第16章 三位一体
「紅……華?」
 つぶやいたアカツキだったが、その考えを改めて首をゆっくり横に振った。
 紅い花魁衣装はアカツキの〈デーモン〉が変形した物と同じ。
 背中の翼は生物的なものではなく、肉や皮のない骨組みだけで、輝きながら小さな光球を零している。
 その女の顔を見たシキは驚いた。
「母さん!? いや……違う、似ている……けど違う」
 現れた謎の女の顔はだれが知るものではなかった。
 その正体の鍵はマッハが知っていた。
 この中でもっとも驚いているのはマッハだった。なぜなら彼女の腕の中にいたケイが消えているのだ。
 そして、炎麗夜も気づいた。
「ケイに似てないかい?」
 一同に動揺が奔った。
 その女の顔はだれにもっとも似ているかと問われれば、ケイに似ていたのだ。
 優しい顔つきで謎の女は、アカツキを澄んだ眼差しで見つめた。
「『酷い顔をしちゃって、アカツキったらもぉ』」
 声が何重にも響いている。
 そして、謎の女はシキへ顔を向けた。
「『久しぶりですね愁斗(しゅうと)』」
 また声は何重にも響いたが、口調がまったく別人だ。
 最後に謎の女は驚いた顔をして炎麗夜の元へ飛行した。
「『炎麗夜さん! あたしどうしちゃったんですか!?』」
「やっぱ……ケイなのかい? どうしたっておいらに聞かれても……」
 その姿を見て戸惑うばかり。
 急にケイは凜とした表情で〈バベル〉を見上げた。
「『これには複雑な事情があるのです。今はそれよりも、これを破壊しなければなりません』」
 その声は三重に響いていた。三人の声が重なっているのだ。
「『久しぶりですねゼクス』」
《まさか君はノインなのかい?》
「『その人格もこの中にあります。だからこそ、貴女たちのやろうとしていること止めなくてはなりません。私たちの戦渦に人間を巻き込んではいけないのです』」
《この星に文明を築いたのは、人間よりもボクらソエルが先というのが大数意見だケド?》
「『そのエゴで何度世界を崩壊に導いたのですか』」
《ノイン……君はセーフィエルのようにソエルすべてを裏切るんだね》
 〈バベル〉からプラグが矢のように放たれた。
 ケイは瞬時に防御態勢を取ったが、プラグは真横を通り過ぎ、シキに向かって奔っていた。
 狙いはシキだったのだ。
「しまっ……た……」
 呻いたシキに刺さったプラグがなにかを吸い出す。それは瞬く間の作業だった。
 プラグはすぐに本体へと戻ろうとする。
 ケイはプラグを掴もうとしたが、手の間を擦り抜けてしまった。
《やはり紫苑君が隠し持っていたんだね!》
 歓喜するゼクス。
 シキは地面に膝を付いて、顔を上げた。
「母さんすみません……今奪われたのは〈光の子〉自身の〈アニマ〉の欠片です」
「『なんですって!?』」
 大地を揺るがす地響き。
 〈バベル〉を中心にして大地に亀裂が奔った。
「『今すぐあれを破壊しなければ!』」
「任せときな!」
 そう叫んで炎麗夜が素手で巨大な〈バベル〉に突進した。
「昇天楽園爆裂拳(エクスタシーヘブンコンボ)!」
 超乳を揺らしながら殴る蹴るの連続技で、炎麗夜は〈バベル〉に攻撃を与えた。
 だが、相手は塔だ。
「うぉりゃあああああっ!」
 最後に炎麗夜はオーバーヘッドキックで〈バベル〉を蹴った。
 たかが人間ひとりの力で塔が蹴り上がるはずがない。
 しかし〈バベル〉は宙に浮いた!
 そして頂から迸る光を噴き出したのだ。
 見届けていたマッハは唖然とした。
「す……素手で倒したのか?」
 それは違った。
 遥か遠くの大地で爆発が起きた。それも一つ二つの爆発ではない。各地で巨大な爆発が起き、巨大なキノコ雲が空に舞い上がった。
 モーリアンの全身から力が抜けた。
「魔都エデンが滅びた」
 それを成したのは〈バベル〉の頂から迸った破壊光線だった。
 〈バベル〉が一瞬にして、魔都エデン、そして周辺の村や町を滅ぼしたのだ。
 各地から光の玉が〈バベル〉に向かって飛んでくる。
《見えるかな君たち、周辺の都市にいた人間たちが死に〈ソエルの欠片〉が回収される。こうやって過去に散り散りになってしまったものを、再び〈バベル〉に集結させるんだ。アカツキ君に回収させていたもの比べれば粗悪品だケド、量で質はまかなえる。豊満な胸を持つ人間に〈ソエルの欠片〉は多く含まれているケド、〈ソエルの欠片〉はすべての人間が持っているんだ。人間はソエルの粗悪な凡庸品なのだからね!》
 事態は最悪の方向に転がり続けている。
 モーリアンがマッハとネヴァンに命じる。
「状況は変わった、任務を放棄して撤収する!」
 モーリアンとマッハは同じ方向に向かって飛行した。だが、ネヴァンはそれとは真逆の方向に舞い上がった。
「政府はもう滅びたのよ。その方向に戻る必要があって?」
 それにモーリアンが反論する。
「私たちが仕えているのは政府ではなくマダム・ヴィーだ」
「そのマダム・ヴィーとも連絡が取れない状況だわ。アタシの通信機が壊れただけかしら、二人の通信機も繋がらないのではなくて?」
 ネヴァンの指摘通りだった。
 ためしにマッハがモーリアンに通信を送ると、この間での通信は通じた。
 ネヴァンは妖しく微笑んだ。
「ここでいったん別ちましょう。これからどうするべきか考え、必要ならまた三人で組めばいいわ。では、さようなら」
 ネヴァンは大空を羽ばたき彼方へと消えた。
 同じくマッハもモーリアンから離れた。
「アタイもひとりで考えてみる。じゃあな、姉さん」
 すぐにマッハの姿も見えなくなった。
「私はマダム・ヴィーの生存を確かめる」
 モーリアンは魔都エデンに向かって羽ばたいた。
 バイブ・カハが消え、残された四人。
 聳え立つ〈バベル〉を前に為す術もないのか?
 空を飛んだケイが動く力もないアカツキを抱えた。
「『引きましょう、今の私たちには太刀打ちできません!』」
 ケイはアカツキを抱えたまま、高く飛ぼうとしたが、急に高度が落ちて地面に足をついてしまった。翼の輝きが失われている。
「『この躰での限界のようです……少し休めば……』」
 ケイはアカツキを落として、そのまま地面に倒れてしまった。
 すぐに炎麗夜がケイに駆け寄った。
「だいじょぶかい! 仕方ない、〈カイジュ〉!」
 炎麗夜のマントが黄金の巨大猪フレイに変貌した。
 すぐに炎麗夜はケイをフレイの背中に乗せた。アカツキは置いていく気だ。
 炎麗夜はシキにも気を配った。
「そっちは平気かい?」
「ボクなら心配しないで、〈カイジュ〉!」
 白銀の大狼フェンリルにシキは跨った。
 そして、シキはテンガロンハットを拾い、さらにアカツキもフェンリルの背に乗せた。
 あからさまに嫌な顔をする炎麗夜。
「そいつも連れてくのかい?」
「別のケイちゃんの関係者らしいからね」
 フレイとフェンリルが走り出す。
 地響きを轟かせる〈バベル〉。
《ノイン、叛逆をするのなら、君の〈アニマ〉も糧とする!》
 〈バベル〉に巨大な眼が開いた。
 刹那、眼から光線が発射されたのだ!
 フレイが地面で跳ねて光線を躱した。
「あんなの喰らったらお陀仏だよ!」
「地上災凶最速のヴァナディースの総長なんだから、このくらい余裕でしょ!」
「言ってくれるじゃあないのさ。フレイあんたの雄志魅せておやり!」
 一気にフレイのスピードが上がった。これなら逃げ切れる!
 シキも急いでそのあとを追った。
 遥か後方では不気味な赤黒い〈バベル〉が沈黙して聳え立っていた。
 嵐の前の静けさ。

 シキの隠れ家の一つである地下シェルター。
 ベッドで寝かされているケイは、元のケイの姿に戻っていた。ただ、顔は戻っても、髪の毛の長さや着ている花魁衣装はそのままだ。
 部屋の片隅ではアカツキが項垂れて床に座っている。下ろした長髪はボサボサで、白塗りのメイクは崩れてしまっていて酷い有様だ。廃人同様だった。
 テーブルに置かれた料理を頬張っているのは炎麗夜だ。
「こんな物より骨付き肉が喰いたい!」
「こんな物とかいいながら、ここにある保存食すべて食べる気?」
 呆れたようにシキが言った。
 料理はすべて保存食だ。缶詰めのバリエーションが多く、その中には肉の缶詰めもあるのだが、炎麗夜はそれでは満足できないらしい。
 ベッドから動く音が聞こえた。
 死んだようにしていたアカツキが、息を吹き返してベッドに飛び乗った。
「紅華を出せ!」
 血走ったアカツキの瞳をケイが見つめた。
「……ぷっ、ひっどい顔、ウケル。あははははっ!」
「うるさい、早く紅華を出せ!」
「わかったから、早く顔を洗ってきなさいアカツキ」
 声はケイのものだったが、雰囲気が少し違った。
「…………」
 アカツキは無言でケイを見つめ、しばらくして部屋を出て行った。
 ベッドから起き上がったケイは、満面の笑みでテーブルに着いた。
「お腹すいちゃったぁ。このフルーツ缶詰めもらいますねっ」
 美味しそうにフルーツを頬張るケイを、炎麗夜は不思議そうな顔で見つめていた。
「元気でなによりだけど、ケイだよな?」
「そーですよ。いろいろわかって吹っ切れて、元気になっちゃいました」
「なにがあったんだい、ケイの身に?」
「それはアカツキが戻ってきたら話しますね」
 ニッコリとケイは笑って、ほかの缶詰めを開けはじめた。
 シキは少し重たい表情をして、炎麗夜を真摯に見つめていた。
「ボクのことは聞かなくていいの?」
「話したいなら聞くけど、ワケありなんだろう?」
「ありがとう。いつか話すよ、きっと。姐さんとボクは乳友だからね、あはは」
「いつでもこの乳貸してやるから、飛び込んどいで!」
 シキは元気なく微笑んだ。
 前のシキなら飛び込むどころか、それ以上のことをしたかもしれない。けれど、今のシキは昔とは少し変わってしまったようだ。
 そのことに炎麗夜は拍子抜けした。
「シキなら悦んで飛び込んで来ると思ったんだが……」
「あはは、ご希望に添えなくてごめんね。大丈夫だから心配しないでいいよ。少し〝シキ〟という自我が不安定になってるだけだから、すぐに元通りのエロリスト・シキに戻るよ」
 ニッコリ笑顔をシキは炎麗夜に贈った。
 しばらくすると完全に身なりを整えたアカツキが戻ってきた。
 顔のメイクは前よりも濃くなっている。髪の毛は下ろしたままだが、先ほどとは打って変わって艶やかだ。服は厚手の女性物を着用していた。
 ケイは心配そうな表情でアカツキを見つめた。
「そんなに体調が悪いの?」
「悪くない」
「強がらなくてもいいんだよ。だってその濃いメイクは、体調を隠すためにしてるんでしょ?」
「うるさい、そんなことより紅華を出せ。貴様の中に紅華がいるんだろ」
 そのアカツキの言葉にシキが付け加える。
「ボクの母さんもね」
 アカツキもシキもそう確信していた。
 いったいケイになにが起きたのか?
 これまでアカツキは幾度となく、あの女型〈デーモン〉を『紅華』と呼んできた。
 シキはマダム・ヴィーとの会話の中で、〈デーモン〉にされたかもしれない母を捜していると語り、マダム・ヴィーは〈デーモン〉になる前に逃げ出したと語った。
 そして、戦いの最中で衣服が破れ、露わになったケイの腰にあった刻印。
 すべては一つに結ばれるのか?
 一同の視線はケイに向けられていた。
 そして、ついにケイが語りはじめたのだ。
「簡単にいうと、あたしをベースにして三人が合体してる感じ?」
 その言い方は本人なのに曖昧な表現だった。
 周りもそれだけは納得していないようだ。
 炎麗夜はシキとアカツキを交互に見た。
「わかったかい、今ので?」
 先に顔を向けられたシキが、
「そういう説明が聞きたいんじゃないんだけど」
 次にアカツキが、
「詳しく説明しろ」
 と、強く言った。
 難しい顔をしてケイが唸った。
「ん~っ、複雑で説明しづらいんだけど、まずはあたしと紅華の関係から話そうかな。それはあたしがこの世界に来た理由とも深く関わってるから」
「早く聞かせろ」
 アカツキが急かした。
 だが、ケイはマイペースだ。
「ちょっと待って、このミカンの缶詰め食べながら、頭の中で話を整理するから」
「いいから早くしろ!」
「アカツキも幼いころから、ミカン好きだったでしょう? ほら、あ~ん」
 フォークで刺したミカンがアカツキの口元に近付いてきた。
 ばつが悪い顔をしてアカツキはそっぽを向いた。
 笑ったケイはそのミカンを自分の口に運んだ。
「おいしいのに」
「話が整理できたら話せよ」
 そっぽを向きながらアカツキが言った。
 ふと垣間見えるケイの違う雰囲気にアカツキは弱いらしい。
 ミカンを食べ終えたケイ。
「さてっと、話の続きしますね」
 こうしてケイは再び語りはじめたのだった。

 つづく


エデン総合掲示板【別窓】
■ サイトトップ > ノベル > 魔導姫譚ヴァルハラ > 第16章 三位一体 ▲ページトップ