第14章 真相
 まるで枝々から朱い花が咲き乱れたような光景だった。
 アカツキの刃が見えない幾本もの触手を切り刻んだのだ。
「グヒャアアアア…ヒギギギ……」
 不気味な呻き声を漏らした都智治。
 本体から切り離された触手は、その姿を現し赤黒い巨大蚯蚓のように蠢いている。
 巨乳狩りを推進していた政府の長である都智治が、巨乳狩りをしていたアカツキに斬られた。
 ――なぜアカツキは巨乳を狩るのだ!
 触手から解放された炎麗夜は鋭い視線をアカツキに浴びせた。
「都智治斬ってまで、おいらたち巨乳を狙う理由はなんだい?」
「…………」
「あんたはこれからお尋ね者さ。賞金をもらうどころか、あんたが賞金首だ。ただの殺人鬼か、それともほかに理由でもあるんかい?」
「……すべての巨乳を救うため。巨乳狩りの流れが止められないのなら、俺様にできる方法はこれだけだ」
 アカツキは炎麗夜に斬りかかった。
 それが巨乳を救う答えだとでもいうのか!
 〈崇高美〉によって炎麗夜はアカツキの刀を握り締め止めた。
「おいらを傷つけることは不可能さ」
「前の俺様だと思うな」
 妖しく微笑んだアカツキは、儚げで美しかった。
「なっ……(おいらの〈崇高美〉が崩れるはずが)」
 刀を握る炎麗夜の手の隙間から、鮮血が滲み出してきた。
 白塗りされたその顔は、美しさを引き立たせるだけでなく、ヒトを人外へと導く。
 まるでつくられた人形のように、すべてが整っているアカツキ。
 花魁姿に着飾ることがアカツキに力を与えた。
 これ以上は骨を断たれる。炎麗夜は刀から手を離して飛び退いた。
 すぐにアカツキが速攻を決めようとした。
 そのときだった!
「やめて!」
 響き渡ったケイの叫び。
 動きを止めたアカツキはケイを見て呆然とした。
「……誰だ?」
 決して初対面ではない。
 アカツキは切っ先をケイの魔乳に向けた。
「その胸は貴様じゃない。なぜ貴様がその胸を持っているんだ!」
「胸?」
「前と顔つきも……そんな嘘だ……貴様が似ているなんて嘘だ」
 全身から力の抜けたアカツキの手から刀が滑り落ちた。
 殺意!
 見えない触手が槍のようにアカツキの躰を突き抜けた。
「ぐはっ」
 可憐な蕾が黒い悪夢を吐き出した。触手はアカツキの胃腸を損傷させたのだ。
「ぐひゃひゃはああ、さっきのお返しだ変態野郎!」
 アカツキに触手を斬られ沈黙していた都智治が、復活していたのだ。
 串刺しにされたアカツキだったが、表情一つ変えずに艶やかさを保っている。
「貧乳には興味ない」
 輝線を描きアカツキの刀が〝何か〟を斬った。それは触手の一部だった。本体から切り離された触手は見えるようになり、アカツキはのたうち回る触手を己の肉体から引き抜いて投げ捨てた。
 地面が激しく揺れた。都智治が暴れているのだ。
「貧乳だとォォォッ、貴様も私を馬鹿にするのか、貴様も私と姉を比べるのかッ!」
 地響きは遠く離れていたマダム・ヴィーの元まで届いていた。
「姉の幻影に怯え、本当に可愛い狂人だわ。ただ狂いすぎていて、エデンの顔には向かないわね」
 独り言をつぶやいたマダム・ヴィーに、盲目の秘書が顔を向けた。
「〈M反応〉を検知いたしました」
「どこで?」
「この場所に〈Mの遺伝子〉の適合者がおります。特徴はショートヘアで、この中でもっとも胸が豊満な若い娘、先ほどから戦闘には参加していないとのことです」
「ああ、あの娘(こ)ね」
 それはケイのことだった。
 マダム・ヴィーのルージュは、そこだけで恐ろしさを表現する笑みを浮かべた。
「あの都智治はもう捨てましょう。新たな〈Mの巫女〉のもと、政府は新体制で新たな門出を迎えるのよ」
「そうはさせないよ」
 その声が冷たく響いたと同時に、秘書が地面に倒れていた。
 マダム・ヴィーの前に現れたのはシキ。
「ご機嫌よう、夢の館の生き残り――マダム・ヴィー」
「あら、わたくしのことを知っているなんて、どこのどなたかしら?」
「〈闇の子〉を崇拝していた魔導結社D∴O∴T(ダークオブタルタロス)の元幹部。今は偽りのエデンの支配者というわけかな?」
「正体を明かしなさい」
「ボクは〈光の子〉と〈闇の子〉、どちらに支配される世の中も望んでいない。〝彼ら〟の夢見る楽園(エデン)なんて必要ないよ」
「言いたくないのなら、拷問で吐かせてあげるわ」
 地中から巨大なサソリが這い出てきた。
 毒針のついた尾がシキを襲う。
 突然現れたサソリの攻撃をシキはいとも簡単に躱した。
「オリジナル〈デーモン〉だね。どのソエルと融合させた?」
「そこまで知っているとは驚きだわ。D計画の真の目的まで知っているなんて、内臓が出るまで貴女の口からなにを知っているか聞きたいわ」
「なら攻撃をやめてくれないかな?」
「それはできないわ」
 サソリの毒針がシキの肩に刺さった。
 しかし、シキは顔色一つ変えずにその尾を掴んで逃がさない。
「ならこのまま話そう」
「毒針すら効かないのね、素敵だわ。生体である〈デーモン〉にすら効くのに」
「ボクの正体に気づいたかい?」
「〈闇の子〉と〈光の子〉を敵に回した――傀儡士紫苑(くぐつししおん)。貴方の一族は今もソエルに怨みを持っているのかしら?」
「それはセーフィエル――ボクの祖母だけだよ。ボクはただ母を取り戻したいだけだ。母もオリジナル〈デーモン〉にされているかもしれないと思ったけど、いまだに見つからない」
「素体との融合前に逃げたのよノイン……はワルキューレでの名前だったわね。本当の名前は貴方の通り名と同じシオンだったかしら。不安定な〈アニマ〉で逃げたから、もう完全消滅してしまったかもしれないわね」
 マダム・ヴィーの首に鎖が巻き付けられた。
「消滅なんて絶対にない!」
 怒鳴られても、首を絞められようとも、マダム・ヴィーは妖しい笑みを崩さない。
「融合に必要な改造を終え、もっとも不安定な状態だったのよ。まさかあの状態で逃げることができるなんて、想定外でとても愉しませてもらったわ」
「実験台にされたのは〈光の子〉陣営のソエルだけじゃないだろう! どれだけの人間をこれまで〈デーモン〉に変えた!」
「覚えてないわ……うっ」
 鎖がマダム・ヴィーの首を絞めた。呼吸をするのがやっとで、しゃべることも許されない。
 〈デーモン〉とはいったいなにか?
 シキはそれを知っている。
「〈デーモン〉は消滅しかけた〈闇の子〉陣営の魂魄――〈アニマ〉を救済する緊急的な処置として開発された。オリジナル〈デーモン〉は、人間の〈アニマ〉を媒介として、ソエルの〈アニマ〉を安定させ、さらに人間の肉体とも融合され、魔導装甲機体とする。正確には人間の肉体や魂の器まで、すべてに寄生して乗っ取るというのが正しいだろう。実験段階では人間ではなく、動物や物に至るまでありとあらゆるものが素体にされ、その副産物として生まれたのが凡庸型〈デーモン〉だ。凡庸型にはソエルの〈アニマ〉ではなく、人間の〈アニマ〉が使われ、その自我は封印され、ただの兵器に変えられてしまっている」
 少し鎖が緩められた。
「その通り、凡庸型は動物の素体と〈アニマ〉に、人間の〈アニマ〉を融合してつくる。さっき向こうにいた猪は、猪が素体となり、どこかの誰かの〈アニマ〉が融合してあるわ。凡庸型までわたくしは関知していないけれど」
「昔からずっとおまえは生命を弄んでいる。ボクはおまえがつくったキメラを何匹も殺してきた」
 話の途中だったが、上空の気配を感じてシキはそれを見た。
 舞い降りてきた三つの凶鳥の影。
 ついにバイブ・カハが到着したのだ。
 マダム・ヴィーは唇を舌で舐めたあと、接吻の音を鳴らした。
「新たなゲストが到着するまでのお持て成し終わりよ。ではご機嫌よう、お人形さん」
 霧のようにマダム・ヴィーが消失した。
 巻き付くものを失った鎖が地面に落ちて音を立てた。
「空間転送の技術まで復活させていたのか……」
 シキはすぐさまケイたちの元へ走った。
 積み上げられた触手の山の中から都智治が這い出してきた。〈ムシャ〉化は解けてしまったようだ。
「胸のない奴にまで私は……ううっ……」
 地を這いつくばる都智治に手を貸す者はいなかった。その場にはバイブ・カハがいるにも関わらず――。
 それにまだ気づいていない都智治は、豊満な胸々を指差して叫ぶ。
「殺せ、バイブ・カハなにをしている! 早くそのおっぱいどもを殺せーッ!」
 バイブ・カハはだれも動かない。
 マッハは冷たい視線を都智治に浴びせた。
「都智治さん、アンタはマダム・ヴィーに捨てられたんだ」
 さらにネヴァンも続いた。
「可哀想なお嬢さんだわ。もう生きている価値もないのね(アタシたちもいつヴィーに捨てられるか、早いうちに先手を打たなくては)」
 都智治は眼を血走らせてモーリアンを睨んだ。
「本当かモーリアン!」
「はい、我々が貴女の命令を聞くことは一切なくなりました」
「キヒャハハハハハ、それならそれでいい。皆殺しだ血祭りだ血の一滴まで搾り尽くしてやる!」
 しかし、もう都智治は戦う力など残っていなかった。
 この場にやってきたシキが囁いた。
「都智治……いや、リリカちゃん。キミは姉を殺してまで都智治の地位を手に入れたけど、すべては儚い悪夢だったんだよ」
 一同に動揺が走った。
 炎麗夜が眼を丸くして声を荒げる。
「都智治が前都知事殺しただって?」
 政府側であるマッハも驚いていた。
「姉殺しまでやったのか。相当なコンプレックスを抱いてたとは聞いてたけどな」
「そういう噂は聞いていたわ。モーリアンお姉様は知っていたのかしら?」
 ネヴァンはそう言ってモーリアンに顔を向けた。
「私は知っていた。それにまつわる真相も……(巨乳狩りがいかにして生まれことになったか)」
 真相とは?
 アカツキから殺気が立ち昇り、切っ先がモーリアンに向けられた。
「巨乳狩りはヒミカ病が原因ではない、そうだなモーリアン!」
「貴公知っているのか!?」
「別の理由があることには気づいていたが、すべてを貴様から聞かせてもらおう」
「それは言えない(姉をコンプレックスから殺し、その殺害を病気に偽装して、コンプレックスの一つであった豊満な胸の女性を皆殺しにするという幼稚な政策)」
 いきなりアカツキがモーリアンに斬りかかった。
 寸前でモーリアンが剣で刀を受けたが、その衝撃で地面に倒されてしまった。
 馬乗りになったアカツキは、刀で剣を押しながら、憎悪を込めて囁いた。
「そのくだらないコンプレックスが本当に原因なのか?」
「なっ……(まさか〈ムゲン〉の能力か!?)」
「自分が貧乳というだけの理由で、巨乳の女たちを殺したというのかッ!!」
 叫び声は全員の耳に届いた。
 もはや隠す理由もなくなった。
 モーリアンは刀ごとアカツキの躰を押し返し、すぐに立ち上がって体勢を整えた。
「そうだ、ヒミカ病など存在しない」
 発症した者は死にたる病。その症状の一つに乳房の肥大があると云う。そして、その代表的な発病者の名前――前都知事であるヒミカこと現都智治のリリカの姉の名から、そう呼ばれるようになったヒミカ病。
 だが、マッハが異議を唱える。
「街で次々と感染者が出て、貧乳だった女が巨乳になっただろ!」
 モーリアンはだれの顔も見ず答える。
「あれは人為的につくられたウィルスを、政府が市販の食品に混ぜて発症した別の病気だ。人から人へと感染するものでもなければ、死に至るものでもなかった」
 今までなにも知らず巨乳狩りに荷担してきたマッハは激怒した。
「アタイは狩りができればそれでよかった。けどな、そんなくだらない理由のために働かされてたと思うと反吐が出る。巨乳なんてもう狩るか!」
 おそらくこの巨乳狩りの理由が公になれば、政府に従わない者も増え、世の中の流れが変わるかも知れない。
 ケイも狩られる立場として一歩前で出た。
「そうですよ、巨乳狩りなんて間違ってるんです。だからもうやめましょう!」
 病気でないとしたら、大きな過ちであったとしか言いようがない。
 炎麗夜が地面に這っている都智治を見下ろした。
「ならやっぱこいつ倒せば巨乳狩りは終わるんだね」
 それにケイは反対する。
「駄目ですよ、そんなことしなくても、みんなが事実を知れば世の中は動きます。もうだれも傷つかなくていいんです!」
「それはどうかな」
 と、シキが言った。
 さらにシキは続ける。
「残念だけどね、ボクはさらにその先の真相を知ってるんだ」
 驚いた視線がシキに集中した。
 病気は嘘だった。
 そして、妹が姉に抱いたコンプレックスが、引き起こした幼稚で乱暴な政策でもないというのか?
 都智治が呻く。
「なんだと……その先の真相だと、ふざけるな。私はおっぱいが憎いだけだ、それ以上でもそれ以下でもない、すべての巨乳どもを根絶やしにしてやる、それのなにが悪い、イヒヒヒヒ!」
「ボクは本当にキミを哀れむよ。巨乳狩りはキミが望んだかもしれない。けどね、巨乳狩りが行われるように、巧みにキミを誘導したのは、マダム・ヴィーだよ」
「奴が私を誘導した? キャハハハハ、ヴィーにどんなメリットがあると言うのだ!」
「巨乳狩りの真の目的は、例えるなら〝遺伝子〟のようなもの、その〝遺伝子〟を持つ存在を駆逐するために行われたんだよ」
 シキの言葉にモーリアンは激しく驚いたようだ。
「本当なのか、私たちは都智治のエゴのために働いてはないのだな!(それならば少しは救われる)」
 表向きの真相を知っていたモーリアンは、任務とはいえ思うところがあったのだろう。
 そして、裏にある真相をシキはさらに語る。
「この〝遺伝子〟を持つ者はヒミカ病と同じで女性に限られ、乳房が大きくなるという特徴がある。ただし、こちらは成長期を過ぎて突然大きくなるということはないんだ。生まれたときから〝遺伝子〟が組み込まれている。この〝遺伝子〟を保有しているか調べるためには、膨大な時間をかけて検査が必要で、この〝遺伝子〟の存在が知られたときには、すでに世界中に保有者が拡散したあとだった。それでも主に保有者がいるのはニホンなんだ。そこでマダム・ヴィーは検査などせず、すべての巨乳を駆逐するべく巨乳狩りを行った。それが真実だよ」
 シキが話し終えた。
 そして、すぐに都智治が立ち上がった。
「他人の思惑なんてどうでもいい。私は、私は……うひひ……おっぱいなど滅びてしまえーッ! 〈ファルス〉合体!」
 再び都智治が影の〈デーモン〉と合体する。
 また姿が見えなくなってしまうのか?
 ――そうはならなかった。
 そこに現れたおぞましき異形のもの存在は、少女の面影を何一つ残してなかった。

 つづく


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