第15話_白い月が微笑むとき

《1》

 自宅地下の実験室。
 今までにない手ごたえを感じるルーファス。
 魔法陣が淡く輝く。
 そして、ルーファスは最後の一言を声高らかに叫ぶ。
「――出でよ、インぶはっ!?」
 いきなり、魔法陣から飛び出した影に膝蹴りを喰らい、ルーファスは鼻血ブーしながら転倒した。
 明らかな召喚ミス。
 ルーファスが最後まで言葉を言えなかったことから、無理矢理召喚に乱入してきたことが伺える。
 召喚されたのは燕尾服を着たスマートな男が立っている。実にこの男はナゾに包まれている。どこがナゾかって、首から上が黒子の頭巾だからだ。
 黒子は腕にはめたパペット人形をルーファスの眼前に突きつけた。
「オイ、ソンナトコニ突ッ立ッテタラ、危ネェーダロ!」
 腹話術だった。
「ご、ごめんなさい」
 蹴られたルーファスが謝ってる構図。
 黒子は自分の首を動かさず、パペットで辺りを見回した。
「此処ハ何処ダ。教ヤガレ、スットコドッコイ!」
「え~っと、国から言ったほうが宜しいんでしょうか?(こ、この人形怖いよぉ)」
「オ前人間ダロ、ダッタラ此処ハのーすダロ。のーすノ何処ダ、スットコドッコイ!」
 ノースとは人間界のことを示す言葉であるが、人間たちは自分たちの世界をガイアと呼ぶのが一般的であり、ノースと呼ぶのは別世界の住人である。
「アステア王国の王都アステアですが……ちなみにここは私の家の地下室です」
 パペットは手を広げて驚いたリアクションをした。ちなみに黒子はまったく無反応で、見える透明人間に徹している。
「オオ、ヤッパあすてあ王国ナノカ! オイ、ウチノ小娘ヲ見ナカッタカ?」
「小娘ってどのような感じの?」
「世界デ一番ぷりてぃナ小娘ダ。名前ハゆーり・しゃるる・どぅ・おーでんぶるぐッテンダ」
「それなら知ってますけど」
 知ってるもなにも、ユーリもルーファスが召喚したのだ。
「オイ、サッサト吐ケ。知ッテルンダロ、サッサト言ワネェート、ヌッコロスゾ!」
 黒子は持っているパペット人形を、ルーファスの顔面にグリグリしていた。
「何デ、言ワネェーンダヨ。隠スト、ヌッコロスゾ!」
「そ、それはあなたが僕の顔をグリグリするから……(窒息しそうだったし)」
 苦しそうなルーファスは、謎の黒子に追い詰められている。
「ウッセンダヨ、ノロマ! モウイイ、俺様ガ自分デ探ス!」
 そう言って、パペットと黒子は嵐のように姿を消した。
「……なに今の人?」
 今日は休日で、ルーファスは朝から召喚術の特訓中だった。
 そして、呼びだしてしまったのが今のパペットと黒子。
 とりあえず召喚は大失敗だ。
 気を落としながらルーファスは地下室を上がった。
 ピンポーン♪
 玄関のチャイムが鳴った。
「ルーちゃんあ~そぼ♪」
「ルーファス様、遊びに参りました!」
 不機嫌そうに顔を見合わせるビビとセツ。二人はルーファス宅の玄関前で鉢合わせしてしまったのだ。
 覗き窓からその様子を見たルーファスは、居留守を使うことにして回れ右。
 そこに立ちはだかる姉の姿。
「未来の妹を邪険に扱うんじゃないよルーファス」
 そう言ってリファリスは玄関を開けた。その顔はなぜかニヤけている。
 玄関を開けると、何食わぬ顔でセツはビビを押しのけて一歩前へ。
「ごきげんようお姉様。頼まれていた焼酎をお持ちしました」
「よく来たねセっつん、おみやげまで持って来てもらっちゃって、悪いねぇ~。これをみやげにダチとやってくるとしようかね」
 むふふ。と笑いながらリファリスは酒を受け取ると、さっさと家を飛び出してしまった。見事なまでに酒で買収されている。
 軽くシカトを食らったビビはちょっぴりショック。
「さ、先に遊びに来たのはあたしなんだから!」
「玄関を先にくぐったのはわたくしです」
 セツがビビに向けた視線から火花が散る。
 このままでは危険と判断したルーファスが間に入る。
「まあまあ二人とも、お茶でも用意するから、奥の部屋で大人しく待っててよ(なんでこの二人、こんな仲悪いんだろ)」
「お茶菓子のおまんじゅうを持って参りました」
 と、饅頭を取り出したセツを見て焦るビビ。
「ちょ、ちょっとそこまでケーキ買ってくるね!!」
 今からかッ!
「べつにおまんじゅうだけでいいよ」
 何気ないルーファスの一言。
 グサッとビビが致命傷を負ってうずくまった。
 勝ち誇った顔でセツが冷笑を浮かべビビを見下す。
 ルーファスはどうしたのかと慌てる。
「ビビ大丈夫? 具合でも悪い?」
「だ、だいじょぶ……こんなことじゃへこたれないもん」
 ビビのことを心配するルーファスは、セツに取って都合が悪い。
「ルーファス様、本人が大丈夫だと言っているのですから、放っておいて、ささっ、行きましょう」
 セツはルーファスの腕にガシッと腕組みをして、無理矢理奥の部屋に連れて行ってしまった。
 残されたビビは、廊下の冷たい風に当たりながら、その場からしばらく動けなかった。

 リビングでお茶でも出す予定が、気づけばセツはルーファスの部屋まで乗り込んでいた。
「ここがルーファス様の部屋なのですね。父上以外の殿方の部屋に入るのは、これが初めてです」
 言葉にプレッシャーが含まれている。
「そ、そうなんだ……(殺気にも似た雰囲気が漂ってるのは僕の気のせい?)」
 おそらく気のせいではないだろう。
 今、この部屋には狩りをする動物がいる。
 セツは素早い動きでドアを閉め、カギを閉め、密室空間を作りあげた。
「殿方の部屋で二人っきり……こんなこと、初めての経験です」
「そ、そうなんだ……(なんかキラキラした瞳で僕のこと見てるよぉ)」
 セツはルーファスの腕に両手でしがみつきながら、上目遣いでルーファスに熱視線を送っている。
「(さあルーファス様、いつでもいらっしゃってください。ガバッと、ガバッと!)」
「(胸が腕に当たってるんですけど)」
 ツーッとルーファスの鼻から血が出た。免疫力のないルーファスには、これ以上の攻撃は生死に関わってくる。
 瞳を閉じたセツは顎を出して唇を少し上向きにした。
 まるで瑞々しい果物のようだ。
 唇が食べて食べてと誘っている。
 ぷしゅ~っと空気が抜けるような音がしたような気がした。
 次の瞬間、ルーファスが気を失った。
 そして、ドアを蹴破って乗り込んできたビビ!
「不純異性交遊禁止!!」
 鉄拳制裁を放とうとビビがセツに飛び掛かる。
 だが、倒れたルーファスを起こそうとセツがしゃがんだため、見事にビビはセツの真上をダイビング。そのまま腐海の森に激突。
 ちなみに腐海の森とは、あまりにも散らかった部屋を指す揶揄である。
 大きな物音で意識を取り戻したルーファスは、ガラクタの山に埋もれているビビを見た。
「なにやってるのビビ? 散らかしたら片付けておいてね」
 ビビショック!
「(このまま山に埋もれて朽ち果てよ……もう疲れたよパト○ッシュ)」
 ビビ――ここに眠る。
 されはさておき、邪魔が入って水を差されたので、気を取り直してセツは部屋を物色。
「ルーファス様! まさかこれは!?」
 驚きを隠せないセツ。
「えっ、なに?(変な物とか別にないハズだけど)」
「メイドインワコクのパソコン! さすがルーファス様ですわ」
「う……うん(だから?)」
「家電と言えばワコク、ワコクと言えば家電。科学水準トップクラスの我が国のパソコンを使っていただき、ありがとうございます(しかも運命的なことに……これは黙っておきましょう)

 どんな秘密があるのだろうか?
 いつの間にかセツはルーファスと至近距離にいた。運命の名の下に熱い視線を送ってる感じだ。
 そこにビビが割って入った。セツを押し飛ばして。
「そう言えば! なんでセツがここにいるの?」
「それはここが将来的にわたくしとルーファス様の愛の巣になるからに、決まっているからですわ」
「はいはい……そーじゃなくって、きのうの事件で連行されたんじゃなかったの?」
 きのうの事件とは、ルーファスとセツの追いかけっこである。町中で甚大な被害で出たので、セツは治安官に連行されて行ったのだ。
「幸い怪我人が名乗りでなかったので、賠償金だけで話をつけました」
 言い回しが少し引っかかる。
 なんらかの力が働いたっぽい。
 そーゆー力に自分の素性のこともあって気になるビビ。
「セツって何者なの?」
「今はただの学生ですけれど、将来的にはルーファス様の妻となる身です」
 そーゆー言い方ならビビもただの学生ではある。
 ルーファスも学生で、今日は休日のガイアなので学校は休み。
 だが、セツは?
 ルーファスが尋ねる。
「学生なら学校があるはずだよね、いつまでいるの?」
「卒業試験に向けて研究発表をしなくてはいけないのですが、それに必用な物を探しに来たのです」
「卒業って何年生?」&「なに探しに来たの?」
 同時にルーファスとビビが声を発した。
「中学3年生です」
 ルーファスの質問に答えてビビのことはシカト。
 首を傾げるルーファス。
「中学ってなに?」
 ルーファスは魔導幼稚園、魔導学園、魔導学院と進学した。
「わたくしの国では満6歳から満12歳までが小学校に通います。その後、中学校に3年間、計9年間が義務教育になります。さらに高校に進学すると3年間の修業期間があります」
 魔導学院は満13歳から満18歳が基本的に通っている。
 ビビが鼻で笑った。
「な~んだ、あたしよりも1学年下ってことじゃん!」
 少し何かを考えるように黙り込んだセツは、しばらくしてお返しとばかりに鼻で笑った。
「この国のことは渡航前に調べましたが、年度のはじめは9月だそうですね。わたくしの国では4月からなので、わたくしがクラウス魔導学院に通っていたとしたら、同学年になりますが?」
「え?」
 きょとんとビビはした。
 ややこしい計算だが、セツの言っていることは正しい。
「わたくしの誕生日は聖歴982年7月2日です。この国では981年9月1日から、982年8月27日生まれまでが同学年になります。この点でもわたくしとルーファス様は運命の糸で結ばれていると言えますね、うふ」
 ここでルーファスは難しい顔をして考え込んだ。
 そして、恐怖するのだ。
「まさか僕の誕生日とか知ってるの!?」
「未来の夫ですもの。981年9月4日、現アステア国防大臣のルーベル・アルハザードとガイア聖教のシスター・ディーナとの間に生まれる。ケルトン魔導幼稚園卒、アルカナ魔導学園卒、現在はクラウス魔導学院の4年生ですよね?」
「あってるけど(個人情報が漏洩してる……怖い)どうやって調べたの?」
 セツ恐るべし。
「インターネットで調べました。ルーファス様のパソコンと同じメーカーのパソコンで!」
 ちょくちょくルーファスとの繋がりを挟んでくる。
 ビビちゃんはなんだかつまらなそうな顔をしている。
「パソコンの話なんてどーでもいいよぉ。それよりルーちゃんのど乾いたぁ」
 それを聞き捨てならないセツ。
「どうでもよくありません。このパソコンはメイドインワコク。ワコクと言えば科学大国。科学はこの世界を支える2つの支柱の1つなのですよ!」
「科学ってよくわかんなし~。ねえルーちゃん?」
 顔を向けられルーファスきょどる。
「えっ、科学だよね科学、科学はすごいよ、うん(魔導の勉強しかしてこなかったからなぁ)」
 三大魔導大国に数えられるアステア。世界的に見ても、魔導は支柱であり、生活であり、根源であり、この世界その物とも云える。それに比べると科学はこの世界では……。
 セツが熱く語り出す。
「古くからある国では、魔導は全ての根源でしょうけれど、我々の国では魔導は科学の一分野に過ぎません。科学によって魔導は最大限に生かされ、効率的に使うことができます。ここにあるパソコンは、動力や基本概念こそ魔導によるものですが、ほとんどは科学によって構築させているものです。科学とは人類の知恵と知識の結晶なのです」
 ルーファスもビビもぽけぇ~とした顔で、セツの話をぜんぜん理解してないっぽい。
 なのでビビは話を変えることにした。
「ねぇねぇ、さっきも聞いたけどセツってなにか探しに来たんだよね?」
「…………」
 セツは笑顔で無言。華麗なるシカトだった。
 びみょーな空気が流れて焦るルーファス。
「そ、そういえば、セツってなにか探しに来たって行ってたよね?」
「はい、良質なホワイトムーンを探しに来ました」
 ルーファスの質問にはちゃんと答えるセツ。ルーファス的には場を取り持ったつもりだったが、まったくの逆効果。ビビちゃん頬を膨らませて不満顔。
 ホワイトムーンとは、アステアのグラーシュ山脈のみで採取できる希少な鉱物である。魔力を帯びているため、利用価値は高く幅広い分野で使われるが、希少なために輸出には制限があり、アステア国内であっても取引は困難である。
 このような魔力を帯びた希少物質は世界各地にある。大きな魔力は自然に影響を及ぼし、その土地々に多彩な気候や特産をもたらす。極端な例を挙げると、砂漠のど真ん中にある氷の湖などがある。
「ねぇねぇ、だったら今から探しに行こうよ! せっかくの休日だし、お店もいっぱい出てるよ」
 ビビがはしゃいでお出かけを提案するが、もちろんセツはシカト。
 すぐにルーファスが取り持つ。
「せ、せっかくの休日だし、ホワイトムーンを探すの手伝うよ!」
「まあルーファス様が手伝ってくださるなんて!」
 この態度の差。ビビちゃんちょ~不満顔。
 セツがルーファスの腕を引っ張る。
「ではさっそく参りましょう!(でも、ホワイトムーンが見つかってしまったら、国に帰らなくてはいけなくなってしまう。だからと言って、いつまでもここにいるわけにもいかず)」
 ルーファスと離れたくはないが、そうとばかりも言ってはいられない。
 一方のビビは、
「(つまんない。この子がいると、なんかつまんない。早く帰ってくれないかなぁ)」
 そしてルーファスは、
「(せっかくの僕の休日が……休みの日くらい引きこもりたいのに)」
 思惑が交差する中、3人はホワイトムーンを探しに出掛けたのだった。

《2》

 ホワイトムーンの利用価値は高い。なので多種多様な店で取り扱ってはいるが、希少なために取り扱っている店は少ない。
 ルーファスも顔が広いわけではないので、とりあえずやって来たのはマジックポーションショップ。
「いらっちゃいませ~♪」
 童顔巨乳の三角帽子を被った魔女マリアが出迎えてくれた。
「マリアさんこんにちは」
 軽く挨拶してルーファスはカウンターの前に立った。
「今日はルーファスたんのために特別な胃薬も用意してますよぉ」
「あの、えっと、じゃあその胃薬をもらおうかな」
 それを買いに来たんじゃないだろルーファス。押しに弱くて無駄な買い物をしちゃうタイプだ。
 セツが前に出た。
「胃薬のほかに、ホワイトムーンは取り扱っていないでしょうか?」
「こちらはどなたですかぁ?」
「ルーファス様の妻になるセツと申します」
「ブフォッ、つ、妻ーっ!?(世界の破滅!)」
 衝撃を受けるマリア。
 そこにビビが割ってはいる。
「全部妄想だから!」
 ビビのどアップを前にマリアが後退る。
「あっ、えっと、こちらはどなたですかぁ?(これって三角関係!?)」
「あたしの名前はシェリル・ベル・バラド・アズラエル、愛称はビビ、よろしくね♪ ルーちゃんとはマブダチだよっ! この女はただのストーカー女だから!」
 ピキッ。
 なにかがキレる音がした。
「だれがストーカーですか、だれが? ちょっと外に出なさい!」
「あたしとヤル気? 人間の分際で悪魔のあたしとマジでヤル気なの?」
「まるで人間が悪魔よりも下等とでも言いたいようですね」
「力も魔力も、知識だって、あたしたち歴史に比べたら、人間なんて笑っちゃうもん」
 鼻で笑ったビビは、チラッとルーファスを横目で見た。
 うつむいているルーファス。どこか哀しげだ。
 ビビは自分がどんな発言をしたのか、それを思い返してハッとした。
「違うの、そんなつもりじゃ……ルーちゃん」
 種族格差。
 アステア王国は異種族に対して寛容である。表向きは。
 人間と異種族の抗争は今でも各地で起きている。その歴史は根深いものであり、敵であり、奴隷であり、家畜であり、世界中を巻き込む大戦も数多く繰り広げられてきた。現在は人間と魔族は均衡を保って、大きな衝突こそないものの、それでも差別意識は社会に根強くあるのだ。
「ルーファス様、これが悪魔の本性です。人間と悪魔は相容れない存在なのです」
 冷たくセツは言い放った。
 大粒の涙を瞳に浮かべるビビ。
「……セツのばかぁ!」
 涙をこぼしながらビビは店を飛び出して行ってしまった。
 すぐに追おうとするルーファスの腕をセツがつかむ。
「さあルーファス様、デートの続きいたしましょう」
 満面の笑みのセツは、力を込めた手を離さない。
 絶対にルーファスを逃がさない。
 絶対に逃がさないというのが、セツの瞳の奥からひしひしと感じられる。
 困った顔をするルーファス。
 強引に引き止められて、それを振り切るようなことができるルーファスではない。
 だからルーファスは……はぁ。
 目の前の男女関係など気にせず、マリアは自分の仕事をしている。
 カウンターの上に並べられるホワイトムーン。
 研磨されてないため、形は石ころにすぎないが、輝きは陽光を浴びて白銀の雪。
「うちにあるのはこれだけですぅ」
 マリアが並べた数は3つだけ。大きさはどれも拳よりも小さい。
 セツが1番大きな物に手を伸ばす。
「手に取って見てもよろしいですか?」
「どうぞぉ」
 魔力を帯びた物は、魔導に通じる者であれば、その魔力を計ることができる。
 ホワイトムーンの原石を握り締めたセツ。
「もっと良質な物はないでしょうか?」
「うちは魔法薬屋だから、これ以上の物はないんですぅ」
「そうですか。ありがとうございました。ルーファス様、ほかの店を当たりましょう」
 セツが背を向けて歩き出そうとすると、マリアが慌てて手を伸ばした。
「お客ちゃま! お時間とお金を頂ければ、裏ルートからご希望に添える品をお取り寄せしまうぅ!」
 言葉を受けたセツはそのままルーファスに顔を向けた。
「だそうですけど?」
「いいんじゃないの?」
「Sランクの物が欲しいのですが、どのくらいで手に入ります?」
 セツは再びマリアに顔を向けた。
「Sランク!?(さすがにそれは……この子、金持ってるの? それとも世間知らず?)予算はいかほどですかぁ?」
 尋ねてきたマリアにセツは耳打ちした。
 輝くマリアの瞳。
「4ヶ月もあれば用意できますぅ!」
「う~ん、それでは年が明けてしまいます」
「だったら3ヶ月で!」
「またの機会に」
「2ヶ月で!」
「それではごきげんよう。行きましょう、ルーファス様」
 セツはルーファスを連れて店を出て行った。
 店に舌打ちが響く。
「ちっ……逃がした魚は大きい」

 店を出てすぐにセツが尋ねる。
「ほかによいお店を知りませんか?」
「う~ん……ジュエリーショップはよく知らないし」
「見た目ではなく、中身が重要ですから、特別な宝石店でないと見つからないかもしれません」
「学院に行けばいい情報があるかもしれないけど、休日だしなぁ」
「ドラゴンファンングという鍛冶屋があると聞いたのですが?」
「ああ! 王都で有名な鍛冶屋さんだから、ホワイトムーンもあるかもね。でも材料を分けてくらるかなぁ、店主が頑固オヤジってウワサがあるよ?」
 とりあえず2人はドラゴンファングに向かうことにした。
 王都の繁華街である中央広場。そこに近い良好な立地条件の場所に店を構えているドラゴンファング。この辺りは老舗が多く、独自のプライドを持った店も多い。
 店に入ると煙草の匂いがした。
 骨太の女が店の奥でふんぞり返っている。
「あんたら客かい? 冷やかしなら帰んな、しょんべん臭いガキの来るとこじゃないよ」
 あまり歓迎されていない。
 それでもセツは物怖じせずに女の前に立った。
「良質なホワイトムーンがあれば、少し分けて欲しいのですが?」
「ウチは鍛冶屋だよ。原料ならほかの店を当んな」
「そこをどうにかなりませんか?」
「大事な原料をどこのだれとも知れないやつに売ると思うのかい? それに残念だけど、良質なホワイトムーンはウチにはないよ」
「そうですか、ありがとうございました」
 頭を下げて立ち去ろうとするセツの背に女が声をかける。
「待ちな。ひとつ教えといてやるよ」
「なんでしょうか?」
「ここ最近、王都の市場には良質なもんは出回ってないよ。あるならウチが買ってるよ……ったく(鍛冶勝負まで時間がないってのに)」
 女に頭を下げてセツとルーファスを店の出口に向かって歩き出した。
 セツがそっとルーファスに耳打ちをする。
「あの方は奥さんでしょうか? 良い方でしたね」
「私はちょっと怖かったけど(女の人ってみんな怖い)」
 二人が出口を出ようとしたとき、店にだれかが飛び込んできた。
「ただいま!」
 店に入ってきた女の子とルーファスが目を合わせる。
「あっ、ローゼン様の背景のルーファスさん」
 ローゼンクロイツ信者のアインだ。
「背景って……(ただいまって言ったよね?)」
 ここはアインの実家なのだ。
 そして、店の奥にいる女はアインの母親だったりする。見た目は20代後半だが、2児の母だ。
「なんだいアインの知り合いだったのか」
「はい、こちらはクラウス魔導学院の先輩です」
 と、アインが紹介した。
 アインの母――アルマが考え込んでうなる。
「娘が世話になってるなら、ホワイトムーンを分けてやりたいとこだけど……」
 すぐにセツが食い付く。
「ぜひ!」
「さっきも言ったろ、ウチにはないって」
 そこにスーッとアインが割り込んできた。
「あのぉ、なんの話をしてるんですか?」
「良質のホワイトムーンを探してるんだ」
 と、ルーファスが答えた。
 アインは困った表情をした。
「もうすぐ鍛冶対決があるんですけど、それに使おうと思ってる良質なホワイトームーンがなくて困ってるんですよぉ。だからお父さんってば、自分で採りに行くとか言って独りでグラーシュ山脈に……」
 ホワイトムーンは希少であり、貴重である。採取には危険を伴い、命を落とすこともある。
 セツは難しい顔をしている。
「わたくしも自力で採取するしか……」
 それを聞いたルーファスは正直思ってしまった。
「(さすがにそこまで付き合えない)」
 ルーファスにとってグラーシュ山脈は思い出の地だ。悪い意味で。
 ヌッとアインがルーファスとセツの間に入った。
「自力で採りに行く気満々のところ悪いんですけど、良質なホワイトムーンを使ったペンダントがレースの商品になってましたよ。ウチで使うには少なすぎるんですけど、本当にいい石でした」
「どこでどんなレースですか!?」
 セツの食いつきがいい。
「中央広場のほうでやってるみたいです。内容はよく見てこなかったので(配達の途中だったから)」
 それだけ聞くとセツはルーファスの腕を引っ張った、
「行きましょう、ルーファス様! 早くしないとレースに出場できません!!」
 出場する気満々だった。
 もちろんルーファスはしない気満々。

 店を出てすぐにルーファスは立ち止まった。
「あっ!?」
「どうかなさいました?」
「ごめん、急用!」
「えっ、ルーファス様!?」
 セツが止める間もなくルーファスが走り出す。
 いったいルーファスは何を見たのか?
 街中を走る黒い影。
 ヒツジのパペットに引っ張られるように、黒子が全力疾走している。
 ルーファスの召喚に乱入した謎の黒子。どうやらユーリを探しているらしいが、そもそも何者なのだろうか?
 ルーファスの視界から黒子が消えた。
 そして、ルーファスの体力が消えた。
「ううっ……(もう走れない)」
 ちょっと走っただけでルーファスリタイア。
 息絶え絶えになりながら、ルーファスが顔をあげると、ピンクのフリフリが近づいてきた。
「ルーちゃん!」
 ビビがツインテールを揺らして駆け寄ってくる。
「やっぱり探しに来てくれたんだ!」
「えっ……いや……(そういうわけじゃないんだけど)」
 でもハッキリ否定しないルーファス!
 とりあえずビビは満面の笑顔だ。
「(セツもいなくなってくれたみたいだし)よぉ~し、美味しいスイーツ食べに行こう♪」
「はい?(なんでそうなるの?)」
「ルーちゃん覚えてる?」
「なにを?(心当たりがない)」
「こないだ約束破ったでしょ?」
「そんなことあったような、なかったような」
 これはぜんぜん心当たりがないリアクションだ。
 ビビがルーファスに腕組みした。
「とにかーく! 今からメルティラブに行くんだからねっ!」
「ええーっ!」
「しゅっぱーつ!」
 強引な展開になるとルーファスは弱い。
 ビビに引きずられて馬車に乗り込み、揺られながクラウス魔導学院方面に移動する。
 クラウス魔導学院は1つの都市ほどの規模と生徒数を誇り、学院周辺には数多くのショップがひしめき合っている。
 学生たちに人気のカフェ――メルティラヴ。普段は生徒たちの溜まり場だが、今日は休日なので一般客の方が多いようだ。
 席についたビビはさっそくスイーツを注文。しかも片っ端から。
「ここから~っ、ここまで。あとこれとこれとこれも食べたいなぁ」
「ちょっと頼みすぎじゃあ」
「心配しないで、全部あたしが食べるから♪」
「そういう問題じゃないんだけど」
 溜息をつきながらルーファスは窓の外を見つめた。
 セツを置いてきてしまって、黒子は見失い、ビビとカフェ。
 とりあえず、ここにセツが現れたら大波乱だね!
 テーブルに並べられていくスイーツの山。
 ルーファスの表情がどんどん不安げになっていく。
「あのさぁ、私は人を追ってる最中でさ、こんなところでスイーツなんか食べてるヒマないんだけど(僕のサイフからお金が消えていく)」
「別にいいじゃん。こないだ約束破ったルーちゃんなんだよ、今日はルーちゃんのおごりでいっぱい食べるんだから!」
「はぁ、ついてないなぁ」
 このごろ出費が多い。
 というのも、ユーリを召喚してしまったので、その生活費やらなんやらを出してあげたりと。
 ここでルーファスは気づく。
「(あの黒子からも生活費せびられたらどうしよう)」
 倹約のためにルーファスはスイーツを食べたくても食べられない。
 目の前では美味しそうに頬を膨らませるビビ。
 見ていても辛いだけなので、ルーファスは窓の外に目を向けた。
 街を行き交う人々。
 そして、若者にからんでいる黒頭巾の変態。
「……あーっ!(あの人だ、やっと見つけた!)」
 大声をあげたルーファスは席を立った。
「どこ行くのルーちゃん?」
「ちょっと急用!」
「行っちゃダメだよ、約束破る気?(せっかくのデートなのにぃ)」
「ごめん、サイフ置いていくから、じゃあね!」
 ルーファスはサイフをテーブルに叩きつけて店を出て行ってしまった。
「もぉ、ルーちゃんったら!」
 ビビはほっぺたを膨らませてケーキにフォークを突き刺した。
 ヤケ食い開始!

《3》

 息を切らせるルーファス。
 結論から言うと黒子は見失ってしまった。
 目立ちそうな黒子なのに、情報もプッツリ途切れてしまった。
 まさかこの〝地上〟にいないのか?
 それはさておき、別の話がルーファスの耳に飛び込んできた。
 ――空色ドレスの電波系魔導士が大暴れ。
 どうやら現場はメルティラヴらしい。
 ルーファスは急いでカフェに戻ることにした。
 煙が立ち上っているが見えてきた。
 人だかりから逃げるように這い出してきたユーリの姿。
 その姿を見てルーファスは目を丸くした。
「どうしたのユーリその格好!?」
 上着を包帯のようにグルグル巻いた斬新なスタイル。
「ローゼンクロイツ様の愛の鞭に巻き込まれて、服がボロボロになってしまったんです」
 ということは、ユーリも現場に?
 ビビやローゼンクロイツは?
 辺りを見回すルーファスにユーリが気まずそうな顔を向けた。
「ルーファス……」
「なに?」
「……服を買うお金を貸してください(金は貸しても借りるながオーデンブルグ家の家訓なのに!)」
 実は良家の出であるユーリ。人からお金を借りることはオーデンブルグ家の者として恥だった。
 ルーファスは首を傾げる。
「はい?」
「アタシ、これしか服を持っていないんです(服がないと明日から生活できない)」
「えっ?(……だから毎日同じ服を着てたのか)」
 そこに人混みから出てきたビビが割り込んできた。
「あたしの貸してあげるよぉ……あっ、でもユーリちゃんのほうがちょっぴり胸大きいかもあたしより」
 ビビは自分の薄っぺらな胸とユーリの胸(偽造)を見比べた。
 慌ててユーリは取り直す。
「だ、大丈夫ですよ、胸なんてどーとでもなりますから(元からないもんね!)。ビビちゃんに服を貸してもらえるなんて光栄です、返すときはリボンをつけて返しますね!」
「リボンはいらないけどぉ。返すのはいつでもいいよ♪」
「ありがとうございますぅ!(ビビちゃんの服……嗚呼、幸せ)」
 絶対にユーリは貸してもらった服の匂いを嗅ぐ!
 断言できる!!
 そして、ビビはじと~っとした目で誰かさんに目をやった。
「ユーリちゃんもいろいろ苦労してるんだね、誰かさんのせいで(ルーちゃんのばーか)」
「……そうですね、私が全部悪いんですよね。僕がユーリを召喚したんだもんね、そうそう僕が悪いんだよ……どーせ僕には魔導の才能なんてないし、召喚術なんてした僕が悪いんだよね」
 いじけたルーファスはしゃがみこんで、地面にらくがきを描きはじめた。
 ビビが呆れたようにため息を吐いた。
「ルーちゃんはなにも悪くないから平気だよ、元気だして♪」
「嗚呼、生まれてきてごめんなさい。そんなこと言って生んでくれたお母さんごめんさい。もう僕なんか生きてる価値もないね……あは……あはは」
「ルーちゃんがあたしのこと召喚してくれたから、こうやって出逢えたんだよ。あたしはルーちゃんに逢えて本当に幸せなの……だから元気だして、ね?」
 ルーファスを励ますビビの姿を見るユーリは不機嫌そうだ。
「別に落ち込んでるヤツなんか励ます必要なんてないんです。この世は強い者だけが生き残るんですから(アタシのビビちゃん激励されるなんて、人間の分際で)」
 吐き捨てたユーリ。
 その前に真剣な顔をして怒っているビビが立った。
「ユーリちゃんなんか大ッ嫌い!」
 バシーン!
 強烈なビビのビンタがユーリの頬を叩いた。
 頬を押さえて呆然とするユーリ。
「(なんで?)」
 そして、走り去っていくビビの後ろ姿。
 しばらくして、時間差攻撃でユーリはショック!
「ビビちゃんにフラれたぁ~っ。服も貸してもらえな~い……絶望だ」
 ユーリは両手両膝を地面に付いた。
 横ではルーファスもへこんでいる。
 その後、ルーファスの記憶は少し飛んでしまった。

 鼻血を出して気絶しているルーファスをセツが抱きかかえた。
「ルーファス様! ルーファス様!」
「うう……ううっ(頭がクラクラする)」
「どうなされたのですかルーファス様!」
「あ~~~、セツ?」
「そうです、あなた様の妻になるセツでございます!」
「それは違うから!」
 ちゃんとツッコミはできた。
 ちょっとまだクラクラとしているルーファスだが、ツッコミができれば問題ないだろう。
「ルーファス様、どこの刺客にやられたのですか?」
「どこのって(てゆか刺客って)。記憶があんまりないんだけど……とにかく大丈夫だから」
「嗚呼、ルーファス様に万が一のことがあったら。わたくしもすぐに後を追う覚悟はできております」
「そんな重い覚悟しなくていいから(そんなプレッシャーかけられたら、それで死ぬし)」
 セツの肩を借りてルーファスは立ち上がった。
 ユーリの姿はない。
 ビビもどこかに行ってしまった。
 黒子はもう知らん。
 で、なにしてたんだっけ?
「さっそくですがルーファス様」
「はい?」
「レースのエントリーしておきましたから」
「はい?」
「優勝賞品のペンダントが展示されていたのですが、あれこそわたくしの求める良質なホワイトムーンでした」
「はい」
 そう言えばそんな話もあった。
 ここでなぜか身悶えるセツ。
「あぁン!(けれど、ここでホワイトムーンが手には入ってしまったら、わたくしは故郷に帰らねばならない。そうなればルーファス様と遠距離恋愛に、身が裂かれる想い!)」
 そもそも付き合ってません。
 セツはテキパキと自分とルーファスにゼッケンをつけた。
「ペアルックですね!」
「こういうのはペアルックとは……」
「さあ、早くしないとレースがはじまってしまいます!」
「私はまだ出場するとは言ってないんだけど」
「でもルーファス様のお返事はわかっておりますから!」
 プレッシャー。
 ルーファスの周りには押しの強い友人知人が多いが、セツが現在ナンバーワンだろう。
 そして、これまでナンバーワンに君臨していたのは――。
 レースのスタート地点につくと、見覚えのある魔女がルーファスに近づいてきた。
「いいところで会ったなルーファス」
 カーシャは不適な笑みを浮かべている。その横にはなぜかビビが?
 きょとんとするルーファスにカーシャは勝手に話し出す。
「優勝賞品は妾の物。ルーファスの物は妾の物。わかっているだろうな?」
「は?」
 それ以上ルーファスは声が出なかった。思考停止。
 ルーファスを押しのけてセツが前へ出た。
「カーシャさん! なにをおっしゃているのですか、優勝賞品は勝者の物。つまりわたくしとルーファス様の物です。そして、あなた!」
 セツはビシッとビビを指差して言葉を続ける。
「なぜここにいるんですかっ!」
「え~っとぉ。カーシャさんに無理矢理。このレースってペアじゃないと出場できないからって」
 そういうことらしい。
 ズン!
 っとカーシャがセツの前に立ちはだかる。
「図々しいにもほどがあるぞ」
 あんたの言うセリフか。
 カーシャはさらに続ける。
「あのペンダントは妾の物なのだ。だれがなんと言おうと、それは変わることのない真理なのだ、アホめ」
 今までならこんなカーシャに真っ正面から食ってかかる者はいなかった。
 が――。
「アホはあなたです。正々堂々とわたくしとルーファス様は、優勝して商品をいただきます」
 気温が1度下がった。
「ふふっ、小娘。わかっておらんようだな、あのペンダントは妾の物だと言っておろう。だれが優勝しようが、あれは妾の物なのだ」
「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの、みたいなガキ大将ですかあなたは」
「おまえもわからん奴だな。あれは昔からずっと妾の物なのだ、バカめ」
「今度はバカ呼ばわりですか?」
 ヤバイ。
 恐ろしい気配がバチバチと電気を帯びるように肌を刺す。
 しかも、目にも見える形でマナフレアが発生している。
 気づけばカーシャとセツを中心に逆ドーナッツ型に人々が遠ざかっている。
 そして、輪の中心から逃げ遅れたルーファスとビビ。
 このまま魔力の嵐に巻き込まれてしまう。
 ルーファスが申し訳なさそうに手を上げた。
「あのぉ~、カーシャはどうしてあのペンダントが欲しいの?」
「欲しいのではない。あれは妾の物なのだ」
「そういう言い方をされるとそこで会話終了なんだけど。私たちは良質なホワイトムーンを探していて、あれがどうしても必用なんだよ」
「そういうことなら貸してやらんこともない」
 この発言でセツの怒りは爆発寸前だ。しかし、ルーファスの前なので、抑えて抑えて顔の筋肉がプルプル震える。
「貸してやる……貸してやる……ですか?(あとで地獄見せたる、泣いたって叫んだってもう許るさんど!)」
「そうだ貸してやる。1日1000ラウルでいいぞ」
 セツの我慢も限界だ。
「おんど――っ!?」
 ゴリラ顔に変貌したセツが鉄扇を構えた瞬間、カーシャはしれっとルーファスの首根っこをつかんで盾にした。
 きょとんとするルーファス。
 引き攣った笑みのセツ。
 バレてない!
 どうやらルーファスはセツの本性には気づかなかったらしい。
 完全にセツはカーシャに弱みを握られている。これではカーシャに勝つことができない。
 カーシャは妖しく笑う。
「ふむ、一致団結して妾のために妾のペンダントを奪い返しに行くぞ!」
 ……しーん。
 きょろきょろと周りを見回したビビは、笑顔をつくって拳を上げた。
「おーっ♪」
 ……しーん。
 慌ててルーファスも拳をあげた。
「お、おーっ!」
 ……しーん。
 3人を置いてスタスタと歩き出していたセツが振り返る。
「なにやってるんですか、あなたたちは。もうレースは開始してますよ」
 ……しーん。
 気づけばスタート地点には4人しか残っていなかった。

 レースに出場することになってしまったルーファス。
 が、どんなレースなんだかさっぱりだった。
 わかっていることは、優勝賞品がホワイトムーンのペンダント、2人1組のペア戦らしいこと。
 セツは握っていた手のひらを広げ、そこに乗ったサイコロをルーファスに見せた。
「ルーファス様が振りますか?」
「はい?」
「レースはこのサイコロを振って進めていくそうです」
「ならべつに急がなくてもいいんだ」
 人間すごろくということだろうか?
「いえ、急がなくては勝てません」
「はい?」
「すごろくに似ていますが、サイコロは競技者が順番に振るのではなく、止まったコマで出される問題や障害を乗り越えると再び振ることができるそうです。つまり早くクリアすればするほど、先に進めるそうです」
 だったらこんなところでグズグズしていられない!
 サイコロは8面体だ。8を出せば多く進める。だが、多く進めばいいというわけではないのが、すごろくだ。
 セツは折りたたんでいた紙のマップを広げた。
「これがすごろくのマップです」
 1コマ目、灼熱コース。
 2コマ目、極寒コース。
 3コマ目、クイズ。
 4コマ目、ドクロマーク。
 5コマ目、4コマ進む。
 6コマ目、クイズ。
 7コマ目、5コマ戻る。
 8コマ目、海コース。
 とりあえず1回目で行けるのはここまでだ。
 気になるのは4コマ目のドクロマークだろう、なにかはわからないが、とりあえずそこには止まりたくない。
「ではルーファス様、4と7には止まらないようにお願いします」
 と、セツはルーファスにサイコロを託した。
「僕が振るの!?」
「やはりここはルーファス様が振るのがよいかと。妻は3歩下がって夫についていくものですから」
「夫でも妻でもないけど、がんばって振りたいと思います」
 サイコロを握り締めるルーファスに緊張が走る。
 握った拳が汗ばむ。
「ルーファス様、早くしてください。もうわたくしたちだけですよ?」
「え?」
 周りを見回すと、スタート地点にはルーファスとセツだけ。
 が、突然スタート地点に人が降って湧いた。
 赤と青の双子の魔導士。
 赤髪のオル悔しそうに地面を蹴飛ばす。
「んだよスタートに戻るって!」
「自分でサイコロ振ったんだろ、今度はオレが振るぜ……って、へっぽこ!」
 青髪のロスがルーファスに気づいた。
 そして、ユニゾン。
「「てめぇもこのレースに参加してやがったのかっ!」」
 なんだかよくわからないが、いつもこの二人に因縁をつけられるルーファス。
 早く逃げようとしたルーファスは勢いでサイコロを振った。
「えいっ!」
 ――4。
 ええっと、4コマ目はたしか……ドクロマーク。
 今日も期待を裏切りませんルーファスは。
 愕然とするセツ。
「いったいこのマスに止まると……(まさかいきなりの失格?)」
 それはすぐにやって来た。
 ぎゅるるるるるぅ。
 ルーファスの腹の虫が鳴いた。
「ううっ……いきなりお腹が痛く……」
「はっ!? まさかこのコマはステータス異常を起こすのでしょうか!?(しかし、わたくしには何の変化も)」
 本当に何の変化も起きていないのか?
 まさか、ルーファスのお腹が痛くなったのは偶然?
 腹を押さえるルーファスが、苦しそうに顔を上げた瞬間、鼻水を飛ばしながら噴いた。
「ぶふぉっ!?」
「どうかないさいましたかルーファス様!?」
「ぷぷっ……いや……なんでも……あははははは」
「今度は笑いが止まらないステータス異常ですか!?」
「ぷぷっ……だいじょう……ぶっ!(顔が……セツの顔が……)」
 真っ黄色になっていた。
 ステータス異常はランダムらしい。
 ルーファスは腹痛。
 セツは顔が真っ黄色。
 当の本人であるセツは自分の顔が見えないので、なにが起きているのか理解していない。
 オル&ロスもセツの顔を見て、腹を抱えて笑った。
「「ギャハハハハハハ!」」
 突然、周りが笑い出してセツは何が何だかわからない。
「いったいどうしたというのですかっ!」
 ちょっと怒ってるようだ。
 でも原因はわかっていない。
 ルーファスはセツの顔を見ないように、必死に笑いを堪えている。
「さ、先を……ぷっ……急ごう」
 強引にコマを進めようとルーファスがサイコロを振った。
 ――8!
 もっとも多い数。コマは海コースとなっている。
 ルーファスとセツの体がスタート地点から消えて転送される。
 果たして海コースでルーファスたちを待ち受けているものとは!?
 そして、優勝はだれの手にっ!

《4》

 ザッバーン!
 いきなりの着水。
 魔導衣が海水を吸いこんで、いきなり溺れかかるルーファス。
「ぶへっ……うっぷ……死ぬ……」
 必死に藻掻いてルーファスは海に浮かぶ人工の浮島に這い上がった。
 海藻まみれなりながらルーファスが顔を上げると、そこにはスリットから覗く生足が!
「そのまま覗いたら、わかってるなルーファス?」
 カーシャが冷たい視線でルーファスを見下していた。
「わかってます、絶対にパンツなんか見ません!」
「はっきり言うな、はっきり!」
 カーシャキック!
 ルーファスの顔面にカーシャの蹴りが入り、再びルーファスは海の藻屑に。
「ルーちゃんのことは忘れないから! ぐすん」
 大粒の涙を流してビビが迫真の演技。
 そして、ビビは一瞬にしてケロッとした顔になった。
「カーシャさんどうするの?」
「浮きに立てられた旗の目印に従うなら、ここをまっすぐだが」
 カーシャは何もない海を指差した。いや、よく見ると遠くに陸地っぽいものがある。そこまでの間は海があるだけ。
 真剣な目をして海を眺めるカーシャが、いきなり噴いた。
「ぶふぉっ!」
 遅れて海を上がってきたセツを見て。
「酷い目に遭ってしまいました。海水を吸ってしまって、これでは機動力に問題が……あっ、あなたたち」
 顔を向けられたカーシャとビビは瞬時に目を反らせた。
 瞳は静かなのに、口元が引き攣るカーシャ。
「(ぷぷっ……こいつ自分で気づいてないのか?)」
 ビビは腹痛を起こしたように腹を押さえてうずくまった。
「(なんで顔黄色いの!?)あはっ(だめっ、笑っちゃう)ぷっ」
 周りの変な空気を察してセツは不機嫌そうな顔をした。
「どうしたのですか、お二人とも?」
 カーシャは真顔だが口元を引き攣らせながら、ビシッと手のひらをセツに向けた。
「いや、なんでもない!(ぷっ)」
 それにビビも続く。
「あはは……なんでも……なはっ……ないから!(ウケる!)」
 海に蹴落とされたルーファスも再び浮島に戻ってきた。
 セツがルーファスに駆け寄る。
「大丈夫ですかルーファス様!」
「だ、だいじょうぶですよセツさん」
 平静を装い何故か敬語のルーファス。もちろん顔は伏せてセツは見ない。
 が、見てはイケナイもの系のモノは、見たくなってしまうのが心情。
 ルーファスはチラッとセツを見た。
「ぶはははははっ!」
 抱腹絶倒。
 ルーファスは膝から崩れ落ち、床を叩いて涙を流した。
 黄色かったセツの顔が、まだら模様になっていた。
 どうやら水性だったらしい。
 ビビは持っていたハンカチを顔を見ずにセツに差し出す。
「どんまい♪」
「はい? なんですかこのハンカチは?」
「気にしないで受け取って、ぷっ」
 女の友情さ!
 カーシャは何事もないように、セツの存在はなかったことにしたようだ。
「さて、では先に進むとしよう」
 絶対にセツのほうをチラリとも見ない。
 そして、カーシャは構えた。
 辺りの気温が下がり、カーシャの周りにマナフレアが浮かんだ。
 ルーファスがいち早く危険を感知した。
「伏せて!」
 だが、ビビとセツは反応できなかった。
「メギ・フリーズ!」
 カーシャが海に指先を浸けた瞬間、そこは氷河時代になった。
 瞬く間に凍り付く海。
 波がその形を残したまま、飛び跳ねた魚が氷の彫刻と化し、浮島からその先に見える目的地まで、約500メートルの歩道ができた。
 セツはカーシャの実力を目の当たりにして感嘆を漏らさずにはいられない。
「すごい……これが魔導の最高峰、クラウス魔導学院の教師の実力」
「妾はその中でもさらに特別……ぷっ」
 一瞬、カーシャはセツの顔を見てしまって、すぐに顔を氷の道に戻した。
「行くぞ!」
 何事もなかったようにカーシャは優雅足取りで氷の道を歩き出す。
 すぐにビビが着いていく。
「カーシャさんってやっぱすご~い」
「当たり前だ(まあ、実際はこの空間が魔導でつくられた人工空間ということもあって、普段よりも魔力を集めやすいというのもあるがな。そのことはこいつらには教えてやらんが)」
 先に進むカーシャたちに遅れて、セツもルーファスを引っ張って進もうとする。
「わたくしたちも参りましょう!」
「……う、うん」
 ルーファスはセツの顔を見ない。
「(ルーファス様が冷たい。先ほどからわたくしの顔をまったく見てくれない。まさかルーファス様……)浮気ですか!」
「は?」
 よくわからないが飛躍しすぎだ。
「わたくし以外の女に目移りしているのですね、そうなのですね!」
「はぁ?」
「でもいいのです。たとえそうだとしても、そんなことではくじけたりしませんから」
「はぁ(独りで妄想して突っ走りし過ぎだよ)」
「さあ、このバージンロードを進めば、その先に待っているのは結婚!」
「はぁ!?」
 話についていけないルーファスをセツが強引に引っ張って走り出す!
 力強く地面を蹴るセツ。
 ピキッ。
 バキッ!
 なにか不穏な音が聞こえた。
 ルーファスが振り返る。
「ぎゃーっ、氷が割れてる!」
 氷が割れて後ろから海が迫ってくる。
 立ち止まったカーシャ。その横をセツに引っ張られながらルーファスが通り過ぎる。
 ビビがカーシャの腕をつかんだ。
「早く逃げないと!」
「マギ・エアプッレシャー!」
 カーシャが圧縮した空気をルーファスの背中に放った。
「ぎゃああああ!」
 ぶっ飛ぶルーファス。
 セツは慌ててルーファスにしがみついた。
「嗚呼、ルーファス様(しあわせ)」
 空かさずカーシャはさらに魔法を放つ。
「エナジーチェーン!」
 手から放たれた鎖がルーファスの足に絡みついた。
 カーシャの足下が海に沈む。
 同時にカーシャは宙に浮いていた。
 ルーファスをハンマー投げにして目的地まで引っ張らせようとしたのだ。
 慌ててビビはカーシャに抱きついた。
「ううっ(おっぱいデカイ)」
 ビビ涙目。
 放物線を描いていたルーファスは浮島に落下。
「ぐへっ!」
 この場合、海に落下したほうがマシだった。
 そして、ルーファスの上に腰掛けるセツ。
「ルーファス様、身をていしてわたくしを庇ってくれたのですね」
 本人がそう思ってるなら、それでいいと思います!
 負傷したルーファス放置で、カーシャ&ビビペアはサイコロを振って先に進んでしまった。
「ルーファス様、わたくしたちも急ぎましょう!(優勝して賞品さえ手に入れてしまえば、カーシャになにを言われようと、渡さなければいい話)」
 セツがサイコロを振る。
 ――8!

 コマを進めたルーファスとセツ。
 マップを確認すると、そこはクイズのマスになっていた。
 気づけば解答席に立たされ、手元には押しボタン。そして、頭には謎のシルクハットが被されていた。
 ボタンがあれば押したくなる!
 ルーファスは取りあえずボタンを押した。
 ポン♪
 シルクハットからパーの形をした札が飛び出した。回答者を現す挙手マークだろう。
 ブッブーッ!
 明かな不正解の音。
 どこからともなく声が聞こえてくる。
《不正解です。原点1マス》
 いきなりの原点!
 慌てるルーファス。
「間違い、今の間違いだから! それにクイズはまだはじまってないし!」
《それではルールを説明します》
 ルーファスを無視して天の声がルール説明を続ける。
《これから3問が出題されます。1問正解するごとに、次に振るダイスに1マスプラスされます。逆に不正解をしてしまうと、1マスマイナスになります。それでは第1問!》
「ちょっ!」
 ルーファスが口を挟むがクイズは止まらない。
《1+1=》
 ポン!
 ルーファスがボタンを押した。
「2!」
《――ですが、アステア王国の現国王の名前をフルネームで答えなさい》
 ルーファスが身を乗り出す!
「引っかけ!? しかも、前振りぜんぜん関係ないって!」
 ブッブーッ!
《不正解です。原点1マス。計2マス原点です》
 1問目にして2点マイナス。残るは2問。
 セツは冷静な顔をしている。
「ルーファス様、落ち着いてください。2問正解すれば差し引きゼロです」
 天の声はクイズを続ける。
《第2問! 1+1=2ですが、トビリアーノ国立美術館にこの秋やってくる『素っ転んだ貴婦人』の作者は?》
 ポン!
 思わずルーファスはボタンを押してしまった。
「知るか! なにその変な題名、間違ってボタン押しちゃったじゃないか!」
 ピンポーン!
《正解です。加点1マス。計1マス原点です》
 まさかの正解。
 きょとんとするルーファス。
「どうして正解?」
「あの有名な絵画『素っ転んだ貴婦人』の作者はシルカです。さすがルーファス様!」
「あ……あぁ(なんかバカにされてる気がする)」
 そして、ついに最終問題!
《第3問! 1+1=2ですが》
 そーですね!
《秋の大還元祭実施中のトリプルスターの提供でお送りします》
 コマーシャル!?
《トリプルスターのトップダンサーの名前は――アイーシャですが、彼女の好物と言えば?》
 カチ、カチ、カチ、カチ……時計の刻む音がする。
 セツがルーファスを顔を見つめる。
「わかりますかルーファス様?」
「あんなお店行ったことないしわからないよ」
「あんなとは?」
「過激な衣装を着た女の人たちのダンスを見ながらお酒を飲むお店とか聞いたけど」
「まあルーファス様、ふしだらですわ」
「だから行ったことないから!」
 カチ、カチ、カチ……。
 二人が話している間にも時間が過ぎる。
《あと10秒で爆発します》
 天の声を聞き流したルーファスとセツ。
《あと5秒で爆発します》
 天の声をわざと聞き流したルーファスとセツ。
《3、2、1――うっそでーす》
「ウソかよっ!」
 思わずルーファスがツッコミを入れた。
《ウソです。制限時間はありませんし、そんなルールはありませんが、ヒマだったので》
 ルーファスが尋ねる。
「もしかして、天の声さんって中の人がいるの?」
《はい、日当2000ラウルのバイトです》
 王都アステアの物価では、2000ラウルあればうめぇ棒が1000本買える。
 ピンポンパンポ~ン♪
 違う天の声が聞こえてきた。
《ゼッケン26が1位通過しました》
 ……え?
 一瞬の思考停止状態に陥ったセツはすぐに復帰。
「優勝を逃したらホワイトムーンが手に入らないではないですか!」
「まあ、そういうことになるよね。天の声さん、リタイアってできないの?」
《空間の構成上、基本的にリタイアはできません。ゴールしていただくか、ふりだしに戻っていただくか、レースの終了時間まで待っていただくか、とマニュアルには書いてあります》
 この空間に新たな訪問者が現れた。
「終了など待っていられるか」
 冷気をまとったカーシャ。傍らにいるビビは青い顔をして瀕死状態だ。
《新たな解答者がこの空間を訪れたので、追加ルールを説明します》
「ルールは壊すためにある(ふふっ、デストロイヤー)」
 カーシャが構えた。周りに発生するマナフレア。
 次になにが起こるのかは予想できる。
 解答席にルーファスは身を隠した。
 冷たい瞳。
「マギ・アイスニードル!」
 鋭い氷柱が目に見えない壁に当たった。
 空間に蜘蛛の巣のようなヒビが走る。
 ガラスが木端微塵に吹き飛ぶように、世界が――魔法で構築された空間が崩壊する。
 原色が渦を巻く世界。
 眩暈[めまい]がする。
 アメーバのようなモノが7つの眼を光らせ、吸盤のような牙を剥く。
 ねじれた顔のカーシャが叫ぶ。
「○×□□△▽×××!」
 聞こえるのは奇怪な音。
 吸いこまれる。
 スパゲティほどしかない穴に、ルーファスたちは吸いこまれた。
 そして――。
 ドス!
 地上に落下した4人。
 サンドイッチ状に重なった一番下はもちろんルーファス。一番上には堂々と立つカーシャの姿があった。
「……ううっ……重い」
「ふむ、どうにか亜空間から抜け出せな」
 冷静なカーシャ。
 立ち上がったセツは憤怒しながらカーシャに掴みかかった。
「あなた自分のやったことがわかっいるのですか! 一歩間違えたら死んでるところですよ!」
「死ぬくらいならいいがな、ふふっ」
 妖しくカーシャは笑った。
 で、ここはいったいどこ?
 大きめの表彰台の上。
 ルーファスは赤と青の双子と目が合った。
「「オマエら、優勝はオレたちだぞ!」」
 見事なユニゾン。
 優勝?
 ということは、オル&ロスがレースの勝者ということか?
 たしかゼッケン26が1位だったはず。
 セツが声を上げる。
「あの赤髪が持っているのは優勝賞品のペンダントです!」
 ゼッケンの番号も26だった。
 そうとわかれば、カーシャが動く。
「そのペンダントは妾の物だ、返してもらうぞ」
 オル&ロスが顔を見合わせる。
「あんなこと言ってるぜ、どうするロス?」
「これはオレたちのもんだぜ、正当防衛ってことでやっちまおうぜオル!」
 オル&ロスは左右に分かれて、カーシャに殴りかかってきた。
 マナフレアがカーシャの周りに集まる。
 目を剥くオル&ロス。
「市街での攻撃魔法は原則禁止だろうがッ!」
「やっぱイカれてやがるぜこのセンコー!」
 カーシャが微笑む。
「手加減はしてやる、ウォータ!」
 水の塊がオル&ロスを呑み込む。
 呼吸が出来ない!
 青い魔導士ロスが水を操る。
「ごぼっ(クソ)ごぼぼっ(ババア)!」
 二人を呑み込んでいた水が渦を巻いて、ヘビのようになりカーシャに襲い掛かった!
「フリーズ!」
 水のヘビは一瞬にして氷の彫刻に。
 体を濡らしていたオル&ロスの体も表面が凍り付いてしまった。
 赤い魔導士オルが魔力を溜める。
「よくもやりやがったな!」
 蒸気が立ちこめる。
 魔力を熱エネルギーに変換して、体表面の氷を溶かす。
「これでは前が見えんな、トルネード!」
 カーシャは風を操り竜巻を発生させて蒸気を舞い上がらせた。
 舞い上がったのは蒸気だけではない。オル&ロスも天高く舞い上がった。
 そして、空からルーファスの足下に何かが降ってきた。
 それを拾い上げたルーファス。
「これって……」
 セツが顔を寄せてきた。
「優勝賞品のペンダントです! この騒ぎに乗じて持ち逃げしてしまいましょう」
「そんなの泥棒じゃないか、ダメだよ」
「卒業試験が済んだら返しますので問題ありません。少し借りるだけですから」
「それでもダメな気がするんだけど……」
「ここでカーシャさんの手に渡っていいと思うのですか? わたくしたちはこのペンダントを一時的に保護するのです」
「まあ、そう……なの?(カーシャが手に入れたら、妾の物は妾の物だし。僕たちが借りれば、ちゃんとオル&ロスに返してあげられるしなぁ)」
「そうと決まれば退散です!」
「決まってはないから」
 決まってなくてもルーファスに主導権はない。
 セツに引きずられて一目散にこの場をあとにしたルーファスだった。

 良質なホワイトムーンを手に入れて、ニコニコ顔のセツ。お祝いと称してルーファスの家に上がり込んでキッチンを占拠、料理の下ごしらえをしていた。
「嗚呼、これが新婚というものなのですね(あ~ん、なんて言っちゃって、もぐもぐ美味しいよセツ。でもセツのほうが美味しいけどね、ガバッ、きゃあルーファス様ぁん……なんて)」
 海コースでバージンロードも歩きましたからね。次は新婚生活になるのは当たり前。
 美味しそうな匂いがリビングまで漂ってきた。
「僕も料理しないし、リファリス姉さんもダメだからなぁ。手料理とか久しぶりかもな」
 なんだかルーファスもうれしそう。
 そこに!
「へっぽこはいるかー!」
 玄関をぶち破って目の座ったカーシャが乗り込んできた。
「ひっく……ううっ……飲み過ぎた」
 少し赤ら顔のカーシャ。
 足下がおぼつかないカーシャを慌ててルーファスが支えた。
「カーシャ大丈夫?」
「久しぶりに飲み過ぎた……体中が酒だ……ううっ、気持ち悪い」
「カーシャが酔うなんて珍しいんじゃない?」
「妾は酔っちゃいけないとでも……ひっく、ゆーのか!」
 キッチンからセツがやって来た。
「お酒臭い。いい歳をした女がはしたない(しかもルーファス様にべたべたくっついて!)」
 カーシャはルーファスの胸に顔を埋めた。
「ううっ……だって、だって妾の大事なペンダントが……絶賛行方不明中なのだ」
 鼻をすする音。
 まさかカーシャが泣いている!?
「うそぴょ~ん、泣いてないぴょ~ん」
 酔っていた。
 フラフラ歩いたカーシャはソファに大股を開いてドスンと腰掛けた。
「まあ聞け、あのペンダントはな……妾の思い出の品なのだ」
 軽蔑の眼差しを向けていたセツが少し驚いた表情に変わった。
「(ただのジャイアニズムではなかったということ?)あれは本当にカーシャさんの所有物だったということですか、少なくとも過去に?」
「だ~か~ら~、妾の物だとさんざんゆーただろーがー。大事な物ではあったんだがな、かくかくしかじかで質屋に預けて置いたら、流れてしまって……そのまま売られて行方知れずに」
 つまり借金が返せなかったからだと。
 セツは溜息をついた。
「大事な物だというから、感動話にでも展開するのかと思いましたら、質屋にお金を貸して返せず大事な物を失うろくでもないひとの話ではありませんか。ただただ呆れるだけです」
 セツはカーシャに近づいた。
「座るならしっかり座ってください、パンツ見えてますよ(ウサギ柄の)」
 そう言いながらセツはカーシャの体を起こした。
 ルーファスが目を丸くする。
 その瞬間にルーファスは見逃さなかった。
 セツがあのペンダントをカーシャのポケットに忍ばせたのを――。
 何気ない顔をしてセツがキッチンに歩き出す。
「水持って来ます」
 そのあとをルーファスが追った。
「セツ」
「なんですかルーファス様?」
 ルーファスはカーシャをチラ見してから、声を潜めてセツに耳打ちする。
「いいの?」
「なにがですか?」
「ペンダント」
「見ていらっしゃったんですか。いいのですよ、ホワイトムーンは世界に1つではないのですから。だってあの方、普段はあんなにも深さ酒なさないんでしょう?」
「かなりお酒に強いひとだから」
「なら、どんな思い出なのか野暮なことは聞きません」
「でもさ、借りるって話だったのに、これじゃあマズイよ」
「もぉ、ルーファス様ったら野暮ですよ。あの双子にはお詫びの品でもわたくしのほうから匿名で送って起きますから心配なさらずに」
 リビングのほうから叫び声が聞こえた。
「なぬーっ!?」
 ルーファスとセツが振り返った。
 もうペンダントを見つけたようだ。
「ナイス妾。いつの間にか小僧どもから奪い返していたのか……記憶にないが、ふふっ」
 カーシャが笑った。
 いつも妖しげな笑みしか浮かべないカーシャが、このときは冬から春が来たような微笑みを浮かべていた。
 ――ペンダントを眺めながら。
「へっぽこ祝い酒もってこ~い!」
 やっぱりカーシャはカーシャだったりする。

 おしまい


魔導士ルーファス専用掲示板【別窓】
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