第8話_アイツの姉貴はセクシー美女

《1》

 魔導産業によって栄えたアステア王国。
 小国でありながら、その経済力は世界トップ水準であり、王都とならばその発展はめまぐるしい。
 今まで発展の乏しかった大運河を挟んだ東側にも、発展の波が押し寄せ建設ラッシュが進んでいる。
 魔導産業で栄えたこともあり、王都には魔導に関するショップが数多く点在している。
 クラウス魔導学院の近くにもいくつか魔導ショップがあって、ルーファス御用達のお店といえば、マジックポーションショップ鴉帽子!
 三角帽子を被ったカラスがマスコットのこのお店は、クスリの調合に関してはエキスパート。しかも金さえ払えばどんなクスリでもつくっちゃいます。もちろん裏ルートからの仕入れも豊富だったりする。
 お店のドアを開けると、
「いらっしゃいませ~♪」
 三角帽子を被った童顔の女主人マリアが出迎えてくれる。自称23歳とのことだが、実年齢に関しては諸説ある。ちなみに童顔のクセにカーシャに勝るとも劣らないスイカップだったりする。
「マリアさんこんにちは」
 ペコリとルーファスはカウンターのマリアに向かって頭を下げた。
 店内は薄暗く、パッと見渡せるくらいの大きさしかない。壁一面の棚には薬が並び、店の奥からは謎の臭いが漂ってくる。
 そして、どこからか聞こえてくる悲鳴。
 ルーファスは怯えた表情で店の奥に首を伸ばす。
「あのぉ、また悲鳴が聞こえるんですけど?(怖いなぁ、地獄の釜で人が茹でられてるみたいな悲鳴だよねぇ)」
「ごめんなさぁい、すきま風がひどいんですぅ~(ったく、ガタガタうるさいのよね、いつも)」
 ぶりっこ口調と裏腹の心の声。この魔性の女に痛い目を見た魔導学院の男子生徒は数知れず。
 もちろんこの店のルーファスが被害に遭っていないはずがない。
 マリアは注文を聞く前にカウンターの上に薬のビンを置いた。
「ルーたんのために今日も特別な胃薬と下痢止めを調合しておいたから、今度は効いてくれるとうれしいなぁ」
「いつもいつもありがとうございます」
「いいえ、こちらこそごひいきにしてもらってうれしいですぅ(今回のクスリはどんな効果が出るか楽しみ楽しみ♪)」
 見事なまでに実験台!
 しかも、どうやらそれに気づいていないルーファス。
「前回のクスリは体に合わなかったみたいで、日焼け後にみたいに全身の皮がむけちゃって大変でした。すぐ治りましたけど(せっかく僕専用に調合してもらってるのに、ぜんぜん胃が良くならなくて悪いことしちゃってるなぁ)」
 実験台にされていることに気づいていないだけではなく、自分を責めるというおバカっぷり。
 本当に良いカモだ。
 魔性の女マリアは瞳をキラキラ輝かせて、ルーファスの手をギュッと両手で握り締めた。
「ごめんなちゃ~い、今度こそは大丈夫だからわたしを信じてっ!」
 女の子の手の柔らかさと、その心地良い温もり。さらに輝く瞳で見つめられたら、ルーファスなんてすぐに顔が真っ赤になってしまう。
 そして、大きくうなずいてしまうのだ。
「あ、はい、信じます!」
 ルーファスKO!
 見事なダメっぷりを今日も見せつけてくれる。さすがへっぽこ魔導士ルーファスだ。
 落ちた人間を操るのは容易い。
「そうだルーたん!(そうだ、アレ頼んじゃお)」
「なんですか?」
「ちょっとホワイトドラゴンまでおクスリを運んでもらいたいんだけどぉ」
「あ、ホワイトドラゴンって港にある酒場ですよね?(なんだか怖そうだなぁ)」
「ねぇ、お願い♪」
 マリアの瞳からキラキラビーム発射!
 直撃を受けたルーファスは首をカクンとうなずいた。
「あ、はい!」
「ありがとぉルーたん(ほんとルーファスってばかなんだから)」
 それがルーファスクオリティですから。

 産業が盛んなアステアは貿易も盛んであり、王都の横を流れるシーマス運河は今日も多くの貨物船が行き交っている。
 内陸にある王都アステアの港は運河にある。
 港近くには男たちをねぎらう酒場がいつくもある。その中でもっとも賑わっている酒場と言えば、アステアの強さの代名詞になぞられた『ホワイトドラゴン』だ。
 店内に入る前から酒の臭いが漂ってくる。酒に弱いものなら、その臭いで酔ってしまいそうだ。
 小包を抱えたルーファスはすでに吐きそうだった。
 アステア王国では15歳から飲酒が認められており、16歳のルーファスはその年齢に達しているのだが、彼は一滴も酒を飲むことができない。
 ホワイトドラゴンは船乗りだけでなく、船に乗ってきた渡航者の客も多く、魔導衣もちらほらといるにはいるが、やっぱりルーファスはなんだか浮く。
 ルーファスはヨロヨロとしながら、カウンターに向かって歩き出した。
 テーブル席になにやら人だかりができていて、男たちの歓声があがっているが、ルーファスは無視無視。自分が場違いなことくらい、ルーファスにだってわかっている。なるべーく、人とも目を合わせないようにさっさと移動する。
 カウンター先に付いたルーファスは身を乗り出して、マスターに声をかけた。
「鴉帽子からのお届け物を預かってきました(うっぷ、吐きそう)」
 すると、ガタイの良いスキンヘッドのオッサンがルーファスの前に現れた。
「おう、ご苦労さん。ありがとよ」
 オッサンが小包を受け取るため手を伸ばす。その腕にはドラゴンの刺青が彫ってあり、ルーファスはちょっぴりドッキリする。
 この店にいる人たちは、ルーファスの人生ではあまり関わらない人たちだ。もう心臓バクバクである。
「あ、えっと、お荷物ちゃんと渡しましたから。じゃあさよなら!」
 急いで立ち去ろうとするとオッサンに呼び止められてしまった。
「兄ちゃん、せっかく来たんだから飲んでけよ」
「いえ、私は……まだ用事があるのでまた今度(またとか絶対ないけど)」
 そこは社交辞令である。
 今度こそルーファスはこの場を逃げ出そうと出口向かって歩き出した。
 そのときだった!
 眼を剥くルーファス。
 ドスン!
 目の前に人が降ってきた。
 嫌な予感がする。という、人が降ってきた時点で嫌なことが起きているハズだ。
 ルーファスは人が飛んできた方向を急いで振り向いた。
 すると、人だかりの中から次々と人がぶっ飛んでくる。まるで噴火だ。
 しかも運が悪いことに、全部ルーファスのほうに落ちてくる。
「ちょっと、えっ、なに!?」
 ビックリしながらルーファスは必死で避ける避ける。案外ルーファスは避けるが得意だったする。
 落ちてきた男たちの顔をよく見ると、殴られた青あざある。
 状況的に考えて、乱闘がはじまってしまったらしい。
 飲み屋の乱闘なんてタチが悪すぎる。
 巻き込まれる前にルーファスは立ち去ろうとしたのだが、騒ぎの中心から聞こえる声で足を止めてしまった。
「オラオラ! もうおしまいかい、男のクセに度胸のない奴らだねぇッ!」
 女の声だ。
 足を止めていたルーファスの不意を突いて男が飛んできた。
 ゲフッ!
 落下の直撃を受けたルーファスが押しつぶされて床にへばった。
 カエルのようにつぶされているルーファスの顔の横で、座って飲んでいるガタイの良い老人が、被害に遭ったルーファスをチラリと見て騒ぎの中心に目を戻して口を開く。
「新米の船乗りじゃあ仕方ねぇが、あの娘に手を出すなんて命がいくらあっても足りねぇな」
 つぶやいた老人にルーファスは潰されながら顔を向けた。
「あの娘ってだれですか?」
「1年ぶりに帰ってきたんだよ、酒場荒らしの――」
 その名を口に出す前に、ルーファスはその女の顔を見てしまった。
 ぶっ飛ばされた男たちが道を空けたその先で、テーブルの上に立ってボトルごと酒を飲み干し手の甲で口元を拭った赤髪の若い女。
 向こうもルーファスに気づいたらしく、片手を上げてニヤリとした。
「よぉ、ルーファス」
 息を呑むルーファス。
「…………リファリス姉さーーーーーん!!」
 叫び声が酒場中に木霊した。
 リファリスはズリ落ちたノースリーブの肩紐をクイっと直し、ついでにホットパンツもキュッキュッと直してから、ひょいっとサンダル履きでテーブルから飛び降りた。
 そして、ルーファスの上に乗って気絶していた男を軽々と放り投げると、ルーファスに手を貸して立ち上がらせた。
「相変わらずだねぇアンタ」
「リファリス姉さんこそ相変わらずで(……酒臭い)」
 久しぶりの姉との再会。ルーファスはあからさまに嫌そうな顔をしている。というか、怖がっている。
 立ち上がったルーファスといっしょに並ぶと、猫背のルーファスよりもリファリスのほうが背が高く見える。ホットパンツから伸びる足も長く、酒飲みのクセにお腹も出ていない。その体のどこに男をボコボコにして投げ飛ばす力があるのが不思議だ。
 リファリスの片手にはまだ酒のボトルが握られている。アステア名産で、この店の由来にもなっているホワイトドラゴンだ。かなり強い酒で、ショットグラスで飲んで倒れる大の男がいるというのに、それをボトルから直接飲むなんて気が狂[フ]れている。
 倒れていた男が立ち上がろうとしていた。それをリファリスの肩越しに見たルーファス。
「姉さん後ろ!」
「あん?」
 後ろから空のボトルを持って襲い掛かってきた男に、リファリスは振り向きざまの回し蹴りを喰らわした。もちろん顔面。
 ボキッ!
 嫌な音だ。きっと口周りとか鼻あたりの骨が逝ってしまったに違いない。かわいそうに。
 リファリスは酒を口にして息を吐いた。
「ったくよー、飲み比べで負けたのがそんなに悔しかったのかね」
 さきほどリファリスのいたテーブルに、ショットグラスが転がっていた。
 店の外に向かって歩き出したリーファリスは、途中でマスターに顔を向けた。
「酒代はそこでおねんねしてるやつらに払わせてちょーだい、そんじゃ」
 肩越しにヒラヒラ手を振って店の外に出てしまったリファリスをルーファスが急いで追いかけた。
「リファリス姉さん!」
 すぐに追い着くことができた。
「ああ、ルーファス」
「ああ、じゃないよ。なんで置いていくのさ」
「別にあんたと飲みに来たわけじゃないだろ」
「それはそうだけど、久しぶりに会ったんだから、なんかいろいろあるでしょ」
「ははーん、美人のねーちゃんが恋しかったのかい? かわいい弟だねぇったく」
「違うよ!(自分で美人って。でも酒飲みすぎるからモテなんだよね)」
 酒場で大暴れするような女じゃ、モテないのもうなずける。
 大運河を挟んだ向こう岸にリファリスは顔を向けた。
「知らないうちにこの街も変わったねぇ。間違って向う側の街に行っちゃってさぁ、酒場が少なくて少なくて、新しい港なんだからもっと酒場を増やしたらいいと思うんだよね」
「(姉さんの体の70パーセントは絶対に酒だ)ところでリファリス姉さん?」
「ん?」
「なんで帰ってきたの?」
「自分の故郷に帰ってきて悪いのかい? そこに理由なんて必要あるのかい?」
「(目が怖い)なくてもいいけど」
「あるに決まってんだろ、もうすぐ祭りがあるじゃないか、アステア一のでっかい祭りがあるだろ?」
「建国記念日のことね」
 明後日に控えたアステア建国記念日。王都では盛大な祭りが開催され、国内のみならず、海外からの多くの観光客で賑わう。
「わっちと言えば祭り、祭りと言えばわっちさ。世界各国お祭り巡りしたけっどさ、故郷の祭りが1番だね、うんうん」
 世界各国酒巡りの間違いじゃないだろうか。
 急にリファリスは真面目な顔つきになって、ルーファスの瞳をしっかりと見据えた。
「でさ、ねーちゃん世界中を旅して思ったんだ」
「なにを?」
「海賊王になろうと思って」
「はぁッ!?」
 あまりの衝撃にルーファスは鼻水が出そうになった。
 そんなルーファスを置いてけぼりで、リファリスは遥か空を眺めて夢を語り出す。
「冒険王でもいいんだけどさ、わっち海好きだろう? だからさ、海賊王になって青くて広い大海原に揺られながら、毎日甲板の上で酒飲んだら楽しいだろうなぁって」
「はぁ」
 驚きは溜息に変わった。
 姉の横顔を心配そうにルーファスが見つめた。
「(たぶん本気だろうし、現実になりそうだから怖いなぁ。気が変わりやすいから、ならない可能性も高いけど)」
 ついでに話もコロコロ変わる。
「ところでルーファス、お母さんとローザまだ修道院にいるのかい?」
「うん、まだカッサンドラ修道院にいるよ」
「そんじゃ行ってみようかな」
「行ってみようかなじゃなくて、普通帰ってきたら挨拶くらいしないよ。もちろん父さんにも」
 歩いていたリファリスの足がピタッと止まった。
「わっちに親父なんて居たっけ?」
「父さんだってきっと……」
「会いたいわけないだろ、あんただって会いたいかい?」
「うっ……」
 言葉に詰まったルーファス。
「あんただって親父のことの苦手なんだろ。わっちの場合は苦手なんじゃなくて、嫌われて嫌ってんだけどさ」
「私だって嫌われてるよ」
「あんたは嫌われてんじゃなくて、愛想尽かされてんだろ」
「僕だってがんばってるよ!」
「知ってるよそんなこと。でもあの人が欲しいのは結果なんだよ、それもとびきり良い結果がね。長女は不良娘に育って、長男じゃこれじゃねぇ、怒りたくなるのもわかるけど」
 言われてルーファスは肩を落とした。
 父からのプレッシャーを感じながらも、へっぽこ魔導士とみんなから言われることが、どんなにルーファスを苦しめていることか。
「僕だってがんばってるんだ」
「だから知ってるって言ってんのに。クラウス魔導学院に入学できただけでもすごいのに、親父が馬鹿なんだよ」
「自分の親のこと悪く言わないでよ」
「親父の肩持つってーの?」
「だって父さんはすごい人だよ。今度は防衛大臣になったんだよ」
「はいはい、そりゃすごい。家庭もろくに守れない男が防衛のトップって、アステアがいつ滅んでも可笑しくないね」
「だから!」
 怒りを露わにするルーファス。けれど、すぐに肩を落として沈んでしまった。
 弟として姉の姿を見てきた。
 父親と姉が対立する姿も幼いころから見てきた。
 だからルーファスは姉にこれ以上強く迫ることはできず、ただ口を閉ざすことしかできなかった。
 気づけばリファリスはルーファスの先を歩いていた。
 リファリスは振り返り、
「ほらルーファス、置いてくよ!」
「待ってよ!」
「やだ」
 ルーファスは重い表情を振り切って姉の背中を追いかけたのだった。

《2》

 ガイア聖教と言えば今や世界中にその根を下ろし、その総本山はサーベ大陸のおよそ中心にある聖都アークである。
 アステア王国はもととも聖都アークの開拓地であり、ガイア聖教がもっとも布教している宗教である。
 しかし、時代の流れか、それともアステアが先鋭的な国だからか、戒律の軟化が著しく進んでいる会派も多くある。
 聖カッサンドラ修道院はもともと女性のための修道院であったが、最近では男性も受け入れており、男女が共同で生活をしているという稀な修道院となっている。
 共同生活と言ってももちろん男女の部屋は分かれているし、さらに男性の数もまだまだ少ない。そして、この修道院には希有な存在も住んでいる。
 修道院の廊下をルーファスとリファリスが歩いていると、前から空色の影がふあふあと近付いてきた。
 気づいたリファリスが軽く手をあげた。
「よぉ、ローゼンクロイツ。相変わらず女の子の格好だな」
 声をかけられたローゼンクロイツは無表情のまま、
「……だれ?(ふにゃ)」
 ボソッと言った。
 だれもがお気づきだろうが、リファリスとローゼンクロイツは顔見知りだ。それどころか、ルーファスと幼なじみのローゼンクロイツは、もちろんリファリスとも幼なじみだ。
「わっちのこと忘れたなんて言わせないよ。いっしょにお風呂だって入ったことあるし、家族以外でわっちのヌード見たことあるのあんただけなんだからね(ガキのころの話だけど)」
「……そうなの?(ふに)」
 眼を丸くしてローゼンクロイツは驚いた。でもすぐに無表情に戻る。どこまで本気なのかわからない。
 そして、ローゼンクロイツは口を丸く開けた。
「あっ、思い出した(ふにゃ)。近所のお姉さん(ふにふに)」
「近所じゃなくて、ルーファスのお姉さんだよ!」
「ボクの知っているルーファスの姉は別の人だよ(ふあふあ)」
「だーかーらー!(相変わらずだなローゼンクロイツは)」
 リファリスが頭を抱えていると、廊下の向こうから修道女がやって来て、驚いた顔をして口を開いた。
「お姉ちゃん!」
 小柄な少女が笑顔で駆け寄ってきた。それを指差すローゼンクロイツ。
「あれがルーファスの姉だよ(ふにふに)」
 ローゼンクロイツの言っていることは間違えではない。
 やって来た修道女にルーファスはあいさつをする。
「ローザ姉さんこんにちは」
「ルーファスこんにちは。お姉ちゃんも久しぶり、いつ帰ってきたの?」
「今日の朝……かな?」
 ちなみにもう夕方だ。間の時間になにをしていたか言うまでもない。
 ルーファスは三人姉弟だったりしたのだ。
 長女のリファリス、次女のローザ、そして長男で3番目の子供のルーファス。
 リファリスとローザは姉妹なので顔が似ているが、そっくりというほどでもない。リファリスを『軟』に例えるなら、ローザは『柔』だろう。
 しかし、姉妹にルーファスを加えると違和感がある。
 リファリスの髪色は赤系の中でもカーマイン。
 ローザの髪色は同じ赤系でローズ。
 ルーファスの髪色だけが、赤から遠い灰色がかったアイボリーなのだ。
 辺りを見渡しながら慌てたようすの修道女がこちらにやってくる。その修道女はルーファスたちを見つけて目を丸くした。その顔つき、ローザにそっくりだ。
「まあ、リファリス久しぶりね!」
 見た目の年齢は姉妹といっても通用するが、
「久しぶりママ」
 と、リファリスは笑顔で答えた。
 そう、新たに現れた修道女はルーファスたちの母親だったのだ。
 母親の髪の毛は綺麗な亜麻色。姉妹ともルーファスとも違う色系統だ。
 髪の色はマナにも影響されるため、遺伝ですべて決まるわけではないのだが……。
 ルーファスたちの母ディーナは、子供たち、そしてローゼンクロイツの姿を見てながら、昔を懐かしむようだった。
「リファリス、ローザ、ルーファス、ローゼンちゃん、私の子供が4人も揃うなんて嬉しいわ。今日は久しぶりにみんなでお食事しましょう。腕によりを掛けて料理しちゃうわよ!」
 捨て子だったローゼンクロイツを育てたのもディーナだった。ディーナにとってローゼンクロイツも我が子と同然なのだ。
 ローゼンクロイツは本当に申し訳なさそうな顔をしてディーナを見つめた。
「申しわけありませんディーナ夫人(ふにふに)。建国記念祭の準備で立て込んでいて、今日も用事があるのです(ふにふに)。せっかくお食事のお誘いですが、また今度の機会にお誘い願えればと存じます(ふにふに)」
 まさかの言葉遣い!
 あのローゼンクロイツが、他人に対して敬語でしゃべっている!
 むしろそういうしゃべり方もできるのかっ!
 と、ツッコミたい。
 丁重に深々と頭を下げてローゼンクロイツは立ち去った。おそらく普段のローゼンクロイツしか知らない者が見たら、そりゃもう驚きの光景だったに違いない。
 リファリスは細い眼をしてディーナを見ていた。
「ところでママ?」
「なぁにリファリス?」
「わっちのいないうちに、料理できるようになったの?(そんなまさか、料理センスゼロのママがたった1年そこらで料理できるようになるはずが)」
「ええ、できないわよ♪」
 かわいく言われた。
 すかさずリファリスのツッコミが炸裂。
「さっき腕によりをかけるって!!」
「腕によりをかけてローザに料理をしてもらいましょう♪」
 めっちゃ笑顔。めっちゃ他人任せ。めっちゃかわいく言っても騙されません!
 バトンタッチされたローザは唇に指を当てて考えた。
「う~ん、まずは買い物に行って、下ごしらえが……」
 リファリスが割って入る。
「やっぱどっか食べに行こう。もうおなか空いちゃって、昨日の夜から飲んでて食べるの忘れちゃったんだよね。ルーファスもそれでいいだろ、な?」
「うん、私はそれでいいよ」
 ディーナもそれに同意する。
「じゃあ外食で決定ね。ローザもそれでいいでしょ?」
「はい、お母様」
「パパも誘いましょう。きっと喜んできてくれるわ」
 笑顔のディーナに反してルーファスの顔色は悪く、リファリスにいたってはあからさまに嫌な顔をしている。
 だが、あえて二人ともなにも言わず母に合わせることにした。
 こうしてルーファス一家は外食へ出掛けることになった。

 無理矢理正装させられた二人。
 着慣れないスーツ姿にモジモジするルーファスと、似合ってはいるが本人が気に食わないドレス姿のリファリス。
 スタイル抜群のリファリスはドレス姿で歩くだけで男の目を惹く。横を歩くローザはまだ幼さが残っているが、ドレスを着るとお姫様のようだ。男たちがこの姉妹を放っておくわけがなかったが、男が近寄ってくるたびにガンを飛ばしてリファリスが追い払っていた。
 母のディーナはルーファスと腕組みをして歩いている。腕組みをさせられているルーファスは気恥ずかしそうだ。二人で歩いていると、母が童顔のためかカップルに見えなくもない。ルーファスがもう少し上だったら完全にそう見えるところだ。
 リファリスの足が止まった。
「やっぱ居酒屋とかにしない?」
 正装をさせられたということは、それなりの店に行くということだ。それがリファリスは嫌で嫌で溜まらなかった。もしも相手が母親じゃなかったら、殴ってでも自分の意見を通すところだが、そういうわけにもいかない。
「それが駄目ならせめてトリプルスターでどう?」
 リファリスは代案を出した。
 トリプルスターとは王都アステアで有名な酒場である。ショーダンスが有名で、ショーチケットはプレミアがついている。女性でも入りやすい店内だが、家族で行くのは場違いだ。
 そういうしているうちにレストランの前に来てしまった。
 三つ星レストランとして名高いショコラクィスィボー。もともとは洋菓子店だったのだが、食いしん坊だった主人がいつからかケーキのみならずパンも売るようになり、やがては創業50以上が経ち洋食屋になっていたという一風変わった店だ。アンジェルガイドによる三つ星を獲得したアステアの店第一号でもある。
 ちなみにアンジェルガイドとは、ホテル・レストランガイドの決定版である。飛空挺製造会社アンジェラの創設者が、航空旅行で気軽に多くの人々が旅行する時代が到来することを予感し、自社の製品の宣伝をかねて旅行者たちに役立つ情報を発信するためにフリーペーパーを配布したのがはじまりである。のちに書籍化して、今では世界各地の情報が地域ごとにまとめられ、ガイドブックとして販売されている。
 店内に入るとすぐに支配人が出迎えてくれた。
「ようこそお出で頂きましたアルハザード夫人」
 どうやらディーナの顔を覚えているらしい。
「予約してないのだけれど、席は空いているかしら?」
 ショコラクィスィボーは予約なしでは入れない店だ。が、ディーナの表情は至って平然としている。
 支配人は困った顔ではなく、少し不思議そうな顔をしたが、
「すぐに席をご用意します、5名様でよろしいでしょうか?」
 ディーナは首を振った。
「パパは用事で来られないみたいなの、だから4名でいいわ」
 そう答えると、また支配人は不思議そう顔をしたが、待たせることなくすぐさま席をディーナ・アルハザード夫人たちのために空けた。
 リファリスがルーファス耳打ちをする。
「やっぱラーメン食べたいんだけど?」
「ここまで来ちゃったんだから仕方ないよ(僕だってカップラーメンのほうがいいよ)」
 リファリスの腹がぐぅ~っと鳴った。
「焼き肉のほうがいいな。あと酒」
 グズグズ言いながらも、仕方なく席についたリファリス。思いっきり脚を開いて座った。
 ルーファスも席に座ってから落ち着きがない。幼いころはよく高級な雰囲気の店に連れて行かれたが、幼かったので意味もわからずそこで飲み食いしていただけで、今のようなプレッシャーを感じることはなかった。物心ついてからも、事ある事に連れて来られたことがあるが、それでもこーゆー雰囲気は苦手だ。
 ルーファスはテーブルの下に首を突っ込んで、こっそり内ポケットから胃薬を取り出した。マリアお手製の水なしでも飲める下痢止めを呑み込んだ。
「(……マ、マズイ)」
 思わず吐きそうになるほどゲロマズだった。しかも錠剤が大きいため、噛むか口で溶かさなくてはいけない試練。
 隣に座っているローザが心配そうにテーブルの下を覗き込んだ。
「どうしたのルーファスだいじょうぶ?(顔色が青いけど)」
「うん、ぜんぜん大丈夫だよ」
 ルーファスがバッと顔を上げた瞬間、リファリスが眼を丸くした。
「ルーファス……あんた……その顔(いったいなにが!?)」
「えっ、なに?(僕の顔?)」
 なにがなんだかわからないルーファス。
 ディーナは微笑みながらルーファスの顔を見ている。
「あらあら~、どうしたのぉルーファス。お顔が真っ青よ、まるでサカナガエルみたい」
 サカナガエルとは、真っ青なボディに魚のような顔をしたカエルの名前である。これに例えるときは、だいたい相手をけなすブサイクという意味だ。が、たぶんほわわ~んと言ってのけたディーナに悪気はない。
 ローザが化粧ポーチから手鏡を出してルーファスに見せた。
 そこに映った自分の姿を見て、ルーファスは驚愕のあまりさらに青くなってしまった。
 本当の意味で顔が青いのだ。まるで青いペンキを顔面にぶっかけられたように青い。しかも器用なことに手などはまったく普通で、顔だけが青くなってしまったのだ。
 焦るルーファス。さらに腹痛が襲う。
「うっ……おなかが……(もげる)」
 すると、なんとルーファスの顔色が黄色に変わったのだ。
 黄色い顔で脂汗を掻きながらルーファスは悶え死にそうになった。
 トイレに行かなくては、今すぐトイレに行かなくては死んでしまう。
 すると、なんと今度はルーファスの顔色が赤に変わった。おそらく限界を示している色だ。
 歯を食いしばりながら立ち上がったルーファスが駆ける。
 トイレに向かって駆け出してすぐにそれは起きた。
 店に入ってきた2人組の客。
 青ざめるルーファス。
 白髪にメッシュのように入った赤髪。老人とは思えぬ覇気を纏い、眉間にしわを寄せながら太い眉毛の下で光る眼でルーファスを睨み付けている。
 唾を飲み込む音が店の端まで響いた。
 震える脚で体が支えられずルーファスが後退った。
 そして、口にした言葉。
「と、父さん……」
 ルーベル・アルハザード。現アステア王国の国防大臣にして、ルーファスの父親だった。
 いっしょにいるのはどこかのお偉いさんだろう。近くにはSPの姿もある。
 あのとき支配人が不思議そうな顔をしたのはこれだろう。ルーベルの予約が入っていたに違いない。
 ルーファスを一瞥しただけでルーベルはお偉いさんと談笑しながら横を通り過ぎた。見なかったことにされたらしい。
 だが、ルーファスの横を通り過ぎたルーベルは、テーブルに座っている3人を見つけ、その中の一人を憎悪のこもった瞳で睨み付けた。
 リファリスがテーブルを両手で叩きながら立ち上がった。
「帰る」
 すぐにローザがリファリスの袖を引っ張った。
「お姉ちゃん」
 小声で制されてゆっくりと席に着くリファリス。
 ピリピリした空気が漂う中、ディーナが見事に空気を読まない!
「パパもこのお店だったの?」
「あとにしなさい」
 静かに、いぶし銀のような声でルーベルはディーナを制し、何事もなかったようにお偉いさんとテーブルに着いた。
 しかも、運が悪いことに隣の席。
 はじめっからシカトを通す気らしいルーベルは、席を変えてもらう気などないらしい。
 そっちがその気ならリファリスもどっしりと構える。
 母の前ではローザも姉のために席を変えて欲しいとは言えず、怒る姉のプレッシャーを横で感じることしかできない。
 ルーファスも真っ青の顔のまま、トイレに行くことも忘れて席に戻ってきてしまった。
 この中で平然としているのはディーナだけだ。肝が据わっているのか、抜けているのかどっちかだろう。
 この状況で波風立たずに終わるとは思えない。
 まだ前菜すら運ばれてきていないのだ。
 食事会はまだはじまっていない。
 これからルーファス一家最悪の晩餐が幕を開けようとしていたのだ。

《3》

 食事が運ばれてきてから無言で食べ続けるリファリス。
「(ったく、なんで親父がいんだよ。食事が不味くなる)」
 とか思いながらもガツガツ喰っている。血の滴るレア肉だ。隣のルーファスの肉と比べると3倍以上のボリュームだ。
 一方、食が進まないルーファス。顔は依然として真っ青のまま。腹痛も治まらないが立つに立てない。なぜなら立とうとすると、リファリスにガンを飛ばされ『逃げるなよ?』のアイコンタクトを送ってくるからだ。
 股を開いて椅子に座り、フォークとナイフでガツガツ音を立てながら食べるリファリスは、この店の雰囲気にそぐわない。真後ろでシカトしているルーベルのこめかみに、ピクピクと青筋が立っている。
 そして、やっぱり空気を読まないディーナ。
「パパもシャイなんだから、こっちでみんなで食事したらいいのに」
 それを聞いていたリファリスの手が滑ってナイフが飛んだ――ルーベルのテーブルまで。
 これには思わずルーベルもお偉いさんも動きを止めた。
 SPは状況を見ながらいつでも動けるように構えている。
 ルーファスの顔もさらに青くなっている。
 当の本人も『やっちまった』という表情をしているが、謝らずに身動き一つしない。自分が悪いのがわかっていても、父親に謝ることが嫌なのだ。
「(どうする……ここは親父に出方を待って様子を見るか)」
 だが、ここで動いたのは次女のローザだった。
 すぐさまローザは席を立ち、深々とルーベルに頭を下げた。
「申しわけございませんルーベル・アルハザード様」
 あえて〝父〟とは呼ばなかった。
「構わんよお嬢さん」
 ルーベルもまた〝娘〟とは呼ばなかった。
 これでルーベルの面子などが保たれる。
 が、ここで緊急事態が起きた!
 ブッ!
 小規模な爆発音がした。
 SPがすぐさま動く。
 そして、拘束され床に押さえつけられたルーファス。
「あ、ええっと……ちょっとお腹の調子が……(オナラ出ちゃっただけなのに)」
 完全にやっちまったルーファス。
 ナイフが飛んだだけなら穏便に済まされたものを、捕り物を演じてしまっては周りの客たちの目を完全に惹いてしまった。
 紳士淑女たちも人が床に押さえつけられている光景を見たら、そのまま食事を続けるというわけにもいかないだろう。ざわざわと色めき立つ。
 そして、ついにルーベルが切れた。
 席を立ちルーファスを指差した。
「ルーファスどうしておまえはいつもそうなのだ!」
「ご、ごめんなさい父さん(ヤバイ、父さんの髪の毛が逆立ってるよ。マナフレアまで出てるぅ~)」
「謝って済むものかっ。いつもいつもわしに恥をかかせて楽しいのか!」
「そんな楽しいだなんて……(思ってるわけないじゃないか)」
「愚図で鈍間の出来損ないの異形め。その髪の色はなんだ、我が赤の一族は代々赤髪が受け継がれておるというのに、貴様と血が繋がっていると考えるだけで気持ちが悪い。どうしておまえのような息子が生まれてきたのか、何度間違いだと思い検査をしたことか、それでも我が息子という事実は変えられず、どんなにわしが一族から白い目で見られてきたかわかるかっ!」
 怒濤の勢いでルーファスを貶したルーベルは、血圧が上がり肩で息を切っている。
 だが、まだ口を開く気だ。
「それでも待望の男児が生まれてきてわしは喜んだものだ。髪の色などにこだわらないようにしようとも思った。だが、貴様はわしの期待を裏切り、なんと無様に育ったことか。運動もできず、勉強もできず、貴様は我が一族の面を汚すために生まれてきたのかっ!」
「生まれて来てごめんなさい……全部……僕が悪いんだ……」
 言葉を受け入れてしまったルーファス。
 歯を食いしばったままリファリスが席を立った。
「黙って聞いてりゃいい気になりやがって……ルーファス、あんたはわっちのかわいい弟だよ。だがなっ!」
 リファリスの拳が風を切り、ルーベルの頬を抉った。
「この男はクズだ!」
 激しい衝撃を受けながらルーベルは床に手をついてしまった。
 すぐさまSPがリファリスに攻撃を仕掛けようとしたが、それをルーベルは手で合図を送って制した。
「どこの小娘だか知らんが、暴力でわしを痛めつけ気が済んだか?」
「いいや、まだ殴り足りないね!」
「ふん、国防の観点からもこのような野蛮人は入国させるべきではないのだ」
「ならあんたのような口の汚い男も国外追放だな!」
「うぬぅ~っ」
 言葉に詰まりながらルーベルは唸った。
 そして、凄まじく空気を読まないディーナ。
「みんなお料理が冷めちゃいますよぉ」
 ふわ~んとした声で、なんだかルーベルの肩から力が抜けた。ルーベルにとってディーナが安定剤になっているのかもしれない。老人のルーベルと若妻のディーナ。いくつになっても男は女に弱いのか。ちなみにルーベルは66歳、ディーナは36歳である。
 さらにローザが後押しする。
「ルーベル様、大事なお客様の前ではないのですか?(また血圧上がったら大変)。お姉ちゃんもお肉冷めたら美味しくないよ?(ほんと手の焼けるお姉ちゃんなんだから)」
 母親に顔がそっくりの娘に言われるのもルーベルには効くようだ。
「食事の席を騒がせてしまって、ここにおられる皆さんにもご迷惑をおかけした。そこでわしからのお詫びの印として、今日の食事代はわしに持たせていただきたい。よろしいかな?」
 客たちは頷いて見せたり、小さな拍手をした。
 が、そんな中でただひとり――。
「なんでも金で解決か」
 ボソッとつぶやいたリファリス。
「お姉ちゃん!」
 ローザが小声で注意した。
 さすがにルーベルは聞き流して、何事もなかったように席についた。
 ルーファスも無事解放され、空気はまだギクシャクしているが、再び食事が続けられることになった。
 今まで出るに出られなかったウェイターが替わりのナイフを持って現れた。
「新しいナイフをお持ちしました」
 ナイフをリファリスのテーブルに置き、ルーベルのテーブルからナイフを回収した。
 殺気!
 ナイフを手に取ったウェイターが、なんとルーベルを人質に取ったのだ。
「貴様何者だ!」
 ナイフを首に突きつけられながらルーベルが叫んだ。
 辺りが騒然とする。
 SPたちも動けない。
 まさかの事態にルーファスの顔面は真っ青。
 ウェイターは自ら着ていたジャケットを脱ぎ捨てた。その下に着ていたベストに縫い付けられている謎の物体。すぐさまルーベルは気づいた。
「爆弾か!?(自爆も覚悟の上ということか!)」
「そうだ、下手に手出しをすれば木端微塵だ。我らアルドラシルの使徒は崇高な目的のためなら死など恐れない!」
「アルドラシルだと……(テロリストどもか!)」
 国防大臣であるルーベルでなくとも、その名を知っている者がほとんどだろう。
 邪教集団と広く認知されているアルドラシル教団。彼らが崇拝する神の理想郷を築くため、過激なテロ活動を行う残虐非道な団体として、アステアのみならず世界中から危険視されている。
 アルドラシル教団の主な標的はガイア聖教である。彼らはガイア聖教こそ邪教として、総本山である聖都アークや、それ以外のガイア聖教を信仰する国々に攻撃を仕掛けている。
 しかしアステアの国防大臣に手を出してくるとは――。
 理由はつい先頃にあった事件の可能性がある。アステア国内でアルドラシル教団のナンバー3と目される男が拘束されたのだ。
「この度の我らの目的は、アステア国内で拘束された同志の身柄解放にある。速やかに我らの要求を呑んでいただきたい!」
 やはりそうだ。
 ルーベンスは冷淡な眼をしていた。
「我がアステア王国がテロなどに屈すると思うておるのか?」
 教団員は眉をひそめた。
「貴様の命、我が手中にある。己が命、恋しくないというのか?」
「おぬし、自分の言うたことを忘れたか。わしも恐れなどしない、それだけのことだ」
「歳は取っても〈赤鬼のルーベル〉か。貴様の肝が据わっていることは認めるが、貴様の
命の価値は貴様が決めるのではない。交渉相手は貴様ではなく、政府である」
 〈赤鬼のルーベル〉とは、彼が若かりしころにつけられたあだ名だ。緋色の髪と、怒号の性格、そして前線で戦うその姿が鬼のようであったから、揶揄される名前がつけられたのだ。
「ならば国防大臣として言おう。テロリストとの交渉には応じない、と」
 ルーベル言い切った。
 拘束されているのはルーベルだが、人質はルーベルだけではない。
 こっそりと逃げ出しそうになった客を教団員は見逃さなかった。
「その場を動くな! この爆弾は店ごと吹き飛ばすことができる。ここにいるだれか一人でもおかしな真似をすれば、命の保証はないと考えてもらいたい!」
 人質はここにいる全員。
 ルーベルは教団員に悟られないように、ほかの客たちを観察していた。
「(単独で行うなら無謀な作戦だ。仲間がいる可能性がある)」
 端から自爆するつもりであれば数が少なくてもいいだろうが、目的が同志の解放である以上は、成功させるための採算を練ってくるだろう。ならば単独で行う犯行としてはリスクが大きすぎる。
 客の中に仲間がいるのか、店員の中にいるのか、それともルーベルの読みが間違っているのか。
 リファリスはずっと教団員を睨み付けていた。
「(親父……なにかできることはないのか……)」
 どんなに嫌っていても、最後は父の身を案じる。リファリスも〝子〟であった。
 汗が床に落ちた。
 だれのってルーファスのだ。
 父親が命の危機に晒されている中、ルーファスは敵と戦っていた。
 敵の名は腹痛!
 父親のことも心配だが、だからと言って腹痛を忘れることはできない。今すぐトイレに行きたいほど腸が悲鳴をあげている。でもそんな願いが通らない状況なのもルーファスは承知している。
 父親の命と腹痛の板挟み。明らかに父親の命のほうが大事だが、切実な腹痛とも戦わなければならない。
 ちょっと気を緩めたらちょびってしまう。
「(お腹が……死ぬ……けど……父さんも死ぬかも……でも僕が先に死ぬかも)」
 滝汗がボトボトと流れる。
 床にできる水たまり。水というか汗だが。
 ルーファスの顔面は青を通り越して白くなりつつある。
 眼も白黒してきて、頭もクラクラする。
 ついに体が痙攣しはじめた。
 明らかに可笑しいルーファスの様子に周りもざわめき立つ。
 教団員が威嚇する。
「静かにしろ!」
 客たちは静かになったが、ルーファスを放って置くわけにもいかない。病人は作戦遂行の邪魔だ。
「おい、どうした!」
 教団員がルーファスに尋ねるが、返事など返ってこないのは一目でわかる。
 大きく痙攣しながら白目を剥いたルーファスが、いつに泡を口から噴いて椅子から転げ落ちた。
 女性客の悲鳴があがった。
 予期せぬ事態に焦る教団員。
 その一瞬の隙を突いてリファリスが動いた。
 彼女は席を立つと同時に今座っていた椅子で教団員を殴りつけたのだ。
 よろめく教団員からルーベルが解放された。
 しかし!
「なぜ助けた!」
 叫んだルーベル。
 リファリスは唖然とした。
「は?」
 そして、すぐに言葉を吐き出す。
「あんたがクソ野郎でも、助けるに決まってんだろ!」
 その発言はルーベルの言葉の意味を間違って解釈していた。
 ルーベルが言いたかったのはそういうことではなかった。
「仲間がいたらどうするのだッ!」
 敵の仲間の有無を確認できるまで、人質と甘んじていることで、騒ぎを大きくしないようにルーベルは勤めていたのだ。
 客の一人が立ち上がった。
「作戦ベータに変更だ!」
 叫びながら男は手から氷の刃をルーベルに向けて放った。
 ルーベルは呪文を唱える。
「ファイア!」
 刹那にして氷が蒸気に変わる。
 だが、敵は氷の刃を放つと同時に、仕込み杖の刃も抜いていた。
 細く尖った切っ先がルーベルの胸を突かんとする。
「トイレー!」
 場違いな叫び声。
 眼を剥きながら倒れたルーベル。
 鋭い切っ先が刺したのは、ルーベルではなくルーファスの胸だった。
 なにが起きたのか?
 それは腹痛のあまり暴走したルーファスが、脳内から状況がぶっ飛んでしまい、ただ一心にトイレへ向かおうと駆け出したときだった。周りが見えなくなっていたルーファスは、偶然にもルーベルの体を押し倒し、自らが刃の餌食となってしまったのだ。
 なにも言えずに倒れてままのルーベル。
 ローザもディーナも言葉を忘れた。
 リファリスが叫ぶ。
「ルーファス!」
 リファリスは仕込み杖を持った男を殴り倒し気絶させ、ルーファスの体を抱きかかえた。
「しっかりしろルーファス!」
「ううっ……痛い……お腹が……死ぬぅ」
「ルーファス! 助かる、絶対に……ん……おなか?」
 おかしなことにリファリスは気づいた。
 ルーファスが刺されたのは腹部ではなく胸のはずだ。
 そのとき、ルーファスの内ポケットから何かが転がり落ちた。
 床に落ちたそれを見たルーベルはハッとした。
「わしがやった懐中時計?」
 それはルーベルがルーファスに贈った懐中時計。
 とても古い物で、ルーベルもまた父から贈られた品だった。
「ずっと持っておったのか……(おまえが幼稚園に入学してから、長い月日が経ったといのに)」
 あのときはまだ、ルーベルはルーファスに期待を抱いていた。だからこそ、父から受け継いだ懐中時計をルーファスに託した。
 リファリスはルーファスの胸を確かめ、傷などないことを確認すると、懐中時計を拾い上げて握り締めた。
「わっちがくれって言ったのにくれなかった時計か。ルーファスがもらってよかったよ、これがルーファスの命を救ったんだらな」
 仕込み杖の刃は懐中時計が受け止めていたのだ。懐中時計には受けた刃が深く穿たれていた。
「きゃーっ!」
 女性の悲鳴だ!
 リファリスとルーベルが感傷に浸っている間に、まだ身を潜めていた別の敵が姿を現したのだ。
 敵の数は今確認できるだけで男女2人。
 その2人はなんとディーナを人質に取って逃げようとしているところだった。
 リファリスはすぐに動けなかった。
 動いたのはルーベル。
「スパイダーネット!」
 手から放たれた網がディーナごと敵を捕らえようとする。
 だが、捕らえられたのはディーナだけ。敵は易々と人質を捨てて逃げたのだ。
「しまった!」
 ルーベルが苦虫を噛み潰した。
 ディーナ誘拐は陽動だったのだ。
 なんと敵は2人意外にも潜伏していた。しかもそれはSPの二人だった。
 SPに扮していた男たちがローザをさらって逃げおおしたのだ。
 ルーベルはすぐさま追いかけようとしたが、
「くっ!」
 激しく顔を歪ませながら胸を押さえ、床に膝をついてしまった。
 すぐさまリファリスが駆け寄った。
「親父!(くそっ、持病の発作か!」」
「構うな、ローザを追え!」
「このクソ野郎!」
 リファリスは吐き捨ててローザの行方を追った。

《4》

 王宮の執務室で待たされているルーファスたち。
 腹痛やあの異質な顔色は治まったが、ルーファスの顔色はまだ悪い。
 ディーナは穏やかな表情をしているが、先ほどから目を閉じ指を組んで祈りを捧げている。
 苛立つリファリスは部屋を行ったり来たり落ち着かない様子だ。
「ったく、どれだけ待たせれば気が済むんだい。わっちらは家族なんだ、それなのになにもわからないなんて!(もっと早くわっちが動けていれば)」
 あのとき、リファリスはレストランからローザを追いかけたが、見失ってしまいなにもできなかった。自分を責め、悔やむ気持ちが強い。
 しばらくしてルーベルが部屋に入ってきた。表情は読めず、その顔を見た途端にリファリスが襟首をつかんで飛び掛かった。
「ローザは!」
「犯人からの要求があった。ローザはまだ無事だ」
 淡々とした口調。自分の娘が人質にされているとは思えないほど、事務的に固い言葉を響かせた。
 それに腹を立てるリファリス。
「自分の娘がさらわれたんだ、もっと心配したらどうだ!(クソ野郎め、ローザにも冷たい態度を取りやがるのか!)」
「心配はしている。だがな、わしはローザの父である前に、政府の人間なのだ。職務を果たす義務がある」
「なにが職務だ、娘のことが1番に決まってるだろ!」
「国民が第一だ」
「ならその国民の中にローザも入ってるはずだろ!」
「国民とは個人のことをいうのではない。我らは国民全体、そして国のためになることを決断して遂行するのだ」
「まさか……いざとなったらローザを見捨てる気じゃないだろうな!」
 憎悪が胸の底から沸き立ってくる。今にもリファリスはその手でルーベルの首を絞めそうだった。
 静かにルーベルは口にする。
「テロには屈しない」
 揺るぎなさがその言葉からは伝わってきた。
 ついにリファリスの怒りは頂点に達し、ルーベルの首に手をかけた。
「この野郎!」
「わしを殺しても無用な痛みが増えるだけだぞ。痛みは最小限に留めなくてはならない。そのためであれば、最低限の犠牲者も已む得ぬ」
 ルーベルは動じない。首を絞められるまま動かない。そのまま殺される覚悟もしていた。
 それを止めたのは暖かな手だった。
「やめなさいリファリス」
 リファリスの腕を握ったのはディーナの手だった。
 静かな眼差しでディーナはリファリスの瞳の奥まで見つめた。
「パパは冷酷無情なひとではありませんよ。ローザにもしものことがあったとき、誰よりも傷つくのはパパでしょう。家族として傷つき、犠牲を決断したことで傷つき、さらに多くの批判でも傷つくでしょう。パパはその覚悟をした上で揺るがないのよ」
 ディーナの言葉を聞いてもリファリスは納得できなかった。
「そんな決断をしなきゃいけない職なんて捨ててしまえばいい! なにがあってもローザを助けることを考えろよ!」
 襟首を直してルーベルは無慈悲の仮面を被った。
「嫌な役目だろうと誰かがやらねばならんのだ。綺麗事が通用しない道を選ばなくてはならないときがある。そのときに揺らいではならないのだ、たとえ傷つく者がいようとも心を鬼にして決断しなくてはならないのだ。そうしなければ、さらなる犠牲者が出ることになるのだ」
 リファリスは髪の毛を掻き毟り、床を叩くように蹴った。
「クソッ!(言いたいことはわかるよ、でもそういう問題じゃないだろ)」
 国としての大義名分なら、多くを救うため多少の犠牲もやむを得ない。
 しかし、傷つき苦しむ何の罪のないひとを自分の間近で見たら、世界を救うためだとしても見殺しにすることができるだろうか。
 リファリスにはそれができない。ルーベルにはそれができる。
 部屋の中にはいつの間にか第三者が立っていた。
「38年前のカルッタ事件のことを言っておるのだろ、アルハザード?」
 その姿を確認してルーベルやほかの者は畏まった。
 この場に姿を見せたのは第10代アステア国王クラウス・アステアであった。
「畏まらないでくれたまえ、今の僕はルーファスの一友人として様子を見に来ただけなのだから。家族のみなさんの心中はお察しします、国王としての立場から全力でご家族を救えるように務めます」
 リファリスはその言葉を聞いて安堵した。ウソだとしても、前向きな言葉が聞けて良かった。
 クラウスはルーベルの前に立った。
「カルッタ事件の際、猛抗議の末に出世の道から一時外れたそうだな?」
「はい、仰せの通りです(国王陛下からまさかその話が出るとは)」
「貴公の助言を聞かなかった当時の役人たちは、テロの威しに屈して拘留中のメンバーを解放し、さらには金まで渡したそうだ。のちに解放されたメンバーたちはいくつもの事件を起こし、多くの尊い人命が失われることになった」
「(その犠牲者の中に父がいたのだ)」
 だからルーベルはテロには屈しない。気持ちが揺らぐことで、なにが起きるか誰よりも痛感しているからだ。
 なにを思ったのか、リファリスは椅子に座っているルーファスの首根っこをつかんだ。
「塞ぎ込んでんじゃないよ、行くよ!」
「えっ?」
「そこのクソ野郎がテロには屈しないってほざいてやがるなら、わっちらはわっちらのできることをすればいいだけさ」
「え? え、えっ!?」
「いいから、わっちらでローザを助けに行くんだよ!」
 ルーファスを引きずりながらリファリスは部屋を出て行ってしまった。
 祈りを捧げるディーナ。
 出て行った二人と入れ替わりで役人が飛び込んできた。
「大変です!」
 クラウスは口を閉ざし役人の次の言葉に耳を傾け、ルーベルは眉間にしわを寄せながら促した。
「なにがあったというのだ!」
 萎縮する役人だったがすぐに言葉を発する。
「そ、それが……拘置所からアルドラシルのライガス・レイドネスが連れ去られました」
 それはアルドラシルのナンバー3の名前。教団員が釈放を求めていた男の名だ。
 クラウスもルーベルも驚きを隠せなかった。
 鬼のような表情でルーベルは役人に詰め寄った。
「どういうことだ! アルドラシルの仕業なのか!!」
「それが……どうやら違うようで」
「違うだと?(ほかの者がなんの目的で?)」
「レイドネスを連れ去ったのは、マスクをした赤髪の女で……」
「馬鹿な……(いや、今出て行ったばかりだ。わしとしたことが取り乱してしまった)」
 ルーベルの頭に真っ先に浮かんだのはリファリスだった。だが、リファリスに犯行が不可能なことは明らかだ。
 クラウスは深く頷いた。
「噂の義賊か……薔薇仮面という通称で呼ばれていたな。しかし、なぜ彼女がアルドラシルのメンバーを手助けするような真似をする?」
 その問いには答えず、ルーベルは別の言葉をクラウスに投げかける。
「本物の薔薇仮面であろうと、そうでなかろうと、さらに義賊であろうと犯罪者は犯罪者です国王陛下。どんな理由があろうと、投獄を手助けすれば罪」
「どんな理由があろうと自国の民を見殺しにすれば非難されるのと同じか?」
「わしは自分の信じた道を揺るがず歩き続けておるだけです」
「そうやって貴公は私が被るべき泥も代わりに被ってくれている」
「希望の光は一点のくすみすら許されない故」
 国王の高潔を守るためにもルーベルは揺るがない。

 王宮を飛び出したリファリスは行く当てがなかった。防衛のトップであるルーベルすら手をこまねいているというのに、なんの情報も持たないリファリスに解決の手立てがあるはずがない。
 冷静に考えれば、リファリスが動くことでローザに危害が及ぶかも知れない。そんなことにも頭が回らず、ただリファリスはローザを救いたい一心で後先考えずに飛び出したのだ。
 それに巻き込まれたルーファス。
「これからどうする気なの? ねえ聞いてるリファリス姉さん?(僕たち二人になにができるっていうんだろう。でも姉さんの気持ちもわかるよ、僕だってローザ姉さんを助けたい……でも)」
「ちゃんと聞いてる、作戦も考えてある」
「えっ、ホントに!?」
 政府が対応に紛糾しているというのに、リファリスはいったいどんなことを思い付いたのか?
「ほんとに決まってんだろ。わっちをだれだと思ってんだい?」
「私の姉だけど?」
「そうじゃないよ、世界で一番出来の良いおねーちゃんだろ?」
「あ、はぁ……(その自信はどこから来るんだろう)」
 いつも自信のないルーファスは、ほんの少しくらい見習った方がいい。
 自信満々にリファリスは語りはじめる。
「作戦はこうだ。いいかい、今からアルドラシルのナンバー2だかなんだかを刑務所から連れ出す」
「ええっ!?(というか、ナンバー3だし、たぶんたしかまだ刑務所じゃないと思うけど)」
「つまりだ、クソ野郎はテロには屈しないし交渉もしないとか抜かしやがるなら、わっちらが材料を手に入れてテロリストどもと交渉する」
「ええーっ!!」
「でもクソ野郎の言ってることもわかる。易々テロリストにメンバーを返してやるようなことはしない。ローザを取り戻したら、ちゃんとナンバー2を刑務所に送り返してやんよ」
 テロに屈しない姿勢を見せている以上、作戦であろうと一時的に犯罪者を釈放することは政府にはできない。だからと言ってそれをリファリスが……。
 たとえローザを救い出すためだとしても、それは犯罪であり、自分が罪を負うだけではなく、周りも迷惑をかけることになる。
 ルーファスは首を横に振った。
「ダメだよ、そんなことしたら私たち捕まるよ。それに父さんだって職を失うことに」
「クソ野郎が無職になろうとわっちの知ったこっちゃないね。わっちはなにがあろうとローザを助けるよ」
「その気持ちは私だって同じだけど、他に方法が……っ!?(スカート!?)」
 空をふと見上げたルーファスの目に飛び込んできた靴の裏。
「フガッ!」
 鼻血ブー!!
 大輪の花のような真紅のドレスを着た謎の人物が、ルーファスの顔面を踏み台にして飛んでいった。
 リファリスはその瞬間を間近で見ていた。
 弟の顔面を踏んづけた謎の人物は、赤髪を靡かせ、顔を蝶のマスカレードマスクで隠し、大きな袋を担いでいた。その袋から飛び出していたのは人間の顔だったのだ。
「あの顔……見覚えが……思い出した!」
 リファリスは気絶しているルーファスを文字通り叩き起こして、その襟首を持ち上げながら叫ぶ。
「ニュースで見たことあるぞ、あいつがアルドラシルの野郎だ!!」
「ううっ……(頭がクラクラする)」
「ルーファスも見たろ!」
「えっと、スカートの中はふわふわの白いやつで見えなかったけど」
 ふわふわのやつとは、おそらくスカートのボリューム出すために穿くパニエかなにかだろう。
 ……そうじゃなくって!!
「パンツの話してんじゃないよ! 今の赤い女が連れてたのがローザを救う切り札なんだよ!」
「……え?」
 ルーファスたちは知らなかったが、アルドラシル教団のライガス・レイドネスは、薔薇仮面と思しき人物に脱獄されているのだ。
 リファリスは突然ルーファスを脇に担いだ。
「間違いない、追いかけるよ!」
「え、え、えーっ!!」
 パニック状態のルーファスを抱えて走り出したリファリス。
 すでに袋抱えた影はどこにもない。
「ルーファス! あんたも魔導士の端くれなんだから、追尾魔法とかそんなの使えないのかい!」
「ええっと、なんだろう……ごめん、思い付かない」
「へっぽこ魔導士!!」
「ご、ごめん……ええと、足を早くする魔法ならあるよ!」
「だったら早く使え。こっちは足の遅いあんたの分も走ってんだよ!」
「怒鳴らないでよ、すぐ使うから。マギクイック!」
 風の支援によりリファリスの足が急激に速くなって、思わずつまずきそうになってしまった。
「おっと、いきなり使うんじゃないよ!」
「早く使えて言ったじゃないか!」
「かけ声くらいかけろ!」
「ご、ごめんなさい(なんで僕を怒られなきゃいけないんだろ)」
 心ではそう思っていても、やっぱり謝ってしまうルーファスクオリティ。
 リファリスの眼に映った真紅の影。
「いたっ!」
 影は細い路地を曲がった。
 すぐにリファリスが同じ角を曲がると、真紅の影はマンホールから落ちていく瞬間だった。
「地下に潜った!」
 リファリスはルーファスを放り投げてマンホールの中に飛び込んだ。
 見事に腹から地面に激突していたルーファスは、
「ううっ(痛い)。リファリス姉さん待ってよ~!」
 手を伸ばすがリファリスの姿はもうない。
 ルーファスは自力で立ち上がり、急いでマンホールを下りた。
 地下は暗かった。水が流れる音がする。
 リファリスが囁く。
「ルーファス明かり」
「うん。ピコライトボール」
 ゴルフボールくらいの小さな光の玉を出したルーファスは、それを手のひらの上で安定させた。ルーファスは失敗を恐れてやらなかったが、この光の玉は体の回りに漂わせることもできる。
 アステアの下水道。比較的広いこの下水道を通る浄化された下水は、やがてシーマス運河まで流れ着く。
 下水の流れる脇の小道を歩く。
「本当にこっちで合ってるの?」
 心配そうに尋ねたルーファスの口をリファリスは急いで塞いだ。
 そして耳元で、
「あの先に光が見える。明かりを消せ」
 言われたとおりライトボールを消して、ルーファスは道の先を見た。
 横からの光が漏れている。おそらく先の道から、脇に逸れる道か何かあるのだろう
 足音を殺しながら二人はその光に近付いた。
 すると声が聞こえてきた。
「約束の金はここにある」
 男の声だ。
 次にしたの声ではなく、まるで文章が頭の中に流れ込んでくる感覚。おそらくテレパシーだ。
《足手まといになると困るから、彼には少し眠ってもらってるけど、心身共になんら異常はないよ》
「レイドネスを我々に渡したら、さっさと金を持ってこの場を去れ」
 脱獄させたライガス・レイドネスと金を交換というわけか。
 ルーファスが無言のまま下水の方を指差してリファリスに見せた。
 そこには小型のボートが停められていた。これが敵の足であることは間違いない。
 角を曲がった先の様子を探りたいが、迂闊に顔を出せば見つかってしまう。今は声を頼りに想像するしかない。
 また頭の中に言葉が流れ込んできた。
《ところで、そこにいる人質はどうするんだい?》
「貴殿のおかげでレイドネスは我々の元へ戻り目的は達せられた」
 それを聞いたリファリスは心臓が激しく打った。
「(まさか殺される!)」
「新たな要求に使う人質にする予定だ」
「(よかった)」
 安堵の溜息をリファリスは吐いた。
 今の会話でローザがすぐ近くにいることがわかった。それは好機だったが、それと同時に不安要素にもなる。ここで下手な真似をすれば、ローザの身に危険が及ぶ可能性が高いからだ。
 すぐ近くにローザがいるのがわかっていながら、今はまだリファリスもルーファスも身を潜めることしかできない。せめて向う側の様子がわかれば状況も変わるかもしれないのだが。
 苛立ちが募るリファリスは勢いだけで今にも飛び出しそうだった。それを制しているのは、リファリスの腕をつかんでいるルーファスの手だ。姉が飛び出したいのをルーファスもわかっている。
 しかし、事態は急激に変化した!
「な、なにをする!」
「俺たちを売るのか薔薇仮面!」
「きゃっ!」
 焦り入り乱れる男女の声が聞こえてきた。
 ライガスを背負った男がボートに向かおうと角から飛び出してきた。
「行かせないよ!」
 叫んだリファリスの回し蹴りが男の腹に食い込み、背負ったライガスに潰されながら男は倒れた。
 身を潜めていられなくなった。
 ルーファスも慌ててリファリスを追って姿を晒した。
 やはりそこにいたのは教団員。レストランで見た男女だ。新たに現れた二人に驚きを隠せないようだった。
 教団員の女が叫んだ。
「わたしたちを売ったのね薔薇仮面!」
《たまたま付けられていたらしいよ》
 薔薇仮面の手から放たれたチェーンが女教団員を雁字搦[ガンジガラ]めにした。
 ここにいた教団員の数は十人余り。その半数はすでに気絶しているか、拘束されていた。
 薔薇仮面と武器や魔法で抗戦する教団員の中にローザがいた。
 周りの敵に構わずリファリスはローザの元へ駆け寄る。だが、敵の放った炎がリファリスを呑み込もうとしていた。
「ウォーター!!」
 叫んだルーファスの放った水の塊が炎を呑み込んだ。
 びしょ濡れになりながらリファリスはローザの手を取った。
「だいじょぶかいローザ!」
「はい、あのお方がわたしにだけテレパシーで合図を送って助けてくれたの」
 ローザが指差したのは薔薇仮面だった――はずだった。
 しかし、そこには薔薇仮面の姿はなく、取引に使われた大金も消えていた。
 先ほどまで飛び交っていた攻撃魔法のレイラも治まり、辺りはわめき声だけが響き渡っていた。
「くそっ、我々の拘束を解け!」
 教団員たちは壊滅させられていた。立っている者は誰一人としていない。気絶しているか、魔法のチェーンで拘束されているかだ。
 すぐに王宮の兵士たちや治安官たちが現場に駆けつけてきた。
 その中にはルーベルもいた。
「ローザ大丈夫か!」
 ルーベルは両手を広げローザを抱きしめた。
 それを見た静かにつぶいた。
「……親父」
 父と娘が抱き合う姿。リファリスにとっては感慨深いものだった。
 ルーベルはローザの体を離し、ルーファスとリファリスに顔を向けた。
「おまえたちがやったのか?」
「わっちがやったのは2、3人だよ」
 その言葉を受けたルーベルに顔を見つめられたルーファスは焦った。
「いやっ、わ、私は……(逃げ回るので精一杯だったんだけど)」
 教団員のほとんどを片づけたのは薔薇仮面だ。
 ローザは微笑んだ。
「お父様、わたしと姉が敵の炎で焼かれそうになったとき、それを救ってくれたのはルーファスです。ルーファスはわたしたちの命の恩人です」
「……そうか」
 ルーベルは深く頷きそれ以上言わなかった。
 きっとルーベルは勘違いをしているに違いない!
 リファリスはルーファスの肩を出して無理矢理歩き出した。
「さーって、運動のあとは酒、酒!(たまにはかわいい弟に花を持たせてやらないとな)」
「え、私はだから……ちょっと(逃げ回ってただけなのに!)」
 でも、それをはっきり口に出せないところがルーファスクオリティ。
 のちに本当のことを言い出せないまま、感謝状まで贈られることになるルーファスだった。

 おしまい


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