そして未来へ

《1》

 鬼械兵がセレンの前に立ちはだかった。
 逃げられないことを覚悟したそのときだった。急に鬼械兵が停止して床に崩れたのだ。その中でただひとり立っている女だ。
 金髪の鬣[たてがみ]を靡かせるライザ。
「逃がしてあげるからついてきなさい」
「えっ!?」
 状況が掴めず驚いた。
 ライザはセレンたちを裏切って隠形鬼――アダムと〈インドラ〉から消えたのだ。そのライザがなぜ?
「早くして、アナタといっしょのところ見られたらアタクシの立場も危うくなるわ」
「どうして助けてくれるんですか?」
 ヒールを鳴らしてライザがセレンの目と鼻の先に立った。セレンの躰に手を這わせたのだ。
「きゃっ、なにするんですか?」
「これよ」
 ライザはセレンのポケットから玉を取り出した。それは光を失っているが、どこかで見覚えがある。
「それって〈生命の実〉ですか!?」
「そうよ」
「どうしてわたしのポケットに?」
「彼が偽物とすり替えたからよ。アナタはこれを持って逃げる義務がある」
「彼ってもしかしてワーズワースさんのことですか?」
 ライザは頷いてから背を向けて、早足で歩き出した。
 心が温かくなり、ほっとした気持ちがセレンを包んだ。〈生命の実〉を奪ったわけでもなく、先ほどだって自分を逃がしてくれた。ワーズワースはやっぱり悪い人じゃなかった――とセレンはニッコリとした。
 二人は先を急ぐ。
 ドアの前で立ち止まったライザは、センサーに手と瞳をかざした。
 スライドして開いたドアの先は、乗り物の格納庫だった。走行用ベルトのついてない戦車やエアカー、飛行機などが格納されていた。
 その中からライザは一人乗りの飛行機を選んだ。真上から見た形は、角の丸い正三角形で、横から見ると中心に透明なドーム状の屋根が乗っており、その中がコックピットになっている。
「わたし操縦できませんけど?」
「自動操縦だから大丈夫よ」
「はぁ、よかった」
 ドーム状の屋根が開き、セレンがコックピットに押し込まれる。ライザはタッチパネルを操作して、自動操縦で行き先を決めているようだ。
 その操作をしながらライザは何気なく話をはじめた。
「アスラ城で隠形鬼から一時的に逃げることができたのだけれど、それ以上の逃げ場は残されていなかったわ。そんなアタクシの前に現れたのが彼だった。良い旅を――というのは彼の言葉よ」
 最後にライザがボタンを押すと、コックピットの屋根が閉まりはじめた。
 飛行機が静かに浮いた。
 セレンは屋根を叩いて口を動かしている。完全防音のために、なにを言っているのかわからなかった。
 艶やかに笑ってライザは手を振る。
 そして、ボソッと呟く。
「ああ、ハッチ開けるの忘れたわ」
 音速で飛び立った飛行機がハッチをぶち抜いて空に消えた。

 夜明けと共にテントの中でアレンは目を覚ました。
「どこだよ……ここ?」
 仮設テントではなく、生活感のあるテントだ。遊牧民が使用するゲルのようなものだろうか。
 外に出ると、ターバンを頭に巻いたよく日に焼けた少年がいた。
「起きたか」
 少し片言な口ぶりだ。
 アレンは頭を掻きながら答える。
「ああ、起きた。なあ、俺の連れはどうした?」
「死んでたから埋めた」
「……そっか。あんがと」
 寂しげにアレンは囁いた。
 あれからなにがあったのか?
 〈ピナカ〉を乱射しながらひたすら逃げた。セレンを探すつもりだったが、大量の鬼械兵に追われているうちに、フローラも復活して、いつアダムも現れるか わからない状態だった。そして、壁をぶち抜くと、夜が見えたのだ。追い詰められたアレンはそこから飛び出すしかなかった。
「必死すぎてなにも覚えてないや。あんたが俺のこと助けてくれたの? どこで?」
「砂漠の真ん中で屍体を背負って倒れた。死んでるかと思ったら生きてた」
「あんがと。でさ、ここどこ?」
「砂漠の真ん中」
「位置的な意味で、近くにある村とか」
 尋ねると少年は持っていた杖で遠い丘を示した。
「あの丘を越えたところに村があった。でも今は人間がいなくなった」
「死んだのか? それとも戦争で逃げたのか?」
「人間が機械になった。機械になった人間は人間に殺された」
「ふ~ん」
 ナノマシンウイルスだろう。クーロンから近隣の村までもう広がっていると言うことだ。それよりも、機械人化した人間が殺されたというのが衝撃的だった。
 家族や友人か機械人化してしまったら、元の躰に戻そうとするだろう。それが無理でも殺すなんてことはできない。けれど、社会全体からすれば、人間も機械人化すれば脅威と見られるのかもしれない。さらに機械人化が伝染する可能性も考えたのかも知れない。
 少年はアレンの機械の片手を見つめた。
「おまえも機械だろ。手当てするときに服を脱がした」
「半分。俺のこと殺す?」
「敵でも脅威でも、ましてや食料でもない。殺す理由があるか?」
「ないな」
 〈ピナカ〉はアレンが携帯したままだった。服を脱がせて手当をしたとき、武器を奪われなかったのだ。いつの間にかできていた腕の傷は、薬草を塗られ包帯が巻かれている。視力を失った片眼に巻いていた布も新しい物になっていた。
「いろいろあんがと、じゃあ俺行くわ」
 アレンが歩き出した方向は村があるという丘のほうだ。
 だが、その足が止まった。
 少年はアレンではなく、空を見つめていた。
 飛空挺だ。
 〈インドラ〉がこちらに向かってくる。
 アレンは〈インドラ〉に向かって手を振った。
「お~い」
 相手はアレンに気づいているだろうか?
 ゆっくりと降下してくる〈インドラ〉。これはアレンを迎えに来たらしい。
 仮設テントの集落から少し離れた場所に〈インドラ〉は降り、少ししてからエアカーがアレンに向かって走ってきた。乗っている人影が見える。ジェスリーだ。
 エアカーが停車してジェスリーが運転席から降りた。
「ご無事でしたかアレンさん」
「そっちこそ。俺のことよく見つけたじゃん」
「クーロンを偵察しようと飛行中、偶然アレンさんのエネルギー反応を検知しました」
「俺のエネルギー?」
「機械と人間の混ざった特殊なエネルギー反応なので、運良く見つけることができました」
 ジェスリーは辺りを見回して、再び口を開く。
「セレンさんはどうしましたか?」
「はぐれた」
「そうですか。詳しい話は船に戻ってからしましょう」

 操縦室にはリリス、トッシュ、ルオがいた。とりあえず、まだルオは大人しくしているらしい。アレンが〈ピナカ〉を持ち出したので、〈黒の剣〉がなければ〈インドラ〉は動かない。
 部屋に入ってすぐのアレンにトッシュが尋ねる。
「シスターはどうした?」
「はぐれた」
「おまえいっしょじゃなかったのか!」
「途中までいっしょだったけど、敵の基地ではぐれた」
 そして、アレンはこれまでのことを話して聞かせた。
 クーロンにある要塞〈ベヒモス〉のこと、セレンとはぐれたこと、ワーズワースのこと、無我夢中で逃げてそこの記憶がないこと。
 話を聞き終えたトッシュはアレンの胸ぐらを掴んだ。
「糞餓鬼、シスターを置いて逃げるとはどういうことだ!」
「ちげーよ、逃げ回ってたらそうなったんだから仕方ないだろ!」
 睨み合う二人は同時に銃を抜いた。
 その仲裁に入ったのはなんとルオだった。――いや、違った。ルオはアレンの〈ピナカ〉を奪っただけだ。
「これで朕の〈黒の剣〉は返してもらうよ」
「おい、俺の銃だぞ!」
「君のではないだろう。ライザの物だ、つまり朕の物だ。この飛空挺も朕の物になるわけだが、これは君たちにくれてやる」
 そう言ってルオはピナカをジェスリーに放り投げた。早く〈黒の剣〉と〈ピナカ〉を取り替えろということだ。
 アレンはここでさっき話していなかったことを思いだした。
「そうだ、あの兄ちゃんから預かってた物あったんだ。ジェスリーにだってさ」
 メモリーをアレンはジェスリーに手渡した。
「これは古い時代のメモリーカードです。わたくしの規格で読み込むことができます」
 なんとジェスリーはメモリーを呑み込んだ。差し込み口は腹の中というわけだ。
 見る見るうちにジェスリーの瞳が見開かれていく。驚愕だ。機械人のジェスリーが驚愕している。
「なんということでしょう。まさか……こんな重要なことを……」
「どうした?」
 アレンが尋ねると、ジェスリーは深く頷いてから、話しはじめたのだ。
「このメモリーカードには、いくつかの情報と、わたくしに掛けられていたプロテクトを解くキーが記録されていました。簡単に言いますと、わたくしは意図的に記憶を封じられていたようです」
 訝しげにトッシュが尋ねる。
「どんなだ?」
「ワーズワースの正体についてです。彼はわたくしをつくった3人の科学者のひとり、ジャン博士だったのです」
「ほう」
 と、声を漏らしたのはリリスだった。
「妾も気づかなかった」
 リリスにも気づかれず、ジェスリーの記憶も封じ、アダムにも知られていなかったのだろう。
 ジェスリーは語りはじめた。
「ワーズワースとしてのジャン博士は、その姿形、声すらも当時とはまったくの別人として、生体の改造をしたようです。しかし、今ならわかります。しゃべり方には、当時の面影が少し残っていました」
 懐かしそうな顔でワーズワースは話していた。
「ジャン博士はアダム追放後すぐにコールドスリープをしました」
「なにそれ?」
 不思議そうな顔をしたのはアレンだ。
「コールドスリープとは、生きた人間を冬眠させる装置だと思ってください。その作業を手伝ったのがわたくしでした。そして、ジャン博士はこの時代に目覚めたようです。およそ15年ほどの前のことです」
 ジャンがコールドスリープ前に何歳だったかわからないが、15年プラスしてあの若さというのは、なんらかの技術によるものだろう。ワーズワースの姿になったとき、見た目の若さも手に入れたのかもしれない。
「そして、今から2年ほど前、ジャン博士は隠形鬼の存在を知り、それがアダムだとすぐに気づいたのです。ジャン博士はワーズワースとなり、どうにか鬼兵団の一員としてアダムに近づき、その動向を探っていたようです」
 ジャンとして、ワーズワースとして、そして風鬼として、渡り歩き、数々の経験をしたことだろう。鬼兵団としてやりたくないことにも手を染めたかもしれない。
「すぐにアダムをぶっ飛ばせばすぐ話じゃんか」
 アレンはいつもこうだ。
 ジェスリーは丁寧に首を横に振って見せた。
「アレンさんの方法はシンプルですが、実現は難しいのです。ジャン博士にとって孤独な闘いでした。すでに文明は滅び、頼るものもなく、理解者もなく、大き な敵にどう立ち向かうのか。今は鬼械兵団が動き出したあとですから、その脅威について人間が認識することは簡単です。しかし、それ以前にたった一人の人間 が、その脅威について人々に訴えかけたところで、だれがその話を信じるでしょうか。時代が時代でも理解されないことはあります――レヴェナ博士は危険性を 示唆していたのに、戦争は起きてしまいました」
 ワーズワースは吟遊詩人だった。彼は旅をしながら、なにを求め、なにを人々に訴えかけたかったのか。その記録もジェスリーは知っているのだろうか?
 一呼吸置いてから、ジェスリーはさらに話を続ける。
「クーロンは古い時代、人間軍の基地があった場所でしたが、戦争の早い段階で機械軍に乗っ取られた場所です。あなた方がクーロンで魔導炉と呼んでいる物は、実際にはナノマシンウイルスをつくり出すプラントなのです」
 ここにセレンがいれば、それを目の当たりにした者として、なんらかの発言があったかもしれない。
 一同の中には本当にそんなものが存在するのか、人間を機械人化するなどありえるのだろうか、そういった空気があることは否めない。けれど、リリスは現実 味をもってその話を聞いている。もともとそれは彼女が研究していたものだからだ。あの妖女リリスたるものが、複雑な顔をしている。
 トッシュが発言する。
「魔導炉を壊せばナノマシンウイルスの危機は防げるってことだな?」
 しかし、それに反対する者がいた。
「魔導炉は国の維持に必要不可欠なものだ。破壊するなど朕が許さぬ」
 これはルオの意見だけでは済まないかもしれない。ナノマシンウイルスの脅威を考えれば、魔導炉を破壊するのもうなずける。けれど、魔導炉のエネルギー資源の恩恵を受けている立場は、それが失われることをどう思うだろうか?
 豊かな暮らしから、厳しい砂漠の真ん中に放り出されると知ったら、自分たちの生活を守ろうと立ち上がる者がいるのではないだろうか?
 周りで人々が苦しんでいようと、戦争の真っ最中であろうと、私利私欲を守ろうとする者たちは絶えない。
 トッシュとルオが睨み合う中、それを割ってはいるように、ジェスリーは話をして自分に視線を向ける。
「プラントを停止させるなり、破壊することは可能ですが、空中に散布されたナノマシンウイルスを停止させることは通常の方法では不可能です。それの唯一の 対抗手段として、ジャン博士は〈黒の剣〉を考えていたようです。加えて〈生命の実〉がアダムの手に落ちた場合の対抗手段としても、〈黒の剣〉が有効とのこ とです」
 ――〈黒の剣〉の秘密、知りたくはありませんか?
 そうワーズワースに言われて、ルオは旅の同行をしたのだ。だが、月へ行ってもわからず終いだった。ルオはジェスリーの話に興味を持った。
「朕の〈黒の剣〉がなんだというんだい?」
「〈黒の剣〉の理論はもともと〈生命の実〉の副産物として生まれました。〈生命の実〉が無限のエネルギーを放出するものならば、〈黒の剣〉は無限にエネル ギーを吸収するものです。実際には吸い取ったエネルギーを放出することも可能で、複雑な作用をするものなのですが、膨大な〈生命の実〉のエネルギーを吸収 して、相殺できる唯一の受け皿ということが重要なのです」
 ワーズワースがアレンに言い残そうとしたことだ。あのときは最後まで語られることはなかった。
 レヴェナが唯一の例外としてつくったもの。すなわち戦う目的のためにつくったもの。それが〈黒の剣〉。
 その真価についてジェスリーが語る。
「それだけではありません。〈黒の剣〉は使い方によっては、この世の全てのエネルギー活動を停止させることが可能です。アダムとてその例外ではありません」
 それは〝死〟である。
 ある意味、どのような経由でシュラ帝國に渡ったのかわからないが、シュラの煌帝が持つに相応しい象徴的な武器だ。
 再びトッシュがルオを睨む。
「そんな危険な物、絶対おまえに返ささんからな」
「〈黒の剣〉は朕の物だ」
 ザザザザ……ザザザザザ……
 どこからか聞こえてきたノイズ音。
 船内のスピーカーがなにかを拾っている。
《……私の名はアダム》
 無言のざわめきが操縦室を包み込んだ。
 それは全世界へ向けてのアダムの演説であった。
 ラジオやテレビなどを含む、すべての電波をアダムはジャックしたのだ。

《2》

 砂の海原にセレンを乗せた飛行機は墜落していた。
 攻撃を受けたのだ。
 地上からの何らかの攻撃を受け、砂漠のど真ん中に墜落した。その衝撃でセレンは今の今まで気を失っていたのだ。
 操縦席に響く声でセレンは目を覚ました。
《……私の名はアダム。人間ではなく機械である》
 それは全世界に向けられた演説だった。
《そして、この青き星の始皇帝となる者だ》
 世迷い言にしか聞こえない言葉だが、それは現実の物になろうとしていた。
《機械の兵士たちが、世界各地で人間たちを制圧していることは、すでに多くの者の耳に入っていることだろう。それが我が軍――鬼械兵団である。手始めに シュラ帝国領のクーロンを落とし、その後、二大強国である神聖クリフト皇国の総本山クリフト市内と宮殿はすでに我が手中にあり、ロマンジア連邦の首都クア モスも制圧済みである》
 かつては三大強国であり、そこにシュラ帝國が名を連ねていた。
《人間がすべての武器を捨てて我々に降伏しない限り、この戦争は続く。私の目的は人間の自由を奪うものではない。人間は武器を捨て、我々の存在――自立し た機械を人類として受け入れる以外は、今まで通りの生活をすればいい。私がこの星を統治すれば、ロストテクノロジーのすべてが現代の技術として蘇り普及 し、人間にとっても豊かな生活が実現するだろう》
 目的に嘘はない。失われた時代も復古するだろう。だが、人間がアダムのやり方がを受け入れ、機械人と人間が良好な関係を築くことができるのか、それが問題なのだ。
《我々の存在を受け入れがたいというのなら、機械人になってみるがいい。特殊なウイルスによって、人間の肉体を機械に置き換える技術がある。すでにクーロ ン周辺で実験済みであり、人間が機械人化した事実は、一部の人間の耳に入っていることだろう。この技術は身体のみを変化させるものであり、人格を支配した り奪うものではない。にも関わらず、人間たちは機械人化した人間を虐殺している。実に愚かだが、元の身体でも殺し合いをするような種なので仕方あるまい》
 操縦席に流れる放送を聞きながらセレンは目を伏せた。
「人間同士で殺し合いをしていることは認めます。けど、機械人が人間を殺すのとなにが違うんですか。このひとのやろうとしてることは……矛盾してる」
 機械はよく0か1かと言われる。イエスであるか、ノーであるか、そこ矛盾はなく、プログラムにミスがあれば、システムエラーが起こる。
《今から1時間後、このウイルスの散布を本格的に開始する。その2時間後、100万以上の鬼械兵が新たにこの星に投入される。そして、これから7日間、 24時毎に衛星から地上に向けて攻撃をする。これはかつて〈メギドの炎〉と呼ばれた兵器だ。天から炎が降り注ぎ、地上が地獄の業火で焼き尽くされ、世界が 砂漠化すると言えば、人間たちにも伝わるだろう》
 どこまでが脅しだろうか?
 本当に地上を焼き尽くするつもりだろうか?
 人間だけでなく、青き星まで滅ぼすつもりだろうか?
 ふと、セレンの脳裏に浮かんだ光景。月で見たエデンの園、そして〈ベヒモス〉で見た似たようなホログラム。
《地獄と天国、選ぶのは御前たちだ。武器を捨て、降伏せよ。さすれば理想郷の実現を約束しよう!》
 そして、通信は途絶えた。
 自分になにができるのか、セレンは考えすぐに行動した。
「とにかく〈生命の実〉を……そうだリリスさんに届ければ、わたしにできることをしなきゃ!」
 目の前に立ちはだかる問題は多い。
 操縦席から見える景色は砂と空。準備もなく外に飛び出すなど無謀すぎる行為だ。だからと言って、セレンに飛行機は操縦できない。
「もっと別の場所に落ちたら……ッ!」
 セレンはハッとした。この飛行機は落とされたのだ、地上からの攻撃によって。
 いったい何者による攻撃だったのか、その脅威はまだ近くにあるのだろうか?
 破れかぶれでセレンは操縦席のタッチパネルを操作した。
 すると、操縦席の屋根が開いた。
 肌を刺す陽と熱。
「閉めないと焼け死ぬ!」
 想像以上の過酷な環境だった。汗がどっと噴き出してくる。
 セレンは知る由もないが、この場所は〈死の海原〉と呼ばれる広大な砂漠地帯だった。なにもない高熱の砂漠地帯と云われ、その場所に立ち入り者などいないような場所。世界から忘れられた地と云ってもいい場所だった。
 突然、セレンのポケットが燦然と輝きはじめた。
「えっ、なに!?」
 驚くのはまだ早い。
 地中が盛り上がり、砂が滝のように流れる光景。なにもなかった砂漠に巨大な箱が現れる。それには巨大な扉がついていた。
 重々しく見える二枚扉は、滑らかに左右に開いた。
 セレンは操縦席から飛び出した。砂に足を取られバランスを崩し、地面に手をつけると、じゅっと火傷をしてしまった。
「熱いっ」
 ここに居ても仕方がない。だからと言って、扉の先になにがあるかわからない。それでもセレンは導かれるように扉の中に入った。
 それは箱で行き止まりだった。明かりがついており、壁にボタンがついている。2つ並んだボタンの下に配置されているものが光っている。
「きゃっ」
 セレンは身構えた。
 箱が下へ移動しているのだ。そう、これは巨大なエレベーターだったのだ。
 高速で移動するエレベーターは地下へ地下へと進んでいる。
 身体がふっと浮き上がるような感覚して、エレベーターは停止した。
 開かれる扉。
 セレンを待ち受けていたものは、大勢のビームライフルを構えた機械人だった。
 一瞬にして頭を過ぎったのは、鬼械兵団。飛行機を攻撃された理由も頷ける。
 しかし、今まで見た鬼械兵とはタイプが違う。この機械人たちには、顔があり表情があったのだ。
 機械人が道を空ける。向う側からやってくる影。それは四つ足であった。黒き毛を持つ狼だ。
 セレンの前まで来た狼は、なんと話しかけてきたのだ。
「私の名前はマルコシアス。もしや、あなた様はセレン様ではありませんか?」
「えっ……あ……は、はい……」
 獣が人間の言葉をしゃべった。清廉そうな青年の声音だった。狼の肉体の構造上ではありえないことだ。
 驚くセレンは言葉に詰まる中、狼はそれが自然体というように、また口を開く。
「セレン様が私のことを覚えてないくとも仕方のないこと。まだセレン様は生まれたばかりの赤子だったのですから」
「赤ちゃんだったわたしを知ってるんですか? そんなどうして……それはいつのことです? だってわたしは捨て子で、教会の神父さまに拾われたんですよ?」
 疑問符が次から次へと頭の周りを回る。セレンは瞳を丸くして、驚きと混乱に陥った。
「教会の神父さまに……さぞや、大変な苦労をなされたことかと……」
 マルコシアスは涙ぐんでいるようだった。
 この状況でセレンは混乱するばかりだ。
「あなたはいったいどのような方で、わたしのなにを知っていて、ここはどのような場所で、1から説明していただけないと、なにもわかりません」
「この場所は第零メカトピア。世界からも歴史からも完全に隔離された機械のみが暮らす街です」
 ジェスリーの話ではメカトピアは第一から第三までの三都市のみだったはず。ただし、ジェスリーが伏せていたため、セレンはその話を知らない。ここではじめて機械人の暮らす街の存在を知ったのだ。
 マルコシアスが背を向けた。
「どうぞ、私の背中にお乗りください。記念碑の前まで行きましょう」
「本当に乗っていいんですか?」
「お構いなく」
「じゃあ、失礼します」
 恐る恐るセレンはマルコシアスに跨った。すると、マルコシアスに黒い翼が生えたのだ。それはまるで鴉の羽根だ。
「きゃっ!」
「毛に捕まってくれて構いません」
 そう言ってマルコシアスは翼を羽ばたかせ空を飛んだのだ。
 空から見る街並みはジェスリーのいたメカトピアと似ていた。その街の中心に開けた自然豊かな公園があり、さらにその中心の芝生地帯に女の銅像が建っていた。
 それはレヴァナの姿だった。
「あれってレヴァナさんですよね?」
「ええ、セレン様の母上様です」
「…………」
 驚きのあまりセレンは言葉を失った。放心だった。
 マルコシアスが銅像の前に降り立った。
 無言のままセレンは銅像に近づき、台座に乗るレヴェナの姿を見上げた。
 ホログラム映像で見た。
 そして、アダムの顔として見てきた。
 しかしここで見るレヴェナは今までとは違う感情をセレンに抱かせた。
「急にそんなこと言われても……だってこのひとって、ずっと昔に生きていたひとなんですよね? わたしまだ16歳ですよ……その年齢も本当はたしかなものじゃないんですけど。このひとがわたしのお母様だなんて、信じられるわけがないじゃないですか」
「私には高度な生体認証システムがついています。あなた様は98パーセントの確率でセレン様です」
「だってわたしの名前はセレンですから、セレンなのは当たり前です。この名前はわたしが拾われたときに、唯一持っていた十字架に古い時代の文字で刻まれて いたそうです。でも……そんな……もしその話が本当だったとして、なぜわたしは捨てられ、この時代に生きているんですか?」
「セレン様は捨てられたのではありません。不幸な出来事が重なってしまったのです」
「詳しく教えてください!」
 身を乗り出してセレンは声を荒げた。
 両親の顔も名前も知らずにセレンは育った。赤子だったセレンを拾って育ててくれたのは、若い神父とシスター・ラファディナだった。二人はもうこの世にいない。それからセレンはずっと独りだった。
「まずは私のことから簡単に説明いたしましょう。私はレヴェナ様につくられたペットアンドロイド。レヴェナ様に仕え、セレン様がお生まれになったときのこともよく知っています」
「あのっ、わたしの父は?」
「お父上に関しては、レヴァナ様はなにもおっしゃいませんでした。未婚の母だったのです」
「そうですか……」
 セレンの声は沈んだが、すぐに笑顔でマルコシアスを見つめた。
「あ、話を続けてください」
 その笑顔を見たマルコシアスは、銅像を見上げて話しはじめる。
「セレン様は生まれて間もなく難病にかかりました。当時の医療技術では、ナノマシン細胞やサイボーグ化でしか助からない病気でした。しかし、レヴェナ様は その手術をすることに反対でした。当時としては珍しく、レヴェナ様は自身をまったく機械化されてない方でしたし、まだ自分で判断ができない赤子のセレン様 の身体を勝手に機械化することを嫌いました」
 ホログラムで見た映像、そしてここにある銅像、どちらのレヴェナも眼鏡をかけていた。眼鏡というものは、ファッションを覗いて珍しいものだった。
 今の話にマルコシアスは付け加える。
「勘違いなさらないでください。自身の身体をまったく機械化しないからと言って、我々アンドロイドのことを嫌っていたわけではありません。ただレヴェナ様 は、己は己らしく生きたいというお考えの方でした。自分の生き方を他人に強要されたり、勝手に決められたりすることを嫌う方だったのです」
 難病だったと聞いて、セレンは疑問が浮かんだ。
「今のわたしは健康そのものですけど?」
「レヴァナ様はセレン様の病気を治すため、治療薬が開発されるまでコールドスリープさせたのです」
「コールドスリープってなんですか?」
「眠りについて、歳を取らないまま時間を過ごす方法です。しかし、大きな不幸が起きてしまいました。戦乱の最中、セレン様のコールドスリープ装置が紛失し てしまったのです。それから何十世紀もの間、セレン様の行方はわからず終いでした。それから先にことは私にもわかりません」
「え?」
 小さく声を漏らしてしまった。とても驚くと言うより、唖然としたのだ。肝心な部分が話として欠落している。
 マルコシアスはセレンをまじまじと見つめた。
「私が見たところ、セレン様の健康は良好のようです」
「はい、自分でもそう思います」
「実はあの難病の治療薬は現在でも開発されてません。さらにその病気はもうこの世に存在していない」
「じゃあどうして治ったんですか? って聞いてもわからないですよね」
「断片的な推測でよろしければ」
「せひ!」
 と、セレンは身を乗り出した。
「実はコールドスリープについたのはセレン様だけではありませんでした。本当ならレヴェナ様が……」
 マルコシアスは言葉に詰まった。
「アダムに乗っ取られたからですか?」
「ご存じでしたか……ごく一部の者しか知らない事実です。妹のリリス様にも伏せられていましたから。セレン様が目覚めたとき、治療をして、その後を見守る 者が必要でした。アンドロイドが適任なのですが、レヴェナ様はそれを自分の手でしたいと考えていたようでしたが、それもできなくなってしまわれた。そこで ある方が名乗りをあげました。レヴェナ様の知人の科学者でした。彼はセレン様に遅れて、共に眠りにつきました。そして先ほども話したように、戦乱の最中に コールドスリープ装置が紛失してしまいました」
「わかりました、その科学者さんがわたしのこと治してくれたってことですよね?」
「そうです。セレン様の病気の事情を知っている彼が、治療方法を探して治したと考えるのが自然かと。そうなると、ご一緒に目覚めたはずなのに、彼はどうしてしまったのかという疑問が残りますが」
 コールドスリープ装置紛失から、セレンが教会で拾われるまでの間、その空白になにがあったのか?
「やっぱり本当にわたしって、レヴェナさんの娘のセレンなんですか?」
「私の認証システムではほぼそうだと思います。それに十字架の話をなさってましたよね? もともとそれはレヴァナ様の物です。見せてくださいませんか?」
 セレンは自分の首もとを触った。
「あ……ない。うそ……どこかに落とすなんて……」
「そうですか、それは残念なことです」
「……でもがんばって見つけます」
 気持ちを切り替えてセレンは話を続ける。
「もしここで十字架を見せて、それがレヴァナさんの物ですって言われても、やっぱり実感が湧かないと思うんです。実感はないけど、本当にお母さんの存在がわかって、ちょっぴり嬉しいです」
 セレンは目元を指で拭った。
「つかぬことをお伺いするのですが、もしやあの小型飛行機におられたのはセレン様でしたか?」
 と、マルコシアスは尋ねた。
「たぶんわたしが乗ってきたものだと思います。攻撃を受けて墜落してしまって」
「嗚呼、なんてことを……実はその攻撃をしたのは、この街を守る自動防御システムなのです」
「だいじょぶです、わたし怪我とかしてませんから。怨んだり怒ったりもしてませんよ!」
 マルコシアスは頭を垂らして、ひどく落ち込んでいるようすに見える。
 セレンのほうが慌ててしまう。
「だいじょぶですから、本当にだいじょぶですから、ぜんぜん気にしてませんから!」
「お気遣いかたじけない。ところで、なぜこの場所に来られたのですか?」
「それは偶然……」
 本当に偶然だったのだろうか?
 墜落したのは偶然だったかもしれないが、この場所に飛んできたのは、偶然ではなかったかもしれない。自動操縦にセットしたのはライザだ。ならば、ライザはこの第零メカトピアの存在を知っていたのか?
 マルコシアスは狼の顔だが、凜と表情をさせたように見えた。
「偶然だとしても、レヴァナ様の娘であるセレン様が居られるだけで我々は心強い。地上でアダムとの戦争が起きていることを我々は知っています。そして、第零メカトピアの住人は、アダムと戦う決意していたところなのです」
「もしかして、これが役に立つじゃないですか!」
 セレンはポケットからある物を取り出して見せた。
 驚きで眼を剥くマルコシアス。
「まさか……それは〈生命の実〉ではッ!?」

《3》

 クーロンを包囲した多国籍軍。
 戦車部隊の一斉砲撃が市壁を攻撃した。
 その様子をアダムは〈ベヒモス〉の司令室の巨大モニターで見ていた。
「この場所を攻撃してきたのは、我々がここにいると知ってか……」
 特定の軍が攻撃してきたのではない。鬼械兵団との本格的な戦闘をするために、人間は連合を組んでいる。機械と人間という明確な線引きの戦いだ。
「予定通り零號炉[ぜろごうろ]を始動させ、ナノマシンウイルスの散布をはじめるぞ」
 アダムの命令で鬼械兵が動き出す。
 魔導炉の天井が花開き、花粉のように光球が舞い上がる。
 そのさらに上空に現れた〈インドラ〉。
 アダムは〈インドラ〉の下部が輝くのを見た刹那、
「飛空挺に魔導砲を放て!」
 叫んだ。
 魔導砲の巨大な光線が天を突かんとした。
 急旋回した〈インドラ〉に魔導砲が掠った。
 天を迸る稲妻。
 傾いた〈インドラ〉が魔導砲を横に発射してしまったのだ。
 そして、都市は沈黙した。
 停電だった。
 ナノマシンの散布も止まっている。
 アダムが呟く。
「なにが……起きた?」
 動力が別になっている〈ベヒモス〉は稼働している。
 アダムは振り返った。
 その先には壁により掛かり優雅に珈琲を飲むライザの姿。
 ライザは唇を舐めて艶笑を浮かべた。
 直感するアダム。
「なにをした!」
「あら、まるでアタクシが悪さでもしたような言い方。アタクシは最善の仕事をしたわよ。偽物の〈生命の実〉でもシステムが稼働できるようにしたもの。偽物ではやはりエネルギー不足が起きてしまったけれど」
 偽物だと知っていて、それをアダムに報告しなかった。
「本物はどこにある?」
「シスターが持ち逃げしたわ」
「この女を監禁しておけ!」
 アダムが叫び、鬼械兵がライザを連行していく。
 さらにアダムは命令する。
「ライザが関わったシステムを早急に点検しろ。それが終わったら全システムの点検だ!」
 怒っていた肩をアダムはゆっくりと落とした。
「なぜ人間という動物は裏切るのだ。何度も何度も私は人間に裏切られた。なぜ人間は裏切る?」
 裏切るという言葉の意味を理解していても、なぜ裏切るのかという心理が理解できない。ゆえに裏切られることを予見できず、今回のような事態を引き起こしてしまった。
 鬼械兵がアダムに身振り手振りなにを示している。電波による会話をしているのだ。それを聞いたアダムはすぐに巨大モニターの映像を切り替えた。
「市壁が〝切断〟されただと?」
 戦車の上に立ち、多国籍軍の先陣を切っている漆黒の大剣を構えた少年。その軍勢は分裂していたシュラ帝國の残党がほとんどだった。今も煌帝ルオの威権を象徴する軍だった。
 ルオの立つ戦車に追いついてきた別の型の戦車。その戦車の上には軽合金プロテクタースーツを装備した大柄の男。フルフェイスのマスクから若干覗ける顔はトッシュだった。
「俺様より先に行くな!」
「君と競争をしているつもりはないよ」
 と、言いながらもルオの戦車はスピードを上げた。
「おい、待ちやがれ!」
 と叫んでから、マスクについた通信機でトッシュは、
「スピードを上げろ」
 と戦車の操縦者に伝えた。
 切断された市壁の裂け目は戦車が横並びで2台通れるくらいだ。そこから鬼械兵がわらわらと湧き出してきた。
 トッシュは背負っていたバズーカを構えた。
 が、〈黒の剣〉の放った衝撃波が先に鬼械兵を一掃した。
 トッシュは戦車の屋根を強く蹴飛ばすように踏んづけた。
「あの餓鬼っ、またいいとこ取りしやがって!」
 シュラ帝國の残党軍がルオに続いて市内に突入していく。
 負けじとトッシュも進撃する。
「全軍一気に進めーッ!」
 通信機でトッシュが命じると、残る軍隊も激進した。革命軍を中心として、他国の軍なども含めた連合軍。
 煌帝ルオと英雄トッシュの名前で集まった軍だ。
 そして、空からは〈インドラ〉。
 〈インドラ〉の狙いは魔導炉の破壊だ。
 阻止するためにアダムが叫ぶ。
「飛空挺を魔導砲で打ち落とせ、なんとしても!」
 〈ヘビモス〉がその顔を〈インドラ〉に向けた。移動要塞〈ヘビモス〉の全容はまるで象牙を生やした河馬[かば]だった。巨大な口を120度以上開き、そこから魔導砲を発射したのだ。
 天まで届く輝ける塔のような光線が何本も何本も発射された。その光線の間を掻い潜る〈インドラ〉。避けることに精一杯で攻撃に転じられない。
 鬼械兵から電波で報告を受けるアダム。
《零號炉のエネルギー源を元のシステムに変更しました》
「すぐに最大出力で稼働させろ」
 再び魔導炉からナノマシンウイルスが散布される。それは今までの光球とは違うものだった。光り輝く翼の生えた赤子。まるで天使の子のようなものが空を舞い、やがて弾け飛んで光球となって世界に降り注いだ。
 それは宗教画のような光景だったと共に、この戦場においては不気味な光景だった。目の当たりにした人間たちの志気が揺らがされた。
 さらに花開く魔導炉から、巨大な人影がせり出してきた。まるでそれは裸体の女。燦然と輝くナノマシンウイルスの集合体が、魔導炉よりも巨大な女の姿となって生まれ出たのだ。
 〈輝く女〉は愛を振り撒くようにゆっくりと両手を広げ、ナノマシンウイルスの光球を風に乗せた。
 全身をプロテクターで覆っていた騎鳥部隊の兵士が、突然クェック鳥から転げ落ち悶えはじめた。
「ギャアアアッ」
 周りの兵士たちも次々と転げ回り、中には装備を脱ぎ捨てようとする者まだ現れた。
「中に……ギャアアアッ……入って来るッ!」
 フルフェイスマスクを投げ捨てた兵士の顔が、見る見るうちにメタリックに侵蝕されていく。
「退却しろーッ!」
 機関銃を乱射して鬼械兵と交戦していた大男が叫んだ。全身プロテクターで顔はわからないが、その声はヴィリバルト大佐だ。
 ナノとはその単位の10億分の1を表す。メートルであれば、0.000000001メートルである。
 さらにナノマシンとは、0.1から100ナノメートルの機械装置である。隙間と言える隙間がなくとも、プロテクタースーツの中にまで侵入することは可能だった。
 〈輝く女〉からすれば、それは顔の前を飛ぶハエだったかもしれない。しかし、それはその大きさからは想像もできないほどの、禍々しい鬼気を放っていた。
 〈黒の剣〉をサーフボードのように乗りこなし、ルオは〈輝く女〉の眼前まで飛んできていた。
 しゃがんで柄を握ったルオ。
 刹那、振り下ろされた〈黒の剣〉が〈輝く女〉の顔面を切断した。
 鬼のような形相をして大きな口を開ける〈輝く女〉。叫び声は聞こえなかった。
 そのままルオは重力に身を任せ、〈輝く女〉の股まで切り裂き、その輝く身体が〈黒の剣〉に吸いこまれ呑まれていく。さらに魔導炉にまで斬撃を喰らわせた。
 破壊された魔導炉に構っている余裕は〈ベヒモス〉にはなかった。
 なんと、〈インドラ〉が特別攻撃を仕掛けてきたのだ。つまり体当たりだ。
 上空から猛スピードで迫る〈インドラ〉を〈ベヒモス〉の機動力で躱すことは不可能だった。
 大きく開かれた〈ベヒモス〉の口から魔導砲が発射された。
 防御フィールドを展開していた〈インドラ〉だが、魔導砲の直撃を受けて大きく船体を損傷させ、煙を上げながら墜落する。はじめから堕ちるのが目的だ。関係ない。
 轟音を響かせ〈インドラ〉は〈ベヒモス〉の口の中に突っ込んだ。
 そして、その場で〈インドラ〉は魔導砲を放ったのだ。
 雷鳴が轟く。
 無数の龍に似た稲妻がうねり狂いながら〈インドラ〉と〈ベヒモス〉を絡め取った。
 沈黙した。
 〈ベヒモス〉の司令室は暗闇に閉ざされ、完全にエネルギー供給をストップしてしまっていた。
「おのれ、捨て身で来るとは……人間とは恐ろしいものだ」
 暗闇の中でアダムは辺りを見回した。
「機能が生きている者はいるか?」
 暗闇の中で火花が散っている。そこら中からだ。〈ベヒモス〉の機器類から鬼械兵まで、〈インドラ〉の魔導砲で感電してしまったのだ。〈ピナカ〉の直撃を受けても平気だったアダムだけが立っていた。
 艦内にアダムは通信電波を飛ばした。
《全員この艦を捨てて退避せよ》
 そして、司令室から一瞬にして消えた。アダムが立っていた場所には、換わりに鬼械兵が現れた。
 アダムが空間転送で向かったのはエンジンルームだった。
 〈ベヒモス〉は停止してしまったが、そのエネルギー源は無事だった。
 秤の上に乗せられいる大きな袋。これが〈ベヒモス〉のエネルギー源だった。〈大地の袋〉と呼ばれるこの魔導具は、大きさは人の胴ほどの袋だが、その重さは大地と同等。この重さ、重力をエネルギー変換して、〈ベヒモス〉を動かしていたのだ。
 アダムは大地と同じ重さの〈大地の袋〉を軽々と持ち上げた。
 そして、空間転送で〈ベヒモス〉の外にいた鬼械兵と場所を入れ替えた。
 灰と化しているクーロン市内は鬼械兵と人間の戦闘が激化していた。
 さらに人間と人間の戦いも――。
 〈レッドドラゴン〉の銃口の先にはフローラが立っていた。
「勝ち目のない戦いよ」
「それは人間が機械にって意味か、それとも俺様はおまえにって意味か?」
「両方」
 フローラの身体から槍のような植物が放たれた。
 銃声が吼えた。
 腹を無数の蔓で貫かれ、トッシュは苦しそうな顔をしてよろめいた。
「なぜ避けなかった?」
「あなたこそ」
 苦しげに囁いたフローラも腹を押さえていた。その指の隙間から滲む鮮血。
 膝をついたトッシュ。
「相打ちなんて最悪だな……女の死に様なんて見るもんじゃない。なんで撃たれたんだよ!」
「どちらに転ぶかわからないけれど、戦争はもうすぐ終わるわ。はじめから戦争が終わったら自ら命を絶つつもりだったの」
「罪滅ぼしか?」
「この星のためにやったんだもの、後悔なんてないわ」
 トッシュの傷口からゆっくりと蔓が抜かれていく。
 驚いた顔をするトッシュの顔色が少しずつよくなっていく。同時にフローラが枯れていく。
 全身から水分が失われ、年老いて目も呉れないほどの老婆と化していく。
 自分の腹の傷が癒えたのに気づいてトッシュは悟った。
 ゆっくりとトッシュはフローラに近づき、その息を確かめたが――。
「……胸糞悪い」
 フルフェイスを脱ぎ捨て地面に叩きつけた。
 そして、煙草を加えて火を付けた。
「こんな糞不味い煙草はじめてだ」
 戦争はまだ終わっていない。トッシュは〈レッドドラゴン〉を握り締め大地を踏みしめて歩き出した。
 一方、〈インドラ〉の操縦室ではリリスとジェスリーが地獄から蘇った敵と対峙していた。
 首をもがれても、また新たなボディを手に入れ復活した火鬼だった。
「此処で会ったが100年目、息の根を止めてあげんす!」
「懲りない子だねぇ」
 リリスはぼやいた。
 ジェスリーは物陰に隠れている。
「わたくしは戦闘用ではありませんので、見守っていてもよろしいでしょうか?」
「年寄りをこき使うんじゃないよ」
 しかも、リリスは岩だ。
 しかし、火鬼とて炎の使い手である。
 炎と岩。
「わっちの炎は岩を溶かす色気があるでありんす」
 扇から放たれた炎は金属の床を溶かしながら、リリスの身体を包み込んだ。
 にやりと笑う火鬼。
 炎の中で妖女は艶やかに微笑んでいた。
「餓鬼に惑わされる妾ではないぞよ」
 石触手が伸び、生身だった火鬼の目玉を貫き、後頭部から飛び出した。
 火鬼は口をわなわな振るわせた。
「地獄で……待ってる……」
 顔面から石触手が抜かれ、リリスの身体に戻っていく。
 そこに立っているリリスの姿を見てジェスリーは驚いた。
「そのお姿は?」
「やっと此奴の精神を全部喰ろうてやったのじゃ」
 そこに立っているのはまさしく妖女リリスの姿。だが、その身体には光沢があり、黒い御影石のようであった。形状は妖女リリスだが、その素材は石なのだ。
「じゃが、まだ自由に動けぬ。運んでくれるか?」
 頼まれてジェスリーがリリスを持ち上げようとしたが、足が数センチ浮いただけだった。
「見た目から計算できないほどの質量があるようです。わたくし1人では運べそうもありません」
「仕方ないのぉ」
 リリスが浮遊した。
 ふわふわと不安定に空を飛ぶリリスを見てジェスリーは、
「飛べるのならわたくしに運ばせなくてもよかったのでは?」
「今試したらできたのじゃ」
 2人は操縦室を急いで出た。
 ルオ、トッシュ、リリス、ジェスリー。残るアレンはアダムの前に立ちはだかっていた。
「その袋持ってどこ行く気だよ?」
 黒い眼帯で片眼を覆うアレン。
 その身体の周りには風が渦巻いていた。

《4》

「ふふふふっ。私を追い詰めたつもりか?」
 アダムは不気味に笑った。
 魔導炉も〈ベヒモス〉も、フローラも火鬼も、失われた今、アダムは劣勢に立たされたのか?
 ――否。
 それは戦いの一部にしか過ぎない。
 市内に響き渡っていたのは人間の悲鳴だった。
 鬼械兵団の圧倒的な戦力で、人間が次々と息絶えていく。鬼械兵は腕がもげようと、足を失おうと、悲鳴一つあげず、まるでゾンビのように襲い掛かってくる。死の軍隊を相手にしている気分だ。
 アレンは気づいている。アダムには少なくともあと2つの切り札がある。火星にいる100万を越える鬼械兵と、人工衛星からの地上へ向けての攻撃〈メギドの炎〉。
 たとえ〈生命の実〉がなくとも油断できない。それにアレンたちは〈生命の実〉がアダムの手にないことをまだ知らないのだ。警戒を強めている。
「その袋はなんだよ?」
「知りたいか?」
「ああ、知りたいね」
 アダムが〈大地の袋〉を振り回して押し掛かってきた。
 慌ててアレンはブリッジをして〈大地の袋〉を躱した。
「いきなりかよ!」
 まだそこで攻撃は終わりではない。
 アレンの腹に〈大地の袋〉が落とされようとしていた。
 その袋がなんのかアレンは知らない。だが、ヤバイと直感して、地面を転がって避けた。
 大地が鳴らした地響き。
 まるで隕石が衝突したように、クレーターが地面にできた。すでに〈大地の袋〉はアダムが持ち上げている。ほんの少し地面に触れただけでこれだ。
 クレーターができたときの衝撃で、アレンは天高く吹っ飛ばされていた。
「洒落になんねぇ。やっぱただの袋じぇねえのかよ!」
 空から見るクレーターの大きさは直径30メートルほどだった。周りにいた兵士たちも巻き込まれている。
 アレンは地面に衝突する寸前で、ふわっと身体が浮き上がり、ゆっくりと着地した。風を操ったのだ。
 涼しい顔をしているアダムとは対照的に、アレンは冷や汗を垂らしている。
 〈大地の袋〉を一発でも身体に喰らえば一瞬して潰される。接近戦は危険だった。
 アレンは腕を薙いで風の刃を繰り出した。
「喰らえ!」
「それは御前だ」
 一瞬にしてアダムとアレンの場所が入れ替わった。
「うわあっ!」
 風の刃を受けたアレンの服と胸が切られた。
 噴き出す鮮血。
 切られた服の隙間から覗くなだらかな乳房が血で濡らされた。
 アダムは今のアレンの姿を見て、息を漏らした。
「嗚呼、御前が少女だったことを忘れていた」
「女で悪いかよ!」
「性別的には女性だが、御前は永遠の少女だ。歳も取らず、何千という月日を生きてきた。実は御前の足跡について調べたのだ。近年以前となると、御前らしき人物が記録されていたのは、128年前の事件だった。地上最後の智慧を持つドラゴンと云われていたドゥルブルザッハードの聖都襲撃事件だ」
「覚えてねぇよ」
「そうか、では何年前のことなら覚えているのだ?」
「知るか」
「私は創られた瞬間から覚えている。膨大な記録を背負っているのは辛い。人格に膨大な記憶は邪魔なのだ。しかし、私はそのように創られた」
 アダムはゆっくりと目をつぶった。
「――が、それでも私は生きる意味を捜し続ける」
 前半部分は声が小さすぎて聞き取れなかった。アダムはいったいなんと呟いたのか?
 そんな細かいことなどアレンには関係なかった。
 ――歯車が鳴りはじめた。
 肉弾戦にアレンは賭けたのだ。
 自らの機動力に風の力を上乗せする。
 猛スピードで殴りかかってくるアレンを前に、アダムは急に立ち眩みを起こしたように足下をふらつかせた。
「うっ……」
 人間のように呻き、思わず膝から崩れそうになった。
 そこにアレンの拳が叩き込まれた。
「ウォオオオオオオオオオオオッ!」
 アダムの身体が吹き飛ぶ前に、目にも留まらぬ拳の連打が繰り出される。
 ――歯車が悲鳴をあげている。
「糞ったれッ!」
 最後にアレンはアダムの顎を下から抉り殴った。
 10メートル以上の上空まで吹っ飛ばされたアダム。その手にはしっかりと〈大地の袋〉が握られている。
「わたしになにが起こっている?」
 アレンに殴られたことなど、なかったようにアダムは呟いた。
 そのまま無抵抗のままアダムは地に落ちた。
 止めを刺そうとしてきたアレンを視線だけでアダムは見た。
「気をつけろ、わたしが今持っているのは〈大地の袋〉という魔導具だ。重量はこの星ほどある。わたしはこれを重力を操って支えることができるが、これが大地に置かれればどうなるかわかるか?」
 アレンは拳を上げて止めていた。
「どうなるんだよ?」
「重さとは重力だ。星と星とがぶつかると考えればいい」
「落とすなよ絶対」
「はじめからそのつもりだ」
「汚ねぇぞ、人質取ってるもんじゃねえか!」
「しばし待て」
「はぁ?」
 攻撃できないアレンを目の前に、アダムはゆっくりと立ち上がった。
 地中から聞こえてくる響き。なにかが来る。
 瞬時にアレンは遥か後方に飛び退いた。
 次の瞬間、地中から巨大な蛇のような頭が飛び出してきたのだ。
 それはまるで鎧を纏ったような海蛇だった。海龍と言ったほうがいいかもしれない。想像を絶する大きさは、クーロンを上空から見なければわからなかった。
 クーロンの市壁の外周をぐるりと一周する海龍。尻尾のところから地中に潜り、そこからクーロンのほぼ中心で頭を出したのだ。
「鬼械竜〈レヴィアタン〉だ」
 〈レヴィアタン〉の鼻先に乗っているアダムが言った。
「これは転送装置魔法陣でもある。予定時刻にはまだ早いが、人間の答えはもう聞くことができた。火星の同志を呼ぶことにしよう」
 アダムは手に持っていた〈大地の袋〉を〈レヴィアタン〉の口の中に放り込んだ。
「〈生命の実〉には遠く及ばないが、10分程度は火星のゲートとリンクすることができるだろう。さて、どれほどの鬼械兵がこの青き星にやって来るか?」
 一瞬にして辺りが蒼白い光に包まれ、目をつぶらずにはいられなかった。
 鬼械兵にやられ、次々と人間が倒れていく。これ以上、戦場に鬼械兵を増やすわけにはいかなかった。〈レヴィアタン〉を止めなくては――しかし、なにができる?
「糞ッ!」
 アレンは地面を蹴って高くジャンプした。さらに風の力を借りて上昇する。
「俺にできることは……こいつをぶん殴ることだ!」
 拳をアダムに叩きつける。
 強烈な拳をアダムは片手で受け止めた。
 アレンの背後で声がした。
「退け!」
 〈黒の剣〉を振り下ろすルオだった。
 瞬時にアダムとルオの場所が入れ替わった。
 冷や汗を流したアレン。
「俺のこと殺す気かよ?」
「それはまたの機会だ」
 〈黒の剣〉の刃はアレンの鼻先で止まっていた。
 アダムに空間転送は厄介だ。下手をすれば同士打をさせられる。
 地面に着地したアレンとルオがアダムと対峙する。
「俺のケンカに手ぇ出すなよ」
「五月蝿い、朕の獲物だ」
「ふむ、〈黒の剣〉は厄介だ」
 と、最後にアダム。
 それを聞いてアレンが怒り出す。
「俺は戦力外かよ!」
「そういうことだ!」
 叫びながらルオがアダムに斬りかかった。
「まずは千の兵」
 アダムが囁いた瞬間、低空から1000の鬼械兵が突如現れ降ってきた。ついに火星から鬼械兵が投入されはじめたのだ。
 瞬時に判断したルオは空に向かって斬撃で衝撃波を放った。空中でいくつかの鬼械兵が爆発したが、全体に対しては微々たるものだ。
 アレンは〈レヴィアタン〉の頭部を指差してルオに話しかける。
「おまえの剣であれ停止させろよ、そういう機能ついてんだろ。あれ倒せば鬼械兵が降ってこなくなる!」
「簡単に言ってくれるな」
 クーロンの街を囲むほどの巨体だ。人の子などゴミほどの大きさでしかない。
 〈レヴィアタン〉の頭部が地中に潜った。
「おまえがとろいから逃げられたじゃねーか!」
「朕のせいにするな!」
 2人が言い合っている間にも、新たな鬼械兵は地上に降り立ち、人間を虐殺しはじめている。2人の周りも例外ではない。無数の鬼械兵が群がっていた。
 ルオが〈黒の剣〉を薙ぐ。
 刹那にして破壊される鬼械兵ども。
 アレンも鬼械兵と戦いたかったが一対多数はアレンに分が悪い。
 鬼械兵が石触手に串刺しにされた。リリスだ。アレンの元にリリスとジェスリーがやってきた。さらにジェスリーが持っているのは――、
「アレンさん受け取ってください!」
 〈ピナカ〉が投げられ、アレンはキャッチした。
「サンキュ」
 お礼と同時に〈ピナカ〉は放たれていた。
 3つの輝く矢が鬼械兵を撃ち抜き、さらに巨大な3つ叉の槍となって薙ぎ倒す。
 しかし、再び低空から1000の鬼械兵が降ってくる。
 追い詰められた状況。
 リリスがごちる。
「〈インドラ〉を犠牲にしたのは失敗じゃったかのぉ」
 たしかに〈インドラ〉の魔導砲があれば、地上を一掃する攻撃ができた。
 だが、すぐにジェスリーがフォローする。
「しかし〈ベヒモス〉に唯一対抗できたのは〈インドラ〉です。〈ベヒモス〉をあのとき停止に追い込んでいなければ、戦況は今より酷い状況に陥っていたと思われます」
 それ市内は敵味方入り乱れている状況だ。無差別攻撃の〈インドラ〉の魔導砲は使用できなかっただろう。
「片っ端から片づけりゃいいんだろ!」
 アレンは〈ピナカ〉を放った。
「朕の辞書に敗北はない」
 ルオは〈黒の剣〉を薙いだ。
 鬼械兵の数はまったく減ったように見えない。
 それでもアレンとルオは戦い続ける。

 サブマシンガンに取り付けられていたライトで闇を照らす。
 トッシュは停電している〈ベヒモス〉内に侵入していた。鬼械兵の姿はない。しんと静まり返っていた。
 だが、警戒は怠らない。足音と気配を消しながら慎重に先へと進む。はっきり言って、今の装備では鬼械兵とのタイマンは避けたかった。
 サブマシンガン、バズーカ、〈レッドドラゴン〉。一撃で鬼械兵とやれるのはバズーカだが、1体に対して1発など戦闘には向かない。なおかつ、ここは屋内だ。
 外にいた鬼械兵は複数の兵士で取り囲み、サブマシンガンで蜂の巣にしてやっと一体倒すのがやっとだった。〈レッドドラゴン〉は鬼械兵の装甲を貫くことができたが、1発貫いてなにになるのだろうか。
 汗を垂らしながら歩き続けたトッシュは牢屋までやってきた。檻の中を照らすと、女が立っていた。
「アタクシのこと助けに来てくれたのかしら?」
「だれがおまえなんか」
 牢屋に入れられていたのはライザだった。
「艦が停止したお陰で、檻に流されていた電磁フィールドは消えたのだけれど、鉄格子はどうすることもできなくて困っていたのよね。早く助けて頂戴」
「だからだれがおまえなんか助けるか、裏切り者」
「だったらなんでこんな場所来たのよ?」
「シスターの嬢ちゃんを助けるために決まってんだろう」
 そうなのだ、トッシュたちはセレンの行方を知らないのだ。
「ああ、あの子ならアタクシが逃がしたわよ」
「はぁ!? どういうこった?」
「アタクシが本当に裏切ったと思ってるわけ?」
「俺様はなあ、一度もおまえのこと信用したことないぞ」
 苦笑するライザ。
「ったく、やんなっちゃうわ。人間様に使われる機械の下僕なんかになると思う? このアタクシが?」
 たしかにライザは他人に仕える玉じゃない。
「どうしてルオの下にはついてるんだ?」
「仕えているというより、あれアタクシの作品ね。せっかくだからだれも知らない秘密教えてあげましょうか? それと交換でアタクシはここから出すというので手を打たない?」
「聞いてから考える」
「それじゃ取り引きにならないでしょう。アタクシのとって置きよ」
「わかった出してやる」
 トッシュはバズーカを構えた。まだ撃たない。話を聞いてからだ。
 愉しそうな顔をするライザ。今まで見せたことのない無邪気な顔だ。
「じつはね……ルオってアタクシの弟なのよね。あははははっ」
「マジか?」
「ほら、早く出しなさいよ」
「マジかって聞いてるんだ」
「腹違いでも何でもない、前皇帝と正妻の間に生まれた子供よ、アタクシもルオも。けれど、女に生まれると損よね。皇族の血筋にアタクシの存在はなかったことにされてるわ。一般人扱いされることはなかったけれど、下級貴族の養女として育てられたわ」
 すっかり話を聞き入っているトッシュはバズーカを床に向けていた。
「それからどうなった?」
「本当はアタクシ自身もなにも知らず、そのまま下級貴族の娘として一生を終えるはずだったのだけれど、本当の母が一度だけお忍びでアタクシに会いに来たことがあるの。涙を流しながら何度も謝りながら、全部話してくれたわ。正直腹が立ったのよね、こいつもアタクシを捨てたひとりには違いないわけじゃない?」
「ひねくれてるぞ」
「仕方ないじゃない。養女になった家にはすでに養父母の本当の娘がいて、しかもアタクシの下に弟まで産んでくれちゃって、アタクシは家政婦じゃないっての。それでね、家を出るために血の滲む猛勉強したわ。男と同じくらい勉強できても、女のほうが下に見られるから、男どもが足下に及ばないくらいの地位と権力を手に入れるために、本当に必死だったわ。でもまさかルオの傍に仕えられるくらい出世できるなんて思ってなかったけれど」
「本当はルオに復讐とか考えてるのか?」
「さあ、どうかしらん」
 おどけてライザは笑って見せた。
 そして、後ろ向きに歩きながら牢屋の奥へ進んだ。
「アタクシの話はこれくらいにして、さっさと出して頂戴。早漏も嫌われるけれど、遅漏も嫌われるわよ」
「関係ないだろ、その話は!」
 トッシュはバズーカを撃った。
 鉄格子の何本かが折れ、周りの格子はひしゃげた。
 ライザが牢屋の中から出てくる。
「そうだ、シスターの話もついでにしてあげましょうか?」
「そっちが本題だ。どこにいるんだ?」
 話が戻された。
「彼の話だと第零メカトピア」
「どこだそれ? その彼ってどんな奴だ?」
「ワーズワースよ」
「……奴が死んだって知ってるか?」
 少し哀しげな顔をトッシュはしていた。その顔とライザは顔を合わせない。
「ええ、彼の役目はアタクシが引き継いだから問題ないわ」
「ん?」
「諜報活動とか裏工作とか、だれのお陰でナノマシンウイルスや火星からの転送とか、アダムのスケジュールを狂わせてやったと思ってるの? アタクシが細工したからに決まってるでしょう」
 傲慢な声音で言ったライザにトッシュは少しうんざりした。
「ああ、それはわかったから、シスターはなんで第零メカトピアってとこにいるんだ?」
「さあ、詳しくは知らないわ。彼がセレンがそこに行けば、もしかしたらなんらかの力を借りられるかもしれないって」
「どういうことだ?」
「知らないわよ。ほらさっさと行きましょう、艦内に残っている武器とかを漁りに」
 ヒールを鳴らして先を歩き出したライザが立ち止まり振り返った。
「明かりがないと先進めないでしょう、早くして」
「はいはいお姫様」
 皮肉を込めて吐き捨て、舌打ちしてからトッシュはライザの後に続いた。

《5》

 鬼械兵の軍勢を相手にしながらアレンは空を見上げた。
 急に曇りだして辺りが暗くなったのかと思ったが、それは天気のせいではないようだ。
 巨大な円盤が上空に浮かんでいた。
「新たな兵器かなんかか?」
 ジェスリーもその円盤を見た。
「今までまったく見たことのない型の物体です。いわゆる未確認飛行物体――UFOです」
 円盤型飛行物体からなにかが降下してくる。数え切れないほど多くのなにかだ。
 アレンはよく目を凝らした。
「もしかして鬼械兵か?」
「いえ、違います。LB1型アンドロイドです。設計図しか存在してないはずだったのですが不思議です」
 降下しながらLB1はビームライフルで次々と鬼械兵を仕留めていく。
 アダムにとってもそれは予期せぬ出来事だった。
「わたしの目にも留まらず、いったいあんな機械人がどこにいたというのだ?」
 地上に降り立ったLB1は人間を狙わず、鬼械兵のみを仕留めていく。完全に狙いははっきりしている。鬼械兵を殲滅することだ。
 さらに上空から翼を持った狼に乗って少女が戦場にやって来る。
 純白の法衣に身を包み、サファイア色に輝く4枚の翼を持った少女。その手には〈生命の実〉が取り付けられた錫杖[しゃくじょう]を持っていた。
「もう争いは終わりにしましょう」
 少女の声は不思議と戦場の片隅にまで届いた。
 人間の兵たちは空を見上げ、ある者はこう呟いた。
「天使様か?」
 視力のいいジェスリーにはわかった。
「セレンさんです!」
 マルコシアスから降りたセレンは上空に立ち、その場で錫杖を使って魔法陣を描いた。
 描かれた魔法陣はセレンの頭上から網のように広がり、クーロン全体を〈レヴィアタン〉ごとドーム状に包み込んだ。いったいなにをしようというのか?
 アダムは一瞬にしてマルコシアスと場所を入れ替えようとした。
「なぜだ……?」
 しかし、できなかったのだ。なにも起こらず、アダムはその場から1ミリも動いていない。
 もうひとつのことにアダムは気づいた。
「新たな兵が来ない」
 火星からの援軍が止まった。
 すぐにアダムは理解した。
「これはあのときと同質のものか」
 それは〈ベヒモス〉での出来事だ。ワーズワースがセレンたちを逃がすため、アダムを閉じ込めた方法。
「しかし、計画が遅れるだけに過ぎない。戦力ではまだ鬼械兵団が優っている」
 立っている人間は少なかった。
 すでにクローン周辺を取り囲んでいた軍勢は〈レヴィアタン〉によって一掃されていた。たとえ市内の戦況が変化して人間が勝利しようと、〈レヴィアタン〉一機で逆転されてしまうのだ。
 そして、またアダムは計画を1からやり直せばいい。時間なら飽きるほどある。
 アダムは空を見上げた。
「〈生命の実〉だけは必要不可欠だ」
 宙に浮いたアダムは高速で飛びセレンに近づいた。
 いち早くマルコシアスが接近してくるアダムに気づいた。
「貴様がアダムだなッ、レヴェナ様を愚弄する行い許さんぞッ!」
 翼から幾本もの炎の矢を放つ。
「犬がッ!」
 炎の矢はアダムが手を振り払っただけで消えてしまった。お返しに衝撃波を手から放ち、マルコシアスを遥か彼方へ吹き飛ばした。
 上空で静止したアダムとセレンが見つめ合った。
「〈生命の実〉を渡してもらおう」
「いやです。今すぐ鬼械兵団を止めてください」
「〈生命の実〉を渡し、人間が戦うことをやめれば止まる」
「あなた方が戦うことをやめてください」
「ならば力尽くだ」
 手を伸ばしながらアダムが迫ってくる。
 突き出された錫杖から見えない障壁が放たれた。
 それに衝突したアダムが弾き飛ばされ、地面に向かって真っ逆さまに落ちていく。
 地上ではアレンが待ち構えていた。
 ――けたたましく鳴る歯車。
「喰らえッ!!」
 加速して落下してきたアダムを打ち上げるように殴り飛ばした。
 高く舞い上がったアダムは宙でピタッと静止した。
「無駄な攻撃だ」
 アダムは手にエネルギーを集め、光球にしてアレンに投げつけた。小さい魔導砲のようなものだ。魔導弾――魔弾だ。
 〈ピナカ〉で相殺を試みようとしたアレンの目の前にルオの背中が飛び込んできた。
 ルオは〈黒の剣〉の柄を握り締め、切っ先をアダムに向けながら矢のように宙を飛んだ。
「串刺しになるといい!」
 魔弾を呑み込んだ〈黒の剣〉はそのままアダムを突かんとする。
 紙一重でアダムは刃を躱し、指を組んだ手でルオの背中を殴り飛ばした。
 背骨を折られながらルオは地面に叩きつけられた。
 殺気を感じて振り返るアダム。頭上から降り注ぐ炎の矢。気づいたときには遅かった。
 アダムの身体が炎に包まれ落下する。
「まさか犬にしてやられるとは!」
 火の粉を散らしながらアダムは地面に叩きつけられ、一度バウンドしてうつ伏せに倒れた。
 すぐにアダムは湯気を立てながら起き上がった。
「いくら攻撃を加えようとわたしは倒せない」
 服が燃えたアダムは裸体だった。美しい曲線を描く女の肢体。頭部と右肩から手の先までを除いて、メタリックな色をしている。気づいた者がいるだろうか。左手の先から徐々に肌の色を取り戻している。
「やって見なきゃわかんねぇだろ!」
 アレンがアダムを殴り飛ばした。
 上半身のバランスは崩したが、アダムの下半身はまったくその場から動かない。
 ゆっくりと上体を戻してアダムはアレンを睨んだ。
「おまえの相手はあとでしてやろう」
 アダムの狙いは〈生命の実〉だ。
 再びアダムは空を飛び、再びマルコシアスが立ちはだかる。
 だが、今度の足止めはアレンだった。
 アダムの足首を片手で掴むアレンの姿。
「行かせるかっつーの!」
「しつこいぞ」
 アダムがアレンの顔面を踏ん蹴った。
「ぐっ」
 思わず手を離してしまったアレン。だが、地上には落ちない。風を操って空を飛んだのだ。
 セレンはずっと錫杖で魔法陣を描き続けていた。
「できた!」
 輝いて発動する魔法陣。
 大地が大きく蠢いた。
 焼け残っていた金属の柱が空へ上昇していく。それに続いて次々と金属が空へ昇って行くではないか。例外なく鬼械兵やLB1もだ。
 上昇率は重さを比例していた。重たければ重いたい金属であるほど、高く天へと昇っていくのだ。
 これによって地上から鬼械兵が消えた。今の今まで戦闘を繰り広げていた人間の兵士たちが安堵する。問題は戦車まで上昇してしまったことだ。
 新たな混乱を生むことになったが、戦乱は治まることになった。
 しかし、まだ戦いが終わったわけではない。
 もとより空を移動できる者は、魔法陣の束縛から逃れることができるのだ。
 アレンとアダムは腕を交差しながら互いに殴り合っていた。リーチが長かったのはアダムだ。吹き飛ばされるアレン。
 それを尻目にアダムはセレンから〈生命の実〉を奪おうと躍起だ。
「邪魔だッ!」
 声を張り上げたアダムは全身からホーミングミサイルのような光を放った。アダムに迫っていたルオとマルコシアスがその直撃を受けた。
 いつの間にかアダムの身体が肌の色を拡大させていた。両手足は完全に肌の色を取り戻している。胴体は肌色とメタリックがまだらになっていた。
「なぜわたしの邪魔をするのだ!」
 鬼気を纏ったアダムは一気にセレンの眼前まで迫った。
 錫杖の障壁が間に合わない。
 ついにアダムの手が錫杖の柄を掴んだ。
「渡せ!」
「渡しません!」
「おのれぇ!」
 アダムが伸ばした片手がセレンの首を絞めた。
「渡さないと窒息するぞ!」
「……ううっ……ぐ……」
「死にたいのか!」
「お……お母さん……」
 錫杖から手が離れた――アダムの。
 下からはアレンが猛スピードで迫っていた。
「もう容赦しねぇぞぉぉぉッ!」
 ――歯車は咆哮をあげた。
 その気配を感じたアダムは振り返り、なにを思ったのか両手を広げて凜した表情をした。
 アレンの拳がアダムの腹を抉る。
 突き破られた肉がメタリックの液体を飛び散らせた。
 瞳を見開いて息を呑むセレン。
 アダムの腹を腕が貫通していた。
 なぜかアレンは悲しい顔、アダムは聖母のような微笑みを浮かべた。
 そして、アダムはこう言ったのだ。
「あなたに辛い役回りをさせてしまって……ごめんなさい」
 アダムは自らアレンの腕を腹から引き抜いた。
 落ちていくアダム。
 地上までの途中でルオが〈黒の剣〉を構えていた。
「朕が止めを刺してくれる!」
「やめてーッ!」
 悲痛なセレンの叫びが木霊した。
 ルオとアダムの眼が合った瞬間、アダムが邪悪な笑みを浮かべたのだ。
 なんと、アダムの口からメタリックの液体が吐き出され、意思を持っているかのようにルオの口から体内に流れ込んだのだ。
「うぐっ……うっ……」
 眼を剥いたルオは顔を下に向けて吐き出そうとした。だが、その身体の中心から手足の先端に向かってメタリックに染まっていく。
 髪を振り乱しルオが顔をあげた。
「ふふふふふっ、何と言う力溢れる躰なのだ!」
 それがルオではないと、周りにいた者は瞬時に理解できた。ルオではないのなら――。
 レヴェナを抱きかかえていたリリスが叫ぶ。
「アダムに寄生さてれおるぞ!」
 魔獣と化した煌帝ルオの肉体を手に入れたアダム。その手には〈黒の剣〉が禍々しい鬼気を放っている。
「此こそ始皇帝に相応しい!」
 紅い瞳でアダムは自分の領土を見渡すように世界を眺めた。
 そして、〈黒の剣〉を掲げた。
 地獄の底から唸り声が聞こえてくるような風の音[ね]。
 宙に浮いていたものたちが地上にゆっくりと落ちていく。
 〈生命の実〉の支配力を〈黒の剣〉が少しずつ呑み込みはじめているのだ。
 アダムは大地に〈黒の剣〉を突き立てた。
「〈黒の剣〉の真価を見せてやろう!」
 大地が枯れていく。
 突き刺さった〈黒の剣〉を中心に、円を描いて大地が枯れていくのだ。
 それだけではない。もっとも近くで瀕死だった人間の兵士が、息を引き取り、髪が白くなりはじめている。さらに機械兵が風化していくではないか。
 リリスが叫ぶ。
「引け、全力でこの場を離れるのじゃ!」
 敵も味方も関係ない。〈黒の剣〉が喰らっているのだ。
 セレンは全速力で降下した。
「今すぐやめてください!」
 アダムに向かって錫杖を叩きつけるように振った。
 瞬時に〈黒の剣〉が抜かれ、刃で錫杖を受け止めた。いや、逆に錫杖が刃を受け止めたというべきか。〈生命の実〉のエネルギーに守られた錫杖は、〈黒の剣〉の刃に断ち切られることがなかったのだ。
 近くで死んでいる兵士の風化が止まった。
 〈黒の剣〉と〈生命の実〉が均衡した状態。
 クーロンを覆っていたドーム状の結界も消失していた。再び火星から鬼械兵が来てしまうのか。いや、来なかった。時間が過ぎたからではない。
 拡声器から響く男の声。
《聞こえるか、トッシュだ!》
 どこから話をしているのだろうか?
《馬鹿でかいヘビの戦艦のコックピットは乗っ取った》
《蛇ではなくて龍よ。戦艦の名前は〈レヴィアタン〉》
 横にいるらしくライザの声もスピーカーは拾った。
《コックピットは制圧したんだが、ドアの向こうに鬼械兵がうじゃうじゃいるんだ。応援頼む!》
 トッシュが叫んだ。
 コックピットだけを制圧して、立てこもってる状態なのだ。
 リリスはジェスリーに顔を向けた。
「〈レヴィアタン〉と通信可能かい?」
「直接ではなく、周辺全域にでしたら通信電波を飛ばせますが?」
「それでいい」
「少々お待ちを――どうぞ、お話しください」
 通信電波にリリスの声が乗る。
《トッシュの坊や聞こえるかい、聞こえたら返事をおし》
 それを3回繰り返し、再び『トッ』と言ったところで返事があった。
《リリス殿か?》
《そうじゃ、妾じゃ。アダムがルオの坊やに取り憑いた》
《なんですって!?》
 横からライザが口を挟んできた。
 ライザには構わずリリスは話し続ける。
《〈黒の剣〉が無差別にすべてのエネルギーを吸いはじめる危険性もある。ただちに全軍の退却を命じるのじゃ》
《おい、なにする気だ!》
《なにって、こうするのよっ!》
《やめろ!》
 会話の途中でなにやら向う側でアクシデントが起きたようだ。
 クーロン外周付近の大地から飛び出した巨大な龍の首。〈レヴィアタン〉は市壁を軽々とまたぐように越え、その長く巨大な身体で市内に侵入した。狙いはアダムだ!
 開かれた〈レヴィアタン〉の巨大な口の中が輝きはじめる。
 リリスが叫ぶ。
「アダムから離れるのじゃ!」
 気づいてセレンは急上昇した。
 アレンは猛スピードでリリスとジェスリーを抱きかかえてその場から離れた。
 魔導砲発射!
 アダムは〈黒の剣〉を構えてニヤリと笑った。
「餌が来たぞ我が魔性の剣よ」
 爆風で屍体や瓦礫が舞い上がる。
 大地が削れ、迫り来る魔導砲をアダムは受けて立った。
 目も眩むような輝き。
 正面から見た魔導砲は計り知れない大きさだ。
 その巨大な光に向かって〈黒の剣〉が振り下ろされた!
 地獄の風が唸るような音を立てて光が闇に呑み込まれる。
 竜巻のように渦巻きながら、その渦の先が〈黒の剣〉に瞬く間に吸いこまれていくのだ。
 アダムの紅いマントが狂風に靡く。
「ふふふっ……ははははっ、力を感じるぞ。剣に流れ込んで来るエネルギーを私の肉体にも伝わって来るぞ!」
 歓喜を越えた狂気の形相でアダムの笑い声が響き渡った。
 〈レヴィアタン〉が吼えた。
 なんと〈レヴィアタン〉がアダムに体当たりをしようと突進してくる。
 微かに漏れ聞こえてくる声。
《ザザザ……もうやめろ……ザザザザ……》
《うるさいわよ……ザザ……》
 もう止められなかった。
 〈レヴィアタン〉の龍を模した巨大な頭部はアダムの眼前まで迫っていた。
 禍々しい〈黒の剣〉が振り下ろされた。
 まさか、この巨大な〈レヴィアタン〉をも斬れるというのか!?
 嗚呼、真っ二つに裂かれていく。
 勢いのついた〈レヴィアタン〉の胴体が、真ん中から綺麗に2つに裂かれ、そのまま地面で何度もバウンドしながら、先にあった市壁をぶち破り、頭部で大地を滑り削り、やがて尾の先まで割られて止まった。
 大惨事だった。
 クーロン市内に残っていた兵士たちも多く巻き込まれた。
 残骸となった〈レヴィアタンに〉潰された者もいた。
 ライザの形振り構わない暴挙は多くの犠牲者を出した。
 にも関わらず、紅き瞳の始皇帝は〈黒の剣〉を構えたまま、その場を一歩たりとも動かず凜と立っていた。
「もはや〈生命の実〉は要らぬ。此の〈黒の剣〉に力を蓄え、我が悲願を達成するのだ!」
 天高く〈黒の剣〉が掲げられた。

《6》

 今度は大地だけではなかった。
 どこからか舞ってきた花びらが一瞬にして枯れた。
 近づくことはできない。
 〈黒の剣〉に近づけば喰われてしまう。
 屍体が干からびて一気に骨になり、さらに砂となって舞い散る。
 まるで早送りの映像を見ているようだ。
 世界が砂と化していく。
 アダムは空を見上げた。その視線の先にいるのはセレンだ。いや、セレンを見ているのではない〈生命の実〉を見ているのだ。
 もはや〈黒の剣〉に対抗できるのは〈生命の実〉を備えた錫杖しかない。
 セレンの背中で4枚のサファイア色の翼が美しく輝いた。
「やめてくださいというのがわからないんですか!」
 降下した勢いのまま錫杖がアダムに振るわれた。
 〈黒の剣〉が薙がれ、錫杖ごとセレンの躰を大きく後方に飛ばした。
「人間が武器を捨て降伏しない限り戦いは終わらない。まずは御前が〈生命の実〉を捨てるのだ」
「できません。わたしがこれを捨てても、あなたが武器を捨てないからです。それでは戦いは終わりません」
「なら私を倒すか? 何故、私を倒そうとするのだ? 武力を持って武力を制すのが御前のやり方か? 私と同じ方法を取る御前に私の事をとやかく言う資格があるのか? 御前の望みは何だ?」
 まくし立てるようにいくつもの問いを投げかけた。
 セレンは押し黙ってしまった。
 シスター・セレンの望みは平和だ。戦いなどしたくない。見たくもない。けれど、それを終わらせるための手段――その葛藤。錫杖を握る手は常に震えていた。
 アダムはセレンを見透かしていた。
「平和の為に戦うと言うのは矛盾していると思わないか? 平和主義を謳うのならば、武器を持った者が目の前に現れても、丸腰で無抵抗に殺されるべきではないか? 例え、家族や愛する者が殺されようと、其れをただ見ている事が平和なのだろうか?」
 どこか言葉に違和感がある。
 もしかしたら、アダムも揺れているのでないだろうか――矛盾の中で。
「私は悪か? 御前は善か? それとも逆か? 此の世は勧善懲悪か? 私は反逆者なのだろうか? 神とは何だ? ルールは誰が決めるのだ?」
 アダムは枯れた世界を見渡した。
「此が私の望む世界なのか……ククククッ……そうだ、我が望みは破壊と混沌!」
 邪悪に笑ったアダムはセレンに斬りかかった。
 もともとセレンは戦闘などできない。
 もつれた足を地面に引っかけセレンは尻餅をついてしまった。その状態でなんとか錫杖の柄を突き出して〈黒の剣〉を受け止めた。
「く……くぅ……っ!」
 必死に歯を食いしばるセレンだが、じわじわを押されている。錫杖の柄を〈黒の剣〉の刃が眼と鼻の先まで迫っている。
 なんということだセレンの髪の毛の色が薄くなっていく。
 〈黒の剣〉が〈生命の実〉を優るというのか!?
 突然、頭を振り乱してアダムが後退った。
「ぐおおおおっ……違うっ……私の望みは……」
 腕が大きく振り払われ〈黒の剣〉が放った衝撃波が大地を抉って吹き飛ばした。
「きゃっ!」
 錫杖でガードしながらセレンも上空に吹き飛ばされた。
 アダムは〈黒の剣〉を大地に突き立て片膝をついた。
「己ぇッ……〈黒の剣〉の仕業か……此奴も生きている……歴代の主の欲望や呪いまで吸い取っていた云うのか……其れが私の意識まで支配しようと……」
 武器が使用者の精神まで支配するというのか?
 禍々しく〈黒の剣〉が唸っている。
 創られたそのときから、〈黒の剣〉はこのように唸っていたのか?
 血塗られた大剣。呪われた大剣。シュラ帝國の象徴である大剣。
 帝國に伝わる以前は、どのような持ち主が使っていたのだろうか?
 元を辿り最後に行き着くのは生みの親であるレヴェナだ。
 しかし、これがレヴァナの意図する〈黒の剣〉の姿だったのだろうか?
 〈黒の剣〉はいつ道を誤った?
 アダムは〈黒の剣〉を握り直して大きく薙いだ。
「ククククッ……我は此の青き星の支配者となるのだ。覇王の剣に相応しいではないか!」
 切っ先がセレンに向けられた。
「血が足りぬ」
 邪悪に染まったアダムがセレンに突撃する。
 セレンは上空に吹き飛ばされたあと、そのまま地面に落ちてしまい、今立ち上がろうとしている最中だった。
 迫る刃の切っ先に気づいてセレンが眼を丸くする。防ぐことも、躱すこともできない。
 切っ先はセレンの法衣を貫き――肌の前で止まっていた。
 アダムは自分の足下を睨んだ。
「何者だ!」
 地中から飛び出ている手で自分の足首を掴んでいる。アダムはその足を大きくほぼ真上に蹴り上げた。
 砂を舞い上げながら埋もれていた人影が飛び出し、そのまま天高く飛ばされた。
「出してくれたお礼は言わないからな!」
 アレンだった。
 放たれる〈ピナカ〉の輝く3本の矢。
「やはり先に片付けなくてはならないのは御前のようだ!」
 矢は瞬く間に〈黒の剣〉に吸収され、斬撃の衝撃波がアレンを襲った。
「ぐわっ!」
 衝撃を躱しきれず胸に喰らったアレンが吹き飛んで地面に落ちた。
 仰向けになったアレンの胸から火花が散る。機械の半身である片方の胸の装甲が、爪で抉られたように穴が空いている。それでもアレンは歯を食いしばって立ち上がった。
「まだまだ!」
 ――歯車はまだ鳴り続けている。
 仁王立ちをするアレンにアダムは斬りかかった。
「何故立ち上がるのだッ!」
「負けたくないからに決まってんだろ!」
 振り下ろされた〈黒の剣〉を躱し、アレンはアダムの懐に入ると、渾身の拳を腹にお見舞いした。
 腹に喰らいながらもアダムは体勢を崩さなかった。そのまま〈黒の剣〉を薙いでアレンの胴を真っ二つにしようとした。
 アレンの足の裏を擦るか擦らないかの距離を刃が通り抜けた。飛び上がって〈黒の剣〉を避けたのだ。そのままアレンはアダムの顔面を蹴り上げた。
 顎を上に向けながらアダムが後方に飛ばされ、背中から倒れそうになったが、片足を引いて踏みとどまり、その足を蹴り上げて跳躍し、アレンの脳天に斬りかかった。
 機械の手を突き出したアレン。
 これまで何度も〈黒の剣〉には苦い思いをさせられた。はじめてルオと闘ったときには、機械の腕を切り落とされ生死の境を彷徨った。今まではアレンの装甲では、その刃を防ぐことはできなかった。
 が、アレンの手のひらは〈黒の剣〉を受け止めていた。
 口と眼を大きく開いて驚愕するアダム。
「何故斬れぬ? いや……何故、〈黒の剣〉に喰われ朽ち果てぬのだ?」
 もはやこの周辺は死の大地と化していた。
 人間も機械人も物も、朽ち果て砂に還って逝った。無事なのは〈生命の実〉に守られたセレンだけのはずだった。
 裂かれた胸の装甲の奥底で燦然と輝き出す歯車。それは歯車の形をしていたが、アダムにはわかった。
「まさか〈生命の実〉だとッ!」
 その輝き、その溢れ出す生命の息吹、まさしく〈生命の実〉!
 〈黒の剣〉から闇が霧のように溢れ出す。
 地獄からの悲鳴。
 アレンがセレンに目を向ける。
「ぼさっとしてないで手伝えよ!」
「は、はい!」
 駆けつけたセレンが錫杖の柄で〈黒の剣〉の刃を押し戻そうとする。
 噴き出した闇は七つの首を持つ竜のように不気味に蠢き暴れ狂う。
 狂気を孕んだアダムの紅い瞳。
「此の星ごと御前ら喰らい尽してくれるわ!」
 大地が揺れる。
 アレンは足を踏みしめ歯を食いしばった。
「くっ……」
 暴風が3人を包む。
 激しく揺れる髪。
 ズシンッと大地が沈んで3人を中心としてクレーターができた。
 小さな稲妻のようなエネルギーが、火花を散らしながら発生した。
 微かに聞こえはじめたヒビの入る音。
 アレンの手に食い込む刃。セレンが握る錫杖の柄にも亀裂が入っていた。
 狂気の形相でアダムは笑いはじめた。
「ハハハハハッ……滅びろ、滅びてしまえ、クハハハハ……ハ……?」
 急にアダムの顔つきが変わった。疑問を浮かべたのだ。
 大地から芽が出て、双葉に分かれた。
 生えてきたのは1つではなく、次々と大地から若葉が芽を出しはじめた。
 大地が緑に染まっていく。
「何事……だ」
 アダムは驚きを隠せない。
 予期せぬ出来事が起きたのだ。
 色とりどりの花が咲いた。
 稲穂が風に揺れた。
 大きく育った木から真っ赤な林檎が地面に落ちた。
 豊穣の香りが世界を包み込む。
 またヒビの入る音。
 〈黒の剣〉の刃に稲妻のようなヒビが奔った。
 憎たらしい糞餓鬼の笑みを浮かべたアレン。
 次の瞬間、〈黒の剣〉が折れた。
「喰らえッ!」
 叫んだアレンから繰り出される拳。
 それは生身の拳だった。
 顔面を殴られたアダムが片足を引いてよろめく。
「……何故だ……何故だ……アレンよ、御前は機械なのか、それとも人間なのか、どちらなのだ?」
「俺は人間に決まってんだろ!」
 止めと言わんばかりの生身の拳がアダムの頬を抉るように殴った。
 吹っ飛ばされたアダムが何度何度も地面を転がる。
 地面に這いつくばり立ち上がろうとするアダムの手には、もう〈黒の剣〉は握られていない。
 力を失ったアダムはやっとの思いで立ち上がったが、背中を丸めて大きく咳き込んだ。
「ゲボッ……ブグッ……ウエェェェ……」
 アダムの口からメタリックの液体が吐き出される。
 芝生の上で蠢くその液体はアダム。
 気を失ったルオはゆっくりと倒れた。
 液体金属の本体となったアダムは、スライムのようにドロドロと動き、まるで手のようなものを苦しそうに伸ばした。
「オオオッ……ウオオオオ……終ワリダ……何モカモ……メギドノ……炎デ御前達モ道連レニ……」
 セレンから錫杖を奪ったアレンは、それでアダムを叩きつぶした。
「私ハ……何者……ダッタノ……ダ……」
 飛び散った液体が光に包まれて消える。
 跡形もなくアダムは消滅した。
 錫杖を投げ捨て倒れるように座り込んだアレン。
「あ~、腹減った」
 涙目でセレンは肩を撫で下ろした。
「終わったんですね」
 目を指先で拭いながらセレンは空を眺めた。
 背筋が凍った。
 セレンの顔が見る見る恐怖に染まっていく。
「そん……な……」
 巨大な紅い炎の塊が流星のように降ってくる――〈メギドの炎〉だ。
 アレンは大の字になって寝転んだ。
「もぉ~知~らねっ」
「アレンさん!」
「死ぬ前に旨いもんたらふく喰いてぇなぁ」
「……いいです、わたしひとりでどうにかします!」
 錫杖を拾い上げ、サファイアの翼を輝かせたセレンは飛び立とうとした。
 その手首が掴まれ引き止められた。
 セレンはアレンかと思って振り向いたが、そこにいたのはルオだった。
「あれを食い止められるのは朕だけだ」
 ルオの手には折れた〈黒の剣〉が握り締められていた。
 闇色の〈黒の剣〉が音すらも吸いこむように静かだった。
 セレンは立ち尽くした。
 そして、ルオは〈黒の剣〉に乗って、遥か空へと飛び立ったのだ。
 アレンは空を見つめていた。
 緑が風に揺れる。
 世界は静かだった。
 それはほんの少しの間だった。世界全体が静止してしまったような感覚。
 ――静寂。
 アレンは瞳をつぶった。
 そして、再び瞳を開けたとき、世界は動きはじめた。

 それから数ヶ月の月日が流れた。
 大地に鎮座している超巨大円盤形飛空挺の前で、セレンがマルコシアスを涙目で見つめていた。
「あの、本当に行っちゃうんですか?」
「この星で我々が暮らしていくのは難しい。すべての機械人を連れて月に行きます」
「また逢えますよね?」
「いつか人間と機械人が暮らせる日が来れば還ってきます」
「わたしが生きてる間には難しそうですね、ぐすん」
 涙を拭うセレンを見てマルコシアスは笑った。
「あはは。ライザ博士が衛星を直してくれたので、いつでも顔を見て通信することは可能ですよ。では、そろそろ時間なので、さようならセレン様」
「あのっ、またお母さんの話聞かせてください!」
 まるで手を振るようにマルコシアスは翼を動かし、あっという間に飛空挺まで飛んで行ってしまった。
 やがて月に向かって飛空挺は飛び立っていった。
 セレンは見えなくなるずっとずっと手を振り続けた。

 丘の上は風が強かった。
「ったく、煙草に火が点かねぇ」
 トッシュは口の煙草をポケットの押し込んでから、辺りを見回した。
 杖を突いた少年が見えた。
「おーい!」
 トッシュが手を振って叫んだのに少年は気づいて、岩場を飛び越えてやって来た。
「なんだ用か?」
 片言なのか、ぶっきらぼうなのか、そんな口ぶりだった。
「この辺に墓があるはずなんだか、見たことないか?」
「んっ」
 少年は杖の先でその方向を示した。
「ありがとな坊主」
 トッシュは少年に礼を言って駆け出した。
 それは粗末な墓だった。大きな石の土台に、それよりも一回り小さな石が積み上げられている。花が供えられていなければ、それが墓石だとわからなかったかもしれない。
 花を供えた者は墓の傍に立っていた。トッシュもよく知っている者だ。
「久しぶりだなジェスリー」
「こんなところで会うなんて、奇跡の確率です」
 供えられている花を見たトッシュは、さっきの煙草を1本、花の横に置いた。
 すぐにジェスリーが突っ込む。
「ジャン博士は煙草をお吸いになりません」
「死んでるんだから関係ないだろう」
「……ありがとうございます」
「ん? ああ、礼を言われることじゃない。ちょっと近くを寄ったからついでだ」
 この辺りはなにもない土地だ。
「少しお話してもよろしいでしょうか?」
 と、ジェスリーが切り出した。
「どんな話だ?」
「歴史から消えてしまわないように、わたくし以外の方にも知っていてもらいたいのです。ジャン博士はある使命を帯びて、コールドスリープ装置である赤子と共に眠りに就いていました。その赤子は病気で、当時の医療技術では治すの困難でした。ですから治療薬が開発されるまで、眠りに就くことにしたのですが、いろいろな事情がありまして、ずっと目覚めることなくこの時代まで忘れられてしまいました。それが16年ほど前、古代遺跡を荒らしに来た盗賊によってコールドスリープ装置が発見され、ジャン博士と赤子は目覚めました。目覚めたのはいいのですが、この時代はすでに魔導と科学力が衰退しており、赤子の病気を治す治療薬も存在していませんでした。けれど、運がよかったことに、この時代の人間はその病気の抗体を持っていたのです。そして、赤子の病気を治すことができたのです」
「よかったじゃないか。それでめでたしめでたしか?」
「いいえ、そのあとジャン博士の住んでいた村が戦乱に巻き込まれ、赤子が行方不明になってしまったのです。それからジャン博士は世界中を旅して赤子を捜しました。しかし、何年経っても見つからなかったのです」
「そこで話は終わりじゃないだろうな?」
 ジェスリーはポケットから十字架のペンダントを取り出した。
「つい先日アレンさんから預かったものです。もともとこれはジャン博士が恋人に贈った物なのですが、今はセレン様の物なので、トッシュさんから返していただけないでしょうか?」
「まさか……その赤子って……」

 新生シュラ帝國の玉座へと続く真っ赤な絨毯。
 その道を飾るのは国中から集められた美男子たちだった。
 四つん這いにさせた青年を足置きにして、玉座に座っていたのはこの帝國初の女帝だった。
「退屈だわ」
 ライザは溜め息をついて、思い立ったように立ち上がるといきなり走り出した。
「またライザ様がお逃げになったぞ!」
 近衛兵たちの大声が城内に響き渡った。
 かつてその国は世界から畏れられる軍事国家だった。
 しかし、今は100年未来をいくと云われる魔導科学国家の歩んでいた。
 〝ライオンヘア〟と呼ばれていたのも昔のこと、今は〝白衣の女帝〟と云われている。
 城内に悲鳴があがる。
「大変だ、ライザ様の撃った光線銃を喰らった兵士が猫になっちまったぞ!」
「ぎゃーっ、こっちの兵士は豚だぞ!」
 この国は今日も平和だった。

 花畑の真ん中にある柩にもたれかかり、地面に脚を伸ばして座っている妖女。
 それは硝子の柩に似ていたが、中は培養液で満たされていた。中で静かに眠っているのは――。
「ねえお姉様、明日はどこに出掛けましょうか?」
 風が吹いて花が香り立った。
「うふふ、お姉様ったら研究所にこもってばかりで……これは神様が与えてくれた休日かしら」
 妖女がゆっくり立ち上がると、その姿は老婆へと変貌した。
「わしばかりが歳を取ってしもうて、目覚めたお姉様はわしのことがわかるかの?」
 声まで年老いてしゃがれている。
「そうじゃ、いっしょに海に行こうと約束して、一度も行ったことがなかったの。明日は海にでも行くか」
 不思議そうな顔を老婆はした。その鼻をくすぐった風の匂い。
「潮?」
 海など近くにないのに、どこから香って来たのだろうか?

 太陽が燦然と降り注ぐ煌めく海の上に少年はいた。
 少年は海風に吹かれながら、竹材で作ったいかだに揺られ、どこ行く当てもなく漂流していた。
 海賊帽子に片眼には黒い眼帯。いかだの帆にはらくがきみたいな髑髏マークが描かれていた。
 深く被った帽子から覗く片眼は、遥か彼方を見つめているようで、なにも見つめていないような眼差し。
 少年はあの先になにを見る?
 そして、なにを求め、旅をしているのだろうか?
 その時、少年の腹が奇怪な音を立てて鳴いた。
 ぐぅぅぅぅぅ~~~っ。
「腹減ったぁ~~~」
 今、少年に最悪最強の敵が襲い掛かる!!
 ――空腹。
 もう何日こうやって漂流しているのだろうか?
「マジで死ぬ。そこら中に魚がいるってのに、なんで一匹も釣れねぇんだよ」
 釣り針は垂らしているが、餌はついていなかった。
 腹を押さえながら少年は遠い海を眺めた。
「ん?」
 見る見るうちに少年の瞳が大きくなっていく。
「船だ!」
 狂風が吹いた。
 帆が風を受けて船に向かっていかだが進む。風があっても、この早さは不思議だ。あっという間にいかだは船の横にやってきた。
 船はいかだの何倍もある大きな船で、少年は首を曲げて顔を上げた。
「お~い、飯ちょっとわけてくんない?」
 その声に反応して甲板から人影が身を乗り出して顔を見せた。その顔は少年を見てあからさまに嫌そうな表情をした。
「君にくれてやる食料はない」
「あ、てめぇなんでこんなとこにいんだよ、海賊やってんの?」
「海賊船ではなく商船だ」
 ルオは溜め息をついた。その横から新たな人影が顔を出した。16、7くらいの娘、ラーレだった。
「そちらの女性はルオの知り合いですか?」
 驚いたルオと少年――ではなく少女アレン。
「俺のこと女だってわかんの?」
「君、女だったのかい?」
 疑いの眼差しでルオはアレンを細い眼で見た。
「悪かったな女で」
「乗れ」
 ルオはロープを下ろした。
「おお、サンキュ!」
 アレンは軽く礼を言ってロープを登った。
 甲板のへりに来ると、ルオが手を伸ばしたので、それにアレンはつかまった。が、お互いの手と手が握り合った瞬間、ルオは心の底から嫌そうな顔をしたのだ。
「やっぱり気持ち悪い」
 そう呟いて手を離した。
 水飛沫を立てて海に落ちたアレン。
「うわぁ、俺泳げねぇんだよ、この野郎落としやがって!」
「朕も泳げぬ」
 慌ててラーレが海面を指差した。
「鮫です!」
「飯だと!」
 アレンは叫んだ。
 サメに向かって泳ぎ出すアレン。
 呆れたようにルオは呟く。
「泳げるじゃないか」
 巨大な口を開けた巨大サメはアレンをひと呑みにしようとする。
 ――どこかで歯車の鳴る音がした。
「飯ぃ~~~っ!」
 サメを放り投げながら自分自身も飛んでいた。
 船の甲板に打ち上げられたサメとアレン。
 全身をびしょびしょにしながら、大の字で空を眺めるアレンの視線が霞む。
「……腹……減った」
 そして、アレンの意識は白い中に落ちていった。
 穏やかな寝息を立てるアレンの表情は、まるでたくさんの料理を目の前にしているように、ニヤニヤと笑っていたのだった。

 第3章 完



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