第12話_ルーファスエボリューション

《1》

 壮大な音を奏でる目覚まし時計。
 散らかって山積みになった物が今にも崩れそうだ。
 そんな中でスヤスヤと寝息を立てているルーファス。
 突然、部屋のドアが開いた。
「起きろルーファス!」
 リファリスが部屋に飛び込んできたと同時に物の山が崩れた。
 それでもルーファスは起きない。
 目覚まし時計を握り締めたリファリス――次の瞬間!
「うるさい!!」
 目覚まし時計が投げられた!
 もちろん標的はルーファスだ。
 顔面ヒット!!
「ぼぎゃっ!」
 奇声をあげて飛び起きたルーファス。
 痛そうな顔をしながらルーファスは目をこすった。
「(なんか頭がクラクラして目が霞む)リファリス姉さん……起こしてくれるのはありがたいんだけど、もっとやさしく起こしてくれないかな?」
「こっちだって起こしたくて起こしてるわけじゃないんだ。わっちはね、あと3時間は寝たいんだ。それなのにいつもいつも、バカうるさい目覚まし時計の音で起こされて……たっく」
「そんなこと言うなら、ウチに泊まらなきゃいいだろ。姉さんいつまでウチにいる気?」
「いつまでいたっていいだろ。わっちの勝手だろ」
「…………(居候なのに態度がデカイ)」
 建国記念祭のために帰ってきたリファリスだったが、祭りが終わっても未だに居座っている。
「(僕の悠々自適な一人暮らしが完全に壊されてる。かと言って面と向かって出てけとは言えないわけで)」
 ルーファスは溜息を漏らした。
 そう言えばリファリスが来てから、余計に家が汚くなったような気がする。
 あと先にトイレへ入られたり、お風呂に入られたり、見たいテレビが見られなかったり、どんどんルーファスの生活が脅かされている。
「なんとかしなきゃ」
 と、ルーファスは思わず口に出してつぶやいてしまった。
「なにをだい?」
「えっ、な、なんでもないよ! 顔洗ってくるね!」
 慌ててルーファスは部屋を飛びだそうとしたのだが、足下にあった洋服の山に足を引っかけて大きく転倒してしまった。
「イッター! 手ついたときにひねった……」
「ったく、ドジなんだから。ほら、早く顔洗ってシャキっとしてきな」
「わかってるよぉ」
 めんどくさそうにルーファスは言って、ヨロヨロ歩きながら洗面所に向かった。
 洗面所で顔を洗い、目の前の鏡を見たルーファス。
「あれ?」
 鏡に映った自分の顔をぼやけている。
 もう一度、顔を洗ってから鏡を見てみた。
「あれ?」
 まだぼやけている。
「おかしいなぁ」
 目を擦ってみてがかわりない。
「アーーーーーーッ!!」
 突然叫んだルーファス!
「どうしたルーファス!?」
 リファリスが駆けつけてきた。
 どういうわけかルーファスの目が泳いでいる。
「べ、べつにたいしたことなんだ」
「いきなり家の中で叫び声なんてあげて、ビックリするだろ。で、どうしたんだい?」
「それが……ちょっと視力が下がっちゃって、あははー」
「パソコンのやりすぎだろ」
「そうだね気を付けるよ」
「ったく人騒がせな弟だよ」
 リファリスが去っていく。
 その姿が完全に見えなくなってから、ルーファスはツバを呑み込んだ。
「(ちょっと下がったどころじゃないよ。一晩寝ればよくなるよ思ったに、ぜんぜんボヤけてるよ)」
 口止めされているので、ルーファスはリファリスに本当にことを言えず誤魔化したのだ。
 それは昨日、魔導学院で起こった事件だ。
 相手の放った閃光魔法により、視力を失いなにも見えなくなったルーファスだったが、病院での診察を断り、一晩寝れば大丈夫と自宅に帰ってすぐに寝たのだ。なにも見えなかった昨日に比べれば、だいぶ見えるようになっているが、目の前の鏡に映った自分の顔がぼやけている。
「(みんなにも気づかれないようにしなきゃ。そうしないと病院に連れて行かれる)」
 病院行けよ。
 こうして視力が下がったルーファスの1日がはじまるのだった。

 事件の翌日にはもう授業があるクラウス魔導学院。
 事件の大きさを隠蔽する理由もあるが、本当のところは単なるスパルタだったりする。テロという外部からの事件は滅多にあることではないが、内部での大事故などはそこそこあることなので、そういう慣れもあって立ち直りが早いという理由もある。
 学院の廊下を歩くルーファス。
 向こうからツインテールの女の子がやって来た。
「おはようビビ」
「…………」
「黙っちゃってどうかした?(機嫌悪いのかなぁ)」
 相手の顔がなんとなく見えたところでルーファスはハッとした。
「(ビビじゃない!)」
 見事な見間違えだった。
 ツインテールというところまでは同じだが、体重はルーファスの2倍くらいありそうで、ビビとは似ても似つかない女の子だった。
 慌ててルーファスは誤魔化そうとした。
「あ~っ、ビビ、おはようビビ!」
 遠くに手を振って、まるでそこにビビがいるかのように振る舞って、ルーファスは駆け出した。
 ちなみにルーファスが手を振った方向にはだれもなかった。完全に変な人だと思われただろう。もしくは見えないモノが見えてる人。
 誤魔化しきれなかったが、どうにかルーファスは危機を乗り切った。
 教室に入ったルーファスは、周りに適当な挨拶しながら、自分の席に座ろうとした。
 が、その席には先客があった。
 ここでルーファスは辺りを見回して気がついた。
「(自分の教室じゃない!)」
 慌ててルーファスは教室を飛び出し、今度こそ自分の教室に入った。
 周りの生徒を目を凝らして見る。クラスメートたちに間違いない。
 ほっとしながらルーファスは席に着いた。
 すると、ツインテールの女の子が駆け寄ってきた。
 思わずルーファスは身構えた。
「(本物のビビ?)」
 さっきに失敗が思い出される。
「ルーちゃんおっはよ~ん♪」
 この声は紛れもなくビビだ。
「よかった……おはようビビ」
「よかったってなにが?」
「いや、べつにこっちの話」
「気になるよぉ」
 プイッとした唇を尖らせた表情でビビが顔を近づけてきた。ここまで近付くとちゃんとビビの顔を見える。
「べつにたいした話じゃないよ。ちょっとさっきビビと間違って別の子に挨拶しちゃっただけだよ」
「(が~ん、アタシと別の娘[コ]を間違えるなんてショック)あはは~っ、そうなんだー」
 ビビちゃん苦笑い。
 そんなこともありつつ、この後もいつもどおり過ごしていたルーファスだったが、1時間目からトラブルが発生してしまった。
「(字が……読めない)」
 黒板に書かれた文字がよく見えないのだ。
 ルーファスは隣の席に座っている生徒のノートをチラ見した。
「(こっちも見えない)」
 他人のノートを写そうとしたが、こっちのほうがもっと見えなかった。
 そして、けっきょくノートを取れずに1時間目が終わってしまった。
 休み時間、席に座ってじっとしているルーファスは、青い顔をして焦っていた。
「(ヤバイ、実技が苦手だから筆記でフォローしなきゃいけないのに、ノートが取れないなんて致命的じゃないか)」
「ねぇ、ルーちゃんだいじょぶ?」
「(もしも筆記が赤点なんてことになったら……)」
「ねぇってば」
 話しかけているのはビビだが、ぜんぜんルーファスの耳には届いていなかった。
「(退学とか留年とかになったら……父さんになんて言われるか。今でも首の皮1枚って感じなのに、完全に絶縁になって国から出て行けとか言われたどうしよう)」
「ルーちゃん聞いてるぅ?」
「はぁ……困ったなぁ」
「ねぇ、どうかしたの?」
「どうかしたもなにも……わっ、いつの間にいたの!?」
 ビックリしてルーファスはイスから落ちそうになった。
「だいじょぶルーちゃん?」
「だ、だだ大丈夫だよ! あははー」
「なに慌ててるの?」
「べ、べつに!」
「今日のルーちゃんなんか変だよぉ」
 クリクリしたまん丸な瞳でビビが覗き込んでくる。
 慌てたルーファスは話を逸らそうとした。
「えっと、次の授業はっと……(見えない)」
 教室に張り出されている時間割表が見ない。
「次は錬金術の授業だよっ。移動教室だから早く行かなきゃ遅れるよ?」
「そう、そうだった。うん、早く行こう」
 教科書を持って席から立ったルーファスだったが、その袖をビビがグイっと引っ張った。
「ルーちゃんそれ錬金術の教科書じゃなくて、魔導史の教科書だけどぉ?」
「えっ!?」
 普段からこーゆーミスの多いルーファスだが、今日は視力が落ちたせいでミス連発だ。
 ビビは心配そうな顔をしている。
「やっぱり変だよルーちゃん。なんかいつもよりドジっていうか、マヌケっていうか」
「(普段からそう思われてるのが軽くショックなんだけど)そんなことないよ、いつもどおりだよ(いつもどおりって言い方すると、いつもドジでマヌケってことを肯定することになっちゃうけど)」
「そうだね、いつものルーちゃんだよねっ♪(本当は心配だけど、ルーちゃんがそういうなら)」
「(うわっ、ショック。いつものって、ドジでマヌケってことじゃないか)そうそう、ビビの思い過ごしだよ。ほら、早く移動しなきゃ」
 二人が教室を移動し終わると、ちょうとチャイムが鳴った。
 すでに教室には錬金術教師のパラケルススがいて、すぐに授業がはじめられた。いつもパラケルススは時間に几帳面なので、少しでも教室に入るのが遅れるとアウトなのだ。
 今日の授業は薬品の調合が行われた。
 黒板に書かれたレシピを元に、ひとりひとり薬品を調合する。
 さっそくルーファスは黒板とにらめっこをしていた。
「(この培養液の中にこれを7ロッシ入れて、こっちは8ミロッシ入れるのか)」
 液体の入ったフラスコに、2つの粉を入れてルーファスはよくかき混ぜた。
 だんだんとフラスコが熱を持ってきて、なにやら煙が発生してきた。
「あれ……あちっ、あちちっ!」
 急激に熱くなったフラスコを持っていられず、思わず手を放してしまった。
 ルーファスの手からフラスコが床に落ちる。
 ドッカ~ン!
 バリーンとは割れずに、轟音を立てて起こってしまった小爆発。
 辺りが煙に包まれた。
 すぐさまパラケルススが近付いてきて、持っていた杖に煙を吸引させた。
「大丈夫かねルーファス?」
「げほげほっ……だ、だいじょうぶです。本当にごめんなさい」
「怪我がないならなによりじゃ」
 パラケルススは柔和な顔をしているが、ルーファスの顔は文字通り真っ青。薬品で顔が青く染まってしまっていた。
 周りからドッと笑いが漏れる。
 いつものことにルーファスは肩を落として溜息を漏らした。
 調合の失敗の理由は読み間違えだった。薬品の量を間違って読んでしまったのだ。
「顔洗ってきます」
 と、言ってルーファスは教室を出て行った。
 その背中を心配そうに見つめていたビビ。
「ルーちゃん」
 ルーファスの後ろが姿は、なんだかいつも以上に肩を落としているように感じられた。

 放課後になり、ルーファスの元へビビがやって来た。
「今日のルーちゃん、なんだかやっぱりいつものルーちゃんじゃなかったよ」
「そんなことないよ」
「あるって。あっ、ローゼン! ねぇねぇ、ローゼンもそう思うよねっ?」
 ビビはふわふわっと歩いていたローゼンクロイツに声をかけた。
「なに?(にゃ)」
「ローゼンも今日のルーちゃん変だと思わない?」
「ルーファスはいつも変だよ(ふにふに)」
 バッサリ斬られた。
 ルーファスはちょっぴりイヤな顔をする。
「君に言われたくないよ」
 たしかに。
 ビビは納得してないないようだ。そんな顔をしている。
「う~ん、絶対今日のルーちゃんいつもよりもドジでマヌケだと思うんだよぇ」
「ルーファスはいつもドジでマヌケでへっぽこだよ(ふにふに)」
 またもローゼンがバッサリ斬ってきた。
 ひどくルーファスショック!
「……そこまで言わなくても(自覚あるだけに胸がイタイ)」
 まだビビは納得していないようすでルーファスを見ている。なにか理由をつけないと、いつまでもこうしていそうだ。
 ルーファスが視力を失ったあとのとき、ビビも近くにいた。けれど、ローゼンクロイツはいなかった。事件の詳細は他言無用とクロウリーに圧力をかけられている。
 ルーファスは詳細を省いて説明することにした。
「じつは視力が落ちちゃったみたいで、なんかここからローゼンの顔もぼやぁっとしちゃってるんだよね」
 一瞬、ビビは息を止めて驚いた顔をして、一気に大きな声を出す。
「だからちゃんと病院行ってって言ったのに!!」
「寝れば治るかなぁって。実際、きのうよりは見えるようになってるし、そのうち治るんじゃないの?」
「ルーちゃんのばか! なんでちゃんと病院行ってくれないの!」
「大丈夫だって、そんなに心配してくれなくても」
 軽く笑って見せたルーファス。ビビは怒りと心配が混じった不安な表情をしている。
 そして、ローゼンクロイツは恐ろしいまでに真面目表情をしていた。
「なにかあったのルーファス?(ふーっ)」
 口調は空に浮かぶ雲のようだったが、そのエメラルドグリーンの瞳の奥で五芒星が妖しく輝いている。沸々と魔力が発動しているのだ。
 目で見ることはできないが、ローゼンクロイツの変化をルーファスは肌で感じた。
「べ、べつにたいしたことないよ!(なんかわかんないけど、なんだこのローゼンクロイツのプレッシャー)」
「もう一度聞くよルーファス(ふにふに)。なにかあったの?(ふーっ)」
「え~っと、ちょっとした事故で視力が落ちちゃったみたいで……」
「だからねルーファス(ふにふに)。ボクが聞きたいのは、どうしてそうなったのか聞きたいんだよ(ふーっ)」
 ルーファスはたじろぎ答えない。
 そこにビビが割り込んできた。
「ルーちゃんはきのう目の前で魔法を放たれて――」
「待ったビビ!!」
 慌ててルーファスはビビの口を塞いだ。
 このときビビはひどく辛そうな表情をしていた。
「(ルーちゃん……やっぱりあたしのこと庇って……。ルーちゃんの視力が落ちたのはあたしのせいなんだ、あたしのこと庇ったりするから。なのに、そのことを言わないなんて、あたしのこと庇ってくれてるんだ)」
 あのとき、ゴールデンクルスに飛び掛かったビビを止めようとルーファスがしなければ、ビビが視力を落としていたかもしれない。
 だが、ルーファスはビビを庇っているわけではなかった。
「(本当のことローゼンクロイツに知られたら困るし、クロウリー学院長のクの字が出ただけでローゼンクロイツ機嫌悪くなるしなぁ。それに視力が落ちたなんて言ったら、こうなるのはわかってたんだよ、病院行けっていわれるの。やだなぁ、病院だけは行くたくないなぁ)」
 ただの病院嫌い!
 ビビは落ち込んでいた。
「(あたしのせいで、あたしのせいでルーちゃんは……)」
 でもルーファスは――。
「(病院行きたくない、行きたくないなぁ)」
 そして、ローゼンクロイツは――。
「きのうのテロが関係あるの?(ふにふに)」
「ドキッ!」
 っとルーファスはした。
 さらにそこにビビが涙ぐんでルーファスの胸ぐらを付かんで訴える。
「ルーちゃんお願いだから病院行ってよ!」
 ルーファスはローゼンクロイツとビビに板挟み。
 困ったルーファスは――。
「そう言えば用事があったんだ!!」
 逃げた。
 困ったときはとりあえず逃げる。
 ルーファスの十八番だった。

《2》

 逃亡を図ったルーファスだったが、すぐビビが追いかけてきた。
「ルーちゃん病院!」
「病院なんて行かないよ、本当に大丈夫だから!」
 逃げ続けるルーファス。
 だが、本当に手強いのはビビではなくローゼンクロイツだった。
「ライトチェーン(ふあふあ)」
 ローゼンクロイツの手から放たれた魔導チェーンがあっさりルーファスを拘束。
 簀巻きにされたルーファスは身動きひとつ取れなくなった。
「ううっ……ひどいよローゼンクロイツ」
「ボクはひどくないよ(ふあふあ)。それよりも、ルーファスだれかに目をやられたの?(ふーっ)」
「まあ、そういうこともあったりなんかしたり」
 そこへビビが割ってはいる。
「あたしのせいなの! ルーちゃんがあたしのこと庇ってくれた代わりに……」
「詳しく教えてくれる?(ふにふに)」
 ローゼンクロイツの瞳が妖しく輝いた。
 ――こうしてビビは事件の詳細を語り、それが終わるとルーファスは酷く落ち込んだ。
「クロウリー学院長に他言無用って言われてたのに……」
 溜息を落としたルーファスをローゼンクロイツが見つめた。
「あいつに何を言われようと心配しなくていいよ(ふーっ)。ルーファスに手を出すようなことがあったら、絶対に許さないからね(ふーっ)」
 いつもよりもローゼンクロイツが波立っていることにビビも気づいた。
「(もしかしてローゼン怒ってる? ルーちゃんのことだから? ルーちゃんとローゼンって……)」
 こんな風にローゼンクロイツを感じたのは、ビビにとってはじめてだった。
 ビビがルーファスやローゼンクロイツと知り合って、まだ一ヶ月も経っていない。出会ってからからは内容の濃い日々であったが、それでも二人の知らない一面もあるのだ。
 ローゼンクロイツがビビに顔を向けた。
「それでゴールデンクルスはどこにいるの?」
「えっ、え~っと、どうなったのかなあのあと?」
 ビビはルーファスに顔を向けた。
「私は知らないよ、目が見えなくてよくわかんなかったし」
 二人ともゴールデンクルスのその後を知らないようだ。
 ローゼンクロイツは斜め下に顔を向けた。
「ボクが傍にいればそんなことにはならなかったのに……目には目を、歯には歯を(ふっ)」
 そして、ボソッとつぶやいた。
 ビビはその発言を耳にしてしまって寒気を感じたが、聞かなかったことにしてスルーした。
「そんなことより! ルーちゃんを病院に連れて行かなきゃ!」
「病院なんて行きたくないよ」
 ルーファス拒否!
 だが、ローゼンクロイツも同意する。
「そうだね、ルーファスをリューク国立病院に連れて行こう(ふにふに)」
「ヤダよ、あんな病院絶対行きたくないよ!」
 ルーファス拒否!
 でも、簀巻きのルーファスをビビが引きずって動かす。
「ほら、早く行くよっ!」
「ヤダってば、なんで病院なんかに、しかもリューク国立病院なんて絶対行かないよ!」
 なぜリューク国立病院に行かなくていけないのか、そこにはちゃんと理由がある。そこんとこをローゼンクロイツが説明する。
「魔導学院で起きた怪我や病気は提携しているリューク国立病院が看ることになってるんだよ(ふにふに)。学割も利用できるし、あそこなら腕も確かだからね、絶対にルーファスの目はよくなるさ(ふにふに)」
「ヤダってば、リューク国立病院だけは絶対にヤダ、百歩譲ってほかの病院なら行くから、妥協してほかの病院ならいいから!」
 だが、抵抗もむなしくルーファスはズルズルと引きずられた。

 リューク国立病院の診察室。
 ルーファスは簀巻きからグレードアップして、ベッドに縛り付けられていた。そんな状況に追い詰められても、ルーファスは逃げようとジタバタ必死だ。
 なぜなら――。
「嬉しいよルーファス君。君が看て欲しいと言うから、今日の予約を全部キャンセルして予定を空けておいたよ」
 甘く囁くような低い声。小さな声なのでちょっと聞き取りづらい。
 ルーファスの顔を覗き込んでいるのは、蒼白い顔をした黒衣の魔導医ディーだった。
「(だからここの病院はやだったんだ)」
 吐きそうなほど嫌そうな顔をルーファスをしていた。
 リューク国立病院に来たくなかった理由は、このディーが絶対にルーファスを看ることになるから。
 病院自体に来たくなかった理由は?
「(病院に来るとあの夜のことが……)」
 深夜の病院で起きた怪異。そして、その後の顛末である洗い立てのパンツ事件。あのことがキッカケで、病院というキーワードがトラウマになっていたのだ。
 だからって、一晩して視力が多少回復したとはいえ、病院行けよって話である。そのまま失明する可能性だってあったはずだ。なのに、ほっといてしまうテキトーなところが、部屋の散らかりようからもわかるルーファスクオリティだ。
 身動き一つできないルーファスの顔にディーの顔が近付いてきた。
「近いって、近い近い顔が近いよ!」
「ルーファス君の唾が私の顔に掛かっているよ。ところでルーファス君、唾の中にはどの程度の細菌が含まれているか、知っているかね?」
「そんなこといいですから、顔が顔が……っ!?(口が近い!)」
 ルーファスは口をつぐんだ。
 目と目が合う。さらに口と口もすぐ近くだ。キス寸止め状態。
 その光景を見守っていたビビはちょっとイヤそうな顔をしていた。
「(近い、近い、近いよこの二人……ここの副院長ってやっぱりそっち系!?)」
 止めに入るか迷うビビ。
 でもまだ未遂だ!
 ただちょっと見つめ合っちゃって、口と口が触れあいそうなだけだ!
 この展開にルーファスは冷や汗だ~らだら。
「(長い……長いよ、早く終わらせて顔を放して欲しいんだけど)」
 ディーの瞳は少し赤みがかっている。そして、ルーファスの顔に吹きかかる息は冷たい。
 3分間くらい顔が近付いたままで、やっと看終わったようでディーは顔を離した。
「ふむ。視力の測定をしてみよう」
 ディーはそう言ってベッドを持ち上げた。
 持ち上げた?
 驚くルーファス。
「えっ、ちょっと、なに、なにする気!?」
 決してもやしっ子というわけではないが、マッチョでもないディーがベッドを持ち上げて、なんとベッドを立ててしまった。
 ルーファスの視線は天井から壁へ、視力検査の表に向けられた。
 ――と、その前に立ちはだかっていた空色の影。
 ローゼンクロイツは独りで勝手に視力検査をしてルーファス放置をしていた。
「……右(ふに)。上、上、下、下、左右左右(ふにふに)」
 だれも正解を答えてくれないので、検査にもなっていない。
 ディーはローゼンクロイツを押して退かし、視力検査表の横に立った。
「ルーファス君、以前の視力はいくつだね?」
「え~っと(去年の健康診断で……)わかりません。とびきり良かったわけじゃないですけど、生活に困らない程度は見えてました」
「君の視力は右が1.0、左が1.2だったと記憶しているが?」
「(知ってるなら聞かなくてもいいのに。というか、なんでそんなこと知ってるの?)はぁ、そうなんですか」
 おそるべしディー。
 クラウス魔導学院の健康診断もこの病院が行っているので、きっとルーファスの詳細な診断書がディーの手元にあるに違いない。
 白衣のポケットからディーは指示棒と取り出した。
「それでは右目から行おう。左目をつぶって、これがわかるかね?」
 1.0の並びのマークが指示棒で指された。
 ルーファスは左目をつぶって、それをじ~っと見つめた。
「見えません」
 次々とマークが指されていく。
 その度にルーファスは『見えません』と答えた。
 ディーは指示棒の先端を床に向けた。
「では、次は左目だ」
 言われてルーファスは右目をつぶろうとするが、頬が引きつってうまく片目だけ閉じられない。
 ものすごくブッサイクな表情になってしまっている。
「う……まく、つぶれないんですけど?」
「だれか目を押さえてやってくれないかね?」
 ディーはビビとローゼンクロイツに顔を向けた。
 ルーファスはベッドに拘束されているので、自分の手で目を隠すこともできない。
 ビビが元気よく手を挙げた。
「はいはい、は~い! アタシがやりま~す!」
 さっそくビビはルーファスの目を手で覆った。
「…………」
 ルーファス沈黙。
 そして、ボソッと言った。
「なにも見えないんだけど?」
 言われてビビはハッとした。
 両手でルーファスの両目を隠してしまっていたのだ。
「ごめ~ん! 間違っちゃった、えへっ♪」
 気を取り直して視力検査再開。
 次々と指されるマークだが、やっぱり『見えません』の連続だった。
 そして、検査が終わるとディーは深刻な顔をした。
「ふむ、両目とも0.2以下だ。ここではこれ以下の検査はできないので、ほかの場所で精密な検査をしよう。そして手術だな」
「はっ?」
 っと言ったままルーファスは固まった。
 ルーファスの頭の中で『手術』という言葉がエコーした。
 そして、ハッと我に返った。
「絶対イヤだよ! 死んでもイヤだよ! 手術なんてありえないよ、しかも目とか危ないじゃないか!」
 ルーファスの頭に過ぎるニュース。王都のとある眼科で手術を受けた患者が次々と角膜炎を発症、視力が落ちた患者や失明寸前の患者まで出てしまった。当時まだ視力が悪くなかったルーファスは、『ふふ~ん』と思うだけだったが、その恐怖が今襲い掛かってきた。
 妖しげにディーは微笑んでいる。
「手術と言っても実に簡単なものだよ。もちろん私が執刀する」
「手術なんてしません!(しかもこの人が執刀したら、麻酔かけられてる間にどんなことされるか……怖っ)」
 ちなみに通常、眼の手術は局部麻酔なので、あ~んなことやそ~んなことをされる心配はたぶんない。
 ビビがルーファスを見つめた。
「視力が戻るなら手術したほうがいいよ!」
「人事だと思って、手術受けるの僕なんだからね!」
 が~ん、ビビちゃんショック!
 ルーファスのためを思っていったのに、怒鳴られた。
 落ち込むビビに代わってローゼンクロイツが促す。
「手術すればいいよ(ふあふあ)」
「ローゼンクロイツも人事だと思って!」
「うん、人事(ふあふあ)」
 が~ん、ルーファスショック!
 投げたボールをそのまま打ち返された。
 ディーがルーファスの目の前にまで近付いてきた。
「友人たちもこう言っているのだよ。今からすぐ手術をしようではないか」
「いやいやいや、気が早いですからディー先生。ちなみにその手術ってどんなものなんですか?」
「角膜をスライスして」
「はっ? 絶対にありえないし、絶対に手術なんてしませんから!!」
 ルーファスはジタバタして暴れようとするが、拘束されていて身動き一つできない。
 ディーはどこからともなく注射器を取り出した。
「手術中に暴れられると危険だから、全身麻酔にしよう」
 笑った。ディーが妖しく笑った。全身麻酔なんてされて気を失ったら、なにかされる!
 ルーファスは逃れるために必死だった。
「ヤダヤダヤダヤダーッ!」
 叫んだルーファスが思わぬ力を発動させた。
 魔力の暴走による爆発。
 ルーファスを中心に小爆発が起き、ディーの身体が吹き飛ばされた。
「良い魔力だルーファス君」
 爆発に巻き込まれながらディーは無傷。黒衣が多少焦げている。
 思わぬ爆発にビビも驚いた。
「だいじょぶルーちゃん!」
 そして、ローゼンクロイツは独りで視力検査!
「上上、下下、左右左右」
 肝心のルーファスがベッドから解放され、さらにローゼンクロイツの魔導チェーンも破壊していた。
 拘束を解いたルーファスはすぐさま逃亡。
「手術なんてイヤだーっ!」
 診察室を飛び出したルーファスは病院の廊下を走った。
 だが、前がよく見えずにいきなりだれかに大衝突!
 ドン!!
 看護婦が転倒。M字開脚でパンツ丸見えだが、今のルーファスにはぼやけて見えない。ちなみに純白のレース付きだ。
「ご、ごめんなさい!」
 謝ってる相手が看護婦だってこともよくわかっていない。
 すぐに後ろからはディーが追いかけてくる。
「そこの彼を捕まえろ。麻酔を使っても構わない、怪我は絶対にさせるな」
 ボソボソっとした小さな声なので、周りのスタッフには届かなかった。
 突然、ルーファスの頬を何かか掠めた。
 まるでそれはダーツ。
 ルーファスが振り返ると、ディーが注射器を投げてきた。
 ビュン!
「うわっ!(注射器投げるとかありえないし!)」
 さらにビュン!
 ビュン、ビュン!
 次から次へと投げられた注射器をかわすルーファス。
 ディーは眉を細めた。
「私のダーツをかわすとは、良い瞬発力だルーファス君」
 避けるのはだけは得意なルーファスだったりする。
 ルーファスから外れた注射器は、そこらへんを歩いていたスタッフや患者に刺さり、次々と深い眠りに落ちていく。
「なんでこんな人が副院長なんだよ!」
 ルーファスは叫んで逃げた。
 王都アステアでは実力主義なところがけっこうあるので、アレな人でもいいポジションにいる場合が多い。クラウス魔導学院の教員もそんな感じだ。
 とにかくルーファスは逃げた。
 逃げて逃げて逃げまくるほどの被害拡大。
 大量のスタッフが意識を失ったために、病院機能まで低下。
 大惨事だ。
 スタッフたちも必死でディーを止めようとする。
「副院長もうやめてください!」
「黙りたまえ」
 ディーの投げた注射器にブスっとされて、止めに入ったスタッフも深い眠りに。
 スタッフはルーファスを捕まえるグループにも分かれていた。
「大人しく捕まりなさい!」
 でもなかなか捕まらないルーファス。
 だって逃げるのは得意だから。
 ついにイライラしてきたスタッフはルーファスに殴りかかってしまった。
 そこへディーの投げた注射器がブスッと、殴りかかったスタッフも眠らされた。
 必死で逃げていたルーファスだったが、ついに廊下の端にまで追いやられてしまった。これ以上逃げ場はない。
 この場にビビも追いついてきた。ちなみにローゼンクロイツは病院で迷子になっている。
 ルーファスに迫るディー。
「もう逃げ場はないよルーファス君」
「手術は……手術だけは……」
 生唾をゴクンとルーファスは飲んだ。背中はもう壁についてしまっている。
 このままルーファスは一巻の終りなのか!?
 しかし、ここでルーファスはある言葉を叫んだのだ。
「メガネにしたいと思います!!」
 言葉は瞬く間に廊下を駆けた。
 一瞬、ディーの動きが止まった。
「め、眼鏡だと……ルーファス君が眼鏡だと……眼鏡よりも私は手術を勧める!」
 ルーファスの眼鏡発言は儚く散った。
 手術を勧めるというか、このままだと強制手術展開だ。
 だが、一瞬ディーが動きを止めたときに、ルーファスはすでにこの場を切り抜けて逃亡していた。
 そして、ルーファスは病院からの脱出を成し遂げたのだ!
「ハァーッハァーッ、死ぬかと思った」
「ルーちゃんだいじょぶ?」
「大丈夫じゃないよ、あとちょっとで手術なんてされそうになったんだから」
「あれ、ところでローゼンは?」
 ビビは辺りを見回した。
 この後、ローゼンクロイツは1時間かけて、病院ダンジョン自力で攻略したのだった。

《3》

 リューク国立病院で騒動があった翌日。
 今日は学院も休みのガイアの休日で、ルーファスは目覚ましをかけずにスヤスヤ安眠。
 ――のハズだったのだが。
「ルーちゃんおはよーぐると!」
 部屋に飛び込んできたビビがルーファスの腹にエルボー!
「うげぶっ!!」
 奇声を上げてルーファスがエビのように飛び上がった。
 激痛で目を覚ましたルーファスだったが、目の前にいるビビがぼやけて誰かわからない。
「だれ? リファリス姉さん……じゃないよね」
 ルーファスビジョンでは、ビビの頭がちょっとカニっぽく見えている。ツインテールがハサミの部分だ。
「ちょ~可愛い仔悪魔のビビちゃんに決まってるでしょ~(やっぱり目よくなってないんだ)」
「あぁ~、ビビか。ってなんで人の部屋に勝手に……」
「勝手じゃないよ、ちゃんとお姉さんに入れてもらったし」
「僕より先に起きてるのか……リファリス姉さん」
 まるでいつも自分の方が先に起きているような言い方だが、いつも先なのはルーファスの目覚まし時計の音で起こされているリファリスだ。
 朝――と言っても昼近いのだが、元気ハツラツなビビちゃん。
「よしっ、張り切ってメガネ屋さんに行こーっ!」
「……めんどくさいよ」
 テンションが低いルーファス。
「ルーちゃんもっと元気出さなきゃ1日がはじまらないよ!」
「低血圧なんだから仕方ないよ。きのうは遅くまでネットやってたし(レベル2も上げられたし)」
 まったく目をいたわる気ナッシング。しかもやってたのはおそらくオンラインゲームだと思われる。
 だるそうにルーファスは上半身を起き上がらせた。無精全開なので、髪の毛が結わいたままだ。結わいたままで寝たせいで、ボサボサに毛羽立っている。しかも年季の入ったTシャツの襟がヨレヨレなのがチャームポイントだ。
 ボリボリとルーファスは頭を掻いた。
「めんどくさいよ。眼鏡屋さんどこにあるか知らないし」
「それならちゃんと調べてきたよ! そこのお店今なら全品20パーセントオフだって!」
「ふ~ん」
 と言った直後に再び就寝。
「ルーちゃん起きて!」
「あと5分、いやあと10分、やっぱり1時間」
 伸びている。
「ルーちゃん起きてってば!」
 身体を揺するが起きてくれない。
 ビビちゃんエルボーはリファリスの目覚ましボールより効果が薄いらしい。
 しばらくがんばったビビだが、大きく息を吐いてあきらめた。そして、部屋を出て行ってしまった。
 部屋も静かになって安眠パラダイスに浸るルーファス。
 だが、そこに恐怖が忍び寄っているとは思いもしなかった。
 ビビがリファリスを連れて帰った来た。
「起きろルーファス!」
 リファリスはルーファスの両足首を掴んで、グルンと遠心力をつけて投げた!
 投げた! 投げた! 投げたーっ!
 カメラアングルが3カット切り替わるかのごとく3回言ってみましたが、投げられたのは1回です。
 投げられたルーファスは壁に激突して、そのままマンガの山に落ちた。
「いっ……ててててて……リファリス……姉さん……今のはちょっと……やりすぎ」
「ハァ? アンタがこんなカワイイ女の子を寝坊して待たせるのが悪いんだろう」
「(べつに寝坊したわけでもないんだけどなぁ。勝手に家まで来たんだけど)」
 あえて口には出さない。口に出したところで、リファリスを前にしたら意見は消されてしまう。
 とりあえず目も覚めてしまったので、ルーファスは仕方なく出掛ける準備をすることにした。
「顔洗ってくるね。ビビはリビングで待ってて」
「うん、じゃあお姉さんとお昼ご飯食べてるね!」
「(ひとんちに押しかけて来て、昼ご飯まで食べる気なんだ。まるでカーシャだ)」
 カーシャのほうがもっと厄介で、ルーファス宅にはカーシャ専用の食器が勝手に置かれていたりする。

 昼食と身支度を済ませて、ルーファスとビビは街に出た。
 王都での公共の移動手段はいくつかある。
 十数年前に全路線が開通したアステア鉄道は、王都の外周を一周する路線にある4つの駅と、王都のほぼ中央にあるアンダル駅とが繋がっており、さらに外周の4つの駅からはほかの街への移動も可能だ。
 もっと細やかな移動をするなら、乗り合い馬車だ。馬車は一定の路線を運行しているものと、自由に行き先を指定できるものとに分かれている。この馬車を引く馬は実際の馬ではなく、馬を模った魔導具である。なぜ馬の形をしているかというと、街の外観を損なわないための配慮である。
 近年になって人口の増加などに伴い、乗り合い馬車を大幅に削減して、バスを導入する案が検討されている。
 ルーファスとビビは馬車に乗って商店街までやって来た。
 この場所は王都の中でも古くからの商店が建ち並んでいる場所で、ここにあるドラゴンファングという鍛冶屋は王都アステアでも3本の指に入る名工がいる。
 という場所でひときわ目立つ新装開店の電飾。古くからの店が並んでいるとはいえ、たまには新参の店があったりする。
 しかも、そのお店がビビの見つけてきたメガネ屋だったりする。ちゃんと20パーセントオフののぼりも出ている。
 店内に一歩足を踏み入れると――。
「おめでとうございます!」
 店主がすっ飛んできて、こう続ける。
「開店から10人目のお客様でございます、コケッコー!」
 もしかして景品とかもらえちゃったりするんだろうか?
 なんて淡い期待を抱くとか抱かないとかの問題ではなく。語尾に『コケコッコー』がついてたとかいう些細な問題ではなく。
 店主の顔が変だ!!
 仮面舞踏会でよく看る鳥さんの羽根がいっぱいついた目元を隠すマスカレードマスク。よ~く見ると、目の穴にレンズがはめ込んであって……歴としたメガネだ!
「景品はとくになにもございませんコケッ」
 景品云々とかよりも、やっぱり語尾にも注目したくなる。
 ちょっと帰ろうかどうか迷い出すルーファス。
「(このお店怪しすぎる……とくにこの店員なのかよくわかんない人が)」
 でもビビはすでに店内を物色しはじめていた。
「ライブのときとかサングラスかけたらカッコイイかなぁ」
 さっそくビビは良さそうなデザインのサングラスを手に取った――瞬間、店主が駆け寄ってきた。
「お客様はお目が高いコケコッコー!」
「もしかして売れ筋のなの? でも売れてるのだと、被っちゃうアタシの個性が引き立たないしー」
「いえいえ、なんとお客様が開店以来はじめて手に取った商品でございますコケッコー」
 新装開店で10人目の客ということなので、ほとんどの商品がそうだろう。
「じゃあどこがお目が高いの?」
「お目が飛び出るほど高いの略でございますコケ」
「高いってどのくらい?」
「10万ラウルでございますコケ」
「高っ!」
 自分の国に帰ればお金なんてどうとでもなるが、今のビビはなかなか貧乏だったりする。当面の生活費は、身につけていた高額なアクセサリーを売ってどうにかしたのだが、収入はゼロなのでそのうちお金が底を突く。
 悩むビビちゃん。
「(来月から仕送りしてもらおうかなぁ。でも家出したのに仕送りなんてカッコ悪いし。パパに頼んだら、お金じゃなくて国ごと奪ってやろうなんて言いかねないし。学費のこともあるし、ちょっとだけ、ちょっとだけママに仕送りしてもらおうっと)」
 というわけで、現時点ではこのサングラスを諦めるしかない。
 ルーファスもメガネ選びをしていた。でも見つけたのは双眼鏡。手に取ると店主がすっ飛んできた。
「お客様、素晴らしい商品を手に取りましたねコケッコー」
「この双眼鏡そんなにいいの?」
「もちろんですともコケ。なんとその双眼鏡は他人の視界が見える双眼鏡なのですコケ」
「へぇ~」
 と、ためしにルーファスが覗いた瞬間、見えてしまった光景は?
 おっぱい!
 銭湯の女湯の光景だった。
「ぶはっ!」
 鼻血ブー!
 こういうことに免疫力のないルーファスだったりした。
「だいじょぶルーちゃん!」
 すぐに床に倒れたルーファスにビビが駆け寄ってきた。べつの場所でメガネを見ていたので、なにが起きたのかさっぱりわからない。
 ルーファスがうわごとつぶやいている。
「ジャングルが……秘境が……小高い山や巨大な山脈が……」
 このヒントから店主は答えを導き出した。
「ジャングル探検隊の視界を見たコケ。それできっとおそろしい魔物に遭遇したコケ」
 ある意味魔物だ。
 いったいルーファスになにが起きたのかビビはまだわからない。
 そこでビビも双眼鏡を覗いてみることにした。
「きゃーーーっ!」
 叫び声をあげたビビ。
 なんとビビが見たものとは……?
「ルーちゃんのえっち痴漢変態!」
 ルーファスの視界(ビビのスカートの中)だった。
 床に倒れていたルーファスから、たまたまビビのスカートの中が見えてしまったらしい。ちなみにピンクに白の水玉だ。
 ここで店主が説明。
「見える視界はランダムですコケ。覗く度にどこかのだれかの視界が見えるコケ」
 ルーファスの視界を当てたのは奇跡だ。
 どうにか秘境から帰還したルーファスだったが、記憶がプッツリ途切れていた。
「あれ、ここどこ?」
 そこからプッツリだった。
 こんな店に新たな客が入ってきた。
「わぁ、こんなところに新しいメガネ屋さんができてたんですね!」
 登場したメガネっ娘[コ]にルーファスは見覚えがあった。
「あっ、ローゼンクロイツのストーカーだ」
 その名もアイン!
 アインの元へ店主がすっ飛んだ。
「おめでとうございます! 開店から12人目のお客様でございます、コケッコー!」
 とか大騒ぎされると、やっぱりアインも期待してしまう。
「景品とかもらえるんですか!?」
「そんなのないコッコ」
 この発言にアインは軽くショック。思わせぶりな店主だ。
 アインは店内を見回した。
「(ほかの従業員は? まさかこの変質者の仮面野郎さんしかない?)」
 舞踏会でもないのにこの仮面はまさしく変質者!
 まあ、店主が変態だろうと変人だろうと、ニワト……だろうが、商品がよければいいのだ。その商品も双眼鏡の一見で怪しいが、アインはそんなことなど知らない。
 さっそくアインはメガネを手に取った。毎度おなじみのパターンで店主がすっ飛んできた。
「まさかそれをお選びになるとはお客様は通でございますコケッコー!」
「通とか言われるとちょっと良い気分ですね、下町っ子ですから。それでどんな風に通なんですか?」
「まずはそのメガネをお掛けになって、ちょっとばかり目の方に力を入れていただきますとコケ……」
「メガネを掛けてっと」
 言われたとおりにやってみる素直ちゃん。
 だが、次の瞬間、思わぬ悲劇が待っていた。
 目から怪光線ドーン!!
 アインの掛けた眼鏡からビームが発射され、ルーファスとビビの真横を向けて店の壁に大穴を空けた。ルーファスは腰を抜かし、ビビは凍り付いた。一歩ずれていたら死んでいたに違いない。
 撃った本人も固まっている。
 テンションが高いの店主だけだ。
「素晴らしいですお客様コケ! まさかそのメガネをいとも簡単に使いこなしてしまうとは、そのメガネがお客様を選んだに違いないコケ。そこで特別に30パーセントオフで売って差し上げますコケッコッコー!」
「いりません!」
 アインは目から怪光線メガネを元の場所に戻して、自分のメガネをかけ直した。
 そろそろルーファスとビビは帰ろうと本気で思いはじめていた。
 ルーファスは店内を見回した。
「まともなメガネあるのかな?」
「もしかしたらあるかもしれないよっ!(と、思ってもないことを言っちゃった)」
「そうだね、もう少し見てみようか」
「(あ、ルーちゃんが乗っちゃった)う、うん、そうだよっ!」
 こうしてもうちょっとだけメガネを見ることにした。
 さっそくビビが自分用のサングラスを見つけた。
「あっ、このサングラスキュート♪(でもまた変なのだったり、高かったりして)」
 さっそく店主がすっ飛んでくる。
「お客様、まさかその禁断のサングラスを手に取るとは怖い物知らずですねコケ、コケコケ……」
 店主の声がちょっと震えていた。
 ビビは固唾を呑んだ。
「禁断のサングラスって……?」
「お掛けになればわかりますコケ」
 禁断とか言われて掛けるのはちょっと勇気がいる。
 そこでビビはニッコリ笑顔でルーファスに手渡した。
「ルーちゃんきっと似合うよ!」
「えっ……そうかなぁ?(なんか無理矢理押しつけられてる気が)」
 そうです、無理矢理押しつけられているのです。
 でも断ることのできないルーファス。さっそくサングラスを掛けてみた。
「…………」
 黙り込むルーファス。
 ビビは心配そうな顔をした。
「どうしたのルーちゃん?」
「……なんていうか、真っ暗でなにも見えないんだけど?」
 そう、サングラスを掛けた途端、視界が真っ暗。
 店主が禁断の詳細を開かす。
「じつはそのサングラス……掛けるとなにも見えなくなるという恐ろしいサングラスなのですコケッコー!」
 それってただのアイマスクじゃ?
 何事なかったようにルーファスはサングラスを戻した。
 ビビはルーファス用のメガネも見つけていた。
「ルーちゃんこっち来て、このメガネとかどう見ても普通そうだし、掛けたら頭良さそうに見えるよ?」
「ホントだ、至って普通のメガネっぽいね(これ掛けたら、頭良さそうに見えてみんなにバカにされなくなるかな?)」
 バカっぽい人が無理してメガネを掛けると、よけいにバカっぽく見える。メガネは自分にあった物を選びましょう。
 さっそくルーファスはそのメガネを掛けようとした。
 そこにアインの接客をしていた店主が気づいて止めに入った。
「お客様そのメガネはコケッコッコーーーッ!!」
 だが、もうルーファスはそのメガネを掛けたあとだった。
 とくに掛けたと言ってなにも起こらない。
 ビビはニッコリ笑顔を浮かべている。
「ルーちゃん似合うぅ~♪」
「そうかなぁ、ちょっと鏡で……か、あががががが……」
 急にルーファスが全身を硬直させて、そのまま床に手をついてしまった。
「どうしたのルーちゃん!?」
 ビビの叫びが店内に木霊した。
 いったいルーファスになにが起こったのかッ!?

《4》

 ルーファスはビビの前で膝をついた。
「こんな可愛らしいお嬢さん、今まで見たことがない。私の心は今、チョコレートのように甘く、そして少しほろ苦い恋に落ちてしまった!」
 まさかルーファスの口からそんなセリフが出るなんて……。
 ビビは驚きのあまり声も出ない。
 でも、ちょっと時間が経ってくると、ビビは顔を真っ赤にしてはにかんだ笑顔になった。
「えへへ、ルーちゃんどうしたの急に?」
「なんて素敵な笑顔なんだ。まるでひまわりのようだ……いや、ひまわりを照らす温かい太陽の光のような笑顔だ。君は天使なのかい?」
「天使じゃなくて悪魔だけど……え……っと、なんだか恥ずかしくなってきちゃった。もぉ、ジョーダン言わないでよルーちゃん」
「ジョーダンなんて口が裂けても言わないよ。君は僕と出会うために生まれて来たんだ。運命というエンゲージリングが僕たちを結びつけてくれたのさ!」
 あきらかにおかしい。いつもルーファスじゃない。そうはわかっていても、ビビは悪い気はしなかった。
 ビビのニヤニヤが止まらない!
 だが、次の瞬間にはルーファスがひざまづいていたのはアインの前!
「こんなところに女神様が!」
「えっ、わたしのことですか!?(ルーファス先輩……頭でも打ったんじゃ?)」
「その健康的な肌、身体、短い髪、健康美に溢れている。まさに自然の芸術だ!」
 アインをくどくルーファスを見てビビは白くなりかけていた。
「ルーちゃん(あんな軽い男の人だったなんて……今まで知らずに過ごして来ただけなのかな……実家に帰ろうかなぁ)」
 ルーファスの新たな一面発見かっ!?
 困ったアインは店主に助けを求めた。
「ルーファス先輩になにがあったんですか!?」
「わからないコケ」
「わからないって、さっき必死で止めようとしたじゃないですか!」
「どんな眼鏡がわからなかったから止めたコケ」
 そんなメガネを店に置くなよ!
 店主が肩をすくめた。
 アインが店主と話していると、再びルーファスはビビの元にいた。
「どうしたんだい可愛らしいお姫様?」
 お姫様というのは誉め言葉ではなく事実だ。
 ビビがどんよりした空気を背負いながら、しゃがみ込んで動かず口も開かない。
「黙っていてはわからないよ。もしかして悩み事があるのかな? ならば君の進むべき道を僕が示してあげよう。さあ、この舵を握って進路を取るんだ!」
 ルーファスが親指で指し示したのは自分の股間だった。
 下ネタかっ!!
 閉鎖空間に入ってしまっているビビはツッコミもしないし、目の前にいるルーファスも目に入っていなかった。
 アインが駆け寄ってきた。
「しっかりしてくださいルーファス先輩!(ここでルーファス先輩を正気に戻せたら、きっとローゼンクロイツ様の好感度があがるハズ!)」
 素晴らしい動機だ。
「また逢ったね女神様。どうだい今夜は飲み明かそうじゃないか。君のためのこのボトルも空け――」
「言わせませんよ!」
 アインは言葉を遮り、ルーファスの腕を掴んだ。
 絶対にルーファスは自分の股間を指すつもりだった。
 ルーファスに起きた異変。性格に変化が起きたことは明らかだ。原因はおそらくメガネ。
 アインはルーファスのメガネに手を伸ばした!
 だが、手を掴まれた。しかもただ掴んだだけではなく、互いの指と指をガッシリと組まれて離れない。
「嗚呼、レディからダンスの誘いをさせるなんて失礼した。改めて僕からダンスを申し込もう。踊ってくださいますね、太陽の女神様」
「えっ、その……」
 とか口ごもっていると、無理矢理踊らされた。
 アインのダンスはぎこちなかったが、ルーファスは優雅に躍っている。
 いつの間にか復活していたビビは、復活と共に冷静にもなって、その状況は注意深く観察していた。
「(ルーちゃんが踊ってる。運動神経のないルーちゃんがダンスなんて……?)」
 それもメガネの力なのか?
 ビビはそ~っとルーファスの背後に近付いた。
「(メガネさえ奪っちゃえば……)」
 そ~っと、そ~っと、ビビは気配を消して――ルーファスに飛び掛かった!
 が!
 ビビの両手がルーファスに掴まれた。
「君も僕と踊りたいのかい?」
 アインが解放されて、次はビビとダンス。
 足がもつれそうになるビビ。
「あっ、ちょ、待って……ああっ!」
 はじめは見るも無惨な踊りだったが、ちょっとずつビビは可憐なステップを踏みはじめた。
 まるでその一角は王宮の舞踏会。
 ビビは幼い頃の思い出を浮かべていた。
「(社交ダンスの練習させられたんだった。先生がすっごいきびしくて、あのときは本当にイヤだったなぁ)」
 その練習がここで役に立っている。
 気品漂う眼差しでルーファスが微笑んだ。
「まるで君の踊りは蝶の舞いのようだ」
「そんなこと言われると照れちゃうよぉ……あっ」
 ビビの足がもつれた。
 倒れそうになったビビの腰を抱いてルーファスが支える。
 見つめ合う二人。
 唇と唇はすぐそこに……。
 ビビは頬を赤らめた。
「(ルーちゃんの顔がすぐそこに……でも、でもでも、今のルーちゃんはいつのルーちゃんじゃない)」
「海の見える丘にある教会で結婚しよう」
「……えっ、ええええ~~~っ!」
「夜はお祝いのボトルを――」
「だめぇーーーっ!」
 ビビはルーファスを押し飛ばした。
 尻をついたルーファスの瞳は輝いていた。
「なんて強い押しなんだ……押しの強い女性は嫌いじゃないッ!」
 押しの意味が違うような気がする。
 だが、次の瞬間にはルーファスの視線は、破壊されている壁の先を歩いていた若い女の子に向けられていた。
 ルーファスが外の世界に飛び出した!
「貴女はマダルガスの絵画から出てきたのですか!」
 マダルガスとは美人画で有名な画家の名前だ。
 戸惑う女の子。
 しかし、そんな女の子を放置してルーファスは近く似た女性をくどきはじめていた。
 さらにほかの娘、ほかの、ほかの、ほかの、見境なくくどいている!
 ルーファスの節操のない行動を見ていたビビの瞳がギラ~ン!
 イエローアイからレッドアイへ。
 ビビは大鎌を召喚してルーファスに襲い掛かる。
「ル~ウ~ちゃ~んッ!!」
 怒りに燃えている。ビビが怒りに燃えている。
「ばかぁーーーッ!」
 大鎌がルーファスの首を狙う。
 マジだ、マジでヤル気だ。
 ビュン!
 風を切った大鎌。
 だが、ルーファスの首を斬れなかった。
 目を丸くするビビ。
 微笑んだルーファスは片手で大鎌を受け止めていた。正確には手にマナを集中させ、魔法壁で防いだのだ。
「殺したいほど愛されているんだね、僕は」
「……ルーちゃんのばかばかばかぁ!」
 目だけではなく顔まで真っ赤にして、ビビは連続斬り!
 だが、そのすべてを華麗にルーファスは受け止めた。
 ビビは驚きを隠せない。
「(ルーちゃんが……強い!)」
 しかしそう思ったの束の間だった。
 酔っぱらったオッサンが近付いてきて、ルーファスをぶん殴ったのだ。
「彼女とのケンカなら別の場所でやれーッ!」
 パンチを喰らったルーファスは地面に倒れてグルングルン回った。
 倒れたルーファスにビビが斬りかかる。
「ばかぁッ!!」
 その一撃も素早く立ち上がったルーファスの手によって止められた。
 再びそこで酔っぱらったオッサンが近付いてきた。
「だから別の場所でやれって言ってんだろーッ!」
 オヤジの鉄拳!
 またもルーファスは避けきれずに殴られ地面に倒れた。
 この状況に入れずに見守っていたアインは、ある仮説を立てた。
「まさか……女の子には強くても、オヤジには弱い!?」
 あっ、ルーファスが逃げた!
 オッサンから逃げた!
 だが、逃げただけではない!
「君が美しすぎて立ち眩みが……」
 それはきっとぶん殴られたからだ。
 次から次へとくどいていたルーファスの足が止まった。その表情は驚きに満ちあふれている。
「後光が差している!」
 その視線の先を歩いていたのは空色ドレスの麗人。
「まさに君こそ空に輝く真の太陽だ!」
 ルーファスがローゼンクロイツをくどいたーーーっ!!
 ビビ&アインショック!
 大鎌がビビの手から落ちた。
「疑惑はあったけど……あったけど……あからさまにやおいなんて!!」
 ローゼンクロイツのストーカーであるアインのショックも計り知れない。
「ローゼンクロイツ様の性嗜好に口出しなんて恐れ多いですけど、だれかのものになるなんて……許せません!」
 アインは恋の炎を燃やした。
「ファイアーボール!」
 炎の玉がアインの手から投げられた。
 その攻撃を防いだのはルーファスではなくローゼンクロイツだった。
「ウォータービーム(ふにふに)」
 一瞬にして炎は水に呑まれて消えた。
 ローゼンクロイツの瞳は目の前のルーファスではなく、アインを見据えていた。
「おいたはダメだよ(ふあふあ)。ライトチェーン(ふにふに)」
「ああんっ、ローゼンクロイツ様ぁ!」
 アインは自らライトチェーンに巻き付いて簀巻きにされた。
 ふあふあしているローゼンクロイツの前で、ルーファスはひざまづいていた。
「君には歯の浮くような飾った言葉なんて必要ない。君を現す言葉はこの一言で十分だ――荘厳!」
 そう‐ごん【荘厳】――重々しくおごそかで立派なこと。威厳に満ちあふれているさま。
 たしかにそのふあふあした感じは悟りの境地を開いたようにも見える。
 その表情はアルカイック・スマイル――口の両端をかるく引き上げる微笑は、上機嫌や陽気や愉快といった感情を超越し、慈悲深い呪術的な神の領域の微笑。単純に若干アヒル口っぽいとも言えるが。
 そのローゼンクロイツの口が言葉を言葉を紡ぎ出す。
「……呪われてるね、そのメガネ(ふにふに)」
 エメラルドグリーンの瞳の奥で輝く五芒星[ペンタグラム]は多くを見通す。
 さらにもう一言付け加えた。
「キミの名前は?(ふにふに)」
 目の前にいるのはルーファス。ローゼンクロイツが知らないハズがない。
 つまり……?
「嗚呼、なんということだ。僕としたことが、己の名前を君の心に深く刻み込んでもらうことを忘れていたなんて。僕の名前は愛の貴公子ことアル・ツヴァン3世!」
 ルーファスじゃない!?
 ビビとアインは大きな誤算をしていた。
 ルーファスの性格が変になったのではなく、ルーファスの身体が別の人格に乗っ取られていたのだ。
 どおりでローゼンクロイツが男だと知らずにくどいたわけだ。
 大鎌をしまったビビがルーファスの顔をまじまじと覗き込んだ。
「ルーちゃんじゃないの?」
「ルーちゃんとはこの身体の持ち主のことかい? 僕はこの身体の持ち主とはまったくの無関係の赤の他人の幽霊さ!」
 おまけ付きならぬ、おばけ憑きのメガネだった。
「早くルーちゃんの身体から出てって!」
 ビビは必死になってツヴァンのメガネを取ろうとするが、ヒラリヒラリとかわされる。やっぱり女の子には強いらしい。
 だったらローゼンクロイツならどうだ!?
 でもローゼンクロイツはふあふあしているだけだった。
 ビビはローゼンクロイツに顔を向けた。
「ローゼンも手伝ってよ、こいつをルーちゃんの身体から追い出して!」
「……めんどくさい(ふぅ)」
 で片付けられた。
「もぉ、ローゼンのばか!」
 頬を膨らませたビビはひとりでなんとかしようと奮闘。
 でもやっぱりダメだ。
 ツヴァンはルーファス以上にルーファスの身体を自由に操っている。息を切らせているのはビビだけだ。
 ほんの一瞬、ツヴァンの動きが止まった。
 ビビの手がメガネに伸びる。
 バシッ!
 その手は呆気なくツヴァンに捕らえられた。
「君に僕の自由は奪えない」
「ルーちゃんの身体から出てって!」
「そんなにこの身体の持ち主が大事なのかい――この僕よりも!!」
「当たり前でしょ!」
 そりゃ当たり前だ。
 ツヴァンはルーファスの顔を借りて真面目な表情をした。
「君とこの身体の持ち主の関係は?」
「……ともだち。ただのともだちだけど、それがなにか?」
 ちょっと怒ったような言い方だ。
「ただの友達か……まあいい。君が本当に僕にこの身体から出ていって欲しいと願うのなら、1つ条件がある」
「どんな?」
「こんな僕だが、この世でただひとり……告白できなかった女性がいる。彼女に告白できなかったことで、僕は死んでも死にきれずに愛用していたメガネの呪縛霊となってしまったんだ。条件は彼女を捜し出し、僕と合わせて欲しい」
 呪縛霊になったいきさつは置いといて、なんでそんなメガネ売ってんだよ!
 ビビは条件を呑むことにした。
「うん、わかった。それでその女性の手がかりは?」
「運が良ければまだこの街に住んでいると思う。名前はクリスチャン・アリッサ」
 少ない手がかりだ。
 しかし、この名前に反応した者がいた。
「……知ってるよ(ふにふに)」
 ただふあふあしてるだけじゃなくて、ちゃんと話を聞いていたらしい。
 ツヴァンは驚いた。
「知ってるのかい!?」
「知ってるよ、どこで働いているか(ふにふに)」
「会わせてくれ、会わせてくれたら成仏でも何でもしてやる!」
 必死に訴えたツヴァン。
「いいよ(ふあふあ)。そこに行く用事があったから(ふにふに)」
 こうしてローゼンクロイツの案内でアリッサの元へ行くことになったのだった。

 案内された場所は目と鼻の先だった。
 アンダル広場を見下ろす聖リューイ大聖堂。
 この場所は観光のために一般開放されている部屋と、関係者以外立ち入り禁止の部屋に分かれている。
 ローゼンクロイツが進んでいく先は関係者以外立ち入り禁止の場所。
 先頭を歩くローゼンクロイツの姿を見ながら、ビビはとても心配そうな顔をしていた。
「(あのローゼンが自信満々に歩いていく……絶対に迷うはず!)」
 方向音痴と言えばローゼンクロイツ。彼の知り合いだったらみんな知っている。
 そして、ふとローゼンクロイツの足が止まった。
「……迷った(ふにゅ)」
 やっぱり!!
 わかっていた、わかっていた結果だ。なのにローゼンクロイツを先頭に歩かせたのが悪かった。
 この場所にいるということまでわかっていれば、あとは簡単に見つかるかもしれない。聖リューイ大聖堂に来たこと自体が迷った結果という可能性も捨てきれないが。
 ツヴァンは近くにいたシルターに尋ねることにした。
「宗教画に描かれた天使のようなお嬢さん、クリスチャン・アリッサがどこにいるかご存じありませんか?」
「アリッサ様ならご自分の部屋でお仕事をなされていると思います。よろしければ部屋の目までご案内して差し上げましょうか?」
「ありがとうございます。君のような美しい方にエスコートしていただけるなんて、僕は天の階段を昇る心地です」
 ぜひともさっさと駆け上って成仏して欲しいものだ。
 シスターに案内され、ついに部屋の前まで辿り着いた。
 ツヴァンはノックをすると、返事も待たずに部屋の中に飛び込んだ。
「僕が本当に愛していたのは君なんだ!!」
 その視線の先には枯れ枝のようなバアさんが……。
 ローゼンクロイツはペコリと頭をさげる。
「こんにちはアリッサ様(ふあふあ)」
 どうやら本物のアリッサらしい。
 どこからともなくピュ~と風が吹き、ツヴァンは白くなった。
 アリッサは笑った。
「ふぉふぉふぉっ、わしもまだ捨てたもんじゃないみたいだね。若い子に誘われたんじゃ、デートのひとつもしてやらんとな」
 骨と皮の腕がルーファスの腕に回された。
 このときルーファスは呪縛から解放されて意識を取り戻した。
「えっ、なに、どうなってるの!?(なにこの満面の笑みのおばあさん!?)」
 アリッサに連れられてルーファスは行ってしまった。
 呆然と立ち尽くすビビ。
「どーゆーこと?」
 どうやらもうツヴァンは消えたらしい。
 ローゼンクロイツは床に落ちていたあのメガネを拾い上げた。
「昔はずいぶんと美人だったらしいよ(ふにふに)」
 そう、じつはツヴァンが生きていたのは何十年も昔のことだったのだ。
 愛した相手の変わり果てた姿。
 共に同じ時間を過ごしていたら、違う結果になっていたかもしれない。
 呪縛霊とは時間に取り残された存在なのである。

 一方そのころ、どっかの道ばたでは。
「助けてくださいローゼンクロイツさま~ん!」
 アインは簀巻きにされたまま放置されていた。

 おしまい


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