第1話_桃髪の仔悪魔

《1》

 ガイアと呼ばれるこの世界には、魔法を使える魔導士と呼ばれる者たちが数多く存在している。
 世界にその名を轟かす魔法大国アステア王国には魔法を教える学校が存在する。
 その中の一つ、クラウス魔導学院と呼ばれる学校は、クラウスが即位したときに一緒に建設された。
 その学院は魔導を極めんとする13歳から18歳までの男女が通う学院がある。
 この学院は今年で創立15年周年を迎えることとなったのが、今この学院では創設始まって依頼の問題児を抱えていた。それもひとりではなく、複数の問題児がいることが問題なのだ。
 中でもこの生徒の問題児ぶりは、ヒドイ。
 その生徒には根本的な問題があり、それを直さない限りは、ずっとあの名で呼ばれるだろう。この学院の生徒たちはその人物のことをこう呼ぶ、『へっぽこ魔導士ルーファス』と――。

 パステル風の色を使った石やレンガなどで作られた建物の色調が柔らかく、明るく澄んだ感じの町並みを舗装された石畳に沿って進み、噴水のある広場を抜けたその先にクラウス魔導学院がある。
 この学院の歴史は浅いが、名門と呼ばれる魔導学院だ。
 その学院内にある実習室で、魔導法衣をきっちりと着こなしながらも、灰色がかったアイボリーのサラサラヘヤーを後ろで適当に束ねた長身の青年が、顔を緊張の色に染めていた。
 今その青年は、悪魔召喚を担当とする黒尽くめの教師――ファウストの元、追試を受けている真っ最中だった。つまり、ここにいる青年は前回のテストで赤点を取ってしまったということだ。
 そう、その追試を受けている青年こそが本日16歳になったばかりの魔導士(仮)のルーファスだった。
「ファウスト先生……これに火を点けるんでしたよねえ?」
「自分で考えなくては追試の意味がないだろう(全く、世話の掛かる生徒だ)」
 腕を組むファウストは深く息を落とした。彼がため息を付くのも無理はない。なにせ、ルーファスは追試の常連だ。この学院も滑り込みで入学した。
 真剣な顔をしたルーファスはファウストが見守る中、初歩魔法で人差し指の先に小さな火を出し、香炉に灯し香を焚いた。悪魔の好む匂いが狭い部屋の中に充満していく。
「ファウスト先生、あの、ここで呪文唱えるんですよね(あ~、だんだん緊張してきたなぁ~)」
「呪文を唱えている最中はそれだけに集中しろ、呪文とは関係のない言葉を一言でも発したら失敗だからな」
 腕まくりをしてルーファスは魔導書を開くと、悪魔を無償で奉仕させる為の呪文を唱え始めた。これを唱えなければ願望を叶える代償に魂などを求められてしまう。
 ルーファスは一字一句間違えないように、魔導書を食い入るようにして顔を近付け、慎重に呪文を唱えていたのが、そんなルーファスに不幸が襲い掛かった。
 今回悪魔を呼び出す為に使った香は、ルーファスにとって今までに使用した事のなかった香だった。それが不幸を呼んだ。
「…………っ!?(な、なんか身体がムズムズする)」
 どうやらルーファスはこの香のアレルギーだったらしく、香炉から上がる煙を吸い込む度に全身のかゆみなどに襲われる。
「(も、もう我慢できない!!)……は、は、はっくしょん!!」
 ついにルーファスは呪文詠唱中に大きなくしゃみをしてしまった。これはマズイ。非常にマズイ事態が起きてしまった。
 ルーファスはすぐさま助けを請うべく近くにいたファウストの顔を見たが、彼は蒼い顔をしていた。
「ルーファス失敗だ。悪魔に憑かれているぞ、おまえ(私が付いていながらなんたる失態だ、ククッ)」
「え、ええ! どこですか!?(……これってヤバイのか?)」
 召喚は完全に失敗したのだ。『は、は、はっくしょん!!』と言葉が呪文として認識されてしまった。
 だが、悪魔の姿は見えない。しかし、声が聞こえた。
「イエーイ! ビビちゃんこの世界に召喚だよ~ん!」
 悪魔の声はルーファスの影から発せられていた。しかも、その声は、若い乙女の声っぽいではないか!?
 ルーファス&ファウスト沈黙。悪魔の声にちょっと戸惑い。まさか、いきなりハイテンションで来られるとは思ってもみなかったのだ。
 そんな二人にはお構いなしで悪魔は勝手におしゃべりを始める。
「えっと、アタシの名前はシェリル・ベル・バラド・アズラエル、相性はビビ、よろしくね♪ これでも魔界ではちょ~可愛い仔悪魔でちょっとは名前が知られているんだからね」
 悪魔はルーファスの影の中でしゃべっているので真の姿は見えない。そんなしゃべる自分の影をルーファスは泣きそうな顔で指差した。
「ファウスト先生……どうしましょう?(悪魔ですよ、悪魔!!)」
 仔犬のような瞳でファウスト先生のことを見つめるが、ファウストはルーファスの事を莫迦にしているのか、この状況を楽しんでいるのか、口元を歪め微笑している。
「取り憑いた悪魔をどうにかしないと赤点決定だ(クク、全く世話の焼ける生徒だ)」
 口元に手を当てせせら笑うファウストは、咳払いを一つしてさっさと職員室に帰ってしまった。
 残されたルーファスは、大ショック! ルーファス的大ショック!!
「せんせぇ~……(ぐすん)」
 床に膝を付き、手を伸ばすがファウストの姿はもうそこにはない。情けないとしか言いようのないルーファスがここにいた。
 そんなルーファスに見かねてかどうかはわからないが悪魔が声をかけてきた。
「男の子のクセして情けないよぉ、アタシのパートナーになったからにはしっかりしてくれないとぉ~(こんなのに召喚されてついてないなぁ~)」
 自分の影を見つめるルーファスがぼそりと呟いた。
「……還ってくれないかなぁ?」
「え、何?(還れ?)」
「あの、その、間違って召喚しちゃったわけだし……その、え~っと(早くどこかに行って欲しい……ぐすん)」
「ええ~っ、うっそ~! アタシのこと間違って召喚したの?(このアタシを間違って召喚だなんて失礼しちゃう)」
 悪魔にしてみれば間違って召喚されるなどとんでもないことだが、ルーファスとしては穏便にお帰り願いたかった。
「えっと、だから、還って!」
「ダメだよぉ~、呼ばれたからにはタダじゃ還れないね。うん、魂とか貰わないと……」
 ルーファス的ショック!
「た、魂ぃ~!!(こ、殺されるの!?)」
「当たり前だよぉ、アタシとアナタの契約の代償は魂になってるんだから」
「だから、それは間違って……(私は天に召されてしまうのか……ぐすん)」
 ルーファスは今、命の危機さらされてしまった。しかも、自分の失態で……情けない。情けなさすぎである。
 絶望の淵に追いやられ、わけのわからなくなってしまったルーファスは、天を仰いで民謡を歌い始めた。
「あひるさん、あひるさん、溺れた、溺れた、ガァー♪(ふふふ……)」
 ルーファス完全の飛んでいた。帰還するのは大変かもしれない。
 こんなブルーになるような歌を口ずさむ廃人を見かねてか、悪魔はため息混じりにこう言った。
「しょーがないなぁ~。今回は特別に何もしないで還ってあげるよ(こんなひとから魂なんてもらったら寝覚めが悪くてしょーがないもん)」
 この言葉を聞いたルーファスに生命の息吹が戻り、宙をジャンプして喜びを表現した。
「ほ、本当、ありがとう!!(あ~、よかった)」
「じゃあ、アタシ還るね(さっさと別の人に憑かなきゃ)」
 心から安堵するルーファスに別れを告げて還ろうとする悪魔だったが……。
「あれっ?」
 悪魔が素っ頓狂な声を上げた。思わずルーファスの動きも止まる。
 まさか……!?
「どうしたの? 早く還りなよ」
「えいっ! ……あれぇ?(おかしいなぁ?)」
「……どうしたの?(嫌な予感がするんですけど)」
 それは予感では済まなかった。
 仔悪魔はさらっと言い放った。
「還れないみたい」
「…………」
 ルーファスの思考一時停止――。ルーファス再起動。
「……今なんて言ったの?」
「う~ん、原因はわからないんだけど、あなたの身体から離れられないみたい(こんなこと初めてだからなあ?)」
 ルーファスフリーズ。だがすぐに解凍、そして爆発。
「な、なんだって!! 何っ還れない!! どういうこと!!」
 脳内で処理できない事柄はパニック現象を引き起こす。ルーファスはそれが特にわかりやすく外に出た。
「さっき間違ってアタシを召喚したって言ったでしょ? きっとそれが原因だよ(……たぶんだけど)」
「ど、どどど、どうすればいいの?(あ~、カミサマ私はなんて不幸なんでしょうかぁ~……ぐすん)」
「アナタとの契約内容は、アナタの魂が尽きるまで願望を叶えるというものだから……きっと、アナタが死ぬまで離れられないのかな?(……イマイチ自信ないけどね)」
「ま、マジで?(泣)」
 絶望の淵へと再び追い詰められたルーファスは、独りになろうと部屋の隅に行くが、彼の影は当然彼とともに移動する。
 部屋の隅でルーファスは体育座りをして『の』の字を涙で床に書く。――そんな彼には解決の糸口はきっと見つからない。
 また歌を歌って現実逃避をし始めたルーファスの影に変化が起きた。な、なんと影の中からピンク色をしたツインテールの髪の毛らしきものがニョキっと生えぴょんぴょんと揺れ動き、しばらくして黒い物体が這い出して来た。
 ルーファスは目を見張った。
「!?(マジで!?)」
 ルーファスが今目の前にしているものは、ツインテールのピンクの髪の毛に黒い生地にフリフリレースのついたゴスロリ服、――靴の底は高い。
「っもう、ショ気ててもなんにもならないでしょ?(涙いっぱい流して、子供じゃないんだから)」
 あどけなさの残る13~15歳くらいの美少女の足が、短めのスカートからスラリと伸び、仁王立ちを作っている。これはルーファスにとって新たなショックだった。
「君が悪魔?(人形みたいに可愛いけど……どう見てもお子様)」
 今ルーファスの前に立っているゴスロリ少女が悪魔の真の姿だった。
「だから、アタシはちょ~可愛い仔悪魔のシェリル・B.B.アズラエル。愛称はビビ、歳は今年で426歳、えっと好きな食べ物は人間の魂とチョコも好きだよ、甘いやつね、それから、それから、(え~っと……)」
 こんな悪魔を目の前にしてルーファスの口は思わずツルっと滑った。
「こんな子供に魂取られるなんて、ヤダよぉ~(大泣)」
「子供とは失礼ねえ、これでもアナタより何十倍も生きてるだから(アタシから見ればアナタの方がよっぽど子供よ)」
 ちなみにこの悪魔はルーファスの約25倍生きている。
「私より長生きしてるなら、還る方法探してよ」
「だから、アナタの魂を全部貰うまで還れないって(たぶんだけどさあ)」
 悪魔はそれを実際にわかりやすく見せるためにルーファスから遠ざかろうと離れたが、5メティート(約6メートル)のところで足は動いているのに前に進まないという現象に襲われた。
「わかった? これ以上は進めないの(……本当は無理すればもうちょっと行けそうだけど、アタシの存在が危うくなりそう)」
 ルーファスはこくこくと頷いたあと、悪魔から離れるようにして急に動いた。
「あうっ!(いきなり動かないでよ!)」
 悪魔の身体はルーファスの動きに合わせて引っ張られた。
「……本当だ」
「『本当だ』じゃないでしょ、いきなり動かないでよ、ビックリするでしょ?」
「ごめん……でも、困った(ホントどうすればいいの?)」
 まだまだ、未熟な魔導士ルーファスには本当にどうすればいいのかわからなかった。しかし、方法がないわけではない。
「(この子を消滅させれば……でも……)」
 この悪魔を消滅させればルーファスは無事解放されるが、ルーファスにはできなかった。消滅イコールそれは相手を殺すということになる、もともとルーファスはそんなことのできる人間ではなかったし、それにこの悪魔の見た目が人間と全く同じでしかも少女だったことが余計にルーファスに戸惑いを覚えさせた。
 しかし、相手は正真正銘の悪魔だった。
「魂全部くれればきっと嫌でもアタシはアナタから離れることになると思うから、よろしくね♪」
 少女は本当の悪魔の笑みを浮かべた。その笑顔は激マブだが、騙されてはいけない。相手はルーファスの魂を取ろうとしているのだ。
 肩を落とし暗い影を落とすルーファスの肩をポンと軽く叩く悪魔。
「外に出てると疲れるみたいだから影の中に戻るね」
「あ、うん(どうしよ~、どうしよ~、どうしよ~)」
 『どうしよ~』で頭のいっぱいのルーファスは気のない返事しか返せなかった。今の彼はそーとー追い詰められている。
 影の中から声がした。
「あ、そうだ、アナタの名前聞いてなかった」
「え、私、私の名前はルーファス」
「ルーファス、名前は結構カッコイイね。じゃあ〝ルーちゃん〟ね、アタシのことはビビって呼んで」
「……あ、うん」
 そんなこんなで、この日からルーちゃん&ビビの〝祓う〟か〝奪う〟かの奇妙な共同生活が始まってしまったのだった。

《2》

 自称ちょ~可愛い仔悪魔ビビはルーファスの願望を叶える代わりに、それに見合ったルーファスの魂の一部を貰い、それを生きる糧とする。そして、ルーファスの魂を全部使い果たせば、ビビはルーファスの影から解放される……っぽい。ビビ自身も確証はないが、たぶん離れられるに違いない。
 今のビビはルーファスの中途半端な召喚術のために、ルーファスの影から長い間離れる事ができなくなってしまっていた。影から離れると急激に体力を消耗してしまううえに5メティート(約6メートル)以上離れることができない。
 だからビビはルーファスの影を拠り所としていて、そこから人間界で自分の存在を維持する為、全てのモノが持っていると云われる生命の源『マナ』を貰っている。
 マナの語源はこの世界の古代語で、『名誉』や『威厳』といった意味合いの言葉である。
 今この世界でルーファスの影を拠り所としているビビは、その為に影から出ることやルーファスの身体を長時間離れることに制限ができてしまっているのだ。
 そんなわけで二人は必然的にいつも一緒にいることになる。
 自宅のソファーらしきものに腰を掛けるルーファス。〝らしい〟というのはこの部屋が散らかり過ぎていて、この物体が本当にソファーかわからないからだ。まさに足の踏み場が無いというのは、こういう光景のことをいうのだろう。
 へっぽこ魔導士ルーファスの名を大人から子供、お隣さんの猫まで(どこの猫だよ)知らぬ者はこの国にはいない。そんな彼のへっぽこぶりと部屋が汚いのはきっと何か関係がある。つまりズボラ。
 ソファーに腰掛けるルーファスは、昨日から今日の今までの昼間ちょい過ぎまで考えていたことを深く、深~く考える。そして、深く考えすぎて、眠くなって寝る。
 ガクっと首が動きパッと目を覚ます。
「(……寝るところだった)」
 寝そうになってどうする。深く考えるほどの難題があるのではないのか?
 ルーファスは昨日から悪魔ビビを祓う方法を一生懸命考えたのだが、ビビの存在を消滅させる方法は浮かんでもそれ以外の方法は全く浮かばなかった。
 悪魔の見た目は普通の少女と何ら変わらない。そんなビビをルーファスは消滅させることはできなかった。
 再び深く深~く考えるルーファス。そして、また深く考えすぎて、深い眠りが……。じつはこのソファー、すっげぇふかふかしていて眠りを誘う魔のソファーだった。実際ルーファスはこのソファーで寝てしまうことが多い。
 ガクっとルーファスの首が曲がり、すやすやと静かな寝息が聞こえてきた。ルーファスは完全にソファーの魔力に負けたのだ。
 そんな至福の時を味わっているルーファスの安眠妨害をする者がいた。この家の奇妙な同居人だ。
「ねえルーちゃんお腹空いたよぉ」
 子供のようにポカスカと両手でルーファスを殴り喚く仔悪魔ビビ。彼女は今すっごくお腹が空いていた。
 お腹が空いたというのは人間が食するような食物を欲しているのではなくて、魂を欲しているのだ。
 ビビは人間が食べるような食べ物を食べて栄養を摂取することもあるが、それ以外に魔力の源として人間の魂を必要としている。人間の魂を喰らうことによりビビは、強力な魔力や若さを保つことができるのだ。
「お腹空いたよぉ~(もう死ぬぅ~)」
 近くで喚かれたルーファスは眠たそうに目をこすりながら返事をした。
「もうぉ、ちょっとは寝かしてよ(昨日から全然寝てないんだから)」
 昨晩はビビを祓う方法を考えて過ぎて眠れなかったのではない。ビビのことで眠れなかったのは変わらないが、その理由はしょーもないものだった。
「別に寝なくてもいいじゃん、アタシなんて寝なくても平気だよ!」
「ビビは寝なくても平気かもしれないけど、純人間の私は寝ないと持たないの(……昨日から、ずーっと元気なままだよな、この子は……)」
 不眠の理由、それはビビの遊び相手として一晩中付き合わされたからだ。この悪魔ビビは寝なくても平気らしい。
「お腹が空いたぁ、お腹が空いたぁ、お腹が空いたぁ~!!」
「……見た目と一緒で性格も子供」
「だから、子供じゃないって言ってるでしょう! これでも426歳なんだから」
 ビビは頬っぺたを膨らませて顔を真っ赤にした――この仕草は子供だ。いくら426歳だろうが、ビビは子供としか言いようがなかった。
「頬っぺたを膨らませる仕草は十分子供だと思うけどな(どっからどう見ても、可愛い女の子だもんな)」
「子供じゃないもん(友達とかにも子供扱いされるけど、立派な悪魔なんだから)」
 ビビは悪魔友達からも子供扱いされているらしい。
「そうやって、拗ねてる感じも子供っぽいよ」
「もぉ、うるさいなあ!」
「そうやって、怒るのも子供っぽい」
「しつこい!」
 ルーファスはちっちゃくて可愛い女の子をイジメるのが以外に好きだったりした。断っておくがルーファスはロリコンではないのでご注意を。
 ビビのお腹がぐぅ~と鳴いた。それにつられてかルーファスのお腹もぐぅ~っと鳴いた。
 同時にお腹を擦る二人。
「お腹空いたよぉ~」
「……う~ん、たしかにお腹が空いたね(どうしようかな?)」
「この際魂じゃなくてもいいから、何か食べ物調達しに行こうよぉ(本当は魂の方がエネルギーになるけど……)」
「えっと、じゃあ市場にでも行こうか?」
「大賛成!」
 笑顔を浮かべ両手をうれしそうにあげるビビの無邪気な姿は、人間の魂を喰らう悪魔になんて絶対見えなかった。ここにいるのはあどけなさの残る〝426歳〟の少女だ(笑)。
 悪魔がこんな少女だからこそ、ルーファスは余計に消滅させることはできなかった。

 ルーファス宅からバザールと呼ばれる市場までは少し離れているので、そこに行く為に乗り合い馬車を使用する。
 この世界には空を飛ぶという魔法もないこともないが、その魔法は高度で体力などのエネルギーを多く使用する為に移動手段としては実用的ではない。
 狭い馬車に揺られるルーファスの横にはビビがいる。つまり、言うまでもないが影から出ているということ。
 ビビの見た目は少し目立つ服装をしているものの、そこらにいる女の子となんら変わりもない。
 馬車の中には数人の客が乗っているが、ビビのことは少しは変わった服を着ているとか可愛い女の子だなと思うかもしれないが、それ以上は気にも止めなかった。ある人物がこの馬車に乗り合わせるまでは……。
 この乗り合い馬車は決まった停車場所で客を乗り入れるが、道ばたで乗り込むことも可能だった。
 馬車が緩やかに止まった。ここは停車場所ではない。
 空色の生地に白いレースをあしらったドレスを着た美しい女性が、さしていた日傘を閉じて車内に乗り込んで来た。生っ粋のお嬢様のようだ。
 馬車の出入り口には乗務員がいて、乗ったらすぐに行き先をその人に言って料金を前払いする仕組みになっている。
「……魔導学院まで」
 ゆっくりとした口調で、透き通るような、そこに無いような声色だった。それに対して乗務員が料金を言う。決まった停車場所以外で乗った場合、料金は客が乗り合わせた前の停車場所から、客が言った停車場所までになっている。
「16ラウルです(いつも、ここで乗るんだよなこの子)」
 空色のドレスを着た女性は、硬貨を乗務員の手のひらの上に落とすようにして料金を支払った。
 馬車はすでに再び走り出しており、ガタガタと揺れている。馬車の中には席が設けられていて、そこに座りきれない場合は立って乗る。
 席はまだ空いている。が空色のドレスの女性はガタガタと揺れる車内の中を立っていた。しかも、ただ立っているだけではなかった。この女性はルーファスのことをずぅーっと凝視している。
 無表情の顔がルーファスのことをずぅーっと見ている。ルーファスもその人物のことをずぅーっと見ている。二人の間には変な空気が流れている。そして、空色のドレスを着た人物が口をゆっくりと開いた。
「……ひさしぶり、へっぽこくん(ふにふに)」
 この言葉を発した一瞬だけ、冷めたような目をしての口元が少し歪んだ。ルーファスを少しバカにしているような態度だった。そして、すぐに無表情に戻る。
 ひさしぶりと言われたルーファスは当然相手のことを知っている。この人物の名前はクリスチャン・ローゼンクロイツ、ルーファスが魔導学園に通っていたころからの知り合いで、今も一緒のクラウス魔導学院に通う同級生で、しかもクラスが一緒だったりする。そして、もうひとつ、彼女は彼女にあらず、彼だった。
「こっちこそひさしぶり(今日学校休みなのになんで学院に行くんだろ?)」
「なんで学校に行くのか聞きたい顔をしているよ。実はね、出席日数が足らなくて進級できないらしい……ちょっと自分に苦笑(ふ~)」
 ローゼンクロイツは口に手を当て苦笑するとすぐに無表情な顔に戻った。そして機械のような正確な歩調で歩き、ルーファスの横の席に座った。
 ルーファスの右手にはビビが座っていて、彼女はルーファスごしに覗き込むような姿勢をとってローゼンクロイツを見たあとルーファスに聞いた。
「知り合いなの?(電波系って感じがするな~、ちょっと)」
「小さいころからの知り合いで、今も同じ学校に通ってる(クラスじゃあんまり見かけないけど)」
 ローゼンクロイツは学校には来てはいるが授業には出ていない。そのため授業の出席日数が足らなくて進級が危うい。だが、彼は勉強や魔法を使う能力などは生徒の中で1、2を争う程で、授業に出ないで魔法の研究を独自にやっていて功績も納めている。ルーファスとはそこが違う。
 ローゼンクロイツは突然ぼそりと口を開いた。彼の思考は天才肌で少し常人と違っている。そして、勘が鋭い。
「そうだ、忘れてた(ふにゃ)」
「何を?(……ローゼンクロイツの思いつき発言は、いつも何かが起こる前触れ)」
 嫌な顔をするルーファスの心臓はバクバクだ。彼の嫌な予感はよく当たる。それは自分でも自覚している。
「嫌な顔、しない、しない、そんな顔していると嫌なことが本当に起こるよ(ふにふに)」
「だって、君の思いつき発言は何かが起こる前触れでしょ(しかも百発百通だからね)」
「そうなの! それは知らなかった……(ふにぃ~)」
「自覚なかったの?」
「……ウソ(ふっ)」
 二人の会話をビビは珍しそうに見ていた。特にローゼンクロイツのことを。
「(不思議ちゃんオーラが出てるよ)あのさ~、そっちの人の名前聞いてないんだけど?」
「人の名前を聞くときは、自分から名乗るもの……無礼者(ふーっ)」
 嫌な顔を一瞬してすぐに無表情に戻る。どうやらこれは彼の特性らしい。
「ねえルーファス、この人性格悪いでしょ?(絶対そう!)」
「そ、それはノーコメント(ほ、本当はすご~く性悪だよ)」
 苦笑いを浮かべるルーファスのことをキッと睨んですぐに無表情に戻るローゼンクロイツは、再び思い出す。
「そうだ、それ悪魔(ふあ~)」
 狭い馬車の中、しゃべり声は十分響き渡る。一同沈黙。
 ややあって、同乗していたおじさんが声を荒げた。
「悪魔だって!」
 これを合図にビビ及びルーファス&ローゼンクロイツ以外の乗客3名と乗務員がビビとできるだけ距離を空けた。
 この国では魔法は普段の生活でも珍しいものではない。だが、悪魔となれば話は別だ。
 恐れおののく人たちを見てビビは顔を膨らませながら一歩前へ出た。
「なによ、悪魔だからどうしたっていうのよ!」
 怒鳴り声に余計に震え上がる人々。こんな状況を打開すべく、ルーファスが立ち上がった。
「え~、あのですね、みなさん、ほら、見てください。ただの可愛い人間の女の子ですよ。どこをどう見たら悪魔に見えるっていうんですか?」
 こんな説得ではうまくいかない。若い女の人が鋭い指摘をしてきた。
「だって、その子自分で『悪魔だから』って……(そう言ったわよ絶対!)」
 ビビはもう一歩前へ出る。
「アタシは正真正銘のちょ~可愛い悪魔よ、それが何か?」
 ビビの身体が急に中に浮いた。ルーファスに抱きかかえられたのだ。そして、馬車の外へ飛び出す。
 何事もなかったように走り去っていく馬車を見送りながらルーファスはビビを地面に下ろした。
「普通の人は悪魔って聞いたら怖がるんだから、少しは隠すとかしてよ」
「別にいいじゃん、怖がらせておけば」
「……私とビビは今や運命共同体なんだから私に迷惑かかるでしょ?」
「私だって迷惑してるんだから。ルーちゃんに呼び出されて……もう、いいよ!(私がルーちゃんに迷惑かけて何が悪いっていうの?)」
 顔を膨らませながらビビはズカズカと歩いて行ってしまった。だが、少し行ったところから一向に前へ進まない。
 動作的には歩いている動きをしているが、まるでパントマイムのように前には進んでいない。これ以上はルーファスと離れられないのだ。
 くるっと振り返り、顔を赤らめて恥ずかしそうにルーファスのもとへ戻ってきたビビは言った。
「もう少し、一緒にいてあげてもいいかな……」
 ルーファスはやれやれと両手を軽く上げてため息を付いた。
「はぁ、子供だよねぇ、ホント」
「だから、子供じゃないって言ってるでしょ~!!」
 ポカスカと殴られるルーファス。彼とビビの微妙な関係はまだまだ続きそうだ。

《3》

 影から出てきたビビはどこにでもいる女の子と変わらない。そして、今はそこらにいそうな恋人だった。
「ねえ、ルーちゃんあれ食べたい」
 ビビの指差した先にはくだもののたくさん置かれた屋台がある。
 ここバザールには数多くの食料品が取り揃えられていて、魚などは生簀[イケス]に入れられ新鮮なまま売られている。
 ルーファスはビビの伸びた指の先を目で追って、そこにあるものを見た。
 そこにはくだもの屋さんがあるが、ビビの指はもっと的確に示されていて、それを見たルーファスの表情は曇り空のようになってしまった。
「……ちょっと高いかな(いち、にい、さん、よんって)」
 指のさされたくだものは手のひらに納まるくらいのピンク色をした丸い柑橘系の食べもので、名前をピンクボムというが、正式名称は別にあり『ラアマレ・ア・カピス』といい、意味は古代語で『神々のおやつ』という。
 ビビはピンクボムを見てはルーファスの顔を見るという行動を何度も繰り返している。
「ラアマレ・ア・カピス食べたいなぁ~(口に入れた時の脳みそがスパークしそうな感じがたまらないんだよねぇ)」
「でも、ピンクボムって高いんだけど」
 ピンクボムの前にこじんまりちょこんと置いてある値札には、こじんまりしてない値段が書いてある。1000ラウル。
「1000ラウルくらいいいじゃん」
「1000ラウルもあったら、1ラウルチョコが1000個も買えちゃうよ(うめぇぼうだと500個だよ)」
「じゃあ、1ラウルチョコ1000個でもいいよ(アタシチョコ好きだし)」
「はいはい、別の見に行くよぉ~(チョコに1000ラウルも出せないよ)」
 ルーファスはビビの腕をガシッと掴むと引きずりながら別の場所へ移動した――。
 このあとバザール内を見回して結構な量の買い物をしたのち、二人はまた乗合馬車に乗って家路についた。
 帰りは何事もなく、一安心で家についたルーファスは安堵のため息をもらした。
「ふぅ~、やっぱり家が一番落ち着くなぁ~」
「(年寄りくさいセリフ)」
 注意しておくがルーファスは数日前に17歳になったばかりだ。
「台所に行くついでに東方のおみやげでもらった緑茶でも飲もうかな」
「(緑茶ってしぶい紅茶のハトコみたいなのでしょ、やっぱり年寄りぃ~)」
 ちょっと軽蔑の眼差しで見るビビのことになど全く気づかず、ルーファスは買い物荷物を持って台所に行ってしまった。ビビは当然ながらそのあとをめんどくさそうについて行く。
 台所に着くとルーファスは買ってきた食べ物などをしまったりし始めた。その間ビビは食卓の椅子に腰掛けながら足をぶらぶらさせてひまそうに待っている。すると、そんなビビの目の前のテーブルにバンッと大きな魚が置かれた。
「この魚がどうかしたの?」
 目を丸くしているビビの前に置かれた魚は、ルーファスが値切りに値切って買った大きめの生きた新鮮な魚だ。
 魚屋の若主人曰く、その二人の買い物客が、彼女に尻を敷かれているカップルのようであったとが語っている。
 丸々生きた大きな魚をビビの前に出したのはルーファス的には理由がちゃんとある。
「この魚の魂食べたら少しはお腹の足しになるでしょ?(我ながらいい考えだ)」
「まあ、魚の魂だって食べれないことないけど(普通はやらないよ)」
 のちにルーファスは人間の生贄の変わりに今回と同じく魚、それもマグロの刺身を使用したことにより大変なことを起こすことになるのだが、それはまだまだ先のお話。
 仕方なくビビは魚の魂を喰らうことにした。
 ビビがゆっくりと目を瞑ると、アウトサイドとこの世界では呼ばれている、今二人がいる空間とは次元の異なった空間に保存してあった大きな鎌を取り出し構えた。その光景はマジシャンがどこからともなく物体を取り出すような光景に似ていた。
 鎌を構えたビビの目がカッと見開かれ大鎌が魚に振り下ろされた。鎌は魚を通り抜け、テーブルを通り抜け、何一つ傷を付けていない。鎌は物体を通過してしまったのだ。
 少しして魚から白い煙のような物が立ち上り、それはビビの口の中にすーっと吸い込まれていった。それと同時にビビのお腹がぐーっと鳴いた。
「お腹空いた」
 魚程度の魂ではビビのお腹を満たすことはできないということなのだろう。
「でも少しは足しになったでしょ?」
「少しはね。でもまだまだ足りないよ」
「あとは普通の食べ物で我慢してもらうしかないね」
「えぇ~っ!」
「しょうがないでしょ?」
「ダメ!(でも、このままじゃ……)」
 ダメとは言ったものの、このままではビビは衰弱していってしまうに違い無い、早く手を打たなくては……。

 食事を終え、ルーファスはビビを連れてある場所に向かった。
 馬車に揺られて数十分、噴水のある円形の広場を抜けたその先にその建物はある――クラウス魔導学院、この学院はこのアステア王国一の規模を誇る魔法学校である。
 ここでルーファスは魔導学院の教師であるカーシャのもとを訪れることにした。
 直射日光を嫌うカーシャは学院の地下に自室を設け、ロウソクだけの薄暗い明かりの中で魔術の研究をしていた。
 彼女は融通の利く合理的で利己主義な美人教師として学園内で名が通っており、何か困ったこと、主に成績などで普通ならどうしようもないような問題を抱えた生徒たちが彼女のもとによく訪れる。
 ルーファスとビビはその薄暗い部屋にいた。
「あのカーシャ、頼みごとがあって来たんだけど」
 ルーファスはカーシャのことを呼び捨てで呼んでいる。その理由はこの二人がただの生徒と教師に関係ではないということ、ただし、恋人同士とかいった関係でもない。二人はある意味腐れ縁といった関係だった。
 薄暗い影の中にロウソクの光がぽわぁ~と灯り、人の顔が現れた。その顔は白く美しかった。
「「わっ!!」」
 ルーファス&ビビは同時に驚いた。ルーファス的には突然のカーシャの登場に驚き、ビビ的には幽霊かと思って驚いた。
 冷たい風がすぅーっと部屋の中に吹いた。しかし、ロウソクは全く揺れていない。風が吹いたのはルーファスとビビの背中だけ。
「頼みごととはなんだ?(知らん女が一緒か……ま、まさかへっぽこ魔導士ルーファスに彼女できる!? なんてことはないな……ふふ)」
「脅かさないでよ! 毎回そーゆー現れ方してぇー」
「それよりも用件を言え、妾も暇じゃない(給料が懸かっているからな……切実だ)」
「え~と、こちらにいるのがビビ」
 ルーファスはおすすめメニューを紹介する店員さんみたいに手のひらを返してビビに手を向けた。
「えっと、アタシの名前はシェリル・B・B・アズラエル、愛性はビビ、よろしくね♪」
 可愛らしくあいさつをしたビビのことをじーっと見つめたカーシャはぼそりと呟いた。
「悪魔だな」
「わっかるぅ~、アタシはこれでも魔界ではちょ~可愛い仔悪魔でちょっとは名前が知られているんだからね」
「わかるもなにもファウストが職員室で話していたのを聞いた(ルーファスの人生は、やはり呪われている。……論文にまとめるとおもしろいかもな……へっぽこ、ふふ)」
 いきなりルーファスがカーシャに頭を下げた。
「お願い、どうにかして!」
 そんなルーファスにカーシャは、きっぱりさっぱりあっさり答えた。
「駄目だ。これは本来ルーファスの追試の一貫なので手伝うことはできない(しかも、ファウストのだからな)」
 ファウストとカーシャの仲の悪さは学園内でも有名な話で、カーシャがルーファスの追試に手を貸したくない理由の9割がそこにある。
 だが、カーシャは咳払いをひとつしたあと話を続けた。
「コホン、だがな、場合によっては手伝ってあげないこともない(ふふ……ふふふ)」
 心の中で不信に笑うカーシャ。善からぬことをことを考えているのは明々白々、お天道様[テントサマ]も知っている。
 ごくんとルーファスが唾を飲む音が聴こえた。この時カーシャの瞳がキラリィーン! と光ったような気がする。
「場合ってどんな場合?(嫌な予感はするけど)」
 何度も言っているような気がするが、ルーファスの嫌な予感は大抵当たる。
「ふふふ、聞いて驚け! パラケルスス先生のホムンクルスを2体盗んで来い!!」
「はあ~っ!!(無理)」
 ホムンクルスというのは簡単にいうと人間の形をしている入れ物のことで、それをカーシャは盗んで来いと普通に言ってのけたのだ。
「盗んで来いと言ったら盗んで来い。そのホムンクルスを実験で使いたいがパラケルススが貸してくれないのだ(あのケチじじいが!)」
 とカーシャは愚痴をこぼす。がルーファスは大反対だ。
「駄目、駄目、絶対駄目!!(あんな良い先生の物なんて盗めないよ)」
 パラケルスス先生と言えば、優しくいつも笑顔を絶やさない先生で、ルーファスも普段から大変お世話になっている。
「ホムンクルさえ手に入ればビビをルーファスに影ごとそのホムンクルスに移すことができる。そうすれば、ビビは身体を手に入れ今よりは自由に行動ができるようになると思うが?(ふふ、妾の研究も進んで一石二鳥)」
 深く悩み苦悩するルーファスだったが、ホムンクルス強奪の話はカーシャとビビの間で勝手に進められ、ビビは絶対にホムンクルスを盗んで来るとカーシャに約束していた。
「カーシャ、アタシ絶対ホムンクルス盗んでくるからね!」
「うむ、頼もしい娘だ」
 ルーファスしばし沈黙。そして、
「なんで、勝手に話進んでるの?」
 二人の女性が同時にルーファスのことを睨んだ。
「いいじゃん別にぃ~」
「ルーファスお前には選択の余地はない。選択権があるのはこのビビだ」
「…………(なんか、不公平だ)」
 しかし、結局有無を言わせぬままビビはルーファスを引っ張って強引にホムンクルスを盗みに行ってしまった。

 今日は休校日で教職員の大半はいつもどおり学院に来ているが、生徒は勉強や研究熱心な学生しか来ていないので、学院内にいる人数は普段の10分の1にも満たない。そのためルーファスは難なくパラケルスス先生の研究室の前まで来れた。
 ビビは今ルーファスの影に戻っている。この方が行動しやすいからだ。
 ドアの前で腕組みをするルーファス。
「カギどうやって開けようか?」
 カーシャちゃん情報によるとパラケルスス先生は今日は学校に来ていないらしい。だが、研究室にはカギがかかっている。
 取り合えず、ドアに手をかけて引いてみる、押してみる、ノックしてみる。
「開けてくださ~い」
「ルーちゃんばかでしょ?」
「試しにやってみただけだよ! ……でもどうやって開けようか?」
「魔法でドッカ~ンってわけにはいかないの?」
「このドアは特殊合金でできていて、私の程度の魔導士の魔法は全部無効にされる」
「役立たずぅ~」
 突然ルーファスの後ろで誰かが呟いた。
「ボクも思うよ。ルーファス役立たず(ふにふに)」
 バッとルーファスが振り返った。その目線の先にいたのは空色のドレスを着た変人――クリスチャン・ローゼンクロイツだった。
「なんで、ここにいるのぉ~!?(あわわ~!?)」
 ルーファス取り乱す。今から悪いことしようとしていたので、余計に取り乱す。
「すごいよルーファス、今からボクが君に言おうとしたことを当てるんなんて!?(ふあ~)」
 それは違うと思う。
「そうじゃなくって……」
「……ウソ。冗談に決まってるでしょ(ふっ)。出席日数が足らなくて呼び出されたって言ったろ? 記憶力ないね君(ふぅ)」
 ワザとだったらしい。つまりこいつの性格はそれなりに悪いということだ。
「そのくらい覚えてるよ!(絶対バカにされてる)」
「……でも、ルーファス。なんで君がここにいるんだい? しかもそこのドア開けようとしてたみたいだけど(ふーっ!)」
「ドキっ!(見られてた!?)」
「……なんてね。どうしてかはカーシャ先生に聞いてるよ。ボクも今カーシャ先生の所に行って来て、マスタードラゴンの鱗を取って来いって言われたから(ふにふに)」
 クリスチャン・ローゼンクロイツは人をからかうのが好きらしい。
「そんなに私のことからかって楽しい?」
「……それはどうかな?(ふっ)」
「…………(遊ばれてる)」
「そうだ、そこのドア開けてあげようか?(ふあ~)」
「ホントに!?」
「もちろん、ボクとルーファスの仲じゃないか……〝恩を売って〟あげるよ(ふにふに)」
 ローゼンクロイツの口もが少し歪みすぐに普段の無表情に戻った。
 『恩を売ってあげる』という言葉が多少引っかかったが、ドアを開けてもらえるならとルーファスはローゼンクロイツに頭を下げた。
「お願い!」
 ローゼンクロイツはルーファスを押し退けドアの前に立った。このドアはそんじゃそこらの魔法では開かない。
 意識を集中しながら立つローゼンクロイツの背中をルーファスが息を呑みながら見守る。
 ローゼンクロイツが動いた。強力魔法が繰り出されるのか!!
 ゴンッ! ローゼンクロイツの蹴りがドアにヒットして特殊合金のドアは大きな音を立てながら外れ倒れた。
「ほら、開いたよ(ふにふに)」
『ほら』じゃないだろ! と突っ込みを入れたくなるが、その前にローゼンクロイツはさっさと行こうとしている。
「……じゃ(ふにぃ~)」
 ローゼンクロイツは片手を上げると音も立てずに歩き去ってしまった。
 呆然と立ち尽くすルーファスにビビが声をかける。
「ああいうのってアリなの?」
「さあ? アリなんじゃない?」

《4》

 部屋の中は実験機具などが整理整頓され、一目でどこになにがあるのかが確認できるようになっていた。パラケルスス先生の人柄が人目でわかるようになっていた。
 ホムンクルスは部屋の中にいくつもあるガラス管の中にいた。
 ガラス管の中は液体のような物で満たされ、下から小さな気泡が上へ上がっている。そして、時折大きな泡がホムンクルスの口から吐き出される。
 これを見たルーファスは困り果てた。
「そうだった、この装置ごと運ばないといけないんだった……」
 1つでも大変な物を二つもどうやって運ぶ? しかもばれないように……?
 困った表情をしているルーファスの影から、ニョキっと出て来たビビが、ルーファスの顔を覗き込み自分を指差した。
「アタシがいるじゃない?」
「どーゆーこと?」
「ルーちゃんの魂さえ少し食べさせてくれれば、カーシャの部屋まで装置ごと瞬間移動させてあげるよ」
「…………(困った)」
「でも、ルーちゃんの寿命が3ヶ月ほど減るけどねv」
 満面の笑みで明るく言われても困る。
「3ヶ月も減るの? 1日とかに負けられないの?」
「無理だよそんなのぉ」
 支払う魂と願い事の質の大きさは比例しているので、負けろというのは無理な話だ。
 半人前の魔導士であるルーファスにこの装置をカーシャの部屋に運ぶ術はない。ローゼンクロイツももうここにはいない。
 ビビはルーファスの服の袖をぐいぐい引っ張りながら、ルーファスの瞳を仔猫のような瞳で見つめている。自称ちょ~可愛いと言っているほどのことはある――激マブ。
 ルーファスはしぶしぶビビの申し出を受けることにした。激マブに負けたわけではない、ルーファスには本当に成す術がなかったのだ。
「よろしくお願いします(3ヶ月か……)」
「オーケー♪」
 ビビは別空間に保管してあった大鎌を取り出し、その切っ先を天高く構えた。
「痛くないよね?」
「さあ、アタシ切られたことないし?」
「えっ、ヤダよ痛いのは!?」
「ウソだよ。痛くないから心配しないで……」
 合図なしでいきなりビビはルーファスに大鎌を振りおろした!!
 ルーファスは殺されると思い目をぎゅっとつぶったが――死ななかった。恐る恐る目を開けると、そこには何かを飲み込むような仕草をしているビビがいた。
「ごくん。あ~、おいしいぃ~(やっぱり魚なんかより、人間の魂だよね~)」
 ごくんと何かを呑み込んだ様子のビビはお腹を摩りながら満足そうな顔をした。ビビは大鎌によってルーファスの魂の一部だけを切り取り補食したのだ。
「え? 今のでおしまい?(呆気なかったな)」
「うん」
 ルーファスは実感が沸かなかった。本当に自分の寿命が3ヶ月減ったのだろうか?
 魂を喰らい魔力を得たビビの足元の下から目に見えないオーラが発せられ、ゴスロリ服が揺ら揺らとゆらめく。
 魔力の解放。ルーファスは正直恐怖さえ覚えた。
「(な、なんてマナなんだ……こ、これで3ヶ月?)」
「いくよぉ~!」
 全てを呑み込んだ。ビビから発せられた影が、闇がこの部屋にあるものを全てを呑み込んだ。
 グォォォッ!! 耳元で鳴り響く風の流れるような轟音。
 気づくとそこはすでに薄暗いカーシャの研究室だった。魔力を得たビビは瞬時にホムンクルスと装置、そして、自分たちまでも一瞬にしてカーシャの研究室に運んだ。
 灯ったロウソクの中からカーシャが浮き出るように現れた。
「よくやった。すぐにビビをホムンクルスに移す儀式を執り行うぞ」
 ルーファスとカーシャは直ぐさまビビをホムンクルスに移す儀式の準備をした。
 カーシャの研究室は薄暗くてよく分からないが実際は異様なまでに広い、それはこの部屋でいろいろな儀式や実験をするためだ。
「ルーファス、本棚から魂移しの儀の描かれた魔導書を取ってくれ」
「オッケー」
 部屋の中を忙しなく動き回るルーファスをあごで使うカーシャは、こちらはこちらで魔方陣を描くので手一杯だ。何もすることがないビビはルーファスの影の中で邪魔にならないように静かにしている。
 そして、その広い部屋一杯に儀式の準備をして、ようやく準備は整った。
 魔方陣の真ん中にルーファスとビビが立つ。カーシャはロウソクを付けながら二人の周りを円を描くように歩き呪文を唱える。が、しかし、カーシャが思わぬビックリ発言を突然した。
「違う儀式の呪文だ(準備の段階からなにか変だとは思っていたんだ)」
 呟いた。聞こえるか聞こえないほどの声で呟いた。だが、ルーファスとビビの耳にはしっかりと届いていた。
「なんだって!?」
「うっそ~!?」
 この儀式に使う呪文の書かれた魔導書は、儀式を始める前にカーシャが本棚の中からルーファスに頼んで取ってもらっただった。
 ――儀式は見事失敗した。そして、辺に爆風が吹き荒れ、業火がルーファスたちの周りを包み込んだ。
「もしかして私のせいなの?(うそでしょ!?)」
 もしかしてではなく、ルーファスのせいである。最後まで気づかなかったカーシャにも責任はあるような気もするが、弱い立場に罪が擦り付けられる。
「ルーちゃんどうにかしてよ!?」
「どうにかって、カーシャどうにか……」
 慌てふためくルーファスはカーシャに助けを求めようと彼女のいた筈の方向を振り向いた筈だった。そう筈だった。
「マジでぇ~!!」
 ルーファス叫ぶ。
 ルーファスは唖然とした。カーシャの姿はそこには無かった。いたのはうさぎしゃんのぬいぐるみと書き置きだった。書き置きにはこう書かれていた。
 ――すまん、暑いのは苦手だ。
 ルーファス的大ショック!
 カーシャは一目散に逃げたのだ。騒ぎに巻き込まれるのはゴメンということなのか?
「ルーちゃん、あの人どこ行ったの? もしかして逃げたの!?(もう、サイテー!)」
「たぶん、逃げたのかなぁ~、よくあることだから……あはは(笑えないよ、毎回毎回いざってとき逃げて!!)」
 火に手は部屋中に広がって行く。それに比例してルーファスとビビは部屋の隅へと追いやられて行く。しかも、ついてないことに部屋の入り口からだいぶ離れてしまっている。
 ルーファスの額から冷たい汗が流れ出る。
 ビビは火に向かって大鎌をぶんぶんと振って、火を追い払おうとするが、それは無意味としか言い様がない。
 いつになく真剣な表情なルーファスの手から吹雪が出た。
「これでどうだ!!(……お願いだから消えて)」
 ルーファスの作り出した吹雪は猛吹雪だった。しかし、眼前に広がる業火にあっさりと呑み込まれてしまった。
「ルーちゃんダメじゃん(なんだ、ルーちゃん普通の魔法使えるんじゃん)」
「まだまだ、これでどうだ!」
 ルーファスの身体にマナが集められる。しっかりと腰を据えて詩を詠んだあとに呪文を唱えた。
「ブリザード!!」
 この呪文は今世界で使われている簡略化されたレイラなどの原型になったライラと呼ばれる呪文だ。
 レイラなどの呪文は唱えなくても簡単に出すことができる。だがライラはいちいち詩を詠み呪文を唱えなくはならない。しかし、その威力はレイラなどは比べ物にならない強力なものだ。ライラは別名『神の詩』と呼ばれている高等呪文だ。
 業火を呑み込まんばかりの猛吹雪。背筋がゾクゾクするほど気温も下がっている。
「ルーちゃんがライラを使えるなんて!?(学生の分際でライラを……!?)」
 猛吹雪が業火を呑み込んでいく。火は風前の灯火になった。
「治まったか……?」
「ルーちゃんカッコイイ♪」
 が、この業火はただの業火に非ず、悪魔の炎だった。
 一時は勢いを失った火が再び業火となり吹雪を丸呑みにした。ルーファス愕然、ビビ唖然。
 切る札とも言えるライラを使ってもなお、火を消すことはできなった。ルーファスは決断を迫られていた。
「(もし、私がここで死ねば、私の影に依存関係にあるビビもたたじゃ済まないな」
 そう、恐らくルーファスが消滅すれば、ビビも解放されるのではなくともに消滅してしまうだろう。
 悪魔の契約は絶対。その契約のチカラが大きければ大きいほど、リスクは大きくなり、悪魔自身の力ではどうにもならない。まさにルーファスとビビの間に成されてしまった契約はそれだった。ビビは完全にルーファスの一部として存在している。
 不安そうにビビがルーファスを見つめる。
「ルーちゃん、どうしよう?(このまま消えちゃうのかなアタシたち)」
「(ここでもし私がビビに魂を全て捧げたら……)」
 もし、ここでルーファスが魂をビビに全て捧げたら、火災は治まり全てを終えたビビはルーファスの影から解放されるだろう。
 真剣な眼差しでルーファスがビビを見つめた。
「私の魂を全て狩るんだ。そしてこの火を止めれば……」
「ダ、ダメだよ。そんなことしたらルーちゃんが死んじゃうし、火を消すのに魂全部貰うなんて、契約を結んだ悪魔は必要以上の代償を求めちゃいけんんだよ、だから……だから絶対ダメだよ!!」
 自分の魂を全て狩るように言われたが、ビビは困惑した。それが使命のはずなのに……。
「このままだと二人とも死んじゃうから、だから私の魂を……(……短い人生だったな、でも仕方ないよね)」
 確かにルーファスの魂を狩ることは彼女の使命のようなものだ。しかし、彼女はルーファスと長く一緒にい過ぎた。
「できないって、ルーちゃんのこと……ダメだよ絶対」
「お願いだから……」
 大鎌をルーファスの頭上へと振り上げた。しかし、鎌はそこから微動だにしない。
 ガタガタと大鎌が震えている。ビビの目は少し潤んでいた。
 ルーファスはビビを見てやさしく微笑んだ――。
「(これがアタシの使命だから……)」
 そして、大鎌はルーファスに振り下ろされた。
 ルーファスの魂は肉体と切り離せれ、白い煙りのような物となり、大気中を漂い目を閉じたビビの柔らかそうな口の中へと吸い込まれようとしている。
 その時、ゴォォォン!! という轟音とともに爆発が起きた。
 ビビが目を丸くして辺を見回すと、そこにはカーシャと初老の男性――パラケルススが立っていて、火は瞬く間に消え部屋には硝煙だけが残されていた。
 パラケルススが叫んだ。
「ルーファスを早く!!(身体に戻さんと大変なことになる)」
 ルーファスの魂は未だ大気を煙りのように漂っていた。
 魂は肉体を離れて長い時間存在することができない。このままではすぐに消滅してしまう。一刻の猶予も許さない事態だ。
 床を滑るようにしてカーシャが一早く動いて、ルーファスの魂を封じた。
 ルーファスは助かったのか? しかし、カーシャの顔は蒼ざめていた。
「……しまった(カーシャ不覚……ふふ、笑えない)」
 呆れ顔でパラケルススはカーシャに向かって言った。
「自業自得じゃな(わしのホムンクルスを盗むからじゃ)」
「…………(ふふ、笑えない)」
 無言のカーシャにパラケルススは話を続ける。
「罰として1週間そのままでいるように、2人ともわかったな?(ひさしぶりに高等魔法を使ったんで疲れたわい)」
 〝2人〟にそう命じたパラケルススは頭を抱えながら部屋を足早に出て行ってしまった。
「ヤダよそんなの(カーシャと1週間このままなんて)」
 どこからかルーファスの声が発せられた。――カーシャは間違ってルーファスの魂を自分の影に封じてしまったのだ。
「妾だってルーファスとこのままなんて御免だ(トイレやお風呂もいっしょなのかもしかして!?)」
「カーシャがミスったんでしょ?」
「これでは、ビビと同じでは無いか……ふふ」
「まあ、私は死なずに済んでよかったけどね(ふぅ~命拾いした)」
 ……この状況を見ながらビビはきょとんとしてしまっている。そんな彼女の元へ、パラケルススが再び姿を現した。
「忘れとったわい(この子をどうにかしてやらんと)」
 笑いながら現れたパラケルススはルーファスの抜け殻となった身体の横に立ち、ルーファスの影からいとも簡単にビビを解放してして、ルーファスの肉体を魔法で宙に浮かして運び、カーシャに微笑みかけるとすぐに行ってしまった。
「あれ、もしかしてアタシ自由になったの? やった~v」
 ジャンプしながらはしゃぎ回るビビを見ながら、カーシャは肩をがくんと落として、ひどい頭痛に襲われた。

 これから1週間の間、カーシャは頭痛に悩まされることとなり。ルーファスはビビの時とは違って影から出ることが全くできなかったために、暇を潰すためにカーシャに一日中話し掛け、カーシャの頭痛は酷くした。
 パラケルススの実験室にビビはいた。
「ねぇパラケルスス先生」
「ん、なんじゃな?」
「ルーちゃんが元に戻るまで、パラケルスス先生の助手としてここに置いてくれない?」
「ふぉほほほっ。まあ、いいじゃろう。ルーファスの肉体をしっかりと管理しておくれ」
「やったーっ! ありがとう♪」
 ビビは、ルーファスの魂から解放されたあと、パルケルススの助手として学院に少しの間居座り、ホムンクルスと一緒に保管されているルーファスの肉体の大切に管理をしていたという。
 それから、もちろんルーファスの悪魔召還のテストは赤点が付いたらしい。

 おしまい


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