第8章 流れ着いた先で
「う……うう……ん……」
 呻きながらケイは目を覚ました。
 頬のついた砂粒。
「なに……ここ……」
 さざ波が聞こえる。
 ケイはふらつく足でゆっくりと立ち上がった。
 陽光を浴びて煌めく海面。
 どうやらどこかの砂浜らしい。
 辺りを見回そうとして、すぐに倒れている炎麗夜を見つけた。
「炎麗夜さんだいじょぶですか!」
 砂浜に膝を付け、ケイは炎麗夜の身体にそっと触れた。
「だいじょぶですか……濡れてない?」
 ケイはびしょびしょだというのに、炎麗夜は濡れていないどころか、砂すらもついていなかった。
「そっか……スーコービがどーとかって。もしかして炎麗夜さんといたからあたしも助かったの?」
 ほかのみんなはどこだろう?
 静かな海。
 広がる砂浜。
「そんな……みんなは……?」
 人影すら見当たらない。
「だいじょぶ、きっとみんなも違う砂浜に……。とにかく今は炎麗夜さんはどこか休める場所に運ばなきゃ」
 ケイは気を失っている炎麗夜を背負って歩き出した。
「……重い。絶対この胸のせいだ」
 背中に当たっている超乳。そこから重みがずっしりと来る気がする。
 砂浜を歩いていると、崖の上に小さく粗末な小屋が見えてきた。
「だれかいるかも!」
 希望で力が沸いたケイは先ほどより早く歩き出した。
 小屋まで辿り着き、木製の扉を叩いた。
「すみませ……開いた」
 扉は叩いたと同時に押されて開いた。
「おじゃましま~す」
 そっ~とケイは小屋の中に入った。
 人の気配はない。
 ケイは辺りを見回しベッドを見た瞬間、
「きゃっ!」
 悲鳴をあげた。
 ベッドに横たわるミイラ。
 枯れ葉のようなそのミイラは骨と皮が残り、髪の毛はバサバサになり一部は周りに散乱していた。
「退かすことできないし、炎麗夜さんをいっしょに寝かせるわけにもいかないし。本当はここにもいたくないけど、とりあえず炎麗夜さんを床に下ろそう」
 丁寧に炎麗夜を床に寝かせたあと、ケイは服を脱ぎはじめた。
 下着ははじめから身につけていないので、着物を脱ぐとすぐに全裸になってしまった。
 ぞうきんのように絞ると少し水が出た。
「本当によく助かったなぁ……ん?」
 扉がゆっくりと開き、そこには紅い人影が!
「きゃっ!」
 叫び声をあげたケイ。
 アカツキは刀を抜いた――次の瞬間に倒れた。
「えっ……どうしたの?」
 いったいなにが起きたのか?
 青黒い顔をしたアカツキは気を失っている。
「ど、どうしよ……」
 ケイはアカツキの刀を拾い上げた。
「この刀で今まで……」
 目の前で女が斬られるところも見てきた。
 刀を持つケイの手が震えた。
「でも……あたしにどうしろって……」
 今もまぶたの裏に焼き付いている光景。
 自分を救ってくれた村の娘が目の前で刺された。
 憎しみと悲しみが渦巻く。
「人殺し……人殺し……人殺し人殺し人殺し……人殺し。いくら人を憎んでも、あたしにはできない……そんな怖ろしいことできない」
 ケイは刀を投げ捨てた。
 そして、なにを思ったのかアカツキの身体を引っ張って、丁寧に寝かせることにした。
「助けたくて助けたわけじゃないんだからね。ただ……これ以外にどうしていいのか、わからなかっただけ。この人のことどうするか、自分で決めるのが怖いんだ……」
 ひとまずケイは絞った服を着ることにした。まだ湿っているが、この暖かい気温ならすぐに乾きそうだ。
 立ったままケイは動かなくなった。
 独り言も発せず、時間が過ぎる。
 視線だけを動かしてアカツキと炎麗夜を交互に見て、ほかの物にも目を配った。
「……どうしよ」
 アカツキの着物も濡れている。それもだいぶ水分を含んでしまっているようだ。
「脱がせたほうが……でも男だし、でも風邪引いちゃう、でも風邪ぐらい引けばいいんだ、でもかなり顔色悪そうだし、薬とかあるのかなこの世界」
 最終的にケイは脱がせることに決め、紅い着物に手を掛けた。
「あれ……なにこれ、身体とくっついてる……の!?」
 それは着物ではなかった。〈ムシャ〉化した〈デーモン〉なのだ。そのことにシキは気づいた発言をしていた。
「本当に脱げない……の、かなっ!」
 無理矢理引っ張ったが、やはり身体と一体化しているようだ。
 しかし、数秒をおいて異変が起きはじめた。
 紅い着物が蠢き出す。
 まるで無数の蟲が這うような動きをした着物は、一度肉の塊にまで収縮したあと、そこから肉体を構成しはじめた。
「え……マジ……そんな……」
 肉玉からしなやかな腕と脚が伸びた。それはまさしく人間の手足だった。着物だったものが人間に変貌しようとしている。
 動物が変形するだけでも衝撃的なのに、人間の姿に成ろうとしていることに、ケイは恐ろしさと驚きを隠せなかった。
 瑞々しく、柔らかな丸みを帯びた肉体。
 これまでケイが会っただれよりも豊満な胸。
 魔乳。
 アカツキに覆い被さりながら、その女型〈デーモン〉は姿を現した。
「この……密着してる体勢はちょっと……」
 慌ててケイは女型〈デーモン〉をアカツキから退かして寝かせた。
「きゃっ!」
 露わになったアカツキの裸体。
「女装してるくせに……デカイ」
 しかし、それ以上にケイを驚かせたのは、その全身を這う刺青のようなものだった。
「なにこれ……これってどこかで?」
 似ていた。
 炎麗夜たちに見せてもらった、〈リンガ〉と〈ヨーニ〉の契約の印だった。
「これとこれって別の……一つの印じゃなくていっぱいある。たくさんと契約してるってこと?」
 ケイがアカツキの肉体を調べていると、横で炎麗夜が動きはじめた。
「……くぅ……頭がふらふら……はっ!?」
 急に立ち上がった炎麗夜の目に入ったのはアカツキ。
「なんでこいつが!? なにやってんだいケイ!?」
「えっ……べつにそーゆーことをしようしてたんじゃないから!」
「今すぐそいつから離れな、ぶっ殺してやる!」
「殺すんですか……やっぱり」
「こいつのせいで何人女が殺されたと思ってんだい!」
 それはケイだってわかっている。炎麗夜の気持ちだってわかる。
「でも……人が死ぬとこなんて、見たくないんです」
 涙を浮かべるケイ。
 その言葉を受けて炎麗夜は、全身から力を抜いて殺気を消した。
「わかったよ。でも今は〝まだ〟殺さないだけだ。利用価値があるかもしれないからね。それにそいつの刻印の数が尋常じゃあない。あとそこの女はだれだい?」
 冷静さを取り戻した炎麗夜は、次々へと疑問点を見つけた。
「やっぱりこれ普通じゃないんですね。この女の人はこの人の〈デーモン〉です」
「なんだって、〈デーモン〉だって!?」
「はい、目の前で形が変わっていくの見ましたから」
「そんなアホな……人型なんて、いや、動物型があんだから、人間も動物のうちか」
 今まで人型〈デーモン〉の存在を知らなかったらしい。それほど珍しいということだろう。
 炎麗夜もアカツキの肉体を調べはじめた。
「通常状態でこの大きさ」
「ふ~れ~い~や~さ~ん」
「颶鳴空みたいな怖い顔するな……ん、ほかのみんなはどうした!?」
「それが……砂浜に打ち上げられたのはあたしと炎麗夜さんだけで」
「そうか」
 短く囁いて炎麗夜は目を閉じた。
 あの中で何人が助かったのか?
「だいじょぶですって、みんな助かってますよ。だってもうここに三人も助かった人がいるんですから!」
「…………」
 おそらくここにいる三人は〈デーモン〉による力が大きいだろう。
 では、無力な人間はどうだ?
 激しい海流に呑み込まれ、為す術があっただろうか?
「そうさ、みんな無事に決まってらあ。おいらは方向音痴だし、こっちから探しに行かなくても、向こうが探してくれるさ。きっと……な」
 まだ炎麗夜の顔には影が差している。
 無理をしているのはケイの目にも明らかだった。もうケイはなにも言えない。
 炎麗夜は無理にでも気を取り直そうとしているようで、再びアカツキの刻印を調べはじめた。
「契約できる〈デーモン〉は一体って決まってんだ。二体以上の契約は、どういうわけか〈リンガ〉の身が持たない。中には裏技でオッケーな奴もいるけどな」
「裏技?」
「そうさ、ウチの風羅の〈ムゲン〉は〈変装〉。変装って言っても、服や髪型が変わる程度じゃあない。完全に相手をコピーしちまうんだ。だから〈デーモン〉との契約までコピーできる。ベヒモスもそうやって動かしてたのさ」
「でもこの人はこんなにいっぱい」
「そういう〈ムゲン〉なのかもしれないねえ」
 多くの契約ができるのか、それとも……。
 アカツキの躰が微かに動いた。
 それから先は瞬きをするよりも早かった。
 炎麗夜はアカツキを止めようと手を伸ばしたが届かない。
 刀を拾い上げたアカツキはその切っ先をケイに向け、さらに女形〈デーモン〉を守るように横でひざまずいた。
「紅華になにをした!」
 怒りを露わにして叫んだアカツキ。
 女形〈デーモン〉に炎麗夜は目を滑らせた。
「その〈ヨーニ〉のことかい?」
「……この道具はルシファーだ。〈ファルス〉合体!」
「させるか!」
 炎麗夜はアカツキに手を伸ばしたが、放たれた閃光と風圧によって吹き飛ばされた。
 紅い花魁衣装を身に纏った妖艶たる鬼。
 しかし、アカツキはすでに疲労を露わにし、青黒い顔の目元はさらにどす黒い。
 アカツキの額から汗が流れ、床で四散したと同時に刀が輝線を描いた。
 切れがない!
 なんと、炎麗夜は刀を素手で握って受け止めた。
「おいらの〈崇高美〉を前にして、無様な野郎は足下にも及ばないよ」
「うぬぼれたその足下を掬ってくれる!」
 刀を受けた炎麗夜の手が押されはじめた。斬ることはできなくとも、力で押すことはできる。
「半死にしちゃやるじゃあないか」
 炎麗夜がニヤリと笑った次の瞬間、彼女は脚を大きく蹴り上げた。
 股間を蹴り上げられたアカツキが眼を剥く。
「ぐあっ!」
 アカツキがどんな一流の戦士だろうと、鍛えようがない急所。
 悶絶しながらアカツキは床でもがいた。
 炎麗夜は蹴り上げた足を手で払って見下した。
「汚ねぇもんを蹴っちまったな。まだやるなら外に出な、そこでたっぷり可愛がってやるよ。殺しはしない、まだな。死ぬ前にたっぷり地獄を味わいな」
 炎麗夜はケイを連れて小屋の外に出た。
 歯を食い縛ったアカツキは、床に刀を突き立て躰を起こした。
「地獄がどうした……俺様は修羅だ、修羅の歩む道は常に冥府魔道」
 重い躰を引きずりながらアカツキも外に出た。
 炎麗夜たちは崖のすぐ下、砂浜で待ち構えていた。
 不安そうにしてケイは炎麗夜から少し離れた場所で佇んでいる。その瞳は、哀しみで満ち溢れていた。
「どうしても……(こうなっちゃうのかな。まただれかがあたしの前で傷つく。敵味方なんて関係ない、ここから離れたいけど……それもあたしにはできない)」
 ケイが俯いていた顔をあげると、アカツキがなにか言いたそうにこちらを見ていた。
 しかし、黙して語ることはなかった。
 刀を構えたアカツキ――戦いを続ける気だ。
 迎え撃つ炎麗夜は拳を鳴らした。
「どっからでも掛かって来な」
 崇高なる美を崩さぬ余裕。
 無言でアカツキは斬りかかった。その表情に余裕はない。
 刃が半月の輝線を描いた。
 その攻撃を飛び退いて躱した炎麗夜は、そのままアカツキの懐に飛び込んだ。
「美しい陽光に手を伸ばせ(ビューティフルサンシャインアッパー)!」
 炎麗夜の拳がアカツキのあごを殴り上げた。
「ぐッ!」
 歯を食い縛ったアカツキは宙に飛ばされ、無様にも砂浜に叩きつけられた。
 指の間から零れ落ちる砂を掴みながら、アカツキは立ち上がろうとした。だが、立ち上がれない。膝をつき、手が大地から離れない。
「まだだ……まだ俺様は……」
 唾のように血を吐き飛ばし、アカツキは顔を上げて野獣の眼を輝かせた。
 その眼は死んでいない。
 心は折れずとも、その躰がいうことを聞かない。
 動けないアカツキの顔面を炎麗夜の足が容赦なく蹴り上げた。さらに間を置かずに頭部を踏みつぶした。
 ケイは手で顔を覆った。
 砂を血と共に口から吐き出したアカツキは、手を炎麗夜の足首に伸ばそうとしたが、その手すらも踏みつぶされた。
「てめぇに殺された女たちの苦しみはこんなもんじゃねえ!」
「…………」
「なんか言えよ!」
「…………」
「あんたただの賞金稼ぎじゃあないだろう。巨乳に怨みでもあんのか、なんでそこまで執拗に巨乳の女を殺すんだ!!」
「俺様は豊満な胸を愛している」
「は?」
 驚いた炎麗夜に一瞬隙ができた。
 素早く立ち上がったアカツキの拳が炎麗夜の顔面を目掛ける!
 触れることは叶わない。
 だが、吹き飛ばすことはできる!
 炎麗夜が背を反らせながら吹っ飛ばされた。
 砂の上で跳ねた炎麗夜の躰。その揺れる超乳をアカツキは愛おしそうに見つめていた。
「だが顔には興味がない」
 それが最後に振り絞った力だった。
 アカツキはゆらめきながら砂に顔面から突っ込んだ。完全に気を失ったのだ。
 炎麗夜がアカツキに近付こうとしたとき、天が妖しく輝いた。
「危ない!」
 ケイが叫んだ刹那、光の柱が天から落ちてきた。
 巻き上がる砂。
 雷が落ちるように、それはあまりにも一瞬の出来事だった。
 穿たれた砂浜。
 まるで隕石でも落ちたような穴だった。
 しかし、その中心にはなにもない。
 そこにいたいたはずのアカツキの姿が跡形もなく消えていた。
 唖然とする炎麗夜とケイ。
 なにが起きたのかまったくわからなかった。

 つづく


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