第2話_リューク国立病院の怪異

《1》

「ルーファス伏せろ!!」
 カーシャの声に合わせて、ルーファスは潰れたカエルのように伏せた。
「カーシャどうにかしてよぉ~」
 地面に這いつくばるルーファスの視線の先には、魔導学院の長い廊下と、空色の物体エックスがいた。
「ふにふにぃ~」
 空を漂う羊雲のような声を発したのは、空色ドレスの変人――クリスチャン・ローゼンクロイツだった。
 しかも、なぜか頭に猫耳がついている。
 もうひとつおまけに、しっぽまで生えている。
 その姿はまさに猫人間、略して猫人。
 ローゼンクロイツの無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。
 次の瞬間、ローゼンクロイツのお尻から生えているしっぽが、何メートルもの長さに伸びたり縮んだり、ゴムのように、鞭のように、蛇のように、魔導学院の廊下を縦横無尽にうねった。
「ひゃっ!?」
 情けない声をあげたルーファスの頭上をしっぽが掠めた。しっぽが掠めたルーファスの頭は、髪の毛がなぜか逆立ってしまっている。
「カーシャ、感電死する前に逃げようよ(……って)」
 カーシャがいたはずの場所には桃色ウサギ人形と置き手紙があった。
「マジでーっ!?」
 思わず声をあげるルーファス。
 逃げられた。
 ルーファスの位置からは手紙の内容を見ることはできないが、彼にはだいたい予想がついている。
 ――すまん、電流は苦手だ。
 とでも書いてあるのだろう。なんせ、カーシャはなにかと苦手なモノが多い女だ。とにかく、なんでも苦手にして逃る。きっと逃げるのが趣味に違いない。
 一本しかないはずのしっぽが何本にも見え、とにかくそこら中を勝手気ままに飛び交う。これこそ、ローゼンクロイツの必殺技のひとつ『しっぽふにふに』だ。
 その『しっぽふにふに』の厄介な点は、しっぽに高圧電流が流れている点だ。しっぽに流れている電流の電圧は、ローゼンクロイツの気分しだいで、強くも弱くも変わる。つまり、運がよければ肩こり解消、運が悪ければ丸焦げご臨終ということだ。
 騒ぎを駆けつけて、魔導学院の黒尽くめ教員が駆けつけてきた。
「騒ぎの元凶は誰だ!」
 黒尽くめ教員――ファウストの視線に乱れ飛ぶしっぽと、その根元にいる空色ドレスの猫人が飛び込んできた。
「ローゼンクロイツの猫返りか!?(クク、厄介なことになったな)」
 ファウストの言う『猫返り』とは、猫耳にしっぽが生えたローゼンクロイツのことを示している。この猫返りは一種の発作であり、猫返り時のローゼンクロイツは記憶がぶっ飛び、トランス状態になる。つまり、手に負えなくなる。
 性格がひねくれていることを覗けば優等生のローゼンクロイツ。性格がひねくれてるのに、『優等生なのかよ!』というツッコミは置いといて、とにかく猫返りをしてるローゼンクロイツは、大問題児の破壊者と化す。
 ふにふにしていたしっぽの動きが止まった。
 ファウストがいち早く動く。
「来るぞルーファス、デュラハンの盾!」
「えっ!?(な、なにが?)」
 目を丸くするルーファスは脳ミソをフル回転させて、現状を分析した。
 まず、ファウストは高等呪文ライラによって、防護シールドを作り出した。
 とか、分析して間に来ちゃったりした。
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。
「ふわふわぁ~」
 ――来た。
 ローゼンクロイツの『ねこしゃん大行進』だ!!
 空色ドレスから放出される大量のねこしゃん人形。それは止まることなく、二足歩行で魔導学院の廊下に広がる。廊下を走っちゃいけませんなんて、このねこしゃんたちはお構いなしだ。
 ねこしゃんが放出された直後、いろんな場所から爆発音が聞こえてきた。
 煙に巻かれながら、ルーファスはむせ返る。
「げほげほっ(ねこしゃん大行進が来るなんて……)」
 『ねこしゃん大行進』とはカーシャが名付け親である猫返り時のローゼンクロイツの魔法だ。
 この魔法は身体から放出される大量のネコのお人形さんたちが、二足歩行で勝手気ままに走り回り、何かにぶつかると『にゃ~ん』と可愛らしく鳴いて、手当たり次第に大爆発を起こす無差別攻撃魔法である。
 二足歩行のねこしゃん人形がランダムに走り回り爆発を起こしていく。爆発が爆発を呼ぶ最悪な状況だ。
 猫返りしてしまったローゼンクロイツには、人間の言葉が通じない。そのうえ、意味不明な破壊活動を行う。ある意味、最強最悪の状態なのだ。
 爆発に紛れて、一匹のねこしゃんが地面に這いつくばるルーファスの元にやってきた。
 ねこしゃんと目が合ったルーファスの思考一時停止。
「ストップして!」
 猫語で言えば止まってくれたかもしれない。
 しかし、ルーファスは猫語を知らなかった。
 そして、にゃ~んといっぱつ大爆発!!
 白煙といっしょにあたりは真っ白の世界に包まれたのだった。

 日差し柔らかな正午前、一人の患者[クランケ]がリューク国立病院に担ぎ込まれた。
 ――ルーファスである。
 爆発に巻き込まれる寸前、ルーファスは魔法壁で身を守ったが、それでも全身に細かい擦り傷を負い、軽度の火傷も数箇所、右脚の骨折。そして、爆風に巻き込まれ、頭に大きなたんこぶをひとつ作って気絶した。
 魔法処置で外傷はほぼ完治したが、骨折の治療には少し時間がかかるようで、2日間の入院が決められた。
 副院長の計らいで、ルーファスには個室が与えられ、現在ルーファスはスヤスヤと寝息を立てて深い眠りに落ちていた。
 幸せそうな顔をして眠っているルーファスに忍び寄る黒い影。その者の全身は本当に黒かった。黒い薄手のロングコートを羽織っているのだ。
 黒い影から伸ばされる青白い手。
「まだ麻酔が効いているようだな」
 低い男の声を発した唇は、真っ赤な薔薇のように色鮮やかだった。
 青白い手がルーファスの首筋に触れた。その瞬間、氷にでも触られたような感覚を覚えたルーファスが飛び起きた。
「ひゃ!?」
 奇声をあげて上体を起こしたルーファスと男の視線が合う。
「おはよう、ルーファス君。目覚めはいかがかな?」
 低い声でボソボソしゃべる男の言葉を理解するのに、ルーファスは数秒を要した。
「(……ここは、病院か)あ、おはよう、ディー」
 ディーと呼ばれた男は静かに微笑み、近くにあった椅子に腰掛けた。その間もディーはルーファスから視線を外そうとしない。ちょっと妖しい視線だ。
「君の負った外傷はすべて完治させておいた。脚の治療には少し時間を有するので2日間入院してもらうが、いいかね?(できれば、もう少し入院してもらいたものだが)」
「入院ですか?(まいったなぁ、再追試があるのに)」
 ルーファスは『これでもかっ!!』といった感じで包帯グルグル巻きにされている自分の脚を眺めた。脚は器具によって吊り上げられ、ベッドから身動きできない上体にされている。
 このとき、ルーファスはとても嫌な予感がした。
「あのぉ、外傷は治したんだよね?(なのに、なんで脚が治ってないの?)」
「ああ、君に外傷は似合わんからね」
「…………(またかぁ)」
 なにかと病院に厄介になることの多いルーファスだが、この病院に来るとなにかと入院を勧められ、なにかと長期入院をさせられる傾向がある。その原因は今、目の前にいるこの病院の副院長の仕業だとルーファスは踏んでいる。
 白衣ならぬ黒衣を身にまとった魔法医ディーと言えば、この国はおろか隣国でも有名だ。黒衣をまとう医師というだけで、少し変わり者の臭いがプンプンだが、魔法医術の腕は超一流で、リューク国立病院が創立されて以来から、すっと副院長の椅子に座っている。
 ちなみにリューク国立病院は、この国の4代目国王が建設した病院で、ざっとその話は250年以上前のことだったりする。つまり、魔法医ディーは長生きさんということになる。それでも、ディーの見た目は若々しく20代半ばの外見を保っているのだ。
 超一流の魔法医と、包帯グルグル巻きの自分の脚を眺め、ルーファスは疑問に思う。
「この脚……治してくれないかなぁ? 明日再追試があるんだけど」
「ふむ、君の脚は実に興味深い複雑な骨折の仕方をしていてね。治療には2日を有するのだよ。これでも最善を尽くして2日だ」
 感情を消した表情からは相手の思惟を読み取ることはできなかったが、ディーの瞳は妖しくルーファスを見つめていた。
 なぜかこのとき、ルーファスは肉食獣に喰われる感覚に襲われた。
 恐怖に身を強張らせるルーファスを見つめ気持ちを察したのか、ディーは静かに微笑んで呟いた。
「君の父上には恩義がある。君には決して手を出さんよ(そして、誰にも手を出させない)」
 手を出すってどういう意味だよ!!
 ルーファスは生唾をゴックンと呑み込んで、素早くディーから視線を逸らした。
「(やっぱり、この人そっち系の趣味があるんだ。怖いよぉ)あの、お仕事が詰まってるんじゃないですか? 私に構ってないで別の患者のところに行ったほうがいいと思いますよ」
「大丈夫、心配には及ばない。君のために時間を空けてきた」
 甘く囁くように呟いたディー。
 ルーファスの確信は強まる一方。
 この副院長は女性じゃなくて、オトコに興味があるんだ!!
 とルーファスは確信した。
 黒衣から伸ばされた青白い手がルーファスの首筋に触れた。とても冷たく死人のような手だったが、恐怖のあまりルーファスは逃げることもできなかった。そもそもルーファスの身体にベッドに固定されている。
 ベッドに固定され、個室が与えられ、実は個室のドアには面会謝絶の札が立てかけられていたりする。
 ビバ・拉致監禁!!
 鮮やかな薔薇色をしたディーの口がルーファスの耳元でなにかを囁いた。
「実にきめ細かい肌をしている。この首筋を見ていると、噛み付きたくなってしまう」
「(く、喰われる!)」
 そのときだった。個室のドアがガサツにドカンと開けられた。
「ルーちゃん、お見舞いに来たよぉ~ん!」
 個室に飛び込んで来た人影に、ディーはすぐさま顔を向けた。
 ピンク色の髪をツインにまとめた少女――自称ちょー可愛い仔悪魔B.B.シェリルだった。
 ビビはディー×ルーファスの攻め受けの構図を目の当たりにして、顔を真っ赤にして後退りをして壁に背中をつけた。
「あ、あ、イヤっ、ルーちゃんのえっち!!(ルーちゃんのばかぁ、ルーちゃんにそーゆー趣味があったなんて)」
「ち、違うって、誤解だよ!」
 取り乱すルーファスをさし置いて、ディーは何事もなかったようにルーファスの身体から離れ、落ち着いた口調でビビに問いかけた。
「面会謝絶の札が立てかけてあったはずだが、見えなかったのかね?」
「見たよ」
 さらっとビビは言った。
「見たけど、それがどうかした? アタシには関係ないしぃ」
 常識に欠けるビビに面会謝絶の札は、ただの札と変わらないらしい。
「ふむ、まあよかろう。それではルーファス君、また後で……(仔悪魔の邪魔が入ってしまったな)」
 ディーはルーファスの顔を妖しく見つめ、個室を音もなく去っていった。
 そのときのディーの妖しい――ビビにはイヤらしいと感じた目つきを見て、ビビはやはり不審そうにルーファスの顔を覗き込んだ。
「ルーちゃん、あの人だれ?」
「ここの副院長だよ」
「ふ~ん、ルーちゃんとどんな関係?」
「医者と患者の関係だけど……(あっちがどう思ってるかは自信ない)」
「ふ~ん」
 鼻を鳴らすビビは少しほっぺたを膨らませて、そっぽを向いた。
「なに怒ってるの?(なにかしたかな、昼間の破廉恥な情事で軽蔑されたとか?)」
 怒られているような気はするが、なにが原因でそっぽを向かれてしまったのか、ルーファスには検討がつかない。ルーファスにしてみれば、『なんで怒ってるんだろう、変なの』ってくらいにしか思っていない。
 ルーファスの意図しない沈黙が流れる。
 けれど、そんな沈黙も長くは続かなかった。
 コンコンと規則正しい音色を奏で、空色の声が室内に流れ込んできた。
「お邪魔するよ、へっぽこくん(ふあふあ)」
 面会謝絶の札は立てかけてあったはずなのだが、この人物にも意味を成さないらしい。――ローゼンクロイツである。
「お見舞いに来たよ(ふわふわ)。ほら、果物でも食べて元気になるといい(ふにふに)」
 ローゼンクロイツの差し出したカゴには、フルーツ盛り合わせが入っていた。お見舞いの定番商品だ。そのフルーツ盛り合わせの中に入っているフルーツの定番と言えば、これだ!
「ラアマレ・ア・カピス発見♪」
 ラアマレ・ア・カピス――通称ピンクボムを見たビビが声を弾ませた。
 ピンクボムは高級高級果物として有名であり、学生の分際で、お見舞いに持ってくる品ではない。
「ルーちゃんこれ食べていい?」
「……めっ!(ふっ)」
 答えたのはルーファスではなく、ローゼンクロイツだった。
「だめだよ、これはルーファスのために持って来たんだからね(ふにふに)」
「いいじゃん別に。ねっ、ルーちゃんいいよね?(早く食べたいなぁ♪)」
「私は別にかまわないけど……」
「……めっ!(ふっ)」
 無表情のままローゼンクロイツと頬っぺたを膨らませたビビが対峙する。
 先攻ビビ!
「ルーちゃんがもらった物をルーちゃんがどうしようとルーちゃんの勝手でしょ。ルーちゃんがアタシにくれるって言ったんだから、これはもうルーちゃんの物じゃなくて、アタシの物よ!」
 ルーちゃんルーちゃんと連呼したビビの息はすで上がっている。対するローゼンクロイツはいつもどおりの表情で、汗一つかいていない。このビビVSローゼンクロイツの構図を見る限り、ローゼンクロイツが勝っているように見えてしまう。
 しかも、ローゼンクロイツの態度と来たら、こうだ!
「ところでルーファス、再追試は事故ということで延期にしてくれるそうだよ(ふあふあ)」
 ビビのこと完全無視だった。
「ちょっとあなたアタシのこと無視?(この大っ嫌い!)」
 一人相撲状態のビビは頭から湯気を出して怒るが、ローゼンクロイツはまったく相手にしていなかった。
「じゃ、ボクは再追試のことを伝えに来ただけだから帰るよ(ふあふあ)」
「ちょっと、まだアタシと――」
 ビビの声を背に受けながら、ローゼンクロイツは背中越しに手を振って病室を出て行ってしまった。
 バタンと病室のドアが閉められ、なんだかビビちゃん敗北感!!
 戦う前から負けた。
 けど、ビビちゃんは強い子、泣かない子。気持の切り替えだって早いんだもん。
「ラアマレ・ア・カピス食べよぉ食べよぉ♪」
 自分の顔ほどもあるピンクボムを両手で抱え、ビビは上機嫌だった。気持の面ではローゼンクロイツに負けたビビだが、ピンクボムを手に入れたので、その点では勝ったと言えよう。
「ルーちゃん、包丁ないの?」
「ないよそんなの」
「えぇ~っ、包丁ないと皮むけないじゃん!」
「そんなこと言われても、ない物はないよ」
「いいよ、あれ使うもん」
「あれ?(あれってなんだろう、大変なことにならなきゃいいけど)」
 心配顔のルーファスのことなどすでにビビの脳内から追い出され、代わりにピンク色の果物がいっぱいに詰められていた。
 目の前にある果物を絶対に食べる。
 ビビの手の周りの空間が歪む。
 安易召喚だ。
 突如として現れた大鎌がビビの手に握られていた。別空間にしまってあったビビ愛用の大鎌を召喚したのだ。
 大鎌を構えるビビの姿を見て、ルーファスは思った。
「ありえない……(あんなので果物がむけるわけないよ)」
 ルーファスの予想はぴったし当たった。
「あれ、あれれぇ、おかしいなぁ(皮がむけないよぉ)」
 巨大な鎌をぶんぶん振り回したり、あーでもない、こーでもないと、ビビは悪戦苦闘している模様だが、大鎌で果物の皮がむけるわけない。それでもビビはピンクボムとの戦いをやめない。そして、いつしかピンクボムはズタズタに切り刻まれ、見るも無残な残骸になっていくのだった。
 アステア王国でのピンクボムの取引価格は1000ラウル前後である。1ラウルチョコ1000個分、うめぇぼうなら500個分だ。残骸と化した物体に手を合わせ祈りを捧げよう――さよならピンクボム、君のことは忘れない。
 ピンクボムの果実部分は真っ赤な色をしているため、赤い物体が飛び散る床と、その現場に赤い何かが付着した大鎌を持つ少女。しかも、その少女の目は〝敵〟との過酷の戦いのため眼が血走っている。まさに惨殺現場だ!
「ビ、ビビ、なんか怖いよ(鎌持って眼がいちゃってるし)」
「ラアマレ・ア・カピス食べたかったのに、もういいよ!」
 もうよかない現状が床に広がっているが、プンスカプンと怒っているビビは病室を出て行ってしまった。
 残されたルーファスは、
「……掃除、誰がするんだろう?」
 脚を包帯グルグル巻きにされているルーファスはベッドから降りることもできない。
 部屋中に甘ったるい匂いが立ち込めていく中、ルーファスは床に散らばる残骸を眺めることしかできなかった。
「気持悪くてはきそ……」
 甘い甘い匂いに包まれ、ルーファスはベッドに沈んでいった。

《2》

 その日の深夜。
 トイレでルーファスは目を覚ました。
「(……漏れそう)」
 ダムが決壊する寸前だった。
 冷や汗をかいて顔を青くするルーファスは、すぐさまナースコールをした。
 ――繋がらない。
 ボタンを連打するが、やっぱり繋がらない。
 焦るルーファス。
 ボタンから伸びたコードを引っ張ってみた。すると、なんとコードが切断されているじゃありませんか!
 切断面は鋭利な刃物でスパッと切ったように鮮やかだ。
「……あっ」
 と、呟くルーファス。
「(ビビのせいか)」
 大正解!
 今日の昼間、どっかの誰かさんが大鎌を振りまして、フルーツを細切れの虐殺したせいだった。あのときに、運悪くコールボタンから伸びたコードを切ってしまったのだ。
 ルーファス的大ピンチ!
 脚を無意味に包帯でグルグル巻きにされたルーファスは、ベッドから降りることができない。イコール、トイレに行けない。
 これはピンチだ!
 17歳になってお漏らしなんてできない。
「誰か助けてーっ!」
 とりあえず叫んでみた。
 しかし、声は個室に響いただけ。
 こうなったら治療器具を壊してでもトイレに行くしかない。
 その前にとりあえず吊り下げられた右足を動かしてみる。
 まったく動かない。
 なぜか頑丈に固定され、ビクともしないのだ。
「これって……プチ監禁!?」
 ルーファスの脳裏に浮かぶ黒い医師。
 吊り下げられた脚に手を伸ばそうとするも、身体が硬くて腹筋もないルーファスには届かない。
 やっぱり強引に破壊するしかなさそうだ。
 破壊といっても、そんなたいした物ではなく、脚を吊ってる紐を切れはどうにかなりそうだ。
 風の魔法を得意とするルーファスは、指先から小さなカマイタチを放った。
 スパッと紐切ったことで、吊られていた脚がドスンと落ちる。
「うっ……(痛い)」
 骨折した足に衝撃が加わった。
 ジーンと来る痛みに耐えること数秒。
 フリーズしていたルーファスがやっと起動した。
 ベッドから這い降りて、片足でぴょんぴょん跳ねながら病室を出た。
 深夜の病院は薄暗く、静かでひんやりとしている。
 廊下を照らす薄暗いライトが心もとない。
「夜の病院って怖いなぁ」
 怖いのを紛らしてわざと口に出して言ってみた。
 が、やっぱり怖いものは怖い。
 幽霊は1年中いるが、運が悪いことに今のシーズンは夏。と行きたいところだが秋だったりする。
 それでも心霊スポットは1年中心霊スポットである。
 心霊スポットの定番のひとつと言えば病院。
 病気や事故で無念を抱き死んだ者たちの霊が……。
「……絶対いない」
 ルーファス真っ向否定。
 ここで公定してしまったら、怖くてトイレに行けない。
 負けるなルーファス!
 勇気を振り絞ってトイレに向かうルーファス。
 が、その足はなかなか進まない。
 なぜならば、トイレにはオバケが出るから!
 やっぱりオバケが怖いルーファス。
 いつの時代も怖い話は子供たちの間でブームになるものである。ルーファスが魔導学園に通っていた頃も、そんな話がブームになったことがあった。
 その中にはトイレにまつわる怖い話がいくつかあった。
 トイレの中から手が出てきて引きずりこまれるとか、トイレが詰まって逆噴射するある意味怖い話だとか、とにかくいろいろな話があった。
 そんなトイレにまつわる怖い話の中で、マスコットキャラ的な幽霊が『トイレのベンジョンソン』だ。各地方によって伝わり方はいろいろだが、見た目はだいだい統一している。
 ベンジョンソンさんの主な特徴は、アフロへアーで犬みたいな顔をしていると言う点だ。一説には犬憑きの人間の霊だとも言われるが確証はない。
 トイレに出没するベンジョンソンさんはどんなことをするかというと、トイレットペーパーの切れた人に紙を渡してくれるのだ。だだし、1ロールにつき、財布から勝手に10ラウルがなくなる。
 そして、もし10ラウルを持っていなかったら……。
 ブルブルとルーファスは身体を振るわせた。
 ヤバイ、トイレに行きたくなくなってきちゃった。
 むしろ行けない。
 行きたくない。
 逝くもんか。
 しかし、股間のダムは決壊寸前だ。このまま放流するわけにはいかない。
 よし!
 っとルーファスは拳を握って気合を入れた。
「大丈夫、トイレにいるのは妖精さんだけだ、オバケなんていないよね」
 きっとトイレにはフローラルな妖精さんがいるだけだ。
 ルーファスはぴょんぴょん跳ねながらトイレに向かった。
 自分が跳ねる足音が静かな廊下に木霊する。それが怖くてたまらない。もしも、自分以外の足音が……と考えると身の毛もよだつ思いだ。
 そこでルーファスは両耳を手で塞いだ。これで変な足音が迫ってきても聴こえない。
「迫ってきたとき聴こえなきゃ意味ないじゃん」
 セルフツッコミ。
 もしも何者かが迫ってきたのに気付かなければ、逃げることもできないではないか。
 結局、耳は塞いでも塞がなくても怖い。
 怖いものは怖い。
 こうなったらこれしかない。
「(なにか楽しいことを……)」
 普段あまり使わない頭で楽しいことを一生懸命考える。
 考える。
 ……考える。
 …………なにも浮かばない。
 なんて想像力が乏しいんだとルーファスへこむ。
 ブルーな気分になって落ち込んだら、余計に今の状況が怖くなってきた。
 とか思ってるうちに、ついにトイレの前まで来てしまった。
 深夜でもトイレの電気は煌々と輝いていた。これならぜんぜん怖くないかもしれない。
 なんだかルーファスは勇気が湧いてきた。
 すんなりトイレに入ったルーファスは思わず目を剥く。
 なんと不幸なことに男性用トイレ全てに故障中の張り紙あった。
 しかも、個室の方も1箇所を覗いて、ドアに故障中の張り紙が張ってあるじゃありませんか。
 唯一使用可能な個室は某3番目の個室。
 そう、トイレのベンジョンソンさんが出るという個室だ!
「困った(おなか痛くなってきた)」
 恐怖と緊張のあまり腹痛を起こすルーファス。
 ぎゅるるるぅぅぅ。
 お腹が泣く。
 ルーファスに選択の余地はなかった。
 個室に飛び込み、念のためトイレットペーパーを調べる。
「……うそでしょ?」
 紙がない。
 神がない。
 オーマイゴッド!!
 危ないところだった。このまま知らずに用を足していたら、トイレのベンジョンソンさんを召喚するところだった。
 昔からルーファスは召喚と相性が悪い。
 一刻も早くトイレを出……れない!
 閉めた覚えのない鍵が閉まってる。
 ドゴドガドガドゴ!
 必死になってドアを殴る蹴る。
「うッ!(蹴るんじゃなかった)」
 骨折してる足で思わず蹴ってしまった。ドジだ。
 ゴン!
 と、ルーファスはもう一発ドアを殴りつけた。
「なんで紙がなくて、閉じ込められなきゃいけないのさ!」
「紙イリマスカー?」
 蒼ざめた顔でルーファスは辺りを見回す。
「ギャァアアッ!?」
 叫んだルーファスの視線はドアの上にある隙間に向けられていた。なんとそこに黒い手に握られたトイレットペーパーが!?
 しまった……やちゃった。
 召喚しちまった。
 トイレのベンジョンソンさん召喚!
 先ほどまで閉まっていたドアが自然に開き、アフロヘアーの人影ぐぁっ!
 ルーファスは声をあげるでもなく、真正面を凝視してしまっていた。
 ボクサーの格好をした黒人男性。しかも犬顔をしたアフロ。
 ヤヴァイ、ぜんぜん怖くない。
 ベンジョンソンさんはトイレットペーパーをルーファスに差し出している。
「受ケ取ッテクダサイ」
 カタコトの言語が胡散臭さ満点だ。
 しかし、なんかの魔力なのか、ルーファスはトイレットペーパーを受け取ってしまった。
「あ、どーも。ありがとうございます」
「10ラウル貰イマス」
「はぁ?」
 財布なんて持ってないし、10ラウルなんて持ってない。
「10ラウルクダサイ」
「あ、だから、ええっと……(10ラウル渡さないと、どうなるんだ?)」
 ルーファスはトイレットペーパーを返そうとしたが、受け取ってくれない。
「返します」
「10ラウル」
「返すってば」
「10ラウル」
「だから返すって言ってるでしょ!」
「10ラウル!」
 ついにベンジョンソンさんがルーファスに襲い掛かってきた。
 しかもベンジョンソンさんってばヤル気満々。
 いつの間にかベンジョンソンさんの拳には赤いグローブが嵌められ、シュッシュッと振られる拳からはなぜか赤い液体が飛び散る。
 まさかその赤い液体って……。
 ルーファス爆逃!
 片足でピョンピョン跳ねながら逃げる。
 その後ろをダッシュしてくるベンジョンソンさん。
 深夜の病院での奇怪な追いかけっこ。
 長い廊下をひたすら逃げる。
 逃げる。
 逃げる。
 逃げる。
 逃げる。
 逃げる。
「……おかしい」
 逃げても逃げても突き当たりがない。
 リューク国立病院はアステア王国一の敷地面積がある。が、そーゆー問題以前の問題が起きているらしい。
「……同じ道じゃ……?」
 そう、さっきから同じ廊下をリピートしているのだ。
 こんなことでは体力が続かず、いつか力尽きてしまう。
 そういえば、こんな怪談をルーファスは思い出した。
 無限廊下の話だ。
 永遠に続く廊下に閉じ込められた者が翌日死体となって発見された。不思議なことに、その被害者はたった1日しか行方不明になっていないはずなのに、何日も廊下を歩き続けたように痩せこけて力尽きていたのだという。
 怖ッ!
 廊下に閉じ込められたうえに、後ろからはベンジョンソンさんが追ってくる。
 片足ピョンピョンは想像以上につらい。
「もう……ダメだ……」
 バタっとうつ伏せでルーファスは力尽きた。
「(きっとあのグローブでボコボコに殴られるんだ)」
 死を覚悟したルーファスに迫るベンジョンソンさん。その影はもうルーファスの真後ろに立っていた。
「10ラウル」
「……だからないって言ってるのに」
 ぐったりと伸ばされたルーファスの手になにかが触れた。
 指先に触れた冷たく硬い感触。
 それを握り締めたルーファスは、顔の近くで手を開いた。
「ああっ!」
 ルーファスの掌に握られていたのは、なんと10ラウル硬貨!
「やったーっ10ラウルだ!」
 誰が落としたのか知らないが、落としてくれてありがとう。
 ベンジョンソンさんに10ラウルを渡すと、グッドと親指を立てて笑って去っていった。
 眩しすぎる笑顔だった。
「……いったなんだったんだアレ?」
 トイレのベンジョンソンさん。そもそもオバケなのかもわからない。よくわからない存在だ。
 腹痛はいつの間にかどっかに消えてしまったが、急な尿意がぶり返してきた。
 だけど、もうトイレになんて行きたくない。
 けれど、トイレに行かないと漏らしてしまいそうだ。
 どうするルーファス!
 そんなとき、廊下に響いた謎の足音。
 ルーファスが床に這いつくばったまま、遠くの暗がりに目を凝らした。
 T字路を横に抜ける影。
 出たーっ!
「(絶対幽霊だ)」
 と、ルーファスは思い込んだ。
 謎の影が消えた方向は、ルーファスの病室がある方向だ。つまり返り道。
 怖くて帰れないし!
 かといって、トイレの方向に引き返すのもイヤだ。
 そうだ、もしかしたら目の錯覚だったかもしれない。
 一晩に2回も超自然物体に出遭うはずがない。
 オバケなんていないのだ!
 と、気合を入れてルーファスは匍匐前進をはじめた。
 一生懸命部屋に戻る途中、ルーファスは気配を感じて後ろを振り返った。
 誰もいなかった。
 気のせいかもしれないけど、怖いので匍匐前進のスピードアップ!
 オマエの方が怖いよってな動きでガザガサっとルーファスは急いだ。
 自分の部屋はもう目の前だ。
 今日は電気をつけて眠ろう。
 むしろ、朝まで起きてよう。
 やっと部屋の前についてルーファスが立ち上がろうとした瞬間、向こう側からドアが開いた。
「ギヤァァァァァッ!!」
 悲鳴をあげてルーファスは立ったまま気を失った。
 ルーファスの股間に染み渡るあったかいぬくもりが……。
 嗚呼、放尿。
 ルーファス17の秋だった……。

《3》

 ベッドの上でルーファスはハッと目を覚ました。
 辺りを見渡すと、自分の病室だった。窓の外はいい天気らしく、空が青く輝いている。
 足は昨日と同じで吊り下げられ固定されている。
 まるで病室から一歩も出てませんよ的な現状だった。
 まさか、昨晩の出来事は全て夢だったのか?
 トイレのベンジョンソンさんとの交流も夢だったの?
 そうだ、あんな故障中ばっかりのトイレなんて、あまりにも出来すぎな展開だ。
 やっぱりオバケなんているわけないんだ。
 ほっとため息をつくルーファス。
 ベッドでルーファスが寛いでいると、コンコンと規則正しい音色を奏で、空色の声が室内に流れ込んできた。
「お邪魔するよ、へっぽこくん(ふあふあ)」
 ローゼンクロイツだった。
「あっ、ローゼンクロイツ。今日も来てくれたんだ」
「今日も来たらしいね(ふにふに)」
 らしいってなんだよ。自分のことなのに疑問系。
 ローゼンクロイツはツカツカと歩いて、椅子にちょこんと座った。今日はフルーツの盛り合わせはないらしい。
「ルーファス、これあげる(ふあふあ)」
 フルーツ盛り合わせの代わりにローゼンクロイツが持ってきたのは、一冊のノートだった。
「なにこれ?」
 ノートを受け取ったルーファスは、パラパラっとページを開いて中身を確認した。
 中には印刷されたような綺麗な文字が書かれていた。芸術的な美しい図解や図形も描かれている。これは授業ノートだった。
「もしかして僕の代わりに?(ローゼンクロイツもいいとこあるなぁ)」
「たまにはキミに恩を売っておくのもいいと思っただけさ(ふっ)」
 腹黒いぞローゼンクロイツ!
 ローゼンクロイツは一瞬だけ口をニヤリとさせ、すぐに無表情に戻った。
「ところでルーファス(ふあふあ)」
「なに?(話の切り替え早いよ)」
「さっきロビーで立ち聞きしたんだけど、昨晩この病院にオバケが出たらしいよ(ふあふあ)」
「えっ!?」
 目をまん丸にしてルーファスはドキッとした。
 まさかベンジョンソンさん!?
「あのね、廊下を這う蜘蛛男が出たってさ(ふにふに)」
「はぁ?」
「深夜の廊下を這う蜘蛛男だよ(ふあふあ)。悲鳴も聴こえたらしいよ(ふあふあ)」
「はぁ?」
 ベンジョンソンさん意外にも、この病院にはオバケが棲み憑いているのだろうか?
 実は、蜘蛛男の正体は匍匐前進をしていたルーファスだったりするのだが、そんなことなど彼は思いもしなかった。
 つまり、昨晩の出来事は夢ではなかったのだ。
 ローゼンクロイツは椅子から立ち上がって背を見せた。
「帰るね(ふあふあ)」
「もう?」
「じゃ(ふあふあ)」
 肩越しに手をひらひらと振って、ローゼンクロイツは病室を出て行った。
 じゃなくって。
「ちょっと待ってローゼンクロイツ!」
「なに?(ふに)」
 不思議そうな顔を作ってローゼンクロイツは振り返った。完全に作った大げさな表情だ。
「ノートはありがたいんだけど、今日の授業は?」
「なんだい、今日のノートも請求するのかい?(ふにふに) 図々しいよルーファス(ふにー)」
「そうじゃなくって、今日学校は?」
「サボったに決まってるじゃないか(ふあふあ)」
 サラッと言った。
「新年度はじまったばかりなのにサボリ? 今年の進級も暫定扱いなんだろ?」
「その問題なら解決したよ(ふにふに)」
「どうやって?(学院長の差し金かな)」
「魔女と取引した(ふあふあ)」
 魔女とはカーシャのことである。
 去年度の出席日数が足らなかったローゼンクロイツは、マスタードラゴンの鱗をカーシャに渡すことで出席人数を改ざんしてもらったのだ。
 用事も済んで今度こそローゼンクロイツは去っていった。それと入れ替わるようにノックが聴こえ、黒衣の男が入ってきた。
「ルーファス君、怪我の具合はどうかね?」
 今日も妖しい目つきでルーファスを見るディーだった。
 ルーファスしばし無言。
「(もしかしたら昨日よりも悪化してるなんてことは口にできないから)今日にも退院できるんじゃないかなー」
「それは私が決めることだ」
「(あっそ)だよね、でも明日には退院だよね?」
「さて、それは明日になってみないとわからんな(どのような理由で病院に引きとめようか……?)」
 一刻も早く退院したい患者と、なるべく長く引き止めたい医者。早く退院したいのは患者の当然の心理で、引き止めたいのは悪徳医師であれば、治療代を多く請求するよくある方法だ。けれど、この二人の場合は動悸が通常と異なる。
 今もルーファスを色目で見ているディーと、見られていることに怯えるルーファス。その辺りが二人の動悸だ。
「ルーファス君、困ったことがあったら、いつでも私に相談してくれたまえ」
 と、ディーの顔が近づき、逃げようにも動けないルーファス。
「(ちょっと近づきすぎ)ええっと、それでしたら早急にナースコールを直して欲しいかなぁって」
「ナースコールがどうかしたのかい?」
「不思議なことにコールボタンの線が切れちゃって」
 不思議なことを言いつつも、実はちゃんとビビがやったことを知っているルーファス。
「ふむ、どのコードが切れているのかね?」
 ルーファスに覆いかぶさるようにディーは身を乗り出した。
 少し回り込めばいいものを、わざとルーファスに覆いかぶさり、コールボタンを調べる。
 ディーとルーファスの胸板が密着。
 不可抗力でドキドキしているルーファスの心音に対して、ディーの心臓は動いていないように静かだった。
 はたから見ると、ディーが患者をベッドに押し倒しているような光景の中、ノックもされずに病室のドアが勢いよく開かれた。
「ルーちゃん、お見舞いに来たよぉ~ん!」
 部屋に飛び込んできたビビを見て、瞬時にディーはルーファスから退いた。
「また君かね」
 ディーの瞳はビビを蔑む眼つきで見ている。完全に邪魔者扱いだ。けれど、目では訴えてもそれを口に出すことはなかった。
 ディーはビビの横を通り抜け病室を出ようとした。
「それではルーファス君、また後で……(また邪魔が入ったな)」
 二人っきりの部屋で、ビビはルーファスを汚い物でも見るような目で見ている。
「ルーちゃん……不潔」
「ふっ、不潔ってなに?(なんか勘違いされてるっぽいなぁ)」
「あのヒトとどんなカンケイなの?」
「だから、ディーとは医者と患者の関係だから(向こうがどう思ってるかは別として)」
「ホントにぃ?」
「ホントだってば!」
 ムキになったのが逆効果で、ビビの瞳イッパイに疑惑が湧いている。
 そして、ビビはそっぽを向いて頬を膨らませた。
「ならいいけど(ルーちゃんがそっち系だったら、アタシ一生トラウマになりそう)」
「(なんで怒られてるんだろう)」
 会話が途切れ、気まずい空気が流れる。
 ルーファスはベッドから降りられないので、この場を逃げることもできない。方やビビは、キッカケを失っていた。
「(このまま部屋出るの気まずいし、でも話す話題がないよぉ……)」
 そんなうちにも、気まずい空気は濃度を増していく。
 こんなとき、誰かが病室に訪れてくれれば……なんてことも起きてくれなかった。
 なにかを思い出したようにビビは手を叩いた。
「そうだ、ルーちゃん知ってる?」
 作戦、無理やり話を切り出して、さっきのことは水に流してみる。気持ちも心機一転、笑顔のビビ。笑顔をビビの得意技だった。
「なに?」
「この病院にオバケが出るらしいよ」
「蜘蛛男?」
「はぁ?(それってオバケじゃなくて怪人じゃん)」
 蜘蛛男(ルーファス)ではないらしい。となると、ローゼンクロイツの話してくれた話ではないっぽい。
 話に乗ってきたルーファスを見るビビのキラキラ目線。ちょっと自慢げ。
「教えて欲しい?」
「いや、別に……(怖いからそんなに聞きたくないなぁ)」
「もしかしてルーちゃん怖いの?」
「ギクッ! そ、そんなことないよ!」
「ルーちゃん焦りすぎ(ホントわかりやすいんだから)」
「焦ってなんかないよ!」
 無意味に手で防御体勢をするルーファス。完全に取り乱していた。
 ルーファスを困らせてやろうとビビは話を続ける。
「実はね……」
「実は……?(あんまり怖くありませんように)」
 ゴクンとルーファスは咽喉を鳴らした。と同時にビビが大声を出す。
「ピョンシーが出たんだって!」
「はぁ?(なにそれ)」
「ルーちゃんピョンシー知らないの?(ダッサー、ちょーポピュラーな妖怪じゃん)」
 ビビの主観なので本当にポピュラーがどうかはわからない。
 なんだかルーファスの恐怖は吹っ飛んだ。聞いたことも見たこともなく、ネーミングもそんなに怖そうじゃない。
「ピョンシーなんて聞いたことないよ。詳しく教えてよ(なんか可愛いウサギの名前みたい)」
「元々人間の屍体なんだけど、そこに闇の力が宿って怪物になるんだよ。ピョンピョン飛んで移動するからピョンシーって名前になったんだって」
「ジャンプしながら移動するアンデッドってこと?」
「うんうん、原産地は東方の国だったかなぁ」
 あまり怖そうな感じがしない。特にピョンピョン跳ねるところが、逆にユーモラスに感じられる。
 けれど、実際に追いかけられたら怖いかもしれない。
 ルーファスの脳裏にトイレのベンジョンソンさんが思い浮かぶ。見た目は犬顔のアフロなのに、追っかけられたときはそれが怖かった。
「(でもあれは夢だ。絶対に夢だ)」
 ルーファスは昨晩の出来事を夢と思っているのではなく、夢だと思い込みたいようだった。
「そんなわけだからルーちゃん、今夜調べてみようよ!」
 唐突なビビのセリフにルーファス驚く。
「はぁ!?」
「ルーちゃんの代わりにアタシが夜までに準備しとくね♪」
「はぁ?」
「じゃあねルーちゃん、またねー!(夜が楽しみ)」
 元気よく笑顔でビビは部屋を後にしていった。一度火がついたビビは止まらないらしい。
「あの、だから、足治ってないんだけど……」
 ルーファスは呟いた。だが、ビビはとっくに病室を後にしていた。
 独り残された病室に思いため息が漏れた。
 天井をボーっと眺めていると、しばらくしてノックが聴こえた。
「どうぞ」
 と、ルーファスが合図をすると、ドアを数センチだけ開けて何者かの瞳が部屋の中を覗いた。
「ふふふっ、見舞いに来てやったぞ、へっぽこ」
 ドアを大きく開いて入ってきたのはカーシャだった。
 ここでルーファスはローゼンクロイツにもした質問をする。
「学校は?(カーシャまでサボリってころはないよね)」
 カーシャは魔導学院の教員である。
「昼休みだ(ルーファスのところに来れば、なにか面白そうなことがありそうだと思ったが、なにもなさそうだな)」
「もう昼休みの時間なんだぁ。じゃなくて、昼休みって結構すぐ終わると思うんだけど」
「いざとなれば自習にでもすればよかろう(ぶっちゃけ、ルーファスのいない学院はつまらん)」
「(そろそろこの人クビになってもいいと思うんだけどなぁ)ちゃんと授業しないとクビになるよ」
「そのときはそのときだろう。ところでルーファス、茶!」
 病人にお茶を出せ攻撃!
 人使いが荒いという限度を越えて、カーシャは怪我人を怪我人と思ってないほど、自己中心的な女だった。
「お茶なら、そのポットで自分でいれてよ」
「客人に茶をいれさせるなど、どういう神経をしてるのだ(ホントつかえんやつだ)」
 それはこっちのセリフだ。
 ブツブツ愚痴を言いながらお茶をいれるカーシャ。その姿を見ながら、ルーファスはため息を付かずにはいられなかった。
「……はぁ(カーシャってホント人をいたわるってこと知らないよね)。ところでカーシャ何しに来たの?」
「見舞いに決まってるだろう、アホかお前は?」
「(アホじゃないし)だってさ、わざわざ昼休み来るなんて、なんかあるのなぁって思うじゃん」
「特にない」
 キッパリ、アッサリ、サッパリ答え、言葉を続ける。
「しいていうなら、面白いことを探しにきた」
「はぁ?」
「なにかないか?」
 そんなこと突然聞かれても困る。
「なにかって言われても……病院にオバケが出たらしいって話くらいしかないかなぁ」
「どうしてそんな面白いことを早く言わんのだ」
「話の流れってあるでしょ」
「よし決めたぞ。今夜この病院を捜索するぞ。もちろんお前も一緒だ(今年初の肝試しだ……ふふ、楽しみ)」
「は、はい?」
「では、また夜に来る」
 勝手に話を進めてカーシャは部屋を出て行ってしまった。
 残されたルーファスは呟く。
「だから足が治ってないから……」
 どいつもこいつもルーファスが怪我人だということが、頭からスッポリ抜けているらしい。
 頑張れルーファス!
 負けるなルーファス!

《4》

 夜になって、ルーファスがぐっすり眠っていると、誰かの呼ぶ声がした。
「ルーちゃん起きて、起きてってばぁ」
「……あと……5分……1分でいいから……ふにゃふにゃ」
「ルーちゃんってば、寝ぼけてないで起きてよぉ」
「ああ……もぉ……もう少し……ビビ!?」
 ビックリしてルーファスは目を覚ました。
「なんでビビがいるの?」
「忘れちゃったのぉ?」
 少しビビは顔を膨らませた。
 そーいえば、肝試しだか、オバケ退治だか、花火大会だか、なんかの約束をしたようなしてないような気がする。
「ホントにやるんだ(ってことはカーシャも来るのかな)」
「バッチリ準備万端だよ♪」
 ビビはお出かけ用のショルダーバッグと、脇には松葉杖を抱えていた。
 松葉杖を持ってきたことから、相手が病人だという認識はあるらしいが、その認識がありながらオバケ探しで引きずり回すのはヒドイ。仔悪魔っていうか、悪魔の所業だ。
 なのに満面の笑みを浮かべているビビを見ると、なんか騙されてしまう。
「早く行こうよルーちゃん(ドキドキワクワク)」
「ここまで来たら行くけどさー、その前に足を外してくれないかな?」
 ルーファスの右足は吊り下げられ固定されている。心なしか昨日よりも頑丈に固定されているような気がする。
 それをビビちゃんが無理やり破壊。
「出来たよ、早く行こ」
 ベッドの脇には、グチャグチャになっている布やら、引き裂かれたヒモやら、強い力で曲げられたアルミパイプが……。治療代から差し引かれるに違いない。
 松葉杖を受け取りルーファスはベッドから降りた。
「行くのはいいけど、どこに行くの?」
「テキトーに行けばいいんじゃないのぉ?」
 アバウトだ。
「この病院結構広いよ」
「じゃあ……トイレとか霊安室とか行く?」
「どっちもイヤだ(特にトイレは行きたくない)」
「ワガママだなぁ」
 そういう問題なのか?
 ピョンシーが本当にいると仮定して(ビビのモーソーの産物でないと仮定して)、ビビの話によるとピョンシーの元は人間の屍体らしい。ということは、霊安室がもっとも有力かもしれない。
 しかし、ビビは!!
「末期患者を探せばいんだよね!」
「はぁ!?」
「だって屍体は鮮度が重要なんだよ(魂を狩るなら元気な人の方が美味しいけど)」
 いくら鮮度が重要でも、末期患者はまだ死んでいない。
「人がいつ死ぬかなんてわからないし、人が死ぬの待つなんて失礼だよ」
「これでもアタシ魂を糧にしてるちょーカワイイ悪魔なんだけど。末期患者の死期くらいなら視えるかな(もっと修行すればいろんな人の死期が視えるらしいけど、メンドクサイんだよねー)」
 そんなわけで、強引なビビに引きずられて病院の外に来た。
 廊下はひんやりと静かだ。
 耳をそばだてるビビ。
「……誰か来る!」
「えっ、どっち?」
 足音が聞こえないルーファスは左右を見渡した。
 すると、走っているような足音がだんだん近づいてくるのがわかった。
 ルーファスフリーズ。
「ま、まさか……」
 もうダッシュで近づいてくるアフロヘアーのシルエット。
 トイレのベンジョンソンさんだ!!
 って、なんでいるの!
 ビビは呆然と走ってくるベンジョンソンさんは眺めている。
「なにアレ?」 
「トイレのベンジョンソンだよ!」
「意味不明だよ(なにトイレのベンジョンソンサンって)」
 逃げようとしないビビの手を引っ張り、ルーファスは必死こいて逃げ出した。
 松葉杖を放り出して、ぴょんぴょん、ぴょんぴょん逃げる。
 引っ張られるビビはきょとんとしている。
「なんで逃げなきゃいけないの?」
「なんでって、追っかけて来てる人見た?!」
 追いかけてくるのは、犬顔のボクサー。もちろん頭はアフロヘアーだ。
 どう見ても怪しい!!
「でも、別に逃げなくてもぉ」
 立ち止まったビビに合わせてルーファスも止まった。
「だって怖いでしょ、早く逃げ――ッ!?」
 ルーファスとビビは目を丸くして口を大きく開いた。
 次の瞬間、顔を蹴られてぶっ飛ぶベンジョンソンさん!!
 グフッ!
 冷たい廊下にベンジョンソンさんは沈んだ。
 そして、10カウントが過ぎた。
 カンカンカン、ゴングが鳴り響き勝者――カーシャ!!
「はぁ! なんでカーシャがいるのさ!」
 驚くルーファスの視線の先で、カーシャは静かに微笑んでいた。
「いては悪いか?」
「そういうわけじゃないけどさ、なんでベンジョンソンさんをのしてるの……」
「こいつはベンジョンソンさんではない。ただの変質者だ」
「そうなの?(でも話に出てくる格好と同じだけど)」
「うむ、ボクサーマニアの入院患者だそうだ」
 トイレのベンジョンソンさんでもなければ、マニアなのでボクサーでもない。ただの変質者だ。
 怖がって損した。
 しかし、本当に怖かったのはこの変質者だろう。
 ボコボコに殴られたか蹴られたかして、この変質者の顔はボコボコで原型をとどめていなかった。誰がやったのかはあえて言わない。なんか赤い靴を履いてる人がいるけど、突っ込んではいけない。
 カーシャは虫の息の変質者の足を持ち上げた。
「では妾はこやつを治安所に連行する(ふふ、懸賞金もらえるといいな)」
 変質者を引きずって、ついでに赤い線を引きながら、カーシャは闇の中に姿を消した。
 いったいカーシャは何しに来たんだ?
 てゆーか、オバケを捜索しに来たんじゃないのか?
「てゆーか、治安所より病院が先でしょ」
 と、ルーファスは呟いた。
 ちなみにここは病院だった。病院で大怪我をした変質者。カーシャに出遭ったのが運のつきだったのだろう。
 偽ベンジョンソンさんが現れたことにより、当初の目的が遠ざかってしまった。ここから軌道修正して、当初の目的を思い出そう。
 そうだ、ピョンシーを探しているのだ。
 が、ここで問題発覚!
 ルーファスが口にする。
「松葉杖落とした」
 落し物としては、通常ではありえない落し物だ。偽ベンジョンソンさんから逃げる際、どこかに放ってしまったのだ。
 ビビは自分より背の高いルーファスを、下から丸い目で覗いた。
「元来た道にあるんじゃないのぉ?」
「そうだね」
 それほど長い距離を逃げたわけでもなく、すぐに近くにあるはずだ。おそらく、ルーファスの病室を出てすぐの場所だ。
 ルーファスはぴょんぴょん、もちろんビビは普通に歩いて廊下を引き返す。
 すると、ルーファスの部屋が近くなってきたところで、ビビが足を止め、ルーファスも慌てて足を止めた。
 ビビは口の前で人差し指を立て、『しーっ』とルーファスに合図を送った。
 そして、ルーファスの部屋のドアが開くと同時に、ビビはルーファスを引っ張って曲がり角に身を隠した。
 何者かがルーファスの部屋から出てきた。
 足音が遠ざかっていくのを確認して、ビビは曲がり角から顔を出した。
 廊下の先を歩く長身の黒い影。ジャンプで移動していないのでピョンシーではないらしい。
 しかし、あの影はどう見ても人間じゃない。
 長く細い腕から伸びる手の先が廊下にまで届いているのだ。
「追いかけよ」
 ビビが小声で言い、ルーファスは首を横に振った。
「ヤダよ」
「いいから行くのぉ」
 ビビに強引に引っ張られ、ルーファスはぴょんぴょん跳ねながら影を追いかける。
 松葉杖捜索はなかったことのように忘れられている。
 謎の影は用心深いようで、何度も立ち止まっては辺りを調べている。その都度、勘のいいビビが隠れ、ルーファスは冷や汗を掻きながら一緒に隠れる。
 しばらくしてナースセンターの明かりが見えてきた。その明かりで、ルーファスたちは謎の影の正体を知るのだった。
 謎の影の正体は、松葉杖を持ったディーだった。
 松葉杖を抱えるのではなく、先を下に向けて持っていたために、腕の長い怪物に見えたのだ。
「(期待して損しちゃった)」
 ビビがガッカリする横で、ルーファスはほっとしていた。
「(よかったオバケじゃなくて)」
 ナースセンターに松葉杖を預けたディーが再び歩き出す。ビビはそれを追おうとして、ルーファスに引き止められた。
「まだ追うの?」
「だってこんな夜中に病院を徘徊してるなんて怪しいじゃん」
「ただの夜勤でしょ?」
「ううん、絶対怪しい(はじめて会ったときから思ってたんだよね)」
 アッチ趣味疑惑とかいろんな意味で。
 とめても聞きそうにないので、ルーファスは仕方なくビビについていくことにした。
 再び尾行開始。
 ディーはいったいどこに向かっているのか?
 しばらく歩いた後、ディーはとある病室に入っていった。
 急患が出たのだろうか?
 と、考えるのが普通だが、ルーファスはとある噂話を思い出していた。
 リューク国立病院七不思議の一つ――副院長の怪。
 病院創設以来からずっと副院長だったりする魔法医ディー。最低でも300歳以上なのに、見た目は20代半ばなのだ。
 まあ、そんな存在はルーファスの身近に普通にいたりする。魔導学院の教師であるカーシャだ。
 かつて古の時代、アステア王国が建国されるよりも遥か以前。このウーラティア地方を支配しようとした1人の魔女がいた。と古い文献に記されている。どうやらそれが〈氷の魔女王〉と呼ばれていた時代のカーシャらしい。
 つまりルーファスの周りには、ものすっごいお年寄りが普通にいるのだ。
 ただし、カーシャは人間ではない。そうなると、やっぱりディーも人間ではなさそうだ。
 そして、ディーにまつわる黒いウワサ。
「実はディーって吸血鬼で夜な夜な患者の生き血を啜ってるとかって……」
「うっそーマジで?」
「噂だよ噂。ほら、でもさディーって日中も病院にいるから、たぶん吸血鬼じゃないと思うけど」
 吸血鬼が太陽を苦手としているというのは定説だ。
 腕組みをしてビビは『う~ん』と唸った。
「ピョンシーってヴァンパイアの亜種だって聞いたことあるよー(ピョンシーに噛まれると、ピョンシーになっちゃうんだっけ?)」
「だーかーらー、ディーが吸血鬼だって決まったわけじゃないから(本当に吸血鬼ならとっくに僕が餌食になってるよ)」
 そんな話をしているうちにディーが病室を出てきた。すぐさま二人は物陰に隠れる。
 ビビは小声でルーファスに耳打ちをする。
「きっと誰かの血を吸ったんだよ(アタシが思うに男)」
 早々と歩き去っていくディーを再び尾行。
 病室から離れ、病院の奥へ奥へと進む。夜の静かな世界から、より濃い闇の世界へ。
 ディーが足を止めたのは霊安室の前だった。
 ピョンシーの隠し場所!?
 霊安室に入っていくディーを追うのは躊躇われる。さすがに霊安室まで追って入ったら、普通にバレてしまう。
 でも、ビビは気になって身体をウズウズくねらせている。
「気になるよ、中に入って調べてみよ」
「ダメだよ」
「なにもなかったら『こんばんわぁ♪』って言っておわりじゃん」
「なにかあったら『こんばんわぁ♪』じゃすまないよ(場合によったら命にかかわるかも)」
「行くよ、ルーちゃん!」
「はぁ!」
 ルーファスが止める前にビビが霊安室に飛び込んでしまった。
 背を向けてゴソゴソしていたディーが鋭い眼つきで振り向いた。その口元は真っ赤に染まっている。
 慌ててディーは口元を拭い、引き出しになっている屍体を安置する函を壁に押し込めた。
「キミたち、見たかね?」
 冷たい口調でディーは言った。
 ルーファスはこわばった顔で首を横にブルブル振った。
 横に立っているビビはビシッとバシッとシャキッと、『犯人はお前だ!』的なポーズでディーを指さした。
「ピョンシーを隠してもムダだかんね!!」
「…………」
 ディーはきょんとしてしまった。
 その隙をついてビビがディーの隠した函を開けようとした。
 ディーは必死になってビビを止めようとする。
「やめろ、開けるんじゃない!」
「この中にピョンシーが!」
「ピョンシーなんか入ってない!」
「ウソばっかり!!」
 そして、ついにビビは引き出しを力いっぱい開けた!
 ルーファスが見守る!
 ディーが顔を歪める!
 ビビが目を丸くする!
 なんと、函の中に入っていたのは缶ジュース。函いっぱいにジュースの缶が並べられていた。
 ビビは1本手にとって缶を調べた。
「トマトジュース?」
「悪いか?」
 ディーは少し怒った様子でビビからトマトジュースを取り上げ、函の中にしまって引き出しを閉めた。
「トマトジュースが好きでなにが悪い?」
 ディーはそう言うが、問題はそこじゃなくて、ルーファスがツッコミ。
「どうしてこんな場所にしまってるのさ?(よりに寄って屍体の近くなんて)」
「この場所で冷やして置けば誰にも飲まれる心配がないだろう(それにこの場所が病院で一番落ち着く)」
 そんなに人に盗られたくないのか!
 オチのついたところで、ルーファスはどっと疲れた。
「私帰るね」
 ぴょんぴょんと跳ねながらルーファスは去っていく。
「待ってよルーちゃん!」
 ビビもルーファスを追って去っていった。
 残されたディーはトマトジュースを1缶開けてグビッと咽喉に流した。
「うん、美味い」

 翌日、ついにルーファス退院の日。
 なんだかんだでディーの策略により、朝一の退院が夕方まで伸ばされた。
 ディーが見送りとかに来る前に、ルーファスはさっさと病室を逃げ出した。
 廊下を足早に歩く途中で、向かいから空色のローゼンクロイツが歩いてきた。
「奇遇だねルーファス(ふあふあ)」
「何しに来たの?」
「キミに会いに(ふあふあ)」
 それなら、そんなに奇遇ってわけでもない。
 ローゼンクロイツは自分の手提げバッグからノートを取り出した。
「はい、これ今日のノートだよ(ふあふあ)」
「ありがとう」
 でも、昨日分だけ抜けている。
「ところで、ルーファス知ってるかい?(ふにふに)」
「なに?」
「またオバケが出たらしいよ」
「……ああ~」
 なんかいろいろ心当たりがあったりする。
「ロビーで話してるオッチャンの話を立ち聞きしたんだけどね(ふあふあ)。ピョンピョン廊下を跳ねるオバケが目撃されたらしいよ(ふにふに)」
「あはは~、そうなんだぁ(まさかそれって……)」
「その特徴が、頭から長い触手をなびかせてるとか」
「あはは~、そうなんだぁ」
 ローゼンクロイツの視線は、ルーファスが後ろで縛ってる長い髪をチラ見している。
 そう、ここまで来たら誰もがお分かりだろう。昨日ビビが話した病院に出没したと言うピョンシーも、今日ローゼンクロイツが話した話も、ぜ~んぶ正体はルーファスだったのだ。
 ちなみに改めて言うが、昨日の蜘蛛男もルーファスが正体だった。
 病院を出たところで、早足で黒衣を靡かせディーが追ってきた。
 ルーファスは気付かないフリをして逃げようとしたが、横にいたローゼンクロイツがディーと目があったために、必然的もルーファスも足を止めることになってしまった。
 ディーは紙の袋をルーファスに手渡した。
「ルーファス君、忘れ物だよ」
「忘れ物?(忘れ物なんかないと思うけど)」
 学院から病院に直行したルーファスは、特に荷物も持っていないで担ぎ込まれた。
 紙袋を受け取ったルーファスは顔を真っ赤にして袋を抱きかかえた。
 ルーファスが目を泳がせる前で、ディーは妖しく微笑んでいる。
 無表情でローゼンクロイツは尋ねる。
「どうしたんだいルーファス?(ふにふに)」
「な、なんでもないよ!」
 顔を真っ赤にしてルーファス爆走。
 ドン!
 ルーファス誰かとぶつかる!
「いった~い!」
 尻餅をついて倒れたのはビビだった。
「ルーちゃんばかぁ!」
「ビビが私にぶつかってきたんでしょ」
「せっかく迎えに来てあげたのにぃ」
 立ち上がろうとしたビビが地面に手をつくと、その手になにか柔らかい布の感触が……?
 それはルーファスの紙袋の中身だった。ぶつかったときに飛び出したのだ。
 そして、それを見たビビの顔が見る見るうちに真っ赤になっていく。
「る、ルーちゃんのエッチ!!」
 ビビちゃんパ~ンチ炸裂!!
 その手には思わず握ってしまった謎の布。
 ぶっ飛んだルーファスにビビはその布を投げつけた。
「もぉルーちゃんのこと知らない!」
 仰向けになっているルーファスの顔面に乗った謎の布の正体は――
ルーファスのパンツだった。
 ルーファス17の秋だった……。

 おしまい


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