第9話_角笛を吹き鳴らせ

《1》

「ただいまー」
 自宅に帰ってきたルーファスは、久しぶりに『ただいま』のセリフを言った。
 リビングに向かうと、ソファに立て膝をついて座って、陽が落ちる前から飲んだくれている誰かさんがいた。
「おかえりルーファス」
 ビール片手にあいさつをしたリファリスだった。
 下着姿同然で目のやり場に困る。
「リファリス姉さん、服着てよ」
「ん? 着てるつもりだけど?」
「そうじゃなくて、もっと厚着してよ」
「いいじゃん別に家の中なんだし」
「だからさ……(これ以上言ってもムダかも)」
 ルーファスは溜息を吐いて口を結んだ。
 久しぶりに故郷へ帰ってきたリファリスは、昨日からルーファスの借家に同居中。はじめはルーファスも反対したが、母と姉は修道院暮らし、父親のいる本宅なんかには行きたくない、かと言って宿屋に泊まるのもお金がもったいない。そんなこんなで、強引に押しかけられてしまった。
 飲んだくれているリファリスの周りには空き瓶が転がっている。かなりの散らかりようだが、はじめから部屋が汚かったので、あまり目立っていない。ルーファスと同じでリファリスも片付けなどが苦手らしい。
 リファリスのせいで腐海の侵蝕が2倍のスピードだ!
 だが、ルーファスは空き瓶を片付けはじめた。
「ゴミくらいちゃんと片付けてよ」
 人が散らかすのは気になるらしい。
「そんなこと言うなら、ちょっとは部屋片付けろよ」
「うっ(痛いとこ突くなぁ)」
 たしかの片付けられない人間が、片付けられない人間に説教しても説得力がない。
 ルーファス敗北!
 まあ、ルーファスがどんなに正しくたって、リファリスは力押しで勝つだろうが。
 玄関のドアが開く音がした。
「ルーちゃん元気!」
 今日も元気なビビだった。てゆか、ルーファスとさっき別れたばかりだ。
 勝手に家に上がり込んでリビングまで来たビビが凍り付く。
 ソファで飲んでくれている謎のお色気美女。
「……ルーちゃんのえっち!」
 ビビのパンチが炸裂!
「ふぼッ!」
 無実の罪でぶっ飛ぶルーファス。
 ビビは鼻血ブーしているルーファスに詰め寄った。
「ルーちゃんだれあの人! お酒飲まして泥水したところを襲おうなんて変態のすることだよ!」
「ちょちょちょ、ちょっと!」
「ルーちゃんがそんな人だとは思わなかった。もう幻滅だよ」
「誤解だってば!」
「あれのどこが誤解なの!」
 ビビはビシッとバシッとリファリスを指差した。
 のんきにリファリスはあくびなんかしちゃってる。それを見たビビはさらなる妄想。
「もしかして一夜過ごしちゃったの! 昨日の夜は朝まで寝かせないよっとか言って、この人今起きたんでしょ!」
「だーかーら!」
 ルーファスはリファリスの横に立って顔と顔を寄せた。そっくり度を示すつもりだったが、完全に裏目。だって似てないもん。
「女に近付いちゃって、もう親密な仲ってことなの!(そんなのアタシにわざわざ見せつけるなんてホントサイテーだよ)」
「違うって、僕ら姉弟なんだよ!」
「ウソばっかり、ぜんぜん似てないじゃん!」
「似てるよ! 僕とリファリス姉さんは父さんになんだよ!」
 このルーファスの一言がさらなる戦いの火ぶたを切ってしまった。
 リーファリスがルーファスの胸ぐらをつかんだ。
「誰と誰が似てるって? もう一度はっきりと言ってごらん?」
 目が座っている。
 急接近したルーファスとリファリスの顔を見たビビが目を丸くした。
「キスするつもりなの!!(しかも女からなんて積極的!!)」
 ビビの勘違いは止まらなかった。
 リファリスはルーファスの胸ぐらを押し飛ばし、ズカズカとビビの目の前に立った。
「あんたもギャーギャーうるさいねぇ」
 そして、事件は起きた!
 ブチュー!
 リファリスがビビの唇を奪ったのだ!!
 凍り付くビビ。
 唇を離して舌なめずりをしたリファリス。
「キスしてやったんだから黙ってな」
 だれもキスしてくれだなんて言ってないのですが?
 ここでルーファスがボソッと。
「ごめん、言い忘れたけど、リファリス姉さんは男でも女でもイケる人だから」
 両刀遣い!
 ビビちゃんショーック!!
「……アタシ……今……女の人にキス……されたよね?」
 魂離脱寸前、放心状態。
 理解不能な衝撃的なことが起きたとき、冷静になろうと人はとにかく理由付けをする。
「(きっと今のキスはカモフラージュなんだ)ルーちゃんと付き合ってることを隠すためにアタシとキスしたんだー!」
 パニック状態の時の理由付けは、だいたいツッコミどころがあるものだ。
 ルーファス&リファリス。
「「は?」」
 きょとんとされてしまった。
 それでもビビはとまらないのだ。
「絶対にアタシは騙されないからー!」
 なにを?
 とツッコミたいところだが、ビビの中では成立している。
 突っ走るビビについていけないリファリスは溜息を吐いた。
「はいはい、わっちはそろそろ出掛けるから、あとは二人で解決しろよー、ルーファス?」
「僕が!?」
 二人っきりにされたら、ルーファスが押されて話がこじれそうだ。三人でも十分こじれるが。
 そこら辺に脱ぎ捨ててあった服に着替え、玄関に向かおうとリファリスが歩き出した。
 だが、両手を広げて立ちふさがったビビ!
「逃げるなんてズルイ!(とことん追求してやるんだから!)」
「わっちは今から大好きな酒を飲みに行くんだ。止まるんだったら承知しないよ」
 リファリスは牝豹の表情でビビを舐めるように見た。
 再び凍り付くビビ。
「うっ……(またキスされる)」
 ササッとビビは身を引いた。そして、ルーファスの後ろに隠れ、
「出掛けるんだったら、ルーちゃんとアタシも手を繋いでついて行くから!」
「は?」
 っと言ったのはルーファスだった。
「私とビビがどうして手を繋がなきゃいけないの?」
「もしも本当に付き合ってるんだったら、ほかの女と手を繋いでるの見せつけられたらイヤでしょ? ルーちゃんと手を繋がせてくれたら二人が間違いを起こしてないって信じてあげるよ!」
 って言われても。
 うんざり状態のリファリス。
「手を繋ぐだけなんてぬるいね。ヤルとこまでヤッちまえばいいだろルーファスと」
 この過激な発言にルーファス放心
「…………」
 ビビは顔を真っ赤にした。
「ヤルって、そんな……ヤルだなんて不潔な言い方しないで!(結婚する人としかそういうことしちゃいけないんだよ!)」
 いちよう皇女様なので、そういうところは固い。
 爆弾発言だけ残してリファリスはさっさと立ち去ろうとしていた。
「んじゃ、わっちは祭りで思う存分酒を浴びてくるから」
 祭り?
 それを聞いたビビが気持ちを一変させた。
「お祭りってどこどこぉ?」
 なんかもうさっきのことなんか、なかったことにされてるくらいの食い付きだった。
 目を輝かせるビビに見つめられたリファリスは、ニヤリとして答える。
「祭り好きなんてわっちと気が合いそうだねぇ。どうやら知らないみたいだから教えてやるけど、この国最大の祭りが建国記念日の明日やるんだよ。今日はその前夜祭ってわけさ」
「そうなの!?(だから明日学校休みだったんだ)」
 まだこの国に来て間もないビビは、かなりこっちの情報にうとい。
 ビビは目を輝かせたままルーファスを見つけた。
「早く行こうよルーちゃん!」
「え?(さっきの勘違いとかはもういいの?)」
「早く早くぅ!」
 ビビはルーファスの腕をつかんで、リファリスを押しのけて玄関を出て行った。

 国内最大級の建国記念祭――の前夜祭。
 前夜祭と言ってもその盛り上がりは異常なほど盛り上がっている。
 この国の人々は年明けの夜もドンチャン騒ぎをするが、それと同じような盛り上がり方をしている。
 まだ少し陽は高いが、出店は賑わって混み合っている。
「次は金魚すくいやろうよ!」
 ルーファスの腕をグイグイ引っ張るビビ。
「生き物とかは飼うのめんどくさいよ」
「だったらカメすくいでいいよぉ」
 ほっぺを膨らませてビビはすねて見せた。
「金魚もカメも生物だよね? 私の言ってたこと聞いてた?」
「べつにアタシが飼うんじゃないしー」
「じゃあ誰が飼うの?」
「そんなのルーちゃんに決まってんじゃん!」
 勝手に決められた。
 リファリスが『フフン』と鼻を鳴らした。
「わっちを差し置いて金魚すくいをやろうなんざ良い度胸だね。金魚すくいゲーム荒しと言われたわっちと勝負するかい?」
 ビビちゃんは『フフン』と鼻を鳴らした。
「その勝負受けるよ、ルーちゃんが!」
「はっ? なんで私なの!?(金魚すくいとか一匹も取れたことなんだけど)」
 勝負をルーファスに託したと言うことは、きっとビビも金魚すくいが苦手なのだろう。
 ヤル気まんまんのビビとリファリス――の犠牲者になって引きずられていくルーファス。
 が、ここでビビがある物を発見!
「リンゴ飴だ!」
 さらにリファリスもある物を発見!
「おっ、ビールと肉が売ってるじゃないか」
 二人とも金魚のことなど忘れて店に向かって走り出す。
 ビビに腕をつかまれてたルーファスが引きずられる。今日はなんだか振り回されっぱなしだ。あ、いつもか。
 リンゴ飴をおっちゃんから受け取ったビビはルーファスの顔を見て、
「ルーちゃんお金」
「はいはい(月末は苦しいのになぁ)」
 しぶしぶ財布からお金を出すルーファス。
 家出少女のビビは、あまりお金を持っていないので、いつも周りの支援者に助けられて生活をしています。
 お返しはとびっきりの笑顔。
「ルーちゃんありがとー♪」
 八重歯がとってもチャーミングだ。
 リンゴ飴を買ってもらったビビはスキップをして歩き出したのだが――ドン!
 人とぶつかってリンゴ飴を落としてしまった。
「アタシのリンゴ飴ーっ!」
 ビビちゃんショック!
 ぶつかった人物はフードを目深に被って顔を隠していた。それに腹を立てるビビ。
「ちょっと顔見せてよ!(その顔絶対忘れないんだから)」
 食べ物のうらみは怖い。
 フードの男は首を横に振った。
「ごめん、あまり人の多いところでは顔を出したくないんだ」
「何様のつもりー!!」
「本当にごめんよビビちゃん。ちゃんと弁償するから許しておくれ」
「……え?(なんでアタシの名前知ってるの???)」
 男は少しだけフードを上げて見せた。そこにあったのはクラスメートで、しかもこの国のいっちばんエライ人の顔。
 思わずビビは叫ぶ。
「あっ、クラウス!」
 名を呼ばれたクラウスは唇の前で人差し指を立てた。
「しーっ、いちようお忍びなんだ」
 そう言ってクラウスは新しいリンゴ飴を買って、それをビビに手渡した。そして、この場から逃げるように、ルーファスたちと歩き出した。
 出店を楽しそうに見つめながらクラウスは話しはじめた。
「まだ零時まで時間があるだろう。ヒマで仕方なくてね、コッソリ抜け出して来ちゃったよ」
 それを聞いてルーファスは心配そうな顔をした。
「コッソリはマズイんじゃなの?」
「城の者は大騒ぎだろうね(特にエルザは怒り心頭かな)。でも零時まで軟禁状態で、すぐ目と鼻の先でお祭りの音や匂いを嗅がなきゃいけない僕の身にもなっておくれよ」
 この祭りの風習を知っている者なら引っかからない言葉だが、当然ビビは気になった。
「零時までって?」
 クラウスはニッコリ笑った。
「そうかビビちゃんは知らないんだね。明日が建国記念日なのは知ってるかな?」
「うん、今日よりすっごいお祭りやるんでしょ?(わくわくするー)」
「その建国記念祭のはじまりを合図を国王である僕がやらなくてはいけなくて、少しでも合図が遅れては行けないと言って、あそこに見える塔に僕を軟禁するんだよ役人たちがね」
 前夜祭のメイン会場は聖リューイ大聖堂が見下ろすアンダル広場。その聖リューイ大聖堂には、今は使われていない鐘楼があり、そこから国王が零時ちょうどに合図をすることになっている。
 ビビは大きく何度かうなずいた。
「ふ~ん、それで合図ってどうやるの?」
「角笛を吹くんだ。これは建国時から伝わる王家の家宝で、その音色は遠くグラーシュ山脈の山頂まで届く。と言っても実際に音が届くのせいぜい塔の下くらいまでで、山頂まで届くのは魔力の波長なのだけれどね。それによってヴァッファートが街の上空までやって来て、建国記念祭がはじまるんだよ」
「ヴァッファート?」
「この国の守護神である白いドラゴンだよ」
「へぇ~っ(そう言えば、この国の国旗ってドラゴンだったような気がする、ような気がする)」
 アステア王国の国旗は白銀の霊竜ヴァッファートである。
 いつの間にか3人は聖リューイ大聖堂に近くまで来ていた。
 ここでクラウスは別れを告げる。
「僕はそろそろ戻るよ。あまり留守にしていると、騒ぎを多くなってしまうからね。では、またね」
 立ち去ろうとするクラウスの腕をビビがつかんだ。
「ちょっと待って!」
「ん?」
「角笛見せて! だってすっごいお宝なんでしょ、興味あるもん」
「う~ん(どうせヒマだしな)。可愛いビビちゃんの頼みなら仕方がないね」
 ここでルーファスがボソッと。
「クラウスはいつも女の子に甘いなぁ」
 そして、ルーファスがいつも女性軍に振り回される。
 こんなわけで、ルーファスとビビは角笛を見せてもらえることになった。
 一方、別の場所でリファリスはというと、もちろん酒を浴びるように飲んで暴れ回っていた。

《2》

 零時までの待機時間、クラウスは聖リューイ大聖堂の中で過ごすことになる。
 聖堂内を歩き回ることはできるが、もちろん護衛や付き人と行動を共にしなければならないし、はじめて来た場所でもないので見て回る気も起きない。
 長い時間を過ごす待機室は警護が厳重だったが、クラウスは人払いをして部屋にルーファスとビビだけを残した。
「城の者がいると口うるさくてね。会話一つにも目を光らせてきて、リラックスもできないよ」
 クラウスは若い王でありながら、すでに手腕を発揮して国を大きく繁栄させてきた。そうは言っても、若さ故に王として縛られることに窮屈さを感じているようだった。
 なんだかビビはクラウスを感心しているようだった。
「クラウスも大変だよねぇ。お祭りで遊びたいのに、こんなところに閉じ込められちゃって」
「君も大変だろう? 君も皇女で、父君は皇帝なのだから」
「アタシはべつに将来国のトップになるわけじゃないし、パパは好き勝手やってるだけだし(それにアタシは逃げ出してここにいるんだし……)」
 皇女という地位に縛られるのがイヤで逃げ出したビビは、クラウスの姿を見ていると罪悪感に囚われてしまう。
 しゅんとしているビビを見取ってか、クラウスは爽やかに微笑んだ。
「角笛を見せてあげるんだったね。そこの箱の中に入っているから、ちょっと待っていてね」
「うん♪」
 ビビは笑顔で答えた。
 さっそくクラウスは箱の中から角笛を取り出す。
 箱には魔導錠が掛けられており、クラウス――王家の魔力に反応して開くようになっている。
 取り出された角笛を白く磨かれ、ドラゴンのシルエットが描かれていた。魔力を感じることのできる者であれば、それがただの角笛でないことがわかるが、そこら辺の土産屋に売っていそうでもある。実際、簡単な作りなのでレプリカが大量に土産として出回っている。
 クラウスが持ってきた角笛に興味津々のビビ。
「へぇ、意外に質素なんだ」
「ガッカリした?」
「ううん、アタシ楽器とかそーゆーの興味あるから、見せてくれてありがと」
「いえいえ」
 見せ終わってすぐにクラウスは箱に戻そうとしたが、ビビは後ろ髪を引かれていた。
「ええ~っ、もう閉まっちゃうのぉ? もし良かったらちょっと吹いてみてもいい?」
 大事な国の宝だ。そう易々と吹かせてくれるわけが――
「いいよ」
 あっさりクラウスOK。
「ホントにありがと!」
 喜ぶビビの横でルーファスは不安そうだった。
「その角笛が大事な物だってことを国民だったら誰でも知ってるよ。それを異国の、しかもビビに触らせていいの?」
「『しかも』ってどーゆーことー?」
 じとーっとした瞳でビビはルーファスを睨み付けた。
「もしもビビが壊したら国際問題だよ。私が壊したって絶対に打ち首獄門……もしかしたら生きたまま拷問されるかも」
 言いながらルーファスは青い顔をした。
 クラウスは笑って見せる。
「あはは、大丈夫だよ。角笛は固い角で出来ているのだから、そう壊れたりはしないさ」
 そう言ってクラウスはビビに角笛を手渡した。
「ありがとクラウスー! ルーちゃんと違ってやさしいー!」
「私と違っては余計だと思うけど」
「ふん、だってルーちゃんイジワルなこと言うんだもん」
「別にそんなつもりで言ったんじゃないよ」
「べーっだ。ルーちゃんには吹かせてあげないも~ん」
 舌を出したビビはそっぽを向いてから角笛に口を当てた。
 ふーっ!
 ほっぺいっぱいの空気を吹き込んだ。
 ふぅーっ!
 さらに息を吹き込んだが――鳴らない。
 顔を真っ赤にするビビ。
 ふぅーっ、ふぅーっ、ふぅーっ!
 だが鳴らない。
「ゼーハーゼーハー(なんで鳴らないのぉ~!?)」
 酸欠になりそうになって、ビビは肩で息を切った。
 ルーファスがビビから角笛を奪おうとする。
「私にもやらせてよ」
「ルーちゃんには吹かせてあげないって言ったじゃん」
「少しくらいいいでしょ」
「ダーメ、絶対にダ~メ」
「ケチ」
「ケチじゃないもん、ルーちゃん絶対に壊すもん」
「壊さないってば、だから貸してよ!」
 ルーファスは角笛をつかみ、無理矢理ビビから奪い取ろうとした。
 ビビも取られまいと必死に抵抗する。
 そこへクラウスが割って入ろうとしたとき、ビビとルーファスの手がすべった。
 ――ガン。
 床に落ちた角笛。
 凍り付くルーファスとビビ。
 クラウスは冷静に角笛を拾い上げた。
「大丈夫、壊れていないよ。(実は僕も前に落としたことがあるからね)このくらいでは壊れないさ。さあ、ルーファスも吹いてごらん」
 角笛はクラウスの手からルーファスに渡った。ビビは不満そうな顔だ。
 さっそくルーファスはお腹の底まで空気を吸い込み、角笛に口をつけると一気に噴き出した。
 ふぉーっ!
 空気が抜ける音しか聞こえない。
 それを見てクラウスは笑っていた。
「ごめんごめん、実は王家の者しか音を出すことができないのさ」
 だから吹かせてくれたのだ。
 この角笛はヴァッファートを呼ぶための物。もしも音が出てしまったら、用もないのにヴァッファートを呼び出してしまう。
 でもルーファスは意地になって再トライ。
 ふぉーっ!
 顔を真っ赤にしてほおがはち切れんばかりに膨らませる。
 まるでタコだ。
 ふぉーっ!
 王家の者しか吹けないのであれば、音が出るわけがない。
 ぶふーっ!
 限界まで空気を吹き込んだときだった。
 角笛が真っ赤に輝き、3人は目を丸くした。
 ドーン!!
 角笛が大爆発してしまった。
 吹き飛ばされて腰を抜かしたルーファスは言葉も出ない。
 言葉を出ないのはルーファスだけじゃない。
 クラウスは唖然と口を開けたまま。
 ――やっちまった。
 さすがへっぽこ魔導士ルーファス。
 期待を裏切らない。
 そう、期待を裏切らないと言うことをクラウスは考慮するべきだった。
「嗚呼、僕のせいだ。大切な友だからと言って、国宝を見せるのみならず、触らせて、さらには吹かせるなんて……僕の責任だ」
 頭を抱えてしまったクラウスをすかさずビビちゃんがフォロー。
「そんなことないって、壊したのルーちゃんなんだし! クラウスはぜんぜん悪くないって」
 その言葉がグザっとルーファスの胸に刺さった。
 ルーファスはその場にしゃがみ込み、頭を抱え込んでしまった。
「打ち首だ、絶対死刑だよ、市中引き回しで公開死刑だよ。明日の建国記念祭は公開死刑祭りだよ」
 こっちもビビちゃんがフォロー。
「そんな死刑なんて大げさだよ。ねえクラウス?」
 と話を振ったのだが、クラウスはかなり重い表情をしていた。
「あながちそうとも限らない。頭の固い保守派は、絶対に死刑を望んでくるだろう。加えてルーファスの父であるルーベルの失脚を狙っている奴らにもまたとないチャンスだ」
 ガーン!
 さらにクラウスの言葉で追い込まれたルーファス。
「そうだよ父さんにまで迷惑かけるんだ。うわぁ、生まれて来て本当にごめんなさい」
 さよならルーファス!
 キミが最後までへっぽこだったことは忘れない。
 魔導士ルーファス――完。
 なんてことにならないように、クラウスが小さな声でしゃべり出す。
「誰にも気づかれないように直そう。直せなくても、とにかく誤魔化そう」
 王様ならぬ発言。これはルーファスの友人としてのクラウス個人の発言だ。
 ビビもそれに賛成した。
「そうそう、バレなきゃいんだよ、バレなきゃ!」
 だが、ルーファスはしゃがんだまま頭を抱えて動かない。
「直すって言っても時間がないじゃないか」
 残念なことに角笛は木端微塵。接着剤でどうにかなるってレベルじゃない。
 しかし、クラウスは揺るぎない表情で、
「大丈夫だ。もしも直らなくても、レプリカで代用すれば人の目くらいは誤魔化せる。問題はヴァッファートを呼ぶことだけど、今から直接ヴァッファートに会いに行って、角笛が鳴らなくても零時に来てくれるように頼もう」
 それには問題があった。
 ネガティブ思考のルーファスは、悪い点がすぐに気づいてしまう。
「それは無理だよ。ヴァッファートはグラーシュ山脈の奥の奥にいるんだよ、今からじゃ到底会いに行けないよ」
 極寒の地グラーシュ山脈。
 猛吹雪に覆われるその地は、未開拓の地が多く存在しており、確立されているルートですら、死と隣り合わせというような場所だ。
 そんな場所で毎年、クラウス魔導学院の1年生は遠足をしているわけだが……。
 本来学生、ましてや山のプロですら易々と足を踏み入れていい場所ではないのだ。
 それでもあの場所で取れる特殊な鉱石や、あの場所にしか生息しない珍獣を目当てで山に入る者をも多い。そして、多くの命が犠牲になるのだ。
 そんな場所で毎年、クラウス魔導学院の1年生は遠足をしているわけだが……。
 しかし、実はへっぽこ魔導士と言われているルーファスが、グラーシュ山脈登頂という偉業を成し遂げていた。
 ふと、ここでルーファスはあることを思い出した。
「そうだカーシャに頼めばすぐにヴァッファートに会いに行けるかも」
 ほかの者は知らないが、ルーファスはあの場所にカーシャの城があり、山頂やほかの場所に通ずるワープ装置があることを知っていた。
 ただここで問題が1つ発生した。
 ボソッとルーファスが囁く。
「カーシャどこにいるんだろう」
「ルーちゃんカーシャさんの連絡先知らないの?」
「私もカーシャもケータイ持ってないし。そもそもカーシャの家すら知らないし」
「クラウスは?」
「僕はケータイを持っているし、カーシャ先生もケータイを持っているはずだけど?
 思わずルーファスは、
「えっ?」
 ぶっちゃけクラウスよりもルーファスのほうが、断然カーシャと付き合いがあるハズなのに。実はルーファス嫌われてるんじゃ?
 なんだかルーファスショック!
 クラウスはケータイを出しながら話をする。
「教職員の連絡先は必ず届け出てもらうことになってるんだ。だからカーシャ先生の自宅とケータイの番号が僕のケータイにも登録されていて――もしもし、カーシャ先生ですか? クラウス・アステアです」
《なぜ妾のケータイ番号を知っておるのだ!?》
「教職員の連絡先を学院に提出してもらっている筈ですが? あそこはクラウス魔導学院ですから、僕が知っている可能性があるのもご理解いただけるかと思います」
《職権濫用までして妾にかけて来るとは、まさか愛の告白でもする気じゃあるまいな?》
「急ぎの用なのでルーファスと変わります」
 あっさりスルーして、クラウスはルーファスに通話を変わった。
「もしもしカーシャ?」
 ルーファスは口元に手を当てて、クラウスとビビから遠ざかって部屋の隅まで移動した。
「頼み事があるんだけど?」
《ほう、妾に頼み事とは良い度胸だな。もちろんそれなりの報酬はあるのだろうな?》
「いやっ、それは……あとで考えるとして、とにかくグラーシュ山脈に行ってヴァッファートに会わなきゃいけないんだけど」
《それはおもしろい(さてはルーファスめ、また事件を起こしたな、ふふ)》
 心が躍るカーシャさん。
「別におもしろくないんだけど。国宝の〈誓いの角笛〉を壊しちゃって、とにかくヴァッファートに会わなきゃいけないんだ。それでカーシャならヴァッファートのところへ早く行ける方法を知ってるんじゃないかと思って。ワープ装置とかあるよね?」
《ふふふ……(ウケるー。さすがルーファスだな。このままだとギロチン確実だ、ふふ)。妾ならたしかに知っておる》
「お願い力を貸して!」
《だが……クラウスは知らんのか?》
「なにを?」
《ヴァッファートの巣への近道だ。とにかくクラウスに替われ》
 ルーファスは二人の元へ戻り、クラウスにケータイを返した。
「カーシャがクラウスに替われって」
 ケータイを受け取ったクラウスはすぐに、
「もしもし替わりました」
《おまえ本当に知らんのかヴァッファートの巣への近道を?》
「近道なんてあるのですか?」
《そうか……王家の者でも知らんのか。王都アステアには建国時に作られたヴァッファートの巣に繋がるワープ装置があるのだ》
「本当ですかっ!?」
 心底驚いている様子だった。
《元々、王がヴァッファートに会いに行くために作られたものなのだが。きっといつの間にか使われなくなったのだな》
「なぜ現国王である僕よりもどうして詳しいのですか?」
《妾が初代国王にくれてやったからに決まっておるだろう》
「…………(それが万が一本当だとして)カーシャ先生っておいくつですか?」
《レディに歳を聞くでない(自分でも正確な歳は覚えておらんのだが。そもそも1年に1つ歳を取る言う算出方法がおかしいのだ)》
 カーシャが何者であるのか?
 実はルーファスですらわかっていない謎。
 クラウスは通話越しに頭を下げた。
「申し訳ないカーシャ先生。僕としたことが女性に配慮が足りませんでした」
《わかればいいのだ》
「それでワープ装置の場所はどこにあるのですか?」
《ふむ、建国時はまだ城も建っていなかった。小さな集落があったくらいなものだ。そこで目印となる物の近くにワープ装置は作られたのだ。今はその目印はなくなってしまったが、その上に建っておるのがリューイ大聖堂だ》
 なんと近道は目と鼻の先にあったのだ。
 さらにカーシャは話を続けた。
《ワープ装置は静寂の間にある隠し部屋から行くことができる》
「静寂の間は……今いる場所なのですが?」
 ミラクルだ!
 すでに名君と呼び声高いクラウスは、きっと運も備わっているのだろう。英雄[ヒーロー]とはここぞというところで、幸運に恵まれるものなのだ。
 だが、そんな運を不運に変える存在がここにはいた。
 ここでカーシャがなぜかうなった。
《う~ん、隠し部屋の入り口はその部屋のどこにあったのか……覚えとらん》
 絶対ルーファスのせいだ!
 クラウスは今聞いたことをみんなに伝える。
「この部屋から繋がる隠し部屋があって、そこにヴァッファートの元へ行けるワープ装置があるらしい。けれど、隠し部屋の入り口を覚えてないらしいんだ」
 ここで疑問に思ったルーファスが通話を替わる。
「もしもしカーシャ。あのさ、別の方法ないの?」
《どういう意味だ?》
「ほかのワープ装置。あの城経由で行く方法あるよね?」
《アホか。妾の城のことは他言無用だと言っておろう。おまえだけでヴァッファートに会いに行くと言うのなら、自由に使うがよかろう。だがな、ヴァッファートと対面し、角笛の話をするとなるとクラウスは必用だろう》
 とかルーファスとカーシャが話しているうちに、ビビが声をあげた。
「見つけたよ、隠し部屋!」
 たまたまビビが寄りかかった壁が、スイッチになっており、ラッキーにも隠し部屋を見つけたのだ。
 ルーファスが動くとロクなことがないのに……。
「あ、カーシャ。見つかったって隠し部屋」
《つまらん、もう見つかったのか。妾は宴会の途中だから切るぞ》
 と、言って切れるまでのほんの少しの時間、通話の向こうから女の声が聞こえてきた。
《カーシャどこ行った! わっちの酒が飲めないってのかい!!》
 ――ブチっと通話が終了した。
 明らかに聞き覚えのある声だった。
 ルーファスは聞かなかったことにして、隠し部屋に急いだ。

《3》

 暮れる空が照らす遥か先まで続く連峰。
 白銀の大地を彩る朱。
 まるでそれは黄昏の海のように輝いていた。
 白銀のドラゴン――その毛も今は朱く染まっていた。
 霊竜ヴァッファート。
 膨大な知識を強力な魔力を持つグレートドラゴン。
 ヴァッファートはアステア建国前から、この地方で信仰されていたドラゴンだった。
 全身を柔らかな羽毛で覆われたヴァッファートは、その巨大を揺らして体の雪を払うと身を起こした。
 鳥のようなつぶらな瞳で小さき3人を見下ろした。
「わしになに用だ、クラウス・アステア?」
 玲瓏な女性のような声には魔力がこもっている。まるで言葉を発するだけで、呪文を唱えているようだ。
 クラウスは一歩前へ出た。
「久しゅうございます、偉大なる守護者ヴァッファート」
「年に1度も顔を見せず、敬意の欠片もない愚かな王が、わしを偉大と申すのは皮肉か?」
 威圧的な声音であった。
 ビビはルーファスにそっと耳打ちをする。
「なんか怒ってない?」
「うん(ここで角笛壊しましたなんて言ったら殺されそうだなぁ)」
 壊したのはルーファスだが、クラウスまで被害に遭いそうだ。
 すぐにクラウスは訴えかける。
「決して我が国の守護者を蔑[ナイガシ]ろにするような真似は……」
 言葉に詰まるクラウスからは焦りを感じられた。
 国王と言ってもまだ15歳。
 躍進を続ける国の繁栄を担い、勇敢にも魔物の支配地域に自ら乗り込む王であっても、古い時代から生き続ける知識と力を持った者の前では、王と言えど一人間として畏怖しざるを得ない。
 ヴァッファートは首を伸ばしクラウスに近づき、呑み込めるまでの距離まで迫った。
「貴公の噂はいくつも風の便りで聞く。急死した父の意思を継ぎ、幼くして即位した貴公の重責はわからぬでもないが、わしに会いに来る時間すらも作れぬというのは、言い訳にしか聞こえぬな」
「申しわけ御座いません。余が驕[オゴ]っておりました」
 深々と頭を下げるクラウスを見ながら、再びビビはルーファスにそっと耳打ちをする。
「べつにクラウスが驕ってるなんて思ったことないけど。あのドラゴン、会いに来てくれないもんだから、ちょっと拗[ス]ねてクラウスに当たってるだけじゃないの?」
 その言葉が聞こえたのか、ヴァッファートはピクッと身体を振るわせ、ビビを眼中に収めた。
「そこにおるのは、アズラエル帝国の第一皇女シェリル・ベル・バラド・アズラエルだな?」
「えっ、アタシのこと知ってるの?(うっ、目つけられた)」
「出来の悪い不良娘だと風の噂で聞いておる」
「ッ!? アタシのどこが出来の悪い不良なのーっ!!」
 顔を膨らませてビビは怒りを露わにした。
 ヴァッファートはルーファスにも目を向けた。
「そこにおるのは、赤の一族と名高いルーファス・アルハザードだな?」
「私のこともご存じなのですか?」
「へっぽこ魔導士だと風の噂で聞いておる」
「うっ、へっぽこって……」
 そして、ヴァッファートはクラウスを中心に3人を瞳の中に収めた。
「長らく顔を見せなかった貴公がわしに会いに来たということは、よほどのことがあったと見える。それも建国記念日の前夜にというのも、なにか事に絡んでおるのか?」
 クラウスは息を呑んだ。
「正直に申し上げます。〈誓いの角笛〉が跡形もなく壊れてしまいました」
 次の瞬間、大地が震えどこかで雪崩が起きた。それはヴァッファートの咆吼で引き起こされたことだった。
「愚か者め!」
 ヴァッファートの怒号が連峰を木霊した。
 一番震え上がったのはルーファスだ。
「(僕がやったなんて言い出せない……絶対殺されるよぉ)」
 凍り付くルーファスを背に据えてクラウスが深々と頭を下げた。
「余の迂闊[ウカツ]さが招いたこと。すべての責任は余にございます」
 ルーファスとビビが同時に声をあげる。
「「えーッ!?」」
 ルーファスの『ル』の字も出てこなかった。
 なにも言い出せないでいるルーファスの脇腹をビビがど突いた。
「ルーちゃん!(自分がやったって言いなよ!)」
「うっ……(言えないよ、言えるわけないよ)」
「ルーちゃん!!(いくじなし!)」
「あの……その……」
 口ごもるルーファスにそっと顔を向けたクラウス。
「ルーファスは何も言わなくていい」
 3人のようすを見ていたヴァッファートの眼が輝いた。
「なにやらわしに隠し事があるようだ。まさか、〈誓いの角笛〉を壊したのは、ルーファスではあるまいな?」
 グサッ、グサグサグサッ!
 ヴァッファートの言葉がルーファスの胸をグッサリ射貫いた。あまりの恐怖にルーファスはガクガクブルブルだ。
「いや、その……ぼ、僕がやりましたごめんなさい!!」
 ルーファスは恐怖で膝が崩れると同時に、そのまま土下座した。
 鋭い眼でヴァッファートはルーファスではなく、クラウスを睨み付けた。
「わしに嘘をついてまで、王である貴公が身分の違うただの男をなぜ庇[カバ]うた?」
「それは王としてではなくひとりの人間として、ルーファスは大切な友だからで御座います」
 その言葉を聞いたルーファスは鼻水ダラダラで眼に涙を溜めていた。
「クラウスぅ~(ホント良い友達を持ってぼかぁ幸せだなぁ~)」
 急にヴァッファートが微笑んだ。
「ならばわしも友として王を許し、ならびにその友の行いも同時に許そう」
 その言葉にクラウスは少し不思議そうな顔をした。
「友として……で御座いますか?」
「そうだ、わしと王家は代々友として付きおうて来た。いつしかその関係も、そちら側は忘れてしもうたようだがな。〈誓いの角笛〉とは、友との誓いの証であった」
 それが壊されたのだ。
 しかし、ヴァッファートはそれでも友であろうと申し出たのだ。
 クラウスは沈痛な表情を浮かべた。
「恥ずかしながら、〈誓いの角笛〉という名は残っていても、その名の由来は今の王宮には残っておりません。これから友として良好な関係を築いていくためにも、なぜ王家に〈誓いの角笛〉を贈与してくださったのは、そのお話をぜひにお聞かせ願いたく存じます」
「文献という形ですら今の王宮に話が残うておらんのは、暴君ルイ国王の時代にすべての資料が焼き払われたからだろう。よかろう、今ここで再び物語を綴うて進ぜよう」
 ヴァッファートが語りはじめた内容は、アステア建国以前まで遡る。
 ――時は聖歴666年、一説には異世界に準ずる外宇宙からやって来た侵略者、大魔王カオスの時代。
 多くの国が魔王軍によって落とされ、生き延びた人々は難民となり世界を放浪した。
 その中のひとりに名を馳せた吟遊詩人の若い男がいた。それがのちにアステアを建国し、初代国王となったラウル・アステアだった。
 あるときグラーシュ山脈の麓[フモト]まで旅をして来たラウルは、美しいと評判の白銀の霊
竜ヴァッファートの噂を聞きつけ、ぜひに会いたいと願ったそうだ。
 しかし当時、大魔王カオスの呪いを受けていたヴァッファートは、グラーシュ山脈に誰も近付かせないため、すべてに死を与える猛吹雪によって閉ざした。そして、元々住んでいた生物は冷凍冬眠させていた。
 ラウルは美しい歌にヴァッファートに心を開かせ、ついに念願の対面を果たしたのだったが、そこにいたのは美しさの欠片もない醜いドラゴンだった。
 ヴァッファートは呪いによって全身の毛が抜け落ち、まるで毛をむしられたチキンのような姿に成り果てていたのだ。それを隠すためにヴァッファートは山を閉ざしたのだった。
 心優しいラウルはヴァッファートに同情し、呪いを解く方法を探して旅に出た。
 そして、数年の後にようやく秘薬を見つけ出し、ヴァッファートにそれを贈ったのだ。
 秘薬よって美しさを取り戻した毛並みは、前よりも美しく輝き、ヴァッファートは心からラウルに感謝した。
 その時にヴァッファートはラウルを偉大な王にすると約束し、多くの財宝と3つの秘宝、そして1つの誓いの証を授けたのだ。
 3つの秘宝は今もアステアの王家に伝わる三種の神器。
 1つは〈白輝[ビャッキ]のマント〉と呼ばれるヴァッファートの羽毛でつくられたマント。とても軽く、空をも飛べる魔力を秘めている。
 2つ目は〈竪琴の杖〉と呼ばれる名前のとおり杖の先端に竪琴のついた杖。琴を奏でることにより、自然を操ることができる。
 3つ目は〈ウラグライトの指環〉であり、今もクラウスは肌身離さず指に嵌めている。これは大変希少価値の高い結晶でつくられており、魔力を大幅に増大させてくれる。
 そして、ヴァッファートは末代まで国を守護することを誓い、なにか困ったことがあったときに、自分に助けを呼べるように角笛を贈った。これこそが〈誓いの角笛〉である。
 すべてはヴァッファートの感謝の印であった。
 ここまで話し終え、ヴァッファートはこう付け加えた。
「故に、わしは守護者ではあるが、王の上に立つ者ではない。角笛は壊れても、感謝と友情をなくなるものではない。吟遊詩人ラウルと同じ心を持つ者であれば、わしは友として接しよう」
 そんな大事な物を壊したルーファス。胃痛で死にそうだった。
「(国民から袋叩きに遭うよぉ)」
 さらにクラウスは自分を羞じていた。
「(ルーファスを助けようとはいえ、レプリカで代用して誤魔化そうと考えた僕は、ラウル国王に羞じることをしてしまった)お話をお聴かせくださりありがとう御座いました。なんとしても角笛をもう一度作り直して、忘れられていた誓いを新たに立てなくてなりません。ラウル・アステアの心を忘れないためにも」
 建国記念日を知らせる角笛の音をなんとしても響かせねばならない。
 時間は刻々と迫っている。
 ヴァッファートは遠く空の向こうに眼を向けた。
「作り直すというのなら、わしが材料となる角の在り処まで案内しよう。いくつもの山を越えた先だが、わしの背に乗れば今日中には採りに行くことが可能だろうて」
 こうして3人はヴァッファートの背に乗って、グラーシュ山脈を越えた場所へ向かうことになった。

 星空を飛ぶ巨大な影。
 空の上で酔ったルーファスがゲロを吐きそうになるが、白銀の羽毛を汚したら汚名を残し国中の人々から何度も殺されると思い、どうにか呑み込んで事なきを得て目的地に着いた。
 ヴァッファートの話によると、〈誓いの角笛〉は妖獣モレチロンの角で作られているらしい。
 そのモレチロンは湿原に棲んでいるらしく、3人は近くの草原で下ろされることになった。モレチロンは臆病な性格をしているらしく、巨体を有するヴァッファートは湿原近くまでは行くことができないのだ。
 モレチロンは牛の仲間らしい。水辺に棲む水牛の一種で、精霊の力を宿すことによって進化し、魔導生物学的には妖獣に分類されている。
 とりあえず3人は角の生えた牛を探した。
 が、どこにもそれらしく動物はいない。
 湿原には多くの動植物が生息している。
 カエルなどの両生類から、それを食う鳥たち、さらにカバの仲間などもいる。
 角が生えている動物は草陰に隠れているシカの仲間くらいだ。
 すでに日も暮れていることから、辺りは暗く見通しが利かない。
 ビビが水面を指差した。
「見て、あそこにあるの眼じゃない?」
 ルーファスは首を傾げた。
「どこ?(暗くて見えないよ)」
「ほら、そこそこ~。アタシ暗いところでもよく見えるの。だから、ほら、あっちにあるのわからない?」
 よ~く見ると水中から眼と鼻腔を出して周囲のようすをうかがっている謎の動物。
 ビビはルーファスの背中を押した。
「ルーちゃんゴー!」
「ええっ!」
 湿原の水辺に突き飛ばされたルーファス。
 次の瞬間、水しぶきを上げながらカバが水面から飛び出してきたのだ。
 カバと言えば鈍くて穏和のイメージがあるが、実はかなり獰猛でテリトリーに入ったが最期、ワニや人でも容赦なく攻撃してくるのだ。
 しかも、このカバはカナヅチカバという名前で、その名の通りカナヅチのような四角く硬い頭をしている。
 そんな頭でルーファスに向かって猛突進してきた。
「ぎゃーっ!」
 ルーファスは逃げようとしたが、足がもつれて尻餅をついて転んでしまった。
 カナヅチカバが巨大な口を開いた。180度近く開いた口はルーファスなんて軽く丸呑みしそうで、しかも長く先のとがった槍のような歯が生えている。噛まれたら絶対死ねる。
 地を駆けるクラウス!
「ルーファス!!」
 剣を抜いて立ち向かっても一発では仕留められない。それを判断したクラウスはルーファスの体を抱きかかえた。
 巨大な口が激しく閉じられた。
「うほっ!」
 痛いと言うより、ちょっと情けない声があがった。
 もちろんそんな声をあげるのはルーファス。束ねた長髪がカナヅチカバの口に挟まれ、引っ張られた挙句に首がガクンっとなったのだ。
「いたいー!」
 何本か髪が引き千切れて、どうにか逃げることができた。
 が、後ろからカナヅチカバは猛烈に追いかけてくる。しかも意外に足が早い。
 いつの間にか逃亡にビビも加わり、
「なんでアタシまで逃げてるのぉ~!!」
 元はと言えばビビがルーファスをど突いたせいだ。
 3人は必死で逃げ周り、ついにはスタート地点のヴァッファートの元まで戻ってきてしまった。
 カナヅチカバを見たヴァッファートが咆吼をあげる。
 大地が揺れ、草木も震え、動物たちも身を強ばらせた。
 目の前で咆吼を浴びたカナヅチカバは、気絶して倒れてしまったほどだ。
 クラウスはヴァッファートに頭を下げた。
「助けて頂きありがとう御座います」
「礼を言われるほどのことでもない。して、角は手に入ったのか?」
「それがモレチロンらしき姿も気配もまったくなく、どうしていいものかと」
「そうか……実はな、角笛をラウルに贈ったのはわしだが、その材料はラウルに採ってきてもらったのだ。モレチロンは用心深く臆病なため、そこでラウルの歌と演奏によっておびき寄せたのだ」
 歌と聞いたクラウスにビビは顔を向けられた。
「え、アタシ?」
 記憶に新しい親子歌合戦事件。
 あの事件は他国の王妃や皇女が絡んでいることから内々にされたが、もちろんクラウスは詳細に事件の調査結果を把握している。
「ビビちゃんの歌ならきっとおびき寄せることができる!」
「力強く言われても……自信ないんだけどぉ」
 でも、ビビの顔はまんざらでもない。ちょっとモジモジしている。
 さっそく再び湿原に向かった3人。
 獰猛なカナヅチカバに警戒を払いながら、クラウスとルーファスに守られながらビビが大地に立つ。
 大きく息を吸ったビビが歌いはじめた。
 優しい歌声が静かな夜に響く。
 草陰に隠れていた動物たちが少しずつビビの元へ近付いてきた。その中にはカナヅチカバもいて、ルーファスはビビり、クラウスは身構えたが、襲ってくるようすはまったくない。動物たちは穏やかな雰囲気で、ビビの歌に聴き惚れているようだった。
 しかし、モレチロンは姿を現さない。
 湿原は広い。もしかしたら、ここにはいないのかもしれない。
 あきらめてクラウスがビビに声を掛けようとしたとき、ルーファスが『あっ』と声をあげた。
「水の中から角が!」
 まず見えたのは2本の小さな角、さらに下から巨大な2本の角が水面から這い出てきた。
 4本の角を持つ黒い牛が水面から上がってきた。
 こいつが妖獣モレチロンに違いない!
 ビビは眼を丸くしながらも歌い続けた。
 手の届くところまでモレチロンがやって来た。そして、そこで腰を下ろして眼を閉じて、まるで眠ったように動かなくなってしまった。
 クラウスが静かに長剣を抜く。
 鞘から抜かれた切っ先が月光を反射した。
 刹那、鋭い切れ味でモレチロンの短い角が切り落とされた。
「あっ!」
 ビビは驚いて歌うのをやめてしまった。
 すぐにクラウスは落ちた角を拾い上げてビビに顔を向けた。
「どうしたの?」
「だって角を切ったらかわいそうだと思って」
「ビビちゃんヴァッファートの話を聞いてなかった? 短いほうの角は1年に1度生え替わるそうだよ。それに角には神経が走ってないから痛みは感じないはずさ」
「よかった、そうなんだ」
 と、安堵したのもつかの間、ルーファスが青い顔をしている。
「か、かば……」
 巨大な口を開けるカナヅチカバ。
 クラウスが叫ぶ。
「撤退!」
 3人は一目散にヴァッファートの元まで逃げた。

《4》

 どうにかモレチロンの角を手に入れ、再びグラーシュ山脈まで戻ってきた。
 が、ここで問題発生。
「知らん」
 と言ったのはヴァッファート。
 なにがというと――クラウスが改めて尋ねる。
「ヴァッファート様が加工したのではないのですか? 以前はどうやって加工したのですか?」
「腕の良い魔楽器作りの名人に頼んだのだ。風の噂ではとうの昔に死んだと聞いたが……?」
「ほかに加工の出来る者はいないのですか?」
「さてな、あと数時間で加工できるほどの腕を持つ者がこの国にいるとは思えんが」
 なにそれ、今になってそれ!?
 日数を掛けて加工していいなら、この国にも多くの職人がいる。だが、日が開けるまで2時間を切っていた。この制限時間は刻々と迫っているのだ。
 ビビがじとーっとした瞳でヴァッファートを見た。
「もしかして間に合わないの気づいてた?」
「角笛を手に入れようという心意気が友の証なのだ。祭りの知らせはレプリカでよかろう。零時に妾が飛んでいけばいいこと。実際に毎年、角笛の音を行く前に近くまで行っておるしな」
 うわっ、テキトー!
 結局それ?
 それで誤魔化すつもり?
 はじめにレプリカで誤魔化そうとしたクラウスは自分を羞じたというのに、結局同じ方法で誤魔化しかいっ!
 ここでクラウスが食い下がった。
「本当に間に合わないのでしょうか? まだ少しでも時間がある以上は、最後まで諦[アキラ]めたくはないのです」
 真摯な眼差しをするクラウスを見てヴァッファートはなぜか笑った。
「似ておるなあの者の瞳に……。実は一人だけ可能かもしれぬ者がこの国におる」
 まさかクラウスを試したのか?
 てゆか、時間がないんだからそれを先に言えよ。
 クラウスはヴァッファートに詰め寄った。
「それはどなたでしょうか!?」
「偉大なる母の娘。その名は――」

 急いでルーファスたちは王都アステアまで戻ってきた。
 目的の人物はこの街にいる。
 クラウスがケータイを片手に首を横に振る。
「駄目だ、マナ源が切られている」
 通話が繋がらないようだ。
 ルーファスはここを立つ前のことを思い出していた。
「あの……もしかしたら私の姉といっしょにお酒を飲んでるかも」
 それってまさか、あの人?
 あのときに聞いたヴァッファートの言葉がリフレインする。
 ――偉大なる母の娘。その名はカーシャ。
 唯一の心当たりとはカーシャのことだったのだ。
 ビビがルーファスに尋ねる。
「お姉ちゃんのケータイ番号知らないの?」
「リファリス姉さんもそういうの持ち歩かない人なんだ(てゆか、ウチの家族だれも持ってないんだよね。リファリス姉さんは縛られるのがイヤな人だし、ローザ姉さんと母さんは機械音痴だし、父さんは連絡は秘書を通してで不便してないみたいだし)」
 ちなみにルーファスがケータイを持っていないのは、よくなくすから。
 とにかくカーシャを探し出さなくてはいけない。
「酒の飲める場所を当たろう!」
 クラウスは言うが、すぐにマイナス点を見つけてしまうルーファス。
「酒場だけでも大変なのに、今日はお祭りでどこでもお酒が飲めるよ。家で飲んでるって可能も捨てきれないし」
 もしかしたらもう飲んでない可能性もある。
 ヴァッファートはレプリカで誤魔化しても良いと言ったが、やはりクラウスは最後まであきらめたくなかった。
「仕方がない人手を割こう。僕の私用ということにするので、あまり人数を使うことはできないけれど、僕らで探すよりは断然良いだろう」
 3人はすぐに街に繰り出した。
 前夜祭の盛り上がりは夜が更けるほどに高まり、人混みで溢れかえっている。この中にカーシャがいたら、探し出すなんて奇跡に近いかも知れない。
 二人と別れたルーファスは辺りの屋台を見回した。
 ソースの匂いや、肉の焼ける匂いなど、食欲をそそる強い香りが漂ってくる。
 ぐぅ~っとルーファスの腹の虫が鳴いた。そう言えばまだ夕食を食べていない。
「おなかすいたなぁ」
 腹が減っては軍[イクサ]はできぬ。とはどっかのだれかが残した言葉だ。
 とりあえずルーファスはお腹を満たすことにした。
 タコ焼きは先日のエロダコ事件があったのスルーして、ルーファスはバーガー屋の列に並んだ。
 アンダル広場や中央広場に設置された屋台は仮設店舗が多く、なかなか本格的な料理メニューを取り揃えている。
 ぼーっと列に並びながらメニューを決め終わると、ルーファスはビアガーデンに目を向けた。
 酒飲みたちは建国記念祭よりも、前夜祭の方が盛り上がる。理由は簡単で、建国記念祭の翌日は平日だからだ。明日も祭りのこの日は、夜遅くまで思う存分、酒を飲んで盛り上がることができる。
「ああっ!!」
 突然ルーファスが叫んだ。
 大の大人が宙に飛ばされたのを見たのだ。しかも、ルーファスの目と鼻の先まで落ち来た。こんな出来事つい昨日もあったような気がする。
「オラオラ! クソ野郎どもかかって来な、いくらでも相手になってやるよ!」
 あ~あ、間違いない。
 リファリスはビールジョッキ片手に、数人に男どもと殴り合いのケンカをしていた。殴り合いと言っても、リファリスは一発も食らっていないようで、男どもが一方的に殴られているようだが。
 さらにルーファスは目を丸くした。
 リファリスとタッグを組んでいる相方がいたのだ。
「カーシャ!!」
 ついに発見!
 ついにっていうか、あっさり発見。
「妾の胸を触ったのはどいつだ! 触りたいなら正々堂々正面から……ヒック……来い」
 カーシャは完全に足下が覚束ない。普段は青い血管が見えるほど白い肌も、すっかり紅くなってしまっている。しかも、片乳が今にも服から溢れそうになっている。
 唾を飲み込んだルーファスはその場で動けなくなった。
「(リファリス姉さんは普段からあんな感じだけど、カーシャは完全に酔ってるよ。あの人酔うとホント手がつけられないんだよね)」
 普段から学院の廊下で高等魔法をぶっ放す不良教師が、もしも酔って手が付けられなくなってしまったら、どんなことが起きるのか想像しただけでも恐ろしい。
 ふらつきながらカーシャが呪文の詠唱をはじめた。
「ライララライラ……ヒック……うっぷ……げっぷ……びゅーんっと……びょーんっと」
 高等魔法ライラを唱えようとしているが、詩がまったく詠めていない。こんな滅茶苦茶な詠唱では、魔法なんて出るわけがないのだが――。
 カーシャの手が輝きはじめ、大量のマナフレアが辺りを照らす。
 そして、ついにカーシャが魔法を放った。
「どーん!」
 なんじゃその呪文!
 あきらかにギャグとしか思えない呪文だったが、まさかの発動。
 カーシャの手から輝きが放たれた。
 それはまるで煌めく星の川のように、キラキラ~っと宙に放出された。
 周りに集まって人々から歓声があがった。普通にキレイだったのだ。
 見事な宴会芸を披露したカーシャ。
 一息カーシャがついているとき、ルーファスはここがチャンスと急いで駆け寄った。
「カーシャ!」
「……ん、へっぽこか?」
「探してたんだよカーシャのこと」
「おまえも妾のおっぱいが触りたいのか?」
「そんなこと一言もお願いしてないし」
 こんな感じでカーシャのペースに飲まれている時間はない。
 だが、ルーファスの前に立ちはだかる新たな刺客!
「かわいい弟よー! おまえも飲め飲め~っ♪」
 上機嫌のリファリスが並々に注がれた大ジョッキを両手に持って駆け寄ってきた。
 冷えたビールジョッキがルーファスの頬にグイグイ押しつけられる。しかも両サイドから。
 まるでタコみたいな口をしたルーファスが、
「リファリス姉さん、やめてよぉ~(なんだよ、なにがしたいんだよこの人)」
 べつになにがしたいってわけじゃなくて、とくに理由はないと思われる。
「わっちの酒が飲めないってのかい? オラオラ、た~んのお飲み!」
 いつにリファリスは強硬手段に出た。
 必殺ビールかけ!
 どぼどぼ~っとビールがルーファスの頭からかけられた。本当にありえない。
 ルーファスの長い髪は見事なまでの吸水力。ビール臭いったらありゃしないし、目は開けられないくらい染みる。
「痛いっいったーっ、目が目が開かない!」
 手探りでルーファスは辺りのようすを探った。
 ふにゅ。
 ルーファスの手がなにか柔らかいものに触れた。
 いったいこれはなんだろう?
 確かめるために、ふにゅふにゅっともう一度触ってみた。
 流動性があって柔らかく、そうかと思えばほどよい弾力性もあって、人肌のようにほんのり温かい。
「ルーファス!」
 ルーファスのすぐ近くでカーシャの怒号がした。
 ようやく視界が開けたルーファスの目の前にしたのはカーシャ。そしてもちろん触っていたのはスイカップ。
「あががっ、ごめんなさーい!」
 ルーファスは謝ったが、もう遅いだろう。
「妾の胸を揉みしだくとは何事だーッ!」
 あんたさっき触りたいなら正々堂々と来いって言ってたじゃないか。
 目と胸の先の距離でカーシャが魔法を放つ。
「びゅーん!」
 なんじゃその呪文!
 あきらかにギャグとしか思えない呪文だったが、まさかの再び発動。
 カーシャの手から放たれたのは、ビールの噴射だった。
 そこら中にあるビールを手元に集め、一気に放出したのだ。
 まるで消防車の放水のようにところ構わずビールがまき散らされる。
 最初の一撃をモロ喰らったルーファスは水圧で男たちが飲むテーブルに突っ込んでしまった。
 テーブルを滅茶苦茶にされた男どもとルーファスの目が合う。
「(殺される)」
 ルーファスは確信した。
 ボコッ、ドゴッ、ぐへっ!
 カエルが潰れたような呻き声があがった。
 頭を抱えてしゃがみ込んでいたルーファスが恐る恐る顔をあげると、そこにはコテンパンにのめされた男どもの姿が。
「だいじょぶかい?」
 ルーファスに声をかけて手を差し伸べたのはリファリスだった。どうやらリファリスに助けられたらしい。
 が、リファリスの手をつかんで立ち上がろうとしたルーファスが、なんとそのままリファリスに腕を引かれて投げ飛ばされたのだ。
「行って来ーい、ルーファス!」
「ぬーっ!!(なんでこーなるのーっ!)」
 叫びながらルーファスは次のテーブルに突っ込んだ。
 そして、男どもがルーファスを睨む。こうしてさっきと同じパターンが繰り広げられることになった。
 一方カーシャはビール放水を続けていた。
「ふふふふふふふ、ふふふふふふ、飲め飲めーっ、酒は飲んでも呑まれるな!」
 あんた一番呑まれてますが?
 いつの間にかあたりはビールかけ&乱闘合戦になっていた。
 騒ぎは大きくなる一方で、どっかのだれかがロケット花火を飛ばしたり、爆竹まで鳴らしはじめた。
 完全に収集がつかない状況だ。
 ルーファスは高く積み上げられた人の山から、命からがら這って出てきた。
「死ぬ……圧迫死するとこだった……」
 顔からは血の気が引いてしまっている。
 アンダル広場全体にサイレンの音が鳴り響いた。
 聖リューイ大聖堂を警備していた治安官たちが広場に押し寄せ、さらに広場の周りからも続々と治安官たちが集まってきた。
 騒いでいた人の中には果敢にも治安官にケンカを売る者もいたが、ほとんどは捕まる前に一目散に逃げ出した。
 まだ石床でへばっているルーファスの腕を何者かがグイッと引っ張り上げた。
「逃げるぞルーファス!」
 カーシャだった。
 我に返ったのかと思いきや、挙動が酔っている。
 ルーファスの腕をつかんでいるカーシャは、そのまま上空に飛び上がろうとした。
「レビテーション!」
 二人の空が浮き上がる。
 魔導具などの補助を使わずに空を飛ぶ魔法は、熟練者かセンスのある者しか使いこなせない。魔法そのものの発動は容易なのだが、自分を取り巻くマナを安定させるのが至難の業で、さらには身体的なバランス感覚も優れていなければならない。人を乗せて飛ぼうなんて無謀で、酔って飛ぶなんて死を覚悟しているとしか思えない行為だったりする。
「うぎゃーっ!」
 ルーファスの叫び声が夜空に木霊した。
 ジェットコースターなんて目じゃない蛇行運転。
 夕食を口にしたら絶対にリターンしていた。
「カーシャ下ろして!」
「ふふふふ、風が気持ちいいな。体がベタつく……シャワー浴びたい」
 いきなりの急降下。
 眼下に迫るシーマス運河。
 ジャバーン!!
 クジラの潮吹きみたいな水しぶきをあげて二人は河に沈んだ。
 酔って水に入るなんて自殺行為だ。
 さらに服が水を吸い込んで泳げるハズがない。
「ぶほっ……もげ!」
 水面でアップアップしながらルーファスは死相を浮かべた。たぶん下半身はすでにあの世に浸かってしまっている。
 体力がもたない。
 ついにルーファスは力尽き、手を最後に残して河に沈んだ。
「ルーファス!」
 何者かの声が響いた。
 ルーファスの手をつかんだ熱い手。
 小型船舶の上にルーファスの体が引き上げられた。
「大丈夫かルーファス!」
「ううっ……クラ……ウス?」
 目を開けたルーファスを覗き込んでいたのはクラウスだった。
「よかった、生きていたか」
 安堵のため息をクラウスは漏らした。
 体を起こしたルーファスはあたりを見回した。
「カーシャは!?」
「それが……二人が共に河に落ちるところまでは見たのだが……」
 重い表情を浮かべるクラウス。
 だが、闇の中から女の声がした。
「妾ならここにいるぞ」
 いつの間にか甲板に立っていたカーシャだった。全身ずぶ濡れだが、肌の赤みを消えて
表情もいつもどおりだ。どうやら酔いが抜けたらしい。
 ルーファスとクラウスはほっと胸をなで下ろした。
 しかし、ほっとしているヒマなんてなかった。
 クラウスが懐からモレチロンの角を取り出して見せた。
「カーシャ先生にお願いがあります。この角を角笛に加工してもらいたいのですが?」
「うむ、妾に頼んでくると思っていたのですでに準備は整えてある」
 あんた飲んだくれただけじゃないんだな!
 ちょっとは見直したぞカーシャさん!
 が、次の言葉は、
「いくら出す?」
 金の話かい!
 カーシャが慈善でやってくれるわけがない。
 クラウスは考え込んでしまった。
「……(このような物は相場があってないような物)いかほど払えば?」
「そうだな、さっきの騒ぎで出た被害額でどうだ?」
「……やはり貴女が起こした騒ぎだったのですね」
「出すのか出さないのか?」
「(仕方がない)出しましょう。今すぐお支払いはできませんが、直接こちらが被害額を立て替えると言うことでどうですか?」
「うむ、よかろう。ではこれが完成した角笛だ」
 おもむろにカーシャは胸の谷間から角笛を取り出した。
 それを見た二人は目を丸くした。
「「え?」」
 なにが起きたのか理解できない。
 採ってきた角はたしかにクラウスが持っている。
 なのにカーシャは完成品を持っているのだ。
「こんなこともあろうかと、出来た物をすでに用意しておいたのだ」
 3分クッキングかっ!
 てゆか、ヴァッファートの元へ行き、さらに苦労して角を採ったのが、すべて取り越し苦労に終わった瞬間だった。
 唖然とするクラウスからカーシャが角を奪い取った。
「これは妾が預かって置こう。そして、これを受け取るのだ」
 そして、角笛を渡した。
 ここでカーシャがボソッと。
「あと5分もないぞ」
 それは日が開けるまでの時間だった。
 焦るクラウス。
 そこへエルザが駆けつけた。
 エルザの顔は見るからに怒っていた。
「クラウス様、どこをほっつき歩いていたのですか!! しかも大事な〈誓いの角笛〉まで持ち出して!」
 壊れたことはバレていないらしい。
「その……すまんエルザ」
「神器をお持ちしました、すぐに装備して鐘楼までお急ぎください!」
 初代国王ラウルがヴァッファートから贈られた三種の神器。
 1つはすでに装着している〈ウラグライトの指環〉。
 エルザがクラウスに手渡したのは〈竪琴の杖〉。
 そして、空を飛べる〈白輝のマント〉。
「これがあれば間に合う!」
 歓喜にクラウスは打ち震えた。
 〈誓いの角笛〉と三種の神器を装備したクラウスが空に舞い上がった。
「行ってくる!」
 瞬く間にクラウスの姿が消えた。
 残された3人は空を見守る。
 3分を切った。
 もうクラウスは鐘楼に辿り着いただろうか?
 1分を切った。
 本当に間に合ってくれただろうか?
 ルーファスは懐中時計の秒針を見つめ、零時ちょうどに空を見上げた。
 もし角笛が鳴らされても、ここまでは聞こえてこない。
 まだわからない。
 鐘の音が聖リューイ大聖堂の方角から鳴り響いて来た。
 やがて鐘の音は街のあちこちから響きはじめ、夜空には壮大な花火が華を開かせた。
 そして、咆吼と共に空を舞う国の守護者ヴァッファート。
「やったー!」
 ルーファスは叫びながら両手を高く挙げた。
 無事に建国記念祭が幕を開けたのだ。

 一方のそのころビビは――。
「わっちの酒が飲めないってのか~い!」
「ちょっと、もうキスとかしないでぇ~!!」
 涙目を浮かべながらリファリスに絡まれ襲われていたのだった。

 おしまい


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