第19話_恐ろしき計画
 夜の学校は静まり返り、異様な雰囲気を醸し出している。
 すでに教員たちは仕事を終え岐路に着き、職員室にも教室にも人の気配はない。
 用務員や事務員の姿もなく、学校に残っているのは二人だけだった。
 ――校長室。
 辺りを包み込む空気は瘴気を孕み、普通の人間であれば咳が止まらなくなるだろう。そのまま居続ければ、肺を犯されるだけでなく、異界の物質の応用で身体に変異を来たすこともあるだろう。
 そんな密閉された校長室の中に二人の魔族はいた。
 美獣アルドラ、そして仮初の姿をしたデネブ・オカブ。
「あの石はすでに体育館に運び終えましたわ」
 目の前にいる校長の口から顔を出すデネブ・オカブに美獣は告げた。
 数日前から体育館の使用が禁止され、出入りすらできなくなっていたのだが、美獣の発言はそれと関係があるのだろうか?
 校長の口から吐き出された鉤鼻を持つ老人の顔――これがデネブ・オカブの顔であるが、本人はここにはいない。本人は魔界にいて、そこから人間界との交信を行っているのだ。つまり、校長の身体は通信機でしかないのだ。
「うむ、よくやった。これで今までのゲートよりも大きなゲートを開くことができよう」
「そうなれば、より大きな力を持つ仲間がこちらの世界に来ることができますわね」
「じゃが、まだまだ下級悪魔しか通ることはできん」
 遥か昔、人間界と魔界は決して遠い場所ではなかった。それは物理的な距離ではなく、隔てる壁がなにもなかったということだ。しかし、今では人間界と魔界の間には壁がある。その壁に穴を開けることによって、今は行き来をしているのだ。
 壁に穴を開けることは困難であり、今はまだ大きな穴を開けることができず、小さな穴しか開けることができない。その小さな穴を通れるのは、小さな力をしか持ってない下級悪魔だった。つまり、より大きな穴を開けることにより、より強大な力を持つ上級悪魔が人間界に来ることができるのだ。
 ガイアストーンのエネルギーを得ようとしたのもそのためだった。
 人間界に下級よりも位の高い悪魔がいないわけではないが、人間界に取り残された悪魔は数少ない。魔界にいる悪魔の数に比べれば氷山の一角、だからこそ人間界と魔界とのゲートを拡張する必要があるのだ。全ては魔族の野望と復習のために。
 ガイアストーンを奪うことに成功した。けれど、美獣がこの高校に赴任して来たのには別の理由がある。
 デネブ・オカブがしゃがれ声で尋ねる。
「あの子供の件はどうなっておる?」
「それが、あの石を見つけ出した際、あの子供もいたのですが、石を優先するために取り逃がしてしまいましたわ」
 それはヒイロのことだった。その現場には美獣たちが君主とする大魔王とは別の大魔王の妹もいたが、その者よりも重要とされた目的の子供はヒイロのことだったのだ。華那汰が大魔王ハルカの妹という事実を知らない可能性もあるが。
 目的の子供は逃がしてしまったが、ガイアストーンを持ち帰ったという功績は評価に値する。
「仕方あるまい、今回は多めに見よう。じゃが、あの一族の末裔は絶対に捕まえねばならん」
「しかし、あの子供が本当に魔眼の力を受け継いでいるとは限らないのではないですか?」
「それは捕まえてみればわかること。ゲート拡張が終わったら、引き続き子供の件を頼むぞ」
「御意」
「では、わしは忙しくなる向こう側を手伝いに行くとしよう。すぐにまたこの身体が必要になるじゃろう、保管を頼むぞ」
「御意」
 校長の口から出ていたデネブ・オカブの顔が胃の中に引っ込み、校長の首が折れたようにガクンを垂れた。
 デネブ・オカブが校長の身体から去ったことにより、〝屍体〟に供給されていたエネルギーが絶たれたのだ。動く屍体が動かぬ屍体になってしまった。
 上司がこの世界から姿を消したことにより、美獣は一気に全身の力が抜けてしまった。
「あぁーん! やっとクソジジイが帰ってくれたわ(この身体を保管しておけって言われたけど、夜だから放置しても誰も来ないわよね)」
 ケータイの着信がどこからか鳴った。――演歌だ。
「アタクシのだわ」
 ボソッと呟き美獣はポケットからケータイを取り出した。ナンバーディスプレイに『メールの着信アリ』を表示してある。
 メールを開いてみると、そこには『学校に侵入者アリ』と書かれていた。
 学校に張られた結界が破られる、もしくは進入されると、美獣のケータイにメールが届くようになっていたのだ。
 美獣はケータイを学校に取り付けられていた隠しカメラに接続し、次々とチャンネルを変えていく。その手が止まった。ケータイの液晶画面に映し出された廊下を歩く二人の人影。
「……目的の子(やっぱり目的はアタクシに関係あることかしら。緋色の一族の末裔かもしれない子供。あの子供がそんな大層な存在には見えないわ。魔王の力を盗んだペテン師の末裔だなんて)」
 魔族たちの間で噂になっている〈アッピンの赤い本〉にまつわる事件。それは偉大なる魔族の君主バアルの最大の失態である事件の話。
 ときに人の姿をし、ときに猫の姿をし、ときに蛙の姿をし、ときにそれら三者が融合した姿で現れる魔族。一説には蟹の頭を持つともされ、悪魔に関する書物として有名なプランシー著の〈悪魔の辞典〉では、蜘蛛の脚を持つ姿としても描かれている。
 果たしてバアルの真の姿とは、いったいどのような姿なのだろうか?
 〈アッピンの赤い本〉を奪われて以来、バアルは身を潜め隠れてしまったので、その真の姿を知るの容易ではないだろう。
 魔導書〈アッピンの赤い本〉は遥か昔、幼い子供に騙し取られてしまったのだ。たかが本を奪われだけで、なぜ身を潜めなくてはいけないのだろうか。それは、その魔導書にはバアルに忠誠を誓った魔族の名が書かれており、〈アッピンの本〉を正しく読み解き魔族の名を正しく発音できれば、その悪魔を使役することができてしまうからだ。そして、その魔導書にはバアル自身の〝真の名前〟が書かれているのだ。
 長い間、行方不明になっていた〈アッピンの赤い本〉、それを緋の一族が持っているというのだ。
 〈アッピンの本〉を狙っているのは、バアル本人だけではない。バアルの力を我がものしようとする者たち、魔族の間で派閥争いをしている者たちもまた、バアルを味方に引き入れようと必死になっているのだ。
 その中の一人である〈暁の明星〉の異名を持つ魔族の君主も、〈アッピンの赤い本〉を探している一人だった。その君主こそが美獣が仕える君主なのだ。
 美獣は下級悪魔であるが、下級だからこそ人間界に来ることができ、〈暁の明星〉の勅令を受けて緋の一族の行方を捜していたのだ。
 校内に侵入してきた緋色の瞳を持つ子供たちを、ケータイの液晶画面越しに見ながら、美獣は対策を練った。
「アタクシから出向くべきなのかしら?(でも自分から出向くなんて遣い走りのやることだわ。どこかで待ち構えているのが大物よね。けれど、どこで待ってればいいのかしらね。あの子たちの目的がはっきりしないから、どこで待っていればいいかわからないわ」
 美獣があれやこれやと考えているうちにも、緋色の瞳を持つ子供たちは校内を着々と探索し続けているのだった。

 つづく


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