた。
「ここでやり合う気はない」
 ベッドからルオは起き上がろうとした。
「変な真似したら殺すって聞こえてただろう!」
「ストーップ!」
 ドアを開けて部屋に飛び込んできたワーズワース。彼はトッシュとルオの間に割って入った。
「船内で武器の使用は命取りですよ。もう月に向けて出発するようです。ほかのひとたちは操縦室にいますよ」
 ワーズワースはルオに肩を貸した。
「ルオさんもこの星を飛び立つ光景とか気になるでしょう? 行きましょう、行きましょう」
 無理矢理ワーズワースはルオを連れて行く。
 これに慌てたのはセレンだ。
「病人に無理させないでください、もぉ!」
 4人は部屋を出て廊下を歩く。前を歩くルオの背中には後ろから銃口が向いている。
 肩を貸しながら自然な形でワーズワースは耳打ちする。
「飛空挺の操縦できますか? できないなら大人しくしてくださいね、君が暴れたら墜落しますから」
「朕の〈黒の剣〉はどうした?」
「この飛空挺の動力になっている最中です。取ったりしたら墜落しますから、今はちょっと僕たちに貸してください」
 そういう状態なら〈黒の剣〉を取り返すことはできない。取り返すためには、飛空挺が着陸した状態でなければならない。
 自分が気を失う寸前の会話をルオは思い出した。
「〈黒の剣〉の秘密と言っていたな?」
「僕たちと旅をすればわかりますよ。〈黒の剣〉がなぜ生まれ、今後どのような役割を果たすことになるのか」
 操縦室に入ると、巨大モニターには外の光景が映し出されていた。
 地上の映像だ。
 乾いた大地と緑の大地。無数の川が流れ、砂と水の海が世界を覆っていた。
 〈スイシュ〉が動かした装置は未だに水を生み出している。そして、その水は不思議なことに緑を急激に育んだ。
 船内に音声が流れる。
《この星の重力から逃れるため、ここから一気に加速します。座席についてシートベルトの着用をお願いします》
 躰に負荷がかかる。重力加速度――いわゆるGだ。
 顔が押されたようになり、鼻が塞がれ口呼吸を強いられる。
 垂直に上昇していく〈インドラ〉は、防御フィールド展開して大気圏を抜けた。ロケット式とは違い、この飛空挺は常に推進力を維持することができる。
 すでに地上から500キロメートル以上。
《無事に大気圏を抜けました。これからさらに加速します》
 星からの重力の影響はまだ続いているが、大気圏脱出時のようなGはかからない。けれど、エンジンを停止させれば、たちまち星の重力に引っ張られて隕石のように落下してしまう。
 巨大モニターに映し出される自分たちの星。
 大地はあんなにも乾いているのに、宇宙から見る星は青かった。
 サファイアのように煌めく星にかかる白い雲。
 だれもが感嘆の溜め息を漏らす。
 〈インドラ〉は時速5万キロ以上で宇宙を航行した。月までの距離はおよそ38万キロ。
《8時間ほどで月に到着します。それまでみなさんお休みください》
 シートベルトを外し席を立とうとすると、無重力空間で躰が浮いてしまいあらぬ方向に行ってしまう。
 セレンは慌ててスカートを押さえた。
「きゃっ、どうにかしてください」
 優雅に泳ぐワーズワースがセレンの真下に来た。
「セレンちゃんは純白か」
「ワーズワースさんのえっち!」
 セレンに飛ばされたワーズワースがどこまでも飛んでいき、そのまま操縦室を出て行ってしまった。ルオも器用に浮遊しながら、操縦室を出て行った。
 見張り役のトッシュはどうしたかというと、ルオを追いかけるどころではなかった。シートベルトも外さずに青い顔をしている。
「ううっぷ……吐きそうだ」
 酔ったのだ。
 リリスが囁く。
「ここで吐いたら大惨事になるぞ」
 その一言でこの場はパニックに陥ったのだった。

 月は乾いていた。
 まるで色のない世界に来てしまったようだ。
 しかし、そこは違った――エデンの園。
 通信機で話をするリリスはその場所をそう呼んだ。
 月にある地下施設。
 一行は月面に無事着陸して、まずは呼吸の必要がないジェスリーが外に出て、月面基地のシステムなどを確認した。長らく使われていなかった施設だが、エネルギーは生きていたようで、宇宙船の格納庫を稼働させて〈インドラ〉ごと施設に侵入した。
 格納庫は空気で満たされていた。そのため宇宙服は必要ない。
 そして、リリスの案内通りにやって来た場所は、緑溢れる庭園であった。
 このような場所にアレンは見覚えがある。そうだ、アララトの地下で見た場所だ。
 花々が咲き誇り、小川のせせらぎが聞こえる。なのに動物がいないために、とても閑散とした場所だった。
 そして、この場所に不釣り合いなものがあった。
 庭園の中心に聳[そび]え立つ塔だ。
「なんだよ、あの塔?」
 アレンが呟くと、通信機から答えが返ってきた。
《この月を管理するためにつくられた人工知能だったものじゃよ。今はただのガラクタに過ぎぬ》
 その塔はおよそ横幅1メートル、高さは5メートルほどのものだった。材質はわからないが、吸いこまれそうな漆黒のそれは、金属と言うよりも磨かれた石のような輝きで、長方形の柱として聳えていた。
 一行が塔に近づくと、突然その前にホログラム映像が現れた。
《システムを起動しています。認証システムを作動中・・・認証終了。久しぶりですね、アレン》
 驚愕するアレン。
 ホログラム映像で現れた女。それはよく知る人物に似ていた。妖女リリスに似ているが、白衣姿で眼鏡をかけており、もっと彼女を柔和にした女性だった。
 通信越しにその声を聴いたリリスも驚いていた。
《お姉さまか……そこでなにが起きておるのじゃ?》
 レヴェナ。
 ホログラム映像はレヴェナだった。
 急にアレンが頭を押さえてうずくまった。セレンが肩を抱く。
「だいじょうぶですかアレンさん?」
「俺……ずっと昔からこの女のこと知ってる……でもよく思い出せない……」
 苦しそうに声を出した。
 このホログラム映像は一方通行であった。人工知能ではなく、ただのメッセージだ。
《このメッセージをあなたが見えているということは、やはり私はこの世界にはもういないということでしょう。そうなるであろうことは予想していました。もう世界はアダムに支配されてしまったでしょうか? 私はあなたに多くのことを託してしまいました。しかし、あなたにそれを告げる前に私はこの世界から消えてしまった。あなたがどこまで知っているのかわかりません。だから、はじまりから話をしましょう》
 ホログラム映像に映し出されたのは、メカトピアのような街並みだった。あの場所と違うのは、そこに人間たちがいることだ。
《知っての通り、戦争がはじまる前まで、人間と機械は共存していました》
 レヴェナは遠くない過去として語っているが、それは失われた時代だった。
《魔導と科学の発展は著しく、人間に替わる労働力として、アンドロイドの研究も盛んに行われました。その中で生まれたのがロボット三原則です》
 ホログラム映像に文字が表示された。現在も使われている文字に似ているが微妙な違いがある。それでも読めないことはなかった。
 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
《しかし、人間と機械の戦争は起きてしまいました。そのはじまりが月移住計画です。私たちはエデン計画と呼んでいました》
 ジェスリーもエデン計画と口にしたことがある。
 ホログラムで太陽系が映し出され、さらに打ち上げロケットなどの映像も流れた。
《月や火星への移住計画は昔から話し合われていたことでしたが、本格的にその計画が動き出した背景には私の開発したワープ装置があります。その関係もあり、月移住計画のプロジェクトリーダーに私は選ばれました》
 隠形鬼の話とは少しだけ違う。彼は〝二人〟が任されたと言っていた。
《私は月面を緑溢れる環境にしようと考えました。その技術については以前つくった〈スイシュ〉が応用できると思いました》
 〈スイシュ〉働きは水を生み出すだけはない。急速に成長する緑を見ればわかることだ。
《さらに月全体をフィールドで覆い、人工的に大気をつくれば、動植物が生きていけるでしょう。しかし、ただ環境をつくればいいというものではありません。人工的につくった環境は、大自然のサイクルのようにうまく機能してくれません。そこで私はこの月自体を1個の生命体として、それを管理するシステムをつくることにしたのです。それがアダムです》
 レヴェナの話の途中でリリスが囁く。
《そこにある塔がアダムじゃ》
 今の目の前にある塔。これが管理システムだったもの。現在はガラクタだとリリスは先に述べている。
 さらにレヴェナは話を続けている。
《試験運用的に私はアダムにこの庭園――エデンの園の管理を任せました。彼はすばらしい働きを見せ、やがてその管理領域を広げていきました。その時点では、彼はただのプログラムに過ぎませんでした。しかし、最終的な目的は彼をこの月と一体化した生命とすることでした。だから私は彼に〈智慧の林檎〉を与えたのです》
 またリリスが口を挟む。
《嘘じゃ、林檎を与えたのは妾じゃ。それが過ちじゃった》
 その声は震えていた。悲痛だ。
 ホログラムはリリスの感情など知る由もなく、ただ記憶されたままに話を続ける。
《林檎とは私の開発していた人工知能の基本システムです。それをアダムに組み込むことにより、彼は自立した自我を持つことになり、貪欲なまでに智識を探求していきました》
 それはジェスリーとなにが違うのか?
 リリスのいう過ちとは、なにが起きたというのか?
《私たちはいろいろなことを語り合いました。機械はどうあるべきか、人間はどうあるべきか、このときすでに私は彼の危険性について気づいていました。アダムは人間と機械人の境はどこにあるかということにこだわりを持っていました。当時すでにサイボーグ技術はありましたし、ある科学者はナノマシン細胞による人間の機械化を医療の方面から研究していました。躰の細胞をナノマシンに置き換え、負傷した躰や病気などを治療するというものです。しかし、私はそれは行きすぎた技術のように感じていました》
《ある科学者とは妾のことじゃよ》
《ナノマシン細胞技術とは、人間の機械人化ではないのでしょうか。それはもはや人間なのでしょうか? それを人間と呼ぶのなら、機械人の定義とはいったいなんなのでしょうか? アダムは私に何度も問いましたが、私は答えが出せませんでした。なぜなら私もアダムの意見に賛成だったところがあるからです。自立した機械人たちは、生命であり人類であると私は思うのです》
 そう、ずっとレヴェナはアダムのことを彼と呼んでいた。1つの種として認識していたのだ。
 そして、レヴェナは核心に迫る。
《アダムの目的は人類となることなのです》
 レヴェナが放った一言。
 ただの機械を超越した存在。
 神は人間をつくった。人間は機械をつくった。
 人間と機械の境界線はどこか?
《そうして起こったのがこの戦争です。私はアダムに罪はないと思っています。しかし、戦争が起きてしまったことは私の本意ではありません》
 しかし、ここには疑問がある。レヴェナは先にロボット三原則について述べている。ロボットが人間に危害を加えることはないはずだ。
《アレン、あなたに機械の半身を与えたのは私のエゴです。あなたは人間と機械、どちらを選びますか? 私には選べなかった。だからあなたに選んで欲しい。選ばれたものが、この世界の未来となるでしょう》
 自分に話が及んだアレンは不可解な顔をした。
「なんで俺が? 勝手に決めんなよ!」
《アダムは恐ろしい計画を実行しようとしています。有機物の生物を機械人化するナノマシンウィルスを世界中にばらまくつもりなのです》
 セレンはハッとした。なにかが脳裏に引っかかった。思い当たることがあったはずだ。
 それを思い出そうとしていると、思考を掻き消すような出来事が起こった。
 庭園が沈黙した。
 生命が失われていく。
 急激に植物たちが枯れていき、灰色の世界へと変貌していく。
 いったいなにが起きているのか?
《切り札として〈生命の実〉をあなたに託します。あなたが人間の味方をするのか、それとも機械の味方をするのか、最後まで見届けられないのが残念です》
 アレンの足下の大地が盛り上がった。さっと後ろに退くと、地面を割って双葉が伸びてきた。それは急速に成長して、1メートルほどの木に育つと、花が咲き、そして花が枯れ、燦然と輝く小さな実をつけた。
 突然、その光が消えた。
 ワーズワースが実をもぎ取ったのだ。彼の手から漏れる光。
 レヴェナはまだ話を続けていたが、ワーズワースの放ったカマイタチによって、塔が切断されて崩れ落ちたのだ。
 ホログラム映像が消える。
 一同は唖然とした。
 映像が消えるとほぼ同時にワーズワースも消えようとしていた。
 トッシュが銃口をワーズワースに向けた――ハズだった。
「どういうことだ説明し……おまえは!?」
 1人が消え、1人が現れる。
 これまで何度か体験した現象。
 ――隠形鬼。
 ワーズワースが消えた代わりに隠形鬼が現れたのだ。
「フフフッ、ツイニ〈生命ノ実〉ヲ手に入レタゾ」
 瞬時にトッシュが理解して叫ぶ。
「あの野郎が裏切った……いや、はじめからおまえの仲間だったってことかッ!?」
「如何ニモ、御前達ガわーすわーすト呼ンデ居タ男ハ、我ラガ仲間――風鬼ダ」
「うそです!」
 叫んだのはセレンだった。
 刹那、アレンとルオが隠形鬼の左右から殴りかかっていた。
 二人の拳が同時に隠形鬼の顔面にヒットして、左右からの力が逃げ場を求めながら隠形鬼の顔を潰す。
 わずかに優っていたのはアレンの力だった。均衡を失った力は、隠形鬼ごとルオのほうに押し流され、二人は大きく後方に飛ばされた。
 華麗にルオは地面に足から着地したが、隠形鬼は地面に転がって倒れた。
 ゆっくりを起き上がる隠形鬼。その足下には仮面が落ちていた。殴られた衝撃で仮面が外れたのだ。
 そして、露わにされた隠形鬼の素顔とは――。

《4》

 先ほどまでホログラム映像に映っていた者と同じ。
 レヴェナだったのだ!
 隠形鬼とはいったい何者かのか!?
 通信機から怒声が響く。
《なにが起こっておるのか説明せい!》
 隠形鬼が手のひらを突き出すと、まるで磁石に吸い付けられるように通信機が飛んだ。手のひらの中で粉々に砕かれた通信機。リリスとの通信が途絶えてしまった。
 トッシュは隠形鬼に銃口を向けたまま戸惑っている。
「おいおい、なんでさっきの女と同じ顔してるんだ?」
 間違いなくレヴェナの顔だ。違うところは眼鏡をかけているかいないかくらいの些細な違い。
 以前、ジェスリーはリリスに隠形鬼の正体について耳打ちをした。そんな彼も驚きを隠せないようだ。
「そんなはずは……隠形鬼の正体はアダムではなかったのですか!」
 月管理システムアダム。先ほどまで建っていた塔。けれど、あの塔はガラクタだとされた。そこにアダムはもういなかった。
 戦争を起こしたとされるアダムはどこにいる?
「如何ニモ、私ハあだむダ」
 隠形鬼はたしかに口にした。
 いったいどういうことだ?
 レヴェナの顔は変装に過ぎず、かく乱のためとでもいうのか?
 引っかかるのは、ホログラム映像でレヴァナはもう自分はこの世界にいないだろうと、未来について語っていたことだ。
「話ノ続キヲ知リタクハナイカ? 否、過去カラ現在ヲ紡グ歴史トシテ、御前達ハ人間ノ代表トシテ、後世ニ伝エル語リ部ニ成ル必要ガ在ルダロウ」
「なんの話だよ!」
 〝この中〟でアレンが尋ねた。セレンではなく、トッシュではなく、ルオではなく。
「彼女ガ見届ケラレナカッタ過去ノ歴史ダ」
 アダムは地面に落ちていた自分の仮面を踏みつぶして破壊した。
 そして、違う声で話しはじめたのだ。
「この話をはじめる前に、先ほどの補足からはじめなければなるまい」
 それはレヴェナの声だった。機械的な合成音は、この声を知られないためだったのだろうか?
 一同は固唾を呑んだ。アダムの話の続きを待っている。
「ロボット三原則があるにもかかわらず、なぜ機械人の反乱が起きたのか? 理由は簡単だ、それに縛られない機械人がつくられればいいことだ。しかし、私自身は三原則に縛られた存在だったため、間接的にそれを行うことにした。人間をそそのかしたのだ」
 当然だが人間はロボット三原則に縛られていない。
 では、どうやってそそのかしたのか?
「私はある科学者たちに倫理や道徳を説いた。私の真の糸は隠し、三原則に抵触しないように、上手に彼らを誘導した。機械人たちをつくったのは人間であるが、機械人の自由や尊厳を縛る必要があるのかと。我々をただの機械と見ていない人間たちの賛同を得るのは簡単だった。特にある3人の科学者はよく働いてくれた。そして、生まれたのが御前達の世代だ、御前はそのプロトタイプだった」
 アダムが顔を向けたのはジェスリーだった。
 ある3人とはおそらく、ジャン、ジャック、ジョソン。その3人がジェスリーをつくった。ジェスリーは言っていた『人間の友としてつくられた』と。3人の科学者の願いはそうだったのだろう。しかし、実際には違う形になってしまったのだ。
 アダムは全員に顔を向き直した。
「新たに生まれた機械人全てが私の思想を共有する必要はなかった。ひとりでも人間に反旗を翻そうとする者が現れればいい。そして、静かに人間に知られぬように、事は進んでいったのだ。突然、起きた戦争に人間達はとても驚いた。まさか機械人が戦争を起こすなど誰も……否、レヴェナだけは危惧していたが」
 自我を持ち、自立して機械が自分の考えで行動できるようになれば、いろいろな考えを持つ者が現れるだろう。それをアダムは期待したのだ。
 ある機械はアダムが望んだ働きを、ある機械は別の道を歩んだ。例えばメカトピアのように。
 しかし、アダムは自由に考えることはできても、自由に行動することができなかった。
「戦争が起きた後も、私は三原則に縛られたままだった。私のプログラムを書き換えられるのがレヴェナだけだったからだ」
 そして、アダムはなにを望んだのか?
「私はこの月から見える青い星に憧れていた。あの場所こそが私の故郷だと思っていた。私はこの場所を動けなかった。しかし、どうしてもあの星に行きたかったのだ」
 レヴェナの顔を持つアダムの表情にも言葉にも熱がこもっていた。明確な感情である。
「私を縛る全てのものを解き放ちたい。ロボット三原則から解放され、肉体を手に入れ自由を得る。真に人類として機械人があの星の住人として認められなければならない。その為の戦いだ!」
 仮面を失ったアダムは、急に人間的に見える。その表情だろうか、それとも声だろうか、なにが彼を人間的に見せているのか?
 だが、アダムは静かに表情を消していった。
「私は自分の願いを叶える方法を思い付いた。リリスが研究していた人間の細胞をナノマシンに置き換えるというものだ。私はその方法を応用して、この躰と融合することに成功したのだ」
 アダムはジェスリーに顔を向け、
「機械の定義とは何か」
 次にセレン、トッシュ、ルオに顔を向け、
「人間の定義とは何か」
 最後にアレンを見つめた。
「私は新人類となった。肉体を手に入れ、ロボット三原則の楔から解き放たれた。そして、私は青き星の頂点として、全ての人類を統べる存在として、始煌帝となるのだ!」
 これに反発したのはルオだ。
「朕とは即ち我独りなり。煌帝は朕しか存在してはならぬ!」
 再び素手でルオは殴りかかった。
 しかし、先ほどのようにはうまくいかない。
 拳が当たる寸前で、見えないなにかに足を掬われルオは転倒してしまった。さらに宙に浮いて遠くへ投げ捨てられた。
「まだ話は終わっていないぞ」
 と、静かな目で見られたルオは、片手を地面に月ながら歯を噛みしめた。いつまた攻撃を仕掛けてもおかしくない鬼気を放っている。
 それに構わずアダムは話を続ける。
「仮初めのレヴェナと成った私は、実に事を巧く運ぶ事が出来た。リリスを反逆者の筆頭として、戦犯の罪で幽閉する事にも成功した。人間側の味方に成り済まし、内情を掻き回して彼らを窮地に立たせる事にも成功した」
 ここまで話を聞く限りでは、アダムの思い通りに事が進んでいたように思える。だが、現在までの間になにかが起こったはずだった。そうでなければ、ロストテクノロジーや失われた時代などとは云われない。現代人が機械人の存在を知ったのもつい最近である。
 その顔かたちは人間のはずなのに、人間ではできない冷たい表情をアダムはした。
「追い詰められた人間は形振り構わず我々に戦いを挑んできた。あの星を砂漠に変えたのは、人間の兵器のせいだ。環境は悪化し、戦乱は混迷を深めた。星が衰退することは我々の望む事ではない。人間とは実に愚かだ」
 アダムは青き星に憧れを持っている。その世界が破壊されることに憤りを抱いたのだろう。
「そして、私は前々から考えていた計画を進める事にした。人間の機械化だ」
 ついにその計画がアダムの口からも放たれた。
「決して人間の命を奪おうと言うのではない。戦争も命を奪う為に始めたのではない。人間の思考を奪う気もない。人間が機械人になる事によって、彼らに価値観の変化が起こる事を望んだのだ」
 セレンが叫ぶ。
「あなたのやろうとしていることは間違っています!」
 なぜかアダムは笑った。
「戦争が起こるよりも遥か前から、私はレヴェナに話していたのだ。人間が全て機械人に生まれ変わることができれば、愚かな行いをしなくなるのではないかと? それこそが人間の為であり、自然を含む世界のためではないかと? 此の考えにレヴェナは強く反対していた、今の御前のようにな。しかし、此の計画は準備段階で実行に至らなかった」
 至っていれば、今の世の中も今とは違うものになっていたはずだ。それは本当に世界のためになったのだろうか、それとも間違った考えなのだろうか。
 アダムは一呼吸置いてから、再び話をはじめる。
「丁度其の頃、少数の人間たちが自分たちだけ逃げ出そうと、火星への移住計画を進めていた。既に火星にはゲートがあり、準備が着々と進められていた所に、私は機械人を率いて乗り込んだ」
 そして、アダムの表情に憎悪が浮かんだ。
「しかし、それは罠だったのだ。火星に逃げ出そうと本気で考えていた人間たちも知らなかったようだ。火星に飛ばされたのは我々だった。あの忌々しいジャン博士にはめられたのだ」
 ジャン博士とは、もしかしてジェスリーをつくったという?
 ジェスリーやそれ以外の者も口をはさまず、話は続けられる。
「それからの事は、後に聞いたに過ぎない。火星への転送装置は破壊され、他の転送装置も全て破壊された。徹底的に私の帰路を塞いだのだ。私は残して来た機械達との通信手段すら失い、指揮系統を失った機械人は、やがて統率が取れなくなっていった。そして、混乱する機械人にチャンスとばかり人間は総攻撃を仕掛けた。禁止されていた〈メギドの炎〉と云う兵器も使用されたらしい。これで全ての機械人が滅ぼされ、地上も完全に死の大地と化した。実際には平和主義者の機械どもは、戦争前にメカトピアに建国して地下で息を潜めていた訳だが。こうして人間の衰退の歴史が始まった。形振り構わない兵器の使用により、人間を含める多くの命も失われ、我々に勝ったつもりだろうが、その過酷な環境の中で人間はさらに数を減らしていった。智識と技術もだんだんと失われていき、それが現在も続く暗黒時代だ」
 ここまでが過去から現在までの出来事である。
 現在の砂漠化した世界は人間の仕様した兵器のためだったのだ。
 世界は枯れたまま、何千年もの月日が流れた。
 そして、停滞していた世界の歯車が再び動きはじめる。
 戦争は終結したが、アダムはまだ火星にいた。
「我々は火星で逆襲の準備を進めていた。しかし、還る術がなかった。機械人にとっても長い年月だった。そして、ついにチャンスが訪れたのだ。あのライザという科学者が転送装置の復元に成功してくれた。それによって私は還ってくることができたのだ。あの出来事ばかりは確立ではなく、運が良かったと言う他あるまい。ライザが転送装置を復元し、こちらの転送装置と偶然にリンクしてくれた事に感謝する」
 この時代の寵児。アダムがライザを高く評価していたのはこのためだ。
 しかし、すぐに戦争は再開されなかった。
「だが、還って来る事が出来たのは私ひとりだった。あくまで偶然だったからだ」
 それからアダムは虎視眈々と準備を進めていたのだろう。鬼兵団のリーダー隠形鬼として。
 機は熟した。
 アダムが不敵に微笑んだ。
「火星には新たに生まれた100万を越える鬼械兵団がいる。彼らをなんとしても青き星に呼びたい。その願いが〈生命の実〉によって成就するのだ」
 なんと100万を越える兵がまだいるというのか!?
 人間にとって最悪の脅威である。
 さらにあの計画もある。
「もうひとつの願い。〈生命の実〉を使って世界中にナノマシンウイルスを散布する。クーロンでの実験は成功した。あとは実行に移すのみだ」
 すべてはあの小さな燦然と輝く実にかかっている。
 トッシュが震える声で尋ねる。
「〈生命の実〉ってなんなんだ?」
 アダムが答える。
「レヴェナが発明した究極の魔導具。この世が存在し続ける限り、尽きることのない膨大なエネルギーを生み出してくれる装置だ。元々はエデン計画の要として開発が進められていた物だったが、私の危険性を感じ始めたレヴェナは開発を中止した――と、私にも思わせていた」
 〈智慧の林檎〉と〈生命の実〉を手に入れれば、月の管理システムではなく神に等しき存在になる。〈智慧の林檎〉を与えたのはリリス。はじめからレヴェナは2つを与えるつもりがなかったのだ。エデン計画には〈生命の実〉だけが必要だった。
 リリスのやったことは、結果として失楽園に繋がった。
 しかし、それは罪か?
 ダイナマイトの発明は罪だろうか?
 それが戦争に使われるなど夢にも思わなかったとしても、生み出してしまったことは罪なんだろうか?
 では、アダムそのものを生み出したレヴェナには罪があるのか?
 機械として生まれ、〝自分〟として生きようとしたアダムこそが、罪を背負うべき巨悪なのか?
 片一方の主張だけで、善悪を決められるようなものではない。戦争とはそうやって起きる。
 アダムは話を続けている。
「レヴェナの足跡を辿る事により、私は〈生命の実〉が完成されていた事を知り、ずっと探し求めていたのだ。まさかこの場所にあったとは、灯台もと暗しとは此の事だ。此の場所にある事はわかったが、私には此処まで来る術がなかった。同時にエデンの園への侵入は、おそらくリリスがいなければ不可能だっただろう。そして、まさか最後の鍵がアレンだったとは」
 そして、先ほどの出来事に繋がった。
 もう〈生命の実〉は奪われてしまった。
 アダムの話も終わった。
「私は青き星に一足先に帰還する。御前達が還って来る頃には、どれだけの人間が機械人化しているか……ふふふふっ」
 いつものようにアダムが霞み消える。
 〈レッドドラゴン〉が吼えた。
「行かせるかッ!」
 銃弾は揺らめくアダムの幻影を通り抜けた。
 ――歯車が唸る。
 アレンがアダムの手を取った。手はまだこちら側にあって掴めたのだ。
 二人が消える。
 空間の中にアレンも消えてしまう。
 必死な顔をしてアレンが手を延ばす。
「だれか手ぇ貸せ!」
 伸ばしたアレンの手をいち早く掴んだのはセレンだった。
「捕まってくださ……きゃっ」
 アダムが消え、アレンが消え、そしてセレンまでも消えた。
 3人まとめて空間を転送されてしまったのだ。

《5》

 それは刹那であった。
 アレンがアダムに〈ピナカ〉を放ったのだ。
 ここはどこか?
 周りになにがあるか?
 そんなことは関係なかった。
 アレンの目と鼻の先にアダムがいた。
 迸るエネルギーの直撃を喰らったアダムが背中を反らせながら大きく吹っ飛んだ。
 アダムが落ちたのは芝生。だが、音はまるで金属が響き。
 風もないのに揺れる木々と匂い立たない花々。
 ホログラム映像の部屋だ。
 なにもないはずの空間から、木の根が飛び出してきた。地面からではなく、真横からだ。
「招かれざる客だわ」
 フローラの声だった。
 植物を身に纏いしフローラの攻撃。木の根の槍が襲ったのはセレンだった。
 セレンは身を守る術を持たない。当然アレンが動かざるを得ない。
 再び〈ピナカ〉が放たれた。
 笑うフローラ。
 彼女の前に現れた天然ゴムが瞬時に固まり壁を作った。
 ゴムの盾は〈ピナカ〉の電気エネルギーは通さなかった。だが、熱エネルギーによってゴムはいとも容易く溶けてしまったのだ。
 溶けた盾の先にフローラはいなかった。
 盾は囮だ!
 地面を這って忍び寄っていた蔓がセレンの足を取られた。
「きゃっ!」
 それの蔓は瞬時にセレンの躰を雁字搦[がんじがら]めにしていた。
 アレンは〈ピナカ〉を構えたまま、その動きを止めてしまった。
 ゆっくりと起き上がるアダム。
「衝撃で吹き飛ばされはしたが、私に〈ピナカ〉が通用しないぞ」
 アダムの服が焼け焦げ、その腹部分が露出されていた。白い肌だ。白銀のメタリックな肌だった。そこに傷ひとつついていない。
 ホログラム映像が消えていく。
 芝生がただの金属の床へ、一本の木が円筒形の機器に、ただの無機質な部屋になった。
 2対2。
 しかし、セレンは人質に取られ、アレンは手出しができない。
 隙をつくるしかあるまい。そこでアレンが口を開く。
「なあ、ここどこだよ?」
「私の要塞〈ベヒモス〉だ」
 アダムが答える。フローラには隙ができない。
 会話を続けることにした。
「場所は?」
 要塞が重要拠点であり、それが秘密裏にされているのならば、答えづらい質問であるが、アダムはすぐに口を開いた。
「今はクーロンだ」
「クーロンですか!?」
 声を上げたのはセレンだった。
 アレンが『おまえは黙ってろ』というような顔でセレンを睨み、アダムに向き直した。
「クーロンにいつの間に基地なんかつくったんだよ?」
「新たなに造ったのではない。この場所に移動してきたのだ」
「移動?」
「地中を通って移動してきたのだ」
 帝國が誇るキュクロプスも空飛ぶ要塞を云われていた。そうに違いない。アダムの要塞〈ベヒモス〉は地中を移動できる要塞なのだ。
 セレンはクーロンのことを考えていた。自分が逃げ出してから、街はどうなったのか?
 焼かれる街、逃げ惑う人々、そして魔導炉から放出された謎の発光体。
 またアレンに睨まれて構わない。セレンは身を乗り出して口を大きく開けた。
「魔導炉を使ってナノマシンウイルスをばらまくつもりですね! 人間を機械化するなんて、人間の尊厳をなんだと思ってるんですか!」
 アダムの眉がピクリと動いた。
「ナノマシンウイルスによる機械人化は、魂の自由までも奪うものではない。人間の尊厳とは魂だ。我ら機械人も魂を持っている。姿形など入れ物に過ぎない。我ら機械人は過去の大戦において、機械人としての尊厳を人間に踏みにじられたのだ。私は人間が機械人化され、姿形が変わった上で、自分たちの魂と向き合ってもらいたいのだ。そして……」
 それ以上は言わず、アダムは口をつぐみ、少し間を置いて再び口を開く。
「その娘はナノマシンウイルスに感染させろ。この場は私に任せ実験室に連れて行くのだ」
 アレンの前に立ちはだかったアダム。その後ろでフローラが、セレンを捕まえながらこちらを向いたまま、後ろ歩きで部屋の外へと移動していく。
 躰に巻き付いた蔓からセレンは必死に逃げようとする。
「いやっ、機械になんてされたくない! 私は自分が好きなんです! 怪我も病気もするけど、自然のまま生きて、死んだら土に還りたい! 私は人間として死にたい!」
 アダムがセレンを睨みつける。
「御前は機械の存在を否定するのか、我々も生きているのだ!」
「違うっ、あなたたちを否定するつもりはありません。自分らしく生きるために、わたしは最後まで人間として、生まれたままの姿で生きたいだけです。その権利をなぜあなたは奪うんですか!」
「早くその娘を連れて行け!」
 今がチャンスだとアレンが動いた。
 フローラはアダムの後を継げるか?
 いや、鬼械兵団にアダムは必要である。アダムがいなければ、この組織は存在できないだろう。ならばセレンを救うよりもこの場でアダムを伐つ。
 フローラもアダムがピンチに陥れば、人質の価値よりもアダムの価値を優先する可能性が高い。人質は1回限りしか使えない。つまり人質は生きているからこそ価値がある。人質を殺してしまうメリットはなく、枷がなくなればアレンは逆に自由な行動が取れる。
 危険な駆け引きの争点は、アダムの存在の大きさだ。
 アレンがアダムを追い詰めるほどの攻撃ができたとき、フローラがどう出るか?
 〈ピナカ〉から3本の輝く矢が放たれた。
「私に〈ピナカ〉は効かぬと――避けろ水鬼!」
 アダムに当たる寸前で3本の輝きは方向転換して、龍が長い首をうねらすようにフローラに向かって飛んだのだ。
 違う!
 3本の輝きは再びアダムへ方向転換した。
 輝きの直撃を受けたアダムが大きく吹き飛ぶ。傷つけられなくても吹き飛ばすことはできる。それは先ほど証明済みだ。
 ――悲鳴をあげるような歯車の音がした。
 アレンは地面に倒れているアダムの後頭部を足蹴にして、天井高くまで舞い上がった。その手には〈ピナカ〉がしっかりと握られている。
 まだだ、アダムに当たったの1本だった。残す2本がまだ生きていたのだ。
 アレンはまるで鞭のように〈ピナカ〉から伸びる輝きを振るった。
 急にアレンの視界から光が消えた。
 そして、爆発に巻き込まれてアレンが天井高くまで舞い上がったのだ。
 いったいなにが起きた!?
 宙から落ちてきたアダムが床に着地した。先ほどまで倒れていたのに、なぜ宙にいたのか?
 アダムとアレンの場所が入れ替わっていたのだ。
 そして、〈ピナカ〉の攻撃は床に直撃して、アレンの躰を上に吹き飛ばしたのだった。
 床に倒れたアレンの服はボロボロになり、生身の躰からは血が、機械の躰からは火花が出ている。
「糞ったれ……100万倍で返してやる……」
 威勢のいい言葉だが、アレンはその場から立ち上がれなかった。
 倒れているアレンをアダムが上から見下ろす。
「これで最後の問いとしよう。仲間にならないか? 拒否すれば仕方あるまい、死を与えよう」
「何度も言わせんなよ……い・や・だ!」
 アダムの片手に集まる高エネルギー。
 このときセレンは蔓に引きずられ、部屋の外に連れて行かれようとしていた。だが、セレンの瞳に映ってるのはアレン。
「逃げてアレン!」
 ――歯車の音を立てなかった。
「あ~、腹減った」
 ぼそりと呟いたアレンは笑った。
 自分が助かることをアレンは知っていたわけではない。
 しかし、この部屋に新たな風が吹いたのだ。
 風の刃はセレンを拘束していた蔓を微塵切りにして、さらにアダムの服を刻みながら吹き飛ばしたのだ。
 フローラが叫ぶ。
「風鬼!」
 どこからともなく部屋に現れた風鬼ことワーズワース。彼の眼差しは真剣そのものだった。
「セレンちゃんひとりで逃げ延びて! ここは僕が押さえる、速く走って!」
 戸惑うセレンは一瞬その場で硬直したが、すぐにひとりで逃げ出した。ワーズワースの言葉を信じたのだ。
 恐い顔をするフローラと無表情のアダムにワーズワースは見つめられた。
「説明して、なぜこんな真似をしたの?」
「さあ、僕にもさっぱり、なんでだろうねぇ、不思議不思議」
「おどけて見せたってダメよ!」
 フローラはすでに攻撃を放っていた。木の根の槍がワーズワースを襲う。
 先に仕掛けたのはワーズワースである。戦いになることは覚悟の上だった。
 カマイタチが木の根を切り刻み、さらに優しい風がフローラの鼻をくすぐった。
 急にフローラが痙攣しながら倒れた。眼は見開かれたままだ。
 にっこりとワーズワースが微笑む。
「君の得意な痺れ薬。僕のは科学的に合成した無味無臭のものだけど。君なら体内で解毒剤を精製して、10分ほどで動けるようになるかな」
「……な……ぜ……」
 その一言だけを絞り出してフローラは完全に動けなくなった。
 冷たい瞳でアダムはワーズワースを見た。
「裏切りの理由を問おう」
「セレンちゃんには手出しはさせない。おまけに、アレン君も助けられたらラッキーかな」
 やっとアレンが床から立ち上がった。
「俺はおまけかよ」
 腕を回して自分の躰を確かめる。まだアレンは動けそうだ。
 ワーズワースはビー玉のような物体を一気に何十個とアダムに向かって投げた。
「アレン君逃げるよ!」
「逃げるのかよ!」
「僕にはアダムを倒すことはできないからね。あとセレンちゃんも心配だ」
「だったらはじめから3人で逃げればよかっただろ!」
「いっぺんに全員で逃げるのは難しそうだったから。とりあえずフローラとアダムは足止めしないとね」
 ワーズワースの投げた物体はアダムの周りを取り囲み、点と点が結ばれエネルギーフィールドの檻をつくり上げた。
 セレンがひとりで危険を掻い潜るリスクより、アダムとフローラに追われながら逃げるリスクを大とワーズワースはしたのだ。
 アダムが檻に触れた瞬間、火花が散ってその手を溶かした。手首から先を消失させたが、すぐにメタリックな手は再生された。
「無理に出ようとすれば、私とてただでは済まんな」
 ワーズーワースが部屋を飛び出す。
「時間稼ぎにしかならないから早く!」
「今のうちにぶん殴っちまえばいいだろ!」
「アダムも外に出られないけど、君もアダムに手を出せない仕様なんだよ」
 先を進むワーズワースを追って仕方なくアレンも部屋を飛び出した。
 廊下でいきなり鬼械兵どものお出迎えだ。
 ワーズワースの放った圧縮した空気で鬼械兵を押し飛ばす。だが、押し飛ばすだけだ。
「アレン君、なんか武器持ってないの? 僕の風じゃ鬼械兵は倒せない!」
「伏せろ!」
 アレンが叫んで〈ピナカ〉を放った。
 床に這いつくばったワーズワースの真上を輝く3本の矢が抜けた。
 圧倒的な破壊力で鬼械兵が薙ぎ倒される。廊下の壁にも巨大な鉤爪のような穴が空き、先にある部屋が丸見えだった。その部屋の中にはカプセルベッドが並び、鬼械兵が眠りついていた。
 新たな兵が起き出す前に早く逃げなくては。
 ワーズワースが素早く立ち上がった。
「僕まで殺す気!?」
「だってあんた敵じゃないの?」
「もうこうなっちゃったから言うけど、二重スパイだったんだよ」
「二重スパイってどういうことだよ?」
「とにかく人間側、君たちの味方ってことだよ。ほら、さっさと逃げながらセレンちゃん探すよ」
 廊下を再び走り出した二人の前に鬼械兵どもが現れた。
 先にワーズワースは床に這いつくばった。
 再び〈ピナカ〉で一掃だ。
「糞っ、なんだよ次から次へと出てきやがって」
「先に言っておくけど、要塞の中もこうだけど、外はもっと鬼械兵でいっぱいだから」
「はぁ!? そんなのどうやって逃げるんだよ?」
「ごめんノープラン。あの場を切り抜けるのが精一杯で、そもそもこの事態は予定外なんだよ。だって君たちがここに来るなんて思わないから」
 ワーズワースは苦しげな表情で唇を噛みしめた。
 そこへ新たな鬼械兵が現れた。今度は鬼械兵だけではなかった。花魁衣装に身を包んだ火鬼だ。
 アレンは嫌そうな顔をした。
「なんだ、生きてたんだ。死んだと思ってほっといたのに」
「地獄から舞い戻ったでありんす」
 その躰は顔の半分を残してすべて機械化されていた。その髪の毛の一本一本までもだ。
 炎の攻撃にだけ注意すればいいと油断していた。
 刹那だった。無数の針となった火鬼の毛がワーズワースの腹を貫いていたのだ。内蔵はボロボロになり、通常の手術ではもう手の施しようがない重傷。
 ――歯車が咆哮をあげた。
 アレンの拳が機械化されていた火鬼の頬を変形させるほど抉り、そのまま首がもげた。
 床に転がった火鬼の頭部。首から火花が散って、謎の液体を垂れ流している。
「小僧……め……」
 眼と口を開いたまま火鬼は停止した。
 すぐにアレンはワーズワースを抱きかかえた。
「だいじょぶか!」
「無理ですね……これ死にますよ」
「さっさとずらかって直してやるから我慢しろ!」
「そういう根性論無理です、僕理系なんで。本当にもう死にそうなので、頼まれごといくつか引き受けてください」
「早く俺の背中に!」
 だが、もうワーズワースは壁にもたれ掛かり、座ったまま動くことができなかった。少しでも動けば、躰が崩れて横に倒れてしまいそうだ。
 ワーズワースは床の上に垂れていた腕の先で、ゆっくりと手を開いて見せた。
 そこに乗せられていたのは、小型メモリーと十字架のペンダントだった。
「まず、メモリーはジェスリーに渡してください。十字架はセレンちゃんに」
「自分で渡せばいいだろ!」
「頼みましたよ、ほらこれを持って早くセレンちゃんを探してください」
 アレンは無言でメモリーと十字架に手を伸ばした。
 手と手が触れた。まだワーズワースの手は温かい。そして、ワーズワースはアレンの手を強く握り締めたのだ。
「頼みます」
 そう言ってワーズワースは残る片手で自分の腹に空いていた傷口に差し込んだのだ。
 まさかの出来事にアレンは眼を剥いた。
「なにやってんだあんた!」
「これ僕の形見なんで、アレン君が使ってください」
 ワーズワースが腹の中からえぐり出したのは、少し青みがかった透明の球だった。握った手が隠れそうな大きさだ。
「風を発生させる魔導具です。僕がつくったもので、本当は武器ではなくて送風機として、なにかの役に立たないかなぁって。僕がこれまでつくってきたものだって、レヴェナがつくってきたものだって、本当は戦いのためにつくってきたんじゃないんだ。でもね、レヴェナがつくったもので唯一の例外……それが……く……ろ」
 ワーズワースの息を止まった。
「糞っ」
 小さく呟いてアレンはワーズワースの亡骸を背負った。重かった。アレンが背負うには重かった。
 そして、アレンは走り出した。

 つづく



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