第11話_ブービートラップ

《1》

《や~きいも~、いしや~きいも~♪》
 遠くから聞こえてきたスピーカーの音。
 学校帰りに繁華街に繰り出した華艶と碧流の耳にもそれは届いた。
《今なら100名様に無料で配ってるよ~♪》
 屋台に人が集まっていくのが見える。
 碧流の瞳がキラ~ンと光った。
「もらいに行こうよ、ねっ華艶?」
 顔を向けられた華艶はあまり乗り気じゃないようだ。
「行ってきたら?」
「マジ? もしかして焼き芋キライなの?」
「だってオナラでるじゃん?」
「は?」
 女子としてオナラをブーブーこいてるのもどうかと思うが、そんなことを言っていたら美味しい焼き芋にはありつけない。
 碧流は強引に華艶の腕を引っ張るが、華艶も強情にその場から動かない。
「行こうよ!」
「い~や~だ!」
「なんで!」
「オナラ出るから!」
「華艶べつに羞恥心とかないでしょ~!」
「羞恥心くらいあります~けど、本当の理由は……」
 華艶は手のひらの上に炎を出して、すぐに消して見せた。
 そして真顔で語りはじめた。
「オナラって火がつくんだよ、マジで」
「あはははは!」
 碧流は腹を抱えて笑うが、華艶は至って真面目だ。
「ホントなんだから、オナラが原因の火災とか火傷の事故ってけっこうあるんだから」
「うっそだ~」
「いや、マジで」
「はいはい、わかったから」
 碧流はまったく信じていないようだ。
 焼き芋の屋台に集まる人が増えていく。100人分くらいすぐになくなりそうだ。
 碧流は華艶から手を離し、
「んじゃ、あたしは焼き芋もらってくるから」
 急いで屋台に向かっていった。
 屋台に集まって人々が少しずつ散っていく。
 そして、しばらくして碧流が湯気の立つ焼き芋を持って帰ってきた。
「おっ待たせー。ホントギリギリ、最後の1個だったよ」
 ホクホクの焼き芋を頬張る碧流。
 その姿を見つめていた華艶がじゅるりと垂れそうになった唾を飲み込んだ。
 黄金色の芋から、蜜が溢れている。糖度が高く、芳潤なことは見た目でわかる。華艶だって決して食べたくないわけではない。
 碧流が目を細め、ふふんと鼻を鳴らしながら華艶に視線を向けた。
「あ、本当は食べたいんだぁ?」
「そんなことないし」
「あぁ、こんな美味しい焼き芋食べたのはじめてぇ~」
「わざとらしくいわないでくれる?」
「だってマジで美味しいんだもん」
 そんなこと言われなくてもわかってる。
 華艶の口から涎れが溢れてくる。
 もう碧流はお見通しだ。
「ちょっとくらいなら、あげてもいいなぁ」
「えっ、マジで! ……やっぱりいいや」
 一瞬、誘惑に負けそうになったが、意地を張る華艶。
 そういう態度を取られると碧流も意地を張りたくなる。
「食べたいんでしょ、ほらほら」
 華艶の鼻先に焼き芋をグイグイ近づけてきた。
 薫りが立っている。
 皮の焦げた匂いとほのかな芋の甘い香りが、相まって華艶を悩ませる。
 ゴクリと華艶はツバを呑んだ。陥落はすぐそこだ。
 止めとばかりに碧流は焼き芋を華艶の唇に優しく押し当てた。
「ほら、食べていいんだよぉ~」
 まるで催眠術をかけるかのごとく囁きかける。
 そして、ついに華艶は焼き芋を口の中へ入れようと――ブッ!!
 碧流が屁をこいた。
 …………。
 まるで時が止まり、数秒の間を開けてから碧流が腹を抱えて笑いはじめた。
「あはははは! ごめんごめん……あはは……オナラ出ちゃったっ、あはははは!」
 しばらくして華艶の鼻まで臭ってきた。すっかり焼き芋の誘惑も薄れてしまった。
 華艶は焼き芋から口を離した。
「やっぱいらない。オナラ出たら困るし」
「そんなこと言わないでいっしょにオナラしようよ!」
 グイグイと華艶の口に焼き芋が押しつけられる。
「いらないって!」
「美味しいから!」
 そして、ついに華艶の口の中に焼き芋が入ったところで――ブッ!
 碧流が屁をこいた。
 思わず華艶もブフォッと口から焼き芋を吹き、大笑いする碧流は腹を抱える拍子に焼き芋を地面に落としてしまった。
 二人で大笑いしたあと、地面に落ちた焼き芋を見つめる碧流。
「あーあ」
 まだちょっとしか食べていないのに。

 ギシギシ……
 ベッドの上で濡れる肉体が揺れる。
 女は横たわる男にM字開脚で跨り腰を上下させ、同時に厚い胸板で突起する乳首を舐め回す。
 上目遣いの女。
「ちゅっ……んふっ……ひもちいい?」
 舌を這わせながら尋ねた。
 男は乳首と肉棒を同時に刺激され、言葉も出ず女の髪の毛を撫で回した。
 だんだんと腰を振るスピードが速くなる。
 女は耐えきれず、男の乳首から舌を放すと、自らの悦楽を貪りはじめた。
 厚い胸板に両手を押し当て、狂ったように腰を上下させる。
「んあぁぁぁぁ! あああああいっ……んあぁ……あぁ!」
 激しい運動は長くは続けられず、女は少し動きを止めた。だが、すぐに再び腰を動かそうとする。
 2度、3度腰を大きく上下させ、そこから加速を付けようとしたとき、不意に肉棒が抜けて振り子のように跳ね上がった。
 もどかしそうに女は肉棒を掴み、秘所へと自ら挿入を試みる。
 淫液は太股まで垂れ、ぬぷっという卑猥な音を立てながら、厚い肉の中へ難なく肉棒が埋められた。
「あぁ気持ちいい、ああ気持ちいい」
 潤んだ瞳で女は口を半開きにして、ヒクつく舌と涎れを垂らした。
 釘を打ち付けるように激しく女の腰が動く。
 秘奥を突き、魔宮の入り口に何度も硬く尖った肉棒が突撃する。
「あっあっあっああ!」
 ひと突きするごとに、短い喘ぎが上がる。
 腰の動きが再び激しくなる。
「気持ちいい気持ちひい!」
 狂った腰使い。
「ああ、いっ! ああ……イク、ヒク、ヒグゥゥゥゥッ!!」
 ブッ!
 女のケツからオナラが出た。
 それを聞いて男は冷静に戻るが、女は陶酔しきっている。
「んああぁっ……ふうぅ……んふぅ……もう気持ちいい」
「おまえ今オナラしただろ?」
「ずっと……がまん……してたの……出ちゃった……でも……」
 まだ女の気持ちは治まらない。
 男の肉棒もまだ萎えてはいなかった。
 大きく脚を開いた女は連結部分を見せつけた。
「見える? 繋がってるの見える? すごい濡れてるの……あぁっ」
 さらに女は片手の指で秘所を閉ざす厚い唇を広げて見せた。
 そして、円を描き掻き回すように肉芽を弄りはじめる。
「あひ……だめ……はぁはぁ……あひぃぃぃ……うひ……」
 肉棒をぶっ刺しながら、男に手淫を見せつける。
 自らの欲望のまま。
 男など道具に過ぎず、欲望のまま、己の快楽のみを求める。
「あああああ、あっあっ、ひぃぃぃぃもうだめ、ああっああっ!!」
 女の全身が痙攣して、肉棒が抜けてしまったと同時に、秘所から飛沫が天井まで噴き出た。
 ドボボボボッ! ビュッビュッ! ドボッ!
 何度かに分けて潮を噴き、女は泣きそうな顔をしながら喘いだ。
「ああっはぁあぁぁ、はぁはぁ……あああ」
 呼吸が乱れ、息をするだけ淫猥な声が出てしまう。
 下腹部の辺りから震えが奔り、快感の波が何度も押し寄せる。
 しかし、男はちっとも気持ちよくなっていない。
 裏返しにされたカエルのような体勢で、まだ快感の醒めぬ女に男が覆い被さった。
 肉棒でひと突きされた。
「ひっ!」
 女は打ち震えた。
「ああイっ、あああイっ!」
 何度でも気持ちいい。
「もっと、もっと、もっとしてぇぇぇぇっ!」
 絶叫する女。
 今度は男が腰を動かす番だ。
 今までやられっぱなしだった男が、自らの欲望を吐き出すために、壊れたように腰を振る。
 ブッ!
 また女のケツからオナラが出た。
 しかし、ここまで来て男はやめられなかった。
 構わず肉棒をぶっ刺し続ける。
 ブッ! ブッ! ブッ!
 腰を動かすたびに小刻みに屁が出る。
 白目を剥きながら女は涎れを垂らして、主導権を自分に取り戻すべき男を押し倒した。
 そして、再び女は騎乗位で腰を振りはじめる。
 男も腰を浮かせて天を突くように肉棒で秘奥をぶっ刺す。
 腰の動きは止まらない。
 ブッ! ブッ! ブッ!
 異臭が漂うが、二人の腰はより激しく、壊れるほどに動いた。
 女が絶叫する。
「イク、イク、ダメ、イクッ!」
「ううっ!」
 男も呻いた。
 膣圧が急激に高まった。
「ウヒィィィィィッ!」
 女が絶頂を迎えた瞬間!
 激しい地響きのような音がした。
 ブォォォォォン!!
 突如、女の躰が爆発し、肉塊が部屋中に飛び散った。
「ギャァァァァァァァァァッ!!」
 ドロドロの肉と血で全身を染めた男が叫んだ。
 下半身で繋がっていた女の姿はもうない。
 それどころか、男は自分の下半身を見てさらなる恐怖におののくのだった。
 爆発に巻き込まれた男の下半身もまた、無残に吹き飛んでいたのだ。
 さらには女の骨が無数に男の躰には突き刺さっていた。
 自分の置かれた状況に気づいたとき、男は激しい痛みと恐怖で瞬時に絶命した。

 リビングのソファであぐらを掻きながら、華艶は夕食をとっていた。
 片手でスパゲティの乗った皿を持ち、もう片方の手でローテーブルに乗ったリモコンを取ろうとするが、手がブルブルと震えるばかりで届きそうもない。
 ほんのちょっと立ち上がれば届くのに、めんどくさがりで、余計にめんどくさいことをしている。
 仕方がなく華艶は立ち上がるのかと思いきや、足を伸ばしてそれでリモコンを引き寄せようと画策しはじめた。
 女子としてどうかと思うが、これが人前であったとしても華艶なら構わずやるだろう。
 ちょいちょいっとリモコンを引き寄せている途中で、かかとでボタンを押してしまったようだ。テレビの電源が入った。
《臨時ニュースをお伝えします》
 スピーカーから聞こえてきた女子アナウンサーの声につられ、華艶は足を止めてテレビ画面に注目した。
《ホウジュ区からカミハラ区にかけて多発している爆死事故は、さらに被害を拡大している模様です。発火装置などは見つかっておらず、原因はまだ判明しておりませんが、目撃者の証言によりますと、異臭がしたかと思うと突然人間が爆発したとのことです。帝都政府はテロの可能生も視野に入れ臨時の警戒網を発令して、警察・消防と共に市民の皆様へ注意を呼びかけています》
 カミハラ区と言えば華艶のホームグラウンドだ。済んでいるマンションや通っている学校も同じ地区にある。
「人体爆発ってグロ」
 と華艶は呟きながら、ミートソースをフォークでかき混ぜた。
 ブッ!
 華艶のケツから小爆発。
「あ、オナラ出た。なんかずっとお腹の調子悪いんだよねぇ」
 華艶はお腹をさすった。ちょっといつもより張っているような気がする。
 再びリモコンを引き寄せようと足でちょいちょいっとしていると、遠くからサイレンらしく音が聞こえてきた。
「救急車? あれ、消防? 違うな警察?」
 サイレンの音はどんどん近付いてくる。しかし、なんのサイレンなのか特定できない。
 リモコンを取るためには立ち上がらなかった華艶は、ついに立ち上がってしかも窓を開けてベランダに出た。
 ベランダの柵から身を乗り出してマンション前の通りを眺めた。
 救急車が停まっていた。さらに道路の向こうからパトカーがやってくる。おまけに消防車のサイレンまで聞こえてくる。
「……ウチのマンション?」
 どうやら事件は華艶の棲むマンションで起きたらしい。
 野次馬根性丸出しの華艶は、自分の部屋を出て事件現場を探そうとした。
 マンションの廊下に出ると騒がしい声がすぐ飛び込んできた。下の階らしい。
 階段を下りて廊下を見渡すと、すぐに人だかりで出来ているのがわかった。
 管理人や警官が人だかりを制している。
「近付かないで、おまえら不謹慎だぞ、自分の部屋に戻りなさい!」
 そんなことを言われても野次馬たち散ろうとしない。それどころか騒ぎを聞きつけて増える一方だ。華艶もその群れの中に入った。
「すみません、何があったんですか?」
 華艶は誰に尋ねるでもなく、周りの人たちに聞こえるように言った。すると、すぐにオバチャンから返事が飛んできた。
「旦那さんが帰宅したら奥さんが死んでたんですって」
 さらにほかの住人が、
「なんか見るも無惨な姿で死んでたんだって」
「俺は爆死してたって聞いたけど?」
「マジかよ、さっきニュースでやってたヤツかよ」
 おそらく華艶がさっき見たばかりのニュースだろう。だが、住人のうわさ話に過ぎない。あっちの事件と関係あるかはまだわからない。
 人だかりの中でケータイの着メロが鳴った。
「お、あたしだ」
 華艶のケータイだった。
 表示画面を見ると碧流からの通話だった。
「メールじゃなくて通話かぁ」
 なにか急用かもしれない。
 華艶は通話に出た。
「もしもし碧流ぅ?」
《どうしよう……》
 何かに怯えるような沈んだ碧流の声。
「なにどうしたの?」
《さっきから……止まらないの……》
「なにが?」
 と尋ねた瞬間、電話越しにブッという音が聞こえた。
 深刻な雰囲気をブチ壊すオナラの音だった。
 しかし、碧流の声音はさらに沈んだ。
《オナラが止まらないの……どうしよう……》
「はい?」
《だから、オナラが……》
「あはは、なにそれぇ~ウケるし~」
《笑い事じゃないの!!》
 叫びにも似た怒りの声で華艶は笑うの止めた。
「……ごめん。止まらないってどういうこと?」
《わからないよ。とにかくオナラが止まらなくて、なんかお腹が張って痛くて、わかんないけど、どんどんお腹が膨れてる気がして……》
「病院行きなよ、まずは病院」
《だって恥ずかしくて》
「そんなこと言ってないで病院に行……」
 華艶の脳裏に〝まさか〟という悪い予感が過ぎった。
 しかし、そんなバカなと頭を振る。
 でも……もしもそうだったら?
「あのさ碧流。ニュース見た?」
《ニュース?》
「そそ、人体爆発事件のニュース」
《知らないけど……ウソ、そんな……あたしが?》
「いや……まさかとは思うんだけど……」
 たまたまそんなニュースを見て、さらに今マンションでそのような事件が起きたから、頭が勝手に結びつけてるだけだと華艶は考えを拭い去ろうとした。
「とにかくさ病院行ったほうがいいよ、なんだったらあたしも付いていこうか?」
 ブッ!
 っと音がして、辺りにいや~な臭いが漂いはじめた。
 ……華艶が気まずい顔をした。
 足早に野次馬の中を抜け出す華艶。そう華艶がオナラをしてしまったのだ。そして、冷静になってある戦慄が走った。
 急に慌て出す華艶。
「あたしも病院行く、だから碧流も帝都病院に向かって。ウチからも碧流んちからも近いし、あそこなら少しは顔が利くし、なんたって普通の病気じゃない病気ならあそこが世界一だし」
 早口になって急に態度が変わった華艶に碧流も驚いているようだった。
《どうしたの華艶?》
「実はさ、あたしもオナラが出るんだよね……そういえば」
《うそ?》
「とにかく病院のほうにはあたしが連絡しとくから、早く帝都病院に行って!」
《う、うん、わかった。じゃあ、またね》
「あとでね」
 通話を切り、華艶は再び電話をかけた。

《2》

 一足先にタクシーで病院に来た華艶。入り口でしばらく待っていると、碧流がひとりで現れた。
「お待たせ」
「あれ、お母さんとかといっしょじゃないの?」
「だって……言い出せなくて」
「そっか」
 二人は病院の中に入り、魔導科のあるフロアに向かった。
 すで華艶から連絡を受けていたチアナは診察室ではなく待合室にいた。
「遅いわよ。オナラごときで私を呼び出すなんて、患者はあんたひとりじゃないのよ」
 あまり機嫌がよくないらしいチアナをさらに煽ろうとする華艶。
「今日は二人ですけどー」
「それとあんたねぇ、病院って何で魔導科とか内科とか外科とかに分かれてるか理解してる? なんでもかんでも私のとこに来られても困るのだけど、ったく」
「なにイライラしてるんの?」
 急な華艶の呼び出しもあるだろうが、主治医のいつもと違うイライラを華艶は察していた。
 チアナは髪の毛を掻き上げ、呼吸を一つ置いた。
「さっきからあんたらと同じ症状の患者が次から次へと運び込まれて来るのよ。原因不明で私のところにも運ばれて来たけど、死ぬならほかのところで死になさいよね!」
「まさか?」
 華艶は目を丸くして尋ねた。
「私の診察室で爆死したのよ。清掃して消毒して、私も急いでシャワー浴びたのよ」
 言われてみればチアナの髪の毛は湿っている。ちゃんと乾かす時間もなかったのだろう。
 話を聞いていた碧流は真っ青な顔をしていた。
「……もしかして……あたしも爆死するの?」
 沈んだ声を発した碧流が次の瞬間には、
「きゃっ!」
 驚きの悲鳴をあげた。
 なんとチアナが碧流の服をめくってお腹を丸出しにしたのだ。
 碧流のほんの少し張ったお腹を真剣な顔つきで観察するチアナ。
「ほかの患者に比べればぜんぜん時間の余裕がありそうね。華艶、あなたのお腹も見せて」
 返事を聞く前にチアナは華艶の服もめくっていた。よく鍛えられた腹筋だ、それを差し引いても碧流に比べてまったく変化があるとは思えない。
「あなたはぜんぜん平気みたいね」
 簡単な診察を終えてチアナは顔を上げた。
「あなたたち、なにか変な物を口にしなかった?」
 チアナに尋ねられて華艶と碧流は顔を見合わせた。
 二人共が食べた物。
「「あっ」」
 二人の声が同時に重なった。
 碧流も同じことを考えたであろう答えを華艶が話す。
「もしかして焼き芋とか。駅前で無料配布してたんだけど……焼き芋のオナラで爆死って、ギャグマンガじゃないんだから、ねえ?」
「それよ」
 あっさりチアナに断言された。
 さらにチアナは話を続ける。
「ほかの患者の証言から、みんな街で配っていた焼き芋を食べていることがわかったわ。ただ証言が一致しているだけで、本当にそれが原因なのか調査中だけれど。それにしても、あなたたちはあまり症状が出ていないみたいだけれど、華艶は特異体質だから置いてといて、もしかしてあなた少ししか口にしていないとか?」
 顔を向けられた碧流は、
「はい、ちょっと食べたところで地面に落としちゃって」
 それを聞いて急にチアナが眼を見開いた。
「落としたですって、どこに!?」
「駅前に」
「駅前ってどこよ詳しく! その焼き芋を回収すれば原因究明に一役買うのよ!!」
「神原女学園前駅の繁華街です」
 場所を聞いてチアナは二人を置いて駆け出そうとした――のを華艶が腕を掴んで引き止めた。
「ちょっ、あたしたち置いてどこ行く気?」
「そうだったわ、もっと詳しい場所を聞かなくてはいけないものね」
「んじゃなくて、あたしたちの治療?」
「……よね。気持ち程度も効いてくれた抗生物質で進行を抑えたいところだけど、進行のほうが早いから――というのは、ほかの患者の話で、少量しか摂取してないであろうあなたたちがどうなるか観察をしてみないとわからないけれど、薬でどうにかならないようならもっと物理的な手段で対処するわ」
 外科手術と言うことか?
 進行のほうが早いということは、有効な手段が見つからない限り、その処置を受ける運命に華艶もある。だから訊かずにはいられなかった。
「それってどんな?」
「うちの病院はほかと違うから、柔軟な発想がときに奇抜な処置を生むことがあるわ。簡単な話が肛門からチューブをぶち込んでガス抜きする方法よ」
「絶対にイヤ!」
「仕方ないでしょう。抗生物質でも食い止められず、ゲップやオナラの放出速度を上回ったら、吸い出すのがてっとり早く効率的だと思うけれど?」
 ブッ!
 碧流が顔を赤くする。
「ごめんなさい」
 この会話の最中も華艶と碧流は小さいオナラを繰り返しており、音の大小に関わらず臭いが辺りに立ち込めてしまっていた。
 チアナは黙したあと、
「場所をかえましょう、いろんな意味で」
 このあと華艶と碧流は臨時の措置として抗生物質を投薬され、オナラが出るという症状は一時的に治まった。だが、時間が経てば再びオナラが出はじめるだろう。そして最終的には悪夢の処置が待っている。
 それを食い止めるべく華艶は――。

「とりあえず駅前に来てみたけど、手がかりゼロ」
 華艶は焼き芋を配っていた神原女学園前駅に来ていた。
 焼き芋を落とした場所にも行ってみたが、焼き芋は跡形もなく消えていた。捜査班か誰かが回収してしまったのだろうか?
 手がかりはあの焼き芋を配っていた屋台の行方だろう。
「めんどくさいなぁ」
 聞き込みがめんどくさい。
 人の流れがある場所では、その人の流れに聞き込みをしても意味がない。時間が変われば行き交う人も変わる。そこで聞き込みをするべき相手は限られてくる。この場所で流れない人々だ。
 駅前には交番があるが、そこにいる人間が何の許可も持たない一般人に情報を漏らすとは考えづらい。
 何らかのショップで働いている者がバイトだった場合、勤務時間の問題で屋台がいたときにいなかった可能生も高い。
 そもそもチマチマ聞き込みという手段が華艶の性格に合っていない。
 少し悩み華艶はケータイで通話をした。
「もしもし、マンちゃん元気?」
 返ってきたのは中年男の声。
《おう華艶ちゃん。なんか良いネタあるかい?》
 華艶が電話をしたのは雑誌社の編集長だった。この出版社が扱っている雑誌の中に、帝都で起こる奇異な事件を専門に扱うコーナーがある。つまり彼は華艶の情報屋のようなもので、さらに華艶も彼の情報屋であった。
「オンタイムで起きてる連続爆死事件のことなんだけど」
《いいねぇ、ウチでも取材進めてるとこだよ》
「あたしも被害者になっちゃってさ、まだ爆死はしてないけど」
《そりゃ傑作だ、あははは》
「いや、笑い事じゃないから」
 オナラをブーブーして爆死なんて喜劇もいいとこだが、被害者の華艶としてはまったく笑ってられない。自分の命も、友人の命も掛かっている。実感が伴う身に迫る危機感だ。
「あたしの知ってる情報くらいはとっくに知ってると思うんだよね。謎の屋台が配った焼き芋を食べて、オナラが止まらなくなり、やがてキャパを越えて爆死。だからさ、あたしが犯人取っ捕まえたら独占取材ってことで情報ちょうだい?」
《こっちもあんまり情報ないぞ。今のところ警察も手詰まりみたいだぞ》
「あんなに目立つ屋台だったのに?」
《その屋台なら出現場所から次の出現場所までの目撃証言がないらしくてな。もちろん最後の出現場所からの行方もわからず終い――ん?》
 通話越しの向こう側が少し騒がしい。
 すぐに、
《華艶ちゃんテレビ見ろ、何チャンでもいいから早く!》
「えっ?」
 言われてすぐに通話を保留にしてケータイでテレビを観た。
 画面に映し出されたのはドアップの巨大な唇。
 巨大な口がシルクハットを被り、その下には人間の首から下が紫のジャケットにオレンジのインナーを着ていた。
 被り物の唇かと思ったが、その口はあまりにリアルな動きで話しはじめたのだ。しかも奥では舌まで動いてる。
《ボクのオナラショーは楽しんでいただけたかしらん?》
 若い男の声だったが、口調はまるでステレオタイプのオカマだ。
 ステッキを回し唇男は話を続ける。
《おや、なんのことかわからない? バラエティー番組ばかり観てないで、たまにはニュースも観なきゃ、だ・め・よ。それとも政府のバカどもが騒ぎを大きくしないために口にチャックしてるのかしらん?》
 唇男は頭部の〝唇〟をなぞるように手を動かし、一瞬でその〝唇〟に本物のチャックをして見せた。ファスナーなどはじめからなく、まるでマジシャンようだった。
 口にチャックをした唇男がモゴモゴしゃべっている。そして、ようやく口が閉まっていることに〝今〟気づいたようなそぶりで、そのファスナーを一瞬にして消して見せた。
《ゼーハーゼーハー、息ができなくて死ぬとこだったわ。どこまで話して、なにを話していないのかしらね。そうそう、ボクの名前はフェイスレスマウス。特技は熱いキッスよぉん》
 テレビカメラに頭部の〝唇〟をくっつけ、ぶちゅ~っと濃い音を鳴らして本当にキスをして見せた。
 〝唇〟のアップから画面が引かれると、フェイスレスマウスの左右の後ろに、謎の物体が浮遊しているのが見せた。
 華艶は絶句した。
 まさかそれは本物なのか、それとも作り物なのか?
 そこに浮いていたのは丸く膨れ上がった全裸の男女。まるで風船のように浮き、目や口や耳などはテープなどで完全に塞がれ、足首から垂れる鎖で地面と繋がれていた。
《焼き芋は美味しかったかしら? ここにいる二人みたいにお腹いっぱい食べてくれたかしら? それはさておき、近々バンドをはじめようと思うのよね。もちろんボクの担当はタンバリン兼ヴォーカルよん》
 フェイスレスマウスはケツを高く上げ、ブッと屁をこいたと同時に、出たガスに引火させ尻から炎を上げた。
 炎が治まった尻から伸びていた小さな横断幕を摘むフェイスレスマウス。そこに書かれていたのは『ブービーサーカス団』の文字。
 だんだんと与太話に付き合わされている気分になる。
《そこでバンドのメンバーを大々的に募集しようと思うの。ボクの理想としては乱暴で狂ってて、セクシぃ~~~な男女問わず犯罪者。そこで思い付いたのだけれど、帝都で留置場、拘置所、刑務所の犯罪者を全員ひとり残らず、ゲスどもの一匹まで、釈放して欲しいのだけれど? もちろんタダとは言わないわ、オラナプーを治すワクチンをあげちゃうわ。どう? 世紀の大バンドの誕生に一役買ってみない、帝都政府のおバカちゃんたちぃ?》
 どこまで本気なのか?
 事件をかく乱するのが目的なのか?
 犯罪者を街に放すなど現実的にできるわけがない。だからと言って被害者を見殺しにするわけにもいかないだろう――体面的には。
 犠牲者を助けるよりも、犯罪者を街に放つ方が被害は拡大する。対処をしている振りをして、犠牲者を見捨てることもありえる手段だろう。政府の信用は失墜するだろうが、この街の政府は特殊だ。すぐにその権威を取り戻すことになるのはわかっている。
 魔導と科学の街――帝都エデン。
 世界のどの都市よりも繁栄し、ほかの都市の未来を体現している特別な街。
 この街に魔導文化をもたらしたのは今の政府にほかならない。
 今や世界の中心となったこの都市に、フェイスレスマウスは喧嘩を売ったのだ。
《焼き芋は何個配ったんだったかしら。ヒャッハハ……そう、888個。でも888人程度の犠牲者だけで済むと思ったら大間違いよ。このごろお腹の調子が悪くてブーブーしちゃってる子はいないかしら? 遅効性のウィルスって怖いわよねぇ~、何日前から仕込んだったか忘れたけれど、こうなるのも時間の問題よ》
 画面が切り替わり、全裸の女が映し出された。
 手錠と足枷をされ身動きの自由はない。その尻からはチューブが伸び、その先には自転車の空気入れをさらに大きくした物が。空気を入れようとしているのはピエロの格好をした男。
 まさか?
 ピエロはポンプを動かし空気を入れはじめた。
 ガムテープで口を塞がれた女が泣き叫ぶ。
 床の上でのたうち回る女。
 どこから聞こえてくる笑い声。
《ヒャッハハ!》
 ピエロは疲れたのか、わざとらしく空気を入れるのを止めて、手の甲で額の汗を拭くジェスチャーをした。が、ポンプからは手が離されているはずなのに、空気の注入が止まらないのだ!
 それどころか空気が注入されるスピードが速くなっている。
 女の眼が剥き出しになっていく。
 腹はありえなくらい膨れ、動きはすでに止まっていた。
 次の瞬間!
 爆発音と共に肉塊が飛び散った。
 そして、すぐに画面が切り替わった。
 黒い画面にテロップで書かれた文字には『しばらくお持ちください』の文字が。これは放送局が主権を取り戻し取った臨時処置ではない。画面の隅には『ブービーサーカス団』と書かれていた。
 そして、再び聞こえてきた笑い声。
《ヒャッハハ、ヒャ~ハハハハッ!!》
 ぶっつりと放送が途絶えた。
 華艶は息を呑んだ。
「なに……今の?」
 悪い冗談だ。
 おそらくフェイスレスマウスにとってはジョークに過ぎないのかもしれない。
「胸糞悪い。ああ~っ、胃がムカムカする」
 髪の毛を掻き上げた華艶――ブッ!
 が、屁をこいた。
 こんな状況でオナラが出るなんて、本当に笑えない。
 悪い冗談だ。

《3》

 ブッ!
「あ、ごめん」
 平謝りをした華艶は、ズズズーっと熱々コーヒーを呑んだ。
 コーヒーの薫りに混ざって酒の臭いが漂ってくる。
「マスター、酒!」
 勢いよく華艶は言ってみたが、
「ダメ」
 瞬殺だった。
 昼は喫茶店、夜は酒場に早変わりするモモンガ。調査が手詰まりになって、華艶はふて腐れるためにこの店に来た。
 店主の京吾に酒の注文を拒否され華艶はほっぺたを膨らませた。
「バーが客に酒出さないってどーゆーことー?」
「華艶ちゃん未成年でしょ?」
「もう十八ですぅー!」
「お酒は二十歳からです」
「そだっけ?」
 華艶の表情はマジだった。
「あのね華艶ちゃん、帝都は治外法権に思えるけど、いちよう日本の一部で独立国じゃないん
だよ。だからこの街も日本の法律の下にあるんだ」
「マジで!? 帝都って日本だったの?」
 華艶と同じことをいう最近の若者が増えているらしい。
 突然、カウンターを滑って来たロックグラスが華艶の前で止まった。
 華艶が振り向いた先にいたのは40代くらい女性だった。
「無理もないわ。聖後生まれの子で生まれも育ちもこの街なら、そう思ってしまうのも当然。私のような聖前生まれのオバちゃんからしてみれば、日本の神奈川県なのだけれどね」
 聖戦の打撃を受けた首都東京の23区全域は死都と化し、生き残った地域は周りの県に編入された。
 当時神奈川だった場所に移民してきた23区の企業や住民。そして、エデン政府が神奈川の一部を乗っ取ったことにより、街は大きく様変わりした。それでも都市部を離れれば昔と変わらぬ神奈川の風景が広がっている。
 しかし、昔を知らぬ者にとっては、そこは帝都の風景でしかない。
 京吾は自分の店からは未成年に酒を出さないが、出したあとの酒が客の自由だ。グラスに口をつけようとする華艶を止めたりはしない。
「あ、いただきまーす」
「召し上がれ華艶さん」
 にこやかに微笑む女性。華艶は驚きを隠せない。
「今あたしの名前呼びました?」
「さあ、どうかしら?」
 とぼける女性から目を離し、華艶は京吾に視線を合わせた。京吾は小さくうなずく――呼んだという合図だ。
 女性は酒代にはおつりのくる1枚の紙幣をカウンターに起き、早々に店を出ようとドアに向かって歩いているところだった。
 それなりに顔の知られている華艶だが、この店であればさらに顔は広くなる。そう考えれば見知らぬ女性が華艶の名前を知っていても不思議ではないのだが、なにか引っかかる。
 華艶は女性を追って店の外に出た。
 女性はそこに立っていた――華艶に顔を向け、まるで彼女のことを待っていたように。
「駄目よ、出された酒はちょっと飲まなきゃ」
 シニカルな笑みを浮かべる女性。
 華艶がなにを言おうか迷っていると、再び女性が口を開く。
「そう言えば、お腹の調子はどう?」
「え?」
「オナラはちゃんと出ているの?」
「なんでそれを?」
 華艶の脳が急速に回転する。
 この女は誰だ?
 敵か味方か?
「なんでって、あなたにはあまり効かないみたいだから様子を見に来たのよ。だって人質は888人じゃなきゃイ~ヤだもの」
「……マジ!?」
 今華艶が持っている情報だけを結びつけた結果、導き出される答えは?
 叫ぶ華艶。
「フェイスレスマウス!!」
 パン!
 破裂音がした。
 華艶は銃で撃たれたかと思ったが、まったく違った。
 クラッカーを手に持っている女性。
「正解。私の名前はフェイスレスマウス。では問題、あなたは誰?」
「はぁ? あたしはあたしだけど。名前を訊いてるなら火斑華艶……だけど?」
「そう、では私は誰?」
「はぁ? フェイスレスマウスでしょ?」
「それはどうかしら?」
「はぁ?」
 なんとも言えないモヤモヤする感じ。からかわれているとしか思えない問答だ。
 女性は深々とお辞儀をした。
「それではさようならフェイスレスマスクさん」
「はぁ!?」
 自分のことをフェイスレスマスクと言われ、華艶はだんだん頭がおかしくなりそうだった。
 背を向けて立ち去ろうとする女性。こんなところで逃がすわけにはいかない。
「ちょっ、あたしはあなたに用がまだあるんだけど?」
 女性は聞く耳を持たず歩いて行ってしまう。その背中を華艶は追いかけるが、なぜか距離が縮まらない。相手は走ってなどなく歩いているのに、全速力の華艶が追いつけないのだ。
 二人の距離は伸びもしないし縮みもしない。
 景色は動いている。女性の周りではゆっくりと、華艶の周りでは速く。
 無我夢中で華艶は女性を追いかけた――それが罠とも知らず。
 空き地にやって来た女性がついに足を止め、振り返ったと同時に華艶の足下が崩れた。地面が沈んだと理解したときには落とし穴に落ちていた。
 着地には失敗した。だが、落ちた場所はフカフカの丸いベッドの上だった。
 ショッキングピンクのベッドの上に居るのは華艶と、その横には黒いボンデージ姿のあの女性。
「あら、こんなところで会うなんて奇遇ね」
「自分で落としといてなにそれ?」
「落とし穴は自ら歩いたりしない。だからあなたが勝手に落ちたのよ」
「はぁ?」
 酷い言い訳だ。
 相手のペースに乗せられまいと華艶は首を横に振って気を取り直した。
「よし!」
 そして、とあることを問い詰める。
「あたしさ、あなたのこと追いかけながら考えてたんだけど。人質の数は888人じゃなきゃイヤって言ったじゃん?」
「言ったかしらそんなこと?」
「とにかく言ったじゃん。あたしは友達がもらった焼き芋をちょっと口に入れちゃっただけなんだけど?」
「だからどうしたの?」
「だからどうしたじゃなくてさ、配った数って888個なんでしょ?」
「それで?」
「それでじゃなくて、配った人数以上の人が口にした時点で888以上にならない?」
「さっきから言ってる888って何の数字かしら?」
「はぁ~~~ッ!?」
 会話にならない。
 華艶はベッドの上で立ち上がった。
「もういい、早くワクチンちょうだい!」
「じゃあ1000円」
 お手のポーズを示した女性。ここで本当に1000円を払ったらワクチンがもらえるのだろうか?
 どうしようか迷って固まっている華艶に、
「いらないのね」
「いります、いりますぅー!」
「じゃあ1万円」
「はぁ、なんで値上げしてんの?」
「じゃあ5万円で」
 完全に相手のペースに乗せられている。
 無言になる華艶。会話をすれば不毛に陥る。
 すぐに沈黙は女性によって破られた。
「ウィルスは配った888個の焼き芋以外にも出回っているわ。ただ、一度手に入れた人質を手放すのがイ~ヤなだけ」
 それが本当の理由だろうか?
 何が真実で何が嘘なのかわからなくなる。
 もしもそれが本当の理由なら、華艶に人質になれということだ。
 いや、もう人質になっているようだ。
 華艶も気づかぬうちに、その手足は鎖によって拘束されてしまっていたのだ。
「えっ、いつの間に!?」
 まるでマジックを観ているようだった。
 華艶から伸びる鎖は床に頑丈そうな繋がれている。鎖には遊びが多いので、ある程度の自由な動きはできるが、ベッドから離れられるのは3メートルほどか。
 シニカルな笑いで女性は華艶を見つめた。
「炎の大脱出でも企ててみる?」
 それが無理なことくらい華艶にだってわかる。華艶の炎では金属の鎖までは溶かせない。女性を葬ることはできてもワクチンの在り処が聞き出せない。
 部屋が暗くなり、スポットライトがベッドの二人を照らした。
 女性が指を鳴らすと、それに合わせて華艶の服が弾け飛んで全裸にされてしまった。
「きゃっ!」
「案外可愛い声で鳴くのね。それではショータイムのはじまりよ」
 女性は自らの股間に手を当て、その手を離すと同時に、
「ジャーン、今夜はホームランよ」
 女性の股間に現れた金属バット。まるでアレのようにブンブン上下に動いている。
 バッドを見た華艶が後退る。
「ちょっ、それはムリ……」
「このくらいのウンコしたことあるでしょう?」
「ウソ、そっちに挿れるの? ムリだって、前だってムリなんだから。ここだけの話として白状しちゃうけど、あたしあんまり経験ないし、そんなの絶対に入らないし」
「絶対なんて言葉こそ絶対ないわ」
 バットの先が華艶の股間に宛がわれた。余裕のあったハズの鎖がきつい。気づけばベッドに磔にされてしまっていた。
 太くて硬いバットがグッグッと何度も押される。
「うっ、うっ、痛いってば……ぜんぜん入らないし!」
 バットの先端は比較的平らであり、先端から根本に掛けては、徐々に太くなるのでなくその逆である。先端が少しすらも入らない状態では、その以上入るわけもなかった。
 女性はバットを放り投げ、華艶の股間に息が当たるほど顔を近づけた。
「痛いって言ってたわりには、濡れているのね」
「防御反応だってば!」
「マゾの素質があるんじゃないかしら?」
「痛いのイヤです、キライです!」
「じゃあ、優しくされたいの?」
 女性の指先が華艶の肉芽を強く摘んだ。
「いっ!」
 あまりの痛みで歯を食いしばって腰を浮かせた華艶。
 続けて女性は、
「それとも苦しくされたいの?」
 指先で秘裂を撫でながら肉芽に軽く触れた。
「ふぅっ!」
 再び華艶は腰を浮かせた。だが、今度は快感からだった。
 少し触られただけなのに全身が痺れた。汗が噴き出て、蕩ける愛液も流れ出してしまった。もっと欲しくなってしまう。
 シニカルな笑みを浮かべた女性の取った行動は?
「じゃあ苦しくしてあげる」
 秘所で蠢く女性の繊手は、指の一本一本が独立した生物のように動き、その巧みな動きは関節を超越した指使いだった。
 クチュクチュと卑猥な音が出てしまう。
「んっ……んんっ……んふーっ……ふはふはふはーふぅ……」
 感じてるなんて思われたくなくて口を閉じるが、どうしても甘いと息が鼻から漏れてしまう。
「やめ……もう……やめっ、やめて……ひぃっ」
 途切れ途切れで発した精一杯の懇願も叶わず、秘所への責めは過酷さを増していく。
 快感のさざなみ。
 そこから徐々に波は高くなるが、高潮には達しない。華艶が達することを阻むのだ。あと僅かで達するというとき、秘所で蠢く指が止まるのだ。
 それは苦しかった。
「ヒィヒィヒィッ……イカせて……お願いだから……イカせて!」
 だが願いは叶わない。
 苦しい快感が鬱積していく。
 女性は言ったはずだ――苦しくしてあげると。
 さらに華艶はほかの苦しみも抱えていた。
 火照る躰。芯である部分。女である源が熱く疼く。
 燃えてしまう。
 熱い炎で何もかも燃えてしまう。
 ここで躰を燃え上がらせれば、目の前の女が灰と化す。
 性なる力によって華艶が炎を呼び起こすこと女性が知っているのか、それとも知らないのかはわからない。けれど、おそらくは華艶は炎を使うことは知っているのだろう。そうでなかれば『炎の大脱出』など言わないだろう。
 だとするならば、己が燃やされることを承知の上でゲームを愉しんでいるのだ。華艶が炎を使いたくても使えない状況は、いくつか想定していることだろう。だが、快楽によって我を失った人間が、理性を飛ばしてどんな行動をするかはわからない。狂乱した華艶が突発的に炎を使うこともあるだろう。
 普段は感じない部分の皮膚ですら、今は撫でられるだけで躰が震えてしまうのに、どうしてもイクことができない。
 女性の手は這って移動しながら、華艶のヒクヒクと動く腹を上り、さらに小高い胸の膨らみを愉しんだ。
「乳首が尖ってるわ。摘んで欲しいからこんなになっているのね」
 華艶の両乳首が指先で摘まれた。
「そんなに……だめ……うっ……あぁン!」
 捻ったり引っ張られたりして少し痛いのに、それが気持ちよくて堪らない。
 さらに同時に責められている股間から気持ちよさが昇ってくる。
 快楽に溺れそうになりながらも、華艶は不思議なことに気づいてしまった。
 女性の両手は華艶の乳首を弄り回している。なのに股間では今までと同じ快感が続いている。秘所を貪り何かが蠢き続けているのだ。
 華艶は自分の股間で蠢くそれを見てしまった。
 なんとそこには八本足で蠢く蛸がいたのだ。
 人間の指の関節を無視した巧みな蛸の足が華艶の秘所を貪る。
 ヌメヌメとヌチャヌチャと、肉芽を包み、肉唇を舐め、中へも侵入してくる。
「イ、イヤァァァァァァッ!!」
 ぶぉっ!
 華艶の躰から炎が上がった。
 瞬時に飛び退き難を逃れた女性。
「美しい色。街を地獄で彩るにはもってこいの色」
 呟きながら女性はこの部屋をあとにした。
 燃え広がる炎の中で、華艶は独り果てたのだった。

《4》

 夜11時11分、本日に2度目のテレビジャックが行われた。
《帝都政府および帝都警察の皆々様、お返事はまだかしらん?》
 画面に映し出された〝唇〟のアップ。
 以前、テレビ画面に現れたときと同じ姿で登場したフェイスレスマウス。
《オナラブーブーで死ぬ人数が減っているみたいね。進行を食い止めることでボクとの交渉に応じず、その間に治療法を見つけるつもりかしらん?》
 フェイスレスマウスの要求は犯罪全員の釈放。そんな要求呑めるわけがない。被害者たちはフェイスレスマウスの手の中にはなく、病院などで治療中であり、要求を断ることが死に直結しているわけではない。時間さえ経てば治療方法も見つかるかも知れない。
 その指摘は、フェイスレスマウスが今したばかり。つまりフェイスレスマウス自身も作戦の盲点に気づいていることになる。
 気づいていて手を打たないなどありえるだろうか?
《そうだ、話は変わるのだけれど、ボクも街の浄化に一役買おうと思って、刑務所に爆弾を仕掛けたのよ》
 要求が矛盾している。
 フェイスレスマウスの要求は犯罪者の釈放だ。その犯罪者たちを標的にするとは、いったい何を考えているのだろうか?
《受刑者を死なせたくなければ、彼らを釈放したらいいわ》
 さらにフェイスレスマウスは枷を掛けてきたわけだ。
 たとえ受刑者であっても、犯した犯罪は人それぞれである。それらすべての人間に爆死しろと政府は言えるのか。言えないのなら、釈放するか、もしくは別の手段を見い出すか。
《受刑者を別の場所に輸送しても構わないわよ。大人数の犯罪者を輸送するのに、護衛は何人必用なのでしょうね。護送中に受刑者が暴れたり、受刑者を助けようとどこぞの組織が動かないとも限らないわよね》
 わざわざ口に出すと言うことは罠か?
 しかし、刑務所から受刑者を別の場所に輸送するのは困難である。輸送方法や新たな収容場所、人数が人数である。どこの刑務所に爆弾が仕掛けられているのかすら判明していない。
 カメラと向かい合っていたフェイスレスマウスが横を向いた。
 次の瞬間、ジャックしていた中継が妨害電波によって打ち切られた。
「あら、お客さんね」
 その声音はとても嬉しそうだった。
 重装備をした帝都警察の特殊部隊――通称T-4[ティーフォー]が工事中のビルに突入した。
 地上と屋上からの2部隊が敵本隊のいるフロアに乗り込む寸前、別部隊がビルの窓をぶち破ってヘリからそのフロアにワイヤーで突入した。
 大量の白煙が視界を奪うと共に、それ吸った人間が意識を失う。
 かろうじて意識を失わず応戦しようとする男ども。
 けたたましく鳴るアサルトマシンガン。
 部下たちが瞬時に射殺されていく様を巨大な〝唇〟が笑って見ていた。
「ヒャハハ、おもしろくなって来たわ!」
 フェイスレスマスクが銃の標的になることはない。切り札であるワクチンや爆弾の問題が解決していない。T-4に下された命令はフェイスレスマウスの捕獲である。
 それを知ってか、フェイスレスマウスは優雅な足取りで、ゆっくりと隊員に近付いていく。
 フェイスレスマスクには催眠ガスが効かなかった。
 アサルトライフルがフェイスレスマウスに向けられる。
「止まれ、大人しく地面に膝を付き――ッ!?」
 隊員の制止よりも早くフェイスレスマウスは仕込み杖から刃を抜いた。
 防弾チョッキを貫いた細い刃。
 まるでその技はフェンシングの突きだ。
 刃が抜かれる前に、フェイスレスマウスに麻酔弾が撃ち込まれた。
 場の動きが一時停止する。
 フェイスレスマウスは動かない。倒れもしない。
 …………。
「ヒャッハハ!」
 突然動き出したフェイスレスマウス。
 バレエのアラベスクのように、片脚で立ちながら片脚を後ろに上げたかと思うと、上げた脚がバネのように伸び、隊員のフルフェイスにヒットした。
 蹴り終えた脚には本当にバネが仕掛けられていた。バネは自動的に巻き戻り、元の脚に収まった。
「ボクを捕らえる気なら、肉弾戦でかかっていらして」
 誘いには乗らない。
 任務はフェイスレスマウスの捕獲。生け捕りであれば問題ないと隊員は認識していた。銃弾がフェイスレスマウスの足に撃つ込まれた。
 たしかに銃弾は足を貫いた。
 しかし、フェイスレスマウスは呻き声一つ発せずに、微動だにせずそこに立っている。
 まさか銃弾が効かないのか?
 足は作り物なのか?
 だが、次の瞬間!
「ヒャ~ッアアアァァァ、痛いわ、アア痛い、痛い、足がもげてしまうわ!!」
 叫びながら床でのたうちはじめたフェイスレスマウス。
 すぐさま隊員たちに拘束される。
 後ろ手に通常の手錠と、呪術式の手錠を嵌められ、自由を失ったフェイスレスマウスの〝唇〟に隊員が手を掛けた。
 見るからに生々しい巨大な〝唇〟。本物にしか見えなかったが、持ち上げようとすると動いた。そして、簡単に脱げてしまったのだ。
 〝唇〟を脱がされ、素顔を晒したその女は言った。
「はじめまして、火斑華艶です」
 その顔も、その声すらも、たしかに華艶のものだった。

 フェイスレスマウス拘束は秘密裏にされ、マスメディアなどには報道規制が敷かれることとなった。都民の不安を一新するためには、早く発表したいという思惑もあるだろうが、捕まった犯人が本物の首謀者である確証が得られなかった。
 指紋やDNAなどの照合を信じるならば、それは紛れもなく火斑華艶だったのだ。
 容姿や声帯など、今の時代――そう魔導が蔓延る時代では簡単に偽装できる。そこで帝都では魔導的偽装に対抗するため、魔導による照合法をいくつか採用している。
 簡単なものでは霊波の波長の1つを照合する方法だが、これは魔導の熟練者とならば容易に偽装が可能だ。ただし、一般人相手であればDNA照合と五分だろう。
 守護霊照合は、守護霊は変化することもあるし、守護霊の登録は義務ではないため、一般人にはほとんど意味を成さない。それを言うなら、前世照合も同じことになる。
 そこでもっとも確実なのが、半不変的な魂(アニマ)の型を視ること。
 アニマ型は帝都で生まれた者であれば、記録されることになっている。火斑華艶のアニマ型も政府のデータバンクに記憶されていた。
 すぐにデータ照合が行われたのだが、その結果はやはり拘束された容疑者が華艶であることを裏付けた。
 現場にいたフェイスレスマスクは華艶だった。としても、本物のフェイスレスマウスである物証はまだない。逆にフェイスレスマウスではない物証もなかった。
 裏付けを急ぐ警察は華艶が焼き芋を食べた被害者であることなど調査済みだ。しかし、自作自演の可能生はある。
 テレビジャックは生放送だったのか、それとも録画だったのか?
 喫茶店で華艶がフェイスレスマウスと思われる女と会ったことなど、それがフェイスレスマウスであると華艶以外の誰が証言しようか?
 あの場所で華艶は〝謎の女〟に会っていた程度の証言しか、目撃者からは得られないだろう。
 さらに、強固な尋問室の中で拘束され椅子に座らされているフェイスレスマウスは言う。
「あたしがフェイスレスマウス」
 自ら認めているのだ。
 自白され取れれば、この華艶をフェイスレスマウスと認定することは簡単だ。たとえ違ったとしてもだ。しかし、被害の少ない事件であれば誤認逮捕でも、多くを闇に葬って終わりとなるかも知れないが、この華艶が偽物で新たな大きな事件が起こる可能生が残っている以上は、事を早急に進めることは警察の失態に繋がる。
 尋問の中で『ワクチンはどこだ?』『どこの刑務所のどの場所に爆弾が仕掛けられている?』などの質問がされたが、フェイスレスマウスはすべて黙秘した。それどころか、拘束されてから発している言葉はこれだけだ。
「あたしがフェイスレスマウス」
 さすがに催眠などで操られているのではないかと思えてくる。
 多大に怪しいカ所がある限り、やはり一般市民やメディアへの発表は控えるべきである。
 しかし、情報とはいとも簡単に漏洩するものである。
 火斑華艶が拘束された情報は報道各社の知れるところになり、すぐさま政府はさらなる規制を敷くことになり、報道各社へ事件の報道をしないようにと通達した。が、すべての口を塞ぐことは不可能だろう。一般人の耳に入るのも時間の問題だろう。
 デスクで頭を掻く雑誌社の編集長――伊頭満作[イドウマンサク]の耳にも、華艶の情報は入ってきていた。
「あの華艶ちゃんがなぁ。府に落ちねぇ」
 タバコを吸いながら独りぼやく。
 華艶とは数時間前に話したばかりだ。そのときちょうど、あのテレビジャックがあった。あれは華艶のアリバイ工作だったのか?
「そんなことあるかよ。華艶ちゃんが唇野郎に扮して、あんなテロ起こすわけないわな」
 華艶を知るものであれば、フェイスレスマスク=華艶などと信じるはずがない。
 ジャーナリストの端くれとして、伊頭は事件の真相を探ろうと動いた。
 もっとも大きな疑惑は、拘束されたらしい人物が本当の華艶なのか?
 伊頭はケータイからある人物へ通話をかけた。
 呼び出し音が鳴る。
 ――繋がった。
 伊頭は息を潜め、向こうが先にしゃべるのを待った。

 四方と天井を格子で囲われた牢屋の床で目覚めた華艶。
 ケータイの着信音が聞こえる。
「ううっ……」
 前方にケータイが浮いていた。正確には天井からヒモで釣られていた。
 全裸でうつぶせの状態の華艶はケータイに手を延ばす。
 そして、通話に出た。
「もしもしマンちゃん?」
 言葉に詰まりながらも伊頭は返事をする。
《……っか、華艶ちゃんなのか?》
「なにそれあたしに電話かけたんだよね?」
《そうだが、本物だよな?》
「本物なにそれ? てゆかさ、ここどこ?」
 通話機能が使えるなら、GPSも機能するはずだ。
《知らないのか?》
「知るわけないじゃん、ここがどこかなんて」
《そうじゃない。華艶ちゃんは帝都警察に拘束されたことになってるぞ?》
「はいぃ?」
《拘束されたフェイスレスマウスの正体が華艶ちゃんになってるぞ?》
「はぁ?」
《科学照合も魔導照合も華艶ちゃんと一致しているらしいぞ?》
「はぁ~~~っ!?」
 自分はここにいる。
 おそろしさを感じて華艶は自らの手や体を調べたが、いつも見る自分の躰の一部だ。顔も手で触って確かめるが、違和感がない。
「あたしだよなぁ」
 呟きながら華艶の脳裏に浮かんだのは、とある郊外の屋敷で見た自分のクローン。所詮クローンはオリジナルとは違う。多くの差異があり、特に魔導照合では誤魔化せない。それとも魔導照合すらも欺く完成度のクローンを完成させたとでもいうのか?
 電話の向こうが慌ただしい。
《ちょっと待ってくれ、新しい情報が入ってきた》
 伊頭が誰かと話しているのが漏れ伝わってくる。
 しばらくして、
《待たせたな華艶ちゃん。拘留中のフェイスレスマスクがまたとんでもねぇことを言いやがった》
「なになに?」
《刑務所に仕掛けた爆弾の在り処を教える代わりに、人質が1人死ぬ。爆弾の在り処が知りたくなきゃ、人質は助けてやるとさ。ただしその場合は爆弾を爆発させる。その人質ってのが、自分だと抜かしやがったんだ》
 フェイスレスマスクに人質としての価値があるのか?
「とにかくわかったありがと、あたしここから脱出しなきゃいけないから、またなんかあったら連絡して」
《おう、またな華艶ちゃん》
 通話を切り、華艶はすぐさまGPSで自分の位置を確認しようとした。だが、GPSに繋がらない。
「電話は繋がるのに……」
 華艶はケータイから伸びているヒモを見た。起きたとき、ケータイは天井から吊されていて、今もその状態を保っている。目を覚ましてすぐ目の付くところにあるのは、おそらくなんらかの意図があってのことだ。
 牢屋の天井は格子になっている。ヒモはその格子ではなく、天井に置かれた箱に繋がっていた。
「引っ張ったら……牢屋が開いたりして」
 グイッと華艶はケータイごとヒモを引っ張った。
 すると、本当に牢屋の扉が開いたのだ。
「マジ?」
 すぐに牢屋の外に出て、華艶は自分が裸だということを再確認して、ある事実に気づいた。
 なぜ裸なのか、それは炎によって服が燃えてしまったからだろう。だとすると、今手の中にケータイがあるのはなぜか。ケータイも燃えてなくては可笑しいのだ。
 わざとらしく吊り下げられていたケータイ。服が燃える前に盗まれていたのか、それともこのケータイはそっくりな偽物なのか。
 そんなことを考えていると、華艶のケータイがメールを着信した。ディスプレイに表示された送信者の名前を見て、思わず華艶は息を呑んだ。
「フェイスレスマウス」
 そう表示されていたのだ。
 そんな名前を登録した覚えなどない。やはりこのケータイには何らかの細工がしてある。
 メールの件名は『黒と赤』で、本文には『選択権はキミにある』と書かれていた。
 そして、さらに添付ファイルの動画があった。
 動画を再生すると、どこかの廊下が映し出された。冷たいコンクリの廊下、その脇には鉄格子の部屋が並んでいる。そこは牢屋の前だった。
「なにこれ、刑務所の防犯カメラ?」
 映像は手持ちカメラではなく、天井に近い位置から撮影されているように思えた。
 薄暗く静まり返っている収容所。
 次の瞬間、爆音と共に映像が乱れ真っ白になってしまった。
 何かが爆発した。
《ヒャーハハッ、ヒャッハハハハ!》
 大音量の笑い声がケータイから聞こえ、思わず華艶はケータイを自分から遠ざけた。
 そして、動画は終わった。
「なにこれ?」
 華艶は第2のテレビジャックを知らなかった。刑務所に爆弾が仕掛けられていると知っている者であれば、今の動画との関連性を真っ先に思い浮かべただろう。
 華艶は何も知らないまま、踊らされているのかもしれない。

《5》

 華艶の姿をしたフェイスレスマウスが座る机を刑事が強く叩いた。
「ほかにも爆弾はあるのか!」
「てゆかさ、あたしは受刑者を別の場所に輸送してもいいって言ったじゃん」
 薄ら笑いを浮かべながらフェイスレスマウスに、刑事の怒りはさらに強くなる。
「ふざけるな、爆発したのは受刑者だろうが!」
 つまり受刑者を別の場所に移動させようと、爆弾もいっしょに移動することになるのだ。
 捕まってもなお、主導権はフェイスレスマウスにあった。
「さっきも言ったけど、爆弾の在り処が知りたきゃあたしを殺せばオッケー。あたしを殺さなきゃ、またいつ爆弾が爆発するかあたしにもわかんなーい」
 ふふっと鼻を鳴らして笑った。
 尋問の一部始終は隣の部屋からマジックミラー越しに見られている。逆に隣の部屋の様子は一切こちらの部屋からはわからない。その騒がしさも漏れ伝わることはない。
 隣の薄暗い隣の部屋は、新たな情報によって騒然としていた。
「また……刑務所内で爆発が起こりました」
「早く身体検査をしろと命じただろ!」
「その最中に爆発が。検査対象者の数が多すぎるんです!」
 新たな爆発事件は取調室にいる刑事にも伝えられ、さらにその刑事からフェイスレスマウスにも伝えられた。
「ヒャッハハ!」
「このクソ野郎! 誰に爆弾仕掛けて、どんな条件で爆破するのか言え!!」
「爆弾の在り処はあたしを殺せばわかるし、爆発を止めたきゃあたしを殺せばいいし~」
「てめぇを殺したら爆弾の在り処もわからなくなるだろ!」
 怒り狂う刑事の肩を同僚の刑事が叩いた。
「頭を冷やせ、交代だ」
「クソッ!」
 交代を命じられた刑事は痰を吐いて部屋を後にした。

 華艶は細い廊下で頭を抱えて蹲っていた。
 壁に寄りかかりながら、顔を横に向けるとそこにはドアがあった。逆方向を見ると、そこには開かれたドアがあった。
 ケータイを握り締める手に力が入る。
 この数分前、ケータイにメールの着信があった。内容は前に送られて来たものとほぼ同じ、動画も添付されていた。違ったのは映像に映っていた場所と、先ほどは見えなかった爆発したモノが映っていたことだ。おそらくあれも刑務所の中、爆発したのは顔も知らない受刑者。
 メールが送られて来たタイミングは、華艶が後ろのドアを開けた直後。
 1度目のメールは牢屋を開けた直後だった。
 関連性を想像しないほうがおかしい。
「あたしがドアを開けるたびに人が……爆死する?」
 奪取ルートはほかにはない。この廊下を進むしかなかった。だが、この先いくつのドアが立ち塞がっているのだろうか。
 ドアには鍵が掛かっているわけではない。開けるか開けないかは、華艶に任される軟禁状態だった。
 華艶はフェイスレスマウスの言葉を知らない。
 ――爆発を止めたきゃあたしを殺せばいいし~。
 その〝あたし〟とはもしかして、ここにいる華艶のことを示しているのではないだろうか?
 だとしたら、殺せば爆弾の在り処がわかるという〝あたし〟とはいったい誰か?
 華艶は蹲ったまま動かない。
 ケータイで助けを呼ぼうにも、着信はできても発信ができないように細工されていた。友人が掛けてきてくれるのを待つしかない。もしも友人と会話ができても、この場所をどうやって伝えたらいいのか。
「あーおなかすいたー」
 このままじっとしていれば餓死だ。
 今はまだドアを開ける気にはなれないが、餓死が現実として身に迫ったら、人を殺してでも外に出ることを望むのだろうか。
「寝ようかな、でもその間に電話来て気づかなかったら……」
 華艶は閉まっているドアを見た。
 このドアを開けたら、本当に人が死ぬのだろうか?
 もしかしたら、ドアを開けたら人が死ぬという暗示かもしれない。本当はドアを開けてもなにも起こらないかもしれない。そういう罠なのかもしれない。
 でも、もしもドアを開けて……。
 なにもできない。なにもすることがない。
 華艶は蹲ったままどうすることもできなかった。
「……寒い」
 廊下は冷える。しかも素っ裸だ。
 寒さは体力を奪う。
 華艶は自らの股間に手を忍ばせた。
 少し躰が火照る。
 熱を発してもやはり体力を奪われる。
 この方法はより多くの体力を奪い、この状況では餓死の現実度を高めてしまうが、
「ほかにヤルことないし……はぁ……はう……」
 中指で皮に包まれた肉芽を擦る。
 もう片方の手は胸へ。
 華艶は指先を唾で濡らし、また肉芽へ這わせる。
 柔らかかった乳首も硬く尖ってきた。
「んん……ふうん……ふぅ……うん……」
 冷たい廊下に熱い吐息が響き渡る。
 溢れてきた蜜を指に付け、さらに掻き回すように肉芽を弄る。
「んっ……んっ……」
 肉芽をメインで責めつつ、乳首をサブで責める。
 メインの責めはどんどん激しくなる。
 掻き毟るように手は上下に動かされて、震える腰と腹と連動して脚がもどかしそうに動く。
 気持ちよくてじっとしていられない。動いていても気が紛れるわけでもない。気持ち良さから気を紛らわしたいわけでもない。どうしていいかわから躰が無闇に動いてしまう。
「あっ……あぅン……あン!」
 躰の芯が熱い。
 湯気が立つ。
「イク……イイイ……イク……イッ……ッ!」
 ケータイが鳴った!
 華艶は自分の肉欲の躰から手を離せなかった。
「イッ……ダメ……イイッ!!」
 躰全体が波打つようにウェーブした。
 波は腰から発生して、再び腰まで戻ってくる。
「はぁ……はぁ……」
 ケータイの着信は切れている。
 まだケータイに手を伸ばす気になれない。
「……はぁ……サイテー」
 タイミングが悪すぎる。
 ようやく気も落ち着いて華艶はケータイを手に取った。
 着信履歴を調べて嫌な顔をする。
「……ワン切り」
 見知らぬ番号からの着信だった。
 無言でケータイを床に投げつけようとしたとき、再び通話の着信が鳴った。
 慌ててすぐさま通話に出る。
「はい、もしもし華艶でーす!!」
 誰か確認する余裕もなかった。
《私だけど》
 私と言われても……その声の主を華艶は思い浮かべた。
「ああ、チアナ! よかったあのさ、ちょっと緊急事態でさ」
《あなたの緊急事態なんてどうでもいいわ。こっちの話を聞きなさい》
「こっちだってさマジで急ぎの用なんだけど!」
《あんたの友達が危ないのよ?》
「えっ?」
 それは碧流以外には考えられない。
 チアナはさらに続けた。
《正確にはまだあなたの友達には猶予があるわ。ただほかの患者は限界ね。すでに一人助けられずに爆死してしまったわ。もう手段も選んでられなくて、腹を掻っ捌くだの、脳移植をするだの、案が出ているわね》
「腹を掻っ捌くとか脳移植って……」
《1つの案よ。より現実的な方法として今準備を進めているのが、治療法が見つかるまで患者を冷凍させるという案。これは当初から案が出ていたのだけれど、人数が人数だけに準備や施設の用意に手間取って、ようやく見通しが経ったのよね》
 死は免れる。
 しかし、もしも治療法が見つからなければ、永遠の別れとなることもありえる。
 華艶にできることは……
「絶対にフェイスレスマスクを取っ捕まえる! それで絶対にワクチンを手に入れるから!」
 と、言ってから華艶ははたと気づいた。
 フェイスレスマスクはすでに警察に拘束されているはずなのだ。
「あのさ、裏の情報筋から聞いたんだけど、もうフェイスレスマスクは警察に捕まったらしいけど?」
《そんな情報こっちには入ってきてないわよ。ガセじゃないの?》
「ガセと言われればそれまでだけど、本当に拘束されててワクチンが手に入ってないって事は」
《ワクチンの在り処を吐いてないってことでしょうね。それともワクチンなんて存在しないのかしら》
 細菌兵器はワクチンがセットなのがセオリーだ。ワクチンのない細菌兵器は、使用者の命を危険に晒す可能生がある。そんなモノをつくるのは自殺志望者か狂人だ。
 フェイスレスマウスが狂人であるということは拭い去れない。
 もしかしたら本当にワクチンなど存在しないかもしれない。
 華艶は唇を噛んだ。
 すでに華艶の症状は治まっているようだった。オナラも出ず、腹が張っている感じもしない。華艶の特殊体質が未知のウィルスに打ち勝ったのかもしれない。
 自分が助かったのに、碧流は……。
「碧流のことはあたしが助ける。それには……チアナさっきに緊急事態ってこっちの話だけど、実はフェイスレスマスクの罠に掛かっちゃったみたいで、早い話がどこだかわかんない場所に閉じ込められちゃったんだよね」
《私ではなくてほかの人に頼んだ方が確実でしょう?》
「それがさ、ケータイの着信はできるんだけど、送信ができなくてさ、やっと掛かってきてくれたのがチアナ先生ってわけ!」
《わかったわ、警察に連絡しましょう》
「警察……実さ、警察に拘留されてるフェイスレスマウスがあたしらしんだよね」
《なに言ってるの?》
「照合の結果、あたしだってことになってるらしんだけど。魔導医さんの意見としてどう思う?」
《魔導照合は今のところもっとも確実な方法よ。それを欺くには……なるほど、その問題に関しては私が別のプロフェッショナルに依頼しておきましょう、もちろん料金はあなた持ちよ》
「料金って……いくらくらい掛かるの?」
《さあ、時価だから》
 現在、いろいろあって多くの借金を抱えている華艶としては、時価という言葉の響きが怖くて仕方がない。
「まあ、疑いが張らすためなら……でも時価って……」
《とにかくあなたはそこで助けが来るのを待ちなさい》
「ほかにやることないから、待つしかできないけど」
《ケータイはいったん切るわよ》
「ええっ! 困るし!」
《困るのはこっちよ、こっちだってあんただけに構ってはいられないのよ》
 ブチッと問答無用で一方的に切られた。
「……藪医者め」
 吐き捨てた華艶。
 そして、大きく息を吐いた。
 それは溜め息ではなく安堵の息だ。さっきまでに比べれば事態はだいぶ好転した。けれど、待っている間、なにもできないのがもどかしい。
「……オナニーでもしてようかな」
 とは思ったものの、最中に警官が助けに来て現場を見られたら恥ずかしい。
 仕方がなく華艶はその場でじっと座って助けを待つことにした。
 そして、やることもなく考え事をしていて、ある重大なことに気づいたのだ。
「ドア!」
 そうだ、助けに来たとき、目の前のドアが開けられてしまったら……。
「あああ! あたしとしたことが、もぉチアナが一方的に電話切るから!!」
 急に心拍数が上がった。
 一刻も早く助けに来て欲しい。けれど、助けが来たとき、また誰かが死ぬかもしれない。そう思うと居ても立っても居られない。
 ケータイを握り締めて新たな着信を待ち望む。
「……なんで誰からも掛かってこないのー!」
 焦ってもなにもはじまらない。今できることは待つことだけ。出口の見えない不安は考えるだけ無駄だ。
「やっぱりオナニーして気を紛らわせようかな」
 そんなにすぐ助けが来るはずがない。
 華艶は指を舐めた。
 そして欲望に負けて股間をまさぐる。
「んっ」
 まだ先ほどの蜜で濡れたままだ。
 華艶は時間も忘れて自慰に没頭した。
「あン……ひっ……ふっう……」
 充血した肉芽が気持ちいい。
 はじめから激しく肉芽を擦り、すぐにイキそうだった。
「あっ、イ……イク…もう……イイクぅ!」
 腰を上下させ躰を振るわせる。
 小休憩を挟んで今度は指を中に挿れる。はじめから2本。指先で肉厚な壁をマッサージするように擦る。
「んっ……ううっ……んんっ……」
 さっきイッた余韻ですぐにイキそうだった。
 肉壁の一カ所が膨らんでいる。まるでそこに何かが溜まっているように。そこを押してやると、尿意にも似た感覚が……。
「イッ……イク……イヒィィィ!」
 ガクガクと腰が震え、次の瞬間!
 ブシューーーーーーッ!
 勢いよく天井近くまで潮が噴かれた。
 自分の意思とは関係なく躰の震えが止まらない。小刻みな振動ではなく、ガクガクと壊れたように躰が震えてしまう。
 今は誰にも触られたくない。
 気持ち良すぎて、躰に触れるなにもかもが苦しい。
 長い余韻を残しながら、ようやく躰を落ち着いてくると華艶は再び、貪るようにヒクつく洞穴の中に指を挿れた。
 それから時間が流れ、その間に何度となく絶頂を迎えた。
 頭の中は真っ白になり、何もかも忘れかけていたとき、ドアが音を立てて開いたのだ。
 慌てて華艶は股を閉じて体育座りになった。
 銃を構えたおそらく刑事と目が遭った。
 にこやかに華艶は、
「あ、お待ちしてました」
 笑顔が引き攣っている。
 刑事は警察手帳を提示した。
「火斑華艶さんですね?」
「はい、本物の正真正銘の火斑華艶です」
 末端の刑事まで情報を共有していない可能性もあるが、知っていれば目の前の華艶には不信を抱いているはずだ。向こうの華艶は照合により本物とされている以上は、こちらは偽物となるわけなのだから。
 ここで華艶はあることに気づいた。ケータイの着信がないのだ。
「あのぉ、ここに来るまでいくつのドアを開けました?」
「さあ……5つくらいですが、それがなにか?」
「実はドアの開閉と爆破が連動してたらしくって、爆発してないってことはもう大丈夫ってことだと思うんですけどぉ……」
 フェイスレスマウスにしてやられた。なにも仕掛けのないドアの前で、苦しみ悩んでその場を動けなかったのだ。
 無線での連絡が通達され、ほかの刑事も続々と華艶の元へやって来た。
 はじめに華艶を発見した刑事が着ていたジャケットを華艶に渡す。
「とりあえずこれを。あなたの身柄は、あなたの素性が明らかになるまで拘束させてもらいます」
 そう言って華艶は後ろ手に手錠を嵌められた。
「えっ、拘束って……」
「上の命令ですから」
 こうして華艶は刑事たちに連行されることになったのだった。

《6》

 フェイスレスマウスへの尋問は一向に進まない。
 そこで警察は新たな手段を取ることにした。
 取調室に新たな人物が連れて来られる。
 それを見たフェイスレスマウスがニヤリと笑う。
「こんちわ、偽物さん」
「はぁ!? あんたのほうが偽物でしょう!!」
 部屋に連れて来られたのは華艶だった。
 これまで華艶は別室で取り調べを受け、さらに本人照合のための検査も行われた。その結果、華艶は偽物と断定されたのだった。
 刑事が言う。
「二人の関係を教えてもらおうか?」
 すぐに華艶が噛み付いた。
「どうやったかは知らないけど、こいつがあたしに成りすましてるの!!」
 フェイスレスマウスに飛び掛かりそうな勢いの華艶がすぐに取り押さえられる。
 さらに華艶は喚き散らす。
「証拠がある! こう見えてもあたし炎術士で、今ここで炎を出して見せる!」
「こんな場所でそんなことしてみろ、現行犯で逮捕するぞ!」
 刑事の一人に怒鳴られ、華艶は少し冷静さを取り戻した。
「だったらあたし一人を独房に監禁して、そこで炎を出して見せる!」
 自らを証明しようとする華艶を、フェイスレスマウスは冷笑を浮かべて見守っていた。
「炎術士だったら炎なんて出せて当たり前でしょう?」
 と、言ってフェイスレスマウスは手から出した炎の塊を刑事にぶつけたのだ。
「ギャアァァァッ!」
 刑事は慌てて服を脱ぎ捨てようとするが、焦ってうまく脱ぐことができない。やがて強烈な痛みで冷静さを失い、床を転げ回って手が付けられなくなってしまった。
「早く消化器もってこい!」
 ほかの刑事が叫び、持っていたジャケットを脱いで炎を叩き消そうとする。
 肉の焼けた異臭が漂う。
「キャハハ、キャッハハハハ!」
 下卑た笑い声が響き渡る。
 大勢の刑事が部屋に雪崩れ込んでくる。
 危険を顧みずフェイスレスマウスに飛び掛かる女刑事。
 燃える同僚に消化器を吹きかける刑事。
 フェイスレスマウスは抵抗1つ見せなかった。
「ヒャッハハ!」
 白い煙の中に笑い声が響き渡る。
 消化器の煙は予想以上に視界を奪い、その中でフェイスレスマウスは捕らえられ、火が消され重傷を負った刑事が運び出されていった。
 フェイスレスマウスはうつぶせの状態で床に押さえつけられている。
「別に抵抗なんてしないし、炎が使えるってことを証明したかっただけだしー。そっちの偽物は証明できないの? ああ、やっぱり偽物なんだぁ」
 華艶はフェイスレスマウスを睨み付けた。
「絶対ヌッコロス」
「殺れるもんならやってみたら?」
 挑発するフェイスレスマウス、そして華艶に刑事の銃口が向けられた。
「身体を少しでも動かした時点で撃つ。これから動かしていいのは口のみだ」
 華艶もフェイスレスマウスと同じように、床にうつぶせで押さえつけられてしまった。
 フェイスレスマウスは笑みを浮かべている。
 一方の華艶はずっとフェイスレスマウスを睨み付けている。
「もしも奴があたしと同じ能力を持ってたとしたら、全身からも炎を出せるから」
 これはフェイスレスマウスを拘束している刑事への忠告だ。言われた刑事は無言のまま揺るがない表情をしている。覚悟の上と言うことか。
 部屋に取り付けられているスピーカーから声がする。
《防火服を着た刑事がすぐに来る、それまで容疑者たちの拘束を頼む》
「ヒャッハハ、これだから警察はお馬鹿さんなんだよねー。あたしが炎術士って調べがついた時点でそういうの用意しとくべきだと思うけどー」
《マッタクダ、警察ガ無能ナノハ私モ同感ダナ》
 その声は今さっき聞こえた声とは違う声、それもあからさまな合成音だった。
《私ノ依頼人ハドチラカナ。君ガ本物ノ火斑華艶トイウ情報ハ、スデニ警察ニ送リツケテ置イタ。ココニモスグニ情報ガ伝達サレル事ニナルダロウ》
 これがチアナの言っていたプロフェッショナルなのか?
 部屋の中に刑事が飛び込んできた。
「ここのシステムが何者かにハッキングされ制御を奪われました!」
《ソウ慌テルナ、私ハ警察ニ損害ヲ与エルヨウナ真似ハシナイ。依頼人ガ本物デアル事ヲ証明シタ事ガ私ノ仕事ダ》
 華艶が口を挟む。
「マジであたしが本物だって証明されたの?」
《ウム、君ノでーたハ改竄ノ痕跡ガアッタ。ツマリ、照合スルでーたソノ物ガ偽リダッタノダ》
 突然、フェイスレスマウスが笑いはじめた。
「ヒャハハッ、完璧な改竄だと思ったんだけどなー。もしかしてあなた、〈サイバーフェアリー〉でしょ?」
 それは伝説のハッカーの名前。一時、警察に捕まったとの噂もあるが、その行方はどうなったか定かではない。今もとある商業ビルにオフィスを構える情報屋が、〈サイバーフェアリー〉だという噂が根強い。
《伝説ノはっかー以外ニハ見破ラレナイト思ッテイルトハ、大シタ自信家ダナ。帝都中ノてれびヲじゃっくシタ実力ハ、ソレナリダト認メラレナクモナイガナ》
 二人の会話に華艶が割って入る。
「そんな話どうでもいいからさ、あっちがフェイスレスマウスだって証明されたんだから、あたしをさっさと解放してあいつを即処刑にしちゃってよ!」
《偽物ダト暴イテモ、ソレガ即ふぇいすれすまうすダト言ウ証明ニハナラナイゾ。火斑華艶以外ノ誰カデアルト言ウ事シカ現時点デハ判明シテイナイ》
 次に口を挟んだのはフェイスレスマウス。
「いいえ、フェイスレスマウスならここにいるわよん」
 上に乗っていた女刑事を押し飛ばし、フェイスレスマウスが立ち上がった。
 銃口を向けた刑事が叫ぶ。
「動くな、撃つぞ!」
「どうぞご自由に」
 フェイスレスマウスはそう言いながら銃口を向ける刑事に近付く。
 これ以上は危険と判断した刑事が銃を放つ。
 弾丸はフェイスレスマウスの脚に当たったが、血も出ず痛みを顔に浮かべることもなく、フェイスレスマウスは銃口を向ける刑事にゆっくりと近づき続けた。
「狙うなら、ここよ、こーこ」
 自らの心臓を指差した。
 華艶を拘束していた刑事が叫ぶ。
「撃て、やられるぞ!」
 その叫びが現実になるのか、フェイスレスマウスが急に移動速度を上げた。
 銃声が鳴り響いた次の瞬間だった。
 爆音と共に肉片が飛び散った。
 銃弾を胸に受けたフェイスレスマウスが爆発したのだ。
 血や肉を浴びながら唖然とする一同。
 確実に死んだ。
 肉片になって生きていられるのは、伝説に出てくる吸血鬼くらいなものだ。
 フェイスレスマウスに飛ばされ、壁と床に叩きつけられていた女刑事が身体を起こした。
「くそっ……死人に口なしか!」
 爆弾の在り処も、ワクチンの在り処も、なにもかも聞き出せていない。
 だが、床と目線が近かった華艶がそれにいち早く気づいた。
「あのぉ、床に箱が落ちてるんですけど?」
 一瞬にしてこの場に緊迫が奔った。
 床には箱が転がっていた。血みどろになった箱があるのは、フェイスレスマウスが爆発したその場所だ。
 刑事のひとりが呟く。
「まさか爆弾じゃないよな?」
 今爆発を見たばかりだ、その可能性はどうしても脳裏を過ぎる。
 誰も箱に近づけない。
「爆弾処理班を寄越せ!」
 刑事の一人が隣の部屋に聞こえるように言った。
 しかし、爆弾処理班が到着する前に、独りでに箱のふたが開いたのだ。
 思わずここにいた全員が身を強ばらせた。だが、爆発する兆しは今のところない。
 手の空いていた刑事が恐る恐る箱に近付く。
「何か入ってる……紙か?」
 刑事はそれを手に取った。
「紙じゃない、皮だ……まさか人間の皮ってことは……文字が書いてあるぞ、手紙みたいだ」
 そして、刑事は手紙を読み上げた。
「爆弾の在り処は殺せばわかると教えてあげたでしょう? 今のが最後の爆弾の在り処よ。ボクのヒマ潰しに付き合ってくれてありがとう。楽しかったわ。でもこれで終わりじゃないわよ。ワクチンは囚人達を解放するまであげないわ。期限は求めないわ、そちらが要求に応じなければ、ワクチンは一生手に入らないだけよ。では、また遊びましょう、帝都のおバカちゃんたち」
 読み終えた刑事は手紙を破りそうになるのを堪え、ほかの刑事たちも一様に怒りを覚えているようだった。
 そして華艶は……。
「そんな……ワクチンが……」
 ショックが隠せなかった。
 このままでは親友が助からない。
「絶対に……絶対にあきらめない」
 手紙の内容から察するにフェイスレスマウスはまだ生きている。爆死したのはおそらく偽物だったのだ。
 華艶の拘束は少し緩くなり、刑事は手を貸して華艶を起き上がらせた。
「君の疑いは晴れたわけではない。フェイスレスマウスの仲間だという可能性は捨てきれないからな。だがその前にシャワーを浴びてこい。それから事情聴取をする」
 すぐにこの刑事は女刑事に顔を向け、
「シャワー室まで彼女を頼む」
「わかりました」
 華艶の身柄はこの刑事から女刑事に託され、二人はシャワー室へ向かうことになった。
 シャワー室に着き、見張りのために女刑事は中まで着いてきた。このために女刑事が任されたのだろう。だが、驚いたことに女刑事も服を脱ぎ華艶に近付いてきたのだ。
「いっしょに浴びましょう。私も汚れちゃったし」
 このとき華艶は疑いは晴れてないとはいえ、『そんなに警戒されていないんだなぁ』程度に考えていたのだが。
 女刑事は華艶の背中から抱きつき、豊満な胸を背中に押しつけてきたのだ。
「レズ!?」
 驚いた華艶。そのときには、女刑事の手は秘所の割れ目を伸びていた。
「ちょ、あたしそんな趣味ないんですけど」
「でも気持ちいいのは好きでしょう?」
「好き……てゆか、女の人とするのはちょっとぉ。これでもいちようノーマルなんで」
「女の人とはじめてではないでしょう?」
「あンっ!」
 包皮が剥かれ直接肉芽が撫でられた。
 ちょっと触れられただけで、蜜壺は溢れんばかりだった。
 感じている躰はシャワーのお湯で打たれただけ気持ちいい。
「そんなにされたら……やめて……」
 躰が熱い。
 芯から燃えてしまう。
 ここで炎を出してしまったら、女刑事を巻き込んでしまう。
「お願いだから……あうっ……やめて……ああっ!」
 指先で何度も肉芽が弾かれる。まるでそれは竪琴を奏でるように、巧みな指使いで連続して肉芽が刺激された。
 女刑事の舌が華艶の首筋を這った。
 腰が砕けそうだった。感じすぎて立っていられない。女刑事に腹を抱えてもらっていなければ、今にも崩れてしまいそうだ。
 舌は耳の中まで侵入してきた。
 気持ち悪い音が耳の奥まで鳴り響く。とてもいやらしくて淫猥な音だ。脳みその奥まで音で犯されてしまう。
「あぁン……だめなの……そんなに……あう……されたら……熱くて……躰が……」
「燃えるように躰が火照ってしまうの?」
 耳元で囁かれ、そのこそばゆさで感じてしまう。
 女刑事の指が秘裂を押し広げ、花弁の中まで入ろうとしていた。
「だめ!」
「なにが駄目なの?」
 尋ねながら指は侵入した。
 花芯が燃えてしまう。
 クチュクチュと音が聞こえてしまう。
「ひぃ……気持ちよくて……あひっ……あうあう……すごひ……指が……」
 華艶の口から垂れた涎れがシャワーで流れていく。
「だめ……本当にだめ……気持ちよくて……でも……」
 我慢してどうにか女刑事にやめさせなくては、なにもかも焼き尽くしてしまう。
 それなのに女刑事の指使いから逃れられない。
 自分で触る何倍も何十倍も気持ちいい。
「そんなされたら……炎が……炎がでちゃう……だから……」
「いいのよ、全身を燃やして。あのときのように、あのとき私にされてイッたときのように、躰の芯から炎を燃え上がらせていいのよ」
「あン……ヒィィィ……アヒィ……」
 気持ちよすぎる。でも今の言葉……そして、この気持ち良さ、この指使いはあのときと同じ。
 華艶に戦慄が奔る。
「フェイスレスマウス!」
 気持ちよさの呪縛から抜け出し、華艶は相手の手を振り切り、背後にいるはずの奴に振り向いた。
「!?」
 いない。
 たった今まで自分の躰は触れられていた。振り向くのに1秒すら立っていないはずだ。それなのに女刑事の姿はどこにもなかった。
 シャワーを止めることもせず華艶はすぐさま行方を追った。
 裸のまま飛び出すわけにもいかず、濡れたまま服を急いで着替えようとしたとき、用意されていた着替えの中に手紙と箱が紛れていた。
 消えた女刑事を捜さなくてはいけなかったが、それよりもこの手紙を読むことになぜか気を惹かれた。
 ――ゲームの参加賞をあなたにあげるわ。ブーブー病を治すワクチンよ。ギリギリ一人分しかないから大事に使うといいわ。解析に回しても良いけれど、原材料はボクしか持っていないわよ。ギリギリ1人分しかないことをお忘れなく。親愛なるフェイスレスマウス。
 箱を開けると中にはワクチンが入っていた。これが本物のワクチンかどうかわからない。本当に解析して量を増やすことはできないのだろうか。
 華艶は唾を呑んだ。
 ――選択権はキミにある。
 前に送られて来たメールの文章が頭を過ぎった。

 数日後の朝。
 学園の正門を抜けようとする華艶の背中に誰かが声をかけた。
「おっはよー華艶!」
「あっ!」
 振り返った華艶は驚いた表情をして、すぐに満面の笑みを浮かべた。
 駆け寄ってきたのは元気な姿の碧流。
 嬉しさが込み上げ華艶は思わず人目もはばからず碧流をめいいっぱい抱きしめた。
「退院したの? いつ? もう大丈夫なの?」
「今朝早く退院して、もうぜんぜん大丈夫、元気元気!」
「よかった……」
 視線を落として華艶は心から安堵した。
 そして、自然と二人は身体を離し、碧流は真剣な瞳で華艶を見つめた。
「ホントよかったよぉ。一時はどうなるかと思ったけど、なんか知らないけど治っちゃった。でも、あたし以外の人はみんな冷凍されちゃって……どうしてあたしだけ良くなったのかな?」
「きっと、ほら、ちょっとしか食べてなかったからじゃない?」
「そうだよね、それしか考えられないもんね!」
「うん、そうそう」
 華艶は笑って見せた。
 しかし、なぜか心は晴れない。
 チャイムの音がここまで聞こえてきた。
 華艶を置いて走り出す碧流。
「華艶ったら! ほらっ、ぼさっとしてないで早く早く!」
 その声は華艶の耳には入っていなかった。
「責任はあたしが取る……いつか必ず」
 華艶は下を向いたまま呟いた。

 ブービートラップ(完)


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