第18話_決意
 すでに日は落ち、最後まで遊んでいた朱が還り、蒼い闇が降りて来る。
 その蒼い闇は、ヒイロと華那汰の身体の中までも侵食しようとしていた。
 気が重い。
 突如として現れた美獣によって、カーシャが倒され、ミサまでも二人を助けるために犠牲になってしまった。あの二人が、あの後どうなったのかはわからない。考えたくもないが、考えなければいけない。けれど、混乱する頭ではなにも考えることができなかった。
 そして、生きているのなら助け出さなくていけない。
 昏い住宅街を歩きながら、二人は自然と華那汰の家の前まで来ていた。
 今まで会話のなかった二人は、ここではじめて口を開いた。
「あたしのうち、着いちゃった」
「ここがお前のうちか(やっぱ俺様んちよりデカイな)」
 ヒイロが視線を向けた先には、二階建ての平凡な一軒家があった。
「うん、覇道くんのうちは?」
「えーっと」
「ん?」
「なんも考えないで歩いてたから、とっくに通り過ぎてたっつーか」
「……馬鹿じゃないの」
 華那汰も別に意識をして歩いていたわけじゃない。気づいたら自分の家の前にいたのだ。
 なにも言わず、じっと立ってるヒイロに華那汰が言う。
「うち上がってくでしょ? 月詠先輩のこととか話したいことあるし」
「そうだな」
 二人は華那汰の自宅にあがった。
 玄関に入ると、すぐその廊下を歩いていた黒猫が華那汰たちに気づき、足を止め人語を話した。
「お帰り華那汰。そっちの人はお友達?」
「うん、同じクラスの覇道くん」
「ふーん、覇道くんかぁ。なんかすっごい名前だね。よろしく」
 黒猫に『よろしく』と言われ、ヒイロの脳が一時フリーズした。猫に話しかけられたのは人生ではじめてだった。一生に一度もない貴重な体験だ。
 が、問題はそんなことではなかった。
 黒くてしゃべる猫なんて、ちまたで有名なアレしかいない。
 それにもともとヒイロが華那汰に近づいた理由は、華那汰の姉がアレだという情報をどっかから仕入れたからだ。
 一度は華那汰に強引に言いくるめられたが、目の前に現物のしゃべる黒猫がいるのだから、こじつける気がなくても磁石みたいに情報同士が手を結ぶ。
「あーっ! やっぱ華、お前、俺様に嘘付いてただろ! こいつ、ここにいる、この、これ、これが大魔王、えーっとハルカだろ!」
「あはは、覇道くんったら冗談キツイなぁ(マ、マズイ、うっかり覇道くんのこと家に入れちゃった)」
 笑いながら華那汰はヒイロの背中をパシパシ叩いた。だが、その笑顔は目が笑ってない。
 誰が言ったか知らないけれど、ここで遭ったが一〇〇年目!
 そんな勢いでヒイロは廊下にダイブしてハルカの身体をキャッチ!
「捕まえたぞ!」
「にゃーっえっち、胸触らないで!」
 ハルカの鋭い爪が繰り出される。
 ガリッ!
「痛っ!」
 ヒイロは8ポイントのダメージを受けた。
 思わずヒイロはハルカから手を離してしまった。
 華那汰はすぐさまハルカを抱きかかえて、ヒイロの眼前に手のひらを突き出す。
「ストップ!」
「ストップじゃねえ! そいつが大魔王ハルカだろ!」
「違うって、これがあたしのお姉ちゃんだということは一〇〇歩譲って認めるけど、大魔王ハルカと同一人物だなんて認めないからね。お姉ちゃんの口からも言ってやってよ!」
 妹にパスされて困った顔をするハルカは、とりあえず頭をペコリと下げる。
「こんにちわぁ、この家の長女のハルカです。こう見えても華の女子高生です(今は休学中だけど)。どこかの大魔王さんとよく間違えられますケド、ただのそっくりさんなんですよぉ。(最近はひと段落して平穏な生活してたのになぁ)」
 まん丸で可愛らしい瞳がヒイロを覗き込む。こんな綺麗な瞳の可愛い猫さんが嘘を付くはずがない。なんて騙されるほどヒイロはおバカさんじゃなかった。
「嘘だ、しゃべる猫なんて他にどこにいるんだよ!(姉妹そろって俺様のことをうまく騙そうとしやがって)」
 もう単純な嘘は通用しない。
 どうする華那汰!
 華那汰は玄関先に飾ってあった猫の人形を指差した。
「あそこにいるキ○ィちゃんもしゃべるでしょ。青いネコ型ロボットだってしゃべるでしょ!」
「それは架空のキャラだろうが!(もう俺様だってそんなの信じる子供じゃないんだぞ)」
「だったらネズミーランドのネズミ男も架空のキャラだって言うわけ? ネズミ男はサンタさんと一緒で本当にいるのよ!(駄目だ、自分でもわけわかんないこと言っちゃってる)」
「そ、そうか! ネズミ男が本当にいるなら、世の中にしゃべる猫がいても不思議じゃないのか!(盲点だったぜ)」
 キ○ィちゃんとかネコ型ロボットは架空のキャラだと言うわりに、ネズミーランドのネズミ男の中に人が入ってるなんて夢ぶち壊しなことは知らないのだろうか?
 ヒイロは華那汰の意味不明な言い訳を信じそうになっていた。あと一押しだ。
「(もしかして覇道くん信じちゃった? よし、あと一息だ)ほら、大魔王とか言われるくらいの大物だったら、ネズミーランドのシンデレラ城みたいなお城に住んでるはずでしょ。こんな住宅街のど真ん中の中流家庭に大魔王なんかいるわけないじゃん」
「そうだな、大魔王って言ったらでっかい城に住んで、毎日美味しいご飯を食べてるんだもんな。こんな家にいるわけないよな」
「(こんな家で悪かったですねー)」
 どーにか一件落着で、ヒイロは無理やりな言い訳を信じたようだ。やっぱりヒイロは単純――というか、ズレている。
 三人は茶の間に移動することにして、畳の上に腰を下ろした。
 ヒイロの座った場所を見て、華那汰はいつもそこに居座っている人物のことを思い出してしまった。
「……カーシャさん」
 呟く華那汰の顔をハルカが見上げる。
「カーシャさんがどうかしたのぉ?(また事件でも起こしたのかにゃ)」
 ハルカが尋ねたときには、すでに華那汰の瞳は潤んでいた。
「お姉ちゃーん!」
 大粒の涙を落しながら、華那汰は小さなハルカに抱きついた。
「どうしたのぉ華那汰?(華那汰力入れすぎ、ちょっと苦しいかもぉ)」
「……ひっく……っ……ううっ……」
 肩を上下させて泣く華那汰の姿を見て、ハルカは困惑してしまたようだが、それよりもヒイロのほうが驚かされていた。
「(……華も泣くのか。こういうとき、なんて言ってやったらいいんだよ。わかんねー)」
 軽いツッコミでからかう雰囲気でもなかった。
 致命的なまでにヒイロは女の子の扱いに不慣れなのだ。
 泣きじゃくる華那汰を見ながら、ヒイロとハルカはなにもできないまま時間だけが過ぎていく。
 重たくて、歯痒い時間はとても長く、早く過ぎ去って欲しいと願う。
 なにも口を開けないことが、苦しくて胸を締め付ける。
 どんな言葉をかけたらいいのか、頭の中がグルグル回りすぎてなにも考えられない。
 ずっと泣いていた華那汰が顔をあげ、目を真っ赤に腫らしながらヒイロを睨む。
「見ないで、見られたくないの、出てって(こいつに泣いてるとこ見られたなんて最悪)」
 怒鳴るでもなく、低く淡々とした声で華那汰は言った。
 真剣な眼差しをしたヒイロは華那汰の顔を数秒ほど見つめ、なにも言わず部屋を出て行こうとした。その背中に微かに聞こえた小さな泣き声。
 ヒイロは足を止めることなく部屋を出てふすまを閉めた。
 廊下に出たヒイロは、すぐに辺りを見回した。
「(トイレどこだよ!)」
 実はずっとトイレを我慢していたのだ。今までずっとチャンスを逃してしまってい、華那汰は泣き出すしで、トイレに行くとは言えなかったのだ。
 右見て左見て、右は玄関、左はよくわからん。よくわからんなら、行ってみるしかない。いざ、冒険だ!
 廊下を左に進んだヒイロの鼻に、醤油の香ばしい匂いが漂ってきた。
 美味しそうな匂いに釣られて、ヒイロがやって来たのは、もうおわかりの台所だった。
 台所に顔を突っ込んだヒイロは、そこで料理をしていた人妻と目が合ってしまった。
 空を浮かぶ雲みたいな、可愛らしい声がヒイロの脳内を汚染する。
「あらぁ~ん、華那汰のお友達ぃ?」
「そうです、覇道ヒイロと言います。クラスメートってやつです(うちの母ちゃんより綺麗で若いぞ)」
 若いというより、小柄で童顔な女性だった。
「ヒイロくんって珍しいお名前ねぇ。苗字も名前も(華那汰の彼氏かしらぁ?)」
「はい、あー、えっと、トイレどこでっスか?」
「玄関のすぐ横の扉よ」
「はい、どーもありがとうございました」
 なぜか慌てるヒイロは逃げるようにして、台所をあとにしてトイレにダッシュした。
 ノックもせずにトイレに駆け込んだヒイロは、トイレの貯水タンクの上にあった置き時計を凝視してしまった。目が悪くて針が見えないのではない。時計がとあるキャラクター商品だったのだ。
「おーっ! なんでこんなところにニャンダバーZの時計があんだよ!」
 一〇数年前に発売されたニャンダバーZ時計。目覚ましをセットすると『おい起きるんだ。世界の平和を守るためキミの力が必要なんだ!』なんて音声が鳴り、大ヒット商品になった時計だ。当時のヒイロはもちろん買ってもらえるはずもなく、電気屋さんで物欲しそうにしていることしかできなかった。
 その憧れの時計が今ここに!
 ヒイロは盗もうかと頭に過ぎってしまたが、『つまみ食いはいいけど、盗みはしちゃ駄目よ』という母の言葉を思い出し、思いとどまった。
 ニャンダバーZ時計に魅入られて、トイレのことなどすっかり忘れていたが、激しい尿意を催してヒイロはさっさとトイレを済ませた。
 水を流し手を洗い、ニャンダバーZ時計に後ろ髪引かれながらも、ヒイロは華那汰たちのいる居間の前までやって来た。
 ふすまをコッソリ開けて、一〇センチくらいの隙間から中の様子を伺う。
 どうやら華那汰は泣き止んだようで、ハルカは華那汰の膝の上で丸くなっている。もう中に入ってもよさそうだ。
「ただいま」
 と中に入ったヒイロを見た華那汰は事務的に聞いてきた。
「そうする?」
「はっ?(なにがだよ、いきなり)」
 意味がわかってないヒイロに華那汰が説明する。
「だから、月詠先輩とカーシャさんのこと。美獣先生が何者なのかわからないし、でも美獣先生を探さなきゃいけないと思うの(だってそれしか手がかりないし)」
 目は少し赤いが、華那汰は前向きに物事と向き合っていた。
 相手が元気を取り戻せば、自然と回りも明るくなる。
 ヒイロはニッコリと微笑んだ。

 つづく


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