第16話_まどろむ道化師

《1》

 ホテルのベッドに裸の男女が二人。
 男は小太りの中年。
 もうひとりはまだ幼さが残る少女。
「お嬢様学校の生徒が、こんなことしていいと思ってるのか、あァ?」
 男は少女の首筋を舐めながら言った。
 妖しく笑う少女。
「ウチのガッコ、お嬢様学校って言われてるけど、中身は悪ばっか。あたしみたいな」
 その顔は華艶だった。
 舌をネットリとさせながら、男の顔は乳房の頂へ。
 白い柔肌が桃色に火照り、ピンと立った乳首を男に吸われた。
「あっ……う」
 顎を上げながら漏れた甘い声。
 年の離れた少女、下手をすれば同い年の子供がいてもおかしくない、そんな若い躰を男は楽しんだ。
 若い娘の躯というのは、顔を見ずともそれとわかる。
 瑞々しく、肌理の細かい肌。子供を思わせる体系に、丸みを帯びた肉が付きはじめるが、狭間の年頃は全身が丸くなり、やがて大人になるとメリハリが出はじめる。少女の持つ特有の体系は丸みを帯びながらも、その肌には弾力がある。やがて大人になるにつれ、肉はさらに軟らかくなっていく。
 第二次性徴――思春期の少女。
 彼女たちは特有の香りを纏っている。
 華艶の体は鍛えられ、引き締まっているが、体を丸みを帯びていて、抱きしめれば骨格は華奢だ。
 男はM字に開脚された股ぐらに顔を近づけた。
 この匂い。
 少し隠してもわかってしまう特有の匂い。
 性的な匂いは、鼻ではなく脳で感じるものだから。
「ピンク色の肉がいやらしく濡れてやがる」
 両手で開かれた秘密の扉。
 泉から漏れ出す。
 愛液が珠になって伝わり落ち、シーツに小さな染みをつくった。
「遊んでるわりには綺麗だ。形もいい、すげえ旨そうだ」
「もぉ、そんなに見ないでよ、見られるの慣れてないんだから。だってそんなに遊んでるわけじゃないし」
「うそつけ」
「あっ」
 柔らかなその入り口を舌の腹でたっぷりひと舐めされた。
「普段から遊んでなきゃ、ホイホイついてくるもんか。何人の男を咥えてきた、ここで何人食って来たんだ、あァ?」
「あうっ」
 中指がズブリと挿入って来た。
 たっぷりと濡れているために1本なんてすぐに呑み込んでしまう。
 ジュプ、ジュプ……。
 愛液を鳴らしながら指が出し入れされる。
「すごい吸い付きだな。なんか指を入れてるこっちが気持ちよくなりそうだ。熱くて、こんな中に入れたら俺のモノが溶けそうだな」
 男は片手で肉棒を擦りながら、濡れた襞肉に指と入れ替わりで先端を挿入た。
 呑み込まれる。
 先端だけで止めようとしても、自然と中へ中へと導かれてしまう。
 ヌプヌプと滑り落ちてしまう。
 奥に当てられた瞬間、
「あっ!」
 胸を揺らしながら息を呑んだ。
 ゆっくりと男が腰を動かしはじめる。
 ベッドが弾む。二人の身体を乗せながら、浮き沈み。
 男の額から落ちた汗が、妖しい少女の柔らかな唇の中へ。
 熱い。
 熱い、躰が熱い。
 芯が燃える。
「あ、ああっ……あっ……もうイッちゃう」
「何度でもイッていいぞ、何度もでもイカせてやる。いい顔だ、その苦しそうな顔が好きなんだ」
「ダメ、イッちゃう……本当にイッていいの?」
「イケイケ、どんどんイッちまえ」
「じゃあ、遠慮なく」
 業火が二人を刹那に包み込んだ。
「ギャアアアアアアアアッ!」
 男の絶叫。
 炎を吸いこみ、喉が焼け、すぐに声も消える。
 異臭。
 肉を焼かれながら男はベッドから転げ落ち、床をのたうち回った。
 部屋が燃える。
 鳴り響く火災報知機。

 この世の終わりを思わせる深刻な華艶の顔。
「……解けない」
 華艶の前に立ちはだかる難問!
 リビングのテーブルに広げられたプリントと教科書。
 火斑華艶18歳、神原女学園2年生(留年)は、期末試験に向けて猛勉強中だった。
 出席日数が足らずに2年生を繰り返してしまった華艶。その反省をして、今年はどうにか出席日数はどうにかなりそうだった。あとは赤点さえ取らなければ、晴れて3年生だ。
「うわーっ、わかんないし!」
 数学の方程式を前にして、華艶は髪の毛を掻き毟らんばかりに頭を掻いた。
 眼に映る数字や記号がだんだんと暗号に見えてくる。
 もはや地球の言語とは思えない。
「うぅ~、頭が熱い。やっぱ数学は捨てようかな……」
 しかし、華艶は頭に浮かんだ人物が笑ったことで、その考えを改めた。
「これ以上姉貴にバカにされてたまるか」
 頭に浮かんだのは姉の麗華の顔だった。
 ――あんたが高校を卒業できるわけないじゃない。
 過去に麗華から言われた言葉だ。
 華艶の通う学園には裏取引のウワサがある。金持ちの多い学園ではあるが、純粋可憐なお嬢様の集まりというわけでもない。そのために、成績は金で解決できるらしいのだ。
 だが、華艶は正々堂々と勉学に関しては取り組んでいた。
 すべては優等生の姉の鼻を明かすためだ。
 姉の麗華はこの街で弁護士をやっている。一筋縄ではいかないこの街で弁護士をやるくらいだ、本人も一筋縄ではいかない。この街で生き残るためには、優等生というだけではやっていけない。
「学生だった姉貴っていつも遊んでたクセに、なんであんな勉強できたの? あたしだっていっぱい遊んでんのに」
 遊んでるだけでは、できなくて当然だろう。
 麗華は表向きは遊んでいるが、裏ではしっかり勉強しているタイプ。周りの友達は麗華に釣られて遊んで、勉強をしないので成績を下げて、麗華が独り勝ちするシステムだ。華艶は麗華の遊んでるところだけ見習ったのだろう。
「もうムリ、集中力切れた」
 プリントの1問目にして華艶はギブアップ。
 とりあえず近くにあったリモコンでテレビをつけた。
 時刻は19時過ぎ。
 テレビの画面に映し出されたのはニュース番組だった。
 帝都のローカルテレビ局のニュース専用チャンネル。
 勉強は苦手だが、ニュース番組はよく見る。とくに帝都のローカルニュースはよくチェックしている。TSをやっているせいもあるが、下手な番組より帝都のニュースのほうが、よっぽどおもしろいというのもある。事実は小説よりも奇なりという言葉は、帝都では日常の出来事だ。
 テレビ画面に取材陣に囲まれながら歩道を急ぐ麗華の顔を映し出された。
「おっ、姉貴じゃん。最近テレビにも映るようになってきたし、タレントにでも転向するんじゃないの」
 なんて呑気に言っていられたのも束の間。
『これが逮捕される前日の火斑麗華容疑者の映像です』
「は?」
 次にテレビに映し出されたのは、身の毛を振り乱し刑事に連行される麗華の姿だった。
『だから無実だって言ってるじゃないのよバカ! ざけんじゃないわよ、陰謀よ、裁判で負けた腹いせに警察が仕掛けた陰謀よーッ!』
「……ちょ、ちょっとどういうこと!?」
 驚いた華艶はテレビに掴みかかった。
 ピンポーン。
 玄関のチャイムが鳴った。
「なんで姉貴が逮捕されてんの!?」
 ピンポーン。
「なんの罪!?」
 ピンポーン。
「うっさいなー、今取り込み中!」
 ピンポーン。
 報道も気になるが、うるさいチャイムも気になる。
 顔いっぱいに怒りを浮かべて華艶は玄関まで激走した。
「さっきからどこのバカなわけッ!?」
 ドアスコープも確認せず、華艶は勢いよくドアを開けた。
 玄関先に秀麗そうで愛想のない顔の男がひとり立っていた。
 この男に華艶は見覚えがあった。
「どーてーの水鏡ちゃん!」
「童貞じゃない! それにちゃん付けて呼ばれるほど、親しい間柄になった覚えはないぞ」
「で、今あたし忙しいんですけど、なんの用? あっ、もしかして姉貴のことハメたのあんたでしょ!」
 いきなり華艶は水鏡に掴みかかろうとした。
 カサカサと軽い物が擦れる音がした。
 華艶の手が水鏡に触れる寸前で止められていた――腕に巻き付いた紙によって。
「君とは契約をしていないが、この〈紙〉は私を守る契約をしている」
 水鏡の言葉によって華艶は苦い出来事を思い出した。
 この契約は強力だ。過去に華艶はそれを身をもって知っている。
 華艶は炎。
 水鏡は紙。
 紙であってもひとたび、炎を封じられれば燃やすこともできない。
 華艶は腕から力を抜いた。すると拘束していた紙紐が解かれた。
 水鏡は咳払いをしてスーツの襟をめんどくさそうに正した。
「どうやら君も知っているようだが、火斑麗華が逮捕された――殺人罪で」
「殺人!?」
「知らなかったのか?」
「今ちょうどニュース見てるとこであんた来るから」
 まさか殺人罪とは。
 華艶が呟く。
「人殺ししそうな性格だけど」
 そういう姉妹関係だった。
 水鏡は廊下に眼を配ってから、華艶に向き直った。
「立ち話はあまりよくない。中に入れてもらいたいのだが?」
「なにそれ、女の子の一人暮しの部屋に入ってなにする気?」
「そんなことするわけないだろう」
「そんなことって、なにかなぁ?」
 ニヤニヤ顔で華艶がからかった。
「君を逮捕する容疑ならいくらでもあるぞ」
「……冗談通じないなみっちゃん」
「私の立場として、あまり君と接触してることを知られたくないのだ。早く中に入れてくれないか?」
「はいはい、どうぞミーくん」
 耳には入っているだろうが、あえてそこは無視して水鏡は華艶の部屋に入った。
 リビングで水鏡は広げられた勉強の痕跡を一瞥した。
「留年しているらしいな」
「げっ、なんで知ってんの? まかさあたしのファン!?」
「接するモノのデータは集められるだけ集め頭に入れるようにしている」
「記憶力抜群ってこと? いいなぁ、あたしの代わりに期末テスト受けてよ」
「バカか、君は?」
「…………」
 華艶はムッとしたが、ここは抑えて抑えて。
 でも、冷蔵庫に行きかけてやめた。
「でさあ、姉貴の件で来たってことは身内に捜査ってこと?」
 華艶はソファに腰掛けた。
 水鏡は立ったまま華艶の前で口を開いた。
「この事件の担当検事はこの私だが、今日は捜査のために来たのではない」
「ならなんで?」
「君に依頼がする」
「なにを?」
「真犯人を見つけろ」
 話の流れからして、火斑麗華の殺人事件の真犯人だろう。担当検事が、外部の人間、しかも容疑者の妹に依頼してくるとは。華艶との接触を知られたくないわけだ。
 少し華艶は考えた。
「……まあ、はじめから姉貴がマジでヤッちゃったとは思ってないけど、真犯人の目星があるわけでしょ? てゆかさ、だったらなんで自分たちで捜査しないわけ? あたしなんかに検事様が依頼なんかしちゃったら、だいぶ問題なんじゃないの?」
「まず真犯人の目星などはない。火斑麗華が犯人ということで捜査は一段落ついている。担当検事である私が、このような形で君と接触していることが知られれば、今の立場が危うくなるだろう」
「リスクを負ってまで姉貴の無実を信じるなんて、まさかみーちゃん姉貴をホレてる!?」
「バッ、バカを言うな!」
 間髪入れず返ってきた。
「まっ、姉貴のタイプじゃないからフラれちゃうけど」
「そういう感情は火斑麗華には持っていない。あの女に持っている感情と言えば、どうやってあの女を私の前で屈服させようか、奴隷にして跪かせ泣きながら足を舐める姿を見下したい」
「……歪んでる」
「私の顔に泥を塗った火斑麗華という女をどう料理してやろうか。今回の裁判で容赦ないまでの火斑麗華を痛めつけ、有罪にすることは簡単だ。火斑麗華は裁判になれば、絶対に負けることは確定している。証拠はすべて、あの女が犯人だと物語っている。どんな弁護人をつけようと、あの女自身がたとえどんなに優れた弁護士だろうと、今回の裁判は負け戦だ」
 では、なぜ真犯人を見つけろなどと言った?
 なぜリスクを犯してまで依頼に来た?
「ホントんとこ、どうしてあたしに依頼しに来たわけ?」
「殺人罪でなければ、たとえ冤罪であっても有罪にしてやるところだが、死なれては困る。私が火斑麗華に裁判で完全勝利を収めるまでは。実の妹である君以外に依頼するのは、私のリスクも大きい」
「う~ん、姉貴には悪いけど、期末試験が近いから無理!」
「なにっ!?」
 水鏡は度肝を抜かれて驚いたようだ。
「だってさ姉貴は殺されても死ぬよな女じゃないし。真犯人いるんでしょ? ならへーきへーき」
「私の話を聞いていたのか? この捜査は火斑麗華が犯人であるとほぼ確定している。真犯人など誰も探しはしない。そして、裁判になれば私は一切の手を抜かない」
「死なれて困るとか言っといて有罪にする気満々なわけ?」
「仕事は仕事だ。検事は被告人を無罪にすることが仕事ではない。たとえ内心では無罪だと思っても、警察との信頼関係を維持するためには絶対に有罪にする」
「冤罪で人が死んでもいいわけ?」
「有罪になれば有罪だ、その人間は罪を犯した。火斑麗華は1週間の間に7件の殺人事件を起こし、7人を殺している。死刑は確実だ」
「7人も!?」
 7件で7人という言い方をしたということは、7件はそれそれ別の場所や時間に殺され、1人ずつ殺されたということだろうか。
 水鏡は付け加える。
「7件はすべて火斑麗華の犯行とされ、関連した事件であるとされているが、証拠は独立してすべて火斑麗華の犯行を示している。つまり、1件の無罪を証明しても、別の事件も無罪というわけにはいかない。真犯人を見つけることが解決の早道だ」
「ねえねえ、さっきから真犯人って言ってるけどさ、証拠は姉貴がやってるってなってるのに、なんでミカたんは真犯人がいると思ってるんの?」
 根拠はないが信じる。心証で判断したのだろうか?
「事件そのものの証拠では確実に火斑麗華が犯人だ、しかし……。火斑麗華はこれまで裁判で負けたことがない。その火斑麗華がこの私以外に裁判で負けたのだ。そんなことがあっていいのか、私以外に負けたのだぞ!」
 つまり麗華を倒すのは自分であり、自分以外には存在しないと。
「で、なんで裁判で負けると真犯人説が生まれるわけ?」
「火斑麗華は裁判で負けたこと以外は、いつもどおりに1週間を過ごしていた。目撃証言などからもそれは間違いないだろう。しかし、火斑麗華は1週間の間監禁されていたと主張している。それに耳を貸す捜査員は残念ながらいない。殺人の証拠が揃っているからだ」
 それが事実だとしたら、1週間の間、日常生活をしていたのは誰か?
 というのはあくまで、麗華側に立っての考え方だ。
「私は火斑麗華の供述を信じたわけではない。火斑麗華が私以外に裁判で負けるはずがない。ということは偽物が裁判で弁護をしたことになる。ならば監禁されていたという供述は信憑性が高い」
 あくまで麗華が裁判で負けないということが前提であり、証拠としては証拠にはならないものだろう。
 華艶はスカートからパンツが見えることも気にせず、脚を伸ばしてつま先で教科書を閉じた。
「姉貴に1個貸し。で、報酬は?」
 身内を助けるためでも、依頼となれば報酬はちゃんと受け取る。
 水鏡は片手の指を何本か立てた。
「1本10万」
「安くない?」
「必要経費は抜いてだ」
「それでも安いし、もう片方の手の指も足そうよ」
「君はモグリで、評価ランクはCだ。依頼内容もあくまで真犯人を捜せと言ってるだけで、危険が伴うわけではない。これが妥当な報酬だ」
「ひとが7人も死んでて危険がないとか、マジで言ってるわけ?」
「なら仕方がない。裁判で火斑麗華が有罪になるだけだ」
「有罪にしたくないんでしょ?」
「しかし君が姉を見殺しにしてまで引き受けないのなら、今日の話はすべてなかったことにして忘れてくれ」
 水鏡は帰ろうとした。
「ちょちょちょ、待った受けます受けます。そっちが提示した報酬でオッケー」
 華艶の方が折れた。
 期末試験と進級も大事だが、姉のことも大事だ。どちらにせよ姉を助けるなら、お金をもらえるほうがいい。
 水鏡は無地の封筒をテーブルに差し出した。
「まずは当面の経費と前金で20万。この中に入っている」
「お金以外に渡す物ないの? 事件資料とか」
「捜査情報を漏らすことは職務規定違反になる。あとは君が調べてくれ」
「は?」
「では失礼する」
「ちょっと、えっ、マジで帰るの?」
 華艶は廊下を小走りで水鏡のあとを追った。が、水鏡は一度も振り返ることなく、玄関を出て行ってしまった。
 残された華艶がつぶやく。
「期末試験まで1週間。何日ガッコ休んでも平気か計算してみよ」

《2》

 まずは情報収集からだ。
 華艶は行きつけの店に向かった。情報屋と言えば、モモンガの主人[マスター]京吾だ。
 すでに陽は落ち、店はバーへと変貌を遂げている。
 昼間は寂れた喫茶だが、夜になるとひとが多くなる。
 華艶は開いているカウンター席に座った。
「とりあえずビール」
「はい、オレンジジュース」
 京吾は注文を無視してオレンジ色が揺れるグラスを出した。
 べつに気にせず華艶はグラスを口に運んだ。
「やっぱファミレスのよりうまいなぁ」
「ほかにご注文は?」
「姉貴がパクられたんだけど、もう知ってる?」
「華艶ちゃんの関係者だからね」
 と言って、京吾は少し分厚いA4封筒を華艶に渡した。
「なにこれ?」
「事件資料だよ」
「なんの?」
「華艶ちゃんのお姉さんが逮捕された事件の」
「マジで!? さっすが京吾様様、あたしの欲しいものがわかってらっしゃる!」
 こんな早く必要な物が手に入るとは驚きだ。
 しかし、実は資料を集めたのは京吾ではなかった。
「差出人不明で僕のところに届いたんだよ、その資料」
「え?」
「おそらく華艶ちゃんに渡せってことなんだろうね」
「どこのどいつがいったい?」
 頭に真っ先に浮かんだのは水鏡検事だった。
「……あいついいとこあんじゃん」
 直接資料を渡せないため、このような方法を取ったのかもしれない。
 さっそく資料を出す華艶に京吾が口を出す。
「そういう大事なものはもっとひとのいないところで……」
「そんな気にしなくてもへーきへーき」
 分厚い書類と写真などが入っていた。
 隣りに座っていた男が自分のグラスを持って無言で立ち去る。おそらくカウンターに並べられた写真のせいだろう。
「うわぁ、キモチワルぅ~」
 華艶がいかにも嫌そうな顔をして漏らした。
 被害者の写真だろう。
 素っ裸で全身が爛れた男。仰向けで倒れているのはカーペットの上なので、遺体発見現場だろう。
 顔のアップの写真を華艶は手に取った。
「躰よりも顔のほうが酷い。これ手形っぽいな、鷲掴みに熱い手を顔に押しつけられた……っ!」
 華艶はハッとした。
 自分もこれと同じことができる。
 いや、自分と同じことができる人間――肉親がいる。
 チリチリに焼け焦げた髪の毛。白くなった皮膚と赤くなった皮膚。ミミズの塊が這ったような痕と肉色の溶けたチーズを貼り付けたような痕。開かれた目玉は真っ白になっている。
「これって……一気にこんがり焼かずに、生きたままじわじわ焼いた感じするなぁ。頬のこれって煙草を押しつけた痕に似てる」
 屍体の周りは焼けていない。焼いてからここに運ばれたのか、それとも低温で肉だけを焼かれたのか。
「あたしだったら証拠を残さないように辺り一面火の海に沈めるけど」
 拷問が目的だとしても、終わったら証拠はなるべく灰にする。部屋に残された証拠、遺体の身元。骨から性別、歯の治療痕から身元が調べられるというのなら――。
「最大出力で焼けば骨も焼けると思う、ちょっと時間掛かるけど、姉貴もね。だから姉貴が犯人なら、もっと徹底的に焼いて証拠を残さないと思うんだよね。肉もちょーウエルダンが好きだし。姉貴のことだから、マジで人殺すんなら火使わないかも。こんないかにも能力者が火使いましたみたいな方法なんて特に」
 残りの6人も全身火傷によるショック死。被害者の中には女子供までいた。
「姉貴ってちょーフェミニストなの。どんな悪人だろうと、女は殺さないと思うんだよね。しかもこんな残酷な殺し方は……」
 だが、証拠も揃っている。
 現場に残された指紋や毛髪が火斑麗華と一致。
 遺体発見現場のマンションの防犯カメラに映った麗華の姿。
 被害者のカードで現金が引き出されるATMのカメラにも麗華の姿。
 被害者宅から消えた現金、そのうちの1万円がコンビニで見つかったのだが、そこには麗華と被害者の指紋、コンビニの防犯カメラにも麗華の姿。
 盗まれた現金と連番の札束が麗華のマンションから見つかった。
 動機についても麗華と接点がある者が被害者だった。
 先ほど華艶が1番目に手に取った写真の男は、金融会社の社長で麗華に裁判で負けている。その後、男たちを雇って麗華に嫌がらせをしたらしく、その件で公判中だったらしい。
 ほかにも証拠や動機が数多く揃っていた。
「現実の犯罪なんて、そんなひねりもないけどさー。これっていかにも過ぎない?」
「刑事事件を手がける弁護士にしては抜けてるね」
 と、京吾も共感した。
 衝動的な犯行には思えない。計画的にしては雑すぎる。
 華艶が唸った。
「考えれば考えるほど姉貴の犯行っぽくない。でも姉貴の性格よりも、物的証拠。それが覆らない限り難しいんだよね。真犯人を見つけるのが手っ取り早いけど、真犯人が真犯人って証拠もいるわけだし……う~ん、この依頼って難しいかも」
「……華艶ちゃん、今、依頼って言わなかった?」
 生暖かい視線を向ける京吾。
「言ったけど?」
「お姉さんを助けるのにお金取るの?」
「それとこれは別。万が一だけど、姉貴が死んじゃってもあたし生きていけるけど、お金ないと死んじゃうし」
「……華艶ちゃん」
 京吾の声は沈んでいた。
 空気を読んで華艶は慌てた。
「お金もらえなくてももちろん助けるよ、当たり前じゃん! 依頼人が姉貴じゃなかったし、もらえるもんはもらっとくってだけで、お金より姉貴のほうが大事だよ、マジで、うん!」
 ちょー必死だった。
 京吾苦笑い。
「わかったから、わかったから」
「がんばって姉貴を救ってきます、今すぐ行ってきま~す!」
 華艶は千円札をカウンターに置いて店を飛び出した。
 変な汗を掻いた華艶。
「ふぅ……あっ!?」
 華艶はぶつかるまで気づかなかった。
 酒の匂いを纏いながら顔を赤らめた若い女。
「ご、ごめんなさい」
 華艶と頭からぶつかった女は、覚束ない足取りで後ろに下がろうとしたが、ふらついて右へ左へ。
 心配になった華艶は自然と手を貸していた。
「ちょっ、だいじょぶですかー?」
「ううっ……吐きそう」
「ええっ!?」
「タクシー……家に……帰らないと」
「じゃあ、あっちの通りでタクシー拾いましょうね」
 肩を貸しながら華艶は女を車の通りが多い大通りまで連れて行った。
「ううっ!」
 急に女性はうずくまって並木の根本に嘔吐した。
「だいじょぶ!?」
 華艶は女性の背中をさすろうとしたが、
「大丈夫です……それよりもタクシーを……明日も仕事で朝早いので……帰らないと」
「あ、は、はい」
 心配だが、とりあえず女にはそこでうずくまっててもらって、華艶はタクシーを止めることにした。
 客を送り追えたタクシーが、駅前のタクシー乗り場に帰っていく。のを捕まえなくてはいけない。
「ケータイで呼んじゃったほうが……あっ、止まって!」
 ちょうどタクシーが来て華艶は手を上げた。
 スピードを緩めて道路脇に停車するタクシー。後部座席にドアが開いた。
 華艶は後ろに振り返り、女に声をかけようとしたのだが――。
「あれ?」
 女の姿がない?
 辺りを見回すが、気配も何もない。
 タクシーは華艶を待っている。
 慌てて華艶はタクシーに乗り込んだ。
「え~っと、とりあえず……まっすぐで」
 女のことが気になりながらも、タクシーはその場を走り去る。
 後ろ髪を引かれた華艶は、女が消えた現場を窓から振り返った。やはりいない。
「やっぱ不味かったかな。でもタクシーが……」
 ずっと待たせているわけにも行かず、せっかく拾ったタクシーに取りあえず乗り込んでしまった。
 勢いで乗ってしまったが、はじめからタクシーを使うつもりだった。
 行き先を告げた華艶。
 そこは被害者が見つかった犯行現場近くだった。

 タクシーを乗った場所から、もっとも近かった現場。
 そこは歯科医院だった。
 資料によると火斑麗華が通っていたとされる。
「接点はあるけど、動機がないらしいんだよね~、ここだけ」
 殺害されたのは院長。診察台で発見され、熱傷性ショックが死因とされている。つまり焼け死んだのではなく、火傷で死んだのだ。
 歯科医院は封鎖されていため、入り口になりそうな場所を探す。
 外観から察するに、住居兼医院となっており、2階部分が主に住居となっているらしい。
 戸締まりはしっかりとされているが、強引な方法を取れば入れそうだ。
「器物破損と住居不法侵入は、やっぱマズイかなぁ」
 下手をすれば華艶が罪に問われるだけではなく、麗華に危害が及ぶ可能性もある。
 この場でこうやって、閉鎖された医院を眺めていると、近所の住人に不審がられてしまう。
 とりあえず、姿を隠すためにも、現場を封鎖するテープをくぐって敷地内に侵入した。
 医院の入り口と、住居の入り口。華艶は医院の出入り口を調べることにした。
 硝子張りのドアは中の様子が軽く見えるようになっている。すぐ先には待合室。
「まさか開いてないよね」
 と念のため、ドアを開けようと力を入れると――。
「開いた」
 手前に引かれたドア。
 華艶は気配を殺して中に足を踏み入れた。
「おじゃましまーす」
 小さな声でつぶやいた。
 すると、受付カウンターから声が返ってきたではないか。
「ご予約の火斑華艶ちゃんね」
 笑顔を向けてきた女。
 それがあの酔った女だと華艶が気づいたときには、眼前に濡れた唇が近づいてきていた。
 華艶は立ち尽くすことしかできなかった。
 なにもできないままに、女に唇を奪われたのだ。
 酒の臭いなどまったくしなかった。
 代わりにしたのは、頭が眩むほどの甘い匂い。
 口の中に入ってきた女の舌が、まるで溶けたチョコレートのように、温かく、柔らかく、そして甘かった。
 華艶は自分の指が消失してしまったような感覚を覚えた。けれど指はあった。指がなくなったのではなく、触覚などの感覚が失われてしまったのだ。
 それはだんだんと華艶の躰を侵し、唇を離された直後に全身の力を失って、女に抱き支えられてしまった。
 声も出せない。
 まぶたは開いたまま、思考には何の障害もなく、映像が脳に流れ込んでくる。
 つま先を床につけながら、華艶が女に引きずられていく。
 運ばれたのは診察台。
 座らされた華艶は筋肉が弛緩してしまっていて、だらしなく股が開いてしまう。首も赤子のように据わっていない。
 動けない華艶の躰を女はさらに動けなくするべく、手際よく縄で椅子にグルグル巻きで磔にした。
 それで終わりでなかった。
「アナタの素晴らしいボディなら、もう数分で回復しはじめると思うわ」
 この女は華艶のことを知っている。その能力も知っている。
 すべては計画のうちということか?
 華艶のことを調べ、さらに拘束までして、いったいなにが目的か?
「ボクのこと覚えていてくれたかしら?」
 女は突然、自らの顔の皮膚に爪を立てた。
 頬と指の間から滲み出す鮮血。
 肉から皮が引き剥がされる。
 ぼと……ぼと……
 黒い血が落ちる。
 何本もの線を引いたような筋肉組織が晒される。
 ぼと……ぼと……
 血と共に引き千切られた皮が落ちる。
 人体模型のほうが、明かにこぎれいだ。
 肉食獣ですら、こんなに食い散らかしたりはしない。
 皮だけでなく、脂肪や筋肉も引き千切られ、床に落とされていく。
 女は顔半分だけをそぎ落とした。
 残りの半分は血塗られているが、妖しく美しげな女の顔。
 女は舌を伸ばした。
 摘まれた肉片が舌先に乗る。
 まるで掬うように舌で肉片を絡め取り、美味しそうに頬張った。
 咀嚼の音がいやらしく響き渡る。
 もはやそこは口とは呼べない穴から、血肉がだらしなく零れ落ちた。
 ニカッと笑った女は血塗られた両手を伸ばし、愛でるように華艶の頬を包み込んだ。
 頬にされる化粧。
 べちゃ……べちゃ……
 優しく頬を叩きながら塗りたくられる。
 だんだんと華艶の肉体は感覚を取り戻していた。
 頬に塗られる度に、背筋がぞくぞくとする。
「んっ」
 華艶の鼻から思わず声が漏れてしまった。
 女はおもむろに服を脱ぎはじめた。
 上着を脱ぎ、シャツを脱ぎ、スカートを脱いでから、ブラを肩から抜いた。
 豊満な胸だった。大きさ故に少し垂れているが、その垂れ具合は決してだらしないものではなく、欲情を駆り立てる食いたくなるような胸だった。
 そして、女は驚きの行動を取ったのだ。
 女は乳房を華艶の顔に押しつけた。乳房というより、乳首を押しつけている――華艶の口の中へ。
 半開きになっているだらしない華艶の口は、乳首を呑み込み涎れを垂らした。
 抵抗できない。
 少しずつ躰は感覚を取り戻しているが、まだ抵抗までは動けなかった。
「おっぱいいっぱいおっぱい飲むのよ」
 華艶の瞳孔が開いた。
 女は華艶の頭のてっぺんと顎を挟むように持ち、一気に押しつぶすように力を入れたのだ。
 華艶の舌の上にチェリーが乗った。
 ブシャアアアアアァァァッ!
 暴れ狂う乳房の先からシャワーのように血が噴き出した。
 まるで支えを失ったホースのように、乳房が暴れ狂いながら血しぶきで華艶の顔や躰を彩る。
 噴き出る血は尋常な量ではなかった。
「どうかしらん、ボクの血の味は?」
 ――甘かった。
 吸血鬼が比喩でそう言っているのではない。
 本当に甘かったのだ。これはおそらく果実の甘み。肉のような果実。果実のような肉。
 華艶の指先がピクピクと動く。
 脚も動きそうだが、磔にされていて身動きが取れない。
「……酔狂なクソ変態」
 華艶は声を絞り出した。
 女は笑う。
「お褒めの言葉ありがとう」
「フェイスレスマウスなんのつもり!」
 響き渡った叫び。
「残念だけれど、皮膚や肉はなくとも、顔はちゃんとここにあるわ、ヒャハハハハハ!」
 甲高く女は笑った。
 フェイスレスマウスと言えば、去年10月に帝都の街で無差別人体爆発事件を仕掛けた狂人だ。
 彼とも彼女ともつかない存在。年齢不詳、経歴不詳、その真実の顔すらもわからない。フェイスレスマウスの躰はウソばかり固められている。
「まさか姉貴の事件の真犯人って……」
 過去にフェイスレスマウスは華艶に化けた。そして、どうやったのか炎すらも操って見せたのだ。
「これはアナタとボクの弄びなのよ。さあたっぷり味わいましょう、お互いを」
 脳天に両手の指を差し込んだ女は頭を割った。
 まるでゆで卵の殻を剥くように、頭の中から血塗られた真っ赤な顔が新たに現れた。
 妖しく笑ったその顔は――〝華艶〟!?

《3》

 まるで鏡を見ているよう。
 血塗られた少女の顔。
 華艶は胸糞が悪くなった。
「ひとの顔で遊ぶのやめてくんない?」
「好きなものに憧れ、好きなモノに近づきたい。最後はなにもかも好きなモノと同化して、相手の人生も自分が奪って歩みたい……なんて思ったことなぁい?」
「ない」
「ボクもないわ。だって自分が一番オモシロイもの、ヒャッハハ!」
 声すらも華艶と同じ。けれど、華艶はこんな笑い方なんてしない。
 〝華艶〟は血塗られた手で華艶の服を脱がしはじめた。優しく、丁寧に、しかし血で穢しながら。
「やめて、脱がさないでよ!」
「いいじゃん、あたしとどっちが胸大きいか比べよ」
 そのしゃべり方を聞いて華艶はゾッとした。
 同化。
 姿形に、声もしゃべり方も、これで思考すらもコピーされたら、自分が自分で認識できるのは自分だけになってしまう。
 生暖かい手が形の良い華艶の胸を持ち上げるように揉んだ。
 ローションのように肌を包む。
 固く尖った乳首の上を指が順番に通過して、弾くように刺激する。
「んっ」
 声を殺した。
 〝華艶〟が華艶の下乳に近づき、濡れた舌を伸ばした。
 赤い血が舐め取られ、白い肌が姿を見せる。
「自分で知ってた? ここにホクロあんの?」
 〝華艶〟が舐め取った場所に現れた小さなホクロ。乳房の付け根にあるため、正面から見ただけではわからない。少し持ち上げて見える場所だ。
 答えずに顔を背けた華艶を見て、〝華艶〟は愉しそうに笑った。
「自分じゃよく見えないんなら、見せてあげんね」
 上半身の服を脱いでみせる〝華艶〟。
 まったく同じ。
 骨格も、肌の色も、肉の付き方も、胸の大きさも、乳輪の大きさも、乳首の尖り具合も色も。
 〝華艶〟は自らの片胸を持ち上げて華艶の眼前まで寄せた。
「ねっ、ここにあるでしょ?」
 そのまま〝華艶〟は華艶の顔に胸を押しつけ、ゆっくりと躰を下へ下へと擦りつけながら移動した。
 赤い潤滑剤を塗りながら、お互いの胸が触れ合い、押しつぶし合い、乳首と乳首でキスをする。
 上半身が真っ赤に染まり尽すまで躰を重ねる。
 〝華艶〟が舌舐りをして魅せた。
「もう我慢できない」
「ウソっ!?」
 驚いた華艶。
 同じ顔、同じ躰を持っているはずなのに、そこだけが違うなんて……。
 華艶の股間に当たる硬いモノ。
 スカートが捲られ、ショーツの割れ目に、長く太く硬いモノが上下に擦られている。
「んっ、あっ……んあ……」
 割れ目にグイグイと押しつけられて、その先で勃起してしまった突起で感じてしまう。このままでは……欲しくなってしまう。
 華艶は縛られている太股をくねらすように動かした。せめてもの抵抗。けれど、それが逆に硬いモノとの摩擦を生んでしまった。
「あっ」
 じゅわっ。
 ショーツが染みてしまう。
「挿入れちゃうよ?」
 〝華艶〟は悪戯に笑った。
「ダメっ、絶対……そんな……」
 犯されているから?
 自分と同じ顔だから?
 それとも、感じてしまっているから?
 墜ちてしまう。
 急に〝華艶〟が動きを止めた。
 そして、後ろに下がった。華艶に全身を見せるためだ。特に股間を。
 〝華艶〟はスカートを穿いたままショーツだけを脱いだ。
 ビクン、ビクン!
 スカートがナニかに突き上げられるように揺れている。
「自分のモノ、見たい?」
「そんなのあたしに付いてない!」
「じゃあ、ここに付いてるのはナニかな?」
 〝華艶〟はスカートを捲り上げた。
 赤黒い悪魔が牙を剥いた。
 血管を浮き上がらせながら、先端から涎れを垂らしている。
 臭ってくる。
 離れているのに華艶の鼻まで臭ってくる。
 臭い、臭い、臭い。
 臭くて頭が眩むのに、華艶は甘く蕩けた表情をしてしまった。
「……ダメ……そんなの挿入られたら……」
「そんなに挿入れて欲しい?」
「イヤ……」
「いっぱい涎れを垂らしたお口に挿入れてア・ゲ・ル」
 〝華艶〟と華艶の躰が重なった。
「いっ!」
 思わず漏れた華艶の短い悲鳴。
 ひと突きにされた。
 涎れを垂らした下のお口は太く硬い肉棒を容易く受け入れてしまったのだ。
 脚を縛られていて腿が閉じられているために、余計に大きく、いっぱいに感じてしまう。
 〝華艶〟はお尻を振った。
 ズブ、ズブ、ズブッ!
「ひっ……ひっ……ああっ!」
 喘いだのは〝華艶〟。
 自分の目の前で自分と同じ顔が喘いでいる。堪らなく恥ずかしい。見ていられず華艶は瞳を強く閉じた。
「あン、あひ……ああっ……気持ちいいよ……あたしのナカ気持ちよすぎるぅぅぅ」
 目を閉じても声が聞こえてしまう。
「ひぃぃっ……あうっ……グチョグチョしてて……熱いの……ああっ……ああああっ!」
 自分が喘いでいる倒錯をしてしまう。
「熱いの……熱いの……自分でもわかってるんでしょ?」
 否定はできなかった。
 華艶の躰は火照っていた。感じてしまっている証拠。そして、なによりも芯が熱い。
 肉芯と花芯。
 熱い肉の渦へ熱い鉄棒が打ち込まれるように。
 歯を食いしばっていた華艶の口が緩んだ。
「あっ!」
 自分の中でさらに膨れ上がった〝華艶〟の肉欲を感じた。
 もう我慢できなかった。
「あぁン……そんなに激しく……ああっ……奥まで突いちゃ……ダメぇぇぇン!」
 華艶の叫び声が木霊した。
 激しくはこれから、今までは遊びだったと言わんばかりに、さらに〝華艶〟は尻を振った。
 ズン! ズン!
 激しい振動。
 秘奥が突き上げられる。
「いっ……いいっ!」
 華艶は歯を食いしばった。
 そこへ〝華艶〟が接吻を求めてきた。
 舌で唇を舐めながら、歯をこじ開けようとしてくる。今の華艶に堪えられるだけの余裕はなかった。すぐに半開きになった口の中に侵入された。
 舌によって口の中が犯される。
 歯茎も、頬も、舌も、口腔の上壁も。
「んぐっ……んんっ……」
「んっ……ふぐ……びゅぷ……」
 唾液が泡立ちながら音を立てる。
 少しだけ〝華艶〟が口を離す。
「もっとサービスしちゃう」
「んぐっ」
 また艶めかしい唾液混じりの接吻をされ、さらに〝華艶〟の片手が結合している秘所へ。
 少し顔を出していた肉芽の包皮が完全に剥かれた。
「ひぐっ」
 華艶は白目を剥きそうになった。
 肉芽に血が塗られる。
 これが本物の血ではないことはわかっている。甘く赤い液体は、媚薬の効果も兼ね備えている。
 皮を被っていない肉の部分には刺激が強い。
「ひっ……んぐっ……ああっ、触っちゃ……」
 感じたまま、唇を奪われたままではろくにしゃべれない。
 肉芽は乱暴にこねられた。乱暴なのに、今は強い刺激じゃないと――満足できない!
「んぐ……んっ……ああああっ……気持ひひっ」
 華艶は縛られて診察台と固定されている躰を激しく揺らした。
 全身で感じてしまう。
 血を塗られた皮膚に快感が走る。
「イッちゃう……ダメ……イヤなのっ……あひっ……ひぃぃぃ!」
 熱い。
 躰の芯から燃え上がりそうだった。
 妖艶と〝華艶〟が笑った。
「ああン……自分が燃やせる……ああっ……自分に自分が燃やせる……〝あたし〟はあたし……イキそう……あたしもイッちゃ……いっぱい中に出ちゃう!」
「ひぐ……我慢でき……ひぐぅぅぅ……ああああああっ!」
「うっ……ああああああっ!」
 ドビュビュビュビュビュ!
 〝華艶〟が噴き出した瞬間、炎も噴き出ていた。
 二人を包み込む炎の快楽。
「イヒぃぃぃぃぃッ!」
 華艶は白目を剥きながら痙攣する。
 イッてる最中に、さらに肉芽と肉壺をグチャグチャにされている。
 炎に光りに彩られながら、〝華艶〟は恐ろしい笑みを浮かべていた。

 外が騒がしい。
 雑踏の音がする。
 人の行き交う音、車の走る音、音楽も聞こえてくる。
 華艶は目を開けた。
 暗い。
 暗くて狭い。
 膝を曲げらた状態で暗く狭いところに閉じ込められている。
 裸のままだ。
 この肌に触れる感触は紙のようだ。臭いも特徴的。それがなんであるか華艶は察した。
「ダンボール箱」
 とにかくここを脱出しなければ。
 しかし、外はどこだ?
 不安を感じた華艶は身動きをせず、気配をできるだけ殺した。
 嫌な予感がする。
 大勢の人の気配がする。
 トンッとダンボール箱になにかが当たった。
 ビリビリビリ……
 線状の光が漏れてくる。
 やがて光は一気に大きくなり――。
 華艶は薄目でそれを確認した。
「あ、どーも」
 軽くあいさつ。
 目と目が合って、相手はだいぶ驚いた顔で硬直している。
 ダンボール箱を開けたのは若い男だった。その横から少女が顔を出してきた。そして、男と少女は顔を見合わせた。二人の距離感から察するに、知り合いか、それとも恋人同士だろう。
 謎のダンボール箱を発見。彼女の前で粋がって見せたかった男が、ガムテープを外してふたを開けると華艶と目が合った。そんなところだろう。
 ほかの人々もダンボールに近づいてきて、中を覗いてきた。
 微妙な表情をする者、すぐに目を逸らして立ち去る者、にやけた目つきで視姦してくる者。
 女性が自分の上着を脱いで渡そうとしてくれたとき、華艶はマズイと思った。
「あはは、失礼しましたー」
 苦笑を浮かべた華艶はすぐさまダンボールのふたを閉めた。
 一気に外が騒がしくなった。
 いったん身を隠しても、人だかりがいる限り、どうしようもない。
 華艶は躰が熱くなってきた。酷い羞恥プレイだ。恥ずかしくて炎が顔から吹き出そうだった。比喩ではなくマジで。けれど、そんなことになったらさらに大変だ。
 ひとだかりがいなくなってくれないなら、こっちがいなくなるしかない。
 華艶は深呼吸をして、一気に外に飛び出し、すぐにダンボールを頭から被って再び中に入った。
 そして、しゃがんだまま走り出した!
 が、そんな体勢で長く歩けるわけがない。ふくらはぎが痙りそうになって、華艶は腰をかがめて立ち上がり、再び走り出した。
 ダンボールの大きさが足りず、頭隠して大事なところ隠さず……。いちよう片手で押さえているが、ちょっとムリがありすぎる。
 あの日、ネット上で謎のダンボール女が話題になったのは言うまでもない。ケータイで撮った画像までアップされたが、どうにか顔は死守できたようだ。

 交番の警察官に頭を下げる華艶。
「どーもお騒がせしました」
 ダンボール姿ではどうしようもなく、ケータイもない、お金もない状態で、公然猥褻罪で警察に捕まる前に、被害者ということで自ら警察に駆け込んだ。
 もちろん事情聴取をされたが、事件沙汰になると困るので、ケンカした彼氏にやられたということにして、身内なので事件沙汰にしないでくれと頼んだ。完全に不審がっていたが、それ以上の追求もなく、住所氏名連絡先を聞かれただけで済んだ。もちろんデタラメを教えた。
 そして、華艶は交番の電話で友人に助けを求めた。
「どーもお騒がせしましたじゃないわよ。迎えに来たこっちまで恥ずかしいわ」
 おでこを押さえて蘭香は溜息を落とした。
 はじめは碧流にメールを送ったのだが、授業中だから学校終わったら行くと返信され、次にメールを送った蘭香が来てくれた。蘭香が卒業式を終えて、もう学校に通っていないことを、華艶はすっかり忘れていたのだ――蘭香は絶対来てくれないとあきらめていた。
 蘭香と服と交通費を借りて、華艶はどうしたものかと考えた。
 このまま蘭香を引きずり回すわけにもいかず、とりあえず別れたほうがいいだろう。それから自宅に戻って、着替え、お金、予備のケータイと準備を整える。
「今さらガッコに行くのもなぁ」
 と、こぼした華艶に蘭香は鋭い視線を向ける。
「期末試験近いんだから行きなさいよ。テストのポイントとか、まとめプリントとか配られるでしょ?」
「仕事も早く片づけたいし」
「あなたの仕事は学業でしょう。大丈夫なの、ちゃんと進級できるんでしょうね?」
「出席日数的にはだいじょぶな計算だけど、テストが……蘭香助けてくれるよね?」
「だったらまずは学校に行きなさい」
 と詰め寄られ、華艶は苦笑しながらそっぽを向いた。
 蘭香は首を横に振りながら溜息を漏らした。
 街を歩く二人。平日だが人通りは多い。そういう場所を狙って、華艶入りのダンボール箱を放置したのだろう。
 目的は?
 フェイスレスマウスの過去の行動からして、酔狂と考えるのが妥当か。
 遊びとも思える行動で、多くの人間を弄びながら殺す。だが、華艶は生かされている。1度だけではなく、何度も、殺さずに遊びのコマにされてきた。
「気に入られちゃってるのかな……ヤダなァ」
 ここで華艶はハッとした。
 その表情に気づいた蘭香が声をかける。
「どうかしたの?」
「うん……ううん、なんでもない」
「また副業のこと考えてたんでしょう。本業に力を入れないと、痛い目を見るのはあなたなのよ」
「うん……」
 華艶は気のない返事をした。その表情は重く、真剣だった。
 そして、つぶやくように言葉を溢す。
「姉貴がさ……」
 一言を聞いて蘭香は暗い表情をした。事件のことをニュースかなにかで見て、知っていたのだろう。事前に知っていて察しなければ、一言聞いたたけでこんな表情はしない。
 押し黙る蘭香。なにも言えず華艶の言葉を待っている。
「捕まったの知ってる?」
「ええ」
「今気づいた。あたしのせいかも」
 フェイスレスマウスが麗華の事件に関わっている、その明確な証拠やフェイスレスマウス本人からの発言はなかった。が、偶然華艶に接触したとは思えない。それにフェイスレスマウスならば、麗華に成りすますこともできるだろう。
 これは麗華の事件ではなく、はじめから華艶の事件だった可能性。麗華を出汁におびき寄せられた可能性を華艶は考えたのだ。
 フェイスレスマウスは華艶になにをするつもりなのか?
 弄んでいるだけ?
 目的は?
「……考えるだけムダか」
 華艶はつぶやいた。フェイスレスマウスの目的など考えなくても、捕まえれば済むことだ。

《4》

 蘭香と駅で別れたあと、華艶は自宅に一度帰ると身支度を済ませ、ある人物との待ち合わせ場所に向かった。
 相手が指定してきたのは帝都某所のホテルの一室だった。
 大きな窓から帝都の街が一望できる洋室。陽が暮れれば魔導で煌めく魅惑の夜景が一望できるだろう。
 外の景色を見ていた華艶が振り返った。
「女子校生のあたしをホテルの部屋になんか連れ込んで、まさか!」
「君はそういう思考しかできないのか」
 昼間からワインを注ぎながら水鏡は言葉を返した。
「あたしにも一杯」
「君は未成年だろう、お子様はミルクでも飲んでいたまえ」
「牛乳キライ。てかさ、検事って儲かるの? この部屋高そうなんですけど」
「さあ」
「さあ?」
「検事の給与はいくらもらっているのか知らない。給与には一切手を付けたことがないんでな」
「前にあんたんちのでっかい屋敷行ったけど、つまり検事は金持ちの道楽なわけね」
 華艶もTSは道楽みたいなもんだ。ただし、華艶の場合はTSの仕事をやらないと、生活が維持できなくなる――浪費癖のせいで。
「世間話はここまでにして、大事な用件を話してくれたまえ。忙しい身なので、話が済んだらすぐに仕事に戻らねばならない」
 と水鏡は言いながらも、仕事に戻るのにワインとは。ソファに寛ぐ姿を見る限りでは、忙しい身には見えない。
 なんだかムカッと来た華艶だが、ここでケンカをふっかけても仕方ない。
「……じゃあ話ますけどー」
 ヤル気なさそうに華艶は話しはじめた。
「フェイスレスマウスって知ってるでしょ?」
「去年の10月に起きたテロの首謀者だな。それ以前の経歴や活動は不明、あれほどの事件を起こした者が降って湧くとは、実に帝都らしい。まさか火斑麗華の事件に関係あるのか?」
「姉貴が容疑掛けられてる歯科医の事件現場で接触した。事件と無関係とは思えないし、あいつあたしソックリに化けれたし、なら姉貴にだって可能なはずだから」
「……あの火災はやはり君か。起訴させてもらうぞ」
「はぁっ!? ちょっと、なにそれ、ズルくない!?」
 華艶は水鏡に飛び掛かる寸前だった。
 それを制止させたのは紙だ。
 瞬時に華艶の躰に巻き付いた紙。放ったのももちろん水鏡だ。
「命の危険を感じたので、正当防衛させてもらうぞ」
 薄笑いを浮かべた水鏡。
 まるで縄のように紙が華艶の躰を締め付ける。胸が搾られ、さらに股から尻まで食い込んでくる。
「あうっ……ちょ、過剰防衛じゃないの!?」
「君は炎で簡単に人を殺せる。このくらいの防衛をしなければ危険だ」
「訴えてやる……やン」
「負けるのは君だぞ。君が起こしたであろう起訴されていない事件も多くある」
 ショーツの隙間から呪符縄が侵入してくる。さらさらと秘裂を撫でるように擦られ、華艶は背筋をビクンとさせた。
「やっ、中に入れちゃ……マジで死刑にしてやるぅン!」
「強姦程度では死刑にはならない。それに何度も言うが、負けるのは君だ」
「ああっ……あっ……あっ」
「これから君がすべきことはフェイスレスマウスが犯人だという証拠を見つけること。もしくはフェイスレスマウスを捕まえ我々に引き渡せ。別件逮捕したのちに、火斑麗華の事件も調べることができる」
「すごい……中で動いて……あぅっ……」
「私もフェイスレスマウスが犯人の線で調べてみよう」
「いっ……もう……ああああっ……いっ」
 躰が熱い。
 しかし、炎は燃えがらない。呪符で拘束されているためだ。
 全身を硬直させ、華艶は下腹部をヒクヒクとさせた。

 京吾からのメールをもらって華艶は喫茶モモンガに向かった。
 殺風景な店内には常連客のトミー爺さんのみ。
 華艶はトミーに笑顔で軽く手を振ってから、カウンター席に座った。
「で、あたしになんの用?」
「学校終わってからでいってメール送ったのに、またサボり?」
「……き、期末テスト前だから午前授業なのっ! うん、間違いない!」
「そういうことにしといてあげるよ」
 信じてない。
 さっそく京吾はA4封筒を華艶に差し出した。
「はい、また差出人不明で華艶ちゃん宛て」
「……ということは、またミッチーからかな」
 封筒を受け取った華艶はさっそく中身を出した。
 飛び込んできた文字は、製薬会社らしき名前、弁護士火斑麗華の名前。
「裁判資料? ん、最後の裁判記録は姉貴が拉致されてたとき……ってことは、姉貴が負けたって裁判?」
 水鏡いわく、この裁判こそが火斑麗華が火斑麗華ではなかった証拠。その根拠は自分以外で火斑麗華を負かすこと者などいないという、根拠とでもなんでもない理由だった。
「この裁判の線はあたしも考えてたんだよね。姉貴が負け――というより、向こうが勝って得するやつらが姉貴をハメたのかなって。でもあたしが本当の標的だったっぽし。この封筒いつ届いたの?」
「今朝早く、朝刊といっしょに見つけたんだ」
「ならさっき会うよりぜんぜん前か。今となってはムダ資料」
 フェイスレスマウスなどの件を伝える前だ。
 資料を封筒にしまおうとして、華艶はチラッと京吾と視線を合わせた。
「見る?」
「見ていい資料なの?」
「さあ。でも極秘資料とかそーゆーの、仕事柄気になるんじゃない?」
「まあね」
 京吾は笑顔で資料を受け取った。
 資料を流し見していた京吾の手と目が止まった。
「のちに研究所から盗まれたウイルス……まさかこの事件って……」
「どしたの?」
「人体爆破ウイルステロ事件で使われたっていう」
「ちょ、今なんて!?」
 フェイスレスマウス!
 京吾にはその名前は伝えていなかった。
「去年の10月に起きたテロ事件で使われたウイルスは、公式発表では未知のウイルスということになっていたけれど、実際は違ったという噂があったんだ。秘密裏に研究されていたウイルス、帝都にはそういう機関が数多く存在している。事件で使われたウイルスもそうだったんじゃないかって。この資料にはそのウイルスが盗まれた経由なども記載されていて、噂がただの噂ではなかったことを裏付けてる」
「なにそれ、ワクチンも存在してたってこと!? だったらなんであんな騒ぎに!」
 衝撃を与えたテレビ中継。人体爆破をフェイスレスマウスはテレビで流した。多くの犠牲者がいる中、華艶の友人である碧流だけが助かった。フェイスレスマウスが華艶に与えたワクチンによって。
「ウイルスと共にワクチンも盗まれたと書いてるよ。別の研究所に少量のワクチンが残っていたみたいだけど、ワクチンには優先順位があるからね、ワクチンの存在と量を公表すると政府としてまずかったんじゃないかな。それに事件で使われたウイルスは亜種だったらしい。華艶ちゃんのお姉さんは、帝都政府を訴えて損害賠償裁判をしてたみたいだね」
 話を聞きながら華艶の頭はこんがらがっていた。
 まさかフェイスレスマウスに関係する裁判の弁護士を麗華がしていたとは。
 フェイスレスマウスの狙いは華艶ではなかった?
 真の目的は裁判にあったのか?
 だとするならば、麗華が裁判で負けなくてはいけなかった理由は?
 原告が負けたことにより、フェイスレスマウスにどんなメリットがあるのだろうか?
 帝都政府をフェイスレスマウスが庇う必要がどこにあるのか?
「逆ならわかりやすいんだけど、世間を掻き回してやろうって感じで、政府の隠蔽を表沙汰にしちゃう、みたいな」
 フェイスレスマウスの思考を読むよりも、直接会ったほうが早いかも知れない。問題はフェイスレスマウスが真実を語るかどうか。
 さらに資料を読み進めていた京吾が、指で一文を指し示して華艶に見せた。
「ウイルスを盗んだのはこの女性職員ということになってるけど、フェイスレスマウスに渡った経由は書かれてないね。この職員が死んでしまっていて、詳しい事情が聞けなかったのかな」
「ひき逃げで死んでるんだ。なんかきな臭くない?」
「勘?」
「もち勘。別件だから資料ないんだ。ちょっと調べてみようかな、フェイスレスマウスがらみだし」
「僕の方で調べようか?」
「うん、あとで払います。お願いねっ」
 フェイスレスマウスに繋がる手がかりならなんでも欲しい。向こうから接触して来ることは簡単らしいが、こちらから接触する術は今のところない。できることはフェイスレスマウスがらみの情報を調べること。
「ところで華艶ちゃん」
 と、京吾は別の話を切り出す。
「ある事件の容疑者になってるよ?」
「は?」
 本人が初耳だった。
 表沙汰にならない事件は多く起こしている自覚があるので、心当たりがありすぎて困る。
「殺人放火事件の容疑者」
「はぁ~~~っ!?」
 閑散な店内に華艶の叫びが響き渡った。
 表沙汰にならない事件は起こしているが、殺人事件の身に覚えはなかった。
「今のところ正当防衛で全部クリアしてるし、殺人の容疑者になった覚えは……」
「でもあくまで容疑者。華艶ちゃんにはアリバイがあったみたいだから、警察も別の犯人を捜しているみたいだよ。ちゃんと学校に行っていてよかったね」
 最後の一言は強調して言われた。
 犯行時刻は華艶が学校にいた時間ということだろう。
 都民で特殊能力を持っている者は、その能力を登録する義務がある。多くの者が登録していないのが現状だが、華艶は表社会を生きている一般女子校生の面もあるので、ちゃんと登録している。自主的に登録した者以外も、政府が独自に調べて秘密裏に登録はされている。
 能力者の犯行であるとされたとき、まずは登録データベースが調べられる。炎での事件が起きれば、華艶は必ずリストアップされるので、本人も知らないうちに容疑者になることは少なくない。問題はどの程度の容疑者かということ。
 京吾がわざわざ話題に出したということは――華艶も気になった。
「あたしが容疑者にされた1番の理由は?」
「華艶ちゃんと同じ背格好、同じ学校の制服を着た少女が、犯行現場近くで目撃されたそうだよ」
「疑われて当然ってわけね。てか、それってあたしに恨みであるヤツの犯行?」
「まだ犯人の情報はさっぱりで、どうだろうね。そのうち華艶ちゃんのところに警察来るかもよ」
「来るだろうね、そりゃ……って、まさかそれもフェイスレスマウス!?」
 可能性はある。華艶の化けたフェイスレスマウスの犯行。しかし、なぜ?
 華艶は頭を抱えた。
「調べる事件がまた増えた。なんかフェイスレスマウスに踊らされてる気がする。いろんな事件が絡んでて、ちゃんと1つんとこ辿り着くのかな。ただのかく乱だったら最悪」
「その事件は華艶ちゃんに関係あると思って、ちょっと調べてあるけど売ろうか、3000円だけど」
「それは今払う」
 華艶はサイフから3000円を出してカウンターに滑らせた。
 金額は情報の量と重要性、3000円なら大した情報ではないだろう。
 そして、京吾は事件について語りはじめた。
 事件が起きたのは3月××日、午前10時45分ごろ。華艶が学校で授業を受けていた時刻あり、火斑麗華が逮捕された日でもあった。
 死亡したのは中村歩[なかじまあゆむ]33歳、IT関係の会社に勤めるプログラマー。と、当初はされたが、のちに別人であることが発覚。中村歩は実在する人物であるが、本人は行方不明。免許証などが偽造されており、死亡したのは中村歩に成りすました別人であることがわかった。
 ここまで聞き終えて華艶が口を挟む。
「で、何者だったわけ?」
「肩書きはいっぱいあったみたいだね。出会ったひとによって変えていたみたい」
「詐欺師?」
「工作員」
 つまりスパイだ。
 華艶にはアリバイがあったが、それ以外にも死亡した人物が工作員だっということで、捜査はそちらの線で進められることになったらしい。
 国籍は不明だが、身体的には日本人種ではなかったため、おそらくは極東アジアのどこかの国の工作員だろうとされている。捜査はまだはじまったばかり、これから多くの情報が出てくるだろう。ただし、工作員がらみとなると、表沙汰にはされない。
 京吾はメモ帳を1枚取り、ペンを走らせてから華艶に渡した。
「上が事件現場の住所。下が有力な目撃者の住所氏名連絡先。この事件の情報がまだ欲しいなら、追加で調べるけど?」
「うん、じゃあお願い」
 1つ1つの事件はおそらくフェイスレスマウスに繋がっている。
 火斑麗華が犯したとされる7件の殺人。
 華艶の前に現れたフェイスレスマスクと思われる人物。
 火斑麗華が担当していたウイルステロがらみの損害賠償請求裁判。
 ウイルスを持ち出したとされる女性職員のひき逃げ死亡事故。
 華艶が容疑者にあげられた工作員殺害放火。
 このうちの2件は、まだ事件と繋がりがある
 席を立った華艶はボックス席のウインドウから街の様子を眺めた。
「陽が暮れる前に片づけちゃおかな」
 遠い空が朱色に染まりつつある。
 華艶が振り返って京吾を見た。
「工作員のはあたしが現場行くとマズイと思うし、ウイルス持ち出した女性職員調べてみる」
「わかったことがあったら、すぐに連絡するよ」
「お願い♪」
 華艶は手を肩越しにひらひらと振って喫茶モモンガをあとにした。

《5》

 交差点の角。
 夕焼けを浴びながら、スーツを着た若い女性が花束を持ってぽつんと佇んでいた。どこか物悲しく近寄りがたい雰囲気だ。
 屈んで花を手向[たむ]ける女性。一粒の涙が地面に落ちて弾け飛んだ。
「だれか亡くなったんですか?」
 と、少女に声をかけられて女性はハッとした。世界を閉ざし、少女が自分の傍まで近づいてきたことに、まったく気づいていなかったようすだ。声をかけたのは華艶。
 研究所からウイルスを盗んだとされる女性職員が、ひき逃げにあった現場。そこにちょうど女性がいたのだ。
 女性は指で涙を拭った。
「うそ!?」
「ウソ?」
 少し驚いたようすの女性と、首を傾げた華艶。すぐに女性は重い表情になった。
「あ、なんでもないんです。ええと……友達が……友達がちょうど1年前の今日、ひき逃げに遭って……死んじゃって」
「そうなんだ」
 つぶやいた華艶は、しゃがみこんで花束に向かって手を合わせた。
 黙祷をしばらく捧げ、華艶は立ち上がって女性を見つめた。
「犯人は見つかったんですか?」
「それがまだなんです。轢いたのは大型トラックなんです、目撃者もちゃんといるんです。なのに犯人が見つからなくて」
「トラックならどこかの業者ですもねんね、すぐに見つかりそうなのに」
「私、絶対に、絶対に犯人を見つけて……殺して……あっ」
 女性は息を呑んで口を噤んだ。
 深く頷く華艶。
「大事なひとを失ったら、殺してやりたいと思うのは仕方ないと思いますよ。この街ならいくらでも方法あるし」
「幼いころからずっといっしょで、上京もいっしょにしたんです。犯人は絶対に許しません、だから今でも個人的に調べているんです。と言っても、なにも手がかりつかめてないんですけど」
 女性は名刺を出して華艶に渡して言葉を続ける。高本由紀というらしい。
「なにか些細な情報でもいいですからありましたら、このメールアドレスに連絡ください」
「TSとか探偵とか、そういうのには頼んだんですか?」
「まだこの街に慣れなくて、そういうの利用するの怖くて」
「中には悪いのいますからねー、正規ライセンス持ってても。お金もかかるし。よかったらいいTS紹介しましょうか?」
「え?」
 一見してただの少女からTSを紹介するという言葉が出る。それがこの街だ。驚くのは生粋の帝都民ではない。
「あーっと、紹介するって言っても、目の前にいるあたしなんですけど」
「あなたが? 私より若いのに……高校生?」
「ええ、まあ本業は。ライセンスはありませんけど、ライセンスって高校生以下は取得できないんですよねー。でも自分でいうのもなんですけど、腕は確かですよ。料金も良心的ですし。それからこの事件はついでに調べているので、なにかわかったら教えるって形で成功報酬でいいですよ」
「……あ……ええと」
 突然のことで由紀は戸惑っているらしい。
 華艶はサイフから名刺を出して渡した。名刺と言っても、いろいろな配慮からメアドだけしか書かれていない。
「これ連絡先です。名前は華艶です、〈不死鳥〉の華艶で通ってます」
「なぜこの事件を調べているんですか?」
「別件に少しでも関係ありそうな事件はしらみつぶしにしてるっていうか。だからこの事件も、無関係ってわかったら深く調べないんで、期待しないでくださいね」
「やっぱり……ただのひき逃げ事故じゃなくて……やっぱり殺されたんですね、そうなんですね!」
 急に由紀は声を荒げて華艶に詰め寄ってきた。
 少し驚いて華艶は足を一歩引いた。
「え~っと、殺された?」
「違うんですか? だから調べてるんじゃないんですか!」
「ええっと、どうして殺されたと思うんですか?」
「だって事故の数日前から連絡が取れなかったし、付き合ってるって言ってた彼氏のことも……恋人が死んだって言うのに、お葬式にも顔を出さないなんて、ずっとおかしいとは思ってたんです、彼女から相談されてて、あの、ええと……」
「落ち着いて話してくれます? 場所変えましょうか、落ちついて話せる……あっ」
 華艶はケータイのバイブに気づいた。
 ケータイを確認すると京吾からのメールだった。
「あ、ちょっと話途中なんですけど、仕事の連絡なんで失礼すますねー」
 すぐに華艶は京吾に通話して、すぐに繋がった。
《もしもし京吾です》
「もしもし華艶でーす、メール見ましたー」
《まだウイルスを持ち出した女性職員のこと調べてる?》
「その途中」
《工作員の件だけど、その女性職員と接触していたらしいよ》
「えっ?」
《恋人だったっぽい。工作員は工作活動の一環だったみたいだけど》
「ええーっ!」
 華艶は自分に向けられた由紀の視線を感じて、口元に手を当ててしゃがみ込んだ。
 そして、声をひそめる。
「偶然じゃないよね、姉貴の裁判、工作員殺し、両方がフェイスレスマスク絡みなら」
 同じパズルのピースならば、偶然と思えることも必然となる。
「ほかに情報は?」
《まだ接触した相手の割り出しをしているみたいで、詳しい情報はまだ。また情報が入ったら連絡するよ》
「お願いしまーす、んじゃね」
《ではまた》
 通話を終えて華艶は立ち上がった。
 由紀はまだその場にいる。2つの事件が繋がったことで、詳しく話を聞く必要がありそうだ。
「ごめんね、話の途中で。で、さっきの話の続きなんだけど、もしかして付き合ってた彼氏ってこいつ?」
 華艶はケータイに表示させた男の写真を見せた。
「わかりません、写真とか見せてもらったことなかったので。でもずいぶん年上で少し小太りとは……聞いたような」
 たしかに写真の男――工作員は小太りだった。
「そっか、顔は知らないんだ。なにか聞いてない?」
「あまり詳しくは。ただ彼のことで悩んでいたみたいで、素行が怪しいとか、はじめは浮気と思ったらしんですけど、違ったみたいで。ずっと悩んでいたみたいなんですけど、だんだん彼の話をすることを避けていたような。彼氏のことで悩んでいたのはたしかなんです、恋愛とかじゃなくて、べつになにかで、私わかるんです莉々夢(りりむ)のことなら!」
 ――藤川莉々夢。
 それが亡くなった女性職員の名前。
 華艶はうなずいた。
「つまり、怪しげな彼氏と付き合ってて悩んでたと。ほかに殺人を疑う理由は?」
「死んだ莉々夢が消えたんです」
「はい?」
「ちゃんと戻ってきたんですよ、火葬されたあとだったんですけど」
「詳しく」
「聞いた話によると、病院に運ばれたときはまだ生きていたそうです。そこで死亡が確認されてから、遺体がどこかに消えちゃって。病院の話だと手違いだとかどうとか、だから莉々夢がいないままお葬式とかしたんです。それから何日かして、突然病院から連絡があって、身元不明の遺体に混ざって、火葬されてしまったとかで、遺骨は戻ってきて、莉々夢のご家族は病院から多額のお金をもらったらしんですけど……なんだか」
「交通事故が計画殺人なら怪しく思える出来事だし、ただの事故だとそっちも事故とも言えるし」
 遺体消失が事件だとして、一度盗んだ遺体を戻したのはなぜか?
 由紀は重たい表情でうつむいた。
「それからしばらくして、莉々夢のご両親は自殺しました」
「え?」
「一酸化中毒自殺らしくて、遺書とかは残っていなかったんですけど、現場の状況から自殺だって。一人娘を亡くしたショックから自殺したんだろうって。でも本当に自殺かどうか……」
「不可解なことが多いと、全部疑いたくなるよね」
 ――工作員と付き合ってたんだし。と、華艶は心の中でつぶやいた。
 藤川莉々夢を巡る一連の事件を調べるのは大変だ。藤川莉々夢と工作員が繋がったことにより、調べるべきはなぜ工作員が藤川莉々夢に接触したのか?
「高本さんは藤川さんと同じ職場に?」
「いえ、私は印刷会社に」
 彼氏のことも詳しく聞いていない。同じ職場でもない。藤川莉々夢は悩んでいるようすだったが、高本由紀に詳しくは話していない。となると、聞き出せそうな情報はほかにあるだろうか?
「ありがとうございました。またなにかあったら連絡します」
 華艶は頭を下げた。
「私もなにか思い出したら連絡を差し上げます。莉々夢のことよろしくお願いします。犯人を見つけてくれたら、ちゃんと報酬を――」
「報酬いらいないです。情報もらったんで、交換ってことで」
「ありがとうございます」
「こちらこそ、ではまたね」
「さようなら」
 二人は別れた。
 由紀はまだあの場所に佇んでいる。
 空が暗い。
 雨が降りそうだ。

「サイテー、服びっちょびちょ」
 華艶は濡れたスカートを手で押さえた。
 急な雨。
 駅ビルにすぐに駆け込んだが、湿った布地が肌に不快感をもたらすくらい濡れてしまった。
 空を轟く雷鳴。
「通り雨ならいいケド」
 つぶやいた華艶は小腹が空いたので、ファーストフード店に入ることにした。
 チーズたっぷり、ボリューム満点のハンバーガーセット、ポテトと飲み物はLサイズを頼み、窓側のカウンター席に座った。
 ポテトを摘みながら、ケータイからパソコンのメールを確認。いくつかアドレスを使い分けていて、今見ているのは緊急性のない仕事用のアドレスだ。
 モグリで正規ライセンスを持っていない華艶は、基本的に京吾を通して仕事を受けている。今見ているメールボックスは、京吾から提供されているもので、華艶が観覧できる時点で選別されているため、迷惑メールなどは一切ないはずなのだが――。
「なにこのタイトル」
 上から表示されている順に、
 ――スキにして。
 ――ウリしてます。
 ――マニアックなプレイも好きです。
 ――ステキな恋がしたいな。
 ――レイプ願望ありです。
 ――スゴイんです、あたし。
 ――イッちゃいそう。
 ――フェラ大好き。
 すべて『あなたのことが忘れられないの』という相手からのメールだ。
 明らかに迷惑メール臭がするので、開かずにまとめて削除しようとしていたとき、華艶は気づいた。
「これって届いた順に並べ替えると」
 表示順とは逆の並びになる。
「まさか!」
 たて読みにして華艶は驚いた。
 ――フェイスレスマウス
 すぐに華艶はメールを開いた。
 ――神原女学園で待ってます。
 華艶の通う女子校の名前だ。差出人がだれにせよ、華艶の情報を相手が持っている可能性が高い。
 別のメールも確認する。
 ――神原女学園前駅西口で待ってます。
 また別のメール。
 ――××商店街で待ってます。
 神原女学園からも近い商店街の名前が書いてあった。喫茶モモンガもそこにある。
 ――神原女学園近くのセブンマートで待ってます。
 大手コンビニの名前だ。
 今まで開いたのは、すべて『どこどこで待ってます』というものだった。場所のみが指定してあって、時間などは書いていないので、待ち合わせとしては機能しないように思える。
「行けばわかるかな」
 残り4件を残してケータイを置き、華艶はハンバーガーを頬張った。
 集中して食べはじめると、あっという間に胃の中に収まっていく。
 ポテトの塩がついて指を紙ナプキンでクシュクシュと拭き、コーラを飲みながら再びケータイを手に取った。
「残りはっと」
 未開封のメールを開こうとしたとき、ちょうど通話を着信した。京吾からだ。
「もしもし華艶でーす」
《近所で爆破事件が起きたらしい。それも近所だけじゃなく、連続爆破事件の疑いがあって、僕のところに入ってきた情報だけで、華艶のちゃんお通ってる『神原女学園』『神原女学園前駅』うちからちょっと先に行ったところに『コンビニ』。近所の爆発もついさっきで情報が錯綜していて、とりあえず華艶ちゃんの通ってる学校でも爆破があったみたいだから、すぐに連絡してみたんだけど」
「…………」
 華艶はゾッとして声も出なかった。
《もしもし、華艶ちゃん?》
「…………」
《大丈夫?》
「あ……あたしのせいかも、ごめんなさい、ごめんなさい。うわぁ~ん、どうしよ!」
《落ち着いて華艶ちゃん、なにがあったの?》
 怪しげなメールを開いただけ。
 悪気があったわけでも、こうなることを予想していたわけでもない。
 しかし、あまりにも偶然とは言えず、罪悪感でハンバーガーセットも喉を通らなかった。もうすでに食べ終えているが。
「フェイスレスマウスっぽいヤツからメールが届いてて、開いてしばらくしてから、本文に書いてあった場所が爆発……みたいな。あの、怪我人とかは?」
《まだ怪我人の情報や規模もわからない。近所の爆発はあのラーメン屋だったんだけど、消防も救急車もまだで、道路に破片が飛び散っていて、隣の店まで火の手が回りそうだね》
 京吾のケータイから、人々のざわめきなどが漏れ聞こえてくる。おそらく現場の前から通話をかけてきたのだろう。
「実はさ、未開封のメールあと4件あるんだけど」
《絶対に開いたらダメだよ》
「あとさ、このメールボックス、京吾のとこのやつなんだけど」
《うちのTS専用メールボックスに……調べてみるよ》
「ケーサツ届けたほうがいい?」
《それは華艶ちゃんに任せるよ。ただし、うちのシステムもメールも情報も、なにひとつ警察に提供できないからね》
 警察とTSが協力するのは、警察からの依頼か依頼人の要望があったとき。それ以外は基本的に敵だ。敵と言うより、仲が悪いという言い方がしっくりするかもしれない。モグリならなおさら。
「とりあえずケーサツには届けないことにする」
《新しい情報が入ったらまた連絡するよ》
「よろしくー、んじゃね」
《ではまた》
 華艶はケータイを置いて、氷だけになった紙カップをストローで吸った。
 ストローに歯形を付けながら、華艶は窓から見える景色を見た。
 ひどい土砂降りだ。
 通り雨かと思ったが、まだ止みそうにない。
 雷が落ちる音がして華艶は躰を震わせた。雷程度でビビる華艶ではないが、今は違った。
 残り4件のメール。おそらく残り4つの爆発装置があると思われる。その場所は京吾に任せておけばいいだろう。
「いったんミッチーに経過報告したほうがいいかな」
 はじまりは水鏡検事からの依頼だった。
 しかし、今や事件は依頼を大きく逸脱している。
「全部報告するのもなぁ。でもやっぱしたほうがいいのかな」
 ストローを噛みながら華艶は前髪をかき上げた。

《6》

 夢。
 その妖しい輝きは人々にどんな夢を魅せるのか?
 科学と魔導が溶け合うまどろみの都市――帝都エデン。
 窓についた雨粒が夜景を乱反射させる。
 星は夜空にではなく、地上にあった。
 ただしそれは……。
「前の部屋よりよく見えるー。てか、コロコロとホテル替えて、金持ちのイヤミ?」
 じと~とナミクジが這うような視線で華艶は水鏡を見た。
「君との密会が公にならないように、場所はその都度に替えた方がいい」
「ならカラオケボックスでもいいじゃん」
「秘密保持にはホテルがいい。それもそれなりのホテルだ」
「高そうな部屋を取るなんて逆に目立ちそうだけど」
「よく利用しているので問題ない」
「へぇ~、そーですかー」
 華艶が水鏡を足下で見る金持ちになって、同じ部屋に毎日のように泊まろうと、華艶が水鏡を見る目は変わらないだろう。お金の問題ではなく、育ちの問題だ。
 さっそく華艶は本題を話しはじめた。これまで得た情報と経由のすべてだ。
 話を聞きながら水鏡は、ときおり驚いた表情を見せた。中でも反応が大きかったのが、連続爆発事件についてだ。
「警察には届けたのだろうな?」
「……保留中」
「国民は警察に協力する義務がある。私から警察に伝えておこう。すぐに事情聴取で呼び出されるだろう」
「でもさ、それってマズくない? 事件調べられたらミッチーと会ってるのもわかっちゃうかもよ?」
「しかし隠しているわけにもいかんだろう」
「そーゆーとこだけ正義ぶっちゃって」
「なにか言ったか?」
 水鏡がソファから腰を浮かせた――が、すぐに席に戻ってケータイを取り出した。
「もしもし帝都検事局の水鏡だが……フェイスレスマウスだと?」
 水鏡は通話をしながらリモコンを取ってテレビを点けた。
 唇ッ!
 大画面に映し出されたヌラヌラした巨大な唇。
 目を丸くした華艶。
「テレビジャック!」
 まさにフェイスレスマウス。頭の代わりに首の上に乗った巨大な唇。不気味な色をした趣味の悪い派手なスーツ。
《ヒャッハハ! ビックでバンなプレゼントは気に入ってくれたかしらぁん?》
 笑い声も間違いない。
「ありがとう、では」
 通話を切って水鏡が華艶に顔を向けた。
「今回は地方ローカルのこの局だけがジャックされたらしい。放送は今ジャックされたばかりだ」
「ついに表舞台に登場ってわけね。これですべての事件が大きく動くかも」
 二人はテレビを注視した。
 フェイスレスマウスは巨大ディプレイの前に立った。そこに映し出されているのは、天気予報でよく見る日本列島の衛星画像。
《今回打ち上げられた花火は、ココと、ココと、ココと、それからココ!》
 フェイスレスマウスは持っていたステッキで画像の帝都を4回叩いた。
《そして、残る花火は、ココと、ココと、ココと、それからココ!》
 また同じ場所を4回叩いた。ヒントでもなんでもない。おちょくってるとしか思えない無駄な演出だ。
 花火とはおそらく爆弾のことだろう。華艶に届いたあのメールだ。
《そうそう、忘れるところだったわ。じつは、なんと、驚きビックリのハッピーバースデー! ヒャハハハハハ、そんなわけでボクからカワイイ子豚さんたちにプレゼントをあげるわ。アレのワクチン開発がすこぶるノット順調らしいじゃな~い? ワクチンはコチラで80人分用意したわ。けど40人分は夜空のお星様になってしまったの。わかる? わかるわよね?》
 まさか爆弾と同じ場所にワクチンが!
 ワクチンとはおそらく前の事件でばらまかれたウイルスの物だろう。
 華艶は息を呑んで、すぐに唇を噛みしめた。
「……くっ。あたしのせいで」
 40人分のワクチンが消し飛んだ。
 華艶は誓っていた。フェイスレスマウスを捕まえ、ワクチンを手に入れ、あの事件の犠牲者全員を助けることを。あの事件で、ただ1つの手に入れたワクチンを、華艶はほかの犠牲者を差し置いて友人のために使った。その責任を取る覚悟をずっとしていたのだ。
 それが自分のせいで多くのワクチンを失ったことは、感情渦巻く痛感の極みだろう。
《おならプー事件の犠牲者って100万人くらいになったの? 細かい数は気にしないタチだから、最終的に犠牲者がどれほどになったのか、ちょっぴりわからないのよね、1億人くらい?》
 数を当てる気なんてないのだろう。
《とにかく大事なことは、ボクの用意したワクチンじゃ足らないってことよ。アナタなら、手に入れたワクチンを誰に使う?》
 政府が順番を決めるとしたら、要人から順番にということになるだろう。けれど、それはだれもが納得する順番ではない。インフルエンザの予防ワクチンなら、あきらめや納得もするだろうが、死に至るウイルスであり、犠牲者も大勢、今もコールドスリープなどの処置でかろうじて生きながらえている。自分の愛する家族や友人を一刻も早く助けて欲しいと、犠牲者の数以上の人々が願っているはずだ。
《ワクチンで病から立ち直ってくれたら、その人たちとバンドを組もうと思うの。もちろんヴォーカルはボクね。そんなわけだから、今回ワクチンを投与された人たちは、ボクがネットなどを通じて実名でバンドのお誘いを呼びかけるから、楽しみにまってて頂戴、ヒャ~ハハハハ!》
 政府として、ワクチンをだれから使うか、その指針は示すだろうが、個人への誹謗中傷などを避けるために、だれに投与するかまでは公表するはずがない。フェイスレスマウスは帝都に混乱をもたらそうとしている。
 テレビが突然消えた。いや、消されたのだ。
「ここで取引なのだけれど」
 部屋の中に響き渡った声。華艶のものでも、水鏡のものでもない。
 驚愕に彩られた華艶の表情。驚きから怒りへと瞬時に変わった。
「フェイスレスマウス!」
 部屋の中に突然と姿を現したフェイスレスマウス。
 そして、忽然と姿を消した水鏡検事。
 まさか――という感情が華艶の中で渦巻く。
「はじめから偽物、あたしの前に現れた水鏡は全部あんただったわけ!?」
「さてさてそれはどうかしらん。少なくとも今回はそのようね」
 はっきりと答えない。華艶を惑わそうとしているのか、それともはじめからこういう奴なのか。
「本物の水鏡検事はどうしたの?」
「生きてると思うわよ、ボクは無駄な殺しはしない主義だからん」
「無差別テロを起こしたヤツの言うセリフ?」
 華艶の眼は鋭い。今にも相手を殺しそうだ。
 フェイスレスマウスには表情がない――唇だから。あえて言うなら、この唇は嘲笑を浮かべている。
「演出に必要な殺しはムダじゃないもの」
「罪のないひとまで巻き込んでおいてマジムカツク」
「ひとは生まれた瞬間から罪を重ねていくのよ。罪のない人間なんて存在しない。あなただって肉くらい食べるでしょ、野菜でもいいわ」
「そんなの極論じゃない!」
「ボクは肉がスキよ、血の滴るようなジューシーな少女の肉。少女は肉と言うより果実かしら、ヒャッハハ!」
 フェイスレスマウスは席を立ち、襟を正して華艶に背を向けて歩き出した。
「バイバーイ、華艶ちゃん」
「バイバイじゃないでしょ、待ちなさい! 取引って言ってたでしょさっき!!」
 華艶はフェイスレスマウスに殴りかかっていた。
 白い手袋をはめた手で拳を受けたフェイスレスマウスは、その拳を巨大な舌で舐めた。
 背筋にゴキブリが走ったような顔をして華艶は飛び退いた。
「絶対殺す」
「取引相手に殴りかかるなんて頭パーね。ところで取引ってなにかしら?」
「自分から誘っといて、マジ殺す、殺す、絶対殺す」
「悪気はないのよ、物忘れがヒドくて。今も頭の中にハエが飛んでて、羽音がうるさくて仕方ないのよね。そうそう取引だったわね、ワクチンの件だったかしら、ちゃんと記憶してるから安心して」
「ワクチン?」
「そう、10人分のワクチン。インフルエンザなんてオチじゃないわ。おならプーを治すワクチン」
 それを聞いて華艶は殺気を解いて真剣な眼差しをした。
「条件は?」
「ボクとデート」
「は?」
 フェイスレスマウスの口からは、どんなことも飛び出してくるとわかっていても、呆気にとられるしかなかった。
「デートのあとはもちろんアッハ~ンなこともしてもらうわ」
「アッハ~ンってなに?」
「そんなエッチなこと、この大口に言わせる気? 華艶ちゃんってドSなのね」
「デートして寝ろってことね。お・こ・と・わ・り!」
「いいの、ワクチン10人分よ。もう友達が助かっちゃってるから、他人のことを知らんぷり? いいわね、いい悪女っぷりを発揮してくれるじゃなぁ~い」
「…………」
 一度断ってしまったのは、華艶の性格のせいだ。冷静に考えはじめると、答えをすぐに口にできない。
 華艶が迷っているようすを見て、フェイスレスマウスは新たな条件を出す。
「デートはなしにしてあげる。今ここでアッハ~ンしてくれたら、15人分のワクチンをこの場で渡すわ」
「…………」
 華艶はすぐに辺りを見回した。
 それを察したフェイスレスマウス。
「探してもムダよ。ワクチンだけ持ち逃げなんて、ボクがさせると思って?」
「……ッ」
 読まれていた。
 フェイスレスマウスは腰を突き出すように振った。その股間はありえないくらいテントを張っている。
「デートは好意のある人としたいけど、こっちはただの生殖。相手がスキじゃなくても生殖ならできるでしょ?」
 いやらしく腰を振る道化を見ていると、条件を呑みたくなくなってくる。
 しかし、15人分の命がかかっている。
「……エッチするって条件飲んであげる。けど、保証が欲しい。ヤリ逃げされたら堪らないし」
「念書でも作成しましょうか?」
「残り40人分のワクチンと爆弾の在り処。それが回収されたらエッチしてあげる」
「ヒャッハハ! 大きくデタわね。自分の躰にそんな価値があるってわけ? ビックな自信。ヒャハハハハハハハハ!」
 フェイスレスマウスは腹を抱えて床を転げ回った。
 大きく出たのは躰に自信があるわけではない。吹っかけて様子見するためだ。
「飲むの、飲まないの?」
「ヒャハハハハハ、飲むか飲まないか、そんなの決まってるじゃない」
「…………」
「ゴックンしてあげる」
「えっ?」
「呑んであげるわ、1滴残さずね」
 まさかの返答に華艶は驚いたが、すぐに表情を隠した。
 フェイスレスマウスは立ち上がった。
「ただし、ヤルまでこの部屋から一歩も外に出さないわよ。ボクのケータイを使って華艶ちゃんが好きな相手に1人だけ連絡を取る。会話の内容はもちろん聞かせてもらうし、必要最低限のことだけを伝えること。助けを求めたり、この場所やボクの存在を知らせたら取引はおじゃん。回収の報告もボクのケータイに折り返させること。だれに連絡するか決めたら声をかけてね」
 巨大な口からケータイを取り出したフェイスレスマウスは、テーブルの上にそれを置いた。少しヌメっている。
 速やかにワクチンと爆弾を回収してもらわないと、ずっとこの部屋でフェイスレスマウスと二人っきりでいることになる。回収が速ければ、それだけ早くフェイスレスマウスと性交渉をすることになる。華艶は複雑だった。
 連絡する相手は選ぶまでもない。事の経由を知っていて、信頼できる人物。
「相手の番号わかんないから、自分のケータイで調べていい?」
「ボクに前で操作するのよ。隙を見てメールなんて送っちゃイヤよ」
「…………」
 華艶はフェイスレスマウスから視線を逸らした。隙を見るつもりだったのだ。
 ケータイを操作しはじめた華艶の傍に来て、巨大な唇でディスプレイを覗く仕草をする。これでは隠してメールを打つことはできない。
「はい、これが相手の番号。あたしがかけるの?」
「ボクがかけるわ」
 フェイスレスマウスは華艶のケータイに表示された番号を確認し、テーブルに置いていた自分のケータイを操作した。
 ハンズフリーで相手の声が聞こえるようにして、ケータイをテーブルに置き直す。
 しばらくして男が通話に出た。
《もしもし、BARモモンガですが?》
 京吾の声だ。
 フェイスレスマウスは華艶にうなずいて見せた。話していいの合図だ。
「華艶ですけどー。爆破と連動してたメールの件なんだけど」
《ああ、それがさ……メールを調べる前に削除されてしまったみたいで、サーバーになにも残ってなかったんだ。華艶ちゃんもテレビでフェイスレスマウス見た?》
「うん」
《爆弾とワクチンが同じ場所にあるみたいだね。せっかくの手がかりを失ってしまうなんて》
 華艶の視線に入るように、フェイスレスマウスはメモをテーブルに滑らせた。

 ワクチンと爆弾はココ♪
・神原女学園前駅のトイレ
・神原病院精神科のベッドの下
・神原スポーツセンター更衣室
・神原生命科学研究所の薬品倉庫

 華艶はそれらを読み上げた。
「――今のが、爆弾とワクチンのありか。詳しい場所まではわからないんだけど、とにかく急いで探して」
 次のメモを見せられ、華艶が読み上げる。
「警察に強力を要請して、報道にもリークするようにお願い」
 読み終えるとフェイスレスマウスはメモを口の中に入れて咀嚼した。
《大がかりになるから警察に連絡しるのはわかるけど、報道にまでなぜ?》
 フェイスレスマウスからのメモはない。
「とにかく言うとおりにして。回収はとにかくできるだけ早く、全部回収が終わった時点でこのケータイに連絡頂戴。本当に早くね」
《急ぎたいのはわかるけど、慌てすぎじゃない? なにかあった?》
「ぜんぜんなにもない、だいじょぶ。とにかく回収が終わったら連絡頂戴、んじゃね、バイバイ!」
 華艶は自らフェイスレスマウスのケータイを切った。
「悪女のクセしてウソは苦手なのね」
 と、フェイスレスマウスはからかうような口ぶり。
「余計なことは口にしてないからいいでしょ」
「たしかに約束は守ったわね、相手には不審がられたけど。華艶ちゃんのケータイも電源を切って預からせてもらおうかしら。ボクのケータイは特別だからいいけれど、華艶ちゃんのケータイからこの場所を特定されたら困るもの」
 華艶からケータイを受け取り電源を切ると、フェイスレスマウスは口の中に放り込んだ。あからさまに華艶はイヤな顔をしたが、口は挟まなかった。
 回収までにはどれくらいの時間がかかるだろうか?
 二人っきりの時間が続く。

《7》

「キャハハハハハ!」
 テレビの経済ドキュメンタリーを見ながら、腹を抱えて笑うフェイスレスマウス。もちろん笑うところではない。
 リラックスしているフェイスレスマウスは、華艶に気を配っているようすはない。
「あたしの存在忘れてないよね?」
「あ、いたのね」
 あっさりと言われた。
「いるに決まってるし!」
「カマって欲しいのかしら? ムラムラしちゃった? もう我慢できない?」
「カマわないで。ムラムラしないから。我慢もできるし」
「こう見えても紳士だから、無闇矢鱈とレディに手を出したりしないわよ」
「一生出さないで」
「出さなくていいの、本当に?」
 いやらしい質問だ。取引的には出してもらわなくては困る。けれど、それを華艶の口から言わせようとする意図を感じる。
「本当じゃないです」
「本当じゃないというのは、手を出して欲しいのor出して欲しくないの?」
「出して欲しいです」
「出すってつまり、これを挿入て欲しいのor挿入て欲しくないの?」
 華艶の視線の先で、ビンビンに勃っている。ズボンを押し上げている様は、拳を入れているようだ。
 息を止めてモノを見つめてしまっていた華艶が、我に返って口を開く。
「そんなモノ入れて欲しいわけないでしょ!」
「いいの?」
「ハァ? 調子ノッてんじゃないしマジ死ね!」
「キャッハハ、なら取引は破談よ」
 取引という言葉が出て、華艶はハッと我に返った。
「ちょっ、今のなし! 挿入てくださいお願いします!」
 恥ずかしげもなく叫んだ。力一杯訴えて考えを改めてもらうしかなかった。
「そこまで言うなら可愛がってあ・げ・る」
「……そこまでは言ってないし」
「聞こえてるわよ?」
「なんでもないです」
 華艶は言葉が多い。
 テーブルに放置してあったケータイが鳴った。
「出ていいわよ」
 顎――下唇をしゃくってケータイに向けたフェイスレスマウス。
 華艶が通話に出た。
「もしもし華艶でーす」
《京吾です。爆弾とワクチンは無事回収されたよ。それ――》
 ブチッ。
 通話の途中でフェイスレスマウスはケータイの電源ごと切った。
「長話は足が付くからここまで。さあ次は華艶ちゃんがボクに美味しく食べられる番よ」
 巨大な舌で巻き込むようにケータイを食らったフェイスレスマウス。
 華艶はフェイスレスマウスから逃げるように、一歩だけ後退った。
 爆弾と40人分のワクチンは手に入った。それは言わば前金。まだ華艶はなにも提供していない。
 フェイスレスマウスが股間を突き上げながら近づいてくる。
「逃げる? それともボクを殺す? もしくは捕まる?」
 牽制してきたということは、それをさせない自信があるということ。少なくとも華艶はこれまで、フェイスレスマウスを出し抜けたことがない。
 華艶は腹をくくった。
「勝手にやれば? あたしマグロになるけど」
 事務的に華艶は服を脱ぎ捨てて全裸になった。恥ずかしがるそぶりも、躰の一切を隠すこともしない。機械的な無表情を顔に浮かべ、ただそこに立っているだけだった。
 巨大な唇が華艶の躰を触れるか触れないかの位置から視姦する。つま先から頭の天辺まで、口からイヤらしい息を立てながら、舐めるようにじっくりと見回す。
「マグロはスキよ、美味しいもの。でも活きのいいほうがスキ」
 巨大な舌が華艶のなだらかな腹とへそを持ち上げるように舐めた。
 ビクッと躰を振るわせた華艶。一瞬、膝が震えた。
 華艶は唇をきつく結ぶ。その肌はすでに淡紅色に染まりつつある。
「キャッハハ、相変わらず感度の高いえっちぃな躰ね。女炎術士って、淫乱が多いって本当かしら? 炎を繰り出すとき子宮で感じちゃうんでしょう?」
「…………」
「少なくとも華艶ちゃんは辺りを火の海にしながら感じちゃうものね」
「知らない!」
 堪えが足りない華艶。
 強く否定するのは認めているも同じ。
 嘘がつけない。心も躰も。
 フェイスレスマウスの手が華艶の腹を滑りながら下半身へ。薄い毛を撫でながら、肉厚な恥丘のクレバスが2本の指で割られた。
「んっ」
 華艶の鼻から漏れた吐息。
 じゅわぁ。
 クレバスから溶け出してくる熱い滴り。
 ぽとり、ぽとり……と落ちては床に染みをつくる。
 フェイスレスマウスは滴りを掬い取って、その手を華艶の目の前で弄った。
「ほらいやらしく糸を引いてる」
 親指と人指し指の間で糸を引く蜜。
 さらにフェイスレスマウスは滴りを掬い、それを華艶の乳首に塗りつけた。
 乳輪を引っ張るように乳首が勃った。
 指の腹で円を描きながら擦るように乳首が刺激される。
 華艶は顔を背けた。
「んっ……んっ……」
 口を結んでいても声が漏れてしまう。
 乳首が摘まれた。
「あっ!」
 思わず口が開いてしまった。
 乳首が引っ張られる。ぐいぐいと乳房ごと引っ張られながら回される。
「ん……いっ……」
 乳首が痛い。痛いのに、ぼとぼと秘所から涎れが垂れてしまう。
 限界まで硬く尖った乳首のせいで、乳輪の皮を引っ張られしわが寄ってしまう。
「あっ……んっ……あぅ……」
 華艶が漏らす声にも変化が現われはじめた。
 乳房の手がさわさわと触れられると、躰がゾクゾクしてしまう。
 肌が敏感になっている。
 躰も熱い。
 芯から燃え上がりそうな熱さ。
 華艶は唇を結び直して、天井の一点を見つめることにした。
 呼吸を整えながら熱さを沈める。
 フェイスレスマウスには屈しない。
「意地を張っちゃイヤよ」
 華艶の耳元で囁いたフェイスレスマウスは、忍ばせた手で華艶の肉芽に触れた。
「やぁっン」
 華艶の膝が落ちそうになった。
 もうすでに肉芽は包皮から顔を出していた。
 愛液の潤滑剤で潤った肉芽が指の腹で擦られる。
「あっ……やっ……あっ……んっ……だ……め……」
 膝を振るわせた華艶は立っていられず、思わずフェイスレスマウスの躰に抱きついてしまった。
 そして、華艶は気づくのだ。
 抱きついた相手は水鏡検事だったのだ。いや、正確には水鏡検事に化けたフェイスレスマウスだ。一瞬の間に姿形を変えていたのだ。
 すでに〝水鏡〟は全裸だった。
 ビクンビクンの首を振る肉棒が華艶の脇腹の辺りに当たっている。
 〝水鏡〟が華艶の首筋に唇を這わせ、耳元で熱く囁く。
「抱かれるなら男に抱かれたいだろう。加えて私の呪符は君を抱くにはちょうどいい」
 声もしゃべり方もすでに水鏡検事だった。
 呪符が踊る。
 〝水鏡〟の手から放たれた呪符が、歓喜するように乱舞して華艶に巻き付く。
「ああっン!」
 巻き付いた呪符によって乳房が搾られロケットのように突き出す。
 瞳を閉じた〝水鏡〟が愛でるように華艶の乳首を唇で挟む。
 チロチロといやらしく唾液が音を鳴らす。
 乳首を舐められている。舌の先で優しく舐められている。
「んっ……あっ……いや……乳首だめ……」
「乳首が駄目ならば、どこを舐めて欲しい?」
「どこも舐めちゃ……きゃっ!」
 急に華艶の片足が上がった。呪符縄によって足首が天井に吊り下げられたのだ。
 柔軟な躰はまるでバレリーナのように高く足を上げられ、部屋の明かりにパックリと口を開いた肉厚な割れ目が晒された。
 愛液がツーッと太股を伝わる。
「やっ……こんな格好……」
 恥ずかしい。
 お尻まで広がってしまっている。
 ヒクヒクしてしまう。
 いつもよりもお尻の穴が外気を感じている。
「ダメっ……見ないで……やっ……近いってば!」
 〝水鏡〟の熱い鼻息が薄く色づいている綺麗な菊門に当たる。
 ヒクヒク……ヒクヒク……。
 菊門が泣いている。
 通常の性行為ではしないポーズで、ノーマルなプレイでは使わない性器ですらない穴を、じっくりと観察されている。
 恥ずかしさで華艶は肌を紅潮させる。
 そして、恥ずかしさは興奮へと変わる。
 錯覚に溺れ、愛液が大量に流れてしまう。
「はふっ!」
 華艶が瞳を丸くした。
 股の間に〝水鏡〟の顔が埋まっている。
 呑まれてる、愛液を呑まれてる、喉を鳴らす音が聞こえてくる。
 秘裂を這う舌。
 肉芽が舌先で弾かれる。
「あっ!」
 また愛液が漏れてしまう。
「だめ……もう……」
 瞳を蕩けさせながら華艶は口から涎れを垂らした。
 ――我慢できない。
 しかし、それを口にしたら負けだ。
 華艶は最後に理性でなんとか打ち勝とうとした。
 だが、膝はガクガクと震え、2つの穴もヒクヒクとしてしまう。
 まるで口が寂しいように、肉壺の入り口がねだっている。舌では満足でない。もっと違うモノが欲しいと、口を蠢かせている。
「あっ……あぁン……ん……ああっ……だめっ……あああっ!」
 ズブッ!
 肉壺に指が2本埋まった。
 グチュグチュッ……
 愛液がいやらしく音を立てながら、肉壺が掻き回される。
 秘奥へと続く肉の道。
 疼く。
 熱く疼く。
「もっと……んっ……お願い……」
「もう我慢できないのなら、はっきりと自分の口でおねだりするんだな。そうしたら、くれてやらないこともないぞ」
「……やっ……そんな……」
「欲しくないのか?」
「あっ……言えない……ああっ……んんっ」
 華艶は口を結んだ。
 口に出してしまったら、無理矢理ではない。自分で求めたことになってしまう。
「きゃっ!」
 呪符縄によって華艶の体勢が変えられた。
 両手首を腰の後ろで縛られ、アンダーバストの辺りから吊り下げられた。くの字の体勢だ。胴で支えられているとはいえ、脚には負担が掛かる。普段なら鍛えている華艶にとって、堪えられない体勢ではないが、今は快感で脚が震えてしっかり立っていられい。
 支えが欲しい。上半身を支えてくれるようなモノが欲しい。
 〝水鏡〟が足を肩幅に広げて華艶の前に立った。
 ビクン、ビクン!
 華艶の目の前で揺れる肉棒。
 青竜刀のように先端にいくに連れて太くなり反っている。太くて大きい。にも関わらず、薄ピンク色の先端はちょこっと顔を出しているだけで、大部分は皮を被っていたのだ。
 臭いがする。
 鈴口から汁が垂れているのも見える。
 いつの間にか華艶の口は半開きになっていて、ぽとりと涎れが垂れた。
 雄臭い。
 そんな臭いをこんな近くで嗅がされたら、頭がぼぅっとなってしまう。
 華艶は催眠術にかかったように、舌を短く伸ばしてしまっていた。
 鈴口に舌先が触れた。
 しょっぱい。
 口の中に雄の味が広がってしまった。
 華艶は勢いよく先端にしゃぶりついた。
 じゅぱじゅぱ……
 涎れを垂らしながら華艶は喰らった。
 皮と肉の間に舌を差し込む。
「んっ……んぐ……」
 唇は使わない。舌だけで器用に皮を剥く。
「あはぅ……すごく……臭い……きつすぎる……でも……」
 恥垢もたっぷり溜まっていた。
 全部綺麗に舐め取る。
「ちゅぱ……んっ……」
 先端にキスをして、竿は連続したキスをしながら唇を下げていく。
 下がるにつれて毛が濃くなっていく。
 大きく口を開けて玉を口に含んだ。
 毛も口の中に入ってくる。
 玉から口を離すと、口の端に抜けた縮れ毛が残った。
 構わず華艶は肉棒への愛撫を続けた。
 舌や唇だけでなく、頬にも先端を擦りつける。まるで猫が甘えるように、肉棒に頭や顔を擦りつけ吐息を漏らす。
「ああっ……んっ……熱い……すごく熱いの……」
 また華艶は大きくしゃぶりついた。
 頭を上下に揺らして喉の奥まで入れる。
「ううっ……んっ……」
 苦しくて涙が出てくる。
 喉の奥からは涎れよりもどっぷりとした液体が溢れてくる。
「んぐ……ん……んぐぐ……」
 喉の奥に当たる。
 硬くて太くて熱いモノが当たってる。
 苦しい。
 苦しいのに――止まらない。
「んぐ……」
 喉を鳴らしながら華艶は口から肉棒を抜いた。
 潤んだ瞳が訴えている。
 〝水鏡〟は薄ら笑いを浮かべた。
「どうした、言ってみろ」
「……ください」
「なにをだ?」
「おちんちん……ください」
「もう十分口で味わっているだろう?」
「おま○こに……おちんちんください……もう我慢できないの」
 涙と鼻水を出しながら華艶は訴えた。
 〝水鏡〟は華艶の頭を撫でた。
「いい子だ」
 次の瞬間、華艶は押し倒された。いつの間にか拘束していた呪符は、躰に巻き付き炎を封じているものだけになり、自由を奪う楔はなくなっていた。
 ――華艶は自らの意思で受け入れたのだ。縛る必要など、どこにあろうか?
 唇が近づいてきて、華艶は優しく唇を奪われた。
「ん……」
 長い接吻。
 ちゅ……ぱ……
 音を立てて唇が離れた。
「挿入るぞ?」
 正常位で〝水鏡〟は肉棒の先端を秘所に押しつけながら囁いた。
 小さく頷いた華艶。
「んっ!」
 挿入ってきた。
 十分に濡れている中は、優しく男を包み込む。
 ゆっくりと〝水鏡〟が腰を動かしはじめた。
 ぢゅぷ……どぷっ……
 愛液が掻き回される。
「ん……ああン……いい……気持ちいいっ……ああっ」
 華艶は〝水鏡〟の背中に両手を回した。
「もっと……激しくして……気持ちいいの……ああっ……もっともっと……」
 秘奥が突き上げられて、奥まで響いてくる。
「やっ……もう……イっちゃいそう……早すぎるよ……いやっ……ああン!」
「好きなだけイクといい。君を縛るものはない。今の君は炎ですべてを灰にしてしまうこともない。恐れなくていい、燃やせるのは心だけだ」
「ああっ……だめ……あっ……イッ……くぅぅぅぅぅぅぅン!」
 瞳孔を開いた華艶が苦しそうな顔でビクンと一度震えて、一瞬だけ死んだように動かなくなると、突然息を吹き返して喘ぎはじめた。
「やっ……ああああっ……またっ……またイッちゃ……連続でイッちゃうよぉぉぉぉっ!」
 ビシャァァァァァァッ!
 今度は潮を噴いた。
 華艶は〝水鏡〟の唇にしゃぶりついた。
 舌を絡め、涎れでぐしょぐしょに口の周りをしながら、一心不乱に水鏡に食らい付いた。
 体内でも喰らっている。
 バキュームのように吸い上げながら、肉棒から精を搾り取ろうと喰らっている。
 だが、まだ〝水鏡〟は絶頂を迎えない。
 華艶がイッている最中も腰を動かし続け、さらなる終わらぬ快楽を華艶に与え続ける。
「ヒィィィ……おかしくなっちゃう……気持ちよすぎて……壊れちゃうよ……だめなの……もうやめ……ああああっ!」
 また達した。
「ああっ……ひぃぃぃぃ……ヒィィ……うぐぐ……」
 達し続けている。
 華艶の眼が白黒する。
 躰に入った力が抜けない。
 下腹部が震え、つま先がピンと伸びたまま、体中の血管が張り詰める。
 ぎゅぅぅっと肉棒を締め付ける肉口は、カリに引っかかりめくれあがる。
 肉壁がそぎ落とされそうなくらい、激しく出し入れされている。
「あああっ……お願ひぃぃ……出ひて……かららが……もららひぃぃぃ」
 もう舌がもつれてまともにしゃべることができない。
 痙攣は止まらない。
 躰の震えだけではない。
 肉壁が疼いて痙攣して収縮運動を繰り返している。
「…………ひっ…………うぐ………」
 意識が飛びはじめた。
 何度も意識が飛ぶ。
 頭がクラクラしてわけがわからない。
 もう限界なのに、体内では肉棒がさらに大きくなってきている。
 まだまだ肉壁が押し広げられる。
「ひっふっ、ひっひっひんじゃう……あ……………ひいっ」
 呼吸ができない。
 息が吸えない。
 〝水鏡〟が囁いた。
「そろそろ出すぞ」
「ひっぱい……だひへ……ふひゃ……あたひもひっちゃうよぉぉぉぉぉっ!」
「うっ……」
 肉棒が大きく膨れ上がった。
 ドボボボッボボボボッドボッドボッ!
 華艶は舌を出しながら首を仰け反らせた。
「ひゃあああああああああっ!」
 ブジュッ! ブシュゥゥゥゥゥゥゥッ!
 反動で肉棒が抜けたと同時に、大量の潮が天井近くまで噴き上げられた。
 肉棒からもまだ白濁液が吹き出ていた。
 ドバッ! べちゃ、べちょ!
 紅潮した華艶の肌を穢す白濁液。
 ぐったりとする華艶の肉口からドプッと白濁液が垂れた。
 眼を見開いたままの華艶は痙攣を続けている。
 意識はあるが、真っ白な頭はなにも記憶できず、なにも考えることもできず、まるで廃人。
 華艶は心の炎によって灰と化したのだ。

《8》

「宅配便です!」
 ゴリマッチョな配達員から大きな荷物を受け取ったのは、京吾の妹のさくらだった。
 かなり大きなダンボール箱だ。玄関先に置いてもらったが、ここからはひとりでは運べそうにない。
「お兄ちゃん、荷物届いたんだけど重くて運べな~い」
 さくらは自宅と隣接する喫茶店に移動して兄を呼んだ。
 カウンターでコーヒーを湧かしていた京吾が振り向いた。
「荷物?」
「宅配便で届いたの。お兄ちゃん宛ての大っき~い荷物」
「ちょっと店番してて見てくる」
 京吾はさくらを残して自宅の玄関に向かった。
 巨大なダンボール箱を前にして京吾は観察する。
 配達伝票に書かれた業者は実在する業者だ。ただし偽装は簡単だろう。
 金属探知機をダンボール箱にかざしてみた。仕事柄こういう物もすぐ使える場所に置いてあるのだ。反応はなかった。
「とりあえず開けてみるか」
 テープを外して、ダンボールのふたを開けた。
「…………」
 京吾は眉間にしわを寄せた。
「……華艶ちゃんおはよう」
 声をかけたが反応はなかった。
 そう、中にいたのは全裸の華艶だったのだ。
「か~え~ん~ちゃ~ん!」
 京吾は華艶の肩を掴んで激しく揺さぶった。
 ピクリと華艶のまぶたが震えた。
「ん~っ……うっさいなぁ……まだ眠……い……だから……」
「華艶ちゃん起きて、全裸でいると風邪引くよ」
「寝るときは……いつも裸だから……んん……んふ……」
 ダメだ、寝ぼけている。
「華艶ちゃん起きて、起きないと華艶ちゃんの貯金がなくなるよ?」
「……っ!? えっ、なに……なんて言った!?」
 ガバッと華艶は髪の毛を振り乱しながら起き上がった。
 溜息をついた京吾が、
「おはよう華艶ちゃん」
「……あれ、京吾?」
「そうだよ、ここ僕の家だから居て当然」
「…………」
 華艶はダンボールに入った全裸の自分という状況に気づいた。
 ハッとして躰を隠してしゃがんだ。
「あ~っと、とりあえず服貸してくれる?」
「妹のでいい?」
「お願いします」

 カウンター席に座って目覚めのコーヒーを飲む華艶。横の席にはさくらが座っていた。
「華艶さん自分をプレゼントとかちょっと積極的を通り越してドン引きですよ」
「は?」
「まさか華艶さんがお兄ちゃんに気があったなんて驚きです。でもアプローチの仕方は、もっとノーマルなほうがいいですよ」
 華艶はあからさまに『こいつバカなの?』みたいな表情でさくらを見た。
「なに勘違いしてんの? ちょっと京吾、コレどっかやってくんない?」
「コレって言われたひど~い。未来の妹にはもっと優しくするべきだと思いますよ」
「てか、中学生の分際で学校はどうしたの学校は?」
「もう卒業したから行かなくていんです~。華艶さんこと学校行かなくていいんですか?」
「あたしは特別だからいいの」
「そんなこと言ってるから留年するんじゃないですか」
 ピキッとなにかが音を立てた。
 満面の笑みを浮かべた華艶。眼が笑ってない笑ってない。
「さ~く~ら~ちゃ~ん」
 ビクッと震えたさくら。
「……あ、そう言えば用事があったんだ!」
 絶対にない。いかにもな言い訳でさくらはその場から走って消えた。
 さくらが消えてドッと溜息を漏らした華艶。
「子供相手にマジギレしそうになった」
「子供って、そんなに年齢変わらないでしょ」
 と、京吾。
 15歳と18歳だ。18禁が解禁になるかならないかは、大きな違いと言えば違いとも言えなくもない。
 京吾はコーヒーのお代わりを注ぎながら尋ねる。
「こっちの報告からしようか? それとも華艶ちゃんになにがあったか聞いたほうがいい?」
「話したくな~い」
「なら、爆弾とワクチン回収のその後について。残念だけど、ワクチンは偽物だったよ」
「はっ!?」
 思わず華艶は先を立ち上がった。
 躰を張ってありかを聞き出したワクチンが偽物!?
「ちょっと、どーゆーことか説明して!」
「正確にはインフルエンザのワクチンだったんだよね。まんまとフェイスレスマウスにハメられたってことだね。嘘の情報を僕が教えたと疑われかけたけど、爆弾は本物だったからよかったよ。たしかにフェイスレスマウスは、なんのワクチンとは言ってなかったわけだし」
「……だったら、あたしといっしょにダンボールに入ってたやつも」
 京吾に届けられた荷物は華艶だけではなかった。ワクチンもいっしょに梱包されていたのだ。華艶との約束どおり15人分。ただし、本物とは限らない可能性が出てきた。
「それは検査の結果待ちだね」
 すでにワクチンは警察に届けた。
 ぐったりとした華艶はカウンターに突っ伏した。
「もうあたしにできることは全部やりました。よくがんばったあたし。明日からは普通の女子校生に戻ろうと思います」
 精根尽きたという感じだ。
 だが――。
「華艶ちゃん、大事なこと忘れてない?」
「にゃに?」
「お姉さんまだ釈放されていないよ」
「……ぎゃ~っ、忘れてた! すっかり忘れてたし! そうじゃん、ワクチンとか爆弾とかじゃないし、姉貴を助けなきゃいけないんだった!」
 ワクチン40人分と爆弾のありかを引き出しておいて、姉のあの字も出てこなかった。振り出しに戻るどころか、問題はどんどん増えている。姉のことはどんどん置いてけぼりだ。ただし、やるべきことは変わっていない。
「フェイスレスマウスが真犯人って証拠もしくは……って、証拠なんてどーでもいいし、とにかくフェイスレスマウスを取っ捕まえてケーサツに突き出してやる!」
 華艶は燃えていた。
 捕まえるとなると、接触する必要がある。こちらから探すか、向こうから来るか、来させるか。
 近いうちにまた向こうから接触してくると華艶は踏んでいた。なぜなら、華艶は事件を調べ続けるからだ。事件を調べる課程で、フェイスレスマウスは他人を装って接触してくる。それがこれまでのパターンだ。
「ん? ってことは、これまで会った人物の中にも……」
 と、考え込んで華艶は京吾を見つめた。
「どうしたの? 僕がどうかした?」
 不思議そうな顔を京吾はしている。
 突然、華艶は髪の毛を掻き毟って叫ぶ。
「ぎゃ~っ、疑心暗鬼! フェイスレスマウスの思うつぼ。落ち着けあたし、落ち着けば答えは見えてくる。うん、だいじょぶ、ほらよく考えてみて、もしも相手が偽物だったとしても、べつに困ることある? ある~っ! 偽物の情報とかつかまされるかもしれないし、でも偽物の情報だとしても、最終的にフェイスレスマウスがあたしの前に現れればいい話なんだから、いいの? よくないの? どっちなの?」
「……華艶ちゃん大丈夫?」
「だいじょぶ!」
 華艶は満面の笑顔で親指を立てて見せた。
 それから10秒ほど無言になり、華艶は冷静さを取り戻した。
「京吾に調べて欲しいことがあるんだけど」
「なに?」
「帝都検事局の水鏡検事ってひとがどうしてるか調べて欲しいんだよね。行方不明とか、事件に巻き込まれてるかとか、なんかあるかもしれないから」
 依頼人の水鏡検事。そもそも依頼は本物の水鏡検事からの依頼だったのか。はじめからフェイスレスマウスだった可能性もある。が、もしもはじめからフェイスレスマウスだとしても、姉の無実を証明するという華艶の目的には変わりない。
「あたしの報酬がかかってるから!」
 と、華艶は付け加えた。
 偽物だったら報酬がもらえない。華艶にとって重大な問題だった。
「調べておくよ。ところで、ほかにも頼まれてた件だけど――」
 京吾はそう言いながら1枚の写真をカウンターに滑らせた。
「研究所からウイルスを盗んだとされる、藤川莉々夢の写真を入手したんだけど……これ見てなにか思わない?」
 白衣姿の若い女性。
「くやしいけどカワイイ」
「いや、そうじゃなくて、そっくりじゃない?」
「だれに?」
「華艶ちゃんに」
「え?」
 本人的には首を傾げてしまっている。
「似てる似てる~!」
 と、さくらがどこからか湧いて出た。
 写真を手にしてさくらは、華艶の真横に並べて見比べる。
「目元がそっくりでしょ、眉毛もメイク同じにしたらイケるし、まず輪郭が似てるよね~。でもこの写真の人のほうが頭良さそうだけど」
「あたしだって勉強はやればできるんだから、バカ呼ばわりしないでくれる?」
「それじゃお兄ちゃん出掛けてくるから、あっ夕飯はいらないから!」
 華艶をスルーしてさくらが逃げた。喫茶店の出入り口から出て行ってしまった。
 逃げられたことで、華艶の怒りの矛先は兄へ。
「妹のこと甘やかしすぎじゃない?」
「そんなことないよ。僕よりもしっかりしているもの。それよりも」
「それよりもって話逸らすつもり?」
「妹も言ってたけど、やっぱり華艶ちゃんに似てるよ」
「そうかなぁ」
 と、まだ納得してないようすの華艶だが、思い出したことがある。それは藤川莉々夢が事故に遭った現場であった高本由紀の反応だ。華艶をはじめて見たとき、彼女は『うそ!?』とつぶやいて驚いたようすだった。おそらく藤川莉々夢にそっくりだと思ったのだろう。
 華艶は写真を手に持ってじ~っと眺め、首を傾げてカウンターに置いた。
「べつに似てても事件と関係ないし。ほかに情報は?」
「工作員が藤川莉々夢に接触した理由は、危険なウイルスを手に入れるためだったみたいだね」
「やっぱり」
「でも手に入らなかったみたいだよ」
「それおかしいじゃん。だって研究所からは持ち出してるわけだし」
「それに関連しているのかわからないけど、藤川莉々夢は工作員がらみで殺された可能性が濃厚だね、今になって証拠が出てきているみたいだよ」
「やっぱり」
 おおよそは予想どおり。
 問題はウイルスの行方だろう。正確には経由と言った方がいいだろうか。
「工作員がウイルス入手に失敗したとして、それがどうしてフェイスレスマウスに渡ったわけ?」
 もしも、工作員がウイルス入手に成功していたとしても、フェイスレスマウスに渡ることは不自然だ。不自然でないとしたら、フェイスレスマウスも海外の工作員という可能性が生まれてしまう。
「藤川莉々夢がウイルスをどこにやったのか、なぜ工作員の手に渡らなかったのか、それを調べればフェイスレスマウスに行き着くかもね」
 と、京吾は答えた。
 フェイスレスマウスに行き着く。ウイルスがどうやって行き着いたのか、それよりも華艶が現実でフェイスレスマウスに行き着かなくてはいけない。
 藤川莉々夢とウイルスはあくまで本題ではない。華艶が考えるべきは姉を助けること、それに必要なフェイスレスマウスとの接触。
「ん~、フェイスレスマウスにウイルスを渡した人物がいたとして、その人物がわかったら、今のフェイスレスマウスの居場所とかもわかったりしないかな?」
 第三者が今のところ情報に上がってきていない以上、藤川莉々夢の次がフェイスレスマウスになる。
 華艶は頭を悩ませた。
「藤川莉々夢は元々工作員にウイルスを渡そうとしてたわけじゃん? だとすると、途中でフェイスレスマウスに奪われちゃったってのがわかりやすいよね。……あ、フェイスレスマウスと共犯とかじゃないんなら、フェイスレスマウスの居場所とかわかんないし、そもそも藤川莉々夢死んでんじゃん」
 自分で自分の考えを否定。振り出しに戻る。
「や~めた。これ考えるのもうや~めた。姉貴の事件調べよ、あと6件の現場も行ってないし、フェイスレスマウスが真犯人って証拠出てくるかもしれないし」
 証拠を探すのではなく、捕まえて警察に突き出すのではなかったのか。考えが廻ったり、考えが変化するのは、手詰まりだからだ。
 最終的な目的は決まっている。ただ、そこに行き着くまでの課程が明確ではない。フェイスレスマウスは神出鬼没、その行方を追うのは容易ではない。
「よしっ!」
 席を立った華艶。それを京吾が呼び止める。
「待って、お姉さんの事件の現場に行く気?」
「そーだけど?」
「今はやめておいたほうがいいと思うな」
「どして?」
「実は華艶ちゃん警察にマークされてるよ」
「工作員の件?」
「それもあるけど、お姉さんの事件現場が放火されたんだ」
「…………」
 心当たりがあった。そう言えば京吾に話していなかった。
 慌てて弁解するため口を開こうとすると、京吾が先にしゃべった。
「7件中6件で」
「え?」
 身に覚えがない。歯科医の1件はやってしまったが、残る5件は知らない。
「1件目はおととい。残りの5件はきのうの深夜から今日の未明にかけて」
 その1件目は華艶がやってしまったものだ。
 残る5件は?
 いや、この場合、気になるのは放火されなかった残る1件だろう。
「残った1件ってどこ?」
 ニヤリと微笑む華艶。
 尋ねた時点で華艶の次の目的地は決まっていた。
 放火がフェイスレスマウスのメッセージなら、残る1件になにかあると華艶は確信した。
 誘いを断るわけにはいかない。
 罠だろうとなんだろうと、受けて立つ。

《9》

 放火されなかった残る1件は、元児童養護施設だった。
 元がつく理由は、殺人事件が起こる前にすでに閉鎖されており、建物だけが解体されずに放置されてままだったからだ。閉鎖の理由は職員による児童虐待および性的暴行。火斑麗華はその裁判を担当したことがあったのだ。
 この現場で殺害されたのは、裁判で麗華に負けた被告の男性職員。
 施設の入り口は一応は封鎖されていたが、窓硝子などが割られており、若者たちの溜まり場として使われていたようだ。室内にはゴミを散らかした跡がある。
 廊下を歩きながら華艶は1つ1つの部屋を見て回る。
 食堂だったと思われるホールに辿り着いたとき、ついに人影を発見した。
 長いテーブルの上で縛られている水鏡検事の姿。華艶に気づいたようで、ガムテープを貼られた口でなにかを訴えているようだ。
 すぐに華艶はテーブルに飛び乗った。
 そして、水鏡を見下ろす。
「縛られる感想は?」
「んっ……んんっ!」
 なにを言っているのかわからないが、水鏡の目は怒っている。
 仕方がなく華艶はガムテープを剥がした。勢いよく。
「ッ! もっと優しくできないのか!」
「助けてあげようとしてんのに、なにその態度?」
「早くこの縄を解かないか!」
「どーしよーかなー」
 じらす華艶。
 偽物にもいいようにヤラれたが、本物にもヤラれているので仕返だ。
 だが、水鏡は怒りが爆発している。
「早くしろ! 何時間このままだと思っているんだ!」
「何時間?」
「40時間くらいだ」
「おなかすいたでしょ?」
「水が飲みたい」
「持ってない」
「…………。いいから早く縄を解け!」
「はいはい……って言いたいとこだけど、本物の帝都検事局の水鏡刃(みかがみじん)検事だよね?」
 疑うのは当然。
「偽物が現れたのか?」
「そーゆーこと」
「私はまったく状況が掴めていない。とりあえず縄を解いて欲しい」
 この水鏡の話を信じるならば、少なくとも昨日の昼間に会った水鏡も偽物ということになる。
「あたしに依頼はしたよね?」
「した。火斑麗華の件だ」
 1度目だけが本物ということになる。
 華艶はほっとした。報酬はちゃんと出る。
 目の前の水鏡が本物か否か、それを見極める決め手はない。それを踏まえた上で華艶は縄を解くことにした。
「変なマネしたらタダじゃ置かないから」
「無駄な体力を使う気はない」
 縄を解かれた水鏡は上半身をゆっくりと起き上がらせ、躰を確かめるようにして、テーブルから降りた。
 華艶は水鏡が磔にされていたテーブルの上に、なにかがあることに気づいた。
「ん?」
 それは写真だった。華艶はそれを手に取り水鏡に見せる。
「コレなに? ミッチーの下にあったけど」
「ミッチーとは誰のことだ、誰の! その写真に心当たりはない」
 少なくとも水鏡の所有物ではない。水鏡をここに磔にした者が残したメッセージだろうか?
 写真に写っているのは3人。
 少女が2人と、中年の男が1人。にこやかな中年の表情に比べて、2人の少女は陰鬱そうだ。
 華艶は写真をポケットにしまった。
 ほかにこの場所になにかあるだろうか?
 とりあえず華艶は辺りを見回したがなにもない。まだ見ていない部屋などもあるが、ポイントらしき写真は見つけた。わかりにくい場所や、複数個のヒントがあるだろうか?
「めんどいし、いっか」
 捜索終了。
 水鏡がゆっくりと歩き出す。
「早く休みたい。タクシーを呼んでくれないか、ホテルに向かおう。そこで今までの経過を聞こう」
「……またホテルか」
 と、言っても豪華なホテルで会った水鏡は偽物だった。
「ホテルがどうかしたか?」
「べつに。すぐにタクシー呼ぶけど、救急車じゃなくていいの?」
「そこまでする必要はない」
「あっそ」
 ――しばらくして、二人は迎えに来たタクシーに乗って、水鏡が指示したホテルに向かった。

「うわー、すごいながめー」
 棒読みで華艶は大きな窓から帝都の街を展望した。
 偽物だろうが、本物だろうが、ここんところは変わらなかった。やっぱり高級ホテルだ。
「だいぶ体力も回復してきた。それでは話を聞こうか?」
 ワインを飲みながらリラックスしている水鏡。ここも同じだ。
 じと~っとした視線を水鏡に向ける華艶。
「本物だよね?」
「私は私でしかない。この世に水鏡刃はただひとり」
「べつに偽物でも構わないけど、なんかめんどし」
 ――こうして、華艶はこれまでの経由を水鏡に聞かせた。
 水鏡は驚いたようすだった。はじめは火斑麗華の事件だったが、やがて事件は広がりを見せながら、フェイスレスマウスの絡む連続爆破事件にまで発展した。自分の知らないうちに目まぐるしく動いた街に、驚くの当然だろう。
 話し終えた華艶は、
「ひとつ聞きたいんだけど、喫茶モモンガを通じてあたしに資料とかくれてないよね?」
「君と会ったのは依頼をしたときだけ。資料もなにも渡していない」
「だよね」
 事件資料なども、おそらくはフェイスレスマウスが用意したもの。
 なぜフェイスレスマウスはそこまでするのか?
 華艶にいったいなにをさせようとしているのか?
 フェイスレスマウスの目的はいったい?
 次に華艶がすることは決まっている。
 漠然としたものではない。調べる物が決められている――相手によって。元児童養護施設廃墟で手に入れた写真だ。
 華艶のケータイが鳴った。
「もしもし華艶でーす」
《写真の人物がわかったよ》
 京吾の声。そして、写真とは手に入れた写真のこと。華艶は写真を手に入れてすぐに、写メを撮って京吾に転送していたのだ。
「だれだったわけ?」
《ひとりは藤川莉々夢、向かって右の子》
「ここでまた登場なわけね」
《左の子は高本由紀》
「藤川莉々夢の親友」
《真ん中に写ってる男は宮山伸裕(みややまのぶひろ)》
「宮山伸裕ってどっかで聞いたことある」
 ここで水鏡が口を挟む。
「その名前なら、火斑麗華が殺害したとされる男だろう。先ほどまで私が監禁されていた場所で殺された男で、わいせつ罪で有罪になったが執行猶予がついた。まだ傷害罪や強姦罪での疑いがあり立件したが、裁判の途中で殺された。おとなしくはじめから刑務所に入っていれば、殺されずに済んだだろうに」
 華艶は今の話にケータイを向けて声を拾っていた。そして、自分の耳元にケータイを戻した。
「で、あってる?」
《僕からの説明は不要そうだね》
「ほかに情報は?」
《今のところはそれだけ。高本由紀の連絡先もあるけど必要?》
「それだいじょぶ、知ってるから。んじゃ、またね」
《ではまた》
 通話を切って華艶は水鏡に顔を向けた。
「そーゆーわけだから、大人になったこの子に会ってくる」
 写真を持った華艶はもう片手で左の少女を指差した。

 仕事が終わってからということで待ち合わせをした。
 駅は帰宅途中の人々で溢れていた。
 待ち合わせの場所は駅内のコーヒーショップ。吹き抜けのテーブル席。
 約束より20分ほど遅れて高本由紀が姿を見せた。
「すみません、仕事が少し長引いてしまって」
「ぜんぜんだいじょぶですよ」
「あのそれで大事な話って?」
 さっそく由紀が本題を切り出した。
「あなたが予想したとおり、藤川莉々夢さんは殺害の意図をもって殺されたみたいです」
「やはり……そうだったんですか」
「ここからはオフレコで」
「はい」
 由紀は息を呑んだ。
 そして、華艶は間を置いてから話しはじめる。
「藤川さんが付き合っていた彼氏は某国の工作員で、とある物が欲しくて藤川さんい近づいたみたい」
「とある物?」
「まあそれはちょっと……」
「莉々夢が研究していたなにかですか?」
「それは言えないけど、そういうゴタゴタの中で殺されてしまったみたいです。ちなみにその工作員は何者かによって先日殺害されました」
「その犯人って? ぜひ教えていただけませんか!」
「なんでもかんでも話すわけには~」
 話すには事件が大きすぎる。
 由紀はうつむいた。
「そうですか……でも莉々夢の敵[かたき]を伐[う]ってくれたなんて、会ってお礼を言いたいくらいです」
 うつむきながら由紀はちらっと華艶を見た。そして、すぐうつむいた。
 華艶はあの写真取り出してテーブルに滑らせた。
「この写真に写ってるのあなたですよね?」
「……っ」
 一瞬言葉に詰まって、すぐに由紀は声を絞り出す。
「はい、横に写っているのは莉々夢です」
「真ん中は?」
「…………」
「最近になって逮捕されたみたいです。でも、ず~っと昔からそーゆーことしてたんじゃないかなって思ってるんですけど、どうですか?」
「なぜそんなこと聞くんですか?」
「この男も殺されました。たぶん工作員を殺したのと同じ犯人だと思います。心当たりは?」
「……ありません」
 由紀はうつむいたままだ。目だけは忙しなく泳いでいるのがわかる。
 次に華艶が出した写真は大人になった藤川莉々夢。京吾を用意した物とは少し違う。
「これ藤川莉々夢さんですよね?」
「そうです」
「あたしとはじめて会ったとき、なぜか驚かれましたよね?」
「そうでしたか?」
「あたしのこと藤川さんだと思ったんですか?」
「少し……似てると思っただけです。だって本人のわけないじゃないですか、莉々夢は死んでいるんです。もうこの世にいないんですから」
 華艶は由紀の言い方に引っかかって眉を寄せた。死んだと言うことに、なぜそこまで念を押す必要があるのか?
「ヒャッハハ、そうなの、藤川莉々夢は死んでいるの? 嗚呼、なんだかスッキリしちゃったわ」
 華艶の顔。
 しかし、その声は違う。
 突如、華艶の頭部が爆発して肉片を飛び散らせたかと思うと、中から巨大な唇が現れた。
 フェイスレスマウス!
 今まで由紀の前の前にしたのは、華艶ではなくフェイスレスマウスだったのだ。
 怯えて逃げようとする由紀の腕をフェイスレスマウスは掴んだ。
「逃がさないわよ牝狐ちゃん」
 フェイスレスマウスの股間はズンッと盛り上がっていた。
「いやっ、離して!」
 逃げようとする由紀。どうにかフェイスレスマウスの躰から離れられた。だが、腕は掴まれたまま。なんとフェイスレスマウスの腕は何メートルも伸びていた。
 まるでバネが戻るようにフェイスレスマウスの腕が元に戻り、由紀が抱き寄せられてしまった。
「いやっ!」
 抵抗など無駄だ。
 後ろから羽交い締めにされて胸を揉まれる。尻の割れ目には硬い肉棒を擦りつけられている。そして、極めつけは巨大な舌での愛撫。
 べちょり。
 顔面を食うように舐められ、由紀の顔は唾液でぐしょぐしょになった。
「いやっ、いやっ……やめてちょうだい! なんなのあなた!」
「なにかと聞かれれば、それはボクも知りたいわ。自分がどこから来て、どこへイクのか。頭の中のハエはいつ死んでくれるのか、あしたの朝食はなにしようか、やっぱり血の滴るジューシーな少女の肉がいいわね」
 ぐちょり。
 また舌で由紀の顔を舐めた。
「う~ん、少女とは言えないけれど、悪くないわね。好みのタイプよ、アナタ」
 スカートが捲られ、ショーツが破り捨てられた。
 いきなりの挿入。
「あああっ!」
 由紀の叫び声が木霊した。
 逃げ惑う人々、硬直する人々、多くの人々の前で犯されている。
「いやっ、いやーっ!」
「ゆーちゃんのおま○こガバガバだわね。男を食って食って食いまくってきた汚い穴。ボクが全部掻きだしてキレイキレイにしてあげるわ」
 バックから肉棒を撃ち込む。掻き出すどころか、突き刺さってしまう。
 目の前で繰り広げられる狂乱を前に、ひとりの女性がその場にへたり込んでしまった。そして、フェイスレスマウスと顔を合ってしまった。
「お嬢さんもご一緒にどう?」
 言葉を投げかけられた女性は失禁して気絶してしまった。
「ヒャッハハ! ボクの誘いを断るなんて、ンン~ン、感じちゃう!」
「あんたの誘いなんてだれが乗るかっつーの!」
 響き渡った少女の声――華艶!
「ヒャハハハハハハハ、ボクとアッハ~ンした売女のいうセリフぅ?」
「うっさい! 公然わいせつ、婦女暴行さっさとやめなさい!」
「イ~ヤ~よ。華艶ちゃんヤレるならヤレばいいわ。ただし、おかしなマネしたら、この牝狐のおま○こが大爆発を起こすわよ」
 由紀の体内には凶器が突きつけられているのだ。
 涙ぐむ由紀。
「どうして……どうしてこんな……いや……いや……」
「ヒャッハハ、どうしてですって? どうしてかしらね、ボクも理由を知りたいわ。だってボクはなにも知らないんですもの。なにも、なにも、な~にも知らないの。でもなぜかアナタが男を寝取った牝狐だってことは知ってるの、なぜだかね、なぜかしら?」
「……やっぱり、薄々思ってた。人体爆破テロであのウイルスが使われたときから……でもそんなはずが、そんなはずが……あああっ!」
 激しく腹が内側から突き上げられた。
 フェイスレスマウスは由紀の胸をもぎ取らんばかりに握り潰した。
「ヒィィィィギギギ!」
「イタイの? これってイタイんでしょ? ボクね、生まれたときから痛覚がないから、イタイってわからないの。だからなにをしても心がイタまないのよ。ねェ、アナタはイタイの感じるの?」
「やめて……もう……あああっ、ああああああっ!」
 絶叫。
 思わず華艶は動こうとした。
 しかし、フェイスレスマウスは許さない。
「動くとゆ~ちゃんが死んじゃうわよ。お腹から生まれちゃうのボクの子が。腹の肉を食い破って生まれてくる、嗚呼、ステキ」
 由紀の目から涙の塊が崩れる溶けるように落ちる。
「ごめんなさい……もう許して……あああっ……ゆるひぃぃぃ……私が悪かったああああっ!」
「ヒャッハハ! 謝ることなんてないのよ、人は生まれながらに罪だらけ。謝っていたら切りがないもの。けれど懺悔がしたいのならどうぞご自由に、この世に神なんていやしないけれど、それでもいいなら」
「ああああっ……ひいいいいっ……わたしがああああっ……莉々夢を殺したの!」

《10》

 肉棒で突かれながら由紀は告白した。
「うぐ……ひぃひぃ……私が莉々夢をトラックに突き飛ばしたのぉぉぉ!」
 工作員とのもめごとに巻き込まれたのではなかったのか?
「ああっ……彼の予定では拉致するはずだったんだけど……トラックが私たちの目の前で止まる寸前……突き飛ばしたの……スピードを緩めてたけど……トラックだったから……ひひひっ……ぐちゃぐちゃになっちゃった……ヒヒヒヒッ」
 壊れはじめる由紀。
 身も心も壊される。
 いや、すでに心は壊れていたのかもしれない。
「キャハハハハハハ!」
 犯されながら由紀は狂ったように嗤った。
 結合部から淫らな汁が飛び散る。
「ヒャッハハ! つまらない話。リリムってどこのだれだか知らないし。けれどグチャグチャってとこは大爆笑だわね、ヒャハハハハハハハ!」
 笑い声が木霊する。
 二人の笑い声が反響して、さらに狂宴を高める。
 華艶はフェイスレスマウスを見つめた。
「藤川莉々夢、本当に知らないわけ?」
「知ってるかも知れないし、知らないかも知れないし、物忘れが激しいのよね。けれどボクが生まれる前に死んでいた女なんて、知っているわけがないわ。そうボクは藤川莉々夢なんて知らないの。父殺しの藤川莉々夢。母殺しの藤川莉々夢。違うわ、殺したのはあの子じゃなかったわね。間違え間違え遠い間違い。波に揺られて沈んでイク。はじめてのオトコは孤児院の職員だった……そこにはゆーちゃんもいたわね。ふたりはなかよしだったから、いつもいっしょ、でも死ぬときは違った、ヒャハハハハハハ!」
 ドビュビュビュッドボドボドボ!
 悪臭が辺りを漂った。
 まず気を失ったのは由紀だった。
 肉棒が抜け、床に倒れて肉壺からドロリと黄色い汁を垂らした。
 強烈な臭いが立ちこめる。
 腐った魚の臭いに似ている。
「ヒャッハハ! ボクの新作よ、空気感染するわ」
「ウイルス!」
 華艶が叫んだ。
 周りにいた人々が次々と倒れていく。
 すぐに華艶は服の袖で口と鼻を覆ったが、この程度で効果があるとは思えない。華艶が倒れずにいるのは、驚異の治癒力のお陰だろう。
 フェイスレスマウスは力強い肉棒を手で擦りながら、ケツを振って踊っている。
「死にはしないわ。そうね~、まずは全身の毛という毛が抜けるの、それからそれから、毛穴から異臭がするようになるのよ。そりゃもう臭いったらありゃしない。臭くて臭くて普通の生活なんてしてられないわ。もちろん恋人もできないでしょうね、カワイソウに。童貞ってどのうち魔法使いになれるんですって、知ってたかしらん?」
 二人組の警官がやっとこの場に駆けつけた。
 警官はいきなり銃を抜いた。相手はフェイスレスマウス、すぐに撃つつもりだ。
 フェイスレスマウスの脚が伸びた!
「ボクのほうが立派ね!」
 蹴りが警官の腹を抉って一発で気絶させた。
 だが警官はひとりではない。
 銃声が響く。
 ほぼ同時にフェイスレスマウスが胸を押さえた。
 そして、手を離すとそこには真っ赤なバラが咲いていた。
「ボクと勝負したきゃ大砲でも持って来なさい!」
 フェイスレスマウスが親指で指差したのは自らの大砲。
 発射した!
 肉棒の先端から黄色いゼリー状の物質が吐き出され、銃を撃った警官の顔面に直撃した。
「うぐっ!」
 呻いた次の瞬間には、警官は気絶して倒れていた。
 これで警官は片付けた。応援はすぐに来るだろうが、今この場に立っているのはフェイスレスマウスと華艶。
「ワクチンは?」
 尋ねる華艶。
「ココよ」
 答えたフェイスレスマウス。
 ココと指差したのは肉棒の付け根だった。そこには肉襞が口を開けて涎れを垂らしていた。
「ボクの胎内でちゃ~んと温度管理しているわ。ここでおねんねしてる子たちの分くらいは、あるんじゃないかしらん?」
「本物でしょうね?」
「本物よ」
「本当に本当に?」
「疑っても本物は偽物にならないわよ」
 そうとわかれば!
「炎翔破!」
 多少の炎なら焦げるだけで火災にはならないはず。それに命中させれば問題ない。
 フェイスレスマウスは炎玉を巨大唇にもろ受けてよろめいた。そのままブリッジしながら倒れ、バネのように起き上がった。
「イヤね、唇が乾燥しちゃったわ」
 巨大唇が剥がれ落ちる。
 中からなにか出てくる!
 そんなのを待っている華艶ではない。
「火炎蹴り!」
 接近からの回し蹴り。
 炎を纏った足は肉を焦がすため受けることは通常できない。
 だが!
「ハァ、アンタだれにケンカ売ってんの?」
 相手は素手で華艶の炎を足ごと受け止めた。
 その顔は――。
「姉貴!?」
 顔を青くした華艶はすぐさま飛び退いて距離を取った。
 相手はフェイスレスマウスだ。それはわかっているが威圧感が姉と同じ。もっとも戦いたくない相手だった。
 足を肩幅くらいに開いた〝麗華〟は、片手を腰に当て、もう片手で華艶を指差した。
「アタシにケンカ売るなんてバカなの? ドジなの? マヌケなの? たかが妹分際で天下のお姉様にケンカを売ろうなんざ一億光年早いんだよ、ヴォケカス!」
「うう……ごめんなさい、もう絶対に……って、姉貴のマネなんてそっちこそ一億光年早いっつーの!」
 偽物などに惑わされない。
 炎術士相手では炎は無力だ。華艶は通常の殴りを繰り出した。
 〝麗華〟は微動だにしない。冷たい眼。すべてを見下す冷たい眼。
 殴れなかった。
 華艶の拳は〝麗華〟の鼻先数ミリのところで止まってしまっていた。
 嘲笑する〝麗華〟。
「仏じゃないから3度もないわよ。少しでも触れてみなさい、腕ごとねじって千切るから。アンタは今、この世の神を目の前にしているの、わかるわよね女神様」
「あ~~~~ッ、殴れない!」
 悶絶しながら華艶はうずくまってしまった。
 例え偽物でも殴れない。偶像崇拝のようなものだ。
 〝麗華〟が華艶の横にしゃがんだ。
「いい子、いい子、しっかり調教されてるわね」
 華艶は頭をなでなでされながら、ぶつけようのないモヤモヤに苛まれた。
 姉には勝てない。
 力や勉強、数値的な問題ではない。DNAに組み込まれたがごとく、いや、万物の絶対の法則なのだ。
 〝麗華〟の繊手が華艶の首に巻き付いてきた。
「もっと調教してあげるわ」
 いきなり下腹部が擦られた。
「ひゃっ……姉貴……やっン」
 姉に淫らなことをされてしまう。
 柔らかい肉まんじゅうを包み込むショーツを、ぎゅっぎゅっと指で押される。
「そんなことされたら……割れ目に食い込んじゃう」
 ショーツが割れ目に食い込んでしまう。そしたら、すぐに気づかれてしまう。もう濡れてるって。
 吐息のようなぬくもり。
 ショーツの割れ目にじゅわぁっと愛液が染みが浮かんだ。
 〝麗華〟が薄ら笑いを浮かべた。
「あらあら、もう濡れちゃったワケ? そっちが準備万端ならヤッちゃうわよ」
 ショートの中に繊手が乱暴に侵入してきた。
 割れ目をこじ開けて、中指と薬指が突き刺さった。
「あぅっ!」
 2本の指を少しの前戯で呑み込んでしまい、その恥ずかしさで華艶は目を伏せた。
 〝麗華〟は華艶の胸を揉んだ。服の上からこねるように、グリグリと揉んだ。
「ヤルわよ、すぐにナカでイカせてあげる」
 激しいシェイクがはじまった。
 愛液が泡立つ。
「あっあっあっあっ……んぐ……いきなり激しすぎだよ……あぅン!」
 受け入れる準備が出来ていなければ、痛くて苦しくて快感なんてない。
「くうう……だめっ……そこ、押しちゃ……だめぇぇんン!」
 感じてしまっている。
 乱暴にされながら感じてしまっている。
 ナカで指を曲げられ、お腹のほうを押されている。押し上げてる指の形がわかってしまう。激しい、激しく突かれてる。
「うっ……壊れちゃう……あんまり激しく……いいいっ」
「だいじょぶよ、アンタ躰丈夫なんだから。ホントはもっと激しいの欲しいんでしょ? 熱く熱した鉄の棒みたいなのが」
「欲しくなんか……だめだから……もうこれ……イッ……じょうは……」
「あげるわ、熱い鉄の棒みたいなの。きっとこんなの味わったことないと思うわ。お姉ちゃんが特別なのあげる」
「……ッ!?」
 華艶の瞳孔がいっきに開いた。
「なに……熱い……すご……いいっ……熱いのなに!?」
 感じたときに躰が熱くなるのとは違う。
 絶頂を迎えたとき、秘奥から湧き出す炎の力とも違う。
 燃えているのだ。本当に燃えているのだ。胎内で炎を焚かれているのだ。
 炎を宿した〝麗華〟の指が肉壁を熱く溶かす。
「ほらほら、熱くて気持ちいいでしょう? 普通の人間なら悶え死んでしまうけれど、アタシなら平気。炎の快楽をもっとも味わえる場所が女のここなのよ」
「ひぃぃぃぃっ……これすごいいいっ……すごいのがナカにいるよ……暴れて、膨らんでる……あふぅぅぅうン……ひぐっ、ひぐっ……しゅごひひひっ!」
 それがなんだかわからない。得体の知れないモノ。未知の刺激。
 指なのか、熱風なのか、それとも別の生き物か?
 貪欲に、あさましいまでのアヘ顔を晒す華艶。
 舌を垂らし、目を白黒させて、腰を自ら動かした。
 涙が出る。なんの涙だかわからない。目頭からじゅっと涙が溢れた。
「熱いのが……ナカが熱いのでいっぱい……大量の熱いセーシぶち込まれてるみたい……ひゃあああン……熱ひぃぃぃっ!」
 胎内からの熱は全身を包み込み、まるで温かい海に沈んでいるような錯覚に陥る。熱い精液の海に揺られているような、溺れているような、海底に沈んでイク。
「あふぅ……イキそう……イッっていい? お願いイカせてください……もう苦しいの……」
「いいわよ、イクことを許してあげる。お姉ちゃんの目の前で、イッちゃいなさい。変態でいやらしい華艶を全部見てあげるから」
「イク……イキます……だ……はあぁぁぁぁぁんぐッ!」
 華艶の躰が跳ね上がった。
「また……連続でイッ……くぅぅぅぅぅぅン!」
 腹から飛び上がる。
「ひぐっ……ひぐっ……」
 断続した痙攣。
 ナカから指がいったん抜かれた。
 すると、秘所が爆発したような飛沫が湯煙と共に噴き上げた。
 愛液の間歇泉[かんけつせん]だ。
「ひぐぐぐぐぅぅぅぅっすごひひほぉぉぉぉぉっ!」
 無様な醜態一色の顔で華艶は叫んだ。
 全身から力が抜けていく。
 躰は痙攣しているが、自分の自由にはならない。手を持ち上げる力も入らない。精力をすべて放出してしまった感じだ。
 床に寝転がる華艶を見下ろす〝麗華〟の冷笑。
「さあ、次はどうしようかしら。お姉ちゃんの股間におちんちんを生やすなんてどう? 妹のアソコにお姉ちゃんのが入るのよ?」
「……はぁはぁ、はぁはぁ」
 華艶は返事もできない、視線は上を向いているが、どこを見ているかは定かではない。目は漠然とものを映しているだけ。
 〝麗華〟が嗤った。それは〝麗華〟の表情ではない。
 次の瞬間、〝麗華〟は顔面を抉られよろめいた。
「アタシの妹になにしてくれとんじゃボケカスッ!」
 拳に炎を宿したスーツを着込んだ凜とした女。
 ぼやけた視界の中で華艶は見た。
「あね……き?」
 対峙する〝麗華〟と麗華。
 そして、呪符縄が飛翔した!
「報酬は半分だな。公然猥褻罪で起訴するかはあとで考える」
 呪符縄を握り締めているのは水鏡だった。
 華艶は自分の目を疑った。
 水鏡の今まの口ぶりからして、このタッグはありえないはずだった。
 口から流れた真っ赤な血を手の甲で拭った〝麗華〟。
「自分の顔を殴るなんていい度胸してんじゃない」
「ハァ? 唯一絶対のアタシが二人もいると思ってんの、バカなの? ぜんぜん似てないから、死ねよカス!」
 麗華の連打。
 パンチの猛襲からの回し蹴り。すかさず指を組んだ拳を〝麗華〟の脳天に叩き落とした。その戦闘スピード、その攻撃力は華艶を凌駕する。
 踊る呪符縄が〝麗華〟の両手首を拘束した。
 麗華の下段回し蹴りが決まり、〝麗華〟が足を掬われ転倒。浮いた足にはすぐさま呪符縄が巻き付いた。
 全身拘束。
 水鏡刃の呪符拘束が完成した。
「この契約の楔は断ち切れないぞ。検事として逮捕権を行使させて貰おう。君をここで逮捕すするフェイスレスマウス!」
 かっこつけている水鏡の横で麗華が舌打ちした。
「チッ……いいとこ持っていくわね。まあ、たまにはアンタに花を持たせてやってもいいけど」
「超法規的措置で、この場に連れてきてやったのは誰だと思っている?」
「はいはい、今度裁判が一緒だったらラーメンおごってあげるから」
「買収はされる気はない」
 辺りの空気は二人のものだ。もう事件は解決した。
 しかし――。
「ヒャッハハハハハ! 捕まっちゃったわん、まだまだ夜は長いのに残念。ゲームに勝利したアナタたちに商品をあげるわ。そうね、MVPの華艶ちゃんこっちへいらっしゃい」
 華艶は覚束ない足取りでフェイスレスマウスに近づく。
 水鏡が注意を促す。
「肉体は拘束してある。魔導の類も使えないはずだ。しかし、気をつけろ」
「はいはい」
 姉と同じような言い方。水鏡はムッと来たが、髪の毛をかき上げて鼻で笑って抑えた。
 フェイスレスマウスは躰を完全に拘束されている。呪符を巻き付けられた姿はミノムシのようだ。
「こっちに来たら、この包帯みたいなのの隙間から股間に手を突っ込んでくれるかしら? ワクチンをあげるわ。あと親切で言ってあげるけど、もうだいぶ拡散しているみたいだから、早く駅を封鎖した方がいいわよ。みっちゃんもいつ感染するか」
 それを聞いて水鏡ははじめて知った。
「まさかウイルスが空気中に拡散しているのか!?」
 華艶は意地悪そうな顔をして答える。
「ハゲになって体臭きつくなるウイルスだって。あと童貞も治んないって」
「最後のは嘘だろ絶対に嘘だろ。ハゲと体臭も怪しいぞ!」
 そこにフェイスレスマウスが口を挟む。
「本当よ。ハゲて体臭がきつくなって、一生童貞になるウイルスよ、ヒャッハハハハハハ!」 すぐに水鏡はハンカチで口と鼻を押さえた。そんなに童貞が怖いのだろうか。
 華艶はフェイスレスマウスの股間に手を伸ばした。ワクチンのためとはいえ、ためらわれる行為だ。
 恐る恐る股間に手を伸ばし――ブフォッ!
 黄色い煙が突然華艶を包み込んだ。
「げほっ、げほっ……なにこれ……くっさ~っ」
「ヒャッハハ、お腹壊してるのよね、オナラ出ちゃったみたい。ちょっと実も出ちゃったかしら、ほら、口から」
 フェイスレスマウスは舌を出した。その上に乗っている謎の小瓶。
 華艶は素早く小瓶を取った。
「これがワクチン? 股間にあるんじゃなかったわけ?」
「勘違いだったみたい、それが本物のワクチンよ。さっ、これで舞台の幕を閉じましょう。エンドロールは見ない派なの、だから早く連行してくれるかしら?」
 呪符縄の妖力によってフェイスレスマウスの躰が宙に浮く。
 先を歩く水鏡。
 フェイスレスマウスが連行されていく。
 華艶の横を通り過ぎ、だいぶ先に行ったところで、フェイスレスマウスの巨大唇が180度回転した。
「まあ遊びましょうね華艶ちゃん。アナタのこと遊んでると、なんだか……そう、懐かしい気がするのよね。ずっと昔から見知った顔のひと遊んでいるみたいな」
「やっぱりあなた……」
 つぶやいた華艶。
 もうフェイスレスマウスの姿は消えていた。
 そして、麗華が真剣な顔をして、
「あのバカ検事。ウイルス拡散してるって聞いたのにもう忘れたワケ? バカなの? アホなの? 死んでも治らないんじゃない? どこまで連行する気なのかしらね、アホめ」
 そして、この日街は――バイオハザードに見舞われかけたのだった。
 後日、ハゲ頭の検事が謝罪会見を開いたとか開かないとか……。

 まどろむ道化師(完)


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