第11章 面影の都
 見上げるほど高い壁。おそらく三〇メートルはありそうだ。
 中世では大都市を守るために、このような壁で囲われた都市が存在していたが、こちらはそれよりも大規模で、素材も木材や煉瓦などではなく金属だ。そして、この防壁よりも高い、ビル群が頭を突き出しているのが外からも見えた。
 望遠鏡を眼から離したケイが振り返った。
「入るとこないんじゃ?」
 シキが答える。
「セキュリティゲートが東西南北に一つずつ、通行証が必要で、身体検査と荷物検査をされるんだ」
「こんな胸、隠しようがないんだけど?」
 ケイは自分の胸を持ち上げた。いつの間にか育ったような気がする。炎麗夜やシキと同じくらいはありそうだ。
 胸の谷間に手を入れたシキは、そこからカードを取り出した。
「ジャーン、これが通行証のIDカードだよ。ボクのしかないけど」
 IDカードには顔写真がついているので、ほかの者は使えない。そのIDの写真はシキの顔ではなく、性別も明らかにハゲ男だった。ケイはそのことに気づいた。
「だれのIDですかそれ?」
「ボクのだよ」
「写真違いますけど」
「そこはどうにかなるよ」
 写真を偽造するつもりだろうか?
 もし顔写真をシキのものに換えたとしても、胸を隠す――いや、消失させなければ検問は抜けられないだろう。
 この場に荷車を引いたフレイに乗った炎麗夜がやって来た。
「言われたとおり受け取ってきたよ」
「仕事が早いねマイハニー、さすが運び屋さん」
 今朝から炎麗夜はなにやらシキに頼まれて、別行動をしていたのだ。
 荷車に積まれている物を見てケイは嫌な顔をした。
「こーゆーのでヴァンパイアが寝てるの見たことあるんですけど?」
 そう、荷車に積まれていたのは棺桶だった。それも二つ。
 IDカードが一枚、棺桶が二つ、ここにいるのは三人。
 シキが作戦を発表する。
「そういうわけだから、炎麗夜姐さんとケイちゃんには棺桶に入ってもらうから」
「えっ?」&「は?」
 ケイと炎麗夜が同時に驚いた。炎麗夜も聞かされていなかったらしい。
 さらにシキは作戦を説明する。
「だいじょぶだいじょぶ、死んでから入るわけじゃないから。一時間くらい仮死状態になってもらうだけだから」
 軽くシキは言うが、ケイは心配だった。
「仮死状態って危険じゃないんですか?」
「この薬を飲めば、眠るように仮死状態になれるよ」
 シキが見せた二本のビンは明らかに怪しげだった。二本ともラベルが違うのだ。しかも両方とも違う酒のラベルだった。
 余計にケイは心配になった。
「まさかお酒で仮死状態にするつもりじゃ?」
「違う違う、これはちょうどいいビンだったから、これに入れただけ。中身はボクが保証するよ」
 保証されても、その怪しさが不安だ。
「前はもっと簡単に入れたじゃあないか」
 と、炎麗夜は前に侵入したときのことを思い出して言った。
「前は巨乳狩りがはじまる前だからだよ」
 そう説明したシキ。
 今は巨乳狩りの時代だ。逆にそれを利用して、死んだ巨乳の女を運ぶという名目で、魔都エデンに侵入するつもりだろう。だが、シキ自身はどうするつもりなのだろうか?
 IDの顔写真はシキではない。もしかしたら、シキは入らないつもりなのかもしれない。そのIDの顔の持ち主が代行して、仮死状態の二人を運び入れる可能性もある。
 シキは二本のビンを持った腕を伸ばし、左右のケイとシキの胸の前に突き出した。
「ほら呑んで、ボクからのおごりだよ。勧められた酒は快く飲む!」
 まだ不安だったが、ケイはそのビンを受け取った。
「お酒じゃないでしょ……お酒でも飲まないけど」
 ケイはコルクを外した。匂いは甘くて美味しそうだが、色は黒に近い真っ青で飲む気を失わせる。
 戸惑っているケイの横では、すでに炎麗夜が飲み干していた。
「ぷっは~っ、糞不味い!」
 マズイなんて言われると、さらに飲む気が失せる。
 しかし、ここまで来て飲まないわけにはいかないだろう。
 ケイはビンの底を天に向けて、一気にのどの奥に流し込んだ。
「うぅ~……苦いし、甘いし、舌が痺れる」
 マズそうな感想だ。
 すでにシキは棺桶を開けて準備をしていた。
「さあさあセニョリータたち、こちらでお休みください」
 ケイと炎麗夜が棺桶の中に横たわる。
 まず炎麗夜が入った棺桶のふたが閉められた。
 不安そうな表情をするケイの瞳に、青空といっしょにシキの顔が映った。
「閉めるよ?」
「怖いよ」
「お姫様はボクのキスで起こしてあげるよ」
「それはイヤなんですけど」
「おやすみ」
 囁いたシキは棺桶のふたをゆっくりと閉めた。
 暗闇に閉ざされた世界。
 ケイはゆっくりと瞳を閉じた。
 心地良く意識が遠のいていく……。
 この世界に来て、はじめてぐっすりと眠れそうだった。

 太陽のように輝く頭。
 頭の禿げ上がった中年男が、二つの棺桶を積んだ荷車を引いていた。
 男は魔都エデンのセキュリティゲートの前で、武装した二人の兵士に止められた。
「IDを見せろ」
 男は黙ってIDカードを提示した。
 カードリーダーで読み取られ、本物かどうか確認される。さらに男の躰が隅々までまさぐられ、武器などを所持していないか念入りに調べられる。
 その間に、もうひとりの兵士は荷車を調べようとしていた。
「この荷物はなんだ?」
「へい、巨乳の女を二人、殺して捕らえました。それで賞金を頂きたくて」
 男に断りなく棺桶のふたが開けられた。
 蒼白い肌をした炎麗夜。兵士はその胸をもんだ。
「上玉だな……柔らかい胸だ。まだ体温も残っているようだが、息も脈もない。死んで間もないのか?」
「へい、毒殺して急いで運んで参りましたから」
 死後硬直と体温の疑問点は、それでどうにか切り抜けることができた。
 兵士はさらにもう一つの棺桶も開け、中のケイを調べた。
「こちらも同じだな。よし、荷物は問題ない」
 鉄格子の第一ゲートが開かれた。
 そのゲートはトンネルへと続き、ここでX線などを使ってスキャンされる。体内を使って密輸の可能性もあるからだ。この検査が済むと第二ゲートが開かれ、兵士たちに監視されながら、街へ入ることができた。
 魔都エデン――ケイがその光景を見たら、自分の世界に還ったと思うかもしれない。
 そこはケイがよく知る大都市の街並みによく似ていた。

 ふかふかのベッドで目を覚ましたケイは、寝ぼけたまま寝返りを打った。
「うっ!」
 突然、呻いたケイ。顔が柔肉の中に埋もれたのだ。
 慌ててケイはベッドから飛び起きた。
 ケイの横で寝ていたのは炎麗夜だった。どうやら今の肉は超乳だったらしい。
「おはようケイちゃん」
 ワークチェアを回転させ、シキがこちらを振り向いた。
 ケイは辺りを見回しながら言葉が見つからなかった。
 部屋にいるのは間違いない。それもケイの世界でいうところの、現代的なよくある部屋。カーペットが敷かれたフローリングの床に、天井や壁には白い壁紙が貼られ、窓は黒いカーテンで一切の光を遮断し、部屋を照らしているのは天井の蛍光灯。
 さらにケイを驚かせたのは、シキが座る前にあるパソコンらしき物だ。
「それってパソコンです……よね?」
「よく知ってるね」
 本当にパソコンだったらしい。
 ケイは混乱してしまった。
「ここ……どこですか?」
「ボクの部屋。マンション……っていってもわからないだろうね。集合住宅の一種なんだけど」
「マンションなら知ってます」
「この街に来たことあるの?」
「え……どこですかここ?」
「魔都エデンだよ」
 来たという実感がない。
 自分の世界に還れたわけではない。それはわかっていたが、こんな文明があったことにケイは驚きを隠せず、口を閉ざしてベッドを背もたれに腰を下ろした。
 〈デーモン〉などの技術は、ケイの知る科学を逸脱するもので、もはやファンタジーの代物だった。それ以外は知っていた文明や科学に劣り、歴史の教科書を見ている気分だった。そう思い描いていた文明が、ここで完全に覆されたのだ。
 この世界にある格差は激しい。ケイのいた世界にも格差があり、国単位など言えば、東京のような文明都市がある中、遠く離れた島のジャングルには原始的な生活をする部族もいる。けれど、このニホンという国は、国内でこれほどまでの格差があるとは――。
 魔都――まさにこの世のものとは思えない都市に相応しい呼び名だ。
 この魔都エデンの技術は人々の生活を豊かにし、それに憧れる人々は多くいるだろう。そして、この技術を狙う者たちは国内のみならず、世界中にいるだろう。
 ニホンの鎖国政策を実感としてケイはうなずけた。
 シキは優しい顔をした。
「まだ寝ていた方がいいよ。本当はまだ目が覚めないはずだったんだけど、おかしいね。無理しないで休んで」
「だいじょぶです。ビックリして目が覚めちゃって、聞きたいこともいっぱいあるし」
「聞きたいこと?」
「炎麗夜さんだけには話たんですけど、じつはあたし……この世界の過去から来たんです、たぶんですけど」
「ん?」
 唐突にこんな話をすれば当然される反応だった。
 ケイは炎麗夜に話した内容と同じ説明をシキに聞かせた。
 ――話を聞き終えたシキは険しい顔をした。
「嘘だとは思わないけど。その現象が起きる可能性よりも、起きたという事実はこの世界を揺るがす事態かも知れない」
 シキの視線はケイから外れていた。
「どーゆーことですか?」
「ごめん、今のは独り言。それでケイちゃんは自分の世界に帰るために、情報収集がしたいってことだよね?」
「はい、あたしがいた時代の一九九九年の七月、この時代で同じときに起きたトキオ聖戦のことをまずは調べたいんですけど。それから、この世界でのその当時の歴史とか文化とか、それ以前の歴史とかもできれば」
「なんでも屋のボクでも、一九九九年にはまだ生まれてないからなぁ。詳しく教えてあげるのは……あっ、いた」
 まさか〝いた〟とは、〝そういう〟意味か?
 シキは突然、パソコンに向かってなにやら作業をはじめた。
「ネットで彼を呼び出してみよう」
「ネットってインターネットですか?」
「ケイちゃんの世界にもあったの?」
「えっと、中学のパソコンはできなかったんですけど、高校のパソコンはできるみたいです。まだ授業で使ったことないですけど」
 ケイがいた一九九九年の世界では、まだインターネットの普及率は低くかった。
 パソコンの画面にアニメ調の魔法少女が現れた。
「なんですかこれ?」
「シン君のアバターだよ。彼は大のアニメ好きで、アニメって〈ノアインパクト〉以前の文化の一つね。今は放送局が限られているせいで、そういう娯楽もないんだけど、彼はその文化があった時代から存在しているから」
「あばた……。それよりも、そんな長生きなんですか、その人?」
「生きているという定義には当てはまらないかもしれないし、人間という定義からも外れているような気がするなぁ」
 さっぱりケイには理解できなかった。
《オレはたしかに人間ではないが、元人間だ》
 パソコンのスピーカーから男の声が聞こえてきた。
「シン君、久しぶり。こっちからは変な美少女キャラしか見えないけど、向こうにはこっちの映像と音声が送られてるから」
《何度見てもおまえの正体を知っていると、キモイぞ、その格好と声》
「あはは~っ、キミの電力落としちゃうぞぉ」
《オレが停止したら、この都市はすぐに滅びるぞ》
 二人の会話がさっぱり理解できないケイ。
 正体?
 都市が滅びる?
 どちらも触れてはいけない気がして、ケイはなにも口を挟まなかった。
《おまえが雑談でオレを呼び出すはずがない。用件はなんだ?》
「ここにいるこの子、この世界の住人じゃないんだ。あいつらって意味じゃなくて、どこから来たのかもわからない。異世界か、違う時間か、平行世界か、この世界と似ている世界から来たのは間違いなくて、しかも一九九九年の七月から来たっていうんだよ」
《ほう、興味深い。〈東京聖戦〉の時代からタイムスリップして来た可能性があるということだな》
 言葉の一つにケイは引っかかった。
「東京っていいました? トキオじゃなくて、東京都の東京? 新宿とか渋谷がある東京ですか?」
《久しぶりに聞いた地名だ。オレはあの時代、まだ小学生低学年だった。東京壊滅のニュースは嘘だと思ったのは、世界中の人々も同じだろう》
「いったいなにがあったんですか?」
《話していいのか、シュウト?》
 シキは殺人を犯しそうな満面の笑みを浮かべた。
「シン君、この都市を支える超電子頭脳のクセしてバカだろ。本当にキミはバカだ。もう言ってしまったものはしょうがないけど、ボクのことはペラペラしゃべらないでくれるかな。それ以外のことなら説明してあげて、この子はそれを聞くだけの重要な位置にいるかもしれないと思うから」
 シキの正体?
 シュウトというのはおそらく名前だろう。『格好と声』とシンが言っていたことから、おろらく今見えているシキは、本当の姿とは別なのだろう。変装だとするならば、もしかしてあのハゲの中年が……。
 言葉には出せないが、ケイはシキをじっと見つめてしまった。
 それに気づいたシキはニッコリと笑った。
「あはは~っ、眼に見えているものが今は現実だよ。見えないものまで想像する必要ないよ」
「えっ、な、なんのことですか! あたしシキさんの正体とか、そういうのぜんぜん興味ありませんから!」
 その慌て方は、興味が大ありだと言っているようなものだった。
 シキはケイに満面の笑みを贈ったあと、話を切り替えた。
「もうひとりここで眠ってるひとがいるから、彼女が目覚めないうちに話をしよう。だいたい三〇分以内で」
 炎麗夜はまだ目覚める気配すら見せない。
 パソコン画面の魔法少女が砂時計を出した。
 砂が落ちる時間が三〇分。

 つづく


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