第11話_古き魔晶の闇

《1》

 在校生や学院で働く者を合わせると、2200人以上にもなるクラウス魔導学院。
 昼休みともなると喧噪はまるで人混み溢れる市場のようだ。
 さらに昼の授業がはじまる間近となると、その喧噪は地響きのようになる。
 ぎゅるるるるるぅ~~~!
 ここにも不吉な地響きが……。
 青ざめた顔をしてその場にうずくまってしまったルーファス。
「おなかい~た~い~よ~」
「だいじょぶルーちゃん?」
 心配そうな顔をしてビビがいっしょにしゃがみ込み、ルーファスの顔を覗き込んだ。
 もうすぐ授業がはじまるというのに、ルーファスのおなかはそれどころではなかった。
 午後はじめの授業は召喚室での実習で、授業担当はファウストだった。
 ルーファスは召喚の授業はただでさえ温情により、赤点ギリギリのところなのに、ここでファウストの印象を悪くするのはマズイ。
 トイレに行って遅刻するのもマズイし、授業中におなかが痛くてロクに授業が受けられないのもマズイ。
 もぎゅるるるるぅ~~~!
 ルーファスのおなかが限界だった。選択の余地などない。
「ちょっとトイレ行ってくる。先生来ちゃったらどうにか言い訳しておいて……ううっ」
 ルーファスはお腹を押さえたまま、前のめりになってゆっくりゆっくりと召喚室を出ていった。
「ルーちゃんだいじょぶかな?」
 ルーファスが苦しそうに去った方向を眺めながらビビがつぶやいた。
「彼の胃腸の弱さはいつのもことさ。心配していたらこっちの身がもたいないよ」
 とビビの横に来て言ったのはクラウスだった。
「でも今回はルーちゃんの胃腸のせいじゃないんだよ、だれだってあんなの食べたら……」
 なにかを思い出したビビはゾッと顔を青くした。
 クラウスが尋ねる。
「なにかあったのかい?」
「聞いてよ、今日ねアタシとルーちゃんとローゼンでお昼食べてたんだけど」
「うんうん」
「ルーちゃんがローゼンの七味唐辛子たっぷりのうどんを間違って口にしちゃって……。あれはうどんってゆーか、七味唐辛子のところしか口に入れてなかったんだけど」
「まったくルーファスのその手の話は事欠かないね(僕といるときもいつもそうだからな)」
 溜息を吐いたクラウスはふと辺りを見回して、不思議そうな顔をしてビビに尋ねる。
「ところでローゼンクロイツは?」
「あれ、途中までいっしょだったんだけど?」
「まあ彼が突然いなくなるにもいつものことさ。とくに移動教室のときは周りが気をつけてあげないと」
 ……迷子になるのだ。
 キンコーンカーンコーン♪
 授業開始のチャイムがなった。
 ルーファスは戻って来られなかった。
 しかしファウストも来ない。
 先生が来ないことに生徒たちは雑談を続ける。
 3分が過ぎ、5分が過ぎ、10分になろうとするころ、さすがに心配になってきたビビ。
「どうしたんだろう?」
 クラウスも同じように心配した。
「たしかに遅いね」
 そして、二人は声を合わせて――。
「ルーちゃんだいじょぶかなぁ?」&「ファウスト先生が遅れるなんて……」
 違う心配をしていた。
 まん丸な瞳でビビはクラウスを見つめた。
「えぇ~っ、ルーちゃんの心配じゃないのぉ?」
「ルーファスはいつものことさ。それよりもファウスト先生が授業に来ないときは、だいたいなにか問題が起こるときさ」
「どーゆーこと?」
「ちょうど先週もあったろ? ほら、ファウスト先生が授業を放り出して古代遺跡に行ってしまってみんなを巻き込んだことが」
「あーあれね。古代兵器とか言って大変だったんだけど、ただの花火だったんだよね」
「そう、ファウスト先生は魔導具などのことになると周りが見えなくなるんだ」
「そんな先生クビにしちゃえばいいのに」
「魔導士としては優秀だからね。それに我が学院には総勢73人の講師がいて、彼らはみな一癖も二癖もある者ばかり、ファウスト先生が特別というわけでもないし、生徒も多いから講師がひとりいなくなるだけでも大変なのさ」
「ふ~ん」
 そんな話をしつつ、また少し時間が過ぎた。
 ビビは不安そうな顔をしている。
「まさかルーちゃん行き倒れになってるかとか!?」
「過去に何度かあったね、そんなこと」
 さらっとクラウスは言った。
「ええ~っ、だったら今すぐ探しに行かなきゃ!!」
「そこまで心配しなくても――あっ」
 クラウスの話も聞かずにビビは走って召喚室を出て行ってしまった。
 だいたいそれと入れ替わるように、召喚室に紅い衣装を着た女性が入ってきた。
 講師だろうか?
 それとも生徒だろうか?
 講師の数が多いため、ほとんどの生徒は講師たちの顔を把握していない。異種族や留学生、高年齢で入学してくる者も多い。そのため見た目で判断するのは難しい。
 紅い女性は生徒たちを見回した。
「みなさんお静かに、お静かに」
 雑談をしていた生徒たちが少し静かになったが、まだざわめきは収まらない。構わず紅い女性は話をはじめる。
「ファウスト先生は急に体調を崩されまして、わたくしが代わりにこの授業を受け持つことになりました」
 どうやら講師らしい。
 ただクラウスは少し不思議な顔をしている。
「(あんな講師いただろうか。それと本当に体調を崩したとも限らないだろうな。ファウスト先生が問題を起こしたのを隠している可能性もある)」
 クラウスは考えたあと、手を挙げた。
「先生、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「マダム・ラ・モットとでも呼んでください」
「失礼ですがラ・モット先生、僕はこの学院の講師はすべて把握しているつもりだったのですが、先生の顔も名前も存じ上げませんが?」
 多くの生徒は講師たちを把握していなくても、こういう例外もいる。
 ラ・モットはにこやかに微笑んだ。
「本日から赴任してまいりましたから」
「なら僕のところにも書類が来るはずなんだけど……」
「あなたのところへ書類が来る?」
「僕も学院の運営関係者のひとりですので、就職者の書類は僕のところにも持ってくるように言ってあるんですが」
「……そうですか。なにか事務に不備があったのかもしれませんわね。ただそれはわたくしの仕事ではないのでなんともわかりかねますわ、クラウス王」
 最後に言葉にクラウスは反応して、爽やかな笑みを浮かべた。
「赴任してきたばかりで聞いていなかったのかもしれませんが、学院内では王と呼ばないように学院職員には伝えてあります。ラ・モット先生も僕のことを一生徒として扱ってください」
「それは失礼しました。ではさっそくですがクラウスくん、今日の授業のお手本になってもらいましょう」
「はい、わかりました」
「みなさん授業をはじめます、こちらに注目してください」
 早々に授業をはじめるラ・モット。
 召喚室に保管されていた召喚用ペンキの中から、最高級の物を選んでラ・モットは床に魔法陣を描きはじめた。
「みなさんも知っての通り、召喚術というのは極めて難しい術です。その難しさを緩和するために多くの下準備が必用となるわけです。場所、日時、道具、召喚するものと自分との相性、ほかにもいろいろと要素があります。この学院では3年生から召喚術の実践基礎を学び、今年からみなさんは中級の実践となります。そして5年生で上級、6年生で応用となります。すべての課程を終えたとしても、外に出て召喚が容易に使えるとは限りません。なぜならここで行う召喚はじつに恵まれた環境だからです」
 ここでまずは魔法陣を書き終えた。大きさは30人ほどが中に入れるほど。
 さらにラ・モットはもう1つ魔法陣を描きはじめた。
「本日は2つの召喚を同時に行います。なにかが起きるかはそのときのお楽しみです」
 2つ目の魔法陣はすぐに書き終えた。大きさは1人がちょうど入れるほど。
 ラ・モットはクラウスに顔を向けて口を開く。
「ではクラウスくん、こちらの小さな魔法陣の中に入ってください。危険ですからなにが起きてもじっとしているように」
「はいわかりました」
 言われたとおりクラウスは魔法陣の中に入った。
 通常、召喚は呼び出すのであって、魔法陣に入ることは召喚とは違う術を使うときに多い。
 ラ・モットは腕時計を見た。
「あと1分。召喚は相手の都合も考えなくはなりませんから」
 大きな魔法陣が独りでに輝きはじめた。
 ラ・モットは微笑む。
「近代における召喚はもっぱら移動手段として使われることが多くなりました。それでも高度で不安定なために一般に普及するほど実用的ではありませんが……5、4、3、2、1」
 大きな魔法陣が光の柱を放つと同時に、ラ・モットはクラウスの入った魔法陣に魔力を注ぎ込む。
「出でよ我が忠実なる仲魔となるモノよ!」
 ラ・モットがそう叫んだときには、すでに多くの者たちがこの場に呼ばれていた。
 大きな魔法陣の上に立つざっと30人ほどの魔導士。ロッドなどを構え、戦闘態勢を整えていた。その標的は生徒たち。
 クラウスは思わず魔法陣から出ようとした。
 しかし、ラ・モットの大声がそれを制止させる。
「動くなクラウス!」
「ッ!?」
 瞬時にクラウスは動きを止めた。
 ラ・モットの視線はクラウスの背中を見ていた。
「そう、そのまま動かないで。ほかの生徒さんたちも決して動かないように。クラウス、あなたの背中を見てご覧なさい」
「なに!?」
 クラウスは肩越しに自分の背中を覗き込んだ。
「!?」
 眼を剥いたクラウス。
 植物か、それとも動物か、形は蜘蛛に似ている。なぞの物体がクラウスの背中に張り付き、不気味な鼓動が伝わってくる。
「僕になにをつけた!」
 明らかに良いものとは思えない。
 ラ・モットは嬉しそうに微笑んだ。
「簡単に言ってしまえば爆弾よ。わたくしに逆らえば爆発、無理に外そうとしても爆発、あなたはわたくしの言いなりになるほかない。たとえあなたが自分の命など惜しくないと言ったとしても、そちらにいる生徒さんも人質であることはお忘れなく。そして生徒さんたちも、クラウスが人質であること、そしてご自分たちも勝手な真似をすれば殺されるということをお忘れなく」
 完全に制圧されたのだ。
 クラウスが叫ぶ。
「なにが目的だ!」
「第一の目的はあなた自身よ」
「僕を使ってなにをする気だ?」
「それはまだお楽しみよ」
「……っ(僕としたことが気を抜いていた。学院内でこんな事態が起こるとは、しかも召喚実習室がこんな形で使われるなんて)」
 学院の関係者は多く、侵入してさえしまえば疑われることはまず少ない。その侵入前のリスクを考えると、大人数で侵入することは難しい。そこで使われたのがこの召喚実習室だった。大人数を外部から移送させるのに、こんなうってつけの場所はない。
 ただし、外部から直接ここに〈ゲート〉を開くことはできない。魔導学院側もその処置は当然している。ただし、内部からも〈ゲート〉をつくってやれば話は別だ。
「遅いわ」
 と、つぶやいたラ・モット。まだなにか起ころうとしているのか?
 ラ・モットは仲間の魔導士に顔を向けた。
「なにか連絡は?」
「まだありません、ルビーローズ様」
 ラ・モットではなくルビーローズと呼ばれた。ラ・モットは偽名か、だとしてもルビーローズも本名とは限らない。
 人質にされたクラスメート、爆弾を取り付けられたクラウス、敵の目的はクラウスを使ってなにかをすること。そして、さらに何かが起こることをルビーローズは待っている。
 クラウスは情報収集に努めようとした。
「政治的目的か? それとも身代金目当てか? たかが身代金なら僕でなくてもいいだろう。いったいなにが目的なんだ?」
 ルビーローズは妖しく微笑んだ。
「ここでわたくしがそれを言うことは、あなたも困ることになるわよ?」
「どういうことだ?」
「とある機密に関わること。次の作戦段階が成功したときに、おのずと見えてくるかもしれませんわね」
 そして数秒、それは起きた。
 学院全体に鳴り響く緊急警報。さらにオペレーションシステムによる自動音声が流れた。
《緊急防御コードが発令されました。学院全体を結界で覆い、ただちにすべての扉をロックします。危ないですので扉などに近付かないようにお願いします》
 この召喚実習室だけではない。学院全体が完全封鎖されたのだ。
 クラウスはつばを呑んだ。
「なぜ……このコードの存在を……莫迦な、外部に漏れるはずが……」
 王都全体を守る結界ではなく、たかが学校施設になぜこのようなシステムがあるのか?
 国王であるクラウスがそれを知らないはずがない。この学院はクラウスの名が冠された学院だ。
 ルビーローズはクラウスに問いかける。
「比較的平和なこの時代、そしてこの地域、しかしいつ戦争が起こるとも限らない。世界三大魔導国家と呼ばれるこの国は、表向きは産業で栄えているけれど、軍事面においても抜かりはなく、いざというときの本拠地はこの場所、そうでしょうクラウス?」
「それは違うな。学院は国外の者がほとんだ、それを守らなくてはいけない。ここは戦うための施設ではなく、守るための施設だ」
「物は言いようね。攻撃は最大の防御とは良く言うわ。この学院設立の真の目的は戦える魔導士をひとりでも多く育て、国でそれを雇い入れること」
「妄想もいいところだ。設立目的は魔導による豊かな暮らしの実現。それに貢献することに尽きる」
「本当かしら?」
 ルビーローズはなにを知っている?
 そして、クラウスはなにかを隠しているのか?
「さあ行きましょうクラウス」
 ルビーローズは出口へ手を向けた。
「僕をどこに連れて行くつもりだ?」
「すぐにわかるわ。今この状況でロックを解除しながら部屋を行き来できるのはあなただけ。生徒さんが人質になっていることは、何でも言っているからわかっているでしょう?」
 クラウスは従うしかなかった。
 防御システムが発動して、すべてのドアにロックが掛かったという状態。それは外部からの侵入も拒むことになるが、教室などにいた生徒や教職員なども、部屋に閉じ込められることを意味していた。授業中の今、ほとんどの学院関係者がルビーローズたちの邪魔立てをできなくなったのだ。
 この部屋だけでなく、学院全体をほぼ制圧したに等しい事態だった。

《2》

《緊急防御コードが発令されました。学院全体を結界で覆い、ただちにすべての扉をロックします。危ないですので扉などに近付かないようにお願いします》
「えぇ~~~っ!?」
 ルーファスがトイレの個室で叫んだ。
 たった今用を足して、トイレの水を流そうとしていたその最中だった。
 水を流すことを後回しにして、さらに下着を穿くのも忘れ、とにかくドアを開けようとした。
 ガン!
 ドアにタックルしたが開かない。
「と、閉じ込められたぁ!」
 水も流さず、下半身丸だしでパニック状態のルーファス。
「トイレに閉じ込められるなんてヤダよぉ!」
 ゴンゴンゴンゴン!
 何度もドアを叩くが開かない。
「臭いし怖いしだれか助けてぇ~~~!」
 クサいのアンタのせいだ。
 とりあえず水を流して落ち着けルーファス。
「……トイレでなぞの変死体発見……なんて絶対ヤダよぉ~!」
 ゴンゴンゴンゴン!
 叩いても叩いてもドアは開かない。カギの閉まったドアは叩いても開かない。
 ここでルーファスはあることに気づいた。
 そう、カギの閉まったドアはカギを開けなくては開かない。
 ガチャ♪
 ドアのカギを開けたらあっさりドアは開いた。
 ルーファスの早とちりにだった。
 ロックされたすべての扉の中には、すべてと言ってもトイレの個室のドアまでは含まれていなかったのだ。
「はぁ、良かった」
 こうしてルーファスはどうにか個室からの脱出を成し遂げたのだった。
 しかし、ある重大なことをルーファスは忘れている。
 トイレの水を流していないのだ!!
 パニック状態とその後の安堵ですっかり忘れてしまったらしい。
 近い将来、『ウ○コ流してないヤツは誰だ!?』と、犯人捜しのウワサが広まるのは間違いない。
 安心しきっているルーファスに危機が訪れる!
「開かない!!」
 予想どおりの展開だった。
 個室のドアは開いても、トイレの出入り口はロックされていたのだ。
「今度こそ本当に閉じ込められた!?(こんな臭くて怖くてジメジメしてて、なんか出そうなとこに閉じ込められたくないよぉ)」
 だからクサいのは自業自得だ。
 とりあえず代わりの出口を探すルーファス。
 だが、その捜索もすぐに打ち切られた。
「なんで……ドアが……閉まってるの?」
 個室のドアが閉まっている。
 とりあえずここは友好的にノックだ。
 トントン♪
 ――返事がない。
 トントントン♪
 ――返事がない。
 青ざめたルーファスは一目散に後退った。
「(冷静に考えよう。ドアの閉まってる個室ということは、中にだれかがいるのは間違いない。だったらなんで返事がないんだろう。まさか踏ん張りすぎて気絶してる!?)」
 そうだとしたら一刻も早く助け出さなくては!
 しかし、ルーファスはその場から動けなかった。
「でも……(もしかして違う可能性だって)」
 その瞬間!
 ウグググググウウゥウゥゥゥ~~~ッ。
 世にも恐ろしい亡霊のような呻き声が響き渡った。
「ぎゃああああぁぁぁぁっ!!」
 ルーファス絶叫!
 もっともルーファスが考えないようにしていたことが頭を過ぎった。
 トイレのベンジョンソンさん!!
 いつかの恐怖が蘇ってきた。
 アフロヘヤーで犬顔の黒人でボクサー風の幽霊。その名もトイレのベンジョンソンさん。彼への対処法はトイレットペーパーを10ラウルで購入すること。
 すぐさまルーファスは小銭を探そうとしたが、サイフがない!?
「なんで……ご飯食べたときはあったよね? あれ、なんでないの!?」
 慌てるルーファス。
 しかし、ここでルーファスはハッとするのだ。
「(トイレのベンジョンソンさんって紙がないときに現れるなんだよね?)」
 だとしたら別の幽霊または妖怪か?
 ルーファスは学校の怪談を恐る恐る思い出した。
「まさかハヤシヤペー&パー!?」
 トイレに出没するというユニットの妖怪だ。なにかトイレで恥ずかしいことをすると、ピンクの衣装を着た夫婦が召喚され、その場をカメラで激写されるというウワサだ。
 そうだ、きっとルーファスがトイレを流し忘れたからだ!!
 でもまだまだトイレには怪談がある。
 ぶっちゃけ、確認してみないと個室から何かが出てくるかわからない。
 だがルーファスは確認したくない!!
「だれか助けてよぉ!」
 ゴンゴンゴン!
 出入り口のドアを力一杯叩くが手が痛くなるだけ。
 ううぅぅぅ~~~。
 また呻き声だ。
 ただ、さっきよりも人間っぽい。
 しかし安心はできない。
 トイレのベンジョンソンさんもハヤシヤペー&パーも見た目は人間っぽい。
 こうなったら後先なんて考えていられない。
 ルーファスは魔法を唱えようとした。
「エアプレッシャー!」
 圧縮された空気を放出させる呪文。
 ぽふっ♪
 情けない空気の塊がドアに当たった。
 精神が乱れているとマナを操れずに魔法が安定しないのだ。
 もしも魔法がちゃんと発動していたとしても、ロックの掛かったドアは魔法障壁で守られているので開かなかったが。
「ううっ……だれか……いるのか……」
 開かずの個室から聞こえてきた男の声。
 ルーファスは思った。
「(ここで返事をしたら魂を持って逝かれる!)」
 対応したがために亡霊につけ込まれるパターンはよくある。
 シーンと静まり返ったトイレ。
 またなにやら声が聞こえて来た。
「だれかいるなら……助けてくれ……ここに……閉じ込められた」
 それっぽい言葉で誘い出すというパターンもよくある。ルーファスはシカトを決め込んだ。
 そしてまたしばらくすると声が聞こえてきた。
「だれかいるなら返事をしろ!!」
 一喝するような声。
 その声を聴いてルーファスは震え上がった。その反応は脊髄反射的なものだった。ルーファスのよく知る人物だ。
「……もしかして……ファウスト先生ですか?」
「ルーファウス!!」
「は、はい!!」
「いるならば、なぜ早く返事をしないのだ!」
「ご、ごめんなさい」
 クセのあるしゃべり方をするファウストの声は、聞き違える方が難しい。
 すぐにルーファスは閉まっているドアの前に立った。
「あのぉ、どうしたんですかファウスト先生?」
「説明はあとでしてやる。今は私をここから出すのだ」
「出すって、自分じゃ出れないんですか?」
「拘束されているのだ」
「(拘束って穏やかじゃないなぁ)でもどうやって助けたら?」
「とにかくドアを開けろ、この際壊しても構わん」
 ドアが開かないということは、内鍵が掛かっているのだろう。
 よじ登ればドアの上に隙間がある。ルーファスによじ登れればの話だが。
 壊すとしたら、先ほどルーファスがやろうとしたように、魔法による衝撃などを使う方法。ただし、あまりやり過ぎると、ドアが吹っ飛んだときの衝撃で、中にいるファウストにも危害が及ぶ可能性がある。
「やっぱりできませ~ん!」
 ルーファスは考えた末に弱音を吐いた。
「ルーファウス!!」
 響き渡る一喝。
 震え上がるルーファス。
「ご、ごめんなさい、やれるだけやってみます!」
 ルーファスの周りの大気が渦を巻いた。
「エアプレッシャー!」
 空気の塊がルーファスの手から放たれ、ドアを見事に吹っ飛ばした!
 吹っ飛んだドアはファウストの真横の壁に当たった。
「……ルーファス、私を殺す気か?」
「だって先生が言ったじゃないですか、ドア壊せって!」
「……まあ良かろう(ルーファスに優を求める方が莫迦だ)。次はこの拘束をどうにかしろ」
 どうにかしろと言ったファウストの状態は、手錠のようなものでトイレのパイプに繋がれている。首にはスカーフのように布が巻かれているが、これは口を絞められていた物がズレたものだろう。
「ご自分じゃどうにかできないんでしょうかー?」
「拘束されているが見てわからんのか?」
「わかりますけど、そのくらいならご自分でどうにかできるんじゃ?」
「できるくらいならお前にドアを壊させるものか。この手錠はマナを練ってつくられたもので、物理的に拘束するとともに、魔力を封じる2重に厄介な代物だ。この手錠を解除することまでお前には望んでいない。この鉄パイプを壊してくれるだけでいい、それだけいい」
「金属を切るとか私には無理なんですけど?」
「…………(本当にルーファスは役に立たんな。このまま下手に頼んで悪化することも考えられる)わかった、ならば助けを呼んでこい」
「それも無理なんですけど」
「なにぃ?」
 ファウストは緊急防御コードが発動されたことを知らないらしい。
「じつはですね、なんか変なアナウンスが流れて、結界がどうとか、すべての扉をロックするとかなんとか」
 ぼや~っとしたルーファスの説明だった。
 それでもファウストは理解したようだ。
「まさか緊急防御コードが発動されたのか……あの存在は講師でも長年いる者しか知らん筈だが。いや問題は発動の要因は何かということだ。最悪の事態は敵襲、それも王都が総力を上げて戦うほどの相手が攻め入ってきたという可能性だ」
「ええっ!? 戦争ですか、こんな平和な国で!?」
「この国が平和を気取っていても、攻め入ってくる敵には関係のないことだ」
「大変じゃないですか!」
 実際は敵が攻めてきたのではなく、ルビーローズたちによる学院関係者の監禁工作だ。間違った推測に向かうと思いきや、ファウストは別の推測をしていた。
「その通りだ。間違えであって欲しいものだが、私がここに閉じ込められたのが偶然ではないとしたら……外部から敵が攻めてきたのではなく、すでに内部に敵がいたことになる。そして私が狙われた理由はなにか?」
 事件とファウストの関連性。
「邪魔だったんじゃないですか?」
「その通りだ。見張りがいないことから人質ということではないらしい。そうなると、私がいては不都合なことがある。しかし心当たりが……いや、まさか……まさかと思うが、たしか次の授業はお前のクラスだったな?」
「だからなんですか?」
「この国の最重要人物がお前のクラスにはいるではないか」
「クラウス!!」
 ルーファスとファウストは敵の目的に早くも近付いた。
 目的が学院内にいるクラウスとなれば、さらにファウストは次の考えに辿り着く。
「なれば防御システムはクラウスを救出する者を拒むためか。この学院の防御システムは鉄壁と聞いている。軍隊が攻めてきてもクラウスは救出できんだろうな。この推測が当たっていれば、少なくとも戦争ではなかったようだ」
「でもクラウスの身は危ないんですよね!」
「それはクラウスが敵にとってどのような立場にあるかによる。利用目的があるとすればクラウスは殺されることはないだろう。はじめからクラウスの命が目的であれば……」
「そんな!!」
「だが、防御システムがクラウスの救出を拒むものであるならば、クラウスに利用目的がるということだろうな」
「あぁ~もぁ~っ、とにかくクラウスを助けに行きます!!」
 と言ってみたものの、ルーファスもトイレに監禁されているような状況だ。
 どこかに出口はないのか?
 出入り口はロックされてる。窓も同じくロックされている。――ハズだった。
 ガチャッとドアを開けてトイレに入ってきた謎の人物。
 ふあふあ~っと空色の影がルーファスの横を通り抜け、何事のないように個室に入っていった。
 …………。
 呆気にとられるルーファスとファウスト。
 しばらくしてジャーという音がしてローゼンクロイツが個室から出てきた。
 そして、何事もなかったようにトイレから出て行こうとする。
「ちょっと待って!」
 思わずそのまま行かせそうになったが、寸前でルーファスが呼び止めた。
 ごくごく普通に振り返ったローゼンクロイツ。
「トイレなら開いてるよ(ふあふあ)」
「そうじゃなくて、どうやって入ってきたの!?」
「ドアを開けて(ふあふあ)」
「だからそうじゃなくて、全部のドアがロックされてるハズというか、少なくともそこのドアは開かなかったんだけど」
「開かないドアなんてこの世にないよ(ふあふあ)。開かないならそれは壁だよ(ふにふに)」
「…………」
 斜め目線から諭されそうになっている。
 ズレた会話を二人にさせておくわけにもいかないので、ファウストが口を挟んできた。
「ローゼンクロイツ、お前なら私を助けられるはずだ。ここに来てパイプを壊すか、魔法錠を解除してくれないか?」
「いいよ(ふに)」
 ツカツカっと歩いたローゼンクロイツは伝家の宝刀を抜いた。
 ガズン!
 排水パイプを蹴りやがった!
 しかも、壊しやがった!
 魔法とか関係なしに蹴りで鉄パイプを壊したローゼンクロイツであった。
 ジャーッと噴き出す水でびしょ濡れになりながらファウストは――。
「(恐ろしい才能だ……ローゼンクロイツ)」
 とにかくファウストは救出されたわけだ。
 さらにトイレのドアも開いている。
 そのドアから何事もなかったように出て行くローゼンクロイツ。
 ――今度は止め忘れた。
 あまりにもローゼンクロイツが何気なさ過ぎるのだ。
 ハッとしたルーファス。
「と、とにかくクラウスを探しましょう!」
「多くの生徒は教室になどに閉じ込められ、自由に動けない状況だろう。動ける我々は二手に分かれた方が効率が良い」
「えっ?(ひ、ひとり……不安だ)」
「では行くぞ」
 ファウストは駆け足でトイレを出て行ってしまった。今日はジャラジャラ音を鳴らしていない。魔導具は拘束時に奪われてしまったらしい。
 慌ててルーファスもトイレを飛び出した。
 独りじゃ不安なルーファスは、ファウストと同じ方向に行こうかと一歩踏み出したが、クラウスのことを思うと別に道を進んだ。
 その生徒数からもわかるように、学院の敷地は広い。人を探すには絶望的に広い。ただ手がかりがゼロというわけではない。
 召喚実習室で授業があったということを考えれば、その方向に向かうのが最善だろう。まだそこにクラウスがいるという期待もルーファスは抱いていた。
 だとしたらファウストはなぜ別の方向に向かったのか?
 そこまで頭が回らなかったのか?
 とにかくルーファスは召喚実習に向かって駆け出した。
 トイレから召喚実習室へは、中庭を抜けると早く着ける。
 すると中庭の噴水近くで、前方からクラウスが歩いてくるのが見えた。紅い服を着た女といっしょだ。ルーファスはこの女がルビーローズだということを知らない。
 クラウスは爽やかな笑顔でルーファスを出迎えた。
「やあルーファス。お腹の具合は良くなったかい?」
「えっ……クラウス、クラウスこと無事だったの?」
「無事ってなんのことだい?(ルーファス、僕に構わず行くんだ!)」
「だってファウスト先生の話だと、クラウスが狙われているとかなんとか……で、そっちの人は?」
 クラウスが爽やかに笑っているせいで、まさかこの女が事件の張本人とは思いもしなかったのだ。
 ルビーローズはクラウスに余計なことをしゃべらせたくなかった。
「(あの男もう見つかったのね。情報が広がるのは不味い、隙を見てこの男も拘束しなければ)わたくしは新しく赴任してきた教師です」
「どうもはじめましてルーファス・アルハザードです」
「(国防大臣の息子ね)ラ・モットと申します」
「どうもどうも、これからよろしくお願いします。――じゃなくて、そんなことより学院中のドアがロックされちゃって大変なんだけど!!」
「そのことなら……」
 ルビーローズが理由をつけようとしたところに、ちょうど校内放送が流れた。
《防御システムの誤作動がありました。復旧までにはしばらく時間が掛かりそうですので、生徒のみなさんは教師の指示に従って騒がずに待機していてください》
 情報の操作。
 事件などが起きたとき、ひとは情報が得られないことによりパニックを起こす。嘘の情報でもよいので、何かしらの理由があればいったんは騒ぎの大きさを小さくすることができる。
 ルビーローズは微笑んだ。
「今の方法の通りです」
 クラウスも否定を口にすることはできなかった。
 だが、クラウスは手をこまねいてはいなかったのだ。
 クラウスとルビーローズの背後の空中、そこに噴水の水を使った文字が描かれる。
『ルーファスこの女はテロリストだ、クラスメートが人質になってる!』
 水文字によってクラウスは秘密裏に伝えた。
「テロリストだって!?」
 だがルーファスが口に出してしまって水の泡。
 本当にどーしょーもないルーファスだ。
 すぐにルビーローズが動いた。
「スパイダーネット!」
 拘束魔法の1つ。蜘蛛の巣状の魔法の糸がルーファスを捕らえようとする。
 へっぽこなルーファスにも得意なことがある。
 逃げること!
 紙一重でスパイダーネットをかわしたルーファス。
 だが全身で飛び退いた拍子に腹から床に落ちて強打。
「うっ……(肋骨打った)」
 痛みで休んでいるヒマはない、次のスパイダーネットが飛んできた。
 今度は逃げ切れない。
 苦渋を浮かべクラウスが動く。
「ファイア!」
 クラウスの手から放出された炎によって焼かれるスパイダーネット。
 空かさずクラウスが叫ぶ。
「逃げろルーファス!」
 すぐにルーファスは立ち上がって逃げた。クラウスを助けるという目的を忘れ、ルーファスは逃げたのだ。
 ルビーローズは深追いをしなかった。
「閉じ込められていない関係者が少なからずいることは作戦に織り込み済みよ」
 下手に追撃して真の目的をおろそかにはしない。手中にはクラウスがいる。
「次はないわよクラウス?」
 人質がいるという再度の警告。
 警告で済んだということは、クラスメートはまだ無事だということだった。
 しかし、少しも安堵できない状況が続いていることは変わりなかった。

《3》

 必死こいて逃げたルーファスだったが、ふと立ち止まってハッとする。
「逃げちゃダメじゃないか!」
 すぐに戻ろうとはしたが、足がすくんで動かない。
「(僕になにができるだろうか……だって相手はテロリスト。クラウスもクラスのみんなも人質になってるって。さっきの放送だってウソだったんだ、本当は学院のシステムが乗っ取られてて……僕ひとりじゃなにもできないよ)」
 気分が落ち込んでいたそのとき、明るい声が響いてきた。
「ルーちゃ~ん!」
 ピンクのツインテールを振り乱して駆け寄ってくるビビの姿。
「ビビ!」
「ルーちゃん探したよぉ!」
 その明るさにルーファスも息を吹き返した。
「よかった、無事だったんだねビビ!」
「ルーちゃんこそお腹が痛くて野垂れ死んでるじゃないかってドキドキだったよぉ」
「そんなことよりほかのみんなは無事なの?」
「ほかのみんなって?」
「人質にされてるクラスのみんなのことだよ」
「ええ~~~っ! なにその話聞いてないよぉ!!」
 たしかにビビが知らないのも当然だった。
「えっ……逃げて来たんじゃないの?」
「アタシはルーちゃんのことが心配で授業サボって来たんだけど?」
「クラウスがテロリストの女に捕まったのも見てない?」
「ええ~~~~っ! テロリストって聞いてないよそんなの!!」
 聞いてなくても現れるテロリスト。
 スパイダーネットがルーファスとビビに覆い被さろうとしてた。二人は突然のことに動けない。
「ファイア(ふあ)」
 炎によって消滅させられたスパイダーネット。
 ルーファスが声をあげる。
「ローゼンクロイツ!」
 二人を救ったのはローゼンクロイツだった。
 テロリストの数は3人。3対3だ。ルーファストビビを戦力に入れたとしたらだが……。
 再び魔法を発動しようとしたテロリスト。だが発動しない!?
「なにが起きた!?」
 驚くテロリストのローゼンクロイツはフッとあざ笑った。
「……トラップ(ふにふに)」
 魔法を発動しようとしたテロリストの足ともで輝く魔法陣。魔法陣を踏んでしまったテロリストと残る2人も、その効果を瞬時に悟った。拘束と魔力封じを同時に兼ねる魔法陣だったのだ。
 残された二人のテロリストは顔を見合わせうなずき合った。
「やむを得ない、攻撃魔法で弱らせてから捕らえるんだ。絶対に殺すなよ!」
「水色の女をまずは仕留めろ!」
 標的から外されたルーファストとビビはほっと一安心。
「ルーちゃん助かったね♪」
「うんうん、私たち強そうに見えなくてよかったね」
「てゆかさ、ローゼンのこと女だって、あはは」
「あはははは」
 のんきな二人とは対照的に、テロリストの二人はマジだ。
「ウォータービーム!」
「サンダーボール!」
 水と雷の連係攻撃だ。相乗効果で威力が増す!
 のんき、マジ。そしてローゼンクロイツはふあふあ!!
「フリーズ&スパークボディ(ふあふあ)」
 同時に二つの魔法を操り、ウォータービームをフリーズで凍らせ、スパークボディで自らに電気の鎧を宿しサンダーボールを吸収した。
 テロリストは驚きを隠せない。
「同時に2つの魔法を……なんというバランス感覚だ!」
「たかが生徒にこんな実力者が……これがクラウス魔導学院の実力かッ!!」
 魔法の根源たるマナエネルギーは操るものであり、魔法の発動にはマナを安定させる必用がある。二つの魔法を同時に使おうとすると、互いの魔法が共鳴あるいは反発などをして、安定を乱されることになる。このことから同時に魔法を発動させることは高度な技術とされている。
 スパークボディを纏っているローゼンクロイツから電流が放出される。
「エレクトリックショック(ふあふあ)」
 駆け巡る電流が二人のテロリストの身体を突き抜けた。
「「ギャァァァァッ!!」」
 感電した二人は即座に気を失った。
 一段落したとことで、ローゼンクロイツは片手を上げて、
「じゃ(ふにふに)」
 と、何気なく立ち去ろうとした。
「ちょっと待ったぁーーーっ!」
 寸前でルーファスが呼び止めた。
「なんだいルーファス?(ふあふあ)」
「なんだいじゃなくて、なんで行こうとするのさ?」
「だってもう授業はじまってるじゃないか(ふにふに)」
「…………(まだ召喚実習室に行くつもりっていうか、まだ辿り着いてなかったんだ)あのねローゼンクロイツ、とっくに授業中止だから」
「……が~ん(ふにゅ)」
 目を丸くして驚いたローゼンクロイツだが、すぐに無表情に戻って何事もなく立ち去ろうとする。
「次の授業は教室だったよね(ふにふに)」
 クラスに帰るつもりだった。
「待ってローゼンクロイツまだ話が!!」
 必死でルーファスは呼び止めた。
 ローゼンクロイツはわざとらしく溜息を吐いた。
「ふぅ(にゃ~)ルーファス、話が長い男は嫌われるよ(ふにふに)」
「ごめんね話が長くて。そんなことよりも、午後の授業は全部中止だと思うよ」
「……ふ~ん(ふにふに)」
 あっさりした反応。
 ビビはそんなローゼンクロイツを見て思う。
「(今度は驚かないんだ。やっぱりローゼンのことわかんないや)」
 こんなやりとりに拘束されている残った1人のテロリストが痺れを切らせた。
「おい、俺のこと放置するなよ」
 ルーファスはハッとした。
「そうだよ、テロリストだよ! ローゼンクロイツ大変なんだよ、学院がテロリストに占拠されちゃって、クラウスも捕まってるんだ!」
 そこにテロリストが口を挟んできた。
「我々をテロリストなどといっしょにするな。我々秘密結社は平和団体だ」
 これを聞いたビビは顔を膨らませた。
「平和団体がこんなヒドイことするわけないでしょ、ベ~だ!」
 あっかっべーのおまけ付きだ。
 ビビに続いてルーファスも続けて反発する。
「私のクラスメートを人質にして、クラウスもどこかに連れて行こうとして、学院中のドアを全部ロックして、これのどこがテロじゃないんだよ! 変なロックのせいでトイレに閉じ込められて大変だったんだんだから!」
 そう言えばまだ流してない。
 テロリストとはテロリズムに基づくもの。政治目的のために暴力や恐怖に訴えるものだ。
 しかし、この自称平和団体は認めようとしない。
「我々はテロリストではない。その証拠に任務遂行のための殺生は禁忌としている」
 たしかにファウストも捕まったが無事だった。ルビーローズに遭遇したルーファスも、そして今も敵は殺傷ではなく、捕らえることを主としていた。
 テロリストの態度にルーファスは苛立ちを募らせる。クラスメートが、学院のみんなが、そしてクラウスが危険に晒されているのだ。
「あなたたちはいったいなんなんだ! 目的はなんなんだ!」
「我々は徹底した秘密主義だ。組織名を教えることはできない。任務内容についてはさらに黙秘する」
 なにか手がかりはないのか?
 ビビは気絶していたテロリストを物色。
「通信機見つけたよ! これで外に助けを求めてみるね♪」
 ――だが壊れていた。
 ローゼンクロイツの放った電流のせいだ。
 だが、捕らえられているテロリストが壊れていない通信機を持っているかもしれない。
「通信機を持ってるなら出すんだ!」
 ルーファスが強い口調で言った。
「持っているが君たちの役には立んよ。外部との通信はすでにシャットアウトされている」
 お人好しのルーファスは調べもしないで話を鵜呑みにしたが、実際に通信はシャットウトされている。制御ルームを制圧されているからだ。ただし――。
「……有線(ふにふに)」
 ローゼンクロイツがつぶやいた。
 テロリストは表情を崩さず、ローゼンクロイツは話を続けた。
「ボクが思うに、有線なら外と連絡が取れるハズだよ(ふにふに)。ただし、すべての回線が生きているとは思えないね(ふにふに)。無線による外部通信をシャットアウトさせているのに、有線もしていないなんて間が抜けているからね(ふにふに)。けれどすべての有線を遮断してしまったら、テロリストは外の情報も掴めないし、外の仲間との連絡もあるだろうし、要求があるならそれを伝える必用もある(ふにふに)」
 ルーファスはひらめいた。
「きっと生きてる有線は制御ルームにあるよ!」
 ここでビビは何気な~く。
「ええっと、制御ルームってなに?」
 ルーファスが答える。
「そこが占拠されたせいで学院中のロックがかかって、きっと通信が遮断されてるのもそこのせいなんだよ」
「ええっと、ならそこを取り戻せばいいんじゃない?」
「……あっ」
 ポツリとルーファス。
 問題解決に一筋の光を見いだしルーファスが俄然やる気が湧いた。
「よし、制御ルームを奪い返そう!」
 そこに水を差すビビの一言。
「場所は?」
「……え?」
 何気ないビビの質問にルーファスは言葉に詰まり、ローゼンクロイツを見つめた。
「ボクも知らないよ(ふあふあ)」
 だれも場所を知らなかった。
 ローゼンクトイルがボソッと。
「……あっ(ふあふあ)」
 つぶやいた。
 何事かとルーファスとビビが首を傾げると、廊下を駆けてくる大勢の人影。逆方向を振り向くと同じように押し寄せてきている。どう見ても仲間だと思えない。
 状況を把握してビビが叫ぶ。
「挟み撃ちされちゃったよ!」
 焦るルーファスはすぐさま助けを求める。
「ローゼンクロイツどうにかして!」
 少しは自分でどうにかしようとする気はないのだろうか?
「……眠い(ふあふあ)」
 バッサリと拒否された。
 ローゼンクロイツも同じ状況にいるはずなのに、状況を打開する気ナッシング。それどころかここで寝る気だ!
 もうすでに立ったまま虚ろな目をしているローゼンクロイツ。
 ルーファスは身構えた。
「大丈夫、相手は僕たちのこと殺さないらしいから」
「でも痛いことはするんだよねぇ?」
「……痛いのヤダよぉ!」
 本当に情けないルーファスだった。
 敵はすぐそこまで迫っている。
 窓や教室はロックされていて逃げ込むことはできない。
 そのとき校内放送が流れてきた。
《黒魔導講師のヨハン・ファウストだ。現在学院はテロリストによって占拠され、一部の生徒が人質になっている。緊急防御コードが発動させたのはテロリストであり、生徒および学院関係者を室内に閉じ込めるためと思われる。制御ルームを奪い返すことに成功したが、解除コードが不明で私には手を打ちようがない。しかし、外部との連絡には成功し、すぐに救援が駆けつけるだろう……というのは気休めに過ぎない。我が学院の防御システムは難攻不落であり、外部からの救助は絶望的である。よって、現在室内に閉じ込められている者は自力で脱出し、運良く学院内を自由に行動できる者はテロリストを制圧しろ、以上だ》
 この放送によって動揺したテロリストの一瞬の隙を突いて、ルーファスとビビは縫うように敵の間を駆け抜けて逃げた。
「逃がすな追え!」
 すぐにテロリストが雪崩のように追ってくる。
 ルーファスは恐る恐る振り返った。
「先生は制圧しろっていうけど……ムリだよ!」
「だよね~」
 ビビも納得。
 そして、ローゼンクロイツは――さっきの場所に取り残されていた。しかも寝てる。
 立ったまま寝ているローゼンクロイツにテロリストが束になって襲い掛かる。
 しかし、ローゼンクロイツは寝ている方が強かった。
 滅茶苦茶に有りと有らゆる魔法がローゼンクロイツから放たれる。
 単に寝相が悪いだけだった。
 ローゼンクロイツが敵の注意を引き受けているおかげで、ルーファスとビビは少ない敵を巻くことに成功した。
 必死に走ったルーファスはゼーハーゼーハー肩を上下させている。
「もう……走れない」
「ルーちゃん体力なさすぎ」
「あれだけ追いかけ回されたらだれだって……あれっ?(こんなところにあったっけ?)」
 ルーファスは自分の目の前にある物を見て首を傾げた。
「どうしたの?」
「見慣れないエレベーターがあるんだよ」
「この学校広いし、たまたまルーちゃんが知らなかっただけじゃないのぉ?」
「いちおう4年目なんだけど。それにね、ローゼンクロイツと違って方向音痴じゃないから道ぐらい覚えられるよ。絶対に今までこんなのなかったよ!」
「じゃあなんであるの?」
「さあ?」
 ルーファスは首を傾げた。
《ルーファウス!》
 突然のファウストの声にルーファスはビクッとした。
「は、はい!」
 校内放送だった。
《とにかくそこに入るのだ、クラウスがいる可能性が高い》
「わかりました!(……監視カメラで見られてたのか)」
 すぐにルーファスとビビはエレベーターに乗り込もうとした。
 ボタンを押してエレベーターが来るのを待つがなかなか来ない。
「遅いねルーちゃん」
「そうだね」
「故障してるんじゃない?」
「故障中なら故障中の張り紙してあると思うよ」
 チン♪
 ベルの音がしてエレベーターのドアが開いた。
「やっと来た」
 言いながらルーファスはエレベーターに乗り込んだ。
 さっそくボタンを押そうとしたビビが驚く。
「何これ!?」
「どうしたの?」
「地下100階直通になってるよ?」
「ええっ!?(この学院って地下5階までしかないハズなんだけど)」
 とにかく地下100階に向かう。
 動き出したエレベーターは徐々にスピードを上げ、身体が強く引っ張られるGが掛かる。
 長い時間を掛けてようやくドアが開いた。
「うぅ~っ、気持ち悪い~」
 青ざめているルーファス。
「ルーちゃんだいじょぶ?」
「酔った」
「まさかエレベーターで乗物酔いしてないよねぇ?」
「…………」
「……したんだ」
 ビビは呆れるしかなかった。
 ここから先は長い廊下が続いている。
 壁や床から放たれる紅い光。その光はまるで血管のように床や壁に張り巡らされる模様から放たれている。
「なんか不気味なとこだねぇ」
 ビビが身震いをした。
「本当だね、さっきから自分のドキドキしてる音がよく聞こえるんだけど」
「アタシもー。ルーちゃん怖いよぉ」
「ドク、ドク、ドクってどんどん強くなってる」
「ホントだ、ドクドクって……壁から聞こえない?」
「えっ?(もしかして自分の心臓の音じゃなくて廊下全体から聞こえてる!?)」
 二人はその事実に気づいた。
 嫌な予感が拭えない。
 前方に見える巨大な扉――閉まっていればいいのに、その扉は口を開けて二人を待っている。
 ルーファスは息を呑んだ。
「今日はここまでにしようか?」
「そうだね、また明日来よう!」
 クルッと180度回って引き返そうとする二人。
「そんなことできるわけないだろう!」
 奥の部屋から聞こえてきた少年の怒号。
 すぐにルーファスは気づいた。
「クラウスだ!」
 引き返そうとしたいたことも忘れ、ルーファスは奥の部屋へと飛び込んだ。
 愕然とするルーファス。
「な……なん……(すごい魔力で立ち眩みがする!)」
 ビビもそれを見て驚きを隠せない。
「生きてる……生きてるよあれ!」
 二人の招かれざる客にルビーローズは微笑みかけた。
「お子様の来るところではなくてよ」
 ルビーローズの遥か頭上で紅く輝く宝玉。
 その宝玉の中に埋め込まれた禍々しい巨人の姿。象などその巨人の片手で軽く握りつぶされそうだ。それほどまでに巨大な宝玉だった。
「魔王級だな」
 つぶやく女の声が響き渡った。
 ルビーローズは驚いた。
「誰ッ!?」
 寸前まで気配を感知できなかったらしい。
「ふふふっ、神出鬼没にして生き字引のカーシャ様が来てやったぞ」
 どこから沸いてきたのかカーシャがこの場に現れた。というか、エレベーターではそんなに早く来られないので、本当にどこから沸いて出たのだろうか?
 クラウスは重々しい顔をした。
「まさかカーシャ先生はこれをご存じだったのですか?(これを学院で知っているのは僕と学院長だけのはず。国内外でもごく限られた人物しか知らないはずなのに!?)」
「魔晶化だな。滅びた魔導、いにしえの禁忌、地獄の檻……この場所にはかつて魔族と戦った精霊の超文明都市があった。魔晶はロストテクノロジーの一つで、主にエネルギー供給に使われる。まさかこの場所に残っていて、しかも稼働していたのは驚きだがな」
 話を聞いたビビは血の気が引く思いだった。
「魔晶化ってなに、だってアレ生きてるよ!!」
 ビビにも予想が付いていた。だからこそ声を荒げた。同じ魔族として――。
 そして、この場にはもうひとりの魔族がいた。
「わたくしが答えてあげましょう。過去から現在まで虐げられた魔族の一員として、何も知らない魔族のお嬢さんのために」
 ルビーローズは魔晶に向いて話をはじめる。
「魔族と一口に言っても、その種族は多岐に渡るわ。神でもなく、精霊でもなく、人間でもなく、奴らは自分たちの敵を一括りに魔族と呼ぶようになり、いつしかわたくしたち自身も自らを魔族を称するようになったわ。そして起こるべくして起きた過去における大戦の数々。ここにいる魔王は第三次聖魔大戦の英雄よ。魔族にとって英雄であるならば、当然奴らには大悪党よね。魔王を生け捕りにした奴らはどうしたのか、結果はこの通り、生かさず殺さず、半永久的に稼働するエネルギープラントとしたのよ。魔晶化とは、魔族を生きたまま発電機にするようなもの。魔晶化された魔族は久遠の苦しみを与え続けられる」
「そんな……ヒドイ……早く解放してあげて!」
 ビビは涙ぐみながら訴えた。
 しかし、それをしたらどうなるか――クラウスは首を横に振った。
「王都の電力はすべてここで生産されてるんだ、供給が止まれば都市は機能を失う。それにこの装置を止める方法は誰も知らない、少なくとも王国には伝わっていない。でもね万が一、中にいる魔王を解放する方法があったとしよう……解放された魔王は一夜でこの王都を死の都に変貌させるだろうね」
 ここで突然カーシャが――。
「妾はこれが欲しい」
「はぁーーーーーっ!?」
 ルーファスビックリ。
 カーシャはマジだ。
「これを兵器応用したら今の地上など容易く制圧できるぞ(ふふっ……我が天下)」
 ルビーローズの目つきがきつくなった。
「それをさせないために、わたくしたちは行動を起こしたのよ」
 これにクラウスは少し驚いたようだ。
「どういうことだい?」
「わたくしたちの秘密結社は平和を愛する団体。わたくしたちの目的はこの魔晶システムを管理し、誰にも使わせず、誰の目にも触れさせないこと」
「人間やその他の種族に害をなすつもりではないのかい?」
「とんでもないわ。このエネルギーを使って戦争をするつもりも、魔王を復活させるつもりもないわ。たしかに魔晶化は人権侵害も甚だしいけれど、凶暴な魔王を世にはなったら平和が乱されるもの」
「さっき言っていて事と違うような気がするけれど?」
「あれはあくまで史実を話しただけよ。魔族は虐げられてきたけれど、だからと言って過去の過ちを繰り返すわけにはいかないわ」
 ここで新たな男の声が響き渡る。
「そう、我々は過去の過ちを繰り返さない」
 金髪の若い男を確認したルビーローズが驚く。
「ゴールデンクルス、なぜ貴方がここに!」
「魔族なんかにこれを渡すわけにはいかないからね」
「わたくしたちは種族の垣根を越えて真の平和を……キャッ!」
 ゴールンクルスの手から放たれた光の槍がルビーローズの腹を貫いた。
 辺りは騒然となった。

《4》

 ゴールデンクルスは恭しくクラウスにお辞儀をした。
「はじめましてアステア王。俺はあんたの遠縁に当たる者です」
「王族……君のことなんて知らないぞ」
「系譜からはとっくの昔に消されてますからね。けどありがたいことに、代々ここのヒミツは伝わってましたよ。今回の作戦を考えたのも俺ですから。まあ仲間に伝えていたのは表向きの作戦ですけどね」
 ルビーローズの理想と違える者。だとすれば驚異でしかない。
「妾のライバル登場というわけか」
 とつぶやいたカーシャにすぐさまルーファスはツッコミ。
「お願いだからカーシャ、話をややこしくしないで」
 とりあえずカーシャはルーファスに任せるとして、ゴールデンクルスの目的を問わなくてはならないだろう――それが推測であって欲しいと願いを込めながら。
 クラウスが口を開く。
「目的は?」
「力による支配」
「魔晶システムの兵器利用か?」
「それと、君から王座を奪うこと」
 心を映すような邪悪な笑みを浮かべたゴールデンクルス。
 ルビーローズに使役されていた爆弾はすでにクラウスから外れていた。
 構えるクラウス――戦う気だ!
 しかし、ゴールデンクルスは戦うずして制した。
「人質がいることをお忘れなく」
「クッ……」
 手が出せないクラウス。
 代わりにルーファスが口を出した。
「あなたたちは殺生はダメって聞いたぞ! 人質に手を出せないくせに!」
「残念ながら俺は違う。そして俺のシンパも違う。だから今から先代のアステア王には死んでもらう」
 先代の王――すでに王を気取っている。
「僕を殺したら魔晶システムを操作できる者がいなくなるぞ」
「だから言ったじゃないか。俺はあんたの遠縁なんだから、操作なんてお手の物」
「遠縁というのは真実なのかい?」
「仕方ない、証明してやるか」
 魔晶システムのコンピューターに向かって歩き出すゴールデンクルス。
 止めようと一歩踏み出したクラウスだったが、ゴールデンクルスは振り返って邪悪な笑みを浮かべるのだ。
「邪魔するなよ?」
 人質がいる限り手が出せない。
 しかし、もしも魔晶システムが奪われてしまったら、犠牲者は爆発的に増えることになるだろう。
 クラウスは苦悩した。
「(命の重さは計れるものではないと信じている。けれど、ここでなにもしなければ犠牲は確実に増える。全員を救いたいという考えでは甘いのか……できないのか!)」
 張り詰めた空気。
「ぎゃああああああ~~~~~っ!!」
 突然聞こえてきた謎の叫び声。
 ゴールデンクルスも驚いて動きを止めてしまった。その瞳に映る人間ロケット――ルーファス。
 突然のことにゴールデンクルスはとにかく防御魔法を発動させようとした。
「シールド!」
 ゴン!
 顔面からルーファスはシールドに強打。透明なシールド面にルーファスのブタ顔がへばりついた。
 稲妻のようなその身の熟し!
「ピコ・ボム!」
 カーシャが放った魔法がゴールデンクルスの耳元で小爆発を起こした。
「ぐわあああああっ!!」
 耳を押さえてうずくまるゴールデンクルス。
「うおおおおおっ、耳が、俺の耳が……クソォッ!」
 さらにカーシャはゴールデンクルスの腹に蹴りを一発ぶちかました。
「妾の物だ!」
「ぐあっ!」
 床に転がったゴールデンクルスをルーファスがすぐさま取り押さえた。
「エナジーチェーン!」
 魔法の鎖で縛り上げ、さらに上に乗って押さえる。
「クソォォォォッ今すぐ人質を皆殺しだ!!」
「やれるものならやってみるがよい、ふふっ」
 カーシャは余裕の笑みを浮かべていた。
 ゴールデンクルスも気づいた。
 通信機が壊されていたのだ。
 すべてはカーシャの作戦だった。
 まずはルーファスを投げ飛ばすことにより、相手の驚きを誘うと共に、仲間に通信をさせる前にルーファスを防ぐという行動を強制させる。そこにすかさずカーシャの攻撃、狙ったのはゴールデンクルスが耳に取り付けていた通信機だ。
 これで一段落だ。クラウス救出の次は、防御システムの解除と人質の救出だ。
 しかし事は巻き戻ろうとしていた。
 簀巻きにされているゴールデンクルスが、全身をバネのようにしてルーファスに蹴りを喰らわせた。
「クソガキがっ!」
「うわっ!」
 吹き飛ばされたルーファス。
 ゴールデンクルスにマナが集まる。
「ハアアアアッ!!」
 怒号と共にゴールデンクルスは魔法の鎖を吹き飛ばした。ルーファスが魔力でつくった鎖を、ゴールデンクルスの魔力が上回ったのだ。
 ゴールデンクルスが光の槍をつくりだす。
「死ねーーーっ!」
「ルーちゃーん!!」
 ルーファスに槍が突き立てられる瞬間、ビビが立ちふさがった!
「きゃあッ!」
「ビビ!」
 ルーファスの叫び。
 光の槍はビビの腕を掠めた。
 床に迸った血。
 ルーファスの中で何かが切れた。
「許さないぞーッ!」
 我が身一つでゴールデンクルスに突っ込むルーファス。
 カーシャも急いで駆け寄る。
「莫迦かっ、素手で向かってどうするルーファス!」
 クラウスも急いだ。
「ルーファス落ち着け!」
 光の槍が薙ぎ払われる。
 ルーファスの胸が切り裂かれた。
 言葉を失ったビビ。
 クラウスも我を忘れた。
「フラッシュファイア!」
 爆炎がクラウスから放たれ、直撃を受けたゴールデンクルスが服を焦がしながら大きく吹き飛んだ。
 ビビは自暴自棄になっていた。
「もうヤダ、ヤダヤダヤダ! こんな物があるからいけないのッ!!」
 大鎌を高く振り上げていたビビの姿を見て全員息を呑んだ。
 激しい衝撃音が鳴り響いた。
 魔晶システムの制御コンピューターに突き刺さった刃。
 鼓動が聞こえる。
 激しい鼓動。
 まるで怒り震えるような鼓動の音。
 すぐさまクラウスが機器をチェックした。
「大変だ、エネルギーが急激に上昇してる!」
 カーシャは最悪の事態を想定した。
「これはあれが起きる可能性があるな。エレメンツ爆発に加えてメルトダウンか……確実に王都は跡形もなく吹っ飛ぶだろうな」
 その言葉にビビは我に返った。
「そんな……アタシ……」
「歴史に残る破壊神として名を残すことになるだろう(ある意味名誉だ)」
「そんなことになるなんて……アタシどうしたら……」
「歴史を伝える者がこの世に残っていればの話だ」
 さらに最悪なことを口走ったカーシャ。
 絶望するビビにさらなるカーシャの追い打ち。
「王都が吹き飛ぶくらいで済めば御の字だ。もっとも最悪なのは、爆発のエネルギーが巨大すぎてブラックホールを形成して星ごと丸呑みパターンだろうな(ふふっ、笑えん)」
 絶望感が漂う中で、その空気をぶち壊す一声。
「あーっ死ぬかと思ったーっ!」
 ビシッとバシッと立ち上がったルーファスだった。
「服ぱっくり切れてるよー、お気に入りのだったのになぁ」
 空気を読まずに服の心配をするルーファスだった。
 でもルーファスを見て歓喜が戻った。
「ルーちゃん!」
 ルーファスに駆け寄ったビビがそのまま抱きついた。
「く、首が絞まってるよビビ」
「よかった、どこもケガしてない?」
「切られたのは服だけだよ。それよりもビビは大丈夫?」
「人間に比べたら傷の治りが早いからだいじょぶだよ、血も止まってるし♪」
 クラウスも駆け寄ってきた。
「よかったルーファス。でも喜んでいる場合じゃないんだ、もうすぐ王都ごと消し飛ぶかもしれないんだ」
「……え?」
 あまりの事の大きさに反応が小さくなってしまった。
 地下が大きく揺れた。立っていられないくらいだ。
 今の揺れでルーファスは事の重大さを身に染みて感じ取った。
「今スゴイ揺れたよ! ど、どうにかならないのクラウス!」
「残念ながら制御不能なんだ。とにかくまずは地上に戻って制御ルームに行こう。そこで防御システムを解除すると共に外部に事態を知らせて、王都にいるすべての者をできるだけ遠く離れた場所に避難させなくてはならない」
 最後まで希望を捨ててはいけない。
「まあぶっちゃけそんな猶予残されてないがな、ふふっ」
 希望をぶち壊すカーシャの一言だった。
 魔晶が煮えたぎるマグマのように赤く輝いている。まるで噴火の時をまっているかのようだ。
 カーシャの言葉くらいではクラウスは希望を捨てない。
「とにかく最後まで諦めずにがんばろう!」
 部屋から逃げ出そうとする3人。
 だがその前にゴールデンクルスが立ちはだかった。
「俺の野望を打ち砕いたあんたらを行かせるわけにはいかない。この手で八つ裂きにしてらなないと気が済まない……と言いたいところだが、死ぬのはごめんだ」
 邪悪な笑みを浮かべたゴールデンクルスにマナが集まる。
 このときビビは無我夢中でゴールデンクルスに飛び掛かっていた。
 ゴールデンクルスが魔法を放とうとする。
 ルーファスも無我夢中だった。
「ビビだめだ!」
 ルーファスがビビの身体を押し飛ばした瞬間、ルーファスの眼前にゴールデンクルスの手があった。
「マギ・フラッシュ!」
 眩い閃光が放たれた。
 ルーファスの後ろに巨大な影ができる。
 影の中にいたクラウスやカーシャですら目が眩んで何も見えなくなった。
 ビビはちょうど床に顔を伏せる形になっていたが、それでも目が開けられないほどだった。
 誰も何も見えない中で男の呻き声が聞こえた。
「うう……ルビーローズ……生きていたのか……殺しはしないんじゃ……くっ」
 ゴールデンクルスの声が途切れ、倒れる音が聞こえた。
 いち早く視界が戻ったビビは見た。
 氷の刃が腹に突き刺さって身動き一つせず倒れているゴールデンクルス。
 そして、床に膝を付き全身の力を失っているルビーローズ。
「即死は狙わなかったわ……」
 そのままルビーローズは気を失った。
 クラウスやカーシャの視界も戻ってきた。
 ルーファスは?
「……眼が……見えない……まっくらだ」
 閃光によって光の残像がまぶたの裏に残っているのではなく、ルーファスの視界は完全な闇だった。
 ビビは息を呑んで涙が溢れそうになった。
「ルーちゃん……ルーちゃん!」
 力一杯ビビはルーファスの身体を抱きしめた。
「アタシのことかばったから! アタシのせいでルーちゃんの眼が!」
「大丈夫だよビビ、きっと一時的なものだと思うし。ただここから脱出するのはちょっと困るけど」
「ルーちゃんのことはアタシが連れて逃げるからだいじょぶだよ!」
 ビビはルーファスに肩を貸した。そして、クラウスも同じようにルーファスに肩を貸す。
「急ごう時間ない」
 廊下を急いで抜け、エレベーターに乗り込もうとした。
 開閉ボタンを押したクラウスが叫ぶ。
「クッ、開かない!」
 奥までに時間が掛かっているわけではない。動いている音すら聞こえない。完全に故障していた。
「逃げ道ならあるぞ、妾が通ってきた道だ」
「そんな道があるなんて僕も知りませんよカーシャ先生!」
 王すら知らない秘密の抜け穴をカーシャは知っていたのだ。
 急いで廊下を引き返す。
 魔晶がある大広間に戻ってきたとき、また激しい揺れが襲った。
 今度の揺れは今まと比べものにならない。
「きゃっ!」
 ビビの足下の床に小さなひびが入った。そのひびは徐々に口を広げ、ビビたちを丸呑みにしようとする。
 眼が見えないルーファスの足が呑まれた!
「うわっ!」
 呑まれた片足からバランスを崩して、そのまま地の底へ引きずり込まれた!
 ルーファスが闇の中に消える。
 ビビが亀裂に飛び込んだ。
「ルーちゃん!」
 ビビの手がルーファスの手を掴んだ!
 しかし、ビビもろとも闇の中に落ちてしまう!
 今度はクラウスが両手を伸ばした!
「ビビちゃん離さないで! 僕も決して離さないから!!」
 クラウスの両手はビビの足首を掴んでいた。
 亀裂の真横で腹ばいになってビビの足首を掴んでいるクラウス。
 ビビは亀裂の中に落ちながら宙づりで逆さまになりながら、しっかりとルーファスの片腕を掴んでいる。
 そして、カーシャは――。
「(ほっといて逃げるべきかどうするべきか……ここでルーファスを殺すのも惜しいな)」
 最悪な考えで迷っていた。
 それでも最終的にはカーシャも手を貸した。
 カーシャはクラウスに手を貸して、ビビとルーファスを同時に引き上げる。
 どうにか2人を引き上げて一息ついたが、周りの床は亀裂だらけだった。
 さらに悪いことが起きてしまった。
 何かが砕けた甲高い音。
 それはカーシャの足下に落ちてきた。
「魔晶の欠片だ。もう限界らしいな」
「カーシャ先生まだ希望はあるはずだ!」
 目の前の現実を見ればクラウスの言葉など虚しい。
 ついにビビが泣き出した。
「ううっ……アタシが……うぐっ……ううう……ぐ……」
 ここを逃げ出せば終わりではない。
 王都ごと消し飛べば、だれも生き残れない。
 しかし、クラウスは希望の光を見た。
 いや、それは現実の光が差し込む光景だった。
 歪む空間。
 カーシャは漏れ出してくる強烈なプレッシャーを感じた。
「ヤツだ」
 魔法陣などを必用とせず、何者かが空間を越えてやって来る。
 まず浅黒くしなやかな女の足が出た。
 だがそれは下僕の足に過ぎない。
 漆黒の翼を持ったボンテージの女――レディー・セルドレーダ。
 そして、その胸に抱きかかえられた幼い童子。
「私の留守中にどこの誰だね、こんなことをしでかしたのは?」
 見た目は幼くとも、大人びた男の声。しかも、魔力が言葉の1つ1つに込められている魅言葉を常に操っている。
 この男こそエセルドレーダの主人にして、クラウス魔導学院の学院長、そして世界でも3本の指に入ると謳われる魔人クロウリーであった。
 クロウリーの視線はカーシャに向けられていた。
「ば、莫迦な、こっちを見るでない。さすがの妾もこんなことまではせんぞ……そこで死にかけてる金髪のにーちゃんが元凶だ!」
 クラウスは一瞬だけビビの顔を見つめ、クロウリーに向き直した。
「はい、そこにいる金髪の男が今回の事件、テロリストの首謀者で魔晶システムを破壊した張本人です」
「ほう」
 と、クロウリーは短く。
 なにか察したかクロウリーは?
 しかし、それ以上の追求をクロウリーはしなかった。
「まあよい。今はこやつを黙らせることが先決だ。エセルドレーダ下ろしてくれ」
「御意」
 丁重にエセルドレーダはクロウリーを下ろした。
 クロウリーが自らの足で立つ姿は、ハイハイ歩きからやっと立てるようになった幼児にも見える。
 ――だが魔気が違う。
 眼が見えないルーファスはそれをより強く感じていた。
 身体の震えが止まらない。
 眼ではなく、ほかの感覚で感じるクロウリーは、まるで巨人がそこに立っているようだ。
 カーシャが手に汗を握っていた。知る者が知れば、カーシャが汗を掻いたという事実は驚愕に値する。
「(人間ごときが……まさかなにをする気だ?)」
 クロウリーの周りにマナフレアが発生する。これは協力な魔力が共鳴を起こしている証拠だ。さらにマナ風と呼ばれる魔力の風が吹き荒れた。
 地面が唸り声をあげて激しく揺れた。
 魔晶が不気味に輝いている。
 クロウリーの魔力に共鳴して魔晶がさらに暴走しようとしている!
 指先から光を出してクロウリーが宙に魔法陣を描く。
「メギ・マフジオン!」
 その呪文は今は伝わっていない古代魔法。
 ありえない魔法が唱えられたことにカーシャだけが気づいた。
「(シイラなど滅びた呪文……それ以前に人間が使えるわけがない!)」
 しかし、呪文は発動された。
 魔法陣は描かれたときよりも巨大に広がり、魔晶を丸呑みにしたのだ。
 鼓動が静まった。
 クロウリーは妖しく微笑んだ。
「アステア王、私が施した術は応急処置に過ぎない。魔晶システムの復旧には3日ほど頂きたい」
「たった3日で治せるのか!?」
「大目に見て3日。損傷具合を見て、材料調達もあるので早ければ1日半でしょうな」
「3日で直せるなら蓄えてある予備エネルギーで王都になんら支障をきたさない。助かるよクロウリー学院長」
「自分の庭が荒らされたら、早々に美しく整えるのが必定」
 言葉を終えて、クロウリーの視線はビビとルーファスに向けられ、次の話題が続けられた。
「さて君たちの処分をどうするか……だが。魔晶システムを見られたからには生かしてはおけない」
「そんな!」
 ビビは声をあげた。
 だが、クロウリーの言葉には続きがあった。
「と言いたいところだが、私の愛しいローゼンクロイツの恨みを買うのも心苦しい。ルーファス君、今後ともローゼンクロイツと仲良くしてくれたまえ。そしてビビ君のことも聞いている。ローゼンクロイツは異性の友人が少ないようだから、君も仲良くしてくれたまえ」
 事件解決に貢献したからではなく、ローゼンクロイツの友人だからというのが理由らしい。
 クロウリーは魔法陣を宙に描いて〈ゲート〉を開いた。
「お帰りはこちらだ。私はすぐに仕事に取りかかる、くれぐれも邪魔はしないでくれたまえ」
 一目散にカーシャが〈ゲート〉をくぐった。
 ビビもルーファスを連れて急ぐ。
「(なんか吐きそう……なにこの感じ)」
 クロウリーの魔気に当てられたのだ。
 クラウスも一礼して〈ゲート〉をくぐった。
 〈ゲート〉の先は魔導学院の中庭だった。
 すでに防御システムは解除されているようだ。
 しばらくして〈ゲート〉の向こうから、ルビーローズとゴールデンクルスが放り出されてきた。まだ二人とも息がある。
 事件はすべて解決したのだろうか?
 クラウスは廊下を歩くクラスメートを見つけて、ほっと息をついた。
 無事に人質も解放されたようだ。
 しかし、事件の余波はまだ残っている。
「早くルーファスたちを救護室に運ぼう。だれか人を呼んでくるよ」
 クラウスは近くにいる生徒たちに声を掛けに行った。
 ビビは心配そうな顔をしているが、その表情はルーファスの瞳には映らない。
「ルーちゃんだいじょぶ?」
「泣きそうな顔しなくても平気だよ」
「見えてるの!?」
「ううん、見えてないけど声がそういう感じだから」
「え~っ、そんなことないよぉ。アタシはいつも元気で笑顔のちょ~カワイイ仔悪魔なんだから♪」
 ビビは精一杯の笑顔をつくって見せた。
 たとえルーファスが見えなくても、今ビビにできることは笑顔で居続けることだった。

 おしまい


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