第10章 戦の狂乱の女王
 ニホン地図を手に入れたケイと炎麗夜は、一路魔都エデンに向かって爆進していた。
 漁村で世話になったあと、炎麗夜が仲良くなった船長からもらった地図。この地図を一目見て、ケイは驚かずにはいられなかった。
 それはケイがよく知る日本地図とそっくりな物だったのだ。
 ただし、大陸の一部が欠けていたり、逆に見知らぬ小島があったりと、詳細な部分では異なっている。
「そんな地図とにらめっこしなくても、迷わないから平気さ」
 と、炎麗夜が声をかけてきた。
「この地図を見て確信しました。やっぱりここってあたしがいた世界の未来なんです。ちょっと形は違うけど、〈ノアインパクト〉っていう地殻変動があったんですよね?」
「昔のことだから、ほんとにあったかは知らないけどね。火山の噴火や地震、地殻変動やら、極めつけは一五〇日間続いた大洪水だって云うね」
「たぶんそれでちょっとあたしの世界と形が違うんです。だとしたら……」
 急にケイは暗い顔をした。
 黙り込んだケイを心配して炎麗夜が声をかける。
「どうしたんだい?」
「世界がこんなになっちゃったんだと思うと。元の世界に帰っても、こんな未来まで生きてませんけど、あたしがいたの一九九九年の七月なんです」
「トキオ聖戦の年と月じゃあないか!?」
「詳しく教えてくれませんか、帰った世界でそれが起きる――もう起きたのかもしれない。あたしがこの世界に来た理由と関係があるのかも」
「詳しくって言われてもねえ、古代都市が消滅したとか、それを期に世界が大きく飛躍したとか、一〇〇年帝國ができたとか」
 話を聞きながらケイは記憶を手繰り寄せた。
「トキオ聖戦で滅びた古代都市って、トキオっていうニホンの首都だったんですよね?」
「そうだよ」
「場所わかります、この地図で?」
 ケイは地図を炎麗夜に手渡した。
 すでに炎麗夜が地図を逆さまに見ている時点で、ケイは嫌な予感がしていた。
「う~ん」
「わからないならわからないでも……」
「魔都エデンがある場所がトキオだったようなあ」
「ちょっと地図返してください」
 ケイは地図を奪って見た。
 魔都エデンの場所はおそらくケイのいた世界では東京。
「東京が消滅……そんな。でもあたしが住んでるのは神奈川だから、東京で起きたことにあたしがなんで巻き込まれて……関係ないのかな?」
「魔都エデンはトキオがあった場所、旧帝都エデンはその下の地域にあったらしいよ」
「もしかして神奈川県?」
「さあ、そこまでは」
 自分がいた世界の未来になにが起きるのか?
 ケイはそれを知りたいという気持ちと、知りたくないという気持ちが混在していた。
「未来が恐いものなら、知ってるなんて耐えられない。けど帰るためには必要なのかもしれない。どう思います?」
「どうって言われても」
 その反応を察してケイは溜め息をついた。
「聞かれても困りますよね。魔都エデンに着いたら詳しく調べられるかなぁ。トキオ聖戦のこととか」
「あそこならあるだろうけど、詳細となると政府が管理してるよ」
「そーゆーのって調べるの難しいですよね?」
「そういうのに詳しい生きた歴史事典みたいな乳友ならいるけど」
「紹介してください!」
「もう会ってるよ」
「え?」
 だれだろうとケイは会った人物を思い浮かべた。短い期間で出会った人物――。
「なんでも屋シキだよ」
「さすがなんでも屋」
 しかし、生きているかもわからない。
 生きていたとしても、どうやって連絡を取るのだろうか?
 とりあえず、ケイはこの世界に来て電話を見ていない。
「この世界って、どこにいるかわからない人とどーやって連絡取るんですか?」
「どこにいるかわからなきゃあ連絡取れないだろう?」
「ですよねー。ケータイとかないんだ……あたしもまだ買ってもらえてないけど」
 ケイがいた一九九九年代半ばの携帯電話・PHSの加入者数は五五〇〇万人を越えている。数年後には高校生だけでなく、小中学生の普及率も高くなることは必須だ。
 ケイは言葉を続けて質問をする。
「じゃあ、場所のわかってる人は?」
「手紙、大きな都市や政府は電話が使えるけど、居場所が定まらないおいらやシキみたいなのは、音信不通になることが多いから、いちよう私書箱借りてるけど、手紙を取りに行かなきゃあやっぱ連絡取れないねえ」
「炎麗夜さんちゃんと取りに行ってます?」
「そういうのは颶鳴空がやってくれるから、私書箱がどういうのかじつはよく知らないんだ」
 自由なひとだとケイは改めて思った。
 しばらく走り続け、昼食を取るために休憩することになった。
 漁村で知り合った船長から、魚の干物とおにぎりをもらったので、それを食べることにした。
 燦々と輝く空の下。
 木陰のちょうどいい場所があった。木の真下は砂地だが、その周りは芝生が広がっている。
「なんだかピクニックみたい」
 おいしそうにケイはおにぎりを頬張った。
 のどかな景色。
 自然に囲まれていると平和な気持ちになる。
「そーいえば炎麗夜さんはなんで魔都エデンに?」
「このままじゃ駄目だと思ったのさ」
「なにが?」
「エクソダスは失敗に終わった。逃げるんじゃあ駄目なんだ、おいらだってこの国から逃げる気なんてない。ならこの国を変えるしかないのさ!」
 魔都エデンに乗り込む。
 国を変えようとする炎麗夜が乗り込むと言うことは?
「なにする気なんですかいったい!?」
「魔都エデン――いや、この国を支配してるのは都智治って奴さ。巨乳狩りをはじめたのもこいつだ。だったらこいつをどうにかすれば、この国は絶対よくなる!」
 果たしてそれは本当にそうなのか?
「ずいぶんと大きな妄想をしてるようだわねぇ」
 その女の声は上空から聞こえた。
 大地に影を落とす凶鳥――ネヴァン。
 なぜここに!?
 ケイは驚いて炎麗夜と顔を見合わせた。
「どこにいるかわかんない人とは連絡取るのも難しいって!」
「偶然……見つけたわけじゃあなさそうだねえ」
 そう、偶然などではなかった。
 ネヴァンが大地に降り立って近付いてきた。
「アナタたちが立ち寄った村から懸賞金目当ての通報があったのよ。魔都エデンが目的地なのも聞いたわ。あとは簡単よ、街道などを衛星で隈無く探せばいいだけ」
「だってあの村の人たちいい人そうだったし、船長さんなんてよくしてくれて」
 ケイのその言葉を聞いてネヴァンは腹を抱えて笑った。
「アハハハハッ、頭弱くて笑っちゃうわ。今の世の中、アナタたちは悪人なの。善人が悪人を突き出すのは当たり前でしょう。それにもうひとつ良いことを教えてあげる。通報者はその船長よ」
「ウソ……」
 ケイはショックを受けた。
 だが、炎麗夜は平然としていた。
「よくあることさ。飯に毒も入ってなかったし、酒もうまかったし、よかったんじゃあないかい?」
 これがこの世界の巨乳狩りなのだ。
 政府の追っ手、賞金首を狙うハンター、一般の人々の中にも敵がいる。
 はじめに出会ったこの世界の娘やその父親が、自分によくしてくれたからケイは考えが及んでいなかったのだ。それに大勢の胸の豊満な女たちが試みたエクソダス。それらを見てきて、巨乳狩りは人々の反発を買っているものとばかり思っていた。
 炎麗夜はケイを自分の背に隠した。
「都智治潰すんなら避けちゃあ通れない道だからねえ」
 手に持っていたおにぎりを一気に頬張り、炎麗夜はフレイを近くに呼び寄せた。
「〈ファルス〉合体!」
 フレイが黄金のマントに変貌し、炎麗夜と合体を果たした。
 合体と同時に〈崇高美〉は発動される。
 先手必勝、猪突猛進!
 炎麗夜がネヴァンに突撃した。
「美しく突進(ビューティフルラッシュ)!」
 直線上に向かってくる炎麗夜をネヴァンは上空に飛んで躱した。
「そんな攻撃当たらなくてよ!」
 足を地面に向けて急降下するネヴァン!
 その足は人間のものではなく、三本の鋭い鉤爪のついた鳥の足だった。この爪で引っかかれたら肉が削ぎ落とされてしまう。
「死ねーッ!」
 凶鳥の叫び!
 だが、炎麗夜は動じない。動じるどころか、その顔を下りてくる爪に向けた。
「なっ!?」
 眼を剥くネヴァン。その足は炎麗夜の顔に触れる寸前で止まっていた。
「おいらの〈崇高美〉は鳥の足なんかじゃあ崩せないよ」
「〈ムゲン〉の能力!?」
「〈赤毛のマッハ〉から聞いてなかったのかい?」
「くっ……ならこれならどう!」
 ネヴァンは翼を扇ぎ毒粉を撒き散らした。
 空気中に溶け込ませることによって、息を吸うと同時に毒が体内に送り込まれる。
「うっ……毒か……」
 なんということだ、呻きながら炎麗夜が膝を付いた。
 まさか〈崇高美〉の効力が及ばぬ隙が狙われるとは!
 勝ち誇った笑みを浮かべるネヴァン。
「どうやら絶対の自信をお持ちのようだったけれど、アタシがアナタの天敵のようね」
「毒が回りきる前にあんた倒して解毒剤をもらうよ!」
「解毒剤なんて持ってないわ」
「自らの毒に冒されたときのために解毒剤が必要なはずじゃあ!」
「残念でしたわね。毒の耐性があるのよ」
「く……から……だ……が……」
 炎麗夜が地面に崩れた。
 戦うことを知らないケイが残された。
「炎麗夜さーッん!」
 もう炎麗夜はぴくりとも動かなかった。
 ネヴァンの顔がケイに向けられた。
「次はお嬢さんよ」
「炎麗夜さん、炎麗夜さん起きて!」
「そんなにこのメスブタのことが心配?」
「炎麗夜さんになにしたの!」
「アタシの毒で自由を奪っただけよ。躰は動かないけれど、意識もあって生きているから心配しないで、殺しはじっくり愉しむタイプだから」
 ネヴァンがゆっくりとにじり寄ってくる。
 息を呑みながらケイは後退りした。
 鋭い爪は足だけでなく、手にも鉤爪を持っている。ネヴァンはそれに舌を這わせて不気味に笑った。
「お嬢さんの胸の肉。切り裂いたら気持ちよさそうね、あぁン!」
 怖ろしくなったケイは胸を押さえてさらに後退った。
 この場は逃げるしかないのか。だが、炎麗夜を置いて逃げるというか。
 ケイはネヴァンに背を向けて走り出した。
「あたしが助からなきゃ炎麗夜さんも助からない!」
 ここでやられたら、炎麗夜を助けることもできなくなってしまう。
 しかし、ネヴァンから逃げ切れるのか!?
 上空に舞い上がったネヴァン。容易くケイに追いついてしまう。ケイの躰に差す凶鳥の影。
 その影が急にケイから外れた。
「ぎゃあっ、何事!?」
 ネヴァンの躰が地面に引きずられる。その足首には鎖が巻き付いていた。
 恐る恐るケイが振り返った先にいたのは、シキ!
「前と同じテンガロンハット探すのに手間取っちゃって。お気に入りはストックしとくべきだよね」
 その手に握られた鎖。まるで凧揚げのようにネヴァンに繋がれていた。
「おのれ新手かッ!」
 引き下ろされたネヴァンは、シキの近くで再び毒粉を撒き散らした。
 〈崇高美〉の炎麗夜すら冒した毒。吸えば一溜まりもない。
「〈毒女(どくじよ)のネヴァン〉だね。キミの毒は効かないよ。炎麗夜にも解毒剤を飲ませたけど、動けるようになるまでには少し時間がかかりそうだね」
「嘘おっしゃい、アタシの毒に解毒剤なんて存在する筈がないわ」
「〈ムゲン〉の能力ならまだしも、所詮は此の世の毒なんだよ」
「解毒剤を出すのよ、調合した奴も皆殺しにしてやるーッ!」
 鋭い足爪でシキに襲い掛かった。
「頭に血が昇って捕まってるの忘れた?」
 シキはハンマー投げの要領で、鎖を振り回してネヴァンを投げ飛ばした。
 すでにだいぶ回復していた炎麗夜は、その光景を見ながら笑った。
「あの女の天敵はシキのようだねえ」
 これまでの戦いから、シキは多くの者の天敵であることがわかっている。
 だから炎麗夜はこう続けた。
「これから〈ワイルドカードシキ〉って呼ぼうか」
 地面に落とされたネヴァンは、四つん這いになってから立ち上がった。
「アカツキにやられた傷が治ってないとはいえ、このアタシがこんな無様な姿を晒すなんて……皆殺しよ皆殺し!」
 逆上するネヴァンを見ながら、シキはニッコリ笑った。
「ボクを殺すのは不可能だよ」
 それは絶対の自信か?
「殺されたあとに後悔しても遅いわよ!」
 上空に舞い上がったネヴァンが急降下を決める!
 迎え撃つシキは鎖を投げ槍のように放った。
 それは鋭い突きだ。
 鎖の先端がネヴァンのみぞおちにめり込んだ。
「グフッ!」
 ネヴァンが墜落する。
 またも地面に叩きつけられたネヴァン。自分の重量が攻撃の威力となった。
 一方のシキは無傷で息も切らせていない。
「キミも魔導装甲使いなら〈ムゲン〉で戦ってみたら?」
「アタシの〈ムゲン〉は戦闘向きじゃないのよ!」
「でも活路が見つかるかもよ」
「そんな見たいのなら、見せてやるわ。〈スペルプラス〉『私バカですけど』」
「えっ、私バカですけど」
 驚いたシキはさらに驚いた。
 炎麗夜も呆気に取られている。
「私バカですけどってなんだい、私バカですけど」
 言った本人はすぐに気づいた。
 まだ気づいていないのはケイだ。
「みんなどうかしちゃったの、私バカですけど」
 たしかに戦闘向きではない。だが恐ろしい〈ムゲン〉だ。おそらくネヴァンの指定した言葉(スペル)を語尾に、しゃべった者は強制的につけてしまうのだ。
 慌てるケイ。
「なにこれ、私バカですけど。あたしバカじゃないし、私バカですけど。だから、私バカですけど」
 相手を混乱に陥れる技だ。
 炎麗夜が叫ぶ。
「しゃべるんじゃあないよケイ! 私バカですけど」
 あまりの馬鹿馬鹿しさにシキの躰から力が抜けた。
「本当にくだらない〈ムゲン〉だね、私バカですけど」
 この隙にネヴァンは高く高く上空に舞い上がっていた。
「アナタたち本当にバカね、私バカですけど。勝負はお預けよ、私バカですけど」
 本人にも適応されるらしい。
 シキは鎖を放ったが、もうこの距離では届かない。
「逃げられた、私バカですけど。これいつまで続くのかな。あっ、治った」
 もうネヴァンの姿は見えなかった。技の効果は範囲的なもので、ネヴァンとの距離が関係あるのかもしれない。
 とりあえずこれで危機は去った。
 どうにか生き残れたことにケイは安堵した。
「シキが助けに来てくれなかったら。それにしても精神的にダメージが来る〈ムゲン〉だったなぁ。もしもエッチな言葉なんかいわされたら……あぁン!」
 突然、変な声を出してしまったケイ。
 まさか新たなスペルが指定されたのか!?
 ……違った。
「お礼の気持ちは一〇おっぱいで」
 シキがケイの胸を揉んでいるだけだった。
「あっ……あぅ……また返り討ちに……あぁン!」
「残念でした。ケイちゃんの躰は鎖で縛っちゃったよ」
「いやぁン!」
 ケイの叫びがどこまでも木霊した。

 つづく


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